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2019.11

2019.11.14 Thu

Rip, Rig, and Panic / Roland Kirk

今回はRoland Kirkの代表作「Rip, Rig, and Panic」を取り上げてみましょう。

Recorded: January 13, 1965 Studio: Van Gelder Studio Englewood Cliffs, New Jersey Label: Limelight

ts, strich, manzello, fl, siren, oboe, castanets)Roland Kirk p)Jaki Byard b)Richard Davis ds)Elvin Jones

1)No Tonic Pres 2)Once in a While 3)From Bechet, Byas, and Fats 4)Mystical Dream 5)Rip, Rig, and Panic 6)Black Diamond 7)Slippery, Hippery, Flippery

Roland Kirkの作品は個性的かつ名作揃いですが、本作はサイドメンの素晴らしさからも取り分け重要な1枚と考えています。当blogで以前取り上げた「Out of the Afternoon」は、Roy Haynesの音楽的なドラミングがKirkの演奏をしっかりとサポートしていました。
Haynes自身のリーダー作ですが強力な個性を発揮するKirkとの共演ではどちらが主人公の作品なのかが曖昧になってしまいましたが。本作ではリーダーのKirkがまんま自己主張をすれば良いに違い無いのですが、存在感のあるKirk色だけ単色の表出になる可能性があります。そういった意味ではピアノJaki Byard、ベースRichard Davis、ドラムスElvin Jones3人は各々Kirkに対抗しうる十分な個性、音楽性を持ち、更にこのメンバーが揃った事により文殊の知恵的効果を発揮し、異なった色合いを添え、かつ触媒となりKirkの演奏を一層色濃く引き出させるのです。Kirkを軸とし、共演メンバーとの演奏がどのように展開しているのかを、曲毎に分析して行きましょう。

1曲目KirkのオリジナルNo Tonic Pres、速いテンポのブルースナンバー、曲のテーマが実に複雑で難解な超絶系のラインです!自分でも覚えがあるのですが、張り切って曲を書いたにも関わらず、度が過ぎて自分のテクニックで再現可能な領域を超えたテーマに仕上がってしまい、手を焼き冷や汗をかく場合があるのです(爆)。Kirkもここではテクニックを駆使していますが、ギリギリの状態でテーマのメロディを演奏しているように聴こえるので(音符やリズムにいつもの余裕がありません!)、親近感を感じます(笑)。ピアノが4度のハーモニーでメロディをサポートしており、サウンドに厚みが生じています。何処となくMcCoy Tynerのオリジナルで67年録音「The Real McCoy」収録のPassion Danceを髣髴とさせますが、こちらも4thインターヴァルのライン、ハーモニーの使用、ほぼ同じテンポ設定、録音エンジニアが同じRudy Van Gelder、そして何よりドラマーが共にElvinなので、リズムグルーヴから類似性を感じさせるのかも知れません。

タイトルNo Tonic PresのPresとはLester Youngの事、この作品は他にも偉大なる先達に曲が捧げられていますが、まずはその手始めです。多くのサックス奏者がYoungからの影響を明言していますが、それが演奏に具体的に表れている場合もあり、音楽的姿勢や精神面での影響として内在し、特に演奏では目立たないミュージシャンもいます。また黒人テナーサックス奏者である以上Presを始めとして他にColeman Hawkins, Ben Webster, そしてSonny Rollins, John Coltraneの影響を回避する事は不可能でしょう。優れた感性を持ち探究心、向上意欲の塊り、そして他者とは異なるオリジナリティの創造に対して、貪欲さを持ち続けるためには温故知新が欠かせません。

Lester Young

イントロはElvinとDavis二人による、彼らにしか彼らにしか成し得ないグルーヴの世界、テーマに入る時のElvinのフィルインを聴いただけでワクワクしてしまいます!2コーラスのテーマ奏メロディ最後の音、テナーの最低音B♭をそのまま吹き続けKirkのソロが始まります。ソロ中コンディミ系のラインが多用されますがYoung風のライン、ニュアンスも随所に聴かれます。1’08″から早速マルチフォニックスによるテナー1本だけでの多重音奏法、直後に同じフレーズを単音でリピート、比較する事で重音のインパクトが際立ちますが、ピアノも同様の音形でバッキングしています。1’19″でのElvinのフィルインにインスパイアされKirkが6連符?フレージングで応えますが、ラインが変わりサーキュラーブレスで何と1’41″まで20秒以上一息で吹き続けています!テナーソロの猛烈さからリズムセクションも次第に変貌、野獣と化し、2’00″頃からピアノのバッキング、ドラムのフィルイン共に物凄いことになっています!引き続きピアノソロでもハイテンションが持続しますが2’20″の辺りでKirkがカスタネットによるものでしょうか、何やらカシャカシャと効果音的に音を出していますが、サックスを吹き終え、サイドマンのソロの後ろでも自己主張をするのは流石というか、自分のリーダーセッションゆえに許される行為です。ByardのソロはDuke Ellingtonのテイストからスタート、3コーラス目でベースとドラムが演奏をストップ、2コーラス間全くのピアノソロになりますがByard真骨頂を発揮、ブギウギ、ストライド奏法でのアドリブ!この展開には驚かされました。予めある程度決められていたのか、突発的に行われたのか、いずれにせよ作為を感じさせない自然発生的なアクションに音楽が活性化されました。再びベース、ドラムが加わる直前にKirkの景気付け?ホイッスルが鳴り響きます。その後1コーラス、クッション的にピアノソロが行われ再びKirkのテナーソロですが、1コーラス間もう1本ホーン(恐らくmanzello)の単音が同時に聴こえます。2コーラス目に入るやいなや単音を吹き続け難なく口から放し、テナーに専念します。放した瞬間に音が途切れないのはどうしてでしょう?どのようなテクニックを用いているのか、同じサックス奏者として大いに気になるところです。ピアノのバッキングもEllington風で、ラグタイムやブギウギはなるほど、Ellingtonのスタイルと共通するものを感じると再認識しました。その後1コーラスKirkとElvinのDuoになり、ベースが加わり更に1コーラスを演奏、その後ラストテーマを迎えエンディングは半分のテンポになり、Kirkが雄叫びを上げてFineです。
2曲目はスタンダード・ナンバーからOnce in a While、KirkがClifford Brownの演奏を聴いて感銘を受けて以来のお気に入り。冒頭テナーとmanzelloによる演奏から始まりますが両手を駆使し、2本で異なった音を演奏しアンサンブルを聴かせています。音が微妙に震えているのはビブラートと言うよりも二つのマウスピースを咥えていて、アンブシュアが今一つの不安定さに起因するのでしょうが、この様な形態で演奏しようという発想が自由で素晴らしいです。Cliffordの吹くトランペットよりも1オクターブ下の音域でのメロディ演奏、Webster風のニュアンスも含んでいるのでムーディさを醸し出しています。テーマ、アドリブの両方、ところどころで聴かれる2管のハーモニーはやはり驚異的、アンサンブルが挿入される場所やハーモニーの響きも実に音楽的で的確です。合計2コーラスの演奏、ソロはAAの部分ですが最低音からフラジオ音域までレンジ広くブロウ、サビのBでは倍テンポによる2管のアンサンブル、テナーとmanzelloが対旋律のように動いています。ラストAではElvinお得意のシャッフルのリズムになりフェルマータ、大胆にして繊細なロールで締め、KirkはcadenzaでテナーキーでC, C#, Cルート音であるF、そして9thのGまで超高音域フラジオを吹きFineです。
3曲目本作一つの目玉にしてKirkのオリジナルFrom Bechet, Byas and Fatsはソプラノサックスとクラリネット奏者Sidney Bechet、テナー奏者Don Byas、ピアニストFats Wallerの3人に捧げられた軽快でスインギーなナンバーです。メロディのフィギュアやシンコペーションからスタンダードナンバーのLoverを感じさせます。冒頭で吹かれている楽器はmanzelloにも聞こえますが、恐らくはoboeだと思います。高音域が強調された響き、何より直管の鳴り方がしています。manzelloは曲管部を有しているので鳴り方が異なりますから。メロディを吹き伸ばしている最中にオルゴールの様な?金属的な音でのメロディが聴こえますが、これもKirkならではのサウンド・エフェクトなのでしょうか?テーマのメロディ奏でのバッキングではByardがWallerスタイルに徹しており、ベースのバッキングもよく合致しています。Elvinのドラミングもテーマに沿ったカラーリングが実に見事です!ソロはテナーで、これまたByasスタイルを音色まで見事に再現し、プラス超絶Kirkスタイルによる循環呼吸、連続ダブルタンギング、それらに応えるリズムセクションのグルーヴ、レスポンスにより物凄いインプロヴィゼーションを構築しています!ピアノのソロに替わった直後にカスタネットの音が聴こえますが、表現の発露が収まらない故の行為でしょうか。Byardのソロもイマジネーションに富んだ独自の世界を提示しています。その後のベースソロはDavisらしい重厚さを感じさせるピチカートを聴かせます。ラストテーマではElvinが一瞬5’29″辺りでテーマのシカケに入りそびれた風を感じますが、その後出遅れた感を若干引き摺り?シカケのフィルイン、カラーリングは初めのテーマの方が巧みであった様に感じます。

Sidney Bechet
Don Byas
Fats Waller

4曲目もKirkのオリジナルMystical Dream、曲の冒頭はテナーとmanzelloを2本咥えて演奏していますが、Elvinとのドラムセット”皮もの”を叩いたやり取りが面白いです。Aマイナーのブルース、テーマ直後にホイッスルも聴かれます。ピアノがヴァンプ的に1コーラスソロを取りますが、その後フルートソロが聴かれます。流石に2本サックスを同時に吹いた後、直ぐにはフルートに持ち替えが出来なかったためでしょう。Kirkはサックスを3本同時に演奏する夢を見て彼のスタイルを具現化しました。また後年夢で啓示があったためRahsaanの名を名乗ったのだそうです。幼い時に医療ミスにより視力を失ってしまった彼は、夢で見たことをさぞかし大切にしていたのだと思います。
5曲目は表題曲Rip, Rig and Panic、ここで聴かれる世界を一体どう表現したら良いのでしょうか。子供の頃に親に連れて行って貰った見世物小屋、そこで見た猥雑な世界を思い出しました。ここまで自己の全てを曝け出せるKirkの表現行為に心から敬服してしまいます。80年にトランペット奏者Don Cherryの娘であるNeneh Cherryらによって結成された英国のロックバンドRip Rig + Panicのバンド名はこの曲名から付けられました。ジャズ以外のミュージシャンにもKirkの音楽性は広く受け入れられている様です。冒頭テナーサックスのマルチフォニックス音、ベースのアルコ、ピアノのアルペジオから成る静寂の中に潜む不穏な影、重音双方が佳境に入った時に突如としてグラスが割れる音、一瞬の無音の世界、ジャズアルバムでは考えられない構成です!カスタネットを用いたカウント?その後間髪を入れずテナーによるテーマ、このメロディも超絶系、でも低音部のサブトーンが堪りません。テナーソロに於けるベースライン、ピアノのコンピング、Kirkのソロ、煽りまくるElvinのドラミング、ここではWayne Shorterの「JuJu」、3’16″からの2本同時奏法によるハーモニー、ピアノソロではDavisのベース演奏からピアニストAndrew Hillの「Black Fire」をイメージしました。ドラムソロの最中5’21″頃からサイレンの音が聴こえますが何故サイレンなのでしょう?あまりにElvinのソロが過激ゆえの緊急避難警報でしょうか(笑)?5’43″からマルチフォニックス音を演奏しElvinがソロを終えた直後、再びカスタネットによるカウント?でラストテーマが演奏されますが、その後のエンディングはメロディを繰り返しディクレッシェンドし突然、落雷の如きけたたましさがシンバルの強打音、何かドラム以外を叩く音、正体不明のこれでもかとばかりの騒音、KirkによりRip, Rig and Panicとタイトルが3回連呼されます。ロックの作品にはこの様なメッセージ性、コンセプトを感じるアルバムが多々あります。ロックを含めたジャズ以外のジャンルのミュージシャンにも信奉者が多いのは、Kirkのジャズに留まらない音楽性ゆえであると思います。

6曲目はピアニストMilton Sealeyのオリジナル・ワルツBlack Diamond、manzelloによくフィトするであろうし、雰囲気を変えるのに丁度良いとKirkが考えて取り上げたそうです。manzelloはソプラノサックスに巨大なベルを取り付けたKirk考案のオリジナル楽曲です。ベルの向きがソプラノの様に真っ直ぐな方向ではなく、アルト、テナーの様に前方向を向いているのが特徴です。異様に大きな形をしているので、どんなケースに収容されていたのかにも興味があるところです。Kirkにしては珍しく楽器1本でこの曲を演奏しており、インプロヴァイザーとしての本領を披露しています。ワルツのリズムはElvinが得意とするところ、スネアやバスドラムを叩くタイムの位置が絶妙です!テーマ〜manzelloソロ〜ピアノソロ〜ラストテーマとストレートに演奏しており、構成や内容が複雑だった前曲との良い対比になっています
7曲目ラストのナンバーはKirkのオリジナルSlippery, Hippery, Flippery、表題曲と同傾向のコンセプトを持った演奏です。ここではstritchをメインに演奏していますが、曲の初めには電気的な信号を用いたノイズ的な効果音(ごく初期のシンセサイザーを思わせます)、サイレンを鳴らし、その間隙間を縫ってElvinが皮モノを中心にフィルインを入れています。曲のテーマはここでも超絶系、ハードルを自ら上げたためにメロディをちゃんと吹けているのか微妙なところです(汗)。テーマ中、ソロに入ったところでも電気的効果音が聴かれます。アグレッシヴなKirkのソロにメンバー一丸となって燃え上がっています!Elvinのたっぷりとしていて、スピード感溢れるビートが実に気持ちが良いです!Byardソロの終盤にKirkが吹き始め、終了を促しフェルマータ、おもむろにラストテーマを吹き始めリズムセクションが参加し大団円を迎えます。

2019.11.13 Wed

The Inflated Tear / Roland Kirk

今回もRoland Kirkの作品を取り上げて見ましょう。1967年録音「The Inflated Tear」

Recorded: November 27, 30 1967 Recorded: Webster Hall, NYC Producer: Joel Dorn Label: Atlantic Record

ts, manzello, strich, cl, fl, whistle, cor anglais, flexatone)Roland Kirk p)Ron Burton b)Steve Novosel ds)Jimmy Hopps tb)Dick Griffin(on 8)

1)The Black and Crazy Blues 2)A Laugh for Rory 3)Many Blessings 4)Fingers in the Wind 5)The Inflated Tear 6)Creole Love Call 7)A Handful of Five 8)Fly by Night 9)Lovellevelliloqui

Roland Kirkの素晴らしさ、魅力、音楽性の高さを今更ながらに再認識しているところです。当Blogでは同じアーティストを連続して取り上げる事はなかったのですが、今回は引き続き触れて行きましょう。その立ち姿、容姿、振る舞いから日本でも「グロテスク・ジャズ」という、Kirkの本質を全く捉えない愚かでくだらない分類をされていたことがあります。誰もやったことのない、思いついても行わない表現方法を、重大なハンディキャップを抱えながらも聴衆を感動させる次元にまで高め、演奏を重ねる毎に更にレベルアップさせ、洗練させ、他の追従を全く許さない独自の世界にまで築き上げました。実はKirkの楽器を操る能力値の半端なさに、同じサックス奏者として演奏を聴く毎に打ち拉がれる思いすら抱いています。2本、3本のサックスを咥えて同時に演奏する、しかも驚異的なレベルの循環呼吸も用いて。いとも容易く2本同時奏法から1本吹奏にスライドさせる。加えて鼻でフルートを吹く、時に声を混ぜながら。ホイッスル、オルゴールを鳴らす、打楽器を首からぶら下げてインパクトのあるパフォーマンスを繰り出す。曲芸、サーカス的な目立つ部分が独り歩きしてしまい、多くの評論家、聴衆はその次元にてKirkの音楽を理解するのを止め、それらの先に存在する深淵な創造美を見ようとせず、単なるキワモノとしか認識しませんでした。Kirkはジャズの伝統を重んじ、先達の演奏に敬意を払いつつ徹底的に研究分析を行い、自己の演奏スタイルに巧みに取り込み続けました。特にバラードに対する美意識には格別の魅力を感じます。優れたミュージシャンの本質はバラード演奏にあります。Kirkは視覚的要素とは裏腹に優雅さ、気品、愛、スイートさ、暖かさを根底に持っていて、バラード奏ではそれらが顕著に現れます。いかなる特殊奏法を繰り出す時にもバランス感を伴い、独り善がりに陥らず、演奏が異端であればあるほどジャズの伝統、美学に裏付けされた音楽性を感じさせてくれるのです。

それでは「The Inflated Tear」に触れて行きましょう。「Rip, Rig and Panic」同様、こちらもKirkの代表作に挙げられる名作です。演奏曲目はDuke Ellington作の1曲以外全てKirkのオリジナルになります。1曲目The Black and Crazy Blues、manzelloによる哀愁を漂わせたメロディからブルースに移行して行く、New Orleansのセカンドラインの雰囲気を湛えた楽曲です。リズムセクションはこの当時のKirkのバンドのレギュラー・メンバー、Ron Burtonのピアノソロに被ってKirkが多分mannzelloとstritchの2管でハーモニーを付けています。その後はラストテーマへ、再びstritchによるテーマ奏は全く葬送の行進曲の様を呈しています。

2曲目A Laugh for Rory、冒頭に子供の声が聴こえますがKirkの息子Roryによるものです。彼のフルートをフィーチャーしたナンバーですが、この人は何を吹かせても抜群の上手さ!また声を発しながらフルートを吹く奏法の権威でもあります。

3曲目Many Blessingsはテナーの独奏から始まりますが、実に素晴らしい音色、どこかSonny Rollinsをイメージさせます。ひょうきんさを感じるテーマののち、いきなり循環呼吸による延々と続くフレージングに圧倒されます!難易度の高いColtrane Changeも用いられているコード進行をものともせず、1’20″から2’38″までの間ずっと吹き続け、フレージングしています!続くピアノソロはあまりの出来事の後で耳に入らず、印象に残らないのが本音です(汗)その後あとテーマを迎え、エンディングではダブルタンギング、マルチフォニックスによる重音奏法で締めくくり、Kirkテナー独演会は終了です。

4曲目Fingers in the Wind はフルートの明るいテーマ奏から始まりますが、コード進行が似ているのもあり、Antonio Carlos Jobim作Dindiをイメージさせます。Kirkはフルートも実に良く鳴っていてコントロールも素晴らしいですね。この曲ではフルートに専念しており、彼の華やかさと爽やかさの部分を表現したテイクに仕上がっています。次曲ではこれが一転します。

5曲目は表題曲The Inflated Tear、 邦題「溢れ出る涙」、Kirkは2歳の時に病院での点眼薬投与による医療ミスで失明し、その後遺症で涙が止まらないのだそうです。曲名はそこから来ているのでしょう。テナー、manzello、stritch3本のサックスを同時に咥え頰を思いっきり膨らませ、両手で巧みに扱い、2本でハーモニーや対戦律を奏で残りの1本でロングトーンを吹き3本でのアンサンブルを1人で行います。本作ジャケット写真で見られるKirkのトレードマーク、サックス史上彼しか成し得ていない特殊奏法、これは自身が夢で見た啓示の具現化であります。あくまでも推測ですが3本同時演奏の際に、Kirkは各々のサックスは違った楽器でなければならない、と考えていたと思います。アンサンブル時に豊かなハーモニーを得るには音域の異なった楽器の方が好都合ですから。彼のメインの楽器はテナーなので後の2本は自ずとアルト、ソプラノということになります。パフォーマンスとして彼は立奏を前提にしていました。それには3本を全て首からぶら下げておく必要があり、最も小型のソプラノは容易にそれが可能ですが直管構造のために音が下向きに出てしまいます。King社製のソプラノサックスsaxelloは先端のベルが幾分上向き、これを改造して上方向に巨大なベルを装着した楽器manzelloを考案、これで音が前に出るようになりました。アルトですがテナーと同じ曲管構造を有したサックスなので、テナーとアルト2本を同時に首からぶら下げておく事は楽器の大きさと安定感から困難、そこでKirkが考えたのが直管のアルトです。こうすればテナーとの並列も問題ないのですが、直管ゆえにソプラノ同様に音が下向きに出るので、こちらにもやや上向きにベルを取り付けました。これがstritchです。後年ドイツの楽器メーカーKeilwerthや米国のLA Saxが直管アルトを開発して発売しました。Keilwerth社製をKenny Garrettが吹いているのを見たことがあります。一時テナーの直管タイプも同じくKeilwerthから発売され、Joe Lovanoが吹いていました。その長さからアルペンホルンの如き様相を呈していたのが印象的です。いずれもポピュラーになり得なかったのは視覚的には強力なインパクトこそあれ、通常のアルト、テナーと比較してサウンドが激変する訳ではなく、その長さゆえにケースに入れた運搬にも支障を来たしたからでしょう。因みにこれら後発の直管アルト、テナーのベルはKirk仕様を意識したのかどうか、若干のカーブを描いています。

さてKirk「ひとり3管編成」の楽器レイアウトは出来上がりました。サックスは3本の音が合奏で混じり合う事で管の倍音成分が絡み合います。これを3人ではなくひとりで行う場合、ひとつの口で咥えたマウスピース3つの倍音が口腔内で更に複雑に絡み合う現象が生じるそうで、彼の独特のアンサンブル・サウンドはここに秘訣があるのかも知れません。頬を思い切り膨らませて吹いているのは単純に3つのマウスピースを咥える容積を稼ぐためか、倍音を確実に鳴らすためか、またその両方なのか、循環呼吸のために頬にエアーをためると言う見解もありますが、本人に尋ねてみたかったものです。

演奏を聴いてみましょう。Kirk自身による、首からぶら下げたパーカッション群を鳴らし、足踏みをし、ベーシストと共にある種の雰囲気を作った後、おもむろに3管編成のメロディが始まります。実はこれまで僕自身この演奏を軽く聴き流していて、この事をいま後悔しています。「魂の叫び」という言葉を安直に使うべきではないと思いますが、この演奏はKirk自身のそのものであります。何と深い音楽なのでしょう。私論ではありますが芸術表現をオーディエンスはあるがまま、ストレートに捉えるべきであり、表現者も舞台裏やバックグラウンド見せたり感じさせたりするのは控えるべきであり、ましてやお涙頂戴はご法度です。先入観を持たずにニュートラルな状態で演者も聴衆も芸術行為に向かうべきなのですが、湖面を優雅に泳ぐ白鳥の水面下での暗躍ぶりを知ればその優雅さが一層引き立つように、Kirkの場合はそのバックグラウンドに触れる事で演奏の本質、表現に対する執拗なまでの飽くなき探求心、どれだけの労力を費やした結果これらの奏法を自在に操れる次元にまで至ることが出来たのか、彼の場合は垣間みても良いのでは、と思います。3管奏の後はstritch1本によるメロディが奏でられますが、どこかアルトの名手Johnny Hodgesを感じさせます。妖艶なまでに美しく、同時に物悲しさを誘い、これは3管のアンサンブルとの絶妙な対比となっており、強烈なイメージを持っています。Roland Kirk本人にしか発想、そして表現できない「魂の叫び」に他なりません。そして最後の部分では自身による、文字通りの叫びも収録されています。

67年10月19日Pragueにて本作レコーディング直前のライブ映像がyoutubeにアップされています。映像でこの演奏を鑑賞すると一層インパクトがありますので、ぜひご覧ください。https://www.youtube.com/watch?v=ZIqLJmlQQNM (アドレスをクリックしてください)

向かって左からmanzello, stritch, テナー, ベル内にフルートを入れ、楽器を構えるRoland Kirk

6曲目がEllington作曲のCreole Love Call 、テナーとおそらくのクラリネット2管によるハーモニーが聴かれます。ソロはstritchを中心にブルージーに、フリーキーに、時折ハーモニーを交えつつ、Ellingtonの音楽性を踏まえた演奏に徹しています。

7曲目アップテンポで5拍子、その名もA Handful of Five、manzelloでメロディを演奏する可愛らしさを感じさせるナンバーです。2分40秒の短い楽曲ですがKirkのチャーミングな側面を表していると思います。

8曲目Fly by Night はベースのピチカートのイントロから始まる、再びテナーをフィーチャーしたナンバーですが、トロンボーン奏者Dick Griffinも加えた演奏で、テナーとトロンボーン2管のアンサンブルが聴かれます。ホーンセクションはピアノソロのバックリフでも聴かれますが、流石のKirkもトロンボーンは門外漢だったようです。でもブラス楽器ではトランペットは吹くそうですが。モーダルな雰囲気を持った佳曲、全てをひとりで行えるKirkなので他の管楽器とのアンサンブルが聴かれるのは珍しいことですが、この2管のアンサンブルもとても良いサウンドです。

9曲目Lovellevelliloqui は難易度やや高い系のテーマ、難曲揃いの「Rip Rig and Panic」に収録されてもおかしく無いようなナンバーです。manzelloをフィーチャーしたマイナー・チューン、モーダルな要素も含む曲です。ドラムとのバースもあり、総じて本作は楽曲や演奏の構成に於てバラエティに富み、複雑で多岐にわたる要素を内包するRoland Kirkというミュージシャンの音楽を、初めて経験する際の入門にもなり得るアカデミックな作品だと思います。