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2021.06

2021.06.24 Thu

原信夫さんとの思い出話

6月21日に94歳で亡くなられたシャープス&フラッツのリーダー原信夫さん、僕はシャープス最後のテナー奏者として大変お世話になりました。人に育てられる、この事を身をもって体験させて貰い、今は感謝の気持ちでいっぱいです。

<原信夫さんとの思い出話>
原さんの事務所からある日連絡があり、スケジュールの確認をされました。
始めはリハーサルと確かNHKのセッションの収録の仕事。お試し期間だったのでしょう、にも関わらず原さんから細々としたアドバイス、注文を頂きながらの演奏でした。

その後マネージャーを交えて飲食しながらの三者面談があり「シャープスを今後やって貰えるかな」との有り難いお言葉、喜んでとお引き受けしました。

「ユーには毎回フィーチャリングで演奏して欲しいバラードがあるので、自分の持ち曲としてしっかり温めて欲しいんだ」
これがBenny Golsonのシャープスへのオリジナル・アレンジ「Come Back to Sorrento〜帰れソレントへ」、音楽の教科書に載っていたのは覚えていましたが、全く自分のテイストにはないタイプのナンバーです。もちろん演奏した事はありません。

Golsonのアレンジは限りなくゴージャスで彼の美意識を痛感できる実に素晴らしいものでした。
この曲を取り上げたのはもちろん原さんの発案、ポピュラーな曲を素材にジャズを演奏する事は、多くの聴衆にアピールすると言う自身の信念から、そしてアレンジャーも原さんの大好きなGolsonへ発注し、彼を招いてシャープスはコンサートも行いました。

「原さん、この曲は自分の身体にはないもので、とても難しいです」と言うと「たっちゃん(ユーから昇格しました)を見込んでやって貰うからさ、頑張って自分のものにしてよ」
彼には人の力量を見抜く力があると思いますが、その時は僕を買い被っているようにさえ思いました。

参考資料でレコードをカセットにダビングしたもの、Ben Webster, Buddy Tate, Arnett Cobb, Stanley Turrentine, etc数多く渡され、自宅にも送って頂きました。
「たっちゃんこの前送ったカセットは聴いてくれた?、そう、で、どんな風に感じた?」と必ずリアクションを求められました。

メンバー全員にそうしていましたが、誕生月には原さんからCDのプレゼントがあり、月初めの仕事の際、挨拶もそこそこに「はい、今月の誕生日!」僕とリードアルトの猪目さんが12月生まれで、2人に直接CDを手渡しされていました。
自分にはこちらも同じ系統のミュージシャンのアルバムばかりでした。

この手のホンカー・スタイルは大好きで自分も良く聴いていたので、むしろ喜んで参考にしようと思いましたが、何しろ曲に入って行く事が出来ず大変難儀しました。

コンサートが終わってからよく「今日のSorrentoはさぁ」と感想と今後の方向性の言葉を貰いましたが、原さんに来客があった時には別日のリハーサルや移動中の新幹線、飛行機の中で必ず指導がありました。
「今日は座席横が空いているな」と思っているといつのまにか原さんが座っていて、「この前のあの曲の演奏はさぁ」とSorrento以外の曲のソロにもダメ出しをされました(汗)
僕は2ndテナーで原さんが4th、常に隣りにいるのでコンサートや収録の最中にもダメ出しがある場合もありました。

吹いて指揮をしてMCをする原さんはいつも大忙し、見かねて彼の譜めくりをし始めると「たっちゃんありがとうね、助かるよ」と暖かいお言葉を頂きましたが、シャープス・ファイルツアーの最後の頃、何かにかまけて譜めくりがされていないと「譜面がめくれていないじゃないか!」とお叱りの言葉も(汗)

原さんはとにかくシャープスと言うバンドを、徹底的に自分のイメージ通りに持って行きたいと言う、強力な意思をお持ちの方でした。

感じたのは、彼は原信夫エンタープライズの総帥であり、企業を円滑に運営するために歯車である社員に自ら徹底的に指導するリーダーのエキスパート、例えばビッグバンドを率いずに大会社の社長であっても必ず成功した方だと思います。

今は原さんとの思い出に浸り、ご冥福をお祈りするばかりです。