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2022.07

jazz/music 

2022.07.25 Mon

アマネセル/ジョーイ・カルデラッツォ

ピアニスト、ジョーイ・カルデラッツォの2006年録音リーダー作『アマネセル』を取り上げましょう。 録音:2006年1月30日~2月2日ヘイティ・ヘリテージ・センター、米国ノースカロライナ州・ダーラム エンジニア:ロブ ”ワッコー!” ハンター プロデューサー:ブランフォード・マルサリス レーベル:マルサリス・ミュージック (p)ジョーイ・カルデラッツォ  (vo)クラウディア・アクーニャ  (g)ホメロ・ルバンボ 1)ミッドナイト・ヴォヤージ  2)シー・グラス  3)トゥーネイ  4)アマネセル  5)ザ・ロンリー・スワン  6)アイヴ・ネヴァー・ビーン・イン・ラヴ・ビフォー  7)ソー・メニー・ムーンズ  8)ワルツ・フォー・デビー  9)ララ ジョーイ・カルデラッツォ9作目のリーダー作『アマネセル』、スペイン語で「夜明け」ないしは「日の出」の意味になります。前作02年8月録音初のソロピアノ・アルバム、『俳句』のコンセプトを踏襲し、本作もピアノ独奏が中心ですが収録9曲中4曲にヴォーカルやギターが加わり、華を添えています。 収録曲中3曲がマイケル・ブレッカーやジョーイのオリジナル曲、そしてマイケルのリーダー作でも演奏されたナンバーです。録音自体はマイケルが亡くなる約1年前、彼の体調がかなり思わしく無かった時期に行われたので、彼に認められてシーンに登場したジョーイとしては、闘病中の彼を激励する意味合いで関連曲を取り上げたと考えられます。 しかしマイケルが07年1月13日、57歳の若さで惜しまれつつ亡くなったため、翌年リリースの際にコンセプトを明確にすべく、作品冒頭に2曲続けて彼所縁のナンバーを配置したのでしょう。 リリース時にはジョーイにとって大いなる喪失感があったと思いますが、特にトリビュート・アルバムとは銘を打っておらず、またマイケル生前の演奏なので強い追悼感はありませんが、彼への日常的な思いが表れていると感じます。 ジョーイは65年2月ニューヨーク州ニューロシェル出身、ドラマーである兄ジーンの影響を受け、クラシック・ピアノからジャズに移行し、80年代はリッチー・バイラークに師事しました。彼のプレイからバイラークのテイストを度々感じ取ることが出来たのも当然の事です。その後バークリー音楽大学、マンハッタン音楽院で学びます。またこの頃はデイヴ・リーブマンやフランク・フォスターとも活動を共にしました。 マイケルとは彼が講師を務めたクリニックで知り合いました。ジョーイは自分が見つけ、ピックアップし、デビューさせたと言う自負があったのでしょう、マイケルは私にその事を度々話してくれました。そして自分のバンドに誘い入れ、87年からレギュラー・ピアニストになります。 98年ケニー・カークランドが43歳の若さで逝去し、ブランフォード・マルサリスが兄ジーンのバークリー時代のルームメイト、またブランフォード自身もジョーイのリーダー作に参加と、近しい距離を保ちながら音楽的方向性が合致していたジョーイは、パズルのピースを埋めるべく、ブランフォードのバンドにも加わることになります。その後現在に至るまで約四半世紀、ブランフォード・カルテットのピアノの椅子を暖めています。 他にもジェリー・バーガンジやリック・マーギッツァらストロング・スタイルのテナー奏者の伴奏を行う機会が多いのは、コンテンポラリーなテナー・サウンドのバッキングに長け、加えて彼のインプロヴィゼーションがテナー奏者の構築するラインと被らず、ぶつからず、かつ彼らを刺激するサムシングを持ち合わせているのに起因するので、とイメージしています。 彼のピアノトリオ作品を挙げておきましょう。ブランフォード、マイケル両バンドのドラマーを兼任するジェフ “テイン” ワッツやジョン・パティトゥッチとレコーディングした『ジョーイ・カルデラッツ』(邦題『ザ・トリオ』)、いずれも若手リズム隊を起用した11年録音『ライヴ』、14年8月録音『ゴーイング・ホーム』は出色の出来と言えます。 本作のプロデューサーを務めるのは盟友ブランフォード。これまでにも、そして以降も良好な音楽関係を続ける間柄、ここではジョーイの音楽性を俯瞰し、スタンダード・ナンバーやビル・エヴァンスの名曲を取り上げ、彼の魅力をより一層引き出しました。また新たな表現力や才覚を引き出すべく、的確なアドヴァイスや彼とのディスカッションを繰り返したことでしょう、ヴォーカリストとアコースティック・ギタリストの参加という手法を用いて、ジョーイの未出の側面を盛り込む事に成功しました。 何かのインタビューでは、彼自身様々な種類の音楽を聴き、研究し、学んだ事により可能性が広がり、マイケルの作品で演奏してきた曲も、これまでに無い全く新しい気持ちで弾くことが出来たと語っています。 それでは演奏について触れて行く事にしましょう。初めに感じるのがピアノの録音状態です。一聴抜け切らない、まるで磨りガラスの向こう側で演奏しているかの様です。ブライトでエッジが立つ、クリアネスを常に感じさせるジョーイのプレイですが、本作ではハスキーでダークな音色を聴かせており、私には味わいを感じさせる、良き方向でのアンビエントと判断しました。おそらくレコーディングで用いたホールの残響が一つの要因だと思います。 1曲目ジョーイのオリジナル、ミッドナイト・ヴォヤージ。マイケルのリーダー作96年リリース『テイルズ・フロム・ザ・ハドソン』収録のナンバーです。マイナー調で哀愁を感じさせるメロディラインは、一瞬50年代ブルーノート・レーベル辺りのアルバムに収録されているナンバーでは、とイメージさせますが、コンテンポラリーさがさり気なく際立つ名曲です。初演時ジョーイ他デイヴ・ホランド、ジャック・ディジョネットのリズムセクションによるプレイで、マイケルは新境地を開拓しました。ここでは意表をつくイントロから始まりますが、興味深いアプローチです。メロディの断片を次第に纏め上げるかのようにテンポを作り上げて行き、印象的な左手のワーク、右手のラインはオーソドックスなテイストを発しながらも随所にジョーイならではの音使いを聴かせますが、一貫してラグタイム風の、ブギウギ、ストライドピアノ的なグルーヴで演奏されます。 マイケル没翌月の07年2月、マンハッタン、タウンホールで行われたマイケル・ブレッカー・メモリアルにて、ランディ・ブレッカー、ジョーイ、ジェームズ・ジーナス、ジェフ”テイン”ワッツのカルテットでこの曲がトリビュートとして演奏されました。 2曲目シー・グラスはマイケルのナンバー、87年リリースの初リーダー作『マイケル・ブレッカー』冒頭を飾りました。この曲はマイケルのライヴで演奏される機会も殆どなく、またアルバム収録曲中若干テイストが異なるためでしょう、作品中どこに位置させるか難航した節が窺えます。曲中や巻末収録では埋もれてしまう可能性があり、ダークホースは結果1曲目と言う栄誉を獲得しました。今回シンプルに、ソロピアノで演奏された事で曲の全貌が新たになり、斬新で魅力的なメロディラインとコード進行、構成を持った曲と理解できました。 ジョーイは全ての音、コードを噛み締める様に、脱力しつつ美しく奏で、楽曲をサウンドさせています。その後のインプロヴィゼーションに於いても、時折無調の世界に足を踏み入れつつ終始耽美的にプレイし、マイケルの穏やかで優しい性格に想いを馳せるかのようです。結果まるでレクイエムであるかの様に響く演奏に仕上がりました。 3曲目トゥーネイはジョーイの作曲、アルバム『ジョーイ・カルデラッツォ』にも収録されています。そちらはピアノトリオ・ヴァージョンなので自ずとリズミックに演奏されていますが、こちらのソロピアノも全く遜色なくグルーヴを発揮し、テンポも速められ、凝縮されたビートの塊の如きプレイを展開しています。トリオでは共演者とのコンビネーションを楽しみ、独奏では気持ちの赴くままに打鍵、といったコンセプトを感じます。 4曲目アマネセルはヴォーカリストのクラウディア・アクーニャとギタリストのホメロ・ルバンボ加えた表題曲。ジョーイのオリジナルですが、マイケルの98年録音リーダー作『トゥー・ブロックス・フロム・ジ・エッジ』にてキャッツ・クレイドルというタイトルで演奏されており、アクーニャによるスペイン語の歌詞が付けられ、タイトルも変更されました。メロディの原型は殆どそのままですが、ヴォーカリストが歌唱し、アコースティック・ギターとピアノの伴奏で進行して行くので全く違った楽曲に聴こえます。マイケルのプレイも素晴らしかったですが、そちらを踏まえた上での演奏、こちらの方がより深い表現域に踏み込んでいます。 アクーニャとジョーイは05年のモンタレー・ジャズ・フェスティヴァルで出会い、彼女の声にこの曲がフィットすると感じ、彼が取り上げました。ホメロ・ルバンボのアコースティック・ギター参加が楽曲の味付けに大変貢献しており、ピアノと同時にコードワークを演奏しても決してぶつかる事無く、過剰なサウンドも回避しながら、抜群のコンビネーションを維持しています。 ドライヴする、アグレッシヴなピアノプレイが特徴のジョーイでしたが、この自曲のプレイで新たな側面を聴かせ、成長ぶりを感じさせました。 5曲目ザ・ロンリー・スワンはルバンボのアコースティック・ギターとデュオで演奏される、ジョーイ作のボサノヴァ・ナンバー。アコギのカッティングが実に心地よく、その上で気持ち良さそうにピアノを弾くジョーイ、その後入れ替わりピアノのバッキングの上で端正なピッキングによるソロを聴かせるルバンボ、ジョーイ曰くの「憂いを帯びた美」が構築されます。 6曲目アイヴ・ネヴァー・ビーン・イン・ラヴ・ビフォーはフランク・レッサー作曲による、多くのヴォーカリストやジャズマンに愛奏されたミュージカル・ナンバー。比較的早めのテンポ設定によるソロピアノ演奏、徹底的にスインガー振りを発揮します。楽曲の構造をしっかりと把握し、コード進行を再構築したかのプレイは実にスリリング、右手のラインも素晴らしいですが、左手の使い方が巧みで、師匠のバイラークを彷彿とさせるテイストを見出すことが出来ます。 7曲目ソー・メニー・ムーンズ、こちらもジョーイとアクーニャの合作です。アラン、マリリン・バーグマン夫妻作曲作詞でセルジオ・メンデスがヒットさせた名曲、ソー・メニー・スターズのタイトルに肖ったのでしょう、因みに月=衛星の多い惑星は木星で79個、土星には82個も存在するそうです。 こちらはヴォーカルとピアノのデュエットで演奏され、前半アクーニャはヴォイスとしてメロディを歌唱し、後半に歌詞を歌い展開しており、美の世界を堪能させてくれます。 ジョーイのピアノプレイもテクニカルでひたすら端正に違い無いのですが、これまであまり表出されなかった包容力や慈しみが聴こえて来ます。彼が例えば結婚して家庭を持ったとか、待ち望んだ子供が産まれた様な、人生の岐路に差し掛かったミュージシャンならではの変化を、演奏から感じ取ることが出来るのです。 8曲目ワルツ・フォー・デビーはお馴染みビル・エヴァンス作の名曲、あまりにもポピュラーなナンバーなので、取り上げたことに若干の唐突感がありますが、それを払拭すべくハーモニーやフィルインにジョーイらしいテイストを折り込み、収録の必然性を持たせています。ピアニスト誰もが多かれ少なかれ影響を受けたであろうエヴァンスの演奏、彼も例外ではありません。 ソロピアノですから当然なのですが、途中でテンポを揺らしたり効果的にフェルマータを用いたりと、比較的モノローグ的な語り口で終始プレイされ、そこからエヴァンスへの敬愛の念を聴き取ることが出来ます。ここでも左手の使い方、右手のラインに寄り添う対旋律としての動き方に、独創性を感じます。 9曲目は再びアクーニャ、ルバンボを迎えたジョーイのナンバー、ララ。こちらもボサノヴァのリズムによる演奏で、ジョーイは三位一体の美の世界をとことん楽しんでいるかの様です。この曲でも歌詞は用いられずヴォイスを効果的に使い、ピアノとユニゾン、時折り音をぶつけつつ、色彩豊かなメロディラインをサウンドさせています。普段のジョーイのピアノの音色では音のエッジが立ちすぎ、ヴォーカルとブレンドし難いことが考えられ、本作でのピアノの音色はヴォーカル、アコースティック・ギターとの共演に際しての一つの手法と捉えることが出来そうです。

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2022.07.16 Sat

タイムズ・ライク・ジーズ/ゲイリー・バートン

ヴィブラフォン奏者、ゲイリー・バートンの88年リーダー作『タイムズ・ライク・ジーズ』を取り上げましょう。 録音:1988年クリントン・スタジオ、ニューヨーク エンジニア:ドン・パルス レーベル:GRP プロデューサー:ゲイリー・バートン エグゼクティヴ・プロデューサー:デイヴ・グルーシン、ラリー・ローゼン (vib, marimba)ゲイリー・バートン  (g)ジョン・スコフィールド  (b)マーク・ジョンソン  (ds)ピーター・アースキン  (ts)マイケル・ブレッカー 1)タイムズ・ライク・ジーズ  2)オア・エルス  3)ロバート・フロスト  4)ホワイド・ユー・ドゥ・イット?  5)P. M.  6)ワズ・イット・ロング・アゴー?  7)ベントー・ボックス  8)ドゥ・テル 43年米国インディアナ州生まれのバートンは60年に僅か17歳でデビューを飾り、以降数多くの最先端ミュージシャンと充実した活動を繰り広げました。2017年に引退を表明するまで60年近く、ヴィブラフォンの第一人者として音楽界にその名を轟かせ、リーダー・アルバムを60作以上をリリースしています。 片手に2本ずつのマレットを持ち、計4本を自在に駆使します。レッド・ノーヴォが始めたこの奏法をより高度に発展、そして確立させたモダン・ヴィブラフォン奏法のイノヴェーター、片手に1本ずつのシングル・マレットでは表現出来ない速い緻密で複雑なパッセージを可能にし、さらに和音を鳴らすことでハーモニー感を伴ったメロディ、インプロヴィゼーションのラインを展開します。 伴奏時にピアノ奏者ほどの和音感(同時に鳴らせる音符の数、ヴィブラフォン自体の音域幅ゆえ)は出せずとも、独自のサウンド感でソロイストを鼓舞しました。66年頃のスタン・ゲッツ・カルテットのライヴ演奏で、既にその充実ぶりを確認出来ます。 彼が考案したダンプニング奏法、またバートン・グリップと呼ばれるマレットの持ち方は多くのヴィブラフォン奏者に取り入れられ、楽器奏法の発展にも貢献しており、実際に母校であるバークリー音楽大学で長年教鞭を執りました。 ともすると無機的に聴こえるヴィブラフォン演奏、しかも彼の場合高度な音楽性に裏付けされた論理的でテクニカルなプレイを信条とするため、よりメカニカルな印象を与えがちですが、常にパッションを内包し、寧ろ楽器が放つクールさを逆手に取るかのように透徹さ、ノーブル、知的でウイットに富んだセンスを表出しながらの自己表現を行なっています。総じてプレイに華が感じられるミュージシャンです。 本作ではジョン・スコフィールド(ジョンスコ)が参加しています。バートンを含むヴィブラフォン奏者はギタリストとの共演を望む場合が多いようですが、ギターは同時に最大6音から成る和音を提供出来ます。一方ヴィブラフォンで4本マレットの場合に最大4声、合計して10音から成る和音構成は、まさしくピアノ奏者が両手で演奏可能な数と同じになります。加えて異なった音色、倍音構成からヴィブラフォンとギターが互いに無い音色を補いつつ、緻密でより豊かなアンサンブルを表現する事が可能になります。 もちろん音楽的、そして互いの相性が大切になりますが、バートンはこれまでにもラリー・コリエル、ミック・グッドリック、パット・メセニー、ウォルフガング・ムースピール、カート・ローゼンウィンケル、ジュリアン・レイジら超個性派ギタリストたちと絶妙のコンビネーションを築き上げ、自己の音楽を邁進させました。 Gary Burton 共演者に触れて行きましょう。ジョンスコは51年オハイオ州出身、バークリー音楽大学で学んだ後、76年メセニーの後釜としてバートンのグループに参加し、自己のバンドの他、マイルス・デイヴィスのバンドを始めとしたサイドマンとしても活躍しています。先鋭的で独自なテイストのラインを駆使したインプロヴィゼーションは真に個性的、ピッキングの正確さとアウト感が半端ないラインは前衛的であるにもかかわらずどこかポップで、聴き手を容易く異次元に誘い込みます。8分音符のグルーヴ感に対する拘りが凄まじく、ここでの演奏もグルーヴ・マスターぶりを披露しています。近年はそこにレイドバックとうねりが加わり、管楽器奏者の如きタイム感を感じさせる事が多くなり、フレーズとフレーズの間の取り方にはサックス奏者がブレスを取るが如きテイストを聴かせます。ソロ中に8小節間そのまま50年代のソニー・ロリンズのソロ・フレーズを挿入したプレイを聴いた時には、先達の演奏を研究、愛聴している事を感じ、根っからのジャズマニアぶりを認識できました。 John Scofield ピーター・アースキンは54年米国ニュージャージー州生まれ、スタン・ケントンやメイナード・ファーガソンのビッグバンドを経てウエザー・リポートのドラマーに抜擢されます。その後ステップス・アヘッドやジャコ・パストリアスのワード・オブ・マウス等、数々の名バンドでプレイを披露します。バランス感に富んだプレイが信条の彼は楽曲のカラーリング、ソロイストへの寄り添い方に長けており、プレイ中その場で最良のレスポンスを繰り出しながら演者を鼓舞し、場面を活性化させるドラミングは彼の人柄そのものです。 かつてアースキンとの共演時、彼が「やあ、こんにちは。僕はピーター。君の名前は?」「タツヤ・サトウ、テナーサックス奏者です。」「オーケー、タツヤ、今日はよろしくね。お互い演奏をとことん楽しもうじゃないか。」ワールド・クラスのミュージシャンにもかかわらず、フレンドリーで柔らかな物腰に触れられたのは、自分の音楽経験の中でも一つの財産だと思っています。 Peter Erskine マーク・ジョンソンは53年ネブラスカ州生まれ、その後テキサスで育ちました。78年にビル・エヴァンスのトリオに加入、エヴァンス・トリオ最後のベーシストとして彼が80年逝去するまでプレイを共にしました。以降スタン・ゲッツ、エンリコ・ピエラヌンツィ、ジョン・アバークロンビーたちのバンド他、ジョンスコ、アースキン、そしてビル・フリゼールをメンバーに擁したリーダー・バンド「ベース・ディザイアーズ」での活躍、奥方であるピアニストのイリアーヌ・イリアスとの共同作業で多くの作品を残しています。知的でリリカル、クールさの中にも抒情的なテイストを感じさせるプレイは抜群の安定感を聴かせ、本作でも共演のアースキンとは気心の知れた絶妙なコンビネーションを生み出しています。 Marc Johnson マイケル・ブレッカーについては改めて紹介する必要は無いと思いますが、本作ではバートン、ジョンスコ、アースキン、ジョンソンのカルテットに2曲のみのゲスト的参加になります。楽曲の有する豊かな音楽性もありますが、表題曲での素晴らしいテナーの音色、ストーリー性を伴った壮大なスケールを有するソロプレイから圧倒的な存在感を示し、この演奏一曲で本作はマイケルがリーダーでは?とまで感じさせてしまいます。しかしほど良き演奏曲数での参加はアルバムの絶妙なスパイスになりました。 Michael Brecker それでは収録曲に触れて行きましょう。1曲目は表題曲タイムズ・ライク・ジーズ、キャッチーで誰もが口ずさめる美しいメロディを有したこの名曲は、我らが小曽根真氏作曲です。 小曽根氏とバートンはバークリー音大での師弟関係、多くのバートンの作品にサイドマンで参加ほか、95年『フェイス・トゥ・フェイス』01年『ヴァーチュオーシ』のデュオ2作を共同名義で発表しています。バートンの前作に該当する『Whiz Kids』(神童)に小曽根氏が参加、そこでも彼の楽曲が取り上げられており、バートンは本作のためにも小曽根氏に2曲作曲を依頼したそうで、その内の1曲がこちらです。 冒頭ジョンスコのトレモロから始まりますが、曲中でも延々とインド音楽のドローンのように継続して演奏されます。途中微妙なニュアンスや強弱が施されますが一貫した味付け、アレンジを感じます。 程なくマイケルのふくよかさと逞しさを持ち合わせた音色によるメロディ奏が開始されます。音域の幅が誰よりも広い彼のプレイですが、本曲はテナーサックスの器楽的に美味しい音域をカヴァーした旋律を有するゆえ、吹き伸ばしが多い部分に繊細にして巧みなヴィブラート、ニュアンス付け、音色の変化を容易に施す事が出来、類をみない名曲のメロディを別次元にまで昇華させています。 サポートするリズムセクションの演奏がまた素晴らしいのです。バートンのさりげなくも的確なコードワークを伴ったフィルイン、ジョンソンの針の穴を通すかのように正確なビートの位置、そして立役者はアースキンのプレイです。ドラムのパーツ各々が有する音色を巧みに活かし、合わせつつ、柔らかいビートで包容力ある徹底したカラーリングを聴かせます。 マイケルの事が大好きなアースキン、レコーディングやコンサートの休憩時にはまるで忠犬のように彼の後をついて回ったそうですが(笑)、録音中はさぞかしブース内にてニッコニコ顔でドラムを叩いていた事でしょう。 テーマ後バートンがソロを取り、ジョンスコのドローン・ライクなバッキングの上でフローティングなサウンドを聴かせます。ジョンスコがこのような形態でサポートをするのは珍しいかも知れません。その後マイケルのソロに続きますがまさしく真打ち登場、短いセンテンスを積み重ねじわじわと盛り上げて行く様は圧倒的です。そして構成力、起承転結を踏まえたバランス感の妙、途中フラジオ音が珍しく上手くヒットしないのはご愛嬌です。 レコーディングに際して可能な限り前もって譜面や音資料を入手し、予習を怠らないマイケルですが、ここでの演奏はぶっつけ本番のようにも聴こえます。作られたり練られた感のあるラインが少なくいずれも自然発生的、キーの難しさがあるかも知れません、演奏中試行錯誤を繰り返しながらのアプローチを感じます。 絶好調時のマイケルはもちろん素晴らしく、これまでにも幾多の名ソロを残していますが、ここでのトライ・アンド・エラーを伴ったプレイには寧ろヒューマンさを感じ、故に何度耳にしても飽きの来ない味わいを聴かせています。 アドリブのラストには圧倒的な32分音符のフレージングが用いられますが、この安定感、精度はマイケル以外の誰も演奏することの出来ないテクニックに由来します。 2曲目オア・エルスはアレンジャー、コンポーザーのヴィンス・メンドーザのナンバー。ヴィブラフォンによるユニークなメロディ奏、こちらがコールとなり、レスポンスとしてギターを中心としたアンサンブルがあります。知的にして深淵なサウンドを聴かせるコード進行、リズムセクションのシンコペーションが多用されたプレイは、このカルテットの真骨頂です。 アドリブソロでもヴィブラフォンとギターの2小節の熱いバトルが延々と繰り返され、アースキン、ジョンソンの好サポートを得て猛烈な音空間が支配します。引き続き同じセクションでドラムソロが展開されますが、限られた楽曲のパーツを巧みに用いた構成となります。短くラストテーマを迎えFineとなります。 Vince Mendoza 3曲目ロバート・フロストはベース奏者にして作曲家のジェイ・レオンハート作の美しいバラード。タイトルはレオンハートのバークリー音大でのクラスメートの名前だそうです。リラックス感溢れ、都会的センスを湛えたこの曲は作品のチェンジ・オブ・ペースに一役買っています。メロディをヴィブラフォンが担当し、楽曲の持つ可憐さに合致しているように聴こえます。 ジョンスコのギターソロが先発、ここではコンテンポラリー系のアプローチを潜ませ、ブルージーに歌い上げていますが、実は彼にはお手のもので、彼はロック、R&B、ニューオリンズ、ゴスペル、ジャム・バンドのテイストも内包しています。 Jay Leonhart 4曲目ホワイド・ユー・ドゥ・イット?はジョンスコのナンバー、81年録音の彼の作品『シノーラ』にも収録されています。ここではオリジナルテイクよりも幾分遅く演奏され、ジョンソン、アースキンのグルーヴが実に的確で、ダークかつヘヴィーなテイストを感じさせます。バートン、ジョンスコ、ジョンソンと各々短めに、しかし自己表現を怠らず各々の存在感を提示しながら、曲が進行しています。 Shinola/John Scofield 5曲目P. M.はチック・コリアのナンバー、作曲者自身はこの曲を未演奏だったそうです。バートンとコリアは長年に渡りデュオ活動を含むコラボレーションを展開、72年録音『クリスタル・サイレンス』を皮切りに多くの作品をリリースしました。 コリアらしいリズムが随時変化して行く構成のナンバー、その際のきっかけになるラインが印象的です。メロディのジョンスコ、バートンが担当するパートの仕分けが明瞭ですが、バートン曰く先入観なしで演奏を試みたそうです。ベース、ドラムのステディなプレイ、バートンの安定感、そしてジョンスコの入魂ぶりが際立ちます。 Chick Corea 6曲目ワズ・イット・ロング・アゴー?は本作唯一のバートン作曲ナンバー。ボレロのようなルンバのような、レイジーでスローなラテンリズムから成り、ドラマチックな構成を有します。マイケルのテナーが活躍しますが1曲目とは異なり、テナーの高音域をフィーチャーした楽曲はエキゾチックに、ムーディに展開され、コード進行やサウンドとは裏腹に、マイケルのセクシーな咆哮が魅惑の中南米音楽を表現しているが如きです。 7曲目ベントー・ボックスは本作中もう一曲の、小曽根氏作曲の軽快なテンポのスイングナンバー、ジョンスコがソロの先発、その先鋭的なプレイに対し、バートンのバッキングを中心にリズム隊がアグレッシヴに攻めつつサポートします。アースキンのバスドラムのアクセントが印象的で、低音によるサポートには包容感も感じさせます。続くバートンのプレイはリズミックで安定感満載、ジョンソンのソロも楽器のコントロール、タイム共に申し分なくスインギーに展開されます。 Makoto Ozone 8曲目ドゥ・テルはジョンスコ作曲による早いテンポのワルツ・ナンバー。起伏に富んだ構成はラストを飾るにふさわしいと思います。バートンがソロ先発を務めますが、ジャジーなフレージングのバックで3連符が鳴り続けるアースキンのドラミングには、エルヴィン・ジョーンズのテイストを感じます。ジョンソンのプレイも様々なラインを縦横無尽に繰り出しますが、アースキンとのコンビネーションの良さがあるからこそです。ジョンスコのソロはバートンの最後のフレージングを受け継いで始まります。粘りのある8分音符から繰り出されるグルーヴは実に魅力的にサウンドします。ジョンソンのソロ後にラストテーマ、アウトロで再びバートンがプレイし、前半のテイストとは違ったアプローチを聴かせ、アースキンも果敢に対応します。  

2022.06

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2022.06.22 Wed

トゥ・ブロックス・フロム・ジ・エッジ/マイケル・ブレッカー

マイケル・ブレッカーのリーダー作『トゥ・ブロックス・フロム・ジ・エッジ』を取り上げましょう。 1998年アヴァター・スタジオ、ニューヨークにて録音 レーベル:インパルス プロデューサー:マイケル・ブレッカー&ジョーイ・カルデラッツォ (ts)マイケル・ブレッカー  (p)ジョーイ・カルデラッツォ  (b)ジェームス・ジーナス  (ds)ジェフ ”テイン” ワッツ  (per)ドン・アライアス 1)マダム・トゥルーズ  2)トゥ・ブロックス・フロム・エッジ  3)バイ・ジョージ  4)エル・ニーニョ  5)キャッツ・クレイドル  6)ジ・インペイラー  7)ハウ・ロング・ティル・ザ・サン  8)デルタ・シティ・ブルース 彼の5作目に該当するアルバムです。当時率いていたレギュラー・カルテットに盟友であるパーカッション奏者、ドン・アライアスを迎え、自身やメンバーの魅力的なオリジナルを収録した作品、それまでがマイケルの魅力を引き出すべくジャック・ディジョネット、チャーリー・ヘイデン、ハービー・ハンコック、マッコイ・タイナー、パット・メセニー達とのオールスター・セッションが中心で、いずれもがジャズ史に残る素晴らしい作品揃いです。 決して肩肘を張ってはいませんし、背伸びや誇大なデコレーションは行われていませんが、ジャズ界のレジェンドの胸を借りてプレイをする様には何処か「あらねばならぬ」感が表出していたように感じます。プレイヤーとしての資質は全く申し分ないのですが、ジャズ界にレイト・カマーとしての参入には、生真面目なマイケルとしてはどこか負い目を感じさせる時がありました。 本作は自己のバンドによる演奏と言う事でリラックスしつつ、信頼おけるメンバーとの共演をとことん楽しみながらサウンドを味わい、彼らとの一体感を発揮した演奏に終始し、気負う事なく自然体で音楽に取り組んでいるのが伝わって来ます。 百戦錬磨で数々の修羅場をくぐり抜け、多くのミュージシャンたちと膨大な数の演奏を残し、しかもいずれもが前人未到のクオリティと言うマイケル、有り得ないほどのテクニックと音楽性から時にはまるでマシンの如き性能を発揮し、どんな状況下に於いても確実な演奏が出来るヒューマン・ビーイングでしたが、90年代以降はより感情移入に成熟ぶりを見る事が出来ます。それだけにゆったりとしたおおらかな気持ちで演奏に臨む必要性があります。意外にも(当然かも知れません)プレシャーに弱いマイケル、そこに横たわる何かに捉われ、演奏中に気持ちが入り辛い状況を感じた事が幾度かあります。 しかしここでは逆に手が付けられないほどに音楽にのめり込んでおり、全体を俯瞰しつつ大胆で深淵なプレイを聴かせています。自宅に気心知れた友人たちを招き入れたホームパーティでの、寛ぎに満ちた他愛の無い会話を楽しんでいるが如きです。 95年のヘルシンキでのライブ演奏を収録したアルバム『UMO・ウイズ・マイケル・ブレッカー:ライヴ・イン・ヘルシンキ1995』、地元のビッグバンドに彼が客演した形ですが、メンバー全員がマイケル・フリークと言って良いでしょう。コンサートの企画から構成まで全てを自分達が行なっていると考えられ、微に入り細に入り彼をサポートし、加えてオーディエンスの熱狂的なアプローズに支持され、彼の音楽史上有数の名演奏を繰り広げています。 恰も「マイケル、我々はあなたのプレイを心より待ち望んでいました。さあ、今宵は何も考えずひたすら演奏に集中し、徹底的なブロウで我々をとことんノックアウトしててください!」と宣言されたかのようで、20人近いビッグバンドのメンバーと大勢のスタッフ、数千人規模の観客が渾然一体化したかの如き興奮の坩堝、カリスマ・ミュージシャンを頂点とした手作りコンサートは大成功を収めましたが、これはマイケル効果の最たるものと言えましょう。 両作は彼のリラックス度が演奏をどれだけ高めるのかを説明する、絶好のショウケースとなりました。 これまでのリーダー4作品の内容に短く触れ、本作にまで至る過程を見る事にしましょう。 初リーダー作『マイケル・ブレッカー』は87年録音、膨大なスタジオ・レコーディング量に比し自身のリーダー作が未発表というギャップから、ファンに渇望されつつも本人の多忙さとアルバム・コンセプトの具体化が遅延した事で伸び伸びとなり、まさに待望の作品となりました。期待を裏切らない演奏内容、人選がその後の彼の音楽的方向を決定付けたと言えましょう。 パット・メセニーの名作『80/81』の参加メンバーが母体となり、EWIの使用は見られるものの、ストレート・アヘッドなアコースティック・プレイがザ・ブレッカー・ブラザーズ・バンド(BBB)に代表されるフュージョン・テイスト表出とのギャップを感じましたが、「やはりこの人はジャズを演りたかったのだ」と素直に納得させられました。88年度グラミー賞にノミネートされます。 翌88年リリースされた2作目『ドント・トライ・ディス・アット・ホーム』は前作の延長線上にありヘイデン、ディジョネット、そして以降晩年までの付き合いとなるハービー・ハンコックの起用や、アコースティック、フュージョンどちらも演奏可能なメンバーを擁した、マイク・スターンを筆頭とする当時の彼のバンドのメンバーを分散しつつ参加させ、曲の持つカラーに適宜対応させています。89年度のグラミー賞を受賞しました。 90年録音の3作目は一転してフュージョン・テイストがメインとなった作品『ナウ・ユー・シー・イット…(ナウ・ユー・ドント)』、本作からジョーイ・カルデラッツォが参加します。ドン・グロルニックがプロデューサーとなり、マイケルがワン・ホーンでフュージョンをプレイするにあたり、兄ランディとは全く異なるアイデアを表出させたアルバムとなりました。 96年録音4作目は再びオールスター・セッション要素を盛り込んだ名作『テイルス・フロム・ザ・ハドソン』。ディジョネット、メセニーが返り咲き、加えてデイヴ・ホランド、そして念願のマッコイ・タイナーの参加が光ります。彼とはその後親密な関係を築き、マッコイのアルバムへの参加、膨大な本数のツアーも実現します。「マッコイは僕に本当に良くしてくれている」とはマイケルの弁、かつてのボス、ジョン・コルトレーン役を全信頼を置いて一任されました。収録曲がいずれも珠玉の名曲揃い、マイケル作「スリングス・アンド・アローズ」「アフリカン・スカイズ」他メセニー、ジョーイのオリジナルもカラフルさを添えており、本作もグラミー賞の栄冠に輝きました。胸のすくような演奏揃いの、彼の代表作に挙げられる名盤です。 前作から2年を経て98年に録音されたのが本作『トゥ・ブロックス・フロム・ジ・エッジ』、子飼いのカルデラッツォ、BBBでエレクトリック・ベースを巧みに操っていたジェームス・ジーナスがコントラバスに持ち替え、そしてマイケルとの共演で超弩級ドラマーへと変身を遂げたジェフ ”テイン” ワッツ、マイケルの音楽史の中で最もコンビネーションと音楽性のバランスが取れたカルテット、そしてパーカッショニストで加わるのが、彼の音楽に誰よりも相応しいカラーリングを提供する名手ドン・アライアス。 当時習得の度合いが半端なかったEWIの使用を前作同様に封印し、テナーサックスのみで行った演奏は彼のジャズ・プレーヤーとしての本質に徹底的にフォーカスしました。 それでは演奏内容について触れていきましょう。 1曲目「マダム・トゥルース」、アライアスのパーカッションによるセカンド・ラインのリズムから始まります。当時流行っていたリズムをキャッチーに取り上げました。程なく力強く立ち上がりの良いベースライン、芳醇な音色を有したマイケルのテナーがスタートしテーマ奏に。これは新機軸、実にユニークなサウンド、メロディ・ラインを湛えた楽曲です。その後ソロに入りセカンド・ラインからスイングのリズムへと移行します。最小限のピアノ伴奏だけで存分にマイケルがブロウします。コード進行はトラディショナルなブルース・フォームですが、常に新たなアプローチを模索する彼、クリエイティヴにしてハイパー・テクニックを駆使した猛烈なインプロヴィゼーション、冒頭から新生マイケルを宣言してます。続くピアノソロも短いながら確実な自己主張を表現、続いて彼の楽曲には珍しいセカンド・リフ、チュッティ・パートがプレイされ楽曲構成をしっかりと引き締めています。ラストテーマを迎えショート・ヴァージョンながらソリッドなオープニングとなりました。 2曲目「トゥ・ブロックス・フロム・エッジ」は本作録音の少し前、96年6月に48歳の若さで逝去したドン・グロルニック、マイケルがニューヨークに進出してきた頃からの音楽的パートナーですが、その彼に捧げられたナンバー。彼の口癖の一つをタイトルにしました。アップテンポのスイングによる、基本的にワン・コードをメンバー全員とのフリー・インプロヴィゼーションにより展開していくフォーム。『ドント・トライ・ディス・アット・ホーム』表題曲に通じるコンセプトですが、その時から10年を経たマイケルの音楽的成長、柔軟性を聴き取ることが出来ます。気心の知れたメンバーとのプレイならではの産物かも知れません。続くカルデラッツォのソロにも凄まじい集中力を感じるのですが、この二人は同じ音楽的ベクトルを描きつつも、互いを補う部分も併せ持つ抜群のコンビネーションを示しています。 3曲目はカルデラッツォ作「バイ・ジョージ」、以降4、5曲目と彼のナンバーが続くのでジョーイ・コーナーとなります。 ジャズっぽさと幾分のポップさを感じさせるいかにも彼らしい佳曲、本作のために書かれたかのようにも感じます。テーマ時に聴かれるワッツのフィルインはそのリズムのタメ具合からエルヴィン・ジョーンズを彷彿とさせ、本編でも随所にそのテイストを発揮しています。エルヴィンのプレイがフェイヴァリットで、自身の叩くドラミング・スタイルもまさしくエルヴィンのマイケル、ワッツのここでのグルーヴにはさぞかしニンマリとさせられた事でしょう。 4曲目「エル・ニーニョ」、マイナー調のキャッチーなメロディにコンテンポラリーなコード進行が施された魅力的なラテン・ナンバー、ワッツのラテン・ブルーヴは本職と見紛うばかりです。更にテーマやソロ中、場面が変わる毎にアライアスのカラーリングが絶妙に変化し、ピアノ・バッキングのグルーヴ、モントゥーノも適宜完璧なまでに対応しており、全てが緻密にアレンジされているかのようですが、自然発生的なプレイはこれぞレギュラー・グループのみが成し得るバンド・サウンドです。 マイケルもお気に入りだったのでしょう、ユニークなこの楽曲をライヴで事ある毎に演奏していました。コンポーザーであるカルデラッツォを紹介する時には「エル・ニーニョ、ヒムセルフ!」と最大級の賛辞で(笑)迎えていたのが印象的です。 ここでの余裕綽々なマイケル・ソロには本当にやられました!ダイナミクスとソロの起承転結、何より大きなウタを感じさせるのですが、一音たりとも機能しない、無駄な音符が存在せず、こちらも予め書かれたアドリブの様にさえ聴こえてしまいます。 テナーソロ後半に行われているオーヴァー・トーンを駆使した奏法はコルトレーンがシーンに紹介し、ジョー・ヘンダーソンが具体化に一役買いましたが、マイケルが洗練させ、明確な奏法として確立させたもの。特殊奏法を自身のフレージングに用い、テクニックの一部にしようとする強い意志に加え、難易度の高さをものともせず確実に演奏し、音楽的なセンスを伴い、リスナーに訴えかける次元にまで習得するのには器用さ、情熱、才能が間違いなく必要です。こちらは猛烈なインパクトを伴いますが、本作8曲目ではその最終型を聴く事が出来ます。 5曲目キャッツ・クレイドル、カルデラッツォのリリカルな側面を垣間見ることの出来るナンバーです。作品中のチェンジ・オブ・ペースに一役買いました。タイトルの意味する「猫のゆりかご」にしてはメランコリックさが際立ちますが、ピアノ、テナー、ベースとソロが続き曲想の中にステイしつつも埋没することなく、各々の音楽的主張をナイーヴに表現したテイクに仕上がりました。 6曲目ジ・インペイラーはワッツのナンバー、これは渾身の名曲です。メロディ・ラインの独自性、コード進行やサウンド感、スイングとラテンが絶妙に交差する曲構成、無条件に彼の作曲家としてのセンス、才能に敬服し、同時に楽曲のカラーリング、ソロイストのサポート、寄り添い方の巧みさ、いずれを取ってもジェフ “テイン” ワッツという音楽家を再認識させられます。マイケル、カルデラッツォのハイパー・プレイに続きワッツ自身のドラムソロも収録されていますが、さすがの難曲です、抜群のタイム感の彼らをして、曲の開始時に比べて終盤ではかなりテンポが速くなりました。 7曲目ハウ・ロング・ティル・ザ・サンはマイケル作のバラード、美しいメロディには幾重にも練られたコード進行が施され、そこでの緊張感とリリースされる安堵感が交錯します。魅力的なナンバーにマイケル、カルデラッツォともイメージを膨らませ、果敢に、しかし脱力を伴いインプロヴィゼーショに取り組んでいるように聴こえます。 8曲目デルタ・シティ・ブルースは本作白眉の演奏、月並みな表現で恐縮ですが、初めて聴いた時には腰を抜かすほど驚きました(笑)。 アルバム・リリース直後の来日時に「どうやってこの曲のアイデアを思い付いたの?」と本人に尋ねたところ、「いや、単に練習していてアイデアが浮かんだんだよ」といつもの謙虚さを交えた返答でした。 冒頭のアカペラはホンカー・テイストによるダブルタンギング、ベンドを用いたプレイ、低音と中音域を交差させつつの8分音符により既にビート感、グルーヴ感が聴こえます。リタルダンドしつつ更に深いベンドの後、少しの間を置きテンポを幾分落として本編がスタートします。ここではオーヴァートーンを駆使しつつ、何とブルースのコード進行がはっきりと聴こえるではありませんか!オーヴァートーンによる音色の違いから弱拍、裏拍音符にアクセントが付きグルーヴが生じています。それにしても完璧なオーヴァートン・コントロールの凄まじいこと! アカペラ1コーラス後、リズムセクションが加わり驚異的なリズム感を伴いつつ、これまでに聴いた事のないアンサンブルが始まります。ニューオリンズ風リズムからスイングに移行し、ピアノが対旋律を演奏します。ドラムのアクセント、イーヴンなテナーの8分音符ラインとベースのウォーキングのコンビネーションの妙、実は全てがコロンブスの卵的発想。マイケルのプレイは全く新しいものを産み出すと言うよりも、既存の事象に斬新なアイデアを盛り込み(実現させる際には確実なテクニックと猛練習が必要ですが)、表現することに長けているミュージシャンと再認識しました。 ここでのサックスソロも素晴らしいのですが、何しろ曲のインパクトが物凄く、うわの空状態で耳を素通りしてしまいそうです。 以降もマイケルの快進撃は留まるところを知らず、翌99年にはラリー・ゴールディングス、パット・メセニーの二人を軸に念願のエルヴィン・ジョーンズほか、ジェフ・ワッツ、ビル・スチュワートの3大ドラマーを迎え、彼らと3曲づつを共演した『タイム・イズ・オブ・ジ・エッセンス』をリリースします。彼のリズム、タイム感に対するこだわりを3人のドラマーとの共演で具現化しました。

2022.03

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2022.03.24 Thu

ウイ・ウォント・マイルス/マイルス・デイヴィス

今回はマイルス・デイヴィスの81年録音、翌年リリースのライブ作品「ウイ・ウォント・マイルス」を取り上げてみましょう。70年代中頃から活動を中断、6年近いブランクからの復帰演奏です。若手の精鋭達を擁した白熱のステージ、マイルス自身体調万全とは言えませんが、彼が発するオーラによりサイドマンのポテンシャルは引き出され、その集約力には凄みさえ感じられます。 録音:1981年6月27日、7月5日、10月4日 会場:キックス/ボストン、エイヴリー・フィッシャー・ホール/ニューヨーク、西新宿特設ステージ レーベル:コロンビア プロデューサー:テオ・マセロ tp, key)マイルス・デイヴィス   ts, ss)ビル・エヴァンス   g)マイク・スターン   b)マーカス・ミラー   ds)アル・フォスター   pec)ミノ・シネル CD1   1)ジャン・ピエール   2)バック・シート・ベティ   3)ファスト・トラック   CD2   1)マイ・マンズ・ゴーン・ナウ   2)キックス マイルス諸作の中で異色のライブ・アルバムです。69年録音の問題作にして傑作「ビッチェズ・ブリュー」に端を発する、エレクトリック・マイルスの進化系と言えましょう。カオス的なリズムの洪水の中で彼のトランペットが咆哮する一連のスタイルから、ブランクを経てある種のクールダウンを得たのかも知れません、またライブ録音と言うこともあるでしょう、16ビート、ファンクのテイストを保ちつつジャズ的な要素が舞い戻っています。マイルスの一挙手一投足を確実にキャッチし、これを起爆剤にした痛いほどに研ぎ澄まされた強力なインタープレイの応酬。体調不良からトランペットの音をヒット出来ず、もどかしさを隠しきれないマイルスですが、プレイのイメージは間違いなく見えており、サイドマンがそこを確実に汲み取り代弁し、更に何倍にも増幅させているが如きプレイの数々。衰微とは言えリーダー・マイルスの存在感は圧倒的です。加えて凄まじいエネルギーの放出量を感じさせるマイク・スターンのギター・ソロ、炸裂するビル・エヴァンスのソプラノ 、様々な色合いを巧みに聴かせるミノ・シネルのパーカッション、全信頼を置かれた堅実、安定した中にも抜群のカラーリングを聴かせるアル・フォスターのドラミングが光り、実は何より若干22歳マーカス・ミラーのエレクトリック・ベースが影のバンマス状態で、要所を引き締め、場面活性化、転換を画策しながらバックアップし、バンドのグルーヴを打ち出しているのです。 本作は晴天の霹靂で出現した作品ではありません。前年リリースされたカムバック作「ザ・マン・ウイズ・ザ・ホーン」、こちらの演奏がオリジンになります。異なるメンバーによるセッションも含まれますが、それ以外はほぼ同一のメンバーによるスタジオ録音になります。 マイルスの70年代はライブ録音が殆どだったこともあり、74年作品「ゲット・アップ・ウイズ・イット」以来のスタジオ・レコーディングです。新進気鋭のサイドマンを擁する本作、ビル・エバンスは師であり、マイルス・バンド経験者デイブ・リーブマンの推薦、マイク・スターンはそのエバンスの紹介、ミノ・シネルはニューヨークのジャズクラブの演奏で認められ、マーカス・ミラーは噂を聞き付けたマイルスにやはりスカウトされました。古参のアル・フォスターは73年作品「イン・コンサート」からの共演歴を持ち、70年代マイルスのブランクを経ても本作、ライブ盤に登用され、以降も晩年の89年まで専属ドラマーを務めましたが、この共演歴はマイルス史上最長になります。 クリエイティブな音楽を演奏するにはイメージ、センス、経験がもちろん大切ですが、何よりも気力に満ちた精神、健康状態、体力が不可欠です。いくらマイルスでも全くトランペットを吹かない、当初は病気療養のための活動休止でしたが、次第にドラッグと女性に溺れ、結局怠惰な生活を6年間も送ってしまいました。その直後では、自身の健在ぶりをアピールする作品を作成する事は困難です。ですが病み上がりのリーダーを立てつつ、共演者各自が音楽性を遺憾無く発揮した演奏は、次回作に期待を抱かせるには十分でした。   オーディエンスの期待が冷めないうちにでしょう、次作「ウイ・ウォント・マイルス」が早くも10ヶ月後にリリースされました。作品について触れて行く事にします。 CD1曲目はマイルスのオリジナル、ジャン・ピエール。ロケーションは何と日本、西新宿特設ステージ、現在の東京都庁のある辺りです。新宿西口、旧淀橋浄水場跡地に60年代から高層ビルが建ち始めましたが、当時はまだ空き地が存在し、そこを利用し特設会場を設け、カムバックしたマイルスのコンサートを行うとは何とも大胆な興行企画です!実は筆者もチケットを購入し、聴きに行きましたが、オープンエアなステージなので観客席に座らずとも少し離れた所から十分に演奏を聴けたのを覚えています。翌日にも会場に足を運び、ちゃっかり離れた場所から傍聴しました。 期待に胸を膨らませた超満員の聴衆の前に、PEPEPE…と書かれた目立つ白い帽子を被ったマイルスが、体調悪そうによちよち歩きをしながらステージに上がってきました。メンバーに労られるように演奏し、しかもトランペットは全く鳴っておらずプスプス言い捲っていました。まず感じたのは「これは…大丈夫か?」、しかし彼を尻目にバンドは猛烈に、一丸となってバーニングしているではありませんか。初めて見るスターンの巨体ぶり、ロック・テイストとジャジーなフレージングの融合があまりに素晴らしく、釘付けになった事も覚えています。マイルスにファット・タイムというあだ名を付けられたスターン、その後ダイエットを行いましたが太り易い体質ということで体重管理を行い、以降来日中にも水泳等の運動を欠かさない徹底ぶりを見せ、体型をずっと維持しています。 前作でもその存在感を確認出来ましたがやはりステージは違います。斬新なフレーズとその切り口、アウト、インサイドを繰り返し、端正で滑舌良いピッキングによる連符を主体としたリックを交え、入魂のアドリブ・ソロには完全にノックアウト、更にバッキングに回った時のカッティングの妙、物凄いギタリストの登場です。 彼はバークリー音大後、パット・メセニーの紹介で76年ブラッド、スウェット&ティアーズに参加、その後ビリー・コブハムのバンドでも活動し、マイルスのバンドに参加します。彼からは「ジミ・ヘンドリックスのように弾け」と指示されたそうです。本作での演奏は全権を委任されたかの如く、自己の世界を躊躇なくディストーション満載のジミヘン・テイストで表現しています。 閑話休題、ジャン・ピエールの演奏に戻りましょう。冒頭ベースとドラムのハイハット、そしてパーカッションがクイーカを使ってテーマのメロディを提示、ベースがアクティブになった頃にミュート・トランペットとソプラノでテーマが奏でられます。ソプラノがユニゾンからハーモニーに回り、トランペットがハーモニーを吹いたりとシンプルなメロディに幅を持たせています。メロディの隙間ではリズム隊各々が的確なフィルインを入れますが、出しゃばり過ぎず、しかし個の主張は明確に行われています。先発ソロはマイルスのようですがあまり覇気があるようには感じられず、ここでは存在感が希薄です。体調不良に起因するのでしょうが、むしろリズム陣の繰り出す音に耳が奪われます。 その後ファット・タイムの登場、実にカッコ良い音色、フレージング、ピッキングのニュアンス、タイム感で存在感を誇示します。フォスターは比較的淡々とバッキングしますがマーカスやシネルのアクティブな事、バーニング振りが頂点に達したと判断したマイルスがプレイに被ってテーマを演奏します。 その後メロディを何度もプレイし、エバンスのソロが始まり、テーマのバリエーションを次第に発展させ世界を構築して行きます。加えてメンバーのアイデアをモチーフに用い、互いの音楽性に持ちつ持たれつ状態でアドリブを展開します。かなりの高みまで達していますが、一点気になるのは歴代のマイルスバンド在籍サックス奏者が実にタイムのほど良きところで、レイドバック演奏していましたが、エバンスはかなり音符のポイントが前に位置し、いささか軽い印象を与えます。同業者として彼のプレイには興味があり、フェイバリット・プレイヤーのひとりにも挙げられますが、以降の活動でもこのタイムに関しては変わらず、一貫性と言うよりもどこか緩いものを感じてしまいます。 ソプラノ・ソロの後半ではリズム隊を巧みに巻き込み、ラストテーマに上手く繋げています。エンディングは大きくリタルダンドし、聴衆の熱狂的アプローズを受けてFineとなりました。 2曲目バック・シート・ベティは「ザ・マン・ウイズ・ザ・ホーン」に収録のナンバー、本テイクのロケーションはニューヨーク、エイヴリー・フィッシャー・ホール。こちらは現在改称されデイヴィッド・ゲフィン・ホールとなっています。ここではまずマイルスの不調さがかなり解消され、トランペットの音色、フレージングに往年の輝きを取り戻しつつあるように聴こえます。とは言え日本公演の3ヶ月前の演奏なので、西新宿では体調がかなり下降していたのではないか、と想像出来ます。 リズム隊が繰り出すビートが実に心地良いのですが、マーカスの切れ味抜群のスラップ、そのまま曲のモチーフに用いられそうに高度な音楽性を湛えたベース・ワーク、スターンのスリリングにして挑発的なコードワーク、カッティング、これらががマイルスに刺激を与えたのでしょう、エネルギッシュなハイノートをヒットさせ、場面の活性化を図っていますが、それは聴衆の反応に的確に表れています。フォスターもマイルスのコンセプトに合わせ、説得力のあるプレイを連打し、新入り達とは一味違うバンドの「番頭」的な立場ならではの表現を行なっています。シネルとのコンビネーションも大変よく、縦横無尽に魅力的ラインを打ち出すマーカスの音楽性の高さに改めて感心してしまいますが、ピアニスト、ウイントン・ケリーの甥っ子は伊達ではなさそうです。 ここではエバンスは参加せず、マイルスのワンマン・オンステージ状態で演奏が繰り広げられました。 3曲目ファスト・トラック、前作ではアイーダというタイトルで演奏されていました。ロケーションはボストンのライブハウス、キックスです。 まさにこの当日ライブのオーディエンス録音を聴いたことがあリますが、ホールに響き渡る各々の楽器の音色、音像、セパレーション、バランス等いずれもが高い次元で成り立っており、マイルス率いる音響スタッフの実力の高さを感じる事が出来ました。カセットテープ録音でしたが、率直にCD音源よりも豊かで深いアンビエント音質であったと思います。 テーマ・メロディの譜割が幾分変わり、テンポもかなり早く設定されています。ここではマーカスのベース・プレイがバンドの要となり、半端ない推進力を提示、フォスター、シネルの打楽器隊も大健闘です。 短いマイルスのソロ後、ギターソロが始まります。存分にスペースが与えられ、思いの丈を延べた演奏は彼のスタイルそのものの流麗なプレイ、当然ですが現在の彼のギターテクニックの方が断然上にあり、ピッキングの粒だち、正確さは特筆すべきです。 練習に余念のない彼はニューヨークの自宅にいる時、朝早くから知り合いのギタリストやベーシストに電話をし、セッションの時間を共有出来るプレーヤーを探すそうです。要は練習相手を見つけ、自分に課している日々の課題を念頭に、スタンダード・ナンバーを弾き倒すのだそうですが、自身がとことん納得したところで伴奏者にソロを促し、自分はサポートに回ります。「Hey, this time is your turn」のような事を言いながら。共演者も彼と演奏するのなら大変な勉強になる事でしょう。可能ならばどんな事をやっているのか横から覗いてみたいものです。 その後テーマが提示され、ベースの猛烈なプッシュを従えたマイルスの雄叫びを挟み、再びギターソロへ、程よきところでスターンの勢いに乗じたマイルスが激しくブロウし、そのシャウト・プレイに促されパーカッション・ソロに突入します。ベース、ギターが茶々を入れたり、ドラムが呼応するようにリズムを刻んだり、グルーヴが戻ってきた頃にマイルス再登場、アグレッシブにプレイを展開、トランペットの音はもつれていますが音楽を創造したいパッションは十二分に感じます。ここでもマーカスの信じられない次元でのバックサポート、バンド一丸となったインタープレイが光ります。唐突にブレークし、短いパーカッション独奏があり、トランペットが締めの一発をヒットさせ、終了です。 4曲目は再びジャン・ピエール、同じく西新宿特設ステージからリフレインされています。各々のソロが短くフィーチャーされますが1曲目とは全く違ったテイストを聴かせています。その中ではスターンのアプローチが特に刺激的です。以降の彼のプレイも素晴らしいですが、幾分型にはまった感は否めず、この頃の自由奔放なアプローチはマイルのとの共演によって成し得たものに違いありません。 CD2の1曲目はジョージ・ガーシュインの名曲マイ・マンズ・ゴーン・ナウ、本作最長の演奏時間を有する、白眉の演奏です。かつてマイルスとギル・エヴァンスのコラボレーションによる作品58年「ポーギー&ベス」で取り上げた事がありました。 ギルの巧みなアレンジによるオーケストラ・サウンドの上で朗々と吹くスタイルですが、本作では斬新なアレンジによるコンテンポラリーなファンク・サウンドに仕上がりました。 個人的にはこのアレンジ、マーカスによるものでは、と睨んでいます。サウンドや意外性に富んだ構成、ベースパターンから判断しました。このテイクもボストン、キックスでの演奏です。 冒頭で聴かれるキーボードはマイルス自身によるもの、その後深いビート感を湛えたベースのスラップから曲が始まります。ミュートを施したメロディ奏はスペースをたっぷりと有し、フィルインを入れる者にとっては繊細さと大胆さの両方を併せ持たなくてはアプローチできず、卵の殻の上を歩くが如きセンスが不可欠です。イントロ部分ではフォスターのカラーリングに共感を覚えます。 「ポーギー&ベス」でのメロディ・プレイと比較すると、本テイクの方に枯れた味わいを感じますが、これはむしろ体調が万全ではない、ブランクに起因するものかも知れません。 バンプを経てマイルスはミュートを外しオープンでソロを開始します。フレーズの間に迫り来るフィルインの数々は芸術的な次元での合致度を感じさせます。 続くソプラノのソロ、この頃彼はセルマーのメタル・マウスピースを使用、全くならではのテイスティな音色を提示しています。スペースを取りつつ構築しますが深いビブラート、ロングトーン、細かなライン、その後ろで奏でられるフォスターによるスネアの連打、これは何というセンスに由来するのでしょうか?あまりにもカッコ良過ぎです。スターンの怪しげにまで妖艶なバッキング、ソプラノソロが頂点に達した時に、極自然にスイングのリズムにチェンジ、イヤ〜何とヒップなアレンジでしょうか。そしてエヴァンスにとってベストと言えるプレイに仕上がりました。 続くギターソロはテンションを落とす事なく富士山五号目からスタート、フォスターとシネルの繰り出すリズムのフレッシュにしてグルーヴィーな事と言ったら。 短くベース・ソロがあり、再びミュートを施したトランペットによるテーマに場面は変わりますが、ここでも打楽器隊によるサウンドの色付けが見事です。スイング・ビートによるヴァンプを経て、オープンでのトランペット奏にはリズム隊との一体化が聴かれ、ギターソロへ。ウネウネ、ウニウニと連符を駆使し、アウトしつつリズムセクションを巻き込みスターン・ワールドを展開します。 マイルが割り入るとすかさずトレモロによる伴奏にスイッチ、カメレオンのように柔軟に音楽に対処しています。フォスターのハイハットをアクセントにしたアプローチと共にトランペットが吠え、フレージングで用いたシングルノートを上手く利用しスイング・ビートのヴァンプに変化し、最後はマイルスによるピアノのクラスターが聴かれ、パーカッションの演奏で次第にフェードアウトです。 2曲目キックスは文字通りボストン・キックスでの演奏になります。レゲエ風のリズムによるイントロ、コンガをフィーチャーしスタートします。ミュート・トランペットが吹くラインはメロディにはある程度のモチーフが存在するようですが、あまりはっきりしません。スイングのリズムに違和感なくスイッチし、レゲエと交互に演奏されますがマーカスのグルーヴの見事さ、フォスターのトップ・シンバルとのコンビネーションが心地よく、思わずリズムを取りたくなってしまいます。 その後テナーソロが始まります。オットーリンク・メタルのマウスピースを使用したサウンドはテナーの王道を行き、個人的に大変好みの音色です。ここでもスイングとレゲエのリズムに何度も、そして全く難なく入れ替わりますがとてもスリリングです。クライマックスに達し、咆哮が聴かれ場面が次第に変わって行きます。おそらくステージ脇にセッティングされていたのでしょう、マイルスの弾くキーボードによるコードが要所に響き、場を活性化させています。その間もリズム隊は色々なアプローチを用い、スリリングで魅力あるバッキングを提供しています。 ギターソロが始まります。ディストーション全開でのウネウネ・フレーズを駆使した音色とレゲエ、スイングのリズムとのコンビネーションは耳新しく聴こえます。ギターの連符に挑発され、パーカッション、ドラムは異次元の扉を開けに掛かっているかのようにさえ思えます。ここぞという所でマイルスが切り込んで行きます。つくづく彼は良く音楽を解っているミュージシャンですね。 その後とうとう倍テンポのスイングリズムに成り代わります。実にヒップな演奏、ニコニコしながらドラムを叩くフォスターの顔が目に浮かびます。 そのままのスイングでエヴァンスのテナーが再びソロを開始、いや〜これは凄い世界に足を踏み入れました。スティーヴ・グロスマン、デイヴ・リーブマンの発するユダヤ・テナー・サウンドに引けを取らないテイストです。ここでもマイルスのコードが指揮系統として存在し、リズムやサウンドの変更を命令しているかのようです。

2022.01

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2022.01.28 Fri

Eric Dolphy at the Five Spot vol. 1

今回はEric Dolphyの代表作「Eric Dolphy at the Five Spot vol. 1」を取り上げたいと思います。 Recorded: 16 July 1961 at the Five Spot, New York City Engineer: Rudy Van Gelder   Label: New Jazz   Producer: Esmond Edwards as, b-cl)Eric Dolphy   tp)Booker Little   p)Mal Waldron   b)Richard Davis   ds)Ed Blackwell 1)Fire Waltz(Waldron)   2)Bee Vamp(Little)   3)The Prophet(Dolphy)   4)Bee Vamp(Alternate Take) 1960年代初頭にはジャズ界に新たな旋風が巻き起こり、卓越した才能を持った驚異的な新人が次から次へと現れました。米国の人材の無尽蔵とも言える豊かさ、底力を感じます。 このライブレコーディングは演奏の素晴らしさもさる事ながら、若き天才ミュージシャンEric Dolphy, Booker Little二人の邂逅を捉えたドキュメントとしても、大変に価値のある作品です。Dolphyは3年後にBerlinで無念の客死、Littleに至ってはレコーディングから僅か4ヶ月後に、尿毒症により23歳の若さで夭逝してしまいます。 そのLittleのプレイはClifford Brownの演奏を進化させ、奏法的にも、サウンド面でもより洗練させたスタイルを携えています。同年同月生まれのFreddie Hubbardも全く同じ立ち位置でデビュー、その後は破竹の勢いで活躍しました。Littleも間違いなくシーンを牽引するプレーヤーとなり得た事でしょうし、ふたりは良きライバルとして切磋琢磨に努めたと思います。 トランペッターとしてのLittleの演奏はフレージングのセンス、タイム感、トーン、ソロの構成、全てに於いて端正、非の打ち所がなく、それでいて決して枠内に留まろうとせず、更なる深い境地に至らんとするクリエイティブさを持ち合わせています。天賦の才能の成せる技に違いありませんが、23歳の若者にここまでの芸術性を開花させる米国音楽シーンの空気にも敬服してしまいます。 一方のDolphyは全く独自の音色、音の跳躍を駆使した驚異的なフレージング、時として動物の咆哮や人の話し声と思しきライン、こめかみの血管が切れそうなばかりのハイテンションを感じさせたかと思うと、ユーモラスなリラックスした雰囲気へと突然変貌する、ジキル博士とハイド氏の如き二面性を有するブローイング、Littleとのコンビネーションは相反し合い、互いのない部分を補いつつの絶妙のコンビネーションを提示しています。 同じ先鋭的アルト奏者Ornette Colemanには同様のベクトルを描くDon Cherryのトランペットが相応しいですが、DolphyにはLittleの他HubbardやWoody Shawのようなスタイリストが全く合致しています。 Eric Dolphy Dolphyはこの時33歳、西海岸で音楽活動を開始した比較的遅咲きのミュージシャンです。28年6月Los Angeles生まれ、大学で音楽学を専攻しローカル・バンド、アーミー・バンドを経て58年Chico Hamilton Quintetに加入します。同年出演したNewport Jazz Festivalの演奏を映画化した作品「Jazz on a Summer’s Day」(真夏の夜のジャズ)でのHamiltonバンドでフルートを吹くDolphyの姿が、彼の初めての勇姿となります。 これ以前50年代で特に目立った活動はなく、そしてレコーディングも全くと言って良いほど残されておらず、20代修行時の彼のプレイを知る術は全くありませんでした。どんなミュージシャンでも同様であったように、ひたすら自己のプレイを研鑽する日々だったと思います。既に後年のスタイルを身に付けていたのか、だとすればいつ頃からか、前段階的なアプローチを聴かせる時期もあったのか、興味は尽きないところですが、貴重な音源が発掘され、05年にリリースされました。これまでにもCharlie Parker, John Coltrane, Miles Davisを始めとするジャズジャイアントの未発表レコーディングを、まるでジャズ史のミッシングリンクを解消するべく、数多くをアルバム化したRLR Recordsから「Clifford Brown + Eric Dolphy – Together: Recorded Live at Dolphy’s Home 」 実はBrownとDolphyには個人的な交流があり(仲が良かったそうです)、54年6月か7月にClifford Brown – Max Roach Quintet(BRQ)のテナー奏者のオーディションを、何とLAのDolphy自宅で行いました!この作品はその時の演奏を私家録音したもので、メンバーはBrown, Roachほかレギュラー・メンバーのピアニストRichie Powell、ベーシストGeorge Morrowに加え、オーディションを受けたHarold Land、そしてDolphyのアルトサックス!なかなかに流麗なピアノを弾くBrownのプレイも収められた貴重なドキュメントです。 Brownのトランペットは全く当時の絶好調ぶりを聴かせますが、Dolphyに至ってはCharlie Parker直系のBe-Bopな演奏です!その後のプレイの片鱗はフレーズの片隅にほんの少し垣間見ることが出来、彼の演奏と辛うじて判断可能ですが、実に意外なスタイルです。この演奏内容から50年代中頃までに一度Parker的なスタイルを通過〜完成させていたと言えましょう。 艶やかではあるけれど穏やかな音色、タイム感、グルーブ感、フレージングの流暢さ、ソロの構成力、歌心を十分に披露していますが、どちらかと言えば「ごく普通」なアルト奏者、60年以降のギラギラとした、痛いほどに強烈な個性の発露、咆哮の如き発音を全く聴くことは出来ません。この時点では寧ろBRQのサックス奏者として相応しいプレーヤーとも感じましたが、Brown夫人が「彼らはテナー奏者を探していてアルト奏者ではなかったので、Dolphyの採用は考慮されなかった」と発言しています。しかしこのオーディション時にHarold LandではなくDolphyが採用されていたとしたら、BRQは全く違う演奏を展開していたでしょうし、さらにはジャズ界にその鬼才ぶりを圧倒的に発揮するEric Dolphyの存在はなかったかも知れません。モダンジャズ黄金期50年代に仕事の無い不遇な時期を過ごしたからこそ、ハングリーさを糧に自身の演奏スタイルを徹底的に見つめ直し、誰でも無いワンアンドオンリーなDolphyスタイルを構築したのですから。 Clifford Brown 自宅セッションから6年後、初リーダーアルバム60年4月録音「Outward Bound」では明らかに自己のスタイルを携えてのデビューとなりました。Brownとの共演時とは全くの別人です。アルトサックスは元より、バスクラリネットやフルートの修得度合いも半端なく、彼との演奏時には既にサックス以外の持ち替えも行なっていたに違いありませんが、有り得ないほどに高度な楽器テクニックを有したプレーヤーがNew Yorkジャズシーンに忽然と現れました。エイリアン襲来の如しです!そして僅か1年後の本ライブには更なる成長を遂げたプレイで他を圧倒します。一体何が彼をここまでの高みに持ち上げたのでしょうか? Outward Bound / Eric Dolphy サイドマンについても触れてみましょう。ピアニストMal Waldronは朴訥としてダークな雰囲気を湛えた演奏を聴かせます。56年11月録音の初リーダー作「Mal-1」は代表作にして、アレンジと本人を含めたメンバーのプレイが光る名盤です。 Mal Waldron / Mal-1 彼はFive Spotライブの直前、Dolphyを迎えて6月27日にアルバム「The Quest」を録音しています。こちらにはFire Waltzの初演が収録されていますが(かなりゆっくりしたテンポです)、他全員がソロを取っているのにテーマ以外、何故かDolphyの出番がありません。ライブでのプレイはその鬱憤を晴らすべくの大熱演とも聴こえます。 The Quest / Mal Waldron ベーシストRichard Davisはジャズ界最重要ベーシストの一人、本作でも堅実にしてアグレッシブなプレイを展開しています。Dolphyとは以降も共演し、63年「Iron Man」64年傑作「Out to Lunch」の2作に参加しています。 Richard Davis ドラマーEd Blackwellも堅実にして穏やかな安定感があり、バンド演奏を時として包み込むように柔らかくサポートしつつ、ソロイストを鼓舞する職人的なプレーヤーです。Ornette ColemanやDon Cherryとの長年に渡るコラボレーションには、彼らの深い信頼関係を感じます。 Ed Blackwell Rudy Van Gelderは言わずと知れた名レコーディング・エンジニア、彼の存在無くしてはジャズアルバムは成り立たないほど膨大な数の録音を行なっています。本作はライブ録音であるにも関わらず、各楽器の的確な音像感、豊かな音色、セパレーションのクリアーさ、ステージのアンビエント、トータルなバランス感、そしてジャズ演奏の何たるか、その醍醐味を知り尽くした者だけが実現出来るクオリティのレコーディングを遂行しました。完璧なまでに素晴らしい録音です。 Rudy Van Gelder それでは収録曲について触れて行く事にしましょう。1曲目魅惑的ナンバーFire Waltz、演奏開始前のオーディエンスの雑談、ミュージシャンの(?)笑い声、ピアノの試し弾きがライブの臨場感を物語っています。徐にピアノのイントロが開始され、ブレークの後にテーマが演奏されます。アルトサックスがメロディを吹き、トランペットを含むリズムセクションがそれに答える、コールアンドレスポンス形式です。それにしても何というDolphyの音色でしょうか!太く、深く、コクがあり、妖艶な色気の振り撒き具合から、アルトサックス史上最強トーンの一つです!ソロは出だしから猛烈さを伴い、最低音から最高音までを全くムラなくコントロールしつつ進行します。冒頭のたっぷりした8分音符のバウンス感にはParker以前のスイングジャズのグルーブを感じました。16分音符を駆使したラインの激しさは、日の目を見なかった50年代のまさに裏返し、オルタネート音、フリークトーン、グロートーン、フラジオ音、タンギングの正確さ、言葉を喋っているかの如き発音、反する小粋な鼻歌的メロディ、技のデパート状態で、Dolphyミュージックのショーケースですが、押し付けがましさを感じさせないのは、プレイがスポンテニアスだからに他なりません。トランペットがバックグラウンド・フレーズを吹きますが、1回だけでなくアルトソロの後半部分でも聴きたかったです。 ライブ全体に言えますが、丁々発止のインタープレイはあまり行われず、リズムセクションの淡々としたバッキングが持続します。このクールさがあってこそDolphyワールドが映えるのだと、解釈しています。例えばRoy HaynesやJaki Byard、Ron Carterたちが起用されていたならば、多様なインタープレイが展開されたと推測できますが。 トランペットソロに続きます。こちらの音色もブリリアントでダーク、深さを持ち合わせ、アグレッシブでテイスティ、素晴らしい楽器の鳴り方を示し、4ヶ月後に他界してしまう演奏者のトーンとは毛頭感じさせません。フレージングではコードに対するアプローチ、用いられるスケール、7thコードが連続する4度進行への的確な対応、またテンションに独自なものを随所に発揮し、これまたインプロバイザーとしての絶頂期を聴かせています。 Booker Little Dolphyのタイム感が幾分前の方に設定されていたのと比べ、Littleはリズムのスイートスポットに目掛け、実にタイトにプレイしており、Freddie Hubbardにも比肩し得る王道を行くタイムの取り方と感じます。BlackwellのドラミングがDolphyのソロ時とはアプローチが異なるのはソロイストのフレージング、タイム感ゆえ当然だと思いますが、Waldronの終始変わらぬバッキングが呪術的にさえ聴こえて来るのが面白いです。底辺を支えるDavisの安定したベースワークがあってこそですが。 ピアノソロはそのままバッキングの延長を聴かせる、自身のオリジナルに対して相応しいアプローチを展開します。訥々として一聴Waldronと分かるテイストを発するプレイは、日本のジャズファンにもアピールし、多くのファンを獲得しました。2年間レギュラーで伴奏を務めた亡きBillie Holidayに捧げた名曲Left Aloneは、彼の代表曲となりました。 Mal Waldron 2曲目はLittleのオリジナルBee Vamp、急速長のテンポ設定はバンド、オーディエンスへの良いカンフル剤になり得ます。テーマをトランペットが取り、バスクラリネットはメロディとリズムセクションのアンサンブルを行き来し、楽曲のメリハリを聴かせます。ソロに入ってもバスクラはリズム隊と行動を共にしていますが、低音楽器特有の伴奏感を上手く活かしていると思います。 先発トランペットはブリリアントにしてダイナミック、滑舌の良い8分音符から成るラインは知的センスを併せ持ち、スイング、スピード感が抜群です!高音域を吹いた時に若干オフマイクになるので、演奏中に多少の動きを感じますが、ひょっとしたらVan Gelderのマイキング・テクニックが優れているので、かなり動き回っているのを補正しながら録音しているのかも知れません。 続くDolphyのバスクラソロ、いや〜初めから飛ばしています!アルトサックス同様に物凄い音色、音圧感、そして音域の広さを物ともしない縦横無尽で圧倒的なテクニック、この難しい楽器をここまでコントロール出来るサックス奏者を古今東西知りません!こんなブロウを聴かされると、感動を通り越して笑いが止まりませんね(笑)。Littleのバックリフが随所に入り、演奏を鼓舞します。 ピアノソロはパターンを持続させ、次第にストーリーを構築して行きます。ちょっと転びがちなラインは危なげよりむしろ味わいを感じさせ、ベースラインとの合致を聴かせます。その後短いベースソロがあり、ラストテーマを迎えます。エンディングで聴かれるバスクラの咆哮はまるで馬のいななきのように聴こえます。 Eric Dolphy 3曲目Dolphyが書いたナンバーThe Prophet、この曲はDolphyの作品Outward BoundとOut There2作のジャケット・デザインを手掛けたRichard “Prophet” Jenningsに捧げられました。 Out There / Eric Dolphy 独創的なメロディラインと曲想はDolphyのオリジナリティを誇示しているかのようです。先発アルトソロはここでも淡々としたリズムセクションの伴奏を得て、Dolphyの世界を打ち立てています。とは言えソロ途中から倍テンポになり、このまま突き進むかと思いきや短めに終え、再び無欲恬淡に戻り、Dolphyは泣きながら話しているようなプレイを繰り出し、再度リズム隊が活性化します。Littleのソロは雄々しさを伴ってスタート、アルトソロ時と同様にリズム隊は多少の起伏を持たせつつ伴奏を務め、トランペットは豪放磊落にアドリブを展開して行きます。 Waldronのピアノソロに関して、何かで読みましたが、まるでモールス信号を打ち続けるかのようなプレイ、ここでもその独特さを提示しています。続くベースソロでは存分にピチカートを聴かせます。程なくラストテーマを迎えますが、この1曲で21分以上にも及ぶ演奏時間は、いくらライブとは言え当時ではあり得なかったと思います。 Eric Dolphy 4曲目にはBee Vampの別テイクが収録されています。採用テイクよりも演奏時間が短く、幾分グルーブが重く聴こえるプレイです。バンド自体の推進力、スピード感、各ソロの勢い、コンビネーション全てに関して本テイクの充実度を見ることは出来ません。想像するに何か演奏に支障があったのか、もう一度プレイしようとなったのでしょうが、いかにもテイク・ツーのクオリティを呈してしまいました。インプロビゼーションに各人新鮮さを欠いているように聴こえます。バンド全員この演奏は世に出して欲しくはなかったのでは、とも思いました。

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2022.01.05 Wed

Making Music / Zakir Hussain

今回はタブラ奏者Zakir Hussainの86年録音作品「Making Music」を取り上げてみましょう。John McLaughlin, Jan Garbarek, Hariprasad Chaurasiaらを迎え、独自の世界を表現した素晴らしい作品に仕上がりました。 Digital Recording, December 1986 at Rainbow Studio, Oslo Engineer: Jan Erik Kongshaug   Produced by Manfred Eicher   Label: ECM tabla, perc, voice)Zakir Hussain   flutes)Hariprasad Chaurasia   ts, ss)Jan Garbarek   ac-g)John McLaughlin 1)Making Music   2)Zakir   3)Water Girl   4)Toni   5)Anisa   6)Sunjog   7)You and Me   8)Sabah まずはZakir Hussainについて、簡単に来歴をご紹介しましょう。1951年3月9日インド・ムンバイ出身、幼い頃よりインドの伝統音楽に触れ、父が著名なタブラ奏者であったため、多くを学び育ちました。12歳から北インドのミュージシャンたちと演奏し始め、シタール奏者Ravi Shankarのサポートメンバーを行うようになり、70年渡米、New Yorkでインド音楽に傾倒していたJohn McLaughlinと出会い意気投合し、Shaktiを結成します。バンドは3年ほど活動し、3枚のアルバムと99年再結成後さらにライブアルバムを含む5枚を発表します。豊かな音楽性を持つギター界の超テクニシャンMcLaughlinとタッグを組むくらいですから、Hussainの才能、超絶技巧ぶりは推し計れると言うものです。 A Handful of Beauty / Shakti with John McLaughlin 北インドの伝統音楽Hindustani classical music(同地のイスラム王朝宮廷で発展した北インド古典音楽)を基盤としたHussainのスタイルですが、柔軟なプレイスタイルを持ち合わせており、海外ミュージシャンともジャンルを問わず多面的に共演しています。Mickey Hart(Grateful Dead), Van Morrison, George Harrison, Bill Laswell, Bela Fleck, John Handy, Pharoah Sanders, Charles Lloyd, Dave Holland…参加した彼らのアルバムでは、先鋭的な演奏を繰り広げています。 同じく多面的なタブラ奏者として、Miles Davis 70年代初頭の作品「On the Corner」「Big Fun」「Get Up with It」、Dave Liebmanの作品「Lookout Farm」「Drum Ode」などに参加したバングラデシュ出身Badal Royが先輩格としてその名が知られています。 Badal Roy Royの場合はタブラをパーカッションとして演奏し、楽曲にカラーリングを施すプレイがメインと言えます。Hussainのタブラ演奏はカラーリングは勿論のこと、一連のパーカッションを用いつつリズムを提供する、どちらかと言えばドラマーとしての立ち位置にいます。Shaktiでの猛烈なグルーヴ、スピード感はバンドの要となり、McLaughlinの人間技とは思えないハイパーテクニックなギター・プレイを確実に支え、プッシュし、驚異的に正確なユニゾン演奏、アンサンブル、インタープレイを聴かせました。 Zakir Hussain かつてのインドの宗主国、英国出身のMcLaughlinはHussainとShaktiでの共演後にも、同じくインド・ムンバイ出身のパーカッション、ドラム、タブラ奏者であるTrilok Gurtuをメンバーに迎え、演奏活動を開始しました。 Trilok Gurtu Gurtuも驚異のテクニック、そして誰も思い付く事のないユニークなアイデアを駆使した”ハンド・ドラマー”、McLaughlinの91年録音作品「Que Alegria」でその音楽性を発揮しています。 筆者も出演した92年のドイツ・メールス・ジャズフェスティバルにて、GurtuがメンバーのMcLaughlin Trioは素晴らしい演奏を聴かせました。コンサート翌日、ホテルの朝食会場で前日の出演者が勢揃いしています。McLaughlinが不在だったからかも知れません、Gurtuが唐突に、しかも誰かに話しかける風でもなく、「John(McLaughlin)のバンドはオレに好きに演奏させてくれない!」と大声で叫ぶではありませんか!昨日のトリオの演奏は緻密にして大胆、3人のコンビネーションが素晴らしく、彼自身も演奏に納得しているはずと、疑う余地がなかっただけに驚きました。取り分けGurtuの奇抜なアイデア満載のプレイ〜鈴の束を鳴らしながらそのまま水を張ったバケツにゆっくりと沈み入れ、特殊な音を発生させる等〜全く自由に演奏していると感じていました。「オレはもうJohnのバンドを辞める!明日、いや今日辞める!」と連呼していたのも印象的で、何をもってして好きに演奏出来かったのでしょうか?一体彼は何が言いたかった、したかったのでしょう?でもその後もGurtuはMcLaughlinのバンドに在籍していたと記憶しています。単に当夜の自分の演奏が気に入らなかっただけなのかも知れませんね。 Que Alegria / John McLaughlin 同地出身、同年齢のHussain, Gurtuふたりは全く独自の音楽性を湛えた打楽器奏者、Hussainはメインにタブラを用い、求道的にグルーヴを極めようとするリズム・マスターで、Cubaのラテン・パーカッション奏者に同じテイストを感じた事がありました。Gurtuは宙を舞うが如き自由な発想によるカラーリングの達人、Brazil出身のNana Vasconcelosに近いテイストを覚えます。McLaughlinのミュージシャン選択に対する深い造詣を感じました。 John McLaughlin フルート奏者Hariprasad Chaurasiaは38年生まれインド出身のプレーヤー、サウスポーに楽器を構えて演奏します。Hussain同様に北インドの伝統音楽Hindustani classical musicを基盤とし、母国を中心に演奏活動を行っていますが、The BeatlesやGeorge Harrisonのレコーディングに参加しています。彼の演奏するフルートはBansuriと言う竹製のインド原産楽器です。一般的なフルートのように西洋的な合理的メカニズムを持たず、空いた穴を指で押さえるだけの、いわゆる横笛なのですが、これをChaurasiaは自在に、HussainやMcLaughlinに引けを取る事なく実にテクニカルに、しかも情緒たっぷりに演奏しています。実際13年にはBansuriの第一人者、音楽的導師、教祖(Guru)としての彼の半生を描いたインド国立映画開発公社制作のドキュメンタリー映画、その名もBansuri Guruが上映されました。 Hariprasad Chaurasia ChaurasiaとHussainの全編デュオによる作品「Venu」が89年リリースされています。本作とは全く異なる、彼らのルーツであるインド音楽をとことん演奏したアルバム、熱烈なファン以外はなかなか一枚を通して聴くのは難しいかと思いますが、むしろ普段演奏しているこのスタイルからよく本作のようなプレイ、アプローチが表出されたのか、その方にむしろ感心してしまいます。 Venu / Hariprasad Chaurasia-Zakir Hussain テナー、ソプラノ・サックス奏者Jan Garbarekは47年3月Norway Oslo生まれ、14歳の時にたまたまラジオで聴いたJohn ColtraneのCountdownに衝撃を受け、サックス奏者を志しました。初期にはColtraneの影響からかアヴァンギャルドな演奏を聴かせましたが、次第に自己のスタイルを確立し、出身地であるScandinaviaやインド音楽に影響を受け、近年は極力インプロヴィゼーションを排した耽美的な演奏を展開しています。彼の最大の特徴はそのあまりにも個性的で美しいサックスの音色にあります。同じサックス奏者として、徹底的なトーンに対するこだわりを、痛いほどにまで感じます。自身のグループによる来日公演をジャズクラブで聴く機会がありましたが、テナー、ソプラノともに素晴らしい音色、プレイに酔いしれた覚えがあります。フレージングやバンドとのインタープレイにも高い音楽性を認めることが出来ましたが、何よりもそのトーンが支配的で、音楽の全ての事象に優先するが如き演奏、サックス奏者としての一つの理想とイメージしています。本作と同じECMレーベルからリーダー作、サイドマン含めて実に多数の作品を発表しています。プロデューサーManfred Eicherも彼に対する思い入れが強いのでしょう、作品番号には切りの良いナンバー、ECM 1500などが用いられています。やはりレーベルを代表するKeith Jarrettの諸作にもこの傾向が見られるのは、当然のことでしょう。 Jan Garbarek それでは演奏内容について触れて行く事にしましょう。1曲目はアルバム・タイトルでもあるHussain作のナンバーMaking Music、その名の通りメンバー4人で音楽を創り上げています。 冒頭アコースティック・ギター(以降ギター)、のアルペジオに続きフルートが魅惑的な音色で演奏します。そのうしろでドローンのように流れているのはシタールのようにも聴こえますが、タンブーラ(形はシタールに似ているがフレットがなく、開放弦を弾く楽器)かも知れません。時折ギターのアルペジオが加わり、フルートのラインに抑揚が付き始め、音量にもダイナミクスが施されつつ展開し、落ち着いたところでおもむろにタブラがリズムを刻み始めます。パーカッション奏者の音色の決め手にはテクニカルな部分も関係しますが、素手で演奏する場合その人自身の手の形、掌の肉付きがかなりの要素を占めるという話を聴いたことがあります。Hussainには生まれ持っての資質を感じますが、手そのものが楽器なのです。 ギターとタブラの絡み具合が密になった頃に、ソプラノサックスとフルートが織りなす美しくも独創的なメロディが奏でられます。McLaughlinはバッキングを止めソロプレイに突入します。それにしてもギターのピッキングのあまりの絶妙さは一体どうなっているのでしょう?そこから来る猛烈な滑舌の良さには空いた口が塞がりません!人類史上最もピッキングが巧みなギタリストとして、すでにギネスブックにその名が掲載されているかも知れませんね(笑)! Shaktiで鎬を削ったふたりの演奏、自然発生的でいながら音楽的に超ハイパー、何かモチーフが存在するのか、前もっての打ち合わせがあるのか全く分かりませんが、まさに阿吽の呼吸、恐るべき32分音符ユニゾンの嵐!McLaughlinのフレージング、歌い回し、その傾向を知り尽くしているからこそ寄り添い、合わさることが出来るのでしょう。時折Hussainのギターフレーズの読みが微妙に外れるところが、まさしく即興演奏の証であると思います。いずれも標高がインド北部のヒマラヤ山脈並みの幾山々を経てギターソロが終了、McLaughlinは再びバッキングに退き、続いてフルートのソロ開始です。いや〜この方も超絶技巧、パッセージの速さ、スピード感、滑舌、ベンドやグリッサンド、そしてダブルタンギング!単なる横笛をこれだけ巧みに演奏するとは信じられません!Hussainとのコンビネーションも長年の共演が成せる技、こちらもありえないレベルのユニゾンを、全く、さりげなく披露しています! Garbarekのソプラノソロに続きますが、彼も出だしでダブルタンギングを用いているように聴こえます。ふたりは恐らく本作が初共演、ゆえに手の内が読めないHussainはGarbarekのフリーキーなプレイに放置の姿勢を示しましたが、すかさずChaurasiaが割り入り、Garbarekのダブルタンギングと合わさり後半ソロ第一手を開始します。トリル・フレーズからギターを巻き込んだ32分音符大ユニゾン、第二手ではダブルタンギングを駆使したフレージングでHussainを刺激し、第三手ではコール・アンド・レスポンス作戦を選びました。さすが互いを知り尽くした間柄、先ほどのフレージングの何倍もインパクトがあるフレーズを繰り出したからか、さすがのMcLaughlinもここでは傍観せざるを得ないのでしょう、バッキングの手を休めています。インド勢ふたりの余人の介入を許さないデュオ・プレイ、これはもはやチョモランマ越えが確実です(笑)!ここで行われたHussainのレスポンス、特に低音域での動きの巧みさには舌を巻いてしまいます(ダブルタンギングだけに〜笑)!その後のGarberekのソロではHussainと、しっかりコミュニケーションが取れましたが、Chaurasiaが割り込むように参入、McLaughlinも加わりラストのひと締めをHussainに促すかのように煽り、彼も全く相応しく対応します!おそらくインド音楽の音階、旋律を元にしたフレージングなのでしょう、その応酬がジャズ的なフレーズをいつも耳にしている自分には実に新鮮に響きます! タブラとはこんな音まで出せるのか、と心から感心してしまうほどの壮絶なアプローチをその後も続け、ラストのアンサンブルに繋がります。 Making Musicとは言い得て妙、ジャズが互いの音を聴き合って会話をするが如く対応するものであれば、この演奏はまさしくJazz以外の何物でもありません。 2曲目はMcLaughlinがHussainに捧げたナンバー、その名もZakir。ギターの慈愛に満ちたイントロに続きChaurasiaがテーマを奏でます。実に美しいメロディの佳曲、1曲目では壮絶な演奏を聴かせた彼ですが、本質はこの曲で聴かれるような優しく素直な人柄なのでしょう。Garbarekがテナーでソロを取ります。ラインにインドらしき音階を見出せますが、これは前述のように彼の音楽性に内包されたスタイルの一つです。佳境を迎えた辺りでテナーに被さるようにフルートが加わります。ゆっくりと時間をかけて音楽が収束して行き、ギターがひとり残りアウトロをプレイしてFineです。 3曲目Water GirlはHussainの曲、泡が水中から現れ、弾けるかのような効果音を狙っているのでしょうか。インドの伝統的な民族音楽を感じさせるメロディライン、日本の民謡にも通じたテイスト、多重録音によるフルートが祭り囃子を奏でているが如しです。Hussainはガタム(土でできている壷、手のひらや指でたたく)を中心にプレイしているようです。 4曲目Toni、ギターとテナーがゆったりとラインを奏でます。ふくよかで重厚なテナーの音色は実に魅力的です。他楽器に比べて録音の関係か音像が出過ぎているのが玉に瑕ですが。低音域に対比するかのようにフルートが高い音域でプレイし、ギターが慈しむようにソロを取り、再びテナーが登場し曲が終わります。ずっとHussainの音が聴こえていませんでしたが、エンディング、最後の最後に鈴を、しかも身を潜めるように鳴らし、演奏に加わっていました!殆ど楽曲提供のみの参加という事で、これは大人の対応と感じました。 5曲目Anisaは本作中もう一つのハイライト、Hussainのタブラ・プレイを大フィーチャーした自身のオリジナル。ギターとソプラノが可愛らしくも哀愁を感じさせるメロディをプレイ、その後世界を一新させるかのようにタブラが登場、リズムを刻み始めます。様々な音が鳴り響く中、次第に熱をおび、超絶技巧をもって展開されます。すると突然Hussainが声を発します。自らの叩くタブラのフレーズを巻舌を用いつつ再現しているではありませんか!ヒンズー語が元になっているのでしょう、演奏者は自分のプレイするフレーズを必ずしも歌えるとは限りませんが、このレベルのプレイを口で表現するとは!Hussainは信じられない次元の達人です!こんな演奏は今までに聴いた事がなく、大きな衝撃を受けました。その後もフレーズを歌いながらユニゾンでプレイを展開、こちらも超人技です!確実に楽器をコントロールするテクニック、表現力、グルーヴ感、ストーリー性、タブラという楽器を極めたこちらもGuruと言えるでしょう。ラストテーマは可憐にメロディを一節(ふし)演奏してFineです。 John Coltraneのアルバム「Crescent」にThe Drum Thingというナンバーが収録されていますが、テーマ後その名の通りドラムがソロを演奏し、他のソロはなくラストテーマを迎えます。本曲AnisaはThe Tabla Thingと名付けても良いでしょう。 Crescent / John Coltrane 6曲目Sunjogは冒頭Garbarekのテナーがダイナミクスを徹底させてブロウします。ギターが続き、些か怪しげなムードを醸し出し、フルートがギターを伴って演奏、徐にそのままギターによるパターンの提示、変拍子(14拍子が基本)のエキゾチックなムードを湛えたナンバー、Hussainの作曲手腕が冴えています。その後ソロを各人トレードしつつ、Hussainが巧みにバックアップします。ソロイストも互いのフレーズを尊重し合い、ソロのスパンが次第に短くなり、最後は潔くエンディングを迎えます。 7曲目はHussainとMcLaughlinの共作によるYou and Me、速いテンポでギターとタブラが会話を行うが如くプレイを聴かせます。ダイナミクス、アクセントの用い方が実にスリリングです! 本作での演奏はZakir Hussainと言うプレーヤーの持つ様々な音楽性に、オリジナルを中心とし、スポットライトを当て、偏る事なくフラットに発揮させようとしており、メリハリのある構成に仕上がっています。ただ、どうしてもHussain=Shaktiというイメージを払拭するのは難しく、敢えて触れない方向を選んだようにも推測していますが、このデュオ演奏にはShakti色が現れていると感じました。 8曲目ラストを飾るのはHussainのナンバーでSabah。そう言えば本作収録曲のタイトルには定冠詞、不定冠詞が全く付いていません。恐らく人名が中心なので偶々なのかも知れませんが、この事から作品全体にどこか無機的な印象を与えます。にも関わらず、演奏自体があまりにもヒューマンな事が面白おかしく、こちらは意図的とも感じました。 本作中最も異色なサウンド、一体どこまでどのように決め、打ち合わせをしたのか気になるところです。ユニークなテーマを繰り返しプレイし、次第にFade Outしますが、その後の展開が大変気になるところです。含みを持たせてアルバムのクロージングとしました。

2021.12

jazz/music 

2021.12.21 Tue

New York Is Now!

今回はOrnette Coleman 1968年作品「New York Is Now!」を取り上げてみましょう。Elvin Jones, Jimmy GarrisonたちJohn Coltrane Quartetのリズム隊を得て、素晴らしいインタープレイを展開しています。 Recorded: April 29 & May 7, 1968   Studio: A&R Studios, New York City   Engineer: Dave Sanders   Label: Blue Note   Producer: Francis Wolff as)Ornette Coleman   ts)Dewey Redman   b)Jimmy Garrison   ds)Elvin Jones 1)The Garden of Souls   2)Toy Dance   3)Broadway Blues   4)Broadway Blues(Alternate Version)   5)Round Trip  6)We Now Interrupt for a Commercial 本作には同日同じメンバーで録音された兄弟アルバム「Love Call」が存在します。内容的な遜色や残りテイクを寄せ集めた感はなく、コンセプト的にも明確な区別があるようには判断出来ません。2枚組でリリースされても良かったように思います。 Love Call / Ornette Coleman 58年「Something Else!!!!」で鮮烈なデビューを行い、ジャズシーンに一石を投じたOrnette、名作60年12月録音の「Free Jazz」でひとつのピークを迎えましたが、その後も数々の問題作を発表し60年代のジャズシーンの牽引役を担いました。 Something Else!!!! / Ornette Coleman Free Jazz / Ornette Coleman フリージャズの旗手とされる彼のプレイ・スタイルは多くの論議を呼び、シーンでは賛否両論を巻き起こしました。筆者自身も以前は彼が何を表現したいのか、どのような手法を用いているのか、そしてどのように捉えるべきなのか、皆目見当がつきませんでした。ただ他のプレイヤーと比して訴えかけるもの、説得力には格段の違いを感じていました。 ジャズを長く聴き、演奏者として携わった経験で得た耳を元に、自分なりに分析を試みると、コード進行に対する調性を超越し、例えばアベイラブル・スケール、裏コードや代理コード、テンションといったロジカルな方法論をも排除した(本人に言わせれば異なるのかも知れませんが)、実は真の即興演奏に徹していて、常にフレッシュなラインを構築していたのです。彼自身は自分のプレイ・スタイルの基本はフレーズを吹く事だ、と述べていますが、あの超個性的な音色とニュアンスで演奏されると、フレーズという概念が吹き飛んでしまいます。 Ornette Coleman 彼の特徴の一つはフリーフォームであっても、タイムのキープ感がずば抜けており、リズムを外したり見失う瞬間は殆ど存在しない事です。フリー=リズムが無いと解釈されがちですが、Ornetteに関してそれは誤りです。良い例を挙げれば「Free Jazz」でCharlie Haden, Scott LaFaro, Billy Higgins, Ed Blackwellらのダブル・リズムセクションが繰り出す、端正でスインギー、かつディープなリズムに対し、大きくリズムを捉え、見事なタイム感で演奏しています。 後年彼は「ハーモロディクス理論」を唱えました。72年4月録音リーダー作「Skies of America」のライナーノーツに初めて具体的な記述が掲載されており、当作はその手法を用いて演奏されたそうです。ミュージシャンによる音楽理論としてはGeorge Russellが唱えたLydian Chromatic Concept(LCC)が存在します。以前Russellの弟子(Russellが認定した師範代でなければ、LCCを教えることは許されないそうです)である米国人から、彼がピアノを弾き、自分もサックスを演奏しながらLCCのレクチャーを受けたことがあります。「あらゆる音使いの正当性」「どのような音を使っても良い」ことを理論的に解明していたようなのですが、僕の理解力を超えたところで話が進んでいました。「ハーモロディクス理論」についても自分は勉強不足で、残念ながら補足説明をする事は出来ません。 Skies of America / Ornette Coleman Ornette出現後に雨後の筍のごとく現れた前衛サックス奏者たちの中には、彼の模倣を行いつつも何処か勘違いし、個性を曲解した音色で、意味があるとは思えない音符を吹き散らし、肝心なリズムを蔑ろにしていました。しかしOrnetteは言ってみれば自分の演奏に対し常に責任を持ち、音楽の3要素(リズム、メロディ、ハーモニー)を彼なりに遵守していたと考えています。Free Jazzというカテゴリーの中でしっかりと!確実に! リズムをキープする事に対するこだわり、またメロディという点ではあまりにも独創的ではありますが彼なりの美学を遂行し、ハーモニーに至っては他の追従を許さない境地でサウンドさせています。そのハーモニーという観点ではCharlie HadenのベースラインがOrnetteのプレイに瞬時にして確実に寄り添い、ジャズ史上あり得ない次元でのインタープレイを行なっていました。具体的には彼が吹くフレーズに於ける和声や和音を即座にキャチし、ベースラインで対応するのです。意外性を伴ったプレイが頻繁に現れるOrnette、さぞかしアプローチするのに骨が折れた事と思いますし、彼を心から尊敬するHadenにとっては試練であり、修行の場でしょう、しかし究極Hadenにとっては至福の時だったに違いありません! ごく初期には彼のバンドにピアニストが参加しましたが、以降はピアノレスの編成でプレイし続けました。Ornetteの吹くラインに、より自在性を持たせる事が主眼ですが、コードワークはtoo muchで、彼にとっては束縛になるゆえでしょう。Hadenは彼の良きパートナーとして音楽的に提携し合い、優れた演奏を数多く残しています。 Charlie Haden 本作に於いてHaden的役割を演じるのがElvin Jonesです。多くのセッションで彼のドラミングがバンドを活性化させ、推進力を発揮して演奏のクオリティを高めました。同時にメロディやリズムを彩るカラーリングを巧みに施すと言う、アーティスティックなプレイを展開し、彼が参加したアルバム全てが名作の域に達していると言って過言ではありません。総じて伴奏者としてのElvinのドラミングで右に出る者は存在しないのです。 65年9月録音の作品「Live in Seatlle」を最後にJohn Coltraneの元を離れフリーランスとなり、以降彼との共演はありませんでしたが67年7月17日、わずか40歳で夭逝したColtraneへのトリビュート、ないしはその音楽的継承を果たすべくJimmy Garrison(彼はColtraneバンドに最後まで在籍していました)とのコラボレーションを再開し、Joe Farellを迎え本作と殆ど同じ頃、68年4月同じコードレストリオで「Puttin’ It Together」を録音します。 Puttin’ It Together / Elvin Jones その後もピアノレス編成が基本でリーダー活動を行い、Dave Liebman, Steve Grossmanたちテナーサックスが2管に増員されたカルテットで、彼の傑作ライブアルバム「Live at the Lighthouse」を72年9月9日(彼の45歳の誕生日です!)録音します。 Elvin Jones Live at the Lighthouse タイム感、グルーブ感、スイング感、シャープでたっぷりとしたシンバルレガート、一聴Elvinの演奏と即断できる彼のプレイは、フロント奏者との絡み具合に真骨頂を発揮します。とは言え常に寄り添いつつ演奏を鼓舞するわけではなく、端正なレガートとスネアのアクセントのみに徹し、ビートを繰り出すだけで、無反応の放置的(笑)演奏に終始する場合もあります。フロント奏者のコンセプトや意向、ソロのラインが醸し出すサウンドから判断しているのかも知れません、ですがこの時のシンプルさにもElvinの美学がふんだんに散りばめられ、3連符を主体としたビートと、他のドラマー誰も持ち合わせない、ずば抜けたポリリズムのセンス、そしてスピード感が堪りません!こちらではLee Konitzの作品61年8月録音「Motion」を挙げたいと思います。 Motion / Lee Konitz 本作の聴きどころのひとつはOrnetteとElvinのコラボレーションです。Garrisonというベスト・パートナーを得たElvinは躊躇という文字を辞書から消し去ったかの如く縦横無尽に、大胆にOrnetteに寄り添い、音楽を構築しています。 それでは演奏内容について触れて行きたいと思います。1曲目The Garden of Souls、メンバー全員によるゆったりとしたルパートのテーマ奏、Garrisonはアルコでサポートします。ここでは芒洋としてはいますが、しっかりとしたメロディが存在し、Ornetteがコンダクトしながら進行しているように聴き取れます。その後Ornetteのフレージングに合わせてElvinが徐にミディアムテンポでシンバルレガートをプレイし、アルトソロが始まります。脱力しつつも気持ちの入ったプレイは、独特のラインを演奏しながら内面に湧き起こる衝動を起爆剤として徐々に展開して行きます。同じサック奏者の観点として、指クセやお決まりの音使いを極力排除して臨んでいると推測できます。そうで無ければマンネリに陥り、自身もインプロビゼーションに入魂できず、演奏のフレッシュさをキープする事は困難です。 Ornette Coleman Garrisonも次第に演奏に参加しますが、ドラムのフレージングに煽られるかのようにリズム・モジュレーションが行われ、ベースが率先しテンポアップします。Elvin, Garrisonのグルーブ感の素晴らしさと言ったら!引き続きOrnetteのラインに反応するElvin、はたまたその逆もありつつ一つのピークを迎えた後、Ornetteがクールダウンするのに呼応し再び元のテンポに戻ります。当初からのお約束ごとだったのか、自然発生的なインタープレイか、スリリングです!再びOrnetteが仕掛け、再度テンポがアップします。この際のGarrisonの弾くラインの見事さ、加えてElvinのバスドラム連打の凄み、Ornetteのフレーズに確実に応えるElvin、そして更なるテンポアップをGarrison仕掛けますが、これは一瞬にしてElvinに却下されたようです(笑)。落ち着きを取り戻したかのように三位一体がしばらく継続され、その後行われる倍テンポにての演奏、Ornetteのプレイを一音たりとも聴き逃さないリズム隊の真剣さを痛いほど感じます。それにしてもここで聴くことの出来るOrnetteのフレージングの独特さ!そしてアクセントの位置にもオリジナリティを認める事が出来ます。Elvinの締めフレーズで一度収束し、ミディアム・スイングでブルージーな音使い、続いて明るい7th的フレージングの最中でGarrisonが弾き始めたラインに、Elvinが更なる速いテンポでレガートを叩き始め、グルーブが安定し始めるとしばしElvinの猛攻、そして再びクールダウンが訪れます。OrnetteのモチーフをキャッチしたElvinが倍テンポでレガートし、Garrisonがon topでリズムを刻みます。ここで認められるOrnetteのレイドバックしたプレイには、リアル・ジャズマンとしての本質を垣間見ることができます。音楽の森羅万象が行われたが如き、その後フェルマータし短いドラムソロが行われますが、謎の雄叫びが突如として現れます!Dewey Redmanがそれまで行われたOrnetteワールドを一新すべく、テナーサックスのベルをオンマイクにし、声を交えながらブロウしているのです。 Dewey Redman あれだけの世界をOrnetteに構築されては、特殊技法や離れ業を駆使しなければ自身の存在感を誇示する事は出来ません(笑)!自己主張が強いのはミュージシャンの常、そう言えばPat Methenyの名作「80/81」の欧州ツアー時のプライベート録音では、Methenyや相方のテナーサックスMichael Breckerのプレイに負けじとばかりに、Redmanはひとり延々とソロをプレイしていました(汗)! 80/81 / Pat Metheny ミディアムテンポに乗りながらのソロ、途中Elvinが倍テンポでレガートし始め、Garissonが追従します。Redmanのフリークトーンに呼応しElvinが連打します。Ornetteとは異なり、フレーズのラインを用いずにフリーフォームを表現しているようです。ほど良きところ、これ以上は蛇足になりかねないと言う所でラストテーマに入ります。エンディングではGarrisonのアルコが、見事に展開されたインタープレイの世界を名残惜しむように、独奏を続けます。 Jimmy Garison 2曲目Toy DanceはいかにもOrnetteらしいテーマを有する、どこか楽しげなナンバー。2管のメロディは本来ユニゾンだと思われますが、微妙にずれたりハーモニー(?)に聴こえたりするのはアレンジなのか、たまたまなのか、ラフに演奏し揺らぎを念頭に置いているのか分かりませんが、寧ろディレイ的な効果から音の厚みを感じさせます。 先発Ornetteは奇想天外でイマジネイティブなフレージングを駆使し、音量の大小も操り、レスポンスを踏まえてリズム隊との会話を楽しんでいるかのようです。彼の吹く8分音符は的確なタンギングが必ず施され、その結果リズムのメリハリが付けられており、その点では伝統を踏まえたジャジーな奏法と言えます。 続くドラムソロはいつものElvinなのですが、Ornette的なリズムのアクセントを踏襲したフレーズも聴かせていて、継続した流れを感じさせます。 続くRedmanのテナーソロは極太な音色と付帯音の豊富さで存在感を示しますが、8分音符にあまりタンギングが施されないためにエッジが効かないレガート感が強く、またリズムもOrnetteに比してラッシュし、前のめりな音符の位置からもリズムの提示度合いが希薄です。この二人の音楽的コンビネーションにはいろいろな捉え方があるように思いますが、Ornetteの「正統派ぶり」を逆に際立たせているとも感じました。 Elvin Jones 3曲目はOrnetteの代表的ナンバーBroadway Blues、本作タイトルともリンクしています。オーソドックスな中にも斬新な感覚が導入された佳曲、Methenyは前述の「80/81」欧州ツアーでもレパートリーとして取り上げていましたが、そもそも彼の75年録音初リーダー作「Bright Size Life」にて次曲Round Tripとを2曲カップリングした形で演奏しています。この2曲をデビュー作で取り上げるMethenyはかなりのOrnetteフリークに違い無いでしょう! しかもWeather Report入団直前のJaco Pastoriusをベーシストに迎え、ドラマーがBob Mosesというトリオのメンバーで!Jacoの既に凄まじいまでのプレイが印象的ですが、ここではOrnetteのアーシーなテイストは排除され、洗練されたクリエイティブさを表現しています。 Bright Size Life / Pat Methny ごく初期からOrnetteの音楽に心酔していたMethenyは、彼を迎えた85年12月録音作品「Song X」でOrnette愛を結実させています。彼の音楽に欠かすことの出来ないCharlie Hadenを迎え、そして息子Denardoと名手Jack DeJohnetteのドラムも加えて! Song X / Pat Metheny Elvinの得意とするシャッフルのリズムでテーマが演奏されますが、ソロに入るとOrnetteのフレージングの意向を汲んでか、タイムはキープされつつも、様々に変化して行きます。一体どの様にプレイ前にOrnetteがサジェストして、若しくはディスカッションを行い、演奏に臨んだのかに、とても興味を惹かれます。曲ごとにリズム隊のアプローチが明確に変化し、明らかに毎曲コンセプトを変えているからです。 Ornetteは情感たっぷりにブロウし、七変化するElvin, Garrisonのプレイに即していますが、ふたりは二人でOrnetteの演奏を瞬時に捉えてアプローチしており、総じて三人は真の即興演奏を繰り広げているのです! Redmanのプレイは再び前出の「効果音」奏法を交えて、ホンカー・テイストを感じさせる演奏を聴かせています。暫しの間の後、徐にOrnetteが現れ再びソロを取りますが、Redmanとの説得力の違いを感じます。突然ラストテーマを迎え、Fineとなります。 Ornette Coleman 4曲目には90年CD化された際に追加された、Broadway Bluesの別バージョンが収録されています。オリジナルバージョンよりも幾分遅いテイクで演奏時間も短く、コンパクトな演奏に仕上がっていますが、フォーマットや構成が同様なので寧ろ凝縮された演奏と言えましょう。OrnetteやRedmanのプレイの密度、リズム隊のフレッシュさを鑑みるとこちらが最初のテイクで、演奏の出来が良かったのでもうワンテイクプレイしよう、とオリジナルテイクが録音されたと推測しています。筆者がプロデューサーであればこちらの別テイクを採用したいと思いますが、恐らく冒頭のテーマ・メロディをRedmanが出そびれたり、後半吹き切れていないので、その点が採用基準として考慮されたのではないでしょうか。 Ornette Coleman 5曲目Round Trip、こちらもフロント二人のテーマ奏の微妙な揺れがメロディに幅を持たせています。本作中最も速いテンポのナンバー、リズム隊のコンビネーションの素晴らしさとスピード感、グルーブ感を堪能出来ます。先発Ornetteが比較的短いソロをプレイした後、Redmanがソロを取り、その後サックス奏者達のソロが同時進行で行われますが、その際のElvinの猛攻ぶりと言ったら!疾風怒涛とはこの事を言うのでしょう!程なくラストテーマを迎えます。 Elvin Jones 6曲目We Now Interrupt for a Commercialは本作中最もフリージャズ・テイストの強いナンバー、特にテーマらしいメロディは存在せず、全員同時進行で即興演奏を行います。途中に突然のブレークがあり、曲名がアナウンスされます。彼にしては珍しくビートが存在しない演奏、他とテイストの異なる楽曲は実はアルバムのクロージングに相応しく、to be continued感を表出していると思います。

2021.11

jazz/music 

2021.11.28 Sun

Head Hunters / Herbie Hancock

今回はHerbie Hancockの1973年録音作品「Head Hunters」を取り上げたいと思います。彼の最初の大ヒット作、キャッチーにして高度な音楽的内容を讃えた傑作です。 Recorded: September 1973   Studio: Wally Heider Studios Different Fur Trading Co. San Francisco, California   Recording Engineer: Fred Catero, Jeremy Zatkin   Label: Columbia   Producer: Herbie Hancock, David Rubinson key)Herbie Hancock   ts, ss)Bennie Maupin   b)Paul Jackson   ds)Harvey Mason   perc)Bill Summers 1)Chameleon   2)Watermelon Man   3)Sly   4)Vein Melter 膨大な数の作品を発表しているHancock、本作は彼の12作目のリーダー作に該当しますが最初の大ヒットを遂げ、Billboard top 200の13位まで登り詰めました。ジャズファンのみならずロックやR&Bファンにも熱狂的に支持され、以降の彼の音楽的方向性の一つを決定付けました。 初リーダー作62年5月録音「Takin’ Off」でBlue Note Labelから華々しくデビュー、収録曲Watermelon Manがヒットしました。ジャズロックがシーンに流布し始めた時流に上手く乗り、Mongo Santamaria楽団レパートリーにも取り上げられ、以降ヒット街道を突き進むことになりますが、著作権による印税収入が彼の自伝「Possibilities」にて事細かに書かれています。当時New Yorkで共同生活をしていたDonald Byrdのサジェスチョンにより、自作曲の著作権をレーベルに預けず、自己のものにして管理した事が功を奏しました。他にもジャズファンの心をくすぐる逸話が満載で、それこそWatermelon Manのメロディは、スイカを売り歩く行商人の掛け声「スイカはいらんかね〜」が元になったと言われていましたが、実は逆にスイカ売りに声を掛け、呼び止める女性の声「ヘ〜イ、スイカ屋さ〜ん」と知り、この曲に対するイメージが変わりました。またEric Dolphyの64年6月Berlinでの客死の真相については、大きな驚きがあります。 Takin’ Off / Herbie Hancock Possibilities / Herbie Hancock 以降アメリカンドリーム、サクセスストーリーをまさに絵に描いたようなHancockのミュージックライフですが、いずれの作品も単なるヒットだけではない、高い音楽性に裏付けされた内容が魅力で、「作品を制作するならばオーディエンスが心から楽しめ、そしてアルバムの購買意欲にアピールする中身を伴わせよう」という強い意志を感じます。ハリウッド映画の如きエンターテイメント性を踏まえ、時代が求めるムーブメントを見極める力、尚且つ自分のやりたい音楽に聴衆を巻き込む吸引力を伴わせる先見性、その結果彼自身がジャズシーンや時代性を作り上げたと言って過言ではありません、しかも楽しみながら、ワクワクしながら!彼に会って話をした事はありませんが、彼の身のこなし、表情や話し振りから大変フレンドリーな人物とイメージしています。溢れんばかりの才能の持ち主ですが、誰にも愛される人柄、そして真摯に音楽に立ち向かう努力家の側面が成功へと導いたと思います。 Herbie Hancock それでは本作に至るまでの作品群に触れ、大ヒットに至るまでのプロセスを紐解いてみる事にしましょう。63年3月録音の第2作目「My Point of View」は初リーダー作と同様に未だ確固たる音楽性を確立していなかったHerbieをバックアップすべく、Donald Byrd, Hank Mobley, Grachan Moncur Ⅲ, Grant GreenらBlue Note Labelご用達All Starsを配した、同様なジャズロックのコンセプトを掲げています。メンバー中、以降頻繁に顔合わせをする当時未だ17歳(!)の盟友Tony Williamsの参加にHancockの采配を感じます。 My Point of View / Herbie Hancock この作品直後の同年4月Miles Davis Quintetに入団、Tony Williamsそして Ron Carter, George Colemanらと名盤「Seven Steps to Heaven」をレコーディングします。以降Miles Magicにより飛躍的にHerbieの音楽性が成長し、彼の音楽性を決定付ける事になりました。 Seven Steps to Heaven / Miles Davis 63年8月録音リーダー第3作目「Inventions & Dimensions」録音の頃は前述のキューバ出身パーカッション奏者Mongo SantamariaがカバーしたWatermelon Manがヒットし、Billboard Hot 100で10位、BillboardのR&Bシングル・チャートで8位にランクインされました。その余波でしょうか、ラテン・パーカッションの名手Willie Boboとのコラボレーション作品制作となりました。いわゆる過渡期を感じさせる内容ですが、既にMilesとの共演で培った音楽性を表出させています。 Inventions & Dimensions / Herbie Hancock 64年6月録音第4作目「Empyrean Isles」では遂にHancockの音楽性が明確に提示されました。Freddie Hubbard, Ron Carter, Tony Williamsを擁したカルテットでの演奏、そして魅力的かつ高度な音楽性を湛えたオリジナル曲の表出、間違いなく以降の彼のアルバム制作の原点と言えるでしょう。収録曲One Finger Snapのあり得ないほどのフレッシュさ、スピード感、カッコ良さ!Watermelon Manのマイナー調バージョンと言えるCantaloupe Island、このタイトルもマスクメロンの島という事で、Hancock流のシャレでしょうか(笑)?以降の彼の重要なレパートリーの1曲となりました。 Empyrean Isles / Herbie Hancock 第5作目65年3月録音、彼の代表作である「Maiden Voyage」は前作「Empyrean Isles」にMiles Band共演者のGeorge Colemanを加えたクインテット編成、作曲の才能も一層冴え渡り、名曲のヒットパレードと相成りました。表題曲のほかThe Eye of the Hurricane, Survival of the Fittest, Dolphin Danceと海洋にまつわる楽曲を配した初めてのコンセプト作品、メンバーの秀逸なプレイも相俟って、ジャズプレーヤーとしての彼の一つの頂点として、またモダンジャズのエバーグリーンとしても君臨する作品であります。 Maiden Voyage / Herbie Hancock Miles Quintetや様々なバンド、セッションで引くて数多であったHancock、それまでの作品ではフロント楽器がメロディを奏で、その後ろでバッキングを行うサポートが主体だった彼が、68年3月録音第6作目「Speak Like a Child」では自ら前面に立ちオリジナル曲のメロディを弾き、バックにホーンのアンサンブルを従え朗々と演奏します。そのホーン・セクションの構成楽器がまたユニークです。フリューゲルホルン、バストロンボーン、アルトフルート、この3管編成が奏でる柔らかくも深いサウンド、アンサンブル、ハーモニーは通常のホーン・セクションとは異なり、ピアノ演奏を邪魔せずブレンドし、むしろ消されがちな倍音域を持ち上げ、ただでさえ美しいHancockのプレイを一層ゴージャスに彩ります。楽曲のチョイスを含むアレンジャーとしての成熟ぶりも感じさせます。収録曲Riot, The SorcererはMilesの元で既に録音されていますが、ここではまた別次元の演奏を繰り広げ、本作のために書き下ろした表題曲Speak Like a Child, Toys, Goodbye to Childhoodではコンポーザーとしての存在感も見事に表し、演奏、アレンジ、作曲がバランス良く三位一体と化しています。こちらも次なる頂点を極めました。 Speak Like a Child / Herbie Hancock 69年4月録音第7作目「The Prisoner」ではユニークな管楽器編成がバージョンアップし、フリューゲルホルン、トロンボーン、バストロンボーン、フルート、アルトフルート、バスクラリネットの6管編成は通常では考えられない構成によるユニークなサウンド、当時Hancockが研究していたGil Evans, Stravinsky, Ravelからの影響が顕著です。68年5月録音のMiles作品「Miles in the Sky」から既にFender Rhodesを弾き始めましたが、リーダー作では初めてになります。ここでは芸術的で崇高な音楽美を存分に表現していますが、同時にそれまでの作品に比べて難解さの表出は否めません。 Miles in the Sky / Miles Davis ジャズ的なスパイスが在りつつ耳には心地良く入り、キャッチーで口ずさみたくなるメロディラインを湛え、辿りたくなるような魅惑的なリズムのキメを有するHancockのオリジナルは、聴衆に確実にアピールするテイストを持っていますが、残念ながらここではいつもより希薄です。ジャズミュージシャンに限らず芸術家は自身が探求する対象を掘り下げれば掘り下げる程、孤高の世界に入りがちです。本作で聴かれる内容はむしろ「音楽的に行き着くところまで行ってしまった」ミュージシャンの表現の発露です。 The  Prisoner / Herbie Hancock 69年10月〜12月録音第8作目「Fat Albert Rotunda」は長年在籍していたBlue Noteを離れWarner Bros.レーベルからのリリース、米国子供向けテレビ番組のサウンドトラックになります。参加メンバーは前作を踏襲し、曲によってはスタジオミュージシャンを増員して対応しています。アニメ番組のための音楽ゆえ明るくキャッチーな作風の曲目ばかりですが、緻密にして良く練られたアレンジ、曲構成が光り、オーディエンス側に立ったかの如く、前作の反省を踏まえたとも言える作風で「Head Hunters」に繋がるプロダクションを感じます。収録曲Tell Me a Bedtime Storyは名曲ですがQuincy Jones 78年作品「Sounds…and Stuff Like That!!」で取り上げられ、Hancockのソロを採譜しストリングス・セクションが演奏するアレンジには感動しました。 Fat Albert Rotunda / Herbie Hancock Sounds…and Stuff Like That!! / Quincy Jones 71年1月録音第9作目「Mwandishi」ではレギュラーバンドを組織しました。メンバー全員にスワヒリ語の名前を付け、エスニック色の強いモーダルな演奏を行いましたが、当時のMilesのアルバム「Bitches Brew」「On the Corner」からの影響を感じさせます。全体を覆うおどろおどろしさの中にも実験的な要素を感じさせ、次なるステップ、飛躍の予感を匂わせます。 Mwandishi / Herbie Hancock 第10作目72年2月録音「Crossings」は前作のレギュラーバンドと同一メンバーによる作品、バンドとしての更なる一体感を感じさせます。 Crossings / Herbie Hancock 前作を最後にWarner Bros.を離れ、以降長い付き合いになるColumbia Labelに移籍します。72年後期録音第11作目「Sextant」は3作連続でMwandishi Bandでの演奏、そしてこのバンドの最終作になります。自伝にもこのバンド活動での思い出や逸話が数多くあり、彼自身かなり思い入れがあったのでしょう。芳醇にして緻密、微に入り細に入りアレンジが施され、シンセサイザー演奏、楽器操作やプログラミングに凝り始めた時期でもあるので、様々に実験的な試みが行われていますが、ファンクの要素は未だ皆無です。 アルバムジャケットにも表されていますが、メンバーのルーツであるAfricaのリズム・テイストが基本になっています。 リーダー自身のソロ、バンドアンサンブルもある種極まったものがあり大変素晴らしいと思うのですが、どうでしょう、些かマニアックな方向性を感じます。Hancockのやりたい音楽的方向性は確実に表出しているのでしょうが、多くのオーディエンスに受け入れられるかどうかは別問題です。 Sextant / Herbie Hancock ミュージシャンとしての表現の発露とポピュラリティーの両立は究極の問題です。Hancockはこの事に対する明確な答えを導き出してくれました。それが今回取り上げたリーダー第12作目にあたる「Head Hunters」です。 1曲目Chameleonはワウを施したシンセサイザーが印象的なベースラインを演奏し始めます。ギターのカッティングと思しきサウンドは恐らくPaul Jacksonのエレクトリックベースによるもの。Harvey Masonのタイトにしてヒューマン、心地良いファンクのグルーヴを聴かせるドラミング、Hancockによるクラビネットを用いたキレの良いリズムの刻み、Mwandishi Bandから唯一の留任Bennie Maupinの、他では聴くことの出来ない豊かな倍音を多く含む極太テナーサウンドによるテーマ奏、何と印象的でキャッチーなのでしょうか!ペンタトニック・スケールを基にした誰もが口ずさめるメロディ、複雑なコード進行を排除したワンコードによる曲の流れ、延々と同じモチーフの繰り返しには一切難解さは含まれず、ひたすらダンサブルである事にJames Brownからの影響も感じます。 もう一つのメロディ・モチーフ、テーマ2がほど良きところで登場し、場面が活性化されつつドラムのフィルインが入り、Hancockのソロへとつながります。この時点で冒頭よりもテンポが幾分早まっているので、クリック〜メトロノームは使用せずに演奏していることが分かります。延々と、淡々とリピートするパターンの上でHancockは縦横無尽にARP Odysseyシンセサイザーを使いリズミックなソロを展開しますが、物凄いストーリーテラー振りです!Mwandishi Bandとは全く異なる、R&Bやソウルバンドと思しきエンターテインメント性を発揮した、新生Hancockサウンドの誕生です! Herbie Hancock さて、実はこの先からが本題なのです。一度フェルマータで落ち着きますが、すかさずドラムのフィルインに導かれベースが全く違うパターンを弾き始めます。暫しベースとドラムふたりのグルーヴがあり、シンセサイザー、もしくはパーカッションによる実に細かいシンコペーションを活かした、スリリングなバッキングが入ります。徐にFender RhodesによるHancockのソロ、全く異なるコード進行を用いてパート2が開始します。彼のプレイに纏わりつくようにMason, JacksonそしてBill Summersのコンガが実にアクティブにプレイ、次第に熱を帯び始め、時折加わるシンセサイザーがストリングス・セクションのように場に華やかさを加えます。リズム隊は見事に本領発揮!猛烈なインタープレイの応酬、Hancockの一挙手一投足に全神経を集中しているかの如し、これぞジャズ演奏です!ではChameleonのダンサブルさは一体何処に行ってしまったのでしょう?それまでの雰囲気とは全く異なるパートにも関わらず、ナチュラルに耳に入って来るのは、Hancockの音楽的策略以外の何物でもありません!曲前半部分ではポップさ、キャッチーさという名の羊のぬいぐるみを纏っていましたが、実は中に狼が入っていて、途中からぬいぐるみをかなぐり捨て、ジャズミュージシャンとしての本性を剥き出しにした野獣の演奏に徹しているのです!その後再びテーマ2が登場、そこからの展開がまた素晴らしい!演奏自体のテンションも鰻登りですが、変拍子を交えたセクションが実にクリエイティブです!ダンスを踊っている人には厄介な部分でしょうが(笑)8分の7拍子の変速的なリズムの連続を物ともせず、バンド一丸となってバーニングに次ぐバーニング!その後テーマ2が演奏され、ダ・カーポし冒頭のファンクでMaupinがそれまでを払拭するかのように実に朗々と、キャッチーさを湛えたテキサス・テナー的ブロウを聴かせます。 ファンク・ビートによるノリ易いシンプルなメロディラインの連続でオーディエンスの心を掴み、心地良い高揚感が続く最中に自分達が本当に演りたいジャズ的要素、バンドのインタープレイをとことん、これでもかと行い、素知らぬ顔でファンクビートに戻る。ファンク〜ジャズ〜ファンクのサンドイッチ状態とは良くぞ発案したものです! それにしても何と凝った構成でしょうか!この曲、そして演奏があったからこそ、その後のHancockが存在するのです。 Herbie Hancock 2曲目はWartermelon Man、アレンジはMasonが担当しています。意表をつくSummersのヒューマンボイスとシンセサイザーによるイントロから重厚なリズム隊がグルーヴを作ります。それらが彼方に向かうかのようにフェードアウトし、メロディが始まります。旋律自体は幾つかの楽器による分業体制、凝っています。曲自体はWatermelon Manですが、全てがリニューアルされ、既存のアレンジを知っているHancockファンには新たに楽しめる要素満載に仕上げられ、Masonの繰り出すリズム、カラーリングは実に楽曲に相応しくサウンドしています。Jacksonのベースの素晴らしさは彼が在日中、自分が何度か共演の機会を持てたことで既知でしたが、本作での演奏を改めて聴くとその物凄さを再認識させられます。ビート感とチャレンジャブルなアイデアが尋常ではありません! Paul Jackson 3曲目はSly Stoneに捧げられたその名もSly、Hancockが具体的にミュージシャンに捧げて曲を書くことは珍しいと思います。それだけHancock自身も彼の音楽を研究し、尊敬していたのでしょう。曲自体の構成も大変ユニークでリズミック・アンサンブルやテンポが変わり、ソプラノ・ソロが開始しますがリズム隊とのやり取り、クラビネットの刻みとベースが音符を奏でる位置の絶妙さは特筆モノです。オリジナリティ溢れるMaupinのスタイルには当然ですがWayne ShorterやJoe Hendersonとは全く異なるテイストを聴く事が出来ます。74年の初リーダー作品「The Jewels in the Lotus」では美しく奥行きのある世界を提示しています。 The Jewels in the Lotus / Bennie Maupin Maupinが着火し、更にHancockのソロでリズム隊に火が付きバンドの一体化が有り得ないレベルにまで達していますが、Masonの炸裂ぶりとJacksonのサポートを得てHancockは別次元にワープしそうな勢いです!クールに冒頭のテンポに戻り、無事にFineとなりました。 Harvey Mason 4曲目ラストを飾るのはVein Melter、マーチング風のリズムが印象的な中にミステリアスなムードを湛えた佳曲、シンセサイザーの用い方に独特さを感じます。Maupinはバスクラリネットに持ち替え、マルチリード奏者ぶりを聴かせます。レコード発売当時にChameleonが45回転シングル盤でリリースされた際の、B面に収録されました。淡々と音楽が進行し、最後にバスドラムだけが残り、フェードアウトして行くところに作品のエピローグを感じさせます。

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2021.11.14 Sun

What the World Needs Now: The Music of Burt Bacharach / McCoy Tyner

今回はMcCoy Tynerの1997年作品「What the World Needs Now: The Music of Burt Bacharach」を取り上げてみましょう。彼のトリオにシンフォニー・オーケストラが加わり、Burt Bacharach珠玉のメロディをMcCoyが華麗に、豪華に奏でるアルバムです。 Recorded: March 5 & 6, 1996 at The Hit Factory, NYC   Produced by Tommy LiPuma   Recorded and Mixed by Al Schmitt   Label: Impulse!   All compositions by Burt Bacharach   Arranged and Conducted by John Clayton   p)McCoy Tyner   b)Christian McBride   ds)Lewis Nash   1)(They Long to Be) Close to You   2)What the World Needs Now Is Love   3)You’ll Never Get to Heaven (If You Break My Heart)   4)The Windows of the World   5)One Less Bell to Answer   6)A House Is Not a Home   7)(There’s) Always Something There to Remind Me   8)Alfie   9)The Look of Love 1962年初リーダー作「Inception」から50年近くに渡り、70枚以上の作品をリリースした多作家McCoy、しかし本作のように特定のミュージシャンの楽曲に拘って制作されたアルバムは殆どありません。尊敬するDuke Ellingtonのナンバーを取り上げた64年12月録音の「McCoy Tyner Plays Ellington」が存在しますが、他にはバンドに在籍し、そこで培われた音楽性がその後のMcCoyの礎となったJohn Coltrane、トリビュートとして彼の楽曲を演奏した87年7月録音「Blues for Coltrane」、91年2月録音「Remembering John」、97年9月録音「McCoy Tyner Plays John Coltrane」3作が挙げられます。1曲から数曲Coltraneナンバーを取り上げたリーダー作品はかなりの数に上りますが、Coltraneの楽曲は彼にとって特別な存在なのです。 McCoy Tyner Plays Ellington 本作はMcCoyのラインナップ中異色の1枚となるわけですが、前作である95年4月録音「Infinity」、当時のレギュラートリオにMichael Breckerを迎えた作品、翌96年グラミー賞Best Jazz Instrumental Performanceを受賞、またColtrane作のImpressionsでMichaelが同じくBest Jazz Instrumental Soloを受賞ということでダブルウイナー、アルバム自体もさぞかしヒットしたことでしょう、そのご褒美として(笑)、大編成によるアルバム録音に結び付いた形になります。 おそらく一度も取り上げた事のないBacharachナンバーを名手McCoyに弾かせ、プレイだけでも十分に表現力がありますが、John ClaytonによるBacharach, McCoy両者の音楽性を細部まで把握した緻密にして大胆なオーケストラ・アレンジにより、今までになかった側面を表出させようとする企画ですが、見事なまでに結実しています。 McCoy Tyner / Infinity Bacharachは米国を代表する作曲家の一人、彼のナンバーをカバーしたアーティストは1,000以上にものぼるそうです。ジャズミュージシャンもBacharachナンバーを好んで取り上げていますが、本作の様に1枚丸々彼のナンバーとなると限られ、Stan Getzの68年リーダー作「What the World Needs Now: Stan Getz Plays Burt Bacharach and Hal David」くらいでしょう、Getzの演奏は元よりRoy Haynes, Grady Tateの華麗なドラミング、当時若手のHerbie Hancock, Chick Coreaの溌剌としたプレイ、そしてRichard EvansとClaus Ogermanのアレンジが燦然と輝く名盤です。 What the World Needs Now: Stan Getz Plays Burt Bacharach and Hal David Stanley Turrentineの68年作品「The Look of Love」は2曲だけですがBacharachナンバーを取り上げています。他にもThe Beatles等のポップス・ナンバーをTurrentineの豪快にしてメローなテナーに存分に歌わせた、こちらはDuke Pearsonの都会的で小粋なアレンジ、オーケストレーションが光るアルバムです。ともすると耳に心地よいだけのBGM演奏に陥りがちな作風が、Turrentineの益荒雄振りにより別次元にまで高められています。 The Look of Love / Stanley Turrentine 60年代後半からこれらの作品の様に、大編成を従えて耳に心地よいメロディを朗々とプレイする演奏スタイルが流行し始めました。枚挙には遑がありませんが、個人的な好みで2作ほど上げたいと思います。 66年11月録音Zoot Simsのリーダー作「Waiting Game」はGary McFarlandの洒脱なアレンジによる、ストリングスを中心としたオーケストレーションが、Zootのスタンダード奏を華やかにバックアップしています。 Waiting Game / Zoot Sims 68年Oscar Peterson Quartetの作品「Motions and Emotions」ではBacharachナンバーとしてThis Guy’s in Love with You、他にSunnyやThe BeatlesナンバーからYesterday, Elenor Rigby等を取り上げ、Claus Ogermanの崇高なオーケストレーション・サウンドと、Petersonの軽妙な演奏がバランス良くブレンドされています。 Motions and Emotions / Oscar Peterson 様々な色合いに輝く宝石の如きBacharachナンバー、あまりにも名曲の数々ゆえ、いずれを選曲するかが問題です。本作のセレクションも妥当であると思いますが、以下は個人的にMcCoyのプレイで聴いてみたかったナンバーです。Raindrops Keep Fallin’ on My Head, This Guy’s in Love with You, Walk on by, The April Fools, Do You Know the Way to San Jose?, I Say a Little Prayer, Wives and Lovers… McCoy Tyner 本作で素晴らしいアレンジを提供しているJohn Claytonはベース奏者でもあり、2歳年下の弟でアルトサックス奏者Jeff、そして息子Geraldがピアニストを務め、The Clayton Brothersとして8枚のリーダー作を発表しています。またドラマーJeff Hamiltonとタッグを組んだビッグバンドThe Clayton-Hamilton Jazz Orchestra(CHJO)での活躍も目覚ましく、10作以上のアルバムを送り出しています。 John Clayton これだけ聴き応えがあり、バラエティさ、かつ雄大なシンフォニー・オーケストラ・アレンジ、サックス・アンサンブルをベーシストが書き上げ、指揮した事に驚きを感じますが、ひとえにCHJOで培われたアレンジ能力からでしょう、85年に結成し30年以上に渡りビッグバンドを主催し続けるパワーにも裏付けされています。 The Clayton-Hamilton Jazz Orchestra 本作参加メンバーはMcCoyのピアノの他、ベーシストはChristian McBride、ドラマーにLewis Nash、ビッグバンドやシンフォニー・オーケストラのメンバー記述は一切ありません。ただMcCoy自身のライナーノートに”John had brought excellent people from California”とあるので、活動の本拠地が同地であるCHJOのメンバー参加を意味していると思います。同じく”Jill del Abate had band-picked top caliber New York musicians”との記載はシンフォニー・オーケストラに関し、歌手にしてミュージシャン・マネージメントも行うJill del Abateが、New Yorkトップクラスのスタジオ・ミュージシャンのブッキング手配を行った事を述べているのでしょう。 McCoy独自のコードワーク、4thインターバル、ピアノタッチ、一方Bacharachの複雑なコード進行を内包しつつ、崇高なまでに美的センスを湛えたナンバー群、あまりにも存在感が強く超個性的なこの二者をミックスさせる、貼り合わせる、融合させる役割をClaytonのアレンジが成し得ていて、加えるに有り得ないほどの化学的反応まで引き出しています。下手をすれば水と油になりかねない両者、McCoyに好きなように演奏させるのを主眼に置き、Claytonが自己の叡智を集結させて(バラエティさがハンパありません!)Bacharachの楽曲を膨らませ、再構築し、ピアノプレイとのブレンド感を完璧にしているのはアレンジャーと言うよりも、もう一人の共演者の如きです。ベーシストは文字通り縁の下の力持ち、CHJOでのベースプレイやビッグバンドと言う大所帯を組織して行く技量にも長けている彼は、周囲からも熱い信頼を寄せられる人物、ナイスガイに違いありません。   それでは演奏内容について触れて行きましょう。1曲目(They Long to Be) Close to You、早速ストリングスによる重厚で広がりのあるサウンドが迎えてくれます。ドラムの呼び込みフレーズからピアノトリオがイントロを6/8拍子でプレイ、次第にストリングスが覆いかぶさるようにアンサンブルを聴かせ始めます。一瞬のブレークの後、アウフタクトからメロディが始まります。いや、何と甘美な、心地良いメロディでしょう!McCoyが長く音符を伸ばす際にトレモロ奏法を用いているのが新鮮です!テーマ繰り返し時からアンサンブル、ピアノのフィルインが入り、サビではスイングにリズムが変わります。ベース、ドラムの二人はお手のもののグルーブを聴かせます。再び主題に戻りますが、その直前のベルトーン・ライクなアレンジにClaytonの繊細なセンスを感じます。「Go ahead, McCoy!」というメンバーの声が聴こえてきそうな勢いでそのままソロに突入、強力な左手のプレイがMcBrideのベースと確実にぶつかっていますが、それで良いのです!McCoyが雇うベーシストは、歴代彼の左手のプレイを極力邪魔しないタイプの奏者でした。これだけゴージャスに、しかもカラフルなサウンドが鳴り響いていれば低音が不足気味に聴こえてしまいますから! 曲はClose to Youのはずですが全く違和感なくMcCoy World全開です!Nashの堅実でスインギーなドラミングとのコンビネーションも格別です!時々男性の低い声が聴こえますが、これはMcCoyが発していますね!Keith Jarretteのようにのべつ幕なしではなく、感極まった声で雄々しさを感じますが、演奏中に声を出しながらピアノを弾くとは知りませんでした。次第にアンサンブルが鳴り始め、主役はシンフォニー・オーケストラとなります。リタルダンドし、厳かにクラシカルなテイストを湛えたルバートのメロディ奏の後はドラムのロールに導かれ、McCoy再登場、ピアノソロがしばし続いた後、アウフタクトの断片を用いてラストテーマ状態へ、どこを切ってもMcCoyフレーズから成るソロとストリングスが絡みつつ、Fade Outです。 Lewis Nash 本作のタイトルは2曲目What the World Needs Now Is Loveに由来しています。ここでは前奏部分が後の展開を暗示するが如く、厳かに気品を保ちつつ演奏されます。ピアノが訥々と語るように、シンプルにメロディを弾き始め、アンサンブルと対比しながら曲が進行して行きます。アレンジの采配による弦楽器、ウッドウインドとの絡み具合が見事ですね!その後バックでのMcBrideのベースの活躍ぶりは流石です。曲のコード進行に概ね基づきソロが開始されます。プレイが盛り上がりながら、McCoyの声がだんだんと大きくなりますが、入魂ぶりが明瞭ですね、分かり易い方です(笑)。カットアウトされたかの様にソロが終了し、オーケストレーションがクッションとなり、ラストテーマへ。始めと比べかなりテンポを早めていますが、ごく自然なアッチェルと感じました。次第に収束へと向かいますが、シンプルなメロディのナンバーをこれだけ聴かせられるのは、McCoyとClaytonのコンビネーションならではです。 Christian McBride 3曲目You’ll Never Get to Heaven (If You Break My Heart)ではいきなりアクティブな、4拍目裏のシンコペーションを活かしつリズムセクションが活躍するイントロから始まり、Nashのソロを短くフィーチャーしています。ストリングスに続きサックスアンサンブルが登場し、普通のシンフォニー・オーケストラではない事を宣言しています。オーケストラにはサックス・セクションは存在しませんから。 その後のMcCoyオンステージ、次第にサックスによるバックリフが加わり音量も増して行きます。ピアノによるテーマ奏ではMcCoyがメロディを気持ちよさそうにハミングしています!さぞかし楽しいのでしょう!ピアノソロはテーマの雰囲気を踏襲しつつ、しかし自己の語り口をこれでもかと、聴かせます。次第に物陰に隠れていたかの様に身を潜めていた(笑)、サックス隊のバックグラウンドが鳴り始め、クレッシェンドし、ピアノソロを鼓舞しています。ブレークと共にピックアップ・アンサンブルが鳴り響きます。ジャジーなカラーを存分に表現しつつダイナミクスが半端ない、うねる様に、ねぶるが如くベース、ドラムと絡み合い、ブラスセクションも加わりビッグバンドの完成形を従え(間違いなくCHJOの演奏でしょう!)、グッと音量を抑えてから再びピアノソロへと展開します。ビッグバンドのアンサンブルに十分対抗しうる迫力あるピアノソロはMcCoyならではのもの!ストリングスも付加されゴージャスさが倍増しながらテーマのサビへ、McCoy先ほどよりも声が大きくなった様です!エンディングはひたすら小粋に、スイングジャズのテイストにてFine、終始感を得るべく演奏されるアンサンブルの豪華なこと!最後の最後まで聴き逃すことの出来ないアレンジの妙です! McCoy Tyner 4曲目The Windows of the World、不安感を煽るかの様な緊張感に満ちたストリングスのサウンド塊からゆったりとしたボレロのリズムが現れます。ピアノのコードワーク、木管楽器のアンサンブル、遠くから聴こえるクラベスの音、本作は各楽器の配置、音像、臨場感等の録音バランスも音楽的です。ピアノが奏でるメロディの合間に入るストリングスやハープ、木管楽器のハーモニーの豊かさや音量のダイナミクス、実に緻密に練られています。 McCoy Tyner 5曲目One Less Bell to Answerはピアノソロから始まります。こんなにも美しい音色でピアノが弾けたらさぞかし気持ちが良いでしょう!木管アンサンブル、ストリングスが包み込み、徐にベースのランニングから意外なインテンポへと繋がります。アレンジ担当Claytonが惜しみなく音楽的アイデアを投入した感が伺えます。シンフォニーのアンサンブルが優しく鳴り響き、基本メロディをピアノが奏でますが、対旋律、オブリガード、コントラバスのアルコに一瞬メロディを担当させたりと、様々な工夫がなされてメロディを浮かび上がらせているのは、楽曲に対する慈愛と受け止めています。何と美しいテイクでしょうか。かつてのボスであったColtraneもこの演奏を聴いたらさぞかし喜んだ事でしょう、もちろんMcCoyの成長ぶりと言う観点です。 McCoy Tyner & John Coltrane 6曲目A House Is Not a Home、個人的にこの曲が大好きです。美と哀愁と崇高さ、これらの絶妙なバランスに何とも言えずグッと来てしまいます!タイトルも意味深で、直訳「家は家庭にあらず」では、不仲な夫婦の住む家を意味しているかの如きですが(汗)、むしろ「貴方が居ないとこの家はただの家、我が家じゃない」のような意味合いで、失恋の唄でしょう。Dionne WarwickやLuther Vandrossの歌唱も素晴らしいですが、本演奏も匹敵しうるクオリティだと思います。 ここではメロディをシンプルに演奏した事で、曲の持ち味を寧ろ明確に表出しています。ソロは60年代のバラード奏がそうであった様に、倍テンポのグルーブを感じさせますが、曲想に相応しくないと判断したのでしょう、ムードが変わるのをグッと抑えています。McBrideが縦横無尽にサポートし、Nashのブラシワークにもセンスを感じます。シンプルであった分、ラストテーマのシンフォニー・オーケストラの活躍が際立ちます。 McCoy Tyner 7曲目(There’s) Always Something There to Remind Me、冒頭ではこれぞ交響曲と思しき勇壮なイントロが演奏され、その後ピアノトリオでストレートにテーマが奏でられます。挿入されるアンサンブルはイントロのムードを踏襲し統一感を感じさせます。それにしてもMcCoyの声の大きな事!ここでは声量が気持ちの入り方のバロメーターです(笑)!前作「Infinity」でのレギュラートリオのメンバー、Avery Sharpe, Aaron Scottたちも優れたプレーヤーですが、本作のようにスタジオミュージシャン的に臨機応変にカラーリングをこなすことは難しかったでしょう。McBride, Nashの職人芸的演奏があってこそです。ピアノソロ後に聴かれるドラムソロがその事を物語っています。ラストではイントロの交響曲がバージョンアップし、アウトロとして付加されています。 Lewis Nash 8曲目AlfieはBacharachが書いたバラードの中でも最高峰のナンバーです。独自なメロディラインと転調、意外性のある旋律の展開はThe BeatlesのYesterdayの上昇するメロディ部分に通じるものを感じます。それでいてしっかりと地に根ざしたオーソドックスさも内包する、曲としての完成度が別次元に位置する数少ない曲の様に思います。 Bacharach曲集を企画してこのナンバーを除外しようものなら、アルバムの売れ行きが半減するのではないでしょうか(笑)。多くのリスナーに愛されているこのナンバーを、McCoyはメロディの一音一音をまるで噛み締めるかのように、愛でながらリリカルに演奏しています。これだけストレートに、メロディフェイクもなくピアノを弾くのはそれだけこの曲が特別な存在であることの証でしょう。LiPumaやClaytonは今回BacharachナンバーをMcCoyに弾かせるに当たり、この曲だけは本当にシンプルに、アンサンブルも必要最小限に絞り、彼のピアノタッチだけで演奏する事を念頭に置いていたように思います。素材の持つ素晴らしさゆえ他の味付けは不用ですから。 Burt Bacharach, Tommy LiPuma, McCoy Tyner   9曲目The Look of Loveも名曲中の名曲です。本作収録のナンバーは基本的にオリジナルなコード進行を尊重していましたが、テーマでは幾つかのリハーモナイズが施され、趣の違ったテイストを聴かせます。 冒頭いきなりのフォルテシモはオーディエンスの気を引くに相応しく、実はシンフォニーに良くある手法のひとつです。アレンジングのアイデアが泉の如く湧き出るClayton、ここでも眩いばかりにアンサンブルを伴った数々のメロディ・フラグメントが提示され、引き続きドラムがEven 8thのリズムを叩き始めます。いかにもMcCoyらしいピアノのイントロが始まり、そのままテーマ奏へ。この曲も同様に美しさが堪らないメロディです。対比としてフルートにもメロディを担当させることで、ピアノの音色の異なる色合いをアピールさせています。 ソロ中お分かりのようにMcCoyの声が凄いですが、彼の書くオリジナルにも美しいメロディが多く、この曲は恐らく自身もかなりのお気に入りで、好みに合致したのでしょう、音楽に猛烈にのめり込んでいるのが伝わります。Nash, McBrideのサポートも全く相応しく、McCoyワールドが盛り上がり切ったところで冒頭のモチーフを再利用し突然にシンフォニー開始、それにしてもここでのClaytonのライティングは本当に素晴らしい!ジャズ的なラインやメロディも交えた壮絶なアンサンブルは難易度が超高く、さぞかし演奏者泣かせだった事でしょう(笑)。オーバーダビングなしの一発録音の様に自分には感じるのですが、であれば演奏者の力量にも神がかったポテンシャルを痛感します!コンダクティングのClaytonもさぞかし大変だったでしょう!シンコペーションを伴ったアンサンブルから、全くナチュラルにMcCoyのソロに戻りますが、手に汗握る瞬間でした!暫し後ラストテーマに繋がり、エンディングにもこれでもか、とモチーフを投入するClaytonの鬼才ぶりに再び惚れぼれしました!凝りまくりのアレンジを施したこの曲、クロージングに相応しい演奏に仕上がりました。

2021.10

jazz/music 

2021.10.31 Sun

Ready for Freddie / Freddie Hubbard

今回はFreddie Hubbardの61年8月録音リーダー作「Ready for Freddie」を取り上げたいと思います。オリジナルを含む佳曲揃い、申し分ないメンバーとのインタープレイ、そして弱冠23歳リーダーFreddieのフレッシュさ、炸裂するトランペットが輝く作品、彼の作品群の中でも筆頭に挙げられるべき秀逸なアルバムです。 Recorded: August 21, 1961   Studio: Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, New Jersey   Label: Blue Note(BST 84085)   Producer: Alfred Lion   tp)Freddie Hubbard   euphonium)Bernard McKinney   ts)Wayne Shorter   p)McCoy Tyner   b)Art Davis   ds)Elvin Jones 1)Arietis   2)Weaver of Dreams   3)Marie Antoinette   4)Birdlike   5)Crisis 50年代からジャズシーンには早熟で個性的なトランペッターが続々と現れました。Clifford Brownに始まりLee Morgan, Booker Little, Freddie Hubbard, Woody Shaw, Randy Brecker, Tom Harrell, Wynton Marsalis, Nicholas Payton…Freddieは彼らの中でも突出した音楽性と音色、テクニック、タイム感を引っ提げてデビューしました。ドラマーにも神童を多く輩出していますが、特にトランペットは若くしてその才能を発揮出来る楽器なのでしょう、60年6月22歳にして初リーダー作「Open Sesame」を録音、鮮烈なデビューを遂げ同年11月に「Goin’ Up」、61年4月「Hub Cap」と立て続けに半年間のスパンでリーダーアルバムを録音しました。1~3作目は共演者やスタンダードナンバーに演奏曲目を負うところがありましたが、本作では作曲能力が開花し、代表的なオリジナルを披露しています。以降も多くの名曲を生み出す彼、本作はそのスタートラインとなりました。 多くの若手ミュージシャンに共通する、短期間での著しい成長、トランペットプレイにその事は顕著で、歯切れの良い明瞭なメッセージと豊かなイメージのインプロビゼーションを繰り広げ、驚異的に正確でスインギーなタイムの取り方が他のトランペッターよりも頭一つ、いや二つも三つも抜きん出た個性となり、圧倒的な存在感を示しています。 59年21歳から始まるサイドマンとしてのプレイも充実しています。そこではソロプレーヤーだけではなく、ホーン・アンサンブルでのリード・プレイにも長け、Art Blakey’s Jazz Messengersでは10作に参加しており、Lee Morganの後釜としてWayne Shorter, Curtis Fullerとの3管編成で、いずれに於いても素晴らしいアンサンブル、ソロを聴かせます。61年録音「Mosaic」ではFreddieのオリジナルDown Underと本作収録Crisisの2 曲、「Three Blind Mice」では自身の名曲Up Jumped Springを披露しています。 Mosaic / Art Blakey & the Jazz Messengers Three Blind Mice / Art Blakey & the Jazz Messengers Eric Dolphyとは60年4月録音「Outward Bound」、64年2月録音のDolphy没後に発表された傑作「Out to Lunch」にも参加しています。 Outward Bound / Eric Dolphy Out to Lunch / Eric Dolphy J. J.JohnsonとはClifford Jordanを加えた3管編成による60年4月録音「J. J. Inc.」、最初期の演奏ながらソロとアンサンブルに非凡さを示します。 J.J.Inc. / J.J. Johnson John Coltraneの61年録音「Ole」では盟友Dolphyと共にクリエイティブなプレイを聴かせます。 Ole / John Coltrane Ornette Colemanの歴史的問題作にして傑作60年12月録音「Free Jazz」に参加、フロント陣Ornette, Don Cherry, Dolphyたちに比較して調性的にインサイドなテイストを感じさせます。ひとりFree Jazzには徹しきれていないとも言えますが、端正なビートを繰り出すリズムセクション上でのフリーフォーム演奏、Freddieは美しい音色で誰よりもグルーヴしています。 Free Jazz / Ornette Coleman Oliver Nelsonの傑作61年2月録音「Blues and the Abstract Truth」ではセンス、音色、タイム感、他の追従を許さないトランペット・プレイを展開しています。 The Blues and the Abstract Truth / Oliver Nelson 渡欧する直前のKenny Drewを捉えた60年11月録音「Undercurrent」では、外連味なくハードバッパーとしての本領を発揮しています。 Undercurrent / Kenny Drew Freddieは以降も精力的に演奏活動を続け、リーダー作、サイドマン、ライブやコンサートと、変わらぬスタンスでブリリアントなプレイを展開しました。しかしどんなミュージシャンにも旬はあるでしょう。またプレーヤーとして同じ所に留まっていることに抵抗があるのは当然の事です。Freddieを心から敬愛し、彼のプレイを追い続けている大勢のトランペッターに共通する発言があるので、ここでご紹介しましょう。 「Freddieの演奏はどれも良いね。特に60年代中頃までが本当に素晴らしく、Herbie Hancockの「Maiden Voyage」頃までのプレイは神懸っているよ。以降の演奏も悪くはないし、凄いのだけれど、彼は何か変わってしまったように感じるんだ。どうして変わってしまったのだろう?何が違うのかな?」褒め言葉と批判とが混じり合う的確な意見、実は僕も同じ見解です。 例えば76年6月Hancockの代表作「V.S.O.P」での演奏、どの部分を切り取っても、紛れもないFreddieのプレイ、素晴らしい事この上ない、至上のテイクばかりで、ハイノートや多種奏法を含めたハイパーな楽器テクニックから、トランペットの腕前に飛躍的な向上を確認出来ます。 V.S.O.P. / Herbie Hancock ですが60年代中頃までと比較すれば何かが大きく異なります。これは感覚的なものなので文章で表現するのは難しく、不十分な点もあるかも知れません。 初々しさを原点とし、自身が演奏する内容に関しての新鮮さ、そして自分の演奏、吹くラインに意外性を感じ、結果刺激され、更なる別なラインが湧き出てくる。当時の彼の頭の中には実に様々で独創的なサウンド、ハーモニー、フレージングが誰よりも鳴り響いていたのだと思います。共演者の演奏や楽曲により、彼の創造性に着火し、それらが全く自然に引き出されます。トランペットを手にし、息を吹き込む直前に「一体この後どの様な展開が待ち受け、オレはどんな事を吹くのだろう?それにしてもエキサイティング、楽しいぜ!」と頭を過ぎり、プレイに臨んでいたのではないでしょうか。60年代のプレイは常にワクワク感が彼の演奏を支配していたのです。 60年代後半から70年代以降、Freddieのプレイは凄みを増して行きますが、反面次第に定型化に向かいます。本人はその事への葛藤が必ずやあったと思いますが、不定型の極みであった彼の演奏、言わば天から振り降りてくるジャズ・スピリットをトランペットを媒体としたイタコ状態での表現でした。 一般のオーディエンスには彼の心の不協和音は伝わる事はなく、圧倒的な演奏からスーパートランペッターとして君臨していました。漸次ワクワク感が希薄になり、しかし盛り上がった演奏を提供しなければならない、「こうあらねばならぬ」使命感を持った彼は形を成すためにテクニカルな手法で表現するに至りました。とはいえ他のトランペッターとは比べものにならない程、ポテンシャルとして豊かな表現力が備わっています。どんな時でも聴き応えのある、ウタを感じさせるプレイを繰り広げる事が出来ます。演奏の深さは別として。 赴くままにトランペットを自在に吹きまくった当時20歳そこそこの天才トランペッターの旬は、実はデビューから数年であったかも知れません。 もうひとつ、64年6月Berlinにて医療ミスが原因で36歳の若さで客死した盟友Eric Dolphy、彼についてFreddieがインタビューを受けた記事を読んだことがあります。Dolphyの逝去に対し哀悼の意を述べつつ、しかしはっきりと、あれだけの才能がありながら、彼は貧しさの中で亡くなった。自分は彼のようにはなりたくない。金儲けをしながら音楽活動を続けていきたい、のような趣旨の発言だったと記憶しています。人間誰でも貧困は回避したいものです。経済的安定があってこその生活、トランペット・プレイ、しかしこの事はジャズを演奏する上で不可欠なハングリーさとは真逆な方向の場合もあります。金銭のために音楽を演奏することは至極当たり前な事ですが、もしかしたらFreddieの場合はそちらの方が主体になってしまったのかも知れません。 Freddie Hubbard それでは収録演奏について触れていきましょう。リーダーFreddieの他メンバーは、ジャズでは珍しいユーフォニウムにBernard McKinney、彼はトロンボーン奏者でもあります。テナーサックスに盟友Wayne Shorter、ピアニストはMcCoy Tyner、ベーシストArt Davis、ドラムスにElvin Jones、リズム隊はJohn Coltrane Quartetのメンバー、Davisは準レギュラーとしてColtraneがベーシストを増員し、ダブル・ベース・フォーメーションにする際駆り出されていましたが、レスポンスの早い巧みな伴奏を行うプレーヤーです。McCoyの初リーダー作62年6月録音「Inception」はこのメンバーで演奏されています。 McCoy Tyner / Inception 1曲目FreddieのオリジナルArietis、いや〜カッコ良いナンバーです!イントロの構成からしてアイデアをふんだんに盛り込んでいて、3管のハーモニーが実にサウンドを豊かにしています。ユーフォニウムはトロンボーン的に扱われ、アンサンブルの一番下のパートを担当しているようです。McKinneyとは59年録音Slide Hamptonの初リーダーアルバム、7管編成にしてピアノレスの意欲作「Slide Hampton and His Horn of Plenty」にて共演、ここでのアンサンブル力を買われて抜擢されたのだと思います。本作には61年23歳にして夭逝した天才トランペッターBooker Littleも参加し、熱い演奏を聴かせています。 Slide Hampton and his Horn of Plenty テーマにも同様に工夫がなされ、実に聴きどころ満載の佳曲ですが、アップテンポにも関わらずごく自然な音量の大小から成るダイナミクスが設けられ、Freddieの曲作りに対する美学も感じます。ソロの先発はFreddie、いや、これまた素晴らしいタイム感で、申し分の無い8分音符の長さ、位置の提示、そして音符の推進力に思わず脱帽してしまいます!前述の「J. J. Inc.」とは比べ物にならない成長ぶりです!何をどの様に練習すればこんなタイム感を習得出来るのでしょうか?そしてアドリブソロの構成の巧みさ、ストーリーの語り口、フレージングの終止感、ニュアンスの豊富さ、いずれも素晴らしく、最高得点の5つ星を進呈したいと思います(笑) McCoyの的確なバッキング、Elvinのどっしりとしていてシャープなドラミング、Davisのプレイも申し分なく、リズムセクションは万全の大勢でサポートします。続くソロイストはShorter、Freddieの吹いたフレーズをキャッチして極太でダーク、コクがあって存在感のある音色を携えての登場、フレージングやアイデアにone & onlyを聴かせます。 それまでのFreddieリーダー作のテナー奏者はTina Brooks, Hank Mobley, Jimmy Heathと続きましたが本作で真打登場です!以降両者は親密な関係を築き、音楽的にも絶妙なコンビネーションを聴かせることになります。 続くMcKinneyのソロはユーフォニウムという難しい楽器を巧みに扱い、ジャズ・テイストを織り込んだソロを聴かせます。McCoyはクリアーで端正なタッチと共に比較的オーソドックスではありますがスインギーなソロを奏で、ラストテーマへと続きます。 Freddie Hubbard 2曲目はスタンダードナンバーWeaver of  Dreams、この曲はA Weaver of DreamsやYou Are a Weaver of Dreamsとも表記されるVictor Youngのナンバー、John Coltraneの59年2月録音の名演奏(Cannonball Adderley Quintet in Chicago収録)を忘れることは出来ません。 Cannonball Adderley Quintet in Chicago イントロではテナーとユーフォニウムのアンサンブルから始まり、最後にトランペットが加わりその後テーマが始まります。何と澄み切ったストレートな音色で、メロディを奏でているのでしょう!23歳の若者の表現とは思えません!その後比較的唐突に、倍テンポに持って行くべくターンバックがあり、トランペットソロが始まります。この当時バラード奏はテーマ後に倍テンポでプレイされる事が多かったと思います。流麗にして饒舌、しかし楽器の発音や絶妙なタイム感が作用し、決してtoo muchにはならないショウケースを聴かせて行きます。続くFreddieと同い年のMcCoyのソロもリリカルにして当時最先端のセンスを駆使したプレイを聴かせます。ラストテーマは再びバラードに戻り、フェルマータを経てトランペットのcadenzaが始まりますが、Elvinのスネアドラムの一発が絶妙です!このアクセントは他のドラマーではまず入ることはありません。さすがElvin!その後はFreddieふくよかなトーンを響かせてFineです。 Elvin Jones 3曲目はShorterのナンバーMarie Antoinette、16小節を繰り返した32小節のフォームから成る比較的シンプルなナンバー。とは言え3管編成からなるジャジーで重厚なアンサンブルと、ピアノのフィルインが印象的です。ソロは作曲者自身から、含みを持たせた独特な音色とタンギング、ミステリアスなフレージングは曲のセカンドメロディをその場で吹いているかのように、フレーズを吹くというよりも作曲を行なっている様に聴こえます。それにしても決して流麗ではなく、ゴツゴツとした8分音符によるラインはShorter以外の何者でもない個性を振りまいています。続くトランペットソロは一転して滑らかで流暢な8分音符による淀みないプレイ、フレーズの抑揚やコントロール感は、あり得ないほどのテクニシャンぶりです!ユーフォニウムソロの朴訥感が対照的に聴こえます。McCoyのソロは美しいタッチとFreddie的なリズムのツボを押さえたタイム感で、スインギーにプレイします。その後のDavisはエッジの効いた深い音色で、テイスティなソロを聴かせ、ラストテーマに入ります。この間Elvinの抑制の効いた、しかし様々な表情を見せるシンバル・レガート、スネアのフレーズが隠し味となり、各ソロイストを徹底的にサポートしています。 エンディングはCm7とA♭7を繰り返してフェード・アウトです。 Wayne Shorter 4曲目はFreddieの書いた名曲Birdlike、Charlie Parkerのフレージングやリズミックなフィーリングを用いて書かれたブルース・ナンバー、タイトルもそこに由来します。その後もV.S .O.P.のレパートリーとして、またGeorge Cablesの79年録音作品「Cables’ Vision」でも再演されていますが、盟友であるトランペッターDonald Byrdに捧げて後年タイトルをByrdlikeと変更しました。 イントロもキャッチーで印象的、テーマのメロディはFreddieならではのワクワク感がここでも強力に発せられています。先発ソロはトランペットから、迸るフレーズとアイデアは淀みなく止まるところを知らず、聴き惚れてしまうほど達人ぶりを発揮していて、スピード感があるのに音符の位置は後ろというタイムに只管脱帽です!McCoyのバッキングも的確なサポートぶりを聴かせます。続くShorterのソロ、ニュアンスや語法は彼そのものですがFreddieの演奏に刺激されたのか、いつもより明確にフレーズを吹く、具体性を伴ったアプローチを聴かせます。ソロを終える際にシングルタンギングを用いたフレージングがユニーク過ぎです!ユーフォニウムのソロでは「お猿のかごや」的フレーズが聴かれるのが微笑ましいです。その後はMcCoyの端正でスイング感溢れるソロに続き、ベースのソロではピアノとドラムがバッキングを次第に止め、アカペラでプレイされますが、トリッキーなフレージングによる演奏にも関わらず、「せえの!」と全員見事にラストテーマに突入します。ジャムセッション形式でソロ回しが行われましたが、ここでも徹底したElvinの伴奏が各ソロイストの持ち味をくっきりと浮かび上がらせています。 Cables’ Vision / George Cables 5曲目もFreddieのオリジナルCrisis、2ヶ月後に前述の「Mosaic」で再演されますがElvin, Blakeyという2大ドラマーでの演奏の比較も面白いです。テンポ設定はほぼ同じか「Mosaic」の方がやや早め、タイム的にはElvinの方がたっぷり、どっしり、そしてバックビート感が素晴らしいですが、Blakeyの方は例のナイアガラロール、更に曲のTutti的アンサンブル部分でダイナミクスを極端に付けているので、かなりインパクトがあります。初回テイクのプレイを踏まえて、更にJazz Messengersでの演奏ということで方向性を明確にしたのでしょう。各ソロイストもBlakeyのドラミングに触発され、いずれもコンパクトではありますが派手なプレイに徹しています。Shorterは「草競馬」のメロディを引用、実は初演時既に若干匂わせており、ここでは明確に吹いているのがご愛嬌です(笑)。個人的にはFreddie, Shorter共に落ち着いて内省的なソロを展開し、特にMcCoyのピアノのバッキング全般、そしてソロが曲のカラー、サウンド的に合致している点で初演の方に軍配を挙げたいと思います。「Mosaic」には無いドラムソロもElvinだからでしょう、音楽的な充実感を演奏に添えています。 Bernard McKinney 04年発売The Rudy Van Gelder Edition CDには1曲目Arietisの別テイクが収録されています。本テイクよりも早めのテンポ設定、その分収録時間も短めですが各人のソロもホットなテイストを感じ、特にFreddieのソロはテンポアップした分一層スリリング、Elvinのアプローチにもアグレッシブなものが聴かれます。推測するに、良いテイクを録音出来たのでテンポを早くしてワンモアテイク、のような雰囲気で再チャレンジしたのでしょう。しかしオリジナルテイクの方が他メンバーがリラックスしてスポンテニアスに演奏に臨んでいますし、テンポが曲想に合致している様に聴こえます。本テイク採用の判断基準はこちらでしょう。

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2021.10.17 Sun

Brown Sugar / Freddie Roach

今回はオルガン奏者Freddie Roachの1964年リーダー作「Brown Sugar」を取り上げて見ましょう。テナー奏者Joe Hendersonの参加が異色ですが、彼の冴え渡る演奏が魅力的な、隠れた名盤です。 Recorded: March 18 & 19, 1964 Studio: Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, New Jersey Label: Blue Note(BST 84168) Producer: Alfred Lion org)Freddie Roach   ts)Joe Henderson   g)Eddie Wright   ds)Clarence Johnston 1)Brown Sugar   2)The Right Time   3)Have You Ever Had the Blues   4)The Midnight Sun Will Never Set   5)Next Time You See Me   6)All Night Long ジャケットの黒人女性はClara Lewis Buggs、Grandassa Models(GM)と呼ばれる60年代から70年台にかけてNew YorkのHarlemで開催されたアフリカ系アメリカ人女性の美を競うコンテストに参加した、オリジナル・メンバーの一人です。本作に次ぐ64年10月録音のRoach5作目アルバムで、コーラスをフィーチャーした「All That’s Good」、こちらのジャケットにはRoachとGMの女性たち6名がおさめられています。美女に囲まれてさぞかしご機嫌だった事でしょう(笑)。おそらくRoachは彼女たちのファッションショーでの演奏や、付随する音楽団体The African Jazz-Art Society & Studioのコンサートに出演したのがきっかけで、GMとのコネクションが出来たのだと思います。 タイトルのBrown Sugarとは黒砂糖などの白色でない砂糖の総称、また別の意味、スラングとして黒人女性や阿片を指します。 実は際どい意味のタイトルを冠した本作のリーダーFreddie Roachは、生涯8作のリーダーアルバムをリリースし、うちBlue Note Label(BN)から5枚を発表しており本作は4作目に該当します。 一連の作品はコンセプトを感じさせる選曲やアレンジの妙、構成の面白さからエンターテインメント性ある作品に仕上がっています。 基本的なバンド構成としてオルガン、テナーサックス、ギター、ドラムの4人編成、作品によってはトランペットやコーラスが加わる事もありました。こちらはその4人編成、オルガン奏者がリーダーでリズム&ブルースが基本にあり、かつジャズのテイストも表現する場合に最も相応しいフォーメーションです。 BNの5作では全てClarence Johnstonがドラマー、タイトで実に小気味好いグルーヴを聴かせています。ギタリストにはKenny Burrellが演奏する事もありましたが、本作ではEddie Wrightが参加、テナー奏者はHank Mobleyのクレジットも見られますが、同じオルガン奏者Jimmy Smithとも共演しているPercy France、Roachと何作か共にしているConrad Lester、彼らのテナープレイには強力な個性がある訳ではないのですが、さりげなくブルージーなプレイを聴かせる事を信条とした、何方かと言えば地味で裏方的な、言わばサイドマン・タイプのサックス奏者です。それだけに本作だけが突出したかのように、超個性派Joe Henderson参加が意外性を有し、どこまで彼のオリジナリティ豊かなスタイルが発揮されるのかに興味が集中します。 まさかオルガンサウンドにテナーが埋没することはないでしょうし、バランス感を大切にする彼ですから独壇場もあり得ないでしょう、リーダーのオルガンを立てつつ、Joe Henカラーがどの程度、どのように披露されるかイメージが膨らみます。 Joe Henderson BNにはJimmy Smithを筆頭に多くのオルガン奏者が名を連ねています。Jimmy McGriff, Reuben Wilson, Baby Face Willette, Richard Groove Holmes, Ronnie FosterそしてLarry Young。彼らの作品が数多くリリースされ、同傾向のアーシーなプレイを聴くことが出来ます。唯一”オルガンのColtrane”と呼ばれたYoungはモーダルでアグレッシブな演奏、Youngの作品にもJoe Henが参加し、名演奏を繰り広げています。65年11月録音「Unity」、盟友Woody ShawにJoe Henと相性抜群のElvin Jones、申し分のない共演者を得て縦横無尽にブロウしています。 Larry Young / Unity その後のYoungは69年にThe Tony Williams Lifetimeで「Emergency!」、Miles Davis「Bitches Brew」といった歴史的作品に参加します。 Larry Young Youngの活動の更なる発展形がLarry Goldingsのオルガンをフィーチャーし、Jack DeJohnette, John Scofieldたち名手が脇を固めたバンド、Trio Beyondの04年録音「Saudades」、Tony Williams Lifetimeに捧げたプロジェクトの素晴らしいライブレコーディングです。 Smithにはオルガンの第一人者としての風格あるプレイが、Youngの演奏には従来のオルガン奏者らしからぬ個性を湛えたサウンド、ハーモニー感がありますが、Roachも含めた他のオルガニストたちに突出した個性を見い出すことは難しいです。それでも多くの奏者が存在し、アルバムがリリースされ続けたのは、米国ではオルガン〜Hammond B3という楽器が大変ポピュラーな存在だからです。そもそもが教会では高価だったパイプオルガンの代替として登場し、日曜礼拝やミサで日常的にその音を耳にしていた事の効能でしょう。教会音楽〜ゴスペル〜R&Bに根ざしたブルージーな演奏スタイルを多くの聴衆が受け入れ、愛聴していたのも当然の流れです。米国だけではなく英国に於いてもロック〜プログレッシブ・ロックのジャンルでオルガンは人気を博し、シンセサイザーが台頭するまでその存在感は不動のものでした。 Jimmy Smith オルガンジャズ演奏は様式美で成り立っています。4o年代から50年にかけてのビバップからハードバップも同様に様式美に根ざしていますが、特にビバップではごく狭い範疇に属する、エリア内でのしきたりを踏まえない限りビバップにはなり得ません。しかし同時にそこから抜け出そうとする動きも必要になるのですが、ハードバップに関してその様式美はややルーズで許される傾向にあると思います。 オルガンジャズに関してはどうでしょうか。感じるのはビバップよりもっと狭いエリア内での様式美であり、というか楽器編成がビバップ〜ハードバップよりも制限(されているのかどうか、実際のところ分かりませんが)されているので自ずと定まった様式になります。そこに起因するのかも知れませんが、様式の中から抜け出そうとするジャズ的なムーブメントは必要なく、ひたすら保守的に、オルガンが奏でる重厚で支配的なサウンドの伴奏を務める事で音楽が成立しています。 そういったしきたり内で演奏することがオルガンジャズの流儀と察知していたのか、本作でのJoe Henのプレイはとことんオルガンの繰り出すサウンドのサポートに徹しています。いつもの彼の演奏と照らし合わせてみると、かなりアプローチを変えてブルージーさ、ファンキーさのテイストを表出していますし、テナーの音色さえも異なった色彩を感じさせています。 しかもそれらは無理なく、至極自然に発せられ、寧ろ楽しげな雰囲気さえ漂わせています。Joe Henのプレイからはホンカーを感じたことはあまりなかったのですが、ここではかなりの度合いで発色されています。 Joe Henderson(and Eric Dolphy) そもそも含みを持ち、極太にしてハスキーな成分がトーンをデコレーションし、益荒男ぶりが半端ない音質にホンカーの要素が内包されていましたが、彼独自のフレージング、ソロのアプローチがホンカー色を隠蔽していたように思います。本作でのオーソドックスなプレイにより、Joe Henのホンカー体質が露出したと言えましょう。 他にもここでの普段は聴かれないニュアンスや、至る所で聴かれるフレージングの捻り、そして何よりバラード演奏での「Joe、今までその吹き方を隠していたでしょう!」とまで感じさせる(笑)、かつて聴いたことのない奏法に、鳥肌が立つほどの感動を覚えるのですが、同時に彼の表現の幅広さに唖然としてしまいます! 71年に短期間ではありますが、かのBlood, Sweat and Tearsに参加していたことがあり、いくらホーンセクションを有したバンドとはいえ、ロックバンドにJoe Henの参加を俄には信じられませんでしたが、翻って考えてみると、自身を様々に変容させて柔軟に音楽に対応させていく姿勢の持ち主であることを感じ、本作でそのカメレオン・スタイルの本質をはっきりと捉えることが出来たのです。 Blood, Sweat and Tears それでは収録曲に触れて行くことにしましょう。1曲目は表題曲RoachのオリジナルBrown Sugar、ストップタイムを効果的に用いた変形のブルースナンバー。リズムとしてはツイスト、ダンスのためのナンバーです。RoachのフットワークによるベースとJohnstonのドラミングのコンビネーションの素晴らしさに、まず耳が奪われます。トップシンバルがon topに位置しスピード感をもたらしており、オルガンプレイもタイトで軽快なので、とてもスインギーです。ギターのカッティングが隠し味的にプレイされており、グルーヴのタイトさに貢献しています。 そこにJoe Henのテナーメロディが加わるのですが、何かいつもと異なります。よくよく聴けばチューニングがかなり低めに設定されています。彼は通常高からず、低からずの丁度良いところのピッチで演奏しているのですが、たまたまなのか、低めにチューニングする事によりブルージーさを出そうと狙ったのか分かりませんが、僕にはかなり低めに聴こえます。 演奏は吹き過ぎず、抑え過ぎず実に曲想に合致したコンセプトでプレイしています。Joe Hen節と言える譜割りのトリッキーさを表現したアプローチは影を潜め、8分音符をかなりハネ気味に吹き、ジャンプナンバーの如くブロウする様に、チューニングの低さも合わさり「Joe Henの影響を受けた未知のテナー奏者か?」とまで思ってしまいます(笑)。途中に聴かれるオルタネート・フィンガリングを用いたフレーズ、これはホンカーのお家芸です! 続くRoachのプレイも素晴らしいタイム感で説得力を感じさせます。Joe Henのバックリフも効果的、もっと聴きたいところでラストテーマが登場、途中いきなりのブレークがありRoachが”Now where you think you’re going girl”と呟きます。実際にダンスをしている人たちを思い描き作曲したこの曲、彼自身の設定としては最初の12小節でツイストを踊り、次の12小節でバップに変わり、8小節で折り返し、そしてツイストに戻ります。盛り上がっているはずなのに人々の様子があまりに平静で、女の子たちが席に戻るのも見えたので”One more time”と言う代わりにこの言葉を述べたそうです。 Freddie Roach 2曲目The Right TimeはRay Charlesバンドのブルースナンバー、オリジナルよりも遅めにテンポが設定され、Rayの歌の部分をオルガンが、女性コーラスをJoe Henのテナーが担当します。 オリジナルの途中女性の声でシャウトされる部分はオルガンの分厚いハーモニーと、テナーのどこかユーモラスなフィルインによって表現されています。続くテナーソロは間を活かしつつ、比較的Joe Hen度の高いテイストでプレイされます。再びシャウト・コーラスを経て、オルガンソロもひょうきんさを忘れないセンスで演奏されラストテーマへ、テナーのピアニシモでのバックリフとその後のシャウトでの音量の違い、ダイナミクスが印象的なテイクです。 Joe Henderson 3曲目Have You Ever Had the BluesはLloyd Price楽団のナンバー、Priceの歌をテナーとギターがハーモニーで奏で、オルガンがビッグバンドのアンサンブル部分を演奏します。ほぼ原曲に忠実に再現されますが、4人編成とは思えない分厚く緻密なプレイを聴かせ、オルガンソロもイケイケ、テナーも随所にバックリフを吹き、豪華さを演じています。ソロはオルガン、テナーと続きますが、Joe Henは本作中最も彼らしさを表現しています。しかもホンカーテイストもふんだんに交えながら!同じフレーズの繰り返し、反復がホンカーの特徴の一つですが、見事にホンカーとJoe Hen節が両立した演奏に仕上がっています。バックのサポートともよく絡み合っており、そのバランス感に敬服してしまいます! 4曲目The Midnight Sun Will Never SetはQuincy Jonesのペンによるナンバー、この演奏収録が本作の価値を圧倒的に高めました。逆にこのテイクが存在しなければ、ごく普通のオルガン・アルバムとして多くの中に埋没していたかも知れません! まず曲自体が素晴らしいです。Quincyが北欧の白夜を目の当たりにし、その印象で書き上げた名曲、曲想とメロディライン、タイトルが三位一体で合致しています! Roach自身はSarah Vaughanの歌を聴き、あまりの美しさに打たれてレパートリーに加えたそうです。そのテイクは58年7月録音、Quincyがアレンジ、指揮も担当したアルバム「Vaughan and Violins」に収録されています。 Sarah Vaughan / Vaughan and Violins   Count Basie楽団の名リードアルト奏者、Marshall Royalの名演奏も大変印象的、59年作品「Basie One More Time」に収録されています。蕩けるようにスイートなプレイはDuke Ellington楽団の同じくリードアルト奏者Johnny Hodgesと並び称されました。こちらでもQuincyがアレンジャーを務めています。 Count Basie / Basie One More Time Vaughanの歌唱、Royalのアルトプレイも素晴らしいのですが、本作の演奏も全く引けを取りません。それどころか実はこちらの方が真打ちかも知れないと思っています。Joe Henの繰り出す崇高な美学がオルガン演奏とケミカルに反応し合い、この曲にまた違った生命を吹き込みました。 イントロはギターとテナーの織りなすユニゾンと対旋律から始まります。この時点でJoe Henの吹き方、音色がいつもと違う事に驚かされます。まずおそらく限界まで、これ以上小さく吹いたら音にはならない、という超ピアニッシモで低音域を吹いています。表記としてのピアニッシモはppですが、ここでのJoe Henはppppほどのピアニッシモ振りを聴かせます(笑) 「ジュワー」「シュー」「スー」という息の音から音になりかける臨界点での発音、こんな吹き方のJoe Henを聴いたことがありません!しかしこの吹き方でオルガンの音とのブレンド感が何倍にも増幅したと感じます。 ドラムが2, 4拍目に比較的強くアクセントを入れています。このアプローチは純然たるジャズドラマーではまず行われない奏法ですが、この演奏ではオルガンジャズゆえでしょう、too muchには感じません。ギターのバッキングにもカッティングに近いアプローチが聴かれますが、同じようにバラードにも関わらず音の多さが気になりません。 アウフタクトから始まるテーマはまずオルガンが担当、対旋律をテナーが吹きつつ、次のメロディのセンテンスではテナーがリードしギター、オルガンがハーモニーに回ります。ビブラートを極力排したメロディ奏はMarshall, Sarahとは真逆のプレイです!この部分をリピートし、繰り返し時にはJoe Henのニュアンスが微妙に変化しますが、ここに男の色気を感じます! サビの8小節はテナーがメロディを担当、同様にストイックなまでに抑揚を排除したストレートな吹き方は、素晴らしい音色を持つサックス奏者だけに許されるもの、トーンのクオリティが勝負です! サビ後の主題部分ではまた同様に演奏され、オルガンのソロが始まります。ピアノと違い音を幾らでも伸ばせるのはバラード奏時の特権です。 その後サビからのテナーソロは、特殊奏法を然りげ無くメロディに用いた出だしから開始、しかし幾らでも多種多様なアプローチを取ることの出来るJoe Henですが、ここではまるでその素晴らしい音色を聴かせるために、そしてオルガンジャズにコンセプトを合わせて、敢えて長い音符を中心に演奏しているかのようです。音量もppをずっとキープし、エアリーなサウンドを徹底的に聴かせます。サビではオルガンがメロディを演奏し、続く主題部分は冒頭と同様に演奏されます。 演奏は何度聴いても次から次へとまた別な音が聴こえてくる、永遠に枯れない泉のごときニュアンスの宝庫たるプレイ、全てがナチュラルな所以に違いありません。 Quincy Jones 5曲目Next Time You See MeはR&Bナンバー、56年にJunior Parkerが録音したものがヒットしました。ここではそのバージョンを踏襲し、ボーカルパートをテナーとオルガンが演奏、ブルースフォームをシャッフルのリズムで演奏しています。Roachは彼が出演していた色々なジャズクラブのジュークボックスからこの曲を拾い上げたと言っています。全員とても楽しげに演奏しているのが伝わって来るリラックスしたプレイ、ドラムやオルガンのフィルイン、ギターのカッティングの確実なハマり具合、Joe Henの吹かなさ加減(笑)、レイドバック感、どれも絶品です! Joe Henderson 6曲目All Night LongはCurtis Lewis作曲、Ray CharlesやAretha Franklinの名唱があり、メロディだけにとどまらず、歌詞の内容自体も素晴らしいとRoachが述べています。 本作2曲目のスローナンバー、分厚いオルガンの和音とギターのメロディによるイントロから始まります。RayやArethaは情感たっぷりに、比較的声を張って歌唱していましたがJoe Henはムーディに、サブトーンを中心にピアニッシモで演奏しています。マイナーの曲調に合わせブルージーに、ベンドやグリッサンド、またビブラートを多用しており、先程のThe Midnight Sun Will Never Setとは全く別な側面を存分に披露しています。 極めて渋いテナープレイの後ろでは、ドラマチックにオルガンがサウンドを鳴らし、メロディに合わせたストップタイムも効果的に行われます。しかしこれだけ「シュウシュウ」「シュワー」と情感たっぷりにR&Bナンバーを演奏し、大変な説得力を聴かせるとは、Joe Henの懐の深さを痛感しますが、しかしこの時26歳!早熟にして、人生の酸いも甘いもを知り尽くしているかのようです。  

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2021.10.03 Sun

Mode for Joe / Joe Henderson

今回はJoe Hendersonの66年1月録音リーダー作「Mode for Joe」を取り上げてみたいと思います。 Recorded: January 27, 1966   Studio: Van Gelder Studio, Englewood Cliffs   Label: Blue Note(BST 84227)   Producer: Alfred Lion ts)Joe Henderson   tp)Lee Morgan   tb)Curtis Fuller   vibes)Bobby Hutcherson   p)Cedar Walton   b)Ron Carter   ds)Joe Chambers 1)A Shade of Jade   2)Mode for Joe   3)Black   4)Caribbean Fire Dance   5)Granted   6)Free Wheelin’ 63年Blue Note Label(BN)にて「Page One」でセンセーショナルにデビューを飾ったJoe Henderson、本作は同レーベル5作目に該当します。作品中編成が最も大きいトランペット、テナーサックス、トロンボーン、ビブラフォンのフロント4人にリズムセクションが加わった7ピースになります。フロントの厚みのあるアンサンブルの豪華さ、メンバー書き下ろしの素晴らしいオリジナル、スリリングなソロの応酬、なかんずくJoe Henのインプロビゼーションのハイクオリティさが光り、諸作の中でもキャッチーさが抜きん出ています。 しかし本作を最後にBNを離れ、66年に設立されたOrrin Keepnewsが主催するMilestone Labelに移籍します。そこで更なる意欲作を発表し続ける事になるのですが、本作はBN在籍3年にしてレーベルお抱えの代表的ミュージシャンを擁した総括的作品と言えるでしょう。 リーダー作のほか、BNにはサイドマンとして短期間で25作以上に参加し、しかもその多くがレーベル代表作でした。Joe Henのエグく、かつジャジーな演奏があってこそ成り立つこれらの作品群により、自身はBNの顔として君臨していました。Joe Henロスに創設者Alfred Lion, Francis Wolffの二人はさぞかし肩を落とした事と思います。とは言えその後もBNのレコーディングには参加し、67年McCoy Tyner「The Real McCoy」、69年Herbie Hancock「The Prisoner」等での名演奏で引き続き存在感を示しました。 Alfred Lion and Joe Henderson 本作内容に触れる前にBNリリースのリーダー4作について、その足跡をざっと辿ってみましょう。記念すべき第1作目「Page One」、テナーケースを置き、取っ手を指で軽く持ちながら壁にもたれ掛かり、上着のラフさを気にせずポーズを取る印象的なジャケットには初々しさを感じます。63年7月3日録音Kenny Dorham, McCoy Tyner, Butch Warren, Pete La Roca、Joe Henが尊敬するDorhamとのコラボレーション第一弾でもあります。名曲Blue Bossa, La MeshaのDorhamオリジナル2曲を取り上げ、自身のオリジナルで以降も取り上げる機会の多かったRecoda Meほか、Homestretch, Jinrikisha等の佳曲を披露しています。 演奏は良く言えば比較的穏やかに、端的にはいつものJoe Henのキレをさほど感じさせません。何かに拘っていたのか、共演者のプレイに気になる事があったのか、後年顕著に現れる、如何なることがあろうとも「委細構わず」邁進する明快なアプローチは影を潜めています。初リーダー作ということで緊張感が支配したのかも知れません。とは言えJoe Henの演奏は明確に自己のスタイルを聴かせ、オリジナル曲を中心に、気鋭のミュージシャンとクリエイティヴな演奏を展開するという定型を、既に披露しています。 「Page One」 第2作目「Our Thing」、初リーダー作から僅か2ヶ月、同年9月再びスタジオ入りしました。メンバーはDorham, La Rocaが残留しベーシストにEddie Kahn、ピアニストにはその後Joe Henとの共演が頻繁になる鬼才Andrew Hill、彼が参加の場合の多くはオリジナル曲演奏を伴いますが、本作では演奏者としてだけになります。ここではDorhamが3曲、Joe Henが2曲持ち寄りました。 曲自体は凝った内容なのですが、メロディラインやリズムに今ひとつ華がなく、収録曲全てに同様な印象を受けるので、BNリーダー作の中で最も地味な感触を持ちます。1, 2曲Hillのアブストラクトなオリジナルを収録すれば、カラフルな作品に仕上がったように感じます。 BNにはレコーディングを行なったもののオクラ入りし、後年リリースされたケースの作品がかなりの数あります。中には30年以上経過してから発掘され、やっと日の目を見たアルバムも存在しますが、作品の出来栄えに何らかの不満を抱いたプロデューサーの判断によるものでしょうか。もしかしたら本作も危うくオクラ入りするところだったかも知れません。 「Our Thing」 第3作目はReid Milesの秀逸なジャケットデザインが輝く「In ‘n Out」。 BNはシンプルにしてアピール度が高いジャケット・デザインの宝庫ですが、本作はその最たるものです。Milesは56年から67年まで10年以上BN最盛期のジャケットデザインを手がけ、そのアルバム数は400枚を超えます。54年にAlfred Lionのもとにデザインを持ち込んだ事から始まるそうで、自身の売り込みがあった訳ですね。そのセンスから彼はジャズ好きと思われがちですが、意外にも殆ど興味を示さず、クラシック音楽を好んで聴いていたそうです。 BNのレコードはRudy Van Gelderの録音、Alfred Lionのプロデュース、統率力、Francis Wolffの撮影するミュージシャンの写真、そしてReid Milesのアルバムデザイン、この4者が土台となり、その上に絶妙なバランス感で名演奏の数々が構築されたのです。 Reid Miles   64年4月10日録音、Dorhamだけが残りリズムセクションは一新されます。McCoy Tyner, Richard Davis, Elvin Jonesの重量級トリオを迎えて、人選に違わぬ素晴らしい演奏を繰り広げています。そしてJoe Hen書き下ろしのオリジナル3曲のいずれも素晴らしい事と言ったら!表題曲In ‘n Outは独創的なイントロ、バンプが挿入されるブルースナンバー、斬新なメロディラインと崇高な雰囲気、スピード感が同居しますが、Joe Henの書くブルースのテーマは本当にどれも素晴らしい!! 残念なのはDorhamがテーマを吹き切れていない点です。この事で折角のハイパーなメロディラインの印象が半減してしまいました。彼の書く曲とDorhamのテクニック、表現力にかなりの開きが生じ始めたのでしょう。 Elvin jones Elvinの強力なシンバル・レガートとポリリズムが鳴り響くドラミング、McCoyの4度のインターバルを強調したフローティングなバッキングの連続、Davisの重厚でElvinとのコンビネーションも抜群なベースワーク、このトリオを従えたJoe Henのプレイはまさに水を得た魚状態、続くMcCoyのソロもこれまた炸裂しています!物凄いです!ひとえにJohn Coltrane Quartetでのコンビネーションの成せる技でしょう!続くDorhamのソロは悲しいかな、このメンバーの中では埋没せざるを得ないクオリティです。 続くPunjabの曲構成も秀逸です。イントロのトリッキーさには目を見張るものがあり、リズムセクションとのメロディ輪唱も行われています。曲自体はナチュラルさを湛え、ストレートに耳に入ってくるのですが、様々な事象を緻密に組み合わせたブレンド感が絶妙、まさしくJoe Henのアドリブそのもの、美しく、イマジネイティブでしかも毅然とした音楽です。彼の作曲能力の充実ぶりはそれは見事なもの、格段の進歩を感じさせます!自身のソロも曲想を踏まえつつ、しかし遥かその向こうの次元にまで飛翔するほどの、スケールの大きさを感じさせるものです。”ブッ飛んでいる”と表現するのが相応しいでしょう!リズム隊とのコンビネーションも申し分なしです。 そしてSerenityは50年代の古き良きジャズのテイストと、時代を反映した斬新さのバランス感にしてやられます!ミュージシャンの間でも流行ったJoe Henチューンの一曲です。 「In ‘N Out」 余談になりますが「Page One」でも同様に、ジャケットに記載されるべきMcCoy Tynerのクレジットがこちらでもetc.と扱われているのは、当時所属していたImpulse!レーベルとの契約上の措置なのでしょう、63, 4年発売のMcCoy参加アルバムでの特徴です。64年リリースWayne Shorterの「Night Dreamer」でもEtc扱いが見られます。 「 Night Dreamer」 第4作目は半年後64年11月27日録音の「Inner Urge」、いよいよJoe Henのワン・ホーン・カルテット作品登場です!リズム隊は要のMcCoy, Elvinが留任、ベーシストがBob Cranshawに替わります。表題曲の斬新さ、強烈なインパクト、難解ではあるけれど何処かポップさ(笑)を湛えた曲想、オリジナル・ライティングには更なる進化を明確にします。一体どのような音楽を聴いて、研究してこのような作風に至ったのかに、実に興味を惹かれるところです。 「Inner Urge」 間違いなくElvin, McCoyの伴奏があってこそのナンバー、Joe Henのソロも楽曲同様に新たな境地を聴かせ、より一層の高みに登るべく進化を遂げています。短期間に急速に成長し、留まるところを知らぬが如しです。 McCoyのソロはElvinの繰り出すビート、ポリリズムと共に、Coltraneのカルテットでのプレイ以上の炸裂ぶりを聴かせています。左手低音部と右手アドリブラインのクロスするピアノ奏に、手に汗握るスリルを感じます。Elvinはリズムの森羅万象を繰り出すかのような物凄いソロを展開、その後の再登場のテナーソロには、ラストテーマに流れ込む必然を見事に作り上げました。 McCoy Tyner Isotopeもブルースですが、このテーマの持つイメージは一体どこから来るのでしょう?曲想はThelonious Monk的と言えなくもありませんが、僅か12小節の中に伝統とファンキーさと革新性が渾然一体となった音楽、凄過ぎる楽曲です!タイトルには放射性同位元素の意味がありますが、他に「実によく似ているいる人、うり二つの人」という意味もあり、Joe Henがいみじくも評論家Nat Hentoffに語ったところによると、確かにMonkにトリビュートしたナンバーで、彼の音楽的ユーモアを用いて作曲したそうです。という事で「Monkとうり二つ」という意味合いなのでしょう。 El Barrioは幼少時に過ごしたOhio州Limaでの、Spanishムードを表現したナンバーです。彼には後年ラテン・テイストが開花しますが、その発端でもあります。 Duke Pearson作のバラードYou Know I Careのドライな美しさ、Cole PorterのナンバーNight and Day選曲の意外性等、バラエティに富んだアルバムに仕上がりました。 因みに半年前、同年5月に録音された作品「Stan Getz & Bill Evans」のドラマーもElvinが起用されています。ここでもNight and Dayを演奏していますが、共演者によるドラムのアプローチの違い、異なるスタイルのテナー奏者の演奏を比較してみるのも面白いです。 「Stan Getz & Bill Evans」   以上BNリーダー諸作を足早に紹介しました。もう1作、後年91年3月録音のアルバムになりますが、Rufus Reid, Al Fosterを擁したテナートリオ作品「The Standard Joe」は後期の総決算的演奏、そしてオリジナル、スタンダードナンバーの選曲が眩いばかりに光る傑作です。Blue Bossa, Inner Urge, In ‘n Out, Round Midnight, Body and Soul, Take the A Train、笑いが止まらないほどに(笑)抜群のコンビネーション発揮の3人による名演奏の数々。是非こちらもお聴きください!! 「The Standard Joe」 それでは「Mode for Joe」について触れて行きましょう。 前作から1年強を経た66年1月27日録音、Joe Henは新たな素晴らしいオリジナルを引っ提げ、強力な布陣を引き連れ、参加メンバーの楽曲も本作に相応しい楽曲をオファーし、周到な準備を行いレコーディングに臨みました。レーベル参加ファイナルというモニュメンタルな意味合いもあったと思います。 1曲目A Shade of Jade、Joe Hen更なる深淵なコンポジショニングの境地を聴かせてくれます。何と意欲的なナンバーなのでしょう!変拍子的テイストを感じさせるメロディラインのユニークさ、3管編成のハーモニー・ライティングの絶妙さ、加えてサウンドのカラフル感に貢献しつつ、管楽器のアンサンブルにも参加するビブラフォンの効果的な用い方、コード進行や曲のフォームも魅力に溢れています。 何よりリズムセクション3者が繰り出すビート、スピード感、スイング感の一体感が曲自体に猛烈に推進力を与えています。Elvin, McCoyのチームも本当に素晴らしいですが、管楽器が多く、アレンジされたアンサンブルが音楽のかなりの部分を占めるので、タイトで合奏のカラーリングに長けたCedar Walton, Ron Carter, Joe Chambersのトリオは全く適任であります! 先発ソロはJoe Hen、そのクリエイティブさに聴いている方は悶絶寸前です!何と独創的な演奏でしょうか!リニューアルされたJoe Henフレーズのオンパレード、そして楽器をコントロールするテクニックにも一層の安定感が!早い話、サキソフォンの更なる上達ぶりが顕著で、加えてタイム感、ストーリーの語り口が何倍にもバージョンアップされました! 続くMorganのソロもスピード感が際立つ、ブライトなテイストでのスムースなプレイです。その後のWaltonのピアノソロは実に端正で、さまざまな色合いを脱力を伴って提供してくれます。そのバックでのon topなCarterのベース・サポートがクールでカッコよく、こちらも堪りません! ホーンのアンサンブルではCurtis Fullerのパンチあるトロンボーンが低音部を確実に支え、迫力を聴かせます。 Joe Henderson 2曲目Waltonのナンバーにして表題曲Mode for Joe、いや〜カッコいいオリジナルです!Waltonの抱くJoe Henのイメージの具体化でしょうか。テーマは3管編成+ビブラフォンもハーモニーに加わった4ボイス、分厚いゴージャスなアンサンブルを聴かせます。シンコペーションを多用し、音の強弱もふんだんに付けられたダイナミクスも魅力で、壮大なイメージを感じさせます。 先発のテナーソロはいきなりの、当時としては特殊奏法であるオーバートーンを駆使したアバンギャルドなフレージング、音のインパクトが物凄いです!後年Michael Breckerがこの奏法を洗練させて拡大し、大幅に取り入れていました。実はMichaelは若い頃にJoe Henに何度かレッスンを受けたことがあるそうで、多大に影響を受けていると思います。 その後のソロの展開では絶好調ぶりを徹底的に発揮し、もう誰も彼のスイング魂を止めることは出来ない次元にまで到達しています! フリーフォームにまで手が届きそうな所のギリギリで留まり、伝統的なジャズの範疇に居ながらもそこから抜け出そう、飛び出そうとするモーションを常に感じさせるアドリブスタイルには、真のジャズマンを感じます。 続くビブラフォンのソロはJoe Henの盛り上がりを特に意に介する事なく(汗)、いつものように淡々と打鍵して行きます。バックで聴かれるホーン・アンサンブルがサウンドの豊かさを聴かせます。 Fullerのソロは実にテイスティな、まるで会話をしているかのような、ヒューマンな味わいを感じさせますが、人柄も大変ハッピーだったと聴いています。ソロ中に一瞬トランペットがバックリフを吹き始めましたが、他が追従しなかったようです。この部分をエディットしないところに60年代の大らかさを感じます(笑)。 続くベースソロでは、その分かなり早い時点でバックリフが演奏されます。そのままラストテーマへ、ビブラフォンはテーマとユニゾンに回ったり、ハーモニーに加わったりと、忙しくアンサンブルに参加します。 Cedar Walton 3曲目もWaltonのナンバーBlack、重厚で激しいアンサンブル、ドラムのロールを聴かせるイントロは続く楽曲の大変良きプレビューになりました。ベースとピアノのユニゾンによるパターンが提示され本編がスタートします。こちらも素晴らしい楽曲、このテーマでは特にホーンとビブラフォンのアンサンブルが光り、それに対するテナーのメロディ独奏が実にバランス良く映える構成となっています。オクターブ上がったアンサンブルには大変な迫力を感じます。 Joe Henの先発ソロはアップテンポにも関わらずゆったりとしたリズムのノリを聴かせます。彼はプレイはスピード感があり、スインギー、オリジナルなフレージングの妙も聴きどころではありますが、フレーズの始まる、終わる箇所にこそ実は大変な工夫がなされています。聴き取ることはなかなか難しいのですが、4小節、8小節の単位を跨いで繰り出すラインの開始、終始の位置の絶妙さは、他のプレーヤーとは異なる音楽性を提示しています。しかもごく然りげ無く!これはCharlie ParkerやLester Youngのコンセプトを洗練させたアイデアから来ていると理解しています。 JoeHenのプレイには何か得体の知れないオーラ、雰囲気、表現を聴き手は感じ取ると思いますが、ここにこそ彼の主張が込められていると信じています。 Joe Henderson 朝日の如く爽やかにのメロディを引用しつつ、唯我独尊状態でソロが展開されます。シンコペーションを多用したフレージングはそのタイム感の見事さに鳥肌が立つほどです!リズム隊との合致度も信じられないレベルで遂行されています。 Morganのソロも流麗に行われますが、この人は大変良く楽器を鳴らしているのでしょう、マイクに乗る音が他のトランペット奏者とは異なります。ここでのプレイはいつもの彼のテイストが基本ですが、Joe Henのソロに影響を受けたのでしょう、異なったアプローチを聴かせます。 作曲者Waltonのソロに続きますが、ここでも安定したプレイを聴かせます。例えばAndrew Hillのような革新的なプレイヤーとは真逆を行く、インサイドの中でいかにクリエイティブにプレイするかを信条としています。 ラストテーマの前にJoe Henがソロを締め括るべく1コーラスプレイします。ラストテーマの繰り返しの後は再びイントロに戻り、熱いアンサンブルを聴かせています。Morganのリードトランペット・プレイは確実で的を得ていると思います。 Lee Morgan   4曲目Caribbean Fire DanceもJoe Henコンポジションの新機軸、エキゾチックな中に彼らしいリズムの捻りが入る名曲、しかしこんな曲は聴いたことがありません!物凄い曲想ですが、そもそもが曲のトーナリティがはっきりしない、フローティングでミステリアスな構造のナンバー、Joe Henにとっては重要なレパートリーの1曲となりました。70年9月ライブレコーディング「Joe Henderson Quintet at the Lighthouse」にてWoody Shawとの2管編成で、ぐっとテンポを早めメチャクチャ熱い、彼ら二人のベストとも言える名演奏を繰り広げています。 「Joe Henderson Quintet at the Lighthouse」 リズム隊はカリプソ風のリズムを繰り出し、比較的淡々と演奏します。Joe Henのソロは出だしからトリッキーに攻めています。Morganも同様に動物の咆哮の如き割れた音色でインパクトを示しています。これはカリブ海沿岸に生息する猛獣のイメージでしょうか?Fullerも影響を受け、いつになくアグレッシブなブロウを聴かせるので、リズムセクションのクールさと溝を感じてしまいます。Hutchersonのテンションはピアノトリオと合致しているかも知れません。セカンドリフが演奏され、合間に短いドラムソロが演奏されラストテーマへ。 Joe Henderson 5曲目Grantedは本作中最もハードバップ色の強いJoe Henのナンバー、New YorkのWABC-FMのスタッフだったAlan Grantに捧げられました。NYに来たばかりのJoe HenとDorhamをAlfred Lionに紹介したばかりか、彼がNYで企画していたコンサートにJoe Henをリーダーとして出演させるなど、ニューカマーに便宜をはかりました。親切にしてくれた恩人に敬意を表したこのナンバーは、フォームとしては倍の長さのマイナーブルース、ソロはMorgan, Fuller, Joe Henと続きますが、Joe Henのアプローチの凄まじさ、イメージには並外れたものを感じ、圧倒的な演奏の構成力に思わず唸ってしまいます!その後Hutchersonに続き、セカンドリフが演奏された後Waltonのピアノ奏、短いCarterのソロにまた別なアンサンブルが絡み、ラストテーマへ。 Curtis Fuller 6曲目アルバム最後を飾るのはMorganのナンバーFree Wheelin’、印象的な6拍子のベース・パターンから始まるこちらも変形のブルース・ナンバー、軽快なテンポ設定によるセッション形式でソロが続きます。Joe Hen, Morgan, Fuller, Hutchersonとフロントの4人が伸び伸びと、屈託なくプレイしているのが伝わります。 Lee Morgan          

2021.09

jazz/music 

2021.09.19 Sun

The Kicker / Bobby Hutcherson

今回はBobby Hutchersonの63年録音リーダー作「The Kicker」を取り上げてみましょう。 Recorded: December 29, 1963   Studio: Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, NJ   Label: Blue Note   Producer: Alfred Lion vibe)Bobby Hucherson   ts)Joe Henderson   g)Grant Green(#4-6)   p)Duke Pearson   b)Bob Cranshaw   ds)Al Harewood 1)If Ever I Would Leave You   2)Mirrors   3)For Duke P.   4)The Kicker   5)Step Lightly   6)Bedouin Bobby Hutchersonがリーダーですが全面にフィーチャーされたJoe Henderson, Duke Pearson、後半3曲に登場するGrant Greenたちの存在感も大きく、リーダーを特に決めないメンバー全員が対等なレギュラーコンボの様相を呈しています。 本作の約1ヶ月前に全く同じメンバーでBlue Note(BN)に録音されたGrant Greenのリーダー作「Idle Moments」と双子のような関係にあり、こちらも素晴らしい内容のアルバムです。演奏もさることながら選曲が良いですね。Pearson作の表題曲やGreenのオリジナル、John Lewis不朽の名曲Django等、これら哀愁を帯びたナンバーをメンバーは楽曲に吸い寄せられように、何の迷いもなくスインギーにプレイ、とりわけ絶好調のJoe Henが思う存分ブロウします。 レコーディングから1年強を経た65年2月にリリースされましたが、こちら「The Kicker」の方は何と36年間もオクラ入りし、99年にやっと発売され日の目を見ます。 内容的に2作は60年代初頭のモダンジャズの雰囲気を存分に湛えた、ナチュラルでテイスティな演奏です。寧ろ「The Kicker」の方がバラエティに富んでいる作品ですが、当時のBNはアルバムを多発していたので、リーダーは違えど同じメンバーによる同一傾向の作品では売れ行きを懸念したのかも知れませんし、もしかしたら他の理由があったのかも知れません。 2枚の大きな違いは「Idle Moments」の方がマイナーのダークな曲調、「The Kicker」がメジャーの明るめな曲調を中心とした点です。 Idle Moments / Grant Green BNから再びお呼びがかかった彼らは再会を喜んだかも知れませんが、個々でも多くの共演を行なっていました。当時のBNでビブラフォンはHutcherson、テナーはJoe Hen、ギターもGreenたちが筆頭アーティストなので、顔を合わせる機会は多かったと思います。 Pearsonもプレーヤーとして活躍しましたが加えて作曲家、アレンジャーとしても諸作に携わっていて、巧みなピアノプレイ、都会的なセンスを有したオリジナル曲、ピアノトリオからビッグバンドまで緻密にして洒脱なテイストを聴かせる知的なアレンジを多く披露しました。 BNには優れたピアニストが数多く在籍し、その数には枚挙にいとまがなく、ある種ピアニストのレーベルと言っても過言ではありません。 創設者でありプロデューサーでもあるAlfred Lionが67年リタイアし、レーベルをLiberty Recordsに売却した際にPearsonは後釜を引き受け(実は63年からA&Rとしてアーティストのスカウトも担当していました)、BNのプロデューサーとしても数年間活躍し、レーベルの顔として広く知られました。 50年代から60年代中頃にかけてBNは時代を代表する名作、名盤を数多く発表していました。 BN自体がジャズを牽引していたと言っても過言ではありません。しかし60年代後半から次第に音楽シーンが混沌を極める中でそのステイタスに翳りが生じ始めました。 その最中のプロデューサー就任はさぞかし大変だったと思います。71年BNのもう一人の創設者であるFrancis Wolffが逝去するまでPeasonは在籍しました。 Duke Pearson 本作はBobby Hutchersonの初リーダー録音に該当するのですが、リリースがずっと後になるので、次作65年4月録音のアルバム「Dialogue」が事実上の処女作になります。 Dialogue / Bobby Hutcherson ピアノに鬼才Andrew Hill、Alfred Lionのお気に入りですね、彼を迎え収録6曲中4曲Hillの超個性的なオリジナル、2曲Joe Chambersのこれまたユニークなナンバーを取り上げた、しかしリーダーHutchersonのオリジナルは含まれない作品です。 彼のプレイはHillを始めとしてFreddie Hubbard, Sam Rivers, Richard Davis, Joe ChambersたちBNの花形ミュージシャンの影に埋没気味です。 それはそうですね、本人はどちらかと言えば強く自分を押し出して演奏するタイプではなく、加えてビブラフォンという楽器の特性上、管楽器以上には音のエッジが立たず、ピアノほどの複雑な和音を演奏出来ず、その上これだけ音楽的に主張のある、アクの強いメンバーを集めたのであれば、どうしても脇役に収まらざるを得ないでしょう。 アルバム自体のクオリティは本当に高いのですが、一体誰が作品の主人公なのかと、ふと考えてしまいます。 リーダーアルバムは本人が音楽性を発揮し、存在感が主張されている事が前提だと思うのですが、豪華な入れ物を用意し中身もしっかりと収容したにも関わらず、容器に書いてある名目とは異なる収容物が納められていたかの如しです。 後にも挙げますがBNの重要作品に連続参加したHutcherson、ひょっとしたら前衛的な演奏スタイルが彼の本質と曲解され(前衛の傾向は確かにありますが、本質はオーソドックスなプレイヤーだと思います)、Lionの秘蔵っ子である前衛と主流派の狭間を行き来するHillを筆頭に据え、フロントやリズム隊にChambersほか柔軟性のあるミュージシャンたちを配して、Hutchersonの前衛方向の音楽性を開花させ、華々しいデビューアルバムをプロデュースする算段であったと推測できますが、実態は異なりました。 Andrew Hill 同じビブラフォン奏者で強力なスイング感とタイム感を有し、打鍵テクニックも圧倒的であったLionel Hamptonは、ビッグバンドを率いて自身をフィーチャーしても管楽器のアンサンブルに埋もれる事なくソロを聴かせていました。リーダーに成るべくしてなったと言えるHampton、華があり、派手さゆえにその存在感は誰よりも抜きん出ていたように思います。 Lionel Hampton Hutcherson自身が単独でフロントに立った作品である、66年2月録音の3作目に該当する「Happenings」で初めてその存在を誇示したと言って良いでしょう。 ビブラフォンとピアノトリオによるカルテット編成でHerbie Hancockの名演奏も光りますが、自身のオリジナルの秀逸ぶり、そしてHancockの名曲Maiden Voyage収録!選曲の良さも魅力のアルバムで、ジャケットの色合い、デザイン、雰囲気と見事にリンクした名作です。 Happenings / Bobby Hutcherson Lionel Hampton, Milt Jacksonらの流れを汲む左右1本づつのシングル・マレット・スタイル(Gary Burton, Mike Mainieriらは左右2本づつを駆使するダブル・マレット・スタイル)のHutchersonは、41年1月Los Angeles, California生まれ、12歳の時にMilt Jacksonが参加したMiles Davisのアルバム「Miles Davis All Stars, Volume 2」を聴き、啓示を受けビブラフォンを開始、後にかのDave Pikeに楽器の手解きを受けたそうです。 Hutchersonの姉が当時Eric Dolphyのガールフレンドだったので(!)彼に弟を紹介した事があるそうです。Dolphyの作品への参加にはこんな伏線があったのですね。 60年代に入りNew Yorkに活動の場を移し、タクシードライバーをしながら音楽活動を始め、幼馴染みのベーシストで先にNew Yorkに移住していたHerbie Lewisを通じシーンに進出しました。その後次第にミュージシャンに演奏を認められ、彼らのバンドに参加します。 63年4月録音、若干17歳Tony Williamsの名演奏も光る新生Jackie McLeanを表出した「One Step Beyond」、64年1月録音、Elvin Jonesのドラミングが冴え渡るAndrew Hillワールド全開にして代表作「Judgment!」、64年2月録音、リーダー本人の欧州客死後に発表されたモダンジャズ永遠の問題作Eric Dolphy「Out to Lunch!」、以上のBNを代表する傑作に矢継ぎ早に参加、これらで聴かれる演奏はビブラフォン従来のオーソドックスさを排除したかの如き革新性を持ち、一躍脚光を浴びました。幸先の良いスタートを遂げたのです。 One Step Beyond / Jackie McLean Judgment! / Andrew Hill Out to Lunch! / Eric Dolphy それでは演奏曲について触れて行くことにしましょう。1曲目スタンダード・ナンバーIf Ever I Would Leave You、渋いナイスな選曲です。この曲は60年のミュージカルChamelotで初演され、62年にSonny Rollinsが自身のリーダー作「What’s New?」で取り上げました。リリース直後のTV映像で素晴らしい演奏も残されています。 https://www.youtube.com/watch?v=-iPMqJuGQes (クリックしてください、視聴出来ます) What’s New? / Sonny Rollins Kenny Dorhamも63年4月録音「Una Mas」で演奏していますが、こちらはCDの追加テイクとして87年に初めて日の目を見ました。他の収録曲とは異なった雰囲気の演目、演奏ゆえにレコードリリース事にオミットされた模様です。本作同様Joe Henも参加しています。 Una Mas / Kenny Dorham Don Grolnickの95年作品「Medianoche」でもMichael Breckerをフィーチャーして演奏されています。タイトルがIf Ever I Should Leave Youと微妙に異なっていますが、Would, Should両方で流布しているようです。ここではラテンでプレイされており、Michaelはかなりon topに演奏していて、個人的には共演者のDave Valentinのフルート奏のように、もう少し後ろのタイミングでソロを取ってくれたのなら、より心地良かったと感じています。 Medianoche / Don Grolnick ピアノのメロディアスでリラックスしたイントロ、要所をベースが合わせつつ、テーマが演奏されます。Joe Henのジャジーでいて個性的、正統派でありながら異端を内包した音色によるメロディ奏は実にスインギーです!当たり前ですが前出のRollinsのプレイとは全く異なります。スイングとラテンのリズムの違いも含め、ぜひ聴き比べてみてください。 テーマ後のピックアップソロからして既にアイデア満載、ひょうきんさとファンキーさ、リラクゼーションを掲げ、あたかもソロの本編はとことん聴かせちゃいますよ!と宣言しているかのようです。以降の演奏のコンセプトを明確に提示してくれました。 知的にコードのテンションを散りばめたアドリブラインは、フレーズとフレーズの間を実に的確に取りつつ、適度なユーモアや遊びを感じさせながら脱力感を保ちつつ、何と言っても曲想に相応しくナチュラルに展開されます。 Joe Henderson 続くHutchersonのプレイは思わずアドリブを採譜したくなるような魅力に満ちた、フレージングの構成音にオシャレな音が散りばめられたソロを聴かせています。彼以前のビブラフォン奏者とは明らかに一線を画す演奏と認識しています。同時に彼のインプロビゼーションからは真面目な人柄を垣間見る事ができます。 そのあとのPearsonのソロ、イントロでも聴かせたリラクゼーションを全面に感じさせ、メロディの断片をスムースに用いつつ、Joe Henよりも更に力の抜けた、言ってみれば大人の演奏を展開しています。 ソロイストの演奏を巧みにサポートするリズム隊、特にBob Cranshawの立ち上がり良くon topなベースが要になっています。 Bob Cranshaw 始めのテーマではピアノだけがバッキングしていましたが、ラストテーマではビブラフォンも加わり、両者のバッキングはバランスを保ちつつ、決してtoo muchにはなりません。サビのメロディをビブラフォンに任せたのも効果的です! エンディングにはこれまたコピーしたくなる巧みなシカケが施され、演奏を楽しんだ余韻を一層印象付けてくれますが、サウンドやアイデアから、これはPearsonのアレンジによるものではないかと踏んでいます。 アルバムの1曲目にこれだけ魅力的な演奏を位置させた事で、本作のクオリティはグッと上がりました。この後どんな演奏が来ようが全てを吸収する緩衝材としてワークする事でしょう! Bobby Hutcherson 2曲目はChambersのナンバーMirrors、98年自身のアルバム「Mirrors」でも取り上げています。こちらはかなり早いテンポでの演奏なので、別曲と見紛うばかりです。 哀愁を感じさせるメロディをHutchersonが美しくプレイし、Joe Henがテーマ最後に付随するバンプ部分でハーモニーを吹く、ユニークなアンサンブル構成です。 ソロはそのままビブラフォンが引き続き淡々とプレイ、スローテンポをCranshawのベースがタイトにキープします。Joe Henのソロは自身は演奏しなかったテーマのメロディを随所に用い、これまた強力なイメージを保ちつつムーディに、スペーシーに、演奏します。Pearsonの目立たなくともスパイスとしての確実なバッキングも印象的です。 Joe Henderson 3曲目はHutchersonのオリジナル、Pearsonに捧げたマイナー調のハードバップ・テイストを感じさせる、しかしsomething newを巧みに織り込んだ佳曲For Duke P.、ソロの先発は作者から、快調にプレイします。Hutchersonの生真面目さを随所に感じますが、個人的にはもっと弾けてやんちゃな面を聴かせて欲しいと願う時があります。 続くJoe Henのソロには流石です!素晴らしい!と思わず頷いてしまう流麗さ、スイング魂、意外性を心底感じます。Pearsonの演奏には様々な事象が頭の中で鳴り響いているのでしょう、奏でるラインには度重なる音やコードの取捨選択を認識することが出来、ハーモニーやライン組み立ての達人ぶりを聴かせています。 Duke Pearson 4曲目はJoe Hen作の名曲The Kicker、Horace Silverの「Song for My Father」でも取り上げられていました。自身のアルバムでもこの名前を冠したアルバムがありますが、Grant Greenの64年録音作品「Solid」にも収録されています。ここでは作曲者の他、Elvin Jones, McCoy Tynerの超弩級を擁して演奏していますが、プレイやアンサンブルが総じてあまり噛み合っていない、何処か隙間風の吹くセッションに感じます。こちらもオクラ入りし15年後の79年にリリースされましたが、その理由を推し量る事は出来そうです。 Solid / Grant Green 本作の演奏についても、テナー、ギター、ピアノでイントロのメロディを演奏しますが難しいラインで、今ひとつ合奏に問題があるように聴こえます。テーマでのPearsonのバッキングには小粋なセンスを感じましたが、これは脱力の成せる技の一つです。 この位の早いテンポになるとHarewoodのグルーヴに難を感じ始めます。いくらCranshawがon topとは言え、ドラムはもう少しタイムが前に位置しないと演奏のスピード感を削いでしまいますし、ドラミングのセンスが些かcorny(新鮮味のない)に聴こえ、アンサンブルでシカケを合わせる際のカラーリングやフィルインにもっと工夫が欲しいところです。ましてやソロイストとインタープレイを丁々発止の次元には、かなり距離があります。 「Idle Moments」録音の時はリラックスして演奏を楽しんでいる風を感じましたが、ここでは多少ナーバスな印象を受けます。 先発のJoe Henはほぼ無反応で、リズムをキープするのが精一杯(?)のドラムを相手にクリエイティブに、構成力を持たせて自己の世界を表現していますが、彼の演奏はCallを表し、共演者、特にドラマーにはResponseを担当してもらわないと究極、Joe Henのインプロビゼーションは成り立たないのではないでしょうか。ジャズの様式美のひとつがCall & Responseですから。 とは言えコンパクトに纏めて次のビブラフォンへ、律儀なHutchersonのアプローチにはHarewoodのドラミングにさほど違和感を感じず(他者の介入がなくとも、自分一人の世界だけで演奏するタイプゆえと言えるでしょう)、続いてこの曲から参加したGreenのギターソロにも同様に違和感を覚えませんが(フレーズを紡ぎ、順列組み合わせでソロを組み立てるタイプなので自己完結しています)、Pearsonのプレイにはこのドラミングはあまり相応しくないと感じました。クリエイティブさを発揮しているからでしょう。タイムやグルーヴ感、音楽に対するコンセプト等、色々と作用していますが、特に斬新な感覚をふんだんに織り込んだこの曲、Harewoodのテイストでは対応し切れていません。 Grant Green 5曲目もJoe HenのオリジナルStep Lightly、Blue Mitchellの63年8月録音リーダー作「Step Lightly」、同じくMitchellの64年7月録音、若きChick Corea参加で名高い「The Thing to Do」(こちらはJoe Hen不参加)にも収録されています。 Step Lightly / Blue Mitchell The Thing to Do / Blue Mitchell 本作最長の14分以上の演奏時間を有します。変形のブルースで、リラックスしたジャジーなムードの中、レイジーさと変形のブルース・フォームが生み出す新鮮さをソロイストは楽しみつつ、伴奏者もそれを共有しています。ピアノのイントロが一節あり、テーマ奏開始です。 この類の曲想はHarewoodの演奏に良く合致していますし、Cranshawのベースワークがあってこそ、安定したタイムを供給する事が出来ています。 先発はPearson、オーソドックスなスタイルでのアプローチの中にノーブルなテイストを感じさせます。続くHutchersonのソロにも同様なものを見出せ、Greenのプレイではブルーノートを効果的に用いたフレージングを存分に聴くことが出来ます。 淡々とした雰囲気が続いたところでJoe Henの登場、それまでのムードを継続させつつも新たな世界を設けようとする試みを次第に感じさせますが、あくまで自分はサイドマン、とことん盛り上がって主役を奪ってはマズイとばかりに、盛り上がりの五合目辺りで下山し始めました。 とは言えJoe Hen本作中の演奏では全てハイレベルな音楽性を光らせており、間違いなくアルバムの主人公ではありますが。 Bob Cranshaw ラストを飾る6曲目はPearsonのオリジナルBedouin、自身の作品では64年11月録音「Wahoo」にてJoe Henを含めた3管編成で、編成を拡大し67年12月録音「Introducing Duke Pearson’s Big Band」にてフルバンドで素晴らしいアレンジを伴って演奏しています。 Wahoo / Duke Pearson Introducing Duke Pearson’s Big Band タイトルは砂漠の住人を意味し、普通アラブの遊牧民族に対して用いる名称で、メロディラインやサウンドも中近東を感じさせます。テナー、ギター、ビブラフォンによるテーマはかなりユニークに響き、エスニックなリズムにHarewoodのドラミングは対応し切れるか懸念するところですが(汗)、スイングにチェンジし、ひとまず胸を撫で下します。 Joe Hen, Green, Hutcherson, Pearsonと順当にソロが続き、ソロ交代時に演奏されるアンサンブルが効果的です。 Joe Henのプレイの革新性、そしてピアノソロには流石コンポーザーとしての深い演奏解釈を聴き取ることが出来ました。 Al Harewood 兄弟アルバム「Idle Moments」での成功を踏まえて1ヶ月後に同一メンバーを揃え、「今度はまだリーダー作を出していないBobby名義でやってみるかい?」のようにオファーし、「えっ?オレがリーダー?」のようなノリで録音されたのかも知れません。と言うことで本作は柳の下の二匹目のドジョウを目指しましたが、メンバーの力量を超えてしまった選曲に全体のバランスを些か欠いた出来になり、お蔵入りしてしまったと見るのが妥当かもしれません。

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2021.09.05 Sun

Horace Silver Quintet / The 1973 Concerts

今回はMichael, RandyのBrecker兄弟を擁したHorace Silver Quintet 1973年のライブ2枚組アルバム「The 1973 Concerts」を取り上げてみましょう。 CD 1, 1-3: Live at The Jazz Workshop, Boston, March 27, 1973   CD 1, 4-5 & CD2, 1: Live at the 8th International Jazz Festival, Pori, Finland, April 14, 1973   CD 2, 2-7: Live at the Wollman Memorial Skating Rink, New York, July 3, 1973   CD 2, 8: Live at Pescara Jazz, Pescara, Italy, July 15, 1973 p)Horace Silver   tp)Randy Brecker   ts, fl)Michael Brecker   el-b)Will Lee   ds)Alvin Queen CD 1   1)Liberated Brother   2)In Pursuit of The 27th Man   3)Big Business   4)Acid, Pot or Pills   5)Gregory Is Here CD 2   1)Song for My Father   2)Introduction   3)Liberated Brother #2   4)Introduction   5)In Pursuit of The 27th Man #2   6)Gregory Is Here #2   7)Song for My Father #2   8)Gregory Is Here #3 本作は2015年に忽然とリリースされ、話題になりました。正規の録音ではなくBootleg盤、録音状態が不十分なテイクもありますがRandy Breckerのホームページでも紹介され、そこから直接購入できるようにもなっています。彼もアルバムの内容を気に入っているからでしょう。 Michael, RandyのBrecker兄弟はHorace SilverのBlue Noteレーベル(以降BN)72年録音作品「In Pursuit of The 27th Man 」(27th Man)に3曲参加しています。若手のトランペット、テナーサックス奏者を積極的に起用するのがHoraceのスタイルでしたので、当時New Yorkで活躍し始めた、新進気鋭の二人に白羽の矢が立ったのは当然の成り行きでありました。 作品参加メンバーはBob Cranshawがエレクトリックベース、Mickey RokerがドラムスというBN御用達のリズム隊で、安定したプレイを聴かせています。 当時主流だったジャズロック・テイスト満載の内容、Cranshaw, Rokerたちジャズ屋が演奏するジャズロックのビートには独特のグルーヴがあり、この二人は特にBNのハウス(お抱え)ミュージシャンでしたので、レーベルを代表するリズムをほか多くで聴かせました。 「In Pursuit of The 27th Man」 本作ではフロントと同様に若手リズム隊を採用しており、フレッシュな躍動感ある演奏を展開しています。エレクトリックベースには何とBrecker兄弟の盟友Will Lee、当時若干20歳!既に後年聴かれるタイトなビートを繰り出し、インタープレイに於いて豊かで先鋭的なアイデアを提供しています。 伝説的バンドDreamsやThe Brecker Brothers Bandほか様々なセッションで兄弟と行動を共にしました。 ドラムにはAlvin Queen 22歳、69年頃からBilly Cobhamの後釜でHoraceのバンドに参加していましたが、レコーディングではRokerが使われ、Willも同様ですが正式なレコーディングは残されていません。堅実でタイトな演奏、これはHoraceが採用するドラマーの全てに見出すことが出来ます。 因みにRandyは27歳、Michaelが24歳とサイドマンは全員20代、Horaceが42歳で脂が乗り切っていた頃なので、バンマスの経験豊富な音楽性のもと、胸を借り、若手4人は大いに演奏を楽しみ、ツアーではさぞかし盛り上がっていた事でしょう。 のちにも紹介しますが、Brecker兄弟はギグ終了後に演奏可能なライブハウスを訪ね、ツアー先であれば地元のミュージシャン達と屈託なくジャムセッションを繰り広げます。演奏することが大好きなのですね、とことんセッションを楽しんだテイクも世に残されています。 このメンバーでパーマネントに演奏していたのはどうやら73年の1年間だけのようです。どんなにバンドが成長し、まとまり、素晴らしい演奏を繰り広げたとしても、Horaceはガラッと音を立てるように、まるでバンドを破壊するが如くメンバーを一新します。 クインテットの演奏には一回一回のプレイを大切にし、コツコツと音楽性を広げ、積み重ね、次第に緻密な構造の高層建築物を打ち立てるが如きの展開を、目の当たりする事が出来ます。 Horaceはひょっとしたらこれらのプロセスを繰り返す事が好きなのかもしれませんね。常に新たなメンバーを雇い入れ、バンドに相応しいナンバーを作曲し、メンバーを指導する。ギグやツアーを重ね、若き逸材を育て、プレイが頂点に達したところで「この辺りで良いだろう」とばかりにバンドを解体する。メンバーに解散宣言をするのかも知れませんし、フェードアウトで済し崩し状態に持って行く事もあったでしょう。 そして再び新たな若手を探し、オーディションを行いメンバーを決めてバンドを作り、仕上げて行く。そこには必ずかなりのワクワク感が伴うと思います。Horaceはそこに音楽活動の魅力を見出していると睨んでいます。 以降HoraceはWill, Queenと一緒に演奏することはありませんでしたが、しかしBrecker兄弟とは彼の晩年に邂逅します。96年2, 3月録音「The Hardbop Grandpop」ではMichaelが加わった4管編成、翌97年3月録音「A Prescription for the Blues」では兄弟二人による久しぶりのクインテット演奏、和気藹々とした雰囲気でレコーディングが行われ、メンバー全員、特にMichaelが上機嫌だったと伝え聴いています。 「The Hardbop Grandpop」 「A Prescription for the Blues」 ジャズ・レジェンドに対するリスペクトが半端ないMichaelにとって、Horaceのような巨匠のバンドへの参加は初めてになり、本人は大変名誉な事と感じていました。 どこかで既に紹介したエピソードですが、再び。 テナー奏者を探していたHoraceはオーディションを行いました。恐らく72年の事でしょう、Michaelの記憶では横一列になって7~8人のテナー奏者が並び、順番にソロを取りました。Horaceが「はい次、はい次、次はお前!」と言った具合でソロを取らせたようです。Michaelに他にはどんな人がいたの?と尋ねましたが「横一列だったから分からないよ」と言っていました。むしろ緊張で周りを見る余裕が無かったのかも知れませんね、しかし結果採用となり、既に参加していたRandyと目出たく合流しました。 レパートリーは新作である「27th Man」収録曲や直近の作品からのナンバーほか、Horace最大のヒット曲Song for My Fatherはどんなステージでも必ず演奏しなければならなかったようです。 余談ですがドラマーにしてシンガー、作詞作曲家でもあるつのだ☆ひろさん、素晴らしいプレーヤーです。彼のオリジナルMary Janeは大ヒットし、ライブでは必ず演奏したそうです。 でも誰しも同じ曲を演奏したくない時もあるでしょう、とあるギグでプレイリストから外した時がありました。最後の演目やアンコールが終了しても名曲Mary Jane聴きたさに、満員のお客様は一人も帰らなかったそうです! さてジャズ・ジャイアントとの共演は毎回がエキサイティングな勉強の場、学ぶべき事がさぞかし沢山あったことでしょう、間違いなく張り切って演奏に臨んでいたと思います。以下はMichael本人が語ってくれた逸話、張り切り過ぎプレイの巻です。 あるコンサートでいつものようにSong for My Fatherを演奏していると、普段より演奏に入り込んだのでしょう、長いソロになりました。するとHoraceが「Go on, Go on!」と大声を発したそうです。Go onとは続けるという意味ですが、連呼することにより意味が強調され、「もっと続けろ!」となります。「おっ!今日のオレはイケてるのかな?」とばかりにソロをご機嫌にプレイします。するとまたHoraceが「Go on, Go on!」と今度は叫ぶように連呼したそうです!「これはもっと頑張らないと!」物凄い長さのソロになり、再び「Go on, Go on!」とHoraceの声が聴こえたのです。イケてるMichael君、天にも登るような気持ちで徹底的に吹き切りました! でも演奏終了後にHoraceに呼びつけられ、「お前は何故あんなに長い演奏をしたんだ?!」と物凄い剣幕で怒られたそうです。Michaelは「だってあなたがGo on, Go onと何度も僕に言ったじゃないですか」「おいMichael、俺はお前にGo on, Go onとは言っていないぞ、Goneと言ったんだ!」Goneとは消えろ、止めろの意味です。その後のMichaelはさすがに平身低頭、193cmの長身を折り曲げ(汗)、謝りまくったたそうです。 その超長かったSong for My Fatherの演奏、どこかに残っていませんか?イケてるテナーソロ、とことんバーニングした、彼史上有数のライブ演奏だと確信しています(笑) Michael and Randy Brecker それでは演奏に触れて行くことにしましょう。CD 1の1曲目はWeldon Irvine作曲のLiberated Brother、「27th Man」収録のナンバーです。 IrvineはMaster Welの称号を持つピアニスト、コンポーザー、アレンジャー、代表作76年「Sinbad」にはBrecker兄弟も参加し、かのStuffのメンバーも勢揃い、彼らに全面的にバックアップされ、ホーンセクションも豪華な名盤です。 Sinbad / Weldon Irvine Horaceが自分以外のナンバーを取り上げるのは珍しい事ですが、72年当時の彼の音楽的嗜好に合致したのでしょう。ピアノのパターンから曲が始まりベース、ドラムが加わります。「27th Man」のリズム隊よりも切れ味の鋭い、シャープさを感じますがこれはWillのベースプレイに負うところが大でしょう。Queenのドラミングも素晴らしいグルーヴを繰り出していますが、ジャズ屋のロック・テイスト感を拭うのは難しいです。ですがHoraceのタイム感には良く合っていると思います。 キャッチーなメロディとコード進行、構成、Horaceのハマりまくっている伴奏も効果的で、魅惑的でダンサブルな曲に仕上がっています。 ソロの先発はMichael、何とエグい音色でしょうか!Steve Grossman, Dave Liebmanたちユダヤ系テナー奏者(本人も含む)と全く同系統のサウンドです。それもその筈、使用マウスピースが同じなのです。1930年代に作られたOtto Link 最初期のMaster Model、ないしはFour Star Modelをリフェイスし恐らく5★から6番程度に広げたもの、かのElvin Jones 「 Live at the Lighthouse」のGrossman, Liebmanチームを意識したのか、出元がたまたま同じなのか、リードは多分La Voz Med. Hard、楽器本体はAmerican Selmer、シリアルナンバー13~14万番台でネックにピックアップのソケットがレギュラー装備されたVaritoneモデルを使用していました。 Michael plays Varitone Saxophone, Master Link Mouthpiece もう一つ付け加えるならば、彼らは教えを乞うた先生も同じ、Joe Allardです。ほかの門下生ではEric Dolphy(!), Eddie Daniels, Bob Bergたち個性派サックス奏者の名前を列挙することが出来る、レジェンド・インストラクター、本来はクラシックのサックス、クラリネット奏者です。 Michaelが半分冗談めかして「知ってる?今Joeのレッスンでは僕のことが悪い見本として紹介されているって」と話すとDave Liebmanが「(笑)それは仕方がないんじゃない…?」と答え、Michaelは「別にいいけど…」仲の良い二人ならではの会話です(笑) Joe Allard Michaelのソロは「27th Man」のテイクも素晴らしかったですが、レコーディングを意識したコンパクトなサイズでした。こちらはスペースをたっぷり取り、数々のクリエイティヴなチャレンジも行いつつ思う存分ブロウしています。リズム隊、特にQueenとのコンビネーション、インタープレイに充実したものを感じます。 続くRandyの絶好調ぶりにも目を見張るものがあります。まずソロの歌い方に確立されたものを見出せますが、オリジナリティを十分に聴かせるフレージング、何よりタイムの安定感が素晴らしい!ビートに対する音符の位置、メトロノームが体内に埋め込まれているのでは(笑)、と言われても信じてしまいそうな程のタイトさ、この頃のMichaelのタイム感がまだ前後に揺れ気味だったのに比較し、タイムに関しては兄の方が抜きん出ています。 続いてピアノソロになりますが、ブルーノートを巧みに用いたHorace節炸裂状態、Willの縦横無尽なベースワークと相俟って魅惑のラテンワールドへようこそ、と誘っているが如しです! ホーンを交えたセカンドリフ後、ラストテーマへ。エンディングではWillがベースでギターのカッティングのような音を発しています。 Will Lee 2曲目In Pursuit of the 27th Man、オリジナルではBrecker兄弟が参加せずにビブラフォン奏者David Friedmanが加わりテーマ、ソロを演奏、テンポもずっと遅いバージョンでした。 ここでのテーマ部分はビブラフォンが奏でるサウンドに合わせたのか、Michaelがフルートに持ち替え、Randyのミュート・トランペットとアンサンブルを聴かせます。それにしても随分と速いですね! ラテンとスイングビートが混じり合ったナンバー、Willの繰り出すビートはラテンとスイングを全く自在に行き来します。Queenのプレイも実に的確、小気味良いシンバルレガート、フィルインは個性こそ希薄ですが、オールマイティにギグをこなせる職人タイプのドラマーです。 先発はRandy、ミュートを外し、お得意のネコの鳴き声奏法からソロをスタートします。早いテンポでもリズムのスイートスポットが常に見えている演奏を聴かせています。 続いてMichael、少し間を空けてからスネークインしプレイ開始です。兄のタイトなリズムの後だけに、on top感が目立ち、やや忙しなさを感じますが、something happenを起こすべく、自分自身の内面に語りかけて、魅力あるエキサイティングなアプローチを捻り出そうとする姿勢を見出すことが出来ます。フレージングの歌い方、ニュアンスの付け具合、ビブラートのかけ方いずれも大変に気持ちの入っています。 Horaceのソロはいつもの彼らしさをたたえているので、どうしてもWillのベース・プレイの方に耳が行ってしまいます。そのままドラムソロに突入、名前が一文字違いのElvinライクなテイストを聴かせつつ、巧みにプレイを展開します。ラストテーマへ、アウトロではテナーとトランペットのコレクティブ・インプロビゼーションに突入しバーニング、誰がリーダーか判断不能状態です! Horace Silver 3曲目Big Businessは70年11月録音Horaceの作品「Total Response」(BN)に収録されています。 レイジーな雰囲気の中にもキラリと光るキメが冴える、大きく捉えれば変形のブルースナンバー、なかなかの佳曲です。先発Michaelは先程の演奏の不完全燃焼を挽回すべく、力のこもったプレイ、入魂ぶりが半端ありません!激しくアウトするフレージング、深いビブラートを伴ったエグいまでのニュアンス、加えて32分音符の超絶ラインが強力に存在感を提示します。イーブン系の16ビートでのMichaelのノリは実にスムースです。 その後のRandyは継続して絶好調をアピールします。アイデア、センス、ひょうきんさ、メリハリ、そしてタイム感!いずれも申し分ないスインガーぶりを聴かせます。後年のThe Brecker Brothersで聞かれるフレージング、アプローチを既にいくつも提示しています。 Horaceも若手に負けじとばかりに奮闘しており、ラストテーマに入ってもテンポが変わっておらず、リズム隊のタイトさを再認識しました。 Alvin Queen 4曲目Acid, Pot or Pillsも「Total Response」収録ナンバー、それにしてもドラッグ関係の単語を連ねた凄いタイトルです(汗)。この曲と次曲、CD 2の1曲目はロケーションが変わり、FinlandのPoriにて行われたジャズフェスティバルでの模様を捉えたものです。録音状態も多少良いように聴こえます。 アルバムの方では女性ボーカリストSalome Beyをフィーチャーし、Horaceはエレクトリック・ピアノを弾き、ギターがソロを取り、ホーンセクションが淡々とバックリフを吹いている、耳に心地良い、いわゆる売れ筋の音楽です。こちらではボーカルのメロディをピアノが担当して弾き、ホーンズはオリジナルを踏襲しています。 Michael, Randy, Horaceとソロが続きますが、Willのグルーヴィーで躍動感溢れるベースプレイが要となっています。 Will Lee 5曲目Gregory Is Hereも「27th Man」収録、Horaceの幼い息子に捧げたナンバーです。実父に捧げたSong for My Fatherの続編ですね。 憂いを帯びたホーン・メロディはロング・ノート主体なのに対し、対照的な細かいピアノのコンピングがスペースを埋めています。オリジナルの演奏はMichael 23歳、最初期の名演奏として名高いテイクです。こちらでも常にチャレンジ精神を翳しつつソロに臨む姿勢を感じさせる、クリエイティブな演奏を聴かせます。Randyにも全く同様なテイストを見出せます。 コーラスが長い曲ゆえでしょう、続くHoraceも含め全員1コーラスずつのソロになります。 Michael and Randy Brecker CD 2, 1曲目Song for My Father、テーマの最後にMichaelが吹いたフィルインをHoraceが受け継ぎソロが始まります。途中にも何度かそのモチーフを取り入れつつプレイ、Willは水を得た魚のように表情豊かにラインをキープします。比較的短めに終えた後Randyの出番です。ここでもイマジネイティブなソロを繰り広げ、Willと結託してQueenもあわや倍テンポに突入しそうな勢いを見せます。 Michaelは少し離れた場所で兄のソロを聴いていたのでしょう、しばらく間があってからプレイ開始です。十分に温まっていたリズム隊は一触即発状態、Michaelも盛り上がっていますが、ここでソロが終了か、と感じさせるようにバンドの音量がディクレッシェンドして行きます。するとHoraceが伴奏を止めるではありませんか!常にバッキングでスペースを埋め尽くすスタイルの彼、彼のピアノが鳴っていないHoraceバンドの演奏は初めてです! そしてコード進行はワンコードになり、テナー、ベース、ドラムの3人で全く異次元の世界に突入、フリージャズに突入せんばかりに、これはエグいです!Randy, Horaceもチャチャを入れた頃にテンポがなくなります!ワオ!もっと聴きたいのにも関わらずFade Out、この後は一体どのような展開になったのでしょうか? Horace Silver 2曲目に司会者のアナウンスが入りますが、ここからはNew York Manhattan, Central Park南側にある、公共スケートリンクであるThe Wollman Memorial Skating Rinkにて行われたコンサートを収録したものです。ちなみに夏場なのでもちろんスケート客はいません(笑)。 メンバーにとってはホームグラウンドでの演奏、家族や仲間が大勢聴きに来ていたことでしょう。 3曲目Liberated Brother #2、録音クオリティがより改善されたので、各楽器の音像をはっきり聴き取ることが出来ます。 先発Randyはブリリアントな音色で快調にソロを展開、Michaelの音色もそれまでよりもクリアーさを感じさ、含みあるトーンを聴かせます。初めからハイテンションでスタート、ユダヤ系テナーマンの面目躍如のアプローチ、歌い方を繰り広げます。リズム隊のサポートもバッチリで実に楽しげです! Horaceのソロ後セカンドリフを経てラストテーマへ、エンディングにもうひと盛り上がりあり、和気藹々の雰囲気でオーディエンスも演奏を堪能していた事でしょう。 The Wollman Memorial Skating Rink, New York 4曲目にHoraceの丁寧なメンバー紹介があり、5曲目In Pursuit of The 27th Man #2、先発はMichael、新たな表現を試みるべく出だしから尖っていますが、前出のテイクよりもタイムが安定しているように聴こえます。Horaceのバッキングも呼応していつになくアグレッシブ、リズム隊も実に的確にグルーヴを提供しています。 快調に飛ばし、Randyのソロに続きます。安定感この上ないプレイは彼の個性の一つ、そこを乗り越えて別な世界に突入してくれたらと思うのは贅沢でしょうか(汗)。 Horaceも二人に刺激を受け、アグレッシヴなソロを展開しています。 その後のドラムソロは比較的コンパクトにストーリーを作り上げて行きます。ラストテーマ後に猛烈なバンプを経てFineです。 Alvin Queen 作曲者自身の曲紹介に続き6曲目Gregory Is Here #2、こちらも録音状態の良さから演奏の細部にまで入り込めそうな勢いです。Randy, Michael, Horaceと好調ぶりを聴かせながら演奏が続きます。 Horaceの弾く引用フレーズは突拍子もないメロディが登場することがありますが、ひょうきんなお人柄ゆえなのでしょう。 Horace Silver 7曲目Song for My Father #2はHoraceのMCにもありましたが、あまり時間が残されていないと言うことで、ショートヴァージョンで演奏されました。 会場に来ていた先輩格のミュージシャン、ボーカリストのBabs Gonzalesに敬意を表して紹介しています。 テンポも幾分早め、テーマもリピートせず1度だけ、ソロはMichaelから、出だしレイジーさも感じさせる色っぽいブロウを聴かせますが、何しろ時間がありません!すぐさまターボが入り、熱きプレイの後半は何と前出のヴァージョンと同じくピアノレス・トリオでMichaelオンステージ!ここでのリズム隊のグルーヴの素晴らしさは特筆モノです!吹っきりで超盛り上がり、一度フェルマータしてから気を取り直したようにインテンポに戻りラストテーマへ、こちらも1度演奏しただけでアウトロへ、ワンコードでHoraceがソロを取り、エンディングのシカケは予め決めたあったのでしょうか、トリオでキメを演奏しFineです。 と言うことで、前出のフェードアウトしたテイクも同様にテンポがなくなり、フェルマータ後に復帰してラストテーマへ入ったと思われます。 それにしてもSong for My Fatherのコンサート・ヴァージョンのコンパクトサイズが聴けるとは思いませんでした。まだまだ色々な演奏が日の目を見ず、隠れているのでしょうね、きっと。 Michael Brecker ラスト8曲目Gregory Is Here #3はItaly, Pescaraで開催されたPescara Jazzの模様を収録したテイクで、Bonus Trackとなってますが、僕にとっては本作の全曲がボーナスです(笑)!先発Michaelの音色は明らかに深みを増し、ソロのアプローチにも変化があり、何より余裕というか落ち着きを感じるのです。 サックスの音色に関しては録音状態や会場の箱鳴り、楽器、リードのコンディションにも左右されますが、それらを差し引いても演奏に明らかな変化を見出すことが出来ます。 クインテットのツアーで大いに得るものがあり、演奏に確実にフィードバックしたのでしょう。 この事を顕著に確認できる演奏が存在します。 Pescara Jazz演奏終了後の同日、同地のEsplanade Hotelにあるクラブ・ラウンジに場所を移しセッションが催されました。 Esplanade Hotel, Pescara Horaceは参加せず地元のピアニストが代わりに伴奏を務め、WillとQueenを伴ってSonny RollinsのDoxyをプレイ、Brecker兄弟の熱いソロが収録されたアルバム「The Fabulous Pescara Jam Sessions 1970-1975」がそれです。 ちなみに別セッションのメンバーは50~60年代に活躍したミュージシャンばかりで、Brecker兄弟たちの参加はめちゃくちゃ異色です!熱狂的な彼らのファンがクラブ内にひしめいていたのでしょう、兄弟の一挙手一投足を見逃すまい、聴き逃すまいと言う猛烈な熱気を、歓声や拍手に認めることが出来ます。テーマ後のRandyのソロ、これは彼のスタンダード・プレイの中でも有数のクオリティを聴かせる素晴らしいものです。「さあRandy、どうぞ思いっきりスイングしてください!僕らは貴方の熱烈なファンです!」とばかりのオーディエンスの熱意に全く素直に応えています。さすが熱きラテン系Italy人、乗せ上手も国民性です! ソロ終わりの感極まった一際目立つ大声は、先程のPescara Jazzの会場にも聴かれました。同一人物が発したものでしょう、やはり熱狂的です(笑)。続くMichaelのソロ、いや〜ありえないほどに素晴らしいです!これまたMichaelのスタンダード演奏史上に残る出来栄え、なんと物凄いのでしょう!実にスケールの大きさを感じさせ、これは若者の表現ではないですね。出だしからして違っています。 とにかく驚かされるのが8分音符の見事なまでのレイドバックです。本作「The 1973 Concerts」でのタイムは全般的にラッシュする傾向にあり、前のめりになりがちですが、このDoxyでの演奏は全く別人のように感じます。 Dexter Gordonと見紛うばかりのタイム感、Michaelこの頃には既にある程度レイドバックを習得していたのかも知れませんが、実は当日のPescara Jazzコンサートにて、ステージを分かち合ったのがまさしくDexter Gordon !!!彼のワンホーン・カルテットを目の当たりにし、あり得ないほどに背水の陣に位置するレイドバックを、早速イメージして演奏したのでしょう。 百聞は一見に如かず、自分にも経験がありますがリハーサルやステージ横でレジェンドのプレイを目の当たりにする事は、演奏家にとって最高の学びの一つです。 「Pescara Jazz 1973プログラム」 16分音符で聴かれる、アウトする、Steve Grossman, David Liebmanライクなフレージングのタイトなこと!実はDexterの吹く16分音符は8分音符と異なり、いささかラッシュし、on top気味です。あまり16分音符を演奏しないので目立たないだけなのですが。 Michaelは16分音符も実に正確、というかリズムのスイートスポットを捉えて、心地良さを伴ってまでブロウしています。 Grossmanが80年代中頃から、Sonny RollinsとJohn Coltraneの融合と言えるスタイルでプレイしていましたが、ここでのMicahelのスタイルは言ってみればDexterとGrossman、そしてホンカー・テナーの融合、これらをMichaelのアーバン・テイストが光るメルティング・ポットで一度しっかり溶かした後、バランス良く再調合したプレイと言えましょう! これは誰もなし得なかった表現で、本人は元より他の誰かも含め、この演奏でしか聴く事が出来ません! フレージングのメリハリ、高度な音楽性に裏付けされたラインの数々、研究熱心なMichaelは徹底的にジャズフレージングの構造や仕組みを分析、研究し、しかし決して頭でっかちになる事はなく、常に「歌う」「スイングする」を念頭に、音楽性豊かに演奏していました。    

2021.08

jazz/music 

2021.08.22 Sun

Horace Silver / Song for My Father

今回はHorace Silverの65年リリース作品「Song for My Father」を取り上げたいと思います。 Recorded:  October 26, 1964 on 1, 2, 4, 5 / October 31, 1963 on 3, 6 Studio: Van Gelder Studio, Englewood Cliffs Label: Blue Note(BST 84185) Producer: Alfred Lion tp)Carmell Jones   ts)Joe Henderson   p)Horace Silver   b)Teddy Smith  ds)Roger Humphries On “Calcutta Cutie”  tp)Blue Mitchell   ts)Junior Cook   p)Horace Silver   b)Gene Taylor   ds)Roy Brooks On “Lonely Woman”  p)Horace Silver   b)Gene Taylor   ds)Roy Brooks 1)Song for My Father   2)The Natives Are Restless Tonight   3)Calcutta Cutie   4)Que Pasa   5)The Kicker   6)Lonely Woman Horace Silerの代表作にしてモダンジャズのエバーグリーン、収録曲いずれも名曲であり名演奏、また構成力抜群のアルバムとしてもバランスに長け、永く鑑賞し続けるのに申し分ない作品に仕上がっています。 本作は彼の最大のヒット作となり、全米ヒットチャート95位、Top R&Bチャート8位にランクインされた、初めての栄誉でもあります。 多作家Silverの15作目に該当し、レーベルは1作目からリリースし続けているBlue Note(BN)、録音エンジニアもジャズの音を録音させれば右に出る者なし、名手にしてアーティストの如き超個性派Rudy Van Gelder、セールスはレーベルに大きく貢献し、以降もBNが存続する限り作品をリリースし続けました。本人曰く「BNはやりたいようにやらせてくれたし、3年毎の契約更新の度にギャラをアップしてくれた」破格の待遇で28年間の長きに渡り在籍出来たのは彼だけになります。 Horaceの作品にはピアノトリオ、3管編成もありますが、そのほとんどがモダンジャズ黄金のコンビであるトランペット、テナーサックスをフロントに擁したクインテット編成、BN最後期にはブラスセクション、ウッドウインド・セクション、コーラス・アンサンブル、パーカッション・アンサンブル、ストリングス・セクションを加えたいずれも大編成「Silver ‘N」シリーズの作品も録音されていますが、それらの基本となる編成もやはりトランペット、テナーのクインテットです。 彼の書くオリジナルはメロディラインとその音域、2管のハーモニーを響かせるのに丁度良いレンジ等、トランペット〜テナー、楽器の機能性を熟知したライティングに徹しています。 「Silver ‘N Brass」 クインテットの特徴として継続して同じフロント陣が続けてプレイする事が少なく、作品毎に入れ替わり、その当時の若手有望株がピックアップされて演奏する傾向にあります。 去来したトランペット奏者挙げるとKenny Dorham, Donald Byrd, Joe Gordon Art Farmer, Blue Mitchell, Carmell Jones, Woody Shaw, Charles Tolliver, Randy Brecker, Cecil Bridgewater, Tom Harrell, Bobby Shew, Clark Terry, Ryan Kisor… 同じくテナー奏者はHank Mobley, Junior Cook, Clifford Jordan, Joe Henderson, Tyrone Washington, Stanley Turrentine, Benny Maupin, George Coleman, Houston Person, Harold Vick, Michael Brecker, Bob Berg, Larry Schneider, Eddie Harris, Ralph Moore, Branford Marsalis, Red Holloway, James Moody, Jimmy Greene… この錚々たる布陣はまるでフロント奏者の紳士録、そしてバンドは若手の登竜門として間違いなく機能していました。 繰り返し起用されても2~3作、1作でチェンジされてしまうフロント奏者がほとんどの中、例外なのがBlue MitchellとJunior Cookのフロント・チーム、彼らは59年「Finger Poppin’」を皮切りに、同年「Blowin’ the Blues Away」60年「Horace Scope」62年「The Tokyo Blues」63年「Silver’s Serenade」の5作、足掛け5年に渡り連続して参加しており、その間に彼らを擁して62年初来日も果たしています。名コンビぶりを発揮した彼らとの共演作は基本的にハードバップ・スタイルでの名盤です。 「The Tokyo Blues」 Horaceはフロントを変える事によって演奏を常に新鮮なものにするのを念頭に置いていたと思います。と言うのは彼のピアノプレイが基本的に生涯変わることなく、”味”で聴かせるスタイルを貫いていましたから。 オリジナリティに富んだナンバー、独創的なメロディライン、リズムの解釈、ユニークな構成を有し、それでいてキャッチーな楽曲を数多く世に送り出したHorace、加えてバンドを率い、自らの楽曲をレパートリーに演奏活動を精力的に続け、アルバムも継続的にリリースしました。同じ活動スタイルを貫き通したピアニスト、Herbie Hancock, Chick Coreaにも並び称されます。 この二人のピアノ演奏、インプロビゼーションにかける執念には凄まじいものがあり、素晴らしい成果を常に聴かせていました。でもHorace自身の演奏に関してはその表出は少なく、ピアノプレイに対してある種の無頓着さを否めません。 Horace Silver ハードバップど真ん中から、次第に彼のエッセンスを凝縮した、エグいまでに捻りを効かせた作曲スタイルに変化を遂げるHorace、さらには時代を反映したコンテンポラリーな要素、例えば前作「Silver’s Serenade」で確認できる、それまでは聴かれなかったモーダル的なサウンドにコンポーザーとしての領域が広がり始めました。 ここでのMitchell, Cookはアンサンブルでは息の合ったプレイを聴かせますが、ソロのアプローチに於いては旧態依然に響きます。Horaceの楽曲とフロント陣の表現出来るアドリブの能力に溝が生じ始めたのです。 「Silver’s Serenade」 何か今までとは違う新しいサウンドがHoraceの頭の中で鳴り始めています。そして一度聴こえ始めてしまったらもう後には戻れません。本作録音の1年前、63年10月にMitchell, Cookのコンビで本作収録のCalcutta Cutieを録音しています。しかし彼らはアンサンブルのみで参加し、ソロはありません。 本作収録曲はそれまでのHoraceの作風よりもずっと斬新さを湛えています。レコーディング1年前にまだ本作収録ナンバーは形を成してはいなかったと思いますが、ある程度のイメージは本人の頭の中にあったでしょう。 Calcutta Cutie録音から3ヶ月後の64年1月にもMitchell, Cookでのテイクが存在します。想像するにHoraceは5年間行動を共にした連中と、出来れば自分の描く新しいサウンドを共有したかったのだと思います。メンバーとの仲もさぞかし良かったのでしょうし。 もしかしたら本作収録曲に近いコンセプトのナンバーを彼らで一旦は演奏してはみたかも知れません。しかし彼らのアプローチでは物足らず(特にCookのテナー演奏が)、メンバーを一新すべく以前からミュージシャン仲間で噂のあったJoe HendersonとCarmel Jones、Teddy SmithとRoger Humphriesに白羽の矢を立て、パーマネントなバンドとしてリハーサルやライブに臨み始めたのです。 とは言えCookとは良い友人関係を継続させていたのでしょう、出戻りが滅多にないHoraceのバンドですが88年3月録音「Music to Ease Your Disease」に20年ぶりに彼を招き、Clark TerryとのフロントでHoraceのオリジナルをプレイしています。もっとも演奏内容としては全曲男性ボーカルをフィーチャーしたファンキージャズ路線ですので、むしろCookのテナー奏が相応しいアルバムですが。 ちなみにここでHoraceが作詞した歌詞は(いつの頃からか、彼は作曲だけではなく作詞も手掛けるようになりました)ボーカリストAndy Beyのテノール・ボイスに良く合致し、Terryの流麗でスインギーなトランペット・プレイに加え、Ray Drummond, Billy Hartのリズム隊も大健闘しています。 ジャケットで見られる医師に扮した(!)Horace自身のアナウンスまで付加され、これは医事漫談の創始者でジャズ好きな今は亡きケーシー高峰を連想させますが(汗)、実に楽しげな作品に仕上がりました。 「 Music to Ease Your Disease」 話をもとに戻しましょう、実際にレコーディング前の演奏が残されています。「Live 1964」は4ヶ月前64年6月6日New Yorkのライブハウスで収録したBootleg盤、演奏曲はHoraceの旧作Filthy McNasty, The Tokyo Blues, Senor Blues, Skinney Minnieです。多少冗長な部分もありますが、Joe HenとJonesの新フロント陣は旧メンバーとは一線を画すアプローチを聴かせます。 「Live 1964」 同じく64年7月28日同一メンバーによるParisでのライブを収録したDVDもリリースされています。こちらの収録曲はTokyo Blues, Pretty Eyes(次作The Cape Verdean Blues収録です!)、新作よりThe Natives Are Restless Tonight、バンドの纏まりも素晴らしく、既にレコーディング・クオリティをクリアーしています。 「Paris 1964」 メンバーチェンジを挙行した新生Horace Silver Quintetはリーダーの狙い通り確実にワークし始めました。Joe Henのプレイが殊更素晴らしく、クリエイティブにしてスポンテニアス(全曲壮絶なまでのイメージの連続です!)、ライブDVD収録Pretty Eyesでの炸裂ぶりには神がかったものがあります! そして本編「Song for My Father」ではまたガラッと違ったアプローチを見せるJoe Hen、彼の演奏に触発されたリズムセクションも実に創造力と集中力に満ちたプレイを繰り広げ、歴史的な名盤の制作に貢献しました。 それでは収録曲に触れて行くことにしましょう。 1曲目表題曲Song for My Father、その名の通り彼の父親Johnに捧げたナンバー、父本人が写った名高いジャケットはHoraceの親孝行ぶりを物語っています。 息子はJohnをNew Yorkのライブハウスでの演奏に招待し、まだ未録音であったSong for My Fatherを「親愛なる父親に捧げて書いたものです」とアナウンスして演奏したと言うことで、それはそれはお父様お喜びになった事でしょう、ですがしばらくして彼は逝去します。その後この曲のレコーディングを行い、追悼の意味合いを込めてBNにかけ合い、ジャケ写にも登場させたのでしょう。 Wayne Shorterの同じくBNからの作品「Speak No Evil」のジャケット・デザインはShorterたっての願い、不仲だった当時の奥方Teruko Ireneに愛情表現を発するべく、フォーカスを甘くした彼女の写真と、インパクトが強烈なキスマークの掲載をプロデューサーAlfred Lionに懇願して実現させました。 「Speak No Evil」 カーボベルデ共和国出身、ポルトガル系アフリカ人で米国に移民したJohnは趣味でギターを演奏し、歌を唄い、彼や叔父たちが良くホームパーティーでポルトガル民謡を披露し、Horaceは幼い頃から家で子守唄のように耳にしていました。 父親は大活躍中の息子に、自分の楽曲にポルトガル民謡を取り入れたらどうかと進言していたようですが、それはそれで照れ臭いもので、息子は後回しにしていました。 似たようなシチュエーションですが、アルゼンチン出身のGato Barbieriは米国に進出してからも、母国の代表的音楽アルゼンチンタンゴを封印していました。自分のルーツに目覚めてからは積極的に演奏するようになり、寧ろ「Last Tango in Paris」などのタンゴを取り上げたオリジナル曲がトレードマークになりました。 「Last Tango in Paris / Original Sound Track」 Song for My Fatherの誕生について、HoraceがBrazilへ64年2月、同地出身のパーカッション奏者Dom Um Romaoと一緒に訪れた際に、ポルトガル語圏であるブラジルがBossa Novaブームに沸いていた事にインスパイアされ、リズム的にはブラジルから、メロディとしては古いポルトガル、カーボベルデの民謡からの影響を受けたと紹介しています。 そしてこの曲には自身の音楽的ルーツを思い出させる匂いがあるとも語っています。 印象的なベースとピアノの左手によるパターンから曲が始まります。何と表現したら良いのか、その後のメロディラインが発するインパクトは何度聴いても減衰する事なく、Horace Silverワールドを徹底的に印象付けます。 よく引き合いに出す芋焼酎の話ですが、酒を呑み始めた頃には臭みで一切受け付けず、加齢と共に酒の味が分かる様になり、いろいろな種類の酒を経て究極芋焼酎に辿り着いたが如く(笑)、Jazz演奏も独特の匂いが大切で、若い頃に拒絶していた臭うが如き楽曲やプレイにこそ魅力を感じるのですが、それにしてもこんなオリジナルはどこを探しても存在しないでしょう! Song for My FatherではBossa Novaのリズムが採用されていますが、HoraceがBrazilで目の当たりにし、衝撃を受けたもう一つのリズム、Sambaは65年10月録音の次作「The Cape Verdean Blues」の表題曲で用いられています。 文字通り自らのルーツを冠したこの作品は、Song for My Fatherで覚醒した自分のオリジンを更に推し進めたアルバム、続投Joe Hen、名手Woody Shawに加え、レコードのSide B 3曲では巨匠J. J. Johnsonを迎えた申し分のない3管編成による名盤、個人的には彼の最高傑作と捉えています。 ちなみにJoe Henはこのアルバムを最後にHoraceの元を去ることになりますが、2作だけの参加になり、以降共演する事はありませんでした。 「 The Cape Verdean Blues」 更に次作、1966年11月録音の「The Jody Grind」ではMexico特有のリズムであるマリアッチを取り入れた名曲Mexican Hip Danceを収録、Shawのトランペット・ソロが鮮烈ですが、ラテン音楽が有する様々なリズムに対するHoraceのあくなき探求心を痛感しました。 閑話休題、テーマを繰り返したのちソロの先発はHorace、独特の”つんのめった”リズム、音符を拍に置くかの如き8分音符のスピード感とは無縁のユニークなタイム感、一聴Horaceと判断出来る個性ではあります。 続くJoe Henは漆黒の如きダークでテイスティ、極太にして付帯音の塊のテナートーン、こちらも一聴してJoe Henと即断出来る個性を振り撒いています。 リズムに対しゆったりと、忍足で近寄るかの如くソロを開始します。音の間合いを取りながら次第にフレージングが細かくなり、聴かせどころのブレークでは3連符を用い活性化を試みています。 音域も広がりつつ更にフレーズが細分化され、Joe Hen節のオンパレードに移行します。フレージングに用いる音の選択、ソロの構築の大胆さといい意外性を内包したストーリー性、センス、これは新生Horace Silverクインテットのオープニングに全く相応しいプレイです! 僕も参加させて貰っている日野皓正氏の94年作品「Spark」、こちらでも「Song for My Father」を取り上げています。リズムの解釈をユニークなものにすべく、スタジオ内で試行錯誤を繰り返したのを覚えています。日野さん自身もHoraceのクインテットに参加していた経験があり、その時の貴重な話も伺いました。 「Spark」 2曲目The Natives Are Restless Tonight、テンポの早い変形マイナーブルースです。Horaceが子供の頃、隣に住んでいた一家がパーティ好きで、明け方までよく騒いでいた情景を曲にしたそうです。 そう言えば聴いていても「さあ、今宵はパーティで一晩中盛り上がろうぜ!」のような、ウキウキする高揚感が感じられるユニークなナンバー、ピアノの興味深いキメ、テーマ後のファーストソロに食い込んだリフの用い方、発想がありきたりではなくHorace流の捻りが効いています。 この曲も前出「Spark」でプレイした覚えがあります。今は亡き名ピアニスト、アレンジャー鈴木”コルゲン”宏昌氏が採譜した譜面で演奏し、彼もピアノで参加、日野元彦氏のドラミングが冴え渡っていて、録音も行ったように記憶していますがCDには収録されませんでした。 先発はCarmell Jones、ブリリアントでスピード感あふれるトランペット・ソロを展開します。フレージング的にも自分らしいウタを唄おうという強い意志を感じるアプローチ、彼はジャズの逸材を多く輩出したKansas City出身、スタジオミュージシャンとしても60年代活躍しました。 Carmell Jones 続くJoe Henのソロは出だしからトリッキーに先制攻撃、彼のリズミックなアプローチを聴いているとあまりのシャープさにリズムを取り始め、椅子から腰が浮いてしまいます!その後細かくフレーズを繰り返し、フラジオ音域、フリークトーンにまで至り、ソロ第一のヤマ場を設けました。Roger Humphriesもナイス・サポートです! 次のヤマ場に至るためにJoe Henはアウトするフレーズ、そしてリズミック・シンコペーションを多用しハーモニー、リズム的に緊張感を持たせながら小刻みに、しかし大胆にストーリーを構築し、高いテンションを維持しながらあたかも名山が連なる連峰、山脈の如き音のシリーズを披露しています。聴き惚れてしまうほどの素晴らしい構成力を持ったソロ、本作ハイライトの一つです! 続けてピアノソロへ、テーマのメロディを交えながらソロを開始、テナーソロにインスパイアされたのかアグレッシブなソロを展開、左手のパーカッシブな用い方に表れています。 ベースソロに受け継がれますが予想よりも短く終わったのでしょう、一瞬の空白があり、そのままドラムソロに突入します。堅実ながら小気味良いスティックさばきでエキサイティングなフレージングを繰り出し、職人然たるクールなブレークを経てラストテーマのイントロに入ります。 テーマ後にはアウトロが設けられており、ゆったりしたテンポでのテーマに基づいたメロディはホームパーティ終了後の余韻を、ないしは騒いで散らかしまくった自宅を翌日の昼間、二日酔いで後片付けしている様を表現しているが如しです(笑)。 Joe Henderson 3曲目Calcutta Cutie、こちらはポルトガルやブラジルでもないインドのCalcuttaですね。彼の地に楽旅で赴いた際、気になるCutie(かわい子ちゃん)がいたのでしょう(笑) 前述の通りこの曲はフロント陣、そしてリズム隊も一新します。 誰かがパーカッションを鳴らしているSong for My Father風なイントロを経て、メロディが登場します。エキゾチック、ミステリアスでいて安堵感と不安感が共存する、何とも言えぬ色気を発する佳曲、Horaceの書く曲に新たな作風を見出しました。 ソロはHoraceから、曲の裏メロディとも解釈できる興味深いラインを演奏し、サビに入ります。サビ後もこのラインを弾き続けても良かったのでは、と感じました。セカンド・リフ的な効果が成立したと思います。その後はGene Taylorのドラムソロへ、皮ものを中心とした演奏にはMax Roachの影響を見出しました。 長めのイントロ〜バンプを経てラストテーマへ、ホーンのソロが入らずピアノとドラムのソロだけに絞ったことでむしろ曲のメロディ、サウンド、ムードがくっきりと現れました。 この曲も「Spark」に収録されています。手前味噌で恐縮ですが、アルバム録音の翌年New Yorkを訪れた際、ホテルの部屋でJazz専門のFM局WBGOを聴いていると、新譜紹介で「Spark」を取り上げているではありませんか!このCalcutta Cutieが選曲されオンエアされているのを聴き、Jazzの本場のラジオ局で自分が参加している演奏が流れているのには感無量でした。 Horace Silver 4曲目Que Pasa、英語でWhat’s Up?の意味のスペイン語です。と言うことで本作に登場する国名は多岐に渡ります。 こちらもSong for My Father風のイントロをベースに、それまでに無かった新たなピアノのパターンを加えた構成になっています。フロントのハーモニーを伴ったメロディがエキゾチックさを醸し出し、メロディをCallとすれば対するイントロで用いられたピアノ・パターンがResponseに該当し、ジャズ表現の重要な要素であるCall & Responseを表現しています。 繰り返されるバンプ部分ではドラムソロも挿入され限られた曲のパーツを上手く使い回していると思います。Humphriesのカラーリングもメリハリの効いた様々な表情を見せており、これはライブを繰り返し行った結果に違いありません。 ソロの先発はHorace、いつもの彼らしく転びがちなタイム感による、でも普段より朴訥としたテイストを聴かせます。 続くJoe Henソロの冒頭唐突に現れるアプローチ、動物の鳴き声のようなサウンドに引き込まれてしまいますが、一体どんなイメージの具現化なのでしょう?またその後のシングル・タンギング連続のフレージングに思わずレコードの針が飛んでしまったのでは?と連想しましたが、これはCDでした(笑)。 巧みにして多彩な、そして何よりも意外性を最重要項目に置いているかのような、そしてレコーディングという限られたサイズの中で最大限の効果を生むようにも、いずれにせよJoe Henの表現は曲の持つ雰囲気に決して埋没する事なく自己主張を遂げ、むしろ楽曲に対して問題提起を行なっているかのようにも感じ、結果絶妙なバランスで演奏曲への溶け込みを成し得ているのです。 リズム隊は巧みにダイナミクスを設定しながら、構成としてはシンプルなこの曲に存分にメリハリを付けています。Horaceのドラマー、ベーシストに対する人選も狙い通りです! 極上のテイクに仕上がったこの演奏に対し、エンディングは終わりそうでなかなか終わらず、トリオは名残惜しさすら感じているのでしょうか? Roger Humphries   5曲目はJoe Henの作曲によるアップテンポの、こちらも変形ブルースThe Kicker。本作直後の12月にJoe Hen参加のBobby Hutchersonリーダー作「The Kicker」や、自身も67年録音リーダー作で同じく「The Kicker」で再演しています。 「The Kicker」 HoraceはJoe Henのプレイはもちろん、楽曲にも一目置いていました。次作「The Cape Verdean Blues」でも再び彼のオリジナルであるMo’ Joe’を取り上げています。 ペンタトニック・スケールを基本用いたメロディラインですが、Joe Henらしい捻りが効いたナンバー、こちらもThe Natives Are Restless Tonightと同様でテーマ後に、シンコペーション・フレーズがはみ出してソロ1コーラス目に食い込んで演奏される構成、しかも同じく2コーラス目にもです!これはビッグバンドのアンサンブル、Tutti的なアイデアから来ている様に捉えられます。 ブレークやリズム隊の仕掛けも実に有効にワークしています。 Humphriesの巧みなカラーリングに導かれるようにJoe Henがソロの口火を切ります。何と言うスピード感、リズム感、スイング感でしょう!4拍子のナンバーですが、3拍子揃ったとはこのソロの事を言うのでしょう(汗)。その後もトランペット、ピアノ、ドラムにも2コーラスのブレークが効果的に用いられたソロの応酬、ソリッドなアンサンブルを存分に聴かせています。 Joe Henderson   6曲目アルバムのラストを飾るのはLonely Woman、Ornette Colemanにも同じタイトルの名曲がありますが、そちらは肖像画に描かれていた寂しそうな表情の、ノーブルな女性をイメージして書かれたナンバーです。 こちらの方はHoraceの父親が亡くなり、残され未亡人となった母親に捧げたオリジナルです。ピアノトリオ編成で演奏されているのは母親に対する敬愛の念から頷けますが、総じてこの作品はHoraceの家族や育った環境がテーマになった、いわゆる私小説的なアルバムと言えましょう。        

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2021.08.08 Sun

At the Village Gate 1976 / Dexter Gordon Quintet featuring Woody Shaw

今回はDexter Gordonの1976年ライブ作品「At the Village Gate 1976」を取り上げたいと思います。 Live at the Village Gate, New York, October 25, 1976 Label: Domino Records ts)Dexter Gordon   tp)Woody Shaw   p)Ronnie Mathews   b)Stafford James   ds)Louis Hayes on Bonus Track “Bags’s Groove”    ts)Dexter Gordon   tp)Woody Shaw   vib)Milt Jackson   p)Kirk Lightsey   b)David Eubanks   ds)Eddie Gladden   “Playboy Jazz Festival”, Hollywood Bowl, Los Angeles, June 20, 1982 1)Fried Bananas   2)Gordon introduces the band   3)Strollin’   4)You’ve Changed   5)Bags’ Groove Dexterはジャズシーンが停滞していた米国を60年代初頭に離れ欧州に移住し、ParisやCopenhagenに居を構え悠々自適に演奏活動を送っていました。 同じ渡欧組であるKenny Clark, Bud Powell, Kenny Drew, Horace Parlan, Albert Heath, Bobby Hutchersonら、また本場のジャズプレイヤーからの薫陶を受けた優れた欧州ミュージシャンTete Montoliu, Niels-Henning Pedersen, Pierre Michelot, Alex Rielらとも演奏を重ね、足掛け15年の長きに渡り欧州で音楽活動を展開していましたが、しかしこの辺りが潮時と感じたのかもしれません、故郷の音楽シーンも随分と様変わりしたのもあり、76年10月頃に本国に戻りました。 とは言え65, 69, 70, 72年といずれもごく短期間ですが米国に戻り、Blue NoteやPrestigeにレコーディングを行っており、Dexterはこれらの一時帰国で合計10枚以上のアルバムを残しています。 渡欧はしたものの、one & onlyな魅力満載のDexterの演奏は米国ファンに求められており、ニーズによりアルバムをリリースし続けたと言う事です。このバックグラウンドが存在したからこそ帰国してからも華々しくカムバック出来たのでしょう。 欧州でもSteepleChase Labelを中心にライブ、スタジオ録音を30作品以上をリリースしており、多作家ぶりを印象付けています。 想像するに本人の売り込みは全く無く(そもそも熱心に自己アピールするタイプのプレイではなく、ごく自然体での演奏ですから)、レコード会社の方から作品制作の依頼が舞い込んで来るのでしょう、彼ほどの個性と風格、気品、音楽性、人気、存在感、しかし何よりこれは時代の成せる技に違いありません。 一時帰国盤では65年5月録音「Gettin’ Around」69年4月録音「The Tower of Power!」70年8月録音「The Jumpin’ Blues」を挙げたいと思います。 76年12月、本作と同一メンバーでNYC, Village Vanguardでのライブ演奏を収めたアルバム「Homecoming」が文字通りの帰国第一声でしたが、本作は遡ること1ヶ月半、帰国直後の10月真にフレッシュなDexterを捉えた演奏で2011年に発掘、リリースされました。正規の録音ではないので音質やバランスは決して良くありませんが、何しろバンド全員の一丸となった勢いが素晴らしく、個人的には本作の方に軍配を挙げたいと思います。 70年7月Swiss Montreux Jazz Festivalにて、Junior Manceとの演奏を収録した「Dexter Gordon with Junior Mance at Montreux」はワンホーン・カルテットによる絶好調のDexterを捉えた作品、ライブのオープニング・ナンバーが同じFried Bananasなので似たような印象を受けますが、本作ではトランペット界の鬼才Woody Shawを迎えたモダンジャズ黄金のコンビネーションによる2管編成、両者のユニゾン演奏だけでも相乗効果で何倍にもメロディが分厚く聴こえます。 Dexterのどちらかと言えば穏やかで朗々としたサウンドに強力なスパイスを加える効果を生んでいます。しかもShawのアグレッシヴでスポンテニアスなプレイは決してtoo muchではなく、むしろDexterのプレイと素晴らしいコンビネーションを生み出し、対極を行く演奏を信条としていますが、互いに無い部分を補い合うかの如く絶妙なバランス感を伴い、オーディエンスを興奮の坩堝に誘い込みます。 DexterはFreddie HubbardやDonald Byrd、Benny Baileyら他のトランペット奏者とも共演を果たしていますが、Shawほどのプレイの相性の良さは感じられません。ふたりの人間関係が大変良好だった故のように思います。 DexterとShawのそもそもの出会いはSwiss出身のピアニスト/アレンジャーGeorge Gruntzの72年録音アルバム「The Alpine Power Plant」です。Phil Woods, Rolf Ericson, Benny Bailey, Sahib Shihabらを擁しBaden, Switzerlandで録音されたビッグバンド・プロジェクト、ここでの共演で互いに惹かれ合うものを感じたふたりは「ぜひとも一緒にバンドをやろう!」と約束を交わしたのだと想像しています。 Shawが共演したサックスプレーヤー、テナー奏者ではJoe Henderson, Benny Maupin, Azar Lawrence, Billy Harper, Carter Jefferson、アルト奏者ではEric Dolphy, Jackie McLean, Gary Bartz, Rene McLean, Anthony Braxton, Kenny Garrettたちモーダルや前衛スタイルのプレーヤーで、Dexterのようなハードバップ・スタイルのサックス奏者との演奏は珍しい例です。しかし本作に於ける、特にFried Bananasでの両者の一体感はジャズ史に残る素晴らしいコンビネーションだと思います。 スタイル的には全く異なる語法、方法論ですが、迎合することなく徹底的に自分を出した演奏を展開しても違和感がないのは、ひとえにお互いのプレイを尊重した結果に違いありません。 ドラマーLouis HayesとDexterは何度もセッションを重ね気心の知れた間柄、ベーシストStafford JamesとピアニストRonnie Mathewsは恐らく初共演になるので、Hayesの推薦があったのかも知れません。何しろ米国のジャズシーン、ミュージシャンの人脈にはDexter疎くなっていましたから。 Dexter Gordon それでは演奏内容について触れて行きましょう。1曲目Fried Bananas、スタンダードナンバーIt Could Happen to Youのコード進行を元に書かれたDexterのオリジナル、早い話替え歌ですね(笑)、メロディアスかつリズミックな名曲、自身は機会あるごとに取り上げて演奏していますが、前述の69年4月レコーディング「The Towe of Power」と同時録音「More Power!」が初演になります。 冒頭司会者のアナウンスが入りDexterの紹介が始まります。『Copenhagenから来た若者(この時49歳ですが)、one and only, Dexter Gordon!』その直後に聴かれるShawによるファンファーレ、さりげにこの音色の素晴らしいこと!リズムセクションも音を出して歓迎の意を表しています。 オフマイクで『Fried Bananas』とメンバーに演目を伝え、その後何故か仏語(CopenhagenはDenmark語が公用語ですが)での挨拶の後、マイクに向かい演奏曲目のアナウンスが始まります。2回続けて曲名を紹介していますが、Dexterはステージでタイトルやメンバーの名前を連呼する傾向があります。 通常よりも速いテンポでスタート、Shawがテーマをちゃんと吹けていないのはバンド発足が間も無いからでしょうか(汗)。Dexterはテーマのメロディ奏から既に抜群のレイドバックを提示しており、この事に動揺したShawがテーマを間違えたのかも知れません。テーマの後半はShawもDexterのレイドバックに合わせ始めました。 ピックアップソロからDexterのアドリブが始まります。前述の通りIt Could Happen to Youのコード進行をベースにした曲ですが、いきなり半コーラス、16小節間ほとんどそのままに原曲のテーマを吹いています。引用フレーズの達人Dexterの面目躍如、というよりダジャレオヤジ現る!と言った方が相応しいかも知れません(汗)。 それにしても何という素晴らしい音色でしょう!誰よりも恵まれた豊かな体軀(身長198cm!)、分厚い唇によりマウスピースを容易く咥える事の出来るルーズなアンブシュアー、この事から生じる豊かな倍音を含んだ音色、脱力とレイドバック、長い8分音符ゆえのタップリ感、ユーモアのセンス、味わい深いニュアンス、そして決して枯渇する事のない砂漠のオアシスに湧き出る泉の如きフレージングとアイデア、ここでの演奏はこれら全てが文句の付けようのないバランスで表出されています。 リズムセクションのサポートも素晴らしく、on topのビートを繰り出すトリオに対しビハインドに位置するDexterとのバランスが絶妙、そして全編に於いてLouis Hayesのカラーリング、特にバスドラムのレスポンスが良い味を出し、Dexterとのスリリングなコンビネーションを聴かせています。 滞欧中のライブ盤の中には、地元のピアノトリオを相手に孤軍奮闘しているDexterの演奏を耳にする事があります。彼の演奏に対し何を行ったら良いのか、どんなレスポンスすれば適切なのかがほとんど分からない、マイナス・ワン状態、馬の耳に念仏の如きリズムセクションに対して、怯まず可能な限りのスイング・スピリットを注入するDexterがいます。 でもこんなことが続けば、素晴らしいリズム隊が大勢待つ母国に帰りたくもなるのも当然でしょうね。 Louis Hayes テナーソロ後しばしスペースを置きShawの登場です。こちらもまた一聴彼と判断出来る素晴らしいトーン、ハスキーさと抜け切らないこもった成分、反するブライトネス、スピード感、これらがあり得ない次元でのバランス感を伴い発出されている、物凄い個性の塊です! 4分半にも及ぶロングソロではShaw独自のインプロヴィゼーションの方法論、ハーモニー感をとことん聴くことが出来ます。 ハーモニーに対してインサイドなアプローチではいわゆるリック的なフレーズも演奏されていますが、アウトする音使い、Shaw節フレージングでは全く独自な彼の世界に突入しており、Ornette Colemanのインプロヴィゼーションにも通じる、真の天才のみがなし得るオリジナリティを確認することが出来ます。 加えて、えも言われぬニュアンス、ビブラートから発せられる男の色気(堪りません!)、絶妙なタイム感、16分音符フレージングに於ける超絶ぶりとその確実なコントロール。これらの放出を誰も止める事のできないレベルで聴くことが出来るのです。 彼の吹くフレーズは毎回トランペットの機能の限界に挑むかのような難易度を極め、時としてミストーンが目立つ場合があります。フレーズの方が難しすぎてトランペットの機能が追いつかないとも言えるでしょう。 でもここでの演奏は全くパーフェクトと言って言い過ぎではなく、Dexterと共演できる事の喜びがShawにリラクゼーションを与え、肉体的、精神的コンディションが楽器の発音やコントロールに影響を与えがちなトランペット奏を、万全なものに仕立てたと判断しています。 Woody Shaw 引き続きRonnie Mathewsのピアノソロが始まります。Art Blakey and the Jazz Messengers他多くのバンドに参加し、職人タイプのピアニストとして活躍していました。ここでも堅実な素晴らしいプレイを聴かせています。彼の第2作目75年アルバム「Trip to the Orient」はドラムLouis Hayes、ベースに我らがYoshio “Chin” Suzukiを迎えた日本制作盤、自身の音楽性を存分に発揮しています。 Stafford Jamesのベースソロ後、フロント陣とドラムとの8バースが聴かれますが、巧みなHayesのドラミングにインスパイアされたのか、ふたりとも大健闘、本編とはまた異なる素晴らしいプレイを繰り広げますが、惜しむらくはDexterが一度用いた引用フレーズIt Could Happen to Youのメロディを再奏した点です。引用フレーズを同曲で複数回用いるのは法律で禁じられていますから(嘘)。 Fried BanansのエンディングにはDexter入魂のアレンジが施され、この曲の価値をグッと高めました。 Stafford James 続いてDexter本人によるメンバー紹介があり、3曲目Horace Silver作の名曲Strollin’に繋がります。こちらは彼の74年欧州録音の作品「The Apartment」に既収録されています。 The Apartmentでの演奏も好演ですが、コード進行の難しいStrollin’を実はセオリー通り無難にこなしている感を否めません。本作でのプレイはチェンジを超越し、ウタを歌うが如くナチュラルに、まるで帰国出来た充実感を噛み締めるかのように味わい深く演奏しています。 ミディアムテンポでのDexterのリズム感はテナーサックス奏者全員の憧れ、実に素晴らしいタイム感をキープしつつ、前半ではオクターヴ下の音域を中心に演奏しており、音色の極太感からバリトンサックスと見紛うばかりのトーンです。ソロが盛り上がるにつれ次第に音域が上がりますが、相変わらず8分音符を主体としたソロを展開、数カ所で引用フレーズも披露し、聴衆が彼のスイング魂に聴き惚れているのが伝わり、リズム隊も相応しいバッキングで徹底的に対応しています。 ソロ終わりの盛大なアプローズ後、やはり暫くの間があってShawのソロがスタートします。始めは16分音符を用いたラインが多かったのですが、次第にDexterの影響を受けたのか8分音符主体の朗々としたアプローチへと変化します。 ピアノソロに移行する手前にテープ編集の跡を確認しました。まだまだトランペットソロが続いていたようですが、前曲のプレイに比べると冗長さを感じさせるので、ソロをカットされたと想像しています。 続くMathewsのソロは倍テンポをプレイ中提示し、しっかりと二人が追従しています。その後徐に元のテンポを出し再びミディアム・スイングに戻りますが、幾分予定調和と聴こえてしまいます。ベースソロまでしっかりと回り、ラストテーマを迎えます。 Ronnie Mathews 4曲目はバラードでYou’ve Changed、61年5月Blue Note Labelで録音したアルバム「Doin’ Allright」ではFreddie Hubbardを迎え、トランペットがバックグラウンドを吹き、テナーが訥々とメロディを奏でるスタイルで同様に演奏しています。Dexterのバラード名手ぶりを堪能できるテイクです。 アナウンスの前にDexter自身がBud PowellのUn Poco Locoのイントロ・メロディを吹き、ピアノとドラムが追従しています。その後もう一度同じメロディを拍を少しずらして吹き始めます。わざとなのか、間違っただけなのか、これが妙に新鮮に聴こえました。彼らにとってPowellの曲はバイブルのようなナンバーなのでしょうね、このまま同曲を演奏してくれても良かったのに、とも思いましたがおもむろにYou’ve Changed、とDexterがタイトルを述べ、何とこの曲の歌詞を口ずさみ始めたではありませんか!低音の渋い声で!ここでその歌詞をご紹介しましょう。 『You’ve changed   That sparkle in your eyes has gone   Your smile is just a careless yawn   You’re breaking in my heart   You’ve changed   You’ve changed』 Dexterはバラード演奏時にメロディはもちろん、歌詞も覚えてその意味を自分なりに解釈して演奏しています。『それはLester Youngから学んだ事なんだ」と言う本人の弁もあるように、彼が主演の86年映画「Round Midnight』、音楽担当のHerbie Hancockがアカデミー作曲賞を受賞、Dexter本人もアカデミー主演男優賞にノミネートされた作品です。街角でバラードを朗々とアカペラで吹いていると突然吹くのを止め『いかん、歌詞を忘れちまったぜ』というシーンには説得力があります。 歌詞朗読はオーディエンスに大受けし、会場のムードが更に和んだところで演奏開始です。いや〜それにしても何という凄い音色でしょう!Dexterのバラード奏は天下一品、朴訥さとニュアンス、感情移入が堪りません!プレイはライブという事もありオープンなテイストを聴かせますが、「Doin’ Allright」時よりも渡欧生活で蓄積されたのでしょう、深みを感じさせます。 続くトランペットソロはしっかりと倍テンポで行われます。こちらも唄心をとことん感じさせるプレイ、明らかにDexterのスピリットに啓発された入魂ぶりを聴かせています。 ピアノソロを経てラストテーマへ、エンディングでのCadenzaのこれまた素晴らしいこと!Dexterの芸歴の中でもベストに挙げられるプレイです!サブトーン、実音の巧みな音色の使い分け、ジャジーなフレージングのオンパレード、最低音からフラジオを含めた高音域までバランス良く演奏し、センテンスの間に投げかけられる、感極まった熱狂的ファンの歓声が次第に大きくなり、ストーリー性をもった演奏はドラマチックに、ダイナミックに、申し分なく挙行されました。 ラストはBonus TrackのBags’ Groove、本編の約6年後に当たる82年6月、Los AngelesにあるHollywood Bowlにて行われたPlayboy Jazz Festivalでの演奏です。 Milt Jacksonをゲストに迎え彼の代表曲を選び、Shaw以外は全員メンバーが入れ替わったジャムセッション形式での演奏になります。 作品としての一貫性を持たせるべく、是非ともVillage Gateでのテイクで統一して欲しかったところです。何処かに存在するとは思うのですが。 ジャズ・フェスティバルでの広い会場の演奏はそれなりの盛り上がりは期待できますが、ライブハウス・ギグとは異なり、緻密さにかける傾向は否めず、どうしても演奏は大味なものになりがちです。こちらはどうでしょうか。 それまでよりも録音の音質はクリアーですが、案の定やや「お仕事」、「見せ物興行」的に演奏が進行していて、残念ながらsomething happensは起こっていません。  

2021.07

jazz/music 

2021.07.25 Sun

Closeness / Charlie Haden

今回はベース奏者Charlie Hadenの1976年作品「Closeness」を取り上げてみましょう。 Recorded: January 26, 1976 at Kendun Recorders in Burbank, California (track 3) and on March 18 (track 1) and March 21 (track 2 & 4), 1976 at Generation Sound in New York City Label: Horizon Producer: Ed Michel b)Charlie Haden   p)Keith Jarrett(track 1)   as)Ornette Coleman(track 2)   harp)Alice Coltrane(track 3)   perc)Paul Motian(track 4) 1)Ellen David   2)O. C.   3)For Turiya   4)For a Free Portugal Charlie Hadenが4人のミュージシャンとDuo演奏を行なった作品です。Duo形態で彼は色々なミュージシャンとのレコーディングを残しており本作もその一つ、直近では同76年Hampton Hawesと「As Long as There’s Music」、翌77年本作の続編とも言うべき「The Golden Number」ではDon Cherry, Archie Shepp, Hampton Hawes, Ornette Colemanたちと、そしてOrnette Colemanと全編サシで「Soapsuds, Soapsuds」、78年Christian Escudeと「Gitane」。以降も多くのDuo作品を手掛けていますが、いずれも大変高い音楽性を湛えています。 もう1枚紹介したい作品が81年録音Denny ZeitlinとのDuo「Time Remembers One Time One」(ECM)、San Francisco, Keystone Kornerでのライブレコーディングを収録したアルバムです。二人の音楽性が結実した演奏で、選曲にも工夫がなされています。ユニークなHadenオリジナルChairman Mao(毛沢東主席)、OrnetteのBird Food、Zeitlin作の表題曲、Ellen Davidの再演、アレンジされもはや別曲のCole Porter作Love for SaleやJohn ColtraneのオリジナルSatelliteとHow High the Moon(Satelliteの原曲です!)のメドレー、ボサノヴァの名曲Luiz Eca作The Dolphinなど、ライブ録音ではありますがアルバムリリースを考えて演奏をコンパクトに纏めており、両者のカラーがバランス良く凝縮しています。 Duo活動だけではなくHadenはCarla Bleyと67年に結成した13人編成のラージ・アンサンブル・バンド、Liberation Music Orchestra(LMO)も並行して活動を続けていました。対極に位置する編成を組織していたわけです。大は小を兼ねる、ならぬ小は大を兼ねる、サポートの達人であるHadenは大きな編成でも遺憾なく自身の音楽性を発揮しました。 70年作品「Liberation Music Orchestra」は参加メンバーGato Barbieri, Dewey Redman, Don Cherry, Roswell Ruddらの素晴らしくも個性的な演奏から、豊かなアンサンブルとインプロヴィゼーションを聴く事が出来、ユーモアに富みサウンドも充実したBleyのアレンジ、楽曲がとても魅力的です。 同時に反戦、反骨精神を躊躇することなく掲げ、スペイン内乱、キューバ革命のErnesto Guevara、戦争孤児やベトナム戦争をテーマに、組曲風にも仕上げています。ジャケットのセンスも秀逸、メンバー全員が並ぶなかBleyとHadenがバンド名を記した旗を両脇で支えています。 2005年の同バンド作品「 Not in Our Name」のジャケットはLMOのデザインを踏襲しています。 こちらではBleyとHadenの立ち位置が入れ替わっているのにどこか可笑しみを感じ、そして背の高いメンバーが加わったために旗の高さも20cmは上がり、背景のブルーも合わさって成長と開放感を感じます(笑)。 LMOはHadenの逝去まで40年以上の長きに渡り継続され、作品を計6枚リリースしました。11年のライブ録音2曲とHaden死後のトリビュートとしてBleyのオリジナルが3曲追加された(ベーシストは適任であるSteve Swallowが代役を務めました!)「Life/Time」がラスト作です。 Hadenのベースプレイはユニークな経歴に由来する独自なスタイルを聴かせます。 37年8月米国中部Iowa州で生まれ、家族全員がミュージシャンという環境、カントリーミュージックやフォークソングを演奏していたそうで、2歳の時にラジオのショーに家族で出演、ボーカリストとしてデビューしたそうです。15歳の時にポリオを発症するまで家族と共に歌い続けました。 08年にはHaden永年の夢であった彼の妻や4人の子供たち、親しい友人ミュージシャンRosanne Cash, Elvis Costello, Bruce Hornsby, Pat Methenyらとカントリー・ウエスタンを演奏したアルバム「Rambling Boy」を発表、楽しげに演奏している雰囲気が手に取るように伝わります。ここではメンバーを統率するリーダーシップに加え、家長たる威厳と愛情を感じます。 またOrnetteのバンドやKeithと演奏している時と全く異なり、コードの1度と5度しか弾いていないのですが(汗)、絶妙なビート感と音の立ち上がり、いつもの深い音色、彼のルーツはこれに違いないと実感しました! 14歳でCharlie ParkerやStan Kentonのコンサートに触れ、ジャズに興味を持つようになり、後にポリオの症状を克服してからベースを独学で演奏し始め、ハーモニーやコードをBachの作品から学びました。 Los Angelesで本格的に音楽を学ぶべく、その費用を貯めるためにMissouri州にあるテレビ局のハウス・ベーシストとして演奏していた経歴は、彼の早熟ぶり物語ります。 20歳の時にLAに居を移し、Hampton Hawesを尋ねRed MitchellやPaul Bleyと親交を持ち、Art Pepperとも共演、かの名ベーシストScott LaFaroとはアパートの部屋をシェアしていたそうです。Ornetteの60年録音作品「Free Jazz」はLaFaroとのツーベースでの演奏を収録した、奇跡の名演奏です。 様々なミュージシャンと交流できたのは演奏能力はもちろん、彼のフレンドリーな性格からでしょうが、Ornette Colemanとは音楽の方法論やコンセプトに合致するものを見出し、運命的な出会いを感じていたようです。 59年にOrnetteの代表作「The Shape of Jazz to Come」のレコーディングに参加します。Hadenのプレイは幼い頃から経験したカントリーやフォーク・ミュージックに影響されたスタイルとTexasブルースの要素、そしてOrnetteのMicrotonalと言われる音楽的方法論とが合わさり、初期の段階からオリジナリティを獲得していました。 その後Ornetteのカルテットと共にNew Yorkに移り、ジャズクラブFive Spotでの6週間に渡る演奏の中で即興演奏時に新たな方法論を見出しました。 Haden曰く「我々の初めの頃の演奏は即興演奏時に曲のパターンの類を追い求めていたけれど、OrnetteがNew Yorkに移るなり曲のパターンを演奏しなくなった。曲のブリッジやインタールードの類もだ。言ってみれば耳だけを頼りに演奏すると言うことで、それからは徹底的に彼について行くように心がけ、彼がその瞬間、瞬間に感じた事で発生した新たなコードの構造、提示するコードチェンジを追うように、とにかく努めようとしたんだ」。 60年にドラッグ問題でOrnetteのバンドを離れ、自らの意思で薬物リハビリテーションプログラム施設Synanon(Joe Pass, Art Pepper, Chet Bakerたちも入所しました)で63年まで治療を受け、その後社会復帰を果たします。施設で出会った女性Ellen Davidと後に結婚しました。 64年に音楽活動を再開しJohn Handy, Denny Zeitlin, Archie Shepp, Attila Zollar, Thad Jones/Mel Lewisたちとプレイし、67年にOrnetteのグループに返り咲きます。バンドは70年代初頭までアクティヴに活動しており、HadenはOrnetteの複雑なアドリブ・ラインの転調に実に器用に対応することが出来るとベーシストと、評判が立つほどでした。 ベース奏者は基本的にコードのルート音を強拍(1, 3拍)に演奏し、コード感の基音を提示する役割を担います。 サックスを擁したカルテットであればその上にピアノのコード音が成り立ち、サックスが奏でるラインがコード感というデコレーションを纒い音楽が成立しますが、HadenのベースはOrnetteとの長年の共演で培われたアプローチから、演奏者が想定するサウンドやコード進行、構造に対して即座に反応し、瞬時に寄り添い、都度に的確な音をプレイします。 時にはコードのルート音を演奏せずにそのコードのサウンドとはかけ離れた音を弾きますが、ソロイストやバッキングのサウンドとの関係から、興味深いテンション感を伴って〜ジャズの醍醐味のひとつです〜音楽的に成立するのです。 他のベーシストと演奏を聴き比べてみてください。誰よりも深淵な音色、スピード感が半端ない音の立ち上がりとon topさはもちろん、決してリック(指癖)やパターンではない常にスポンテニアスでクリエイティヴな音使い。ベースと言う楽器を鳴らす、操るテクニックに関しては常にマエストロぶりも発揮しますが、共演者に触発された際の瞬発力、独自のラインを構築するセンスで右に出るものは存在しません。一般的なベーシストとは全く異なる演奏を聴かせているのです。 DuoはHadenにとって、彼の個性である「相方のアプローチを瞬発力を伴って引き立てる」を、最も的確に表現できるシチュエーションなのです。 それでは収録曲の演奏に触れて行きましょう。1曲目のDuo相手はKeith Jarrett。Keithとは彼のトリオで67年「Life Between the Exit Signs」からの共演歴になり、ドラマーにはPaul Motianを迎えたKeith Jarrett Trioとしての演奏のほか、Dewey Redmanを迎えたいわゆるAmerican Quartetとしても名作を数多くリリースしています。Quartet作品では「Treasure Island」を挙げたいと思います。 演奏曲はHadenの代表ナンバーEllen David、前述のSynanonで出会い、奥様となった女性に捧げたナンバー。 美しいメロディとドラマチックな構成を有すコード進行、Keithのピアノが実に叙情的に歌い上げます。 Haden自身も作曲したときにKeith以外にこの曲を弾きこなせるピアニストは存在しないと思ったそうです。 イントロはベースのトレモロから始まり、良く伸びる太くふくよかな音色で奏で、ムードを高めます。ベース自体の音色は多少ピックアップ音が混じりますが、生音の迫力を聴かせています。 聞くところによると彼の使用コントラバスは大変歴史的価値のあるヴィンテージ楽器、移動のことを考えると容易くツアーには持って行くことが難しいそうです。 弘法筆を選ばずではありますが、やはり良い楽器はそれなりの音がするのです。 Keithの力強く、しかしリリカルなピアノタッチから繰り出されるライン、コード、リズムはジャズピアニスト史上最高峰に位置するクオリティ、デュエットで対等に共演出来るのはHadenを置いて他には考えられません。 作曲者自身であるので、曲の解釈をどのようにするかは全権委任されて然るべきですが、それにしてもKeithの演奏するメロディやラインに対処していくアプローチは小気味良いまでに自由奔放です! Keithを主体としてHadenがどのような音を繰り出しているのか、Keithのフレージングとの関連性、リズム的なアプローチを体感しつつ両者の絡み具合を認識する、また放置し出しゃばらずにKeithの成り行きを見守る部分の必然性(なぜ弾かないのか、どうして抑制しているのか)を考えてみる、などなど演奏の中により入り込み、音が耳に飛び込むのに身を任せるだけでなく、より一歩演奏に入り込んでプレイを聴くことをお勧めします。 TVのバラエティやお笑い番組は見ていて殆ど間違いなく楽しく笑わせて貰えます。そのように構成、プログラムされているから当然ですが、でも視聴後何も残りません。慣れとは恐ろしいもので「何をあんなに笑っていたのだろう?」とさえ考える事も無くなるのは、全てが受動であるからです。 Jazzにもそれらに近いテイストを持つものもありますが、少なくともHadenとKeithの音楽は真逆の位置にあります。自ら音楽に入っていかない限り彼らの真髄を体感する事は出来ません。 ベースソロが始まりHadenはメロディの断片を演奏します。Keithはまるで輪唱のように同じメロディをプレイ、Hadenはそれに対応するべく再びメロディの断片を弾き始めます。互いにメロディの応酬を行いますが、その間に聴かれるHadenのアドリブライン、繰り出すフレーズの崇高さ、Keithのフィルインの相応しさ、美しさには鳥肌が立つほどです! Ellen David 2曲目は盟友Ornette ColemanとのDuo、曲のタイトルも彼のイニシャルからO. C.です!HadenのナンバーですがまるでOrnetteが書くオリジナルの如きメロディライン、雰囲気、HadenがOrnetteの作風をイメージして作曲したのでしょうか。印象的なテーマ後、アップテンポのスイングでカンバセーションが開始されます。 Ornetteの吹くラインは独創的、Ornette節も感じさせますが、何より常にクリエイティヴにフレッシュなラインを構築している事に驚かされます。決して指癖の類の手なりではなく、毎回違ったアプローチで対応しているのです。 何かのインタビューでOrnetteは「Charlie Parkerはコード進行に対する横の流れを重んじて演奏しているけれど、僕の演奏はコードに対するフレーズだ」と言うような趣旨の発言だったと記憶していますが、彼にとって自身の吹くアプローチがフレーズという捉え方は驚き以外ありません。僕自身のフレーズの概念が揺らぐほどです。Parkerの演奏こそがまさしくフレーズによるアプローチと捉えていました。 Parkerスタイルの継承者Sonny Stittは全てがフレーズによるアドリブ、膨大なフレーズをストックし順列組み合わせの巧みさを活かして流暢な演奏を聴かせます。Parkerはフレーズの組み合わせも素晴らしいですが、スポンテニアスなアプローチも随所に聴かれるフレキシブルな方法論ではあります。これらを踏まえるとOrnetteのフレーズとは、解釈の全く異なる次元に存在しています。ジャズ界の革命児と呼ばれる所以でしょう。 Hadenの猛烈なスピード感を伴った独創的ラインの上で、これまた異次元から発せられたかのような「フレーズ」をOrnetteが奏でます。常に一触即発、Ornetteが主体ではありますが互いを良く聴き合い、Ornetteの音楽性を100%信頼し尊敬するHadenならではの追従アプローチ、転調したキーに確実に合わせています。翻ってみればOrnetteもHadenに対し全く同様です。 ひとしきりの会話後Hadenのソロ、アルトソロの余韻をしっかり残しながら、テーマの断片も交えつつ深い世界を語ります。 突然アルトが切り込み第二楽章がスタートします。暫しHadenはファスト・スイングを提示しますがOrnetteは朗々と吹き、先ほどとは異なったアプローチを模索しているようです。Hadenは様々に仕掛けますがテンポ的にはもう少し遅いスイングをイメージしているようで、Ornetteは動かざること岩の如し。アルトのアッチェルランドやリタルダンド、ルパートに合わせる、フレーズに呼応したり、これらの様は長年の共演歴の成せる技以外の何者でもありません。そしてほど良きところでテーマを吹き始めます。 ごく初期の「The Shape of Jazz to Come」の時とは全く異なる次元での深遠な世界、この演奏は本作の価値を全く高めました。 Ornette Coleman 3曲目はAlice Coltrane、彼女はピアノ奏者ですがここではハープを用いてのDuo、タイトルFor Turiyaとは彼女のサンスクリット語名Turiyasangitanandaに由来します。 Hadenが彼女のアルバムに参加したのは70年録音「Journey in Satchidananda」収録Isis and Osiris、New YorkにあったThe Village Gateでのライブ録音になります。 Aliceのハープ演奏に感銘を受けたHadenが彼女に捧げて曲を書きました。 とは言ったもののメロディを弾くのはHaden、Aliceは主にバッキング担当、テーマ後、Hadenの壮大なソロが聴かれます。Aliceは小さめの音量でバッキングを入れますが、そもそもハープの音色自体が効果音的なので、ジャズ演奏で用いられることはあまりなく、難しい楽器のチョイスです。Hadenひとしきり語ったところでルート音を決め、ハープソロへ。ラインを紡ぐように弾き、スペーシーな演奏を展開しますが、ハープのうねるような音階のラインは大海原を泳ぐイルカのようで、水中で回転したり時たま水上に顔を出したり、二人は気持ち良さそうに演奏を繰り広げます。 4曲目For a Free Portugalは盟友Paul MotianとのDuo、Motianはパーカッションで参加します。しかしこれは演奏というよりもメッセージ、しかも政治的なものとして収録されています。 曲の冒頭に聴かれるアナウンスメントは聴衆に対するHaden自身のスピーチ「この曲をモザンビーク、ギニア、アンゴラの黒人民族解放戦運動に捧げます」。 Ornetteが録音していたテープから起こされたものですが、71年Portugal Cascadeで行われたインターナショナル・ジャズ・フェスティバルにHadenはOrnetteのカルテットで出演します。 その時にLMOで演奏していた自身のオリジナルSong for Che(Guevara)を演奏し、Dewey Redman, Ed Blackwellたちと反戦のために抗議姿勢を示したのです。 演奏の途中にはオーバーダブされたアンゴラ解放人民運動のテーマ曲と、68年人民運動軍がPortugal軍と交戦した際の銃声も聞くことができます。 Portugalはかつてアフリカから奴隷要員を南北アメリカ大陸に輸出していた最大国であり、アフリカ大陸植民地化を率先して行いました。 Hadenの挙げた3つの国はかつてのPortugalの植民地で、50年代以降激化するアフリカ大陸の黒人開放と共和国独立にPortugalは大変ナーバスになっていました。 当然の成り行きといえば違いないのですが、翌日HadenはLisbon空港でPortugal秘密警察に逮捕されます。しかし4時間後に米国大使館の猛烈な抗議で即釈放となりました。 この出来事が動機となり、この演奏が生まれたのです。本演奏は70年代初頭の時代のなせる技ですが、反戦運動家Hadenならではのテイク、曲自体はスパニッシュ調のムードを8分の6拍子で演奏しています。          

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2021.07.10 Sat

Free Jazz: A Collective Improvisation / Ornette Coleman Double Quartet

今回はアルトサックス奏者Ornette Colemanの1961年作品「Free Jazz: A Collective Improvisation」を取り上げたいと思います。 Recorded: 21 December, 1960 at A&R Studios New York City Label: Atlantic Producer: Nesuhi Ertegun Left channel: as)Ornette Coleman   pocket tp)Don Cherry   b)Scott LaFaro   ds)Billy Higgins Right channel: b-cl)Eric Dolphy   tp)Freddie Hubbard   b)Charlie Haden   ds)Ed Blackwell 1)Free Jazz   2)First Take ジャズ界数ある問題作の中で、最も存在感のあるアルバムの一枚が本作「Free Jazz」と思っています。 Jazzという言葉の定義は実に広範にしてしかも曖昧ですが、Ornetteは大胆にもここにFreeと形容し、これ以上は考えられない適任のメンバーを集め、相応しい内容の独自の演奏フォームを考案し、やり遂げてしまった異端と革新性を高く評価しています。 明確なヴィジョン、それをとことん貫き通す強靱な意思、精神力。 揶揄されたり誹謗中傷とは切っても切り離せない状況下で、とことん信念を持って表現し続ける男の美学。 米国内には天才が数多く出現していますが、彼も間違いなくその中のひとりです。そして私が心から尊敬するミュージシャンのひとりでもあります。 Ornette Coleman   米国50年代末の出来事です。Modern Jazz黄金期の終焉と共に仕事を求め欧州に拠点を移す第一線のハードバップ・ミュージシャンたち移住組、何とか母国での活動をベースにするべく演奏スタイルを状況に柔軟に則した適応組、Charlie Parkerが唱えたJazzスタイルは60年代以降も継続されますが彼の登場から10数年を経て米国の社会情勢、音楽環境が変化し、プレイヤーにも変革が求められていました。 Lennie Tristano, Thelonious Monkらに端を発する、Jazzの様式に根ざしつつも枠から抜けようとするミュージシャンたちが50年代現れ始めました。Cecil Taylorもその一人ですが彼はクラシック・ピアノや作曲、編曲、和声学を学び、欧州近代クラシック〜Bartok、現代音楽〜Stockhausenに親しんだ楽理派、60年代以降はOrnetteと共にシーンのけん引役を担いました。 そのOrnetteはほとんど独学で14歳の時にサックスを始めました。40年代はテナーサックス奏者としてもローカルのR&Bや bebopバンドで演奏活動を行い、当初は貧しかった家族を養うことが目的でしたが次第に音楽的な目標を見出し、アルトサックスではCharlie Parkerからの影響を受け、テナー奏者としてはIllinois JacquetやBig Jay McNeelyばりのホンカー・テナーを吹いていたそうです。彼の演奏からは確かにホンカーの影を感じる事が出来ますし、後年の作品77年「Dancing in Your Head」に於けるFunkのリズムのルーツを感じることが出来ます。 周囲の仲間の発言によれば47年頃には彼自身の音を見つけ、49年には既にコードの置き換えについて研究を始め、「どうしてこれはこうじゃなければならないんだ?」のような質問をして来たそうです。一聴彼のプレイはハーモニー感やコード感とは掛け離れているようですが、彼なりのサウンドが確実に鳴っているのでしょう。 あごひげを長く伸ばし、長髪で痩せっぽちの独特な風貌は黒人ミュージシャンらしからぬもの、「イエス・キリストを彷彿とさせるイメージ」で、しかも菜食主義者、真夏でもコートを着込むおかしなファッション、人種差別主義の警官たちや異端を良しとしない輩から随分と攻撃を受けました。 49年Louisiana州Baton Rougeで演奏後に襲われ、楽器を破壊された逸話が残っています。その頃から型にハマらない後年のスタイルで演奏していたそうなので、彼の演奏を良く思わない黒人に暴力をふるわれ、テナーを取り上げられ投げ捨てられたそうです。この後アルトサックスに転向することになります。 ひたすら異端の演奏に没頭し、生活のために音楽を演奏しているにも関わらず、例えばダンスミュージックを演奏中にも閃いた自分のアイデアを優先させるのでバンドを解雇させられました。彼の信念である「Freedom」を実践する方法を見つけようと、自身を受け入れてくれそうな所に行っては意に反し冷たい仕打ちを受けました。黒人で髪の毛が長かったという理由だけで留置所に入れられた事もあります。 自分のやりたくない事はやらず、ミュージシャンから自身の音楽を否定され続け孤独でしたが、それでも数少ない崇拝者は存在し、次第に彼の音楽に共感するプレーヤーも見つかり始めました。トランペット奏者Don Cherry、デビュー作からOrnetteの相棒、もう一つのヴォイスとして長きに渡り活動を共にする盟友ですが、当初Ornetteは気がふれていると本気で考えていたそうです。ドラマーBilly Higgins, Ed Blackwell、ベーシストCharlie HadenはOrnetteとの出会いを運命的なものと感じていました。 58年に転機が訪れます。西海岸Los Angelsの名門レーベルContemporaryにベーシストRed Mitchellの口利きがあり、Ornetteが作曲したナンバーをレーベルに売却しに行くことになりました。当時の彼は音楽の仕事がなく気も滅入っていて、母親に電報を打ち故郷へ帰るためのバスの切符を送ってくれるように頼み、切符が届いたまさにその日、レーベルオーナーLester Koenigから連絡がありました。取るものも取り敢えずDon Cherryと二人でComtemporaryスタジオに赴き、Koenigに自己紹介をしました。 後にKoenigが語っていますが、彼をピアノの前に連れて行き自分の曲を弾いて見るように言うと、Ornetteはピアノを弾けないと答え、「ピアノが弾けないのならどのようにして君の作った曲を私に聴かせるんだい?」と尋ねると彼は白いプラスチック製のアルトサックスをケースから取り出してCherryを伴って曲を吹き始めました。 Koenigは彼の曲を気に入り7曲、1曲につき25ドルで買い取りました。さらに彼らの個性的なプレイに興味を持ったKoenigはOrnetteにレコーディングをしてみないかと持ちかけたのです。 Contemporaryレーベルはリリースされたアルバムのカラーから、どちらかと言えば保守的な傾向にあるレコード会社とイメージしていましたが、Koenigは調性音楽を脱し、無調に突入し12音技法を創始したことで知られるオーストリアの作曲家Schonbergの古くからの友人であり、本人もレコード会社を経営する前は2度アカデミー賞を受賞した映画プロデューサーであり、Hollywoodの「共産主義シンパの追放」に反対しブラックリストに載せられるほどのアクティヴな知識人でした。Ornetteは彼にとって全く相応しいレコード会社に作品を持ち込んだのです。 Koenigはレーベルお抱えのミュージシャンを起用してレコーディングをしたかった模様ですが、彼らには楽譜が読めてもOrnetteの曲をどのように演奏して良いかまでの理解は難しいだろうとして(いわゆるスタジオ・ミュージシャンですね)、Ornetteのバンド〜Don Cherry, Billy Higgins, Walter Norris, Don Payneのクインテットでレコーディングに臨みました。 演奏曲は全てOrnetteが50年〜53年の間に書いたスタンダード形式の9曲を、58年2月から3月の間3回にかけて録音しました。 ハードバップの匂いを感じさせる、しかし独創的なオリジナルの数々をリズムセクションは軽快に伴奏し、フロント二人、特にOrnetteはその個性を十分に表現しCherryもいつもの彼らしい淡々とした前衛性を聴かせています。Ornetteのソロ・アプローチが際立てば際立つほど、他者との溝を感じさせる原因の一つにピアノのバッキングがあります。テーマのメロディには間違いなくコード感が存在し、その時にはバッキングは相応しいものとして聴こえますが、Ornetteのソロ・アプローチには元のコード進行と全く別なサウンドが鳴っており、ピアノのヴォイシングはアルトのラインに対し明らかにサウンドせず、むしろ邪魔をしています。第2作目からピアノレス編成になるのは自明の理だったのです。 Ornetteは「Something Else!!!!」でセンセーショナルなデビューを飾りましたが、アルバムの売れ行きはさほどでもなく、プロデューサーKoenigは当初の考え方の通り、次作でレーベルが抱える売れっ子の二人Shelly Manne, Red Mitchellと共演させることにしましたが、Ornetteの音楽には不要であるピアニストを排除したカルテット編成となり、彼の音楽表現はかなり核心に近づきました。 第2作目「Tomorrow Is the Question」は59年1月から3月にかけて9曲録音されました。楽曲は前作とは一掃された革新性を持ち、フロント二人のプレイは更なる煌びやかさを放っています。 何と言ってもOrnetteのアルトサックスの鳴り方が素晴らしい!太くダークで実に様々な倍音が含まれ、アルトサックスらしい響きを聴かせつつ同時に、全く異なる人の叫び声や動物の鳴き声と思しきトーン、ひとつの音色にこれだけ複雑に色々な成分を同居させる事が出来たアルト奏者はかつて存在せず、誰にも似ていない真のオリジナリティを感じさせるサウンドです。前作からほぼ1年が経過し、楽器の習得度合いが格段に向上した結果です。前作同様使われている白いプラスチック製の楽器は英国製Grafton、彼のサウンドを決定付ける大変ユニークな楽器です。本人曰く金属製のサックスよりも澄んだ音が出て、今ではプラスチック製以外吹く気がしないけれど、自分のような吹き方だとせいぜい1年しか保たないので、壊れたら英国から取り寄せている。 ある音を出すとその息の形まで見える気がするが、金属製ではそれがない。金属の管の中では息が消えてしまうからだ。プラスチックの管の中はまるで真空のようだ、とも発言しています。 安価な楽器、白いプラスチック製であるため、見た目からおもちゃのようで、彼の特異なプレイスタイルも加わり奇異な印象を与えますが、本人が出したい音を確実に出せる、やりたい音楽に真摯に立ち向かえる重要なツールでした。楽器選びからして超個性的だったのです。 Charlie Parkerが53年Canada, TorontoのMassey Hallに於けるコンサートで使用したモデルと同じこのサックス、Ornetteはこれに4.5から5番のリードを付けたオープニングのかなり広い(番号、メーカー不明)マウスピースを使用していました。仲間のプレーヤーがOrnetteの楽器を試奏しましたが、ハードなセッティングのために全く音が出なかったそうです(汗)。 本作での飛翔には凄まじいものがあります。それに合わせたかのように状況はさらに良くなります。本作でのもう一人のベーシストPercy Heathが参加するバンドModern Jazz Quartet(MJQ)のリーダー、John LewisがOrnetteの演奏を気に入り、Cherryと共にSan FranciscoでMJQとの共演が実現しました。MJQは素材としてクラシックのナンバーをJazz的に演奏することを信条とする保守的なスタイルのバンド、彼らとOrnetteのコラボレーションは実に意外な気がしますが、人間の相性には計り知れないところがあります。 LewisはOrnetteのことを自分達が所属するレーベルAtlanticのオーナーNesuhi Ertegunに紹介しました。ErtegunはかつてContemporaryレーベルに勤めていた事もあり、Koenigとは友人関係で信頼も厚かったので移籍は極めて穏便に行われました。ちなみにKoenigは「後年あれ以上我が社がOrnetteの面倒を見ることは不可能だった。Los Angelesには彼のバンドが仕事をする場がなかったからだ」と発言しています。またOrnetteは80年代初めまで作曲者印税をContemporaryから得ていましたが、会社は彼の印税を払うと常に赤字が出ていました(汗)。「Tomorrow Is the Question」レコーディングが行われてからわずか2ヶ月半後にErtegun自身がLAに向かい、Ornette第3作目にしてAtlantic第1作目、そして初期の傑作「The Shape of Jazz to Come」をレコーディングします。メンバーはOrnette, Cherry, Charlie Haden, Billy Higginsから成るJazz史に残る名バンド、Ornette Coleman New Quartet、その初レコーディングです! 前作とは異なり、Ornetteの音楽を十分に理解したリズムセクションとの共演は、アルバムから表出する芸術性に桁違いの真実味が加わりました。 冒頭1曲目はOrnetteの代表曲Lonely Woman、彼の伝記にこの名曲を作曲するきっかけが記載されているのでご紹介しましょ。その頃彼はデパートの在庫品係(ストックボーイ)として働いていました。ある日Ornetteがデパートの昼休みに街に出た時に次のような事がありました。”通りを歩いていると、画廊があった。そこのショーウインドウに、上流階級のとても裕福そうな白人女性の肖像画が飾ってあった。その人は目に涙を浮かべ、とても寂しそうな表情でそこに座っていた。誰もが望むものを、全て持っているかのようだった。私は、つぶやいた。「なんてすばらしいんだ。この絵から曲ができないだろうか」”音楽家が新たな創造を行う場合、強力な刺激が引き金になります。 曲のイメージ、演奏、2管編成のアンサンブル、ドラムスの倍テンポ、対するベースのハーフリズムのキープ感、Ornetteのアルトサックスの入魂プレイとその凄まじいまでの音色!名演奏の誕生です!2曲目Eventually、Hadenのベースが繰り出すon top感とスピード、深い音色、そして柔らかくともシャープさとビートと、一拍のたっぷりさが半端ないHigginsとが織りなす驚異的なビート感、スイング感、その上でのOrnetteの咆哮、馬のいななきにも聴こえるプレイは同業者として信じられない、あり得ないレベルでの表現法です!Cherryの演奏はOrnetteが表現しきれなかった部分を的確に補うべくの、アディショナルを聴くことができます。 MJQはOrnetteの楽曲も気に入っていました。このLonely Womanをレパートリーとして取り上げ、しかも表題曲として62年Atlanticからリリースしています。ちなみにOrnetteの演奏とは全く異なる、いかにもMJQらしいテイストでの演奏です。 そして同一メンバーで約5ヶ月後の10月に録音されたOrnette第4作目が「Change of the Century」です。 Ornetteの作曲センス、バンド・サウンドは数々のギグを重ねた結果に違いありませんが、前作からさらに格段の進歩を遂げています。 さらに翌60年7月、8月にドラマーをEd Blackwellに変えてレコーディングした作品が第5作目「This Is Our Music」です。 名曲Blues Connotation、Gershwinの名曲バラードEmbraceable Youを含む更なるOrnetteバンドの進化系の演奏が収録されています。 そして前作からわずか4ヶ月後、いよいよ世紀の傑作「Free Jazz」の登場です! まず編成、構成からしてユニークです。ステレオ左チャンネルにOrnette, Cherry、そしてベースScott LaFaro、ドラムBilly Higginsの4人、右チャンネルにバスクラリネットEric Dolphy、トランペットFreddie Hubbard、ベースCharlie Haden、ドラムEd Blackwellの4人、彼らによるダブルカルテット! ピアノレス・カルテット編成を4作続けて発表したOrnetteのこの時点での集大成、8人全員による集団即興演奏、発案者のOrnetteも凄いですが実現させたAtlantic Labelも大英断です! Eric Dolphy 60年12月21日8人はNew YorkのA&Rスタジオに集まりました。おそらく別日にリハーサルを行い、レコーディングのコンセプト、演奏方法についてもOrnetteから説明があった事と思います。 実際に98年CD化に際し演奏をコンパクトにまとめたダイジェスト編、First Takeが発掘されました。 Free Jazzという名称でありながら実に用意周到であったOrnette、と言うかFreeであるからこそ筋の通った構成が必要になるのです。 録音当日、本テイク収録前に設計図を提示し、メンバーにはこのフォーム、ソロの順番を順守し、各ソロイストのバックで自由にブロウし、本テイクでは骨組みに自由な発想で躯体工事を施す旨、リーダーから指示があった事でしょう。 Jazzは基本的に最初の演奏が最もフレッシュで説得力があるとされます。随所に施されたアンサンブル・パートやソロ・オーダーの確認が主たる目的であったはずのFirst Takeですが、実はというか、やはり本テイクよりも演奏にパワーが感じられる部分もあり、各ソロもコンパクトながらより熱気を帯びています。 Don Cherry それにしても各プレーヤーの素晴らしさといったら!Dolphyの前人未到のバスクラの鳴り、エッジ感、難楽器を容易くコントロールする驚異のテクニック。Dolphyと当時ルームメイトであったHubbardの熟れた果実のごとき魅惑的な音色と輪郭豊かな鳴らし方、加えての全くスムーズな楽器コントロール。Ornetteの唯我独尊状態のフレージングとアプローチ、そして何より凄みさえ感じさせるアルトの音色。Cherryの常に優しさを欠かさないアグレッシヴさ。アクティヴなラインと深い音色でメンバーのソロ中も鼓舞し続けるLaFaro、そしてそして、Hadenとのダブルベースですよ!何と美しいコンビネーションでしょうか!大好きなベース奏者ふたりの競演、これだけでも垂涎モノです!Hadenが基本的なビート、LaFaroの方がアグレッシヴなビートを刻んでいるように聴こえますが、時折逆転してプレイしています。二人はきっと相性も良かったのでしょう。 さらにさらに、BlackwellとHigginsのツードラム、軽快で繊細、時として穏やかな海原に突然現れたストームの如き大胆なビートを繰り出すリズムの2大巨匠、役者のレイアウトは万全です! Freddie Hubbard 冒頭全員による不協和音でのイントロ、この時点ではまだリズムは定まっていません。恐らくOrnetteのコンダクトによるアンサンブルが00:06から始まりますが、これはいったい何と表現したら良いサウンドでしょうか?ホーンの強者どもにしか成し得ないエグくて強力なアンサンブルです! 引き続きDolphyを主体としたソロが開始、彼の吹く8分音符のバウンス感は実に心地よいですね!リズムが定まり、LaFaroは倍テンポのスイングでラインを刻みますが実にon topでカッコいいです! メインのソロイストは決して吹き捲ることをせず、スペースを大切にしながらプレイし、他のホーン奏者も実に様々なライン、アイデアを提供しつつ、バッキングをしながら合わさり離れて、放置しながらメイン奏者を刺激します。 この演奏の素晴らしいところは、フロント陣はFreeにブロウしているのに対し、リズムセクションはずっとインテンポで正確なビートをキープしている点です。Free FormでテンポもFreeになってしまうと、オーディエンスには苦行でしかありません。Ornetteの音楽は基本的にこのスタンスで成り立っていると言えます。そしてリズムセクションには常にビート・マスターを採用しているのです。 Charlie Haden 05:11からアンサンブルが演奏され、Hubbardのソロになります。彼の演奏がメンバーの中で最もラインをラインらしく吹いているので、オーソドックスさを感じさせます。 Dolphyのバスクラの音域が管楽器中一番低いので、他のプレーヤーに対するサポート感が抜きん出ています。 Hubbardのソロの終わり頃に管楽器が集約し始め、09:53からメインテーマと思しきメロディとアンサンブルが始まり、そのままOrnetteのソロに突入します。このメロディの陽気さ、7thコード感はOrnetteの特徴のひとつです。 Scott LaFaro リズムセクションは相変わらず軽快なビートを繰り出していますが、ベースとドラム各々二人づつとは感じられない一体感を聴かせます。Ornetteのソロは時たまテーマのメロディを引用しつつ、本レコーディング発案者としてのウタを感じさせる演奏を展開しています。彼の吹くシンコペーションは豊かなリズムを伴っているので、思わず引き込まれるように管楽器3人、合いの手を入れています。 19:35でいきなりメインテーマが再演奏され、Cherryのポケット・トランペット・ソロになります。メンバー全員様子を伺いつつ、虎視眈々と何を吹くべきかを狙っているのが気配から察知できます。 25:20にメインテーマのショート・ヴァージョンが演奏されHadenのソロへ。LaFaroが伴奏しますが二人同時にソロを取っているかのようですが、真っ先に両者の美しいベースの音色に感動してしまいます。前出の管楽器奏者たちのソロ、Collective Improvisationも本当に素晴らしいですが、本演奏はリズムセクションの同じ楽器同士のやり取りが異なったカラーを放っていて、実はこちらがメインイベントと見紛うばかりの美の世界を構築しており、Free Jazzという名称はむしろ相応しくないと思います。 Billy Higgins 29:51に突如としてアンサンブルが鳴り響き、今度はLaFaroのソロが開始されますが、こちらも二人同時のソロ、LaFaroの弾いたラインに的確にHadenが答えます。いや〜実にスリリングでベース・ファン冥利に尽きる場面です!HadenのWalkingラインの上でLaFaroのピチカートソロ、このアルバムでしか聴くことの出来ない超レアな演奏です! この二人だけで作品を作って貰いたかったと、思わず有り得ぬことを考えてしまいます! Ed Blackwell 33:46で再び場面を変えるべくアンサンブルが聴かれ、Blackwellのソロが開始します。こちらはタムを中心とした何やら楽しげなサウンド、Higginsは金物を叩いて呼応しています。 35:18でドラムソロ交代のアンサンブルが鳴り響き、Higginsの出番です。Blackwellとは全く異なるアプローチでシンバルを中心にパーカッション的なソロを展開し、Blackwellはシンバルレガートとスネアでリズムをキープし、相方のソロを際立たせようとしています。 その後Free Jazzを締め括るべくCollective Improvisation、そしてどこまで書かれていたのか、リフ的なアンサンブルが聴かれ37分以上に及ぶ歴史的セッションは終了します。            

2021.06

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2021.06.27 Sun

Abandoned Garden / Michael Franks

今回はシンガーソングライターMichael Franksの1995年作品「Abandoned Garden」を取り上げてみましょう。 Producer: Matt Pierson, Gil Goldstein, Russel Ferrante, Jimmy Haslip Recorded at Bearsville Studios, Clinton, Make Believe Ballroom, Power Station, Sound on Audio Mixer: James Ferber Label: Warner Bros. vo)Michael Franks   flumpet)Art Farmer   flg)Randy Brecker   ts)Michael Brecker   ss)Joshua Redman   as)David Sanborn, Andy Snitzer   al-fl)Lawrence Feldman   fl, al-fl)Bob Mintzer   tb)Keith O’Quinn   p)Eliane Elias, Russel Ferrante, Gil Goldstein, Bob James, Carla Bley   g)John Leventhal, Chuck Loeb, Jeff Mironov   b)Jimmy Haslip, Chrisian McBride, Marc Johnson, Mark Egan, Steve Swallow   cello)Diane Barere, Mark Orrin Shuman, Frederick Slotkin   woodwinds, perc)Manolo Badrena   ds, pec)Peter Erskine   ds)Chris Parker, Lewis Nash   perc)Don Alias, Bashiri Johnson   vo)Brian Mitchell   arr)Jimmy Haslip, Michael Colina, Russel Ferrante 1)This Must Be Paradise   2)Like Water, Like Wind   3)A Fool’s Errand   4)Hourglass   5)Cinema   6)Eighteen Aprils   7)Somehow Our Love Survives   8)Without Your Love   9)In the Yellow House   10)Bird of Paradise   11)Abandoned Garden ビッグバンド編成ではないにも関わらず合計34名という参加ミュージシャンの多さ、しかもジャズ、フュージョン・シーンの精鋭ばかり、こちらにまず目が惹かれますが、充実したメンバーを贅沢に配し、曲毎のソロイストも演奏に極上のスパイスを加えるべく配合の度合いを計りながらの絶妙なプレイ、また毎曲のプロデューサーをサウンドのコンセプトに応じて替えるという至れり尽くせり〜綿密、微に入り細に入り、痒い所に手が届く豪華なアルバム制作に徹しています。 Franksが多大な影響を受けたBrazilが誇る偉大なシンガーソングライター、Antonio Carlos Jobimが作品の前年94年12月8日に67歳で逝去し、ミュージシャンとして、人間として心から尊敬していた彼に捧げた形になります。因みに彼が亡くなった時にはBrazil大統領令が発され、国民は3日間喪に服したそうです。Brazil国民だけではなく世界中の多くのファン、ミュージシャンも黙祷を捧げたと思います。 ライナーノーツにはJobimの写真と共に”In memoriam, Antonio Carlos Jobim, with endless admiration, affection, and love”と追悼の一行が掲載されており、1曲Jobimの書いた名曲Cinemaが収録されています。 77年リリースの第3作目「Sleeping Gypsy」にはJobimに捧げたFranks作ボサノヴァの名曲Antonio’s Songが収録されていて、キャリアのごく初期から彼に対する敬愛の念を窺うことができます。曲の持つムード、哀愁を帯びたメロディ、そしてここではDavid Sanbornの申し分無い「泣き」の間奏、オブリガートが輝き、この曲は歴史的名演奏の次元にまで高められました。 Franksの作品群はいずれも彼の音楽性やイメージがバランス良く表され、佳作揃いのラインナップですが、本作はかつて発表したどのアルバムよりも作品を貫く崇高な雰囲気と演奏のクオリティの高さが抜きん出ており、これは間違いなくJobimへのトリビュートに起因するものでしょう。筆者自身も長年の愛聴盤ですが、今回Blogを執筆するに当り改めて聴き直し、作品の持つ芸術性の高さにとことん身の引き締まる思いを抱きました。追悼、哀悼の念は演奏に深く作用し、オーディエンスには滲み出るが如くとつとつと語り掛けます。 ジャズミュージシャンはプレイに際しどれだけ気持ちを入れる事が出来るかが問われる作業を、日々生業としていると言えますが、ここでの演奏はまさにそのそのショーケースと言えましょう。入魂の度合いゆえに演奏のいずれもが慈愛に満ちているのです。 そもそも僕自身Franksのアルバムは第2作76年「Art of Tea」と前述の「Sleeping Gypsy」からの付き合いになります。クロスオーバー、フュージョン真っ只中の学生時代に良く聴いたのを覚えており、当時我々の間で自分達を評した演奏形態〜ど根性フュージョン(笑)、むやみに気合の入った、汗が飛び散らしながらの自己満足的な熱い演奏(爆)、ステージングをモットーとしていたので、Franksの決してシャウトしないクールでAOR的なボーカル(クワイエット・ストーム・ムーブメントとも言うそうですが、知りませんでした)、都会的でスマートな曲作りやアレンジは言わば「真逆への憧れ」でした。そして参加ミュージシャンMichael Brecker, David Sanborn, Joe Sample, Larry Carlton, Wilton Felder(テナーサックス奏者ではなく、エレクトリック・ベース奏者として!)たちもFranksの音楽性に合致したプレイを展開、彼らの演奏もお目当てに「自分達もこんな大人な演奏を繰り広げる日が本当にやって来るのだろうか」とも良く自問自答したものです(汗) これら最初期の2枚からFranksは作品に対して変わらぬ一貫したスタンスで取り組み、13作目に該当する本作も基本的にいつものMichael Franksですが、ゴージャスな編成、プロデュース力、そして何と言ってもJobimへの敬愛の念から彼のベスト作の1枚と認識しています。   一般的にシンガーソングライターは歌詞を書き、作曲し、自ら歌唱する。本質的にはそこにギター1本あれば表現方法として十分に足りてしまいます。この自己完結的な創作行為にFranksは素晴らしい音楽仲間を必ず伴って自分の音楽を何倍、何十倍にも増幅させていますが、本作の共演者の多くはその継続的なパートナー、そしてかつてのSample, Carlton, Felderたち、そしてプロデューサーTommy LiPuma, Matt PiersonらとのコラボレーションによりFranksは稀有で充実した創作活動を続けています。 それでは収録曲について触れて行きましょう(収録曲のタイトルをクリックすると視聴する事が出来ます)。1曲目This Must Be Paradise、プロデュースと演奏にはRussell FerranteとJimmy Haslip、ホーンセクションにBob Mintzerのフルートを配し、アレンジもFerranteが担当するYellowjackets色が強いセッションですがFranksの音楽に見事に昇華しています。フルートやチェロによるウッドウインズ・ストリングス5重奏アンサンブルも緻密で心地よく響き、Chuck Loebのアコースティック・ギター演奏、随所に散りばめられたManolo Badrenaによるパーカッション・サウンド、Chris Parkerの柔らかく且つタイトなドラミング、そして何よりFranksの物憂げなボーカルが素晴らしい!多少専門的な話になりますが、ジャズボーカリストは腹式呼吸を基本に、声帯から発した声を身体を響かせてパンチのあるサウンドに変換します。女性ボーカルではElla Fitzgerald然り、Carmen McRaeやSarah Vaughan、男性ではMel Torme、Tony Bennettに代表されますが、Franksはむしろ腹式呼吸を控え、胸式呼吸で囁き系の持ち味を聴かす、英語の子音がマイクロフォンに良く乗るように配慮しているが如き唱法をトレードマークとしています。楽曲全体を通しボーカル、バンドのサウンド、アレンジ、曲想が全て有機的に絡み合い、纏まり、One & OnlyなMichael Franksワールドを構築しています! 2曲目Like Water, Like Windは同じメンバーによる演奏、アレンジやプロデュースのクレジットも同様です。前曲が静とすればこちらは動かも知れません、兄弟のような関係の2曲ですがJobimの思いを切々と語った内容の歌詞がより印象的、オーヴァーダビングも含めアクティヴなFranksの唄を、ウッドウインズ+ストリングス・セクションもボーカルをしっかりとサポートしています。前曲ではギターソロがフィーチャーされましたがここではFerranteのピアノ・フィルインが活躍しています。 Russel Ferrante 3曲目A Fool’s Errand、タイトルの意味は徒労、骨折り損。歌詞の内容もそうですが曲の構成、アレンジにも凝ったものを聴くことができます。テナーサックスMichael、ピアノにEliane Elias、ベースChristian McBride、ドラムLewis Nash、加えるにRandy Brecker, Mintzer, O’Quinnのホーンセクション、こちらのアレンジはMintzer自身、大変ユニークな曲想に相応しくMichaelの間奏が実にのびのびと気持ち良さそうに響きます。推測するに演奏の資料を前もってFranksから渡され、彼お得意の綿密な準備の元、ネタを確実に仕込みレコーディングに臨んだソロでしょう。決してフレーズを吹き切らない、まるで体言止めの連続のようなフレージングの処理、これまでのMichaelのソロで聴いたことの無い斬新なアプローチに感動し、思わずコピーし譜面にした覚えがあります。ミディアムスイングのリズムはMcBride, Nashには実にお手の物、心地よく響き、ボーカル、リズムのシカケ、ホーンセクション、曲想との合致感が堪らないテナーのソロ、オブリ、全てに寸分の隙のない完璧な構成の演奏で、全くタイトルの意味する徒労には終わらず(笑)、100点満点を進呈しましょう! Michael Brecker 4曲目HourglassはPiersonとGoldsteinの共同プロデュース、Jeff Mironovギター、Goldsteinピアノ、Marc Johnsonベース、Peter Erskineドラム、AliasとBashiri Johnsonパーカッション、こちらもJobimの喪失感を唄った情緒的なナンバー、曲中のフェルマータ、スットプタイムが何と効果的なのでしょう!ボーカルの感情移入がよりナチュラルに行われ、聴き手にとっても押し寄せる情感ではなく、小刻みな、遠くから次第にやって来る波動のように、FranksのJobimに対する思いが徐々に、そして深く浸透します。ボーカルのオーバーダビングによるコーラス、ピアノとギターの交互に演奏されるメロディも哀愁を感じさせるこの上ない名曲、情感豊かに歌い上げられ、何度繰り返し聴いてもフレッシュさが失われないばかりか、ますます身体の奥に染み入るばかりです。 5曲目は本作白眉の演奏Cinema、Jobimの申し分無い名曲をElianeがリズム・アレンジ、PiersonがプロデュースしMichaelテナー、Elianeピアノ、McBrideベース、Nashドラム、Aliasパーカッションのメンバーでストレートに演奏されますが、ここまでトリビュートの気持ちが込められた演奏を未だかつて聴いたことがありません! Jobinと同郷Brazilでボサノヴァに造詣の深いElianeをピアニスト選んだのはまさしく適任、と言うか彼女しかあり得ません! Franksの本作に対する思いが彼に確実に伝わったのでしょう、イントロはMichaelのいつも以上に優しさに溢れたオブリガート的ソロから始まります。その後バンプ部分が設けられFranksが歌い始めます。Elianeがフィルイン的に弾くラインにMichaelが反応し呼応しているのが微笑ましいです。主題部分に入る直前のMcBrideのグリッサンドの絶妙さと言ったら! 感じるのはFranksの声質、歌い方、ムードがこの曲に見事に合致している点です。決してtoo muchに感情移入せず通常の彼らしい歌唱ですが、格別の思い入れをスパイス的に随所に感じさせます。 そしてElianeのバッキングのこれまた見事なこと!深い煌びやかさとでも表現出来るでしょうか、彼女もJobimには特別な思い入れがあるに違いありません、情感を込めつつ曲のイメージを最大限に膨らませボーカル、テナーソロに全く過不足なく的確に、ハイパーなコードワークを用いつつアプローチしています。 テナーソロにも新境地を見出す事が出来ます。膨大な量の歌伴の演奏を経験したMichael、しかしこれほどの”ウタ”を感じさせるプレイは存在しなかったでしょう。しかも優しさ、スイートネス、音色やニュアンスの素晴らしさ、曲の持つムードとFranksの歌唱との合致感を湛え、こちらも恐らく綿密な予習の賜物とはいえ、鳥肌が立つほどの感動を聴くたびに覚えます。 Aliasのパーカッションがボーカルの時には隠し味程度でしたがテナー、ピアノソロ時にしっかりと調味料として登場、それは見事なカラーリングを行っています。この人はどんな所にも、あらゆるシーンにごく自然に登場してパーカッションを演奏していますが、その理由、本質をここでの演奏とセンスで確認出来たように思います。その後はあと唄、そしてアウトロでピアノが登場、Herbie Hancockのテイストを感じさせつつクリアーでリリカルなタッチでのソロを聴かせます。フェードアウトの位置が早かったようにも感じますがあくまで主体はボーカル、この辺りでの退席が出しゃばらず丁度良かったと思います。 Eliane Elias 6曲目Eighteen Aprilsは4曲目のメンバー、プロデューサーと同一、そこにJoshua Redmanのソプラノサックスが加わります。Joshuaは93年に本作と同じWarner Bros.からリーダー作をリリースしていますが、デビュー作をリリースして間もない彼を単に対外的演奏に起用したような雰囲気があります。演奏のクオリティ、楽器の音色、ピッチ感、センス、歌い回しにどうも納得が行きません。早い話他のフロント奏者よりもレベルが下がり、演奏自体も足を引っ張られかねないように感じますが、そこは万全の体勢でのリズム隊、何が加わっても美の世界を構築し続けてはいます。ひょっとしてこの曲はリズムセクションだけの伴奏でも良かったように思います。without 7曲目Somehow Our Love SurvivesはJoe Sampleのナンバーです。1, 2曲目と同様の布陣、ここにアルト奏者Andy Snitzerが加わりファンク色の強い演奏を聴かせます。Snitzerは本来テナー奏者ですが、スムース・ジャズ・サックス奏者にありがちな両刀遣いぶりを披露、ファズやバズの効いた音色、フュージョン・スタイル正統派を感じさせるフレージング、間の取り方で曲想に相応しいソロを聴くことが出来ます。リズム隊のグルーヴもダンサブルで、こちらではFerrante, Haslipの参加からThe Yellowjackets的テイストを垣間見る事も出来ます。 Andy Snitzer 8曲目Without Your Loveはガラリと演奏者が変わります。PiersonにMichael Colinaが共同プロデュースで加わり、Mironov, John Leventhalのギター、Bob Jamesピアノ、Mark Eganベース、Erskineドラム、Alias, Johnsonのパーカッションというメンバーでのテイク、Noa NoaというMusicalで用いられたのナンバーのようです。 アコースティック・ギターのアルペジオに導かれFranksの登場、ピアノも美しいフィルインを入れています。本編に入りベース、ドラムが加わり曲の全貌が新たになりますが実に美しいメロディラインの曲、メロディの合間に入る各楽器のフィルインがいずれもまた、これ以上は考えられないという次元での合致度を聴かせます。ボーカルのオーヴァーダビングもユニゾン、コーラスとの使い分けも効果的。Jamesのピアノソロ、フィルも美学に貫かれています。 Bob James 9曲目In the Yellow Houseはこちらも前曲と同じMusical Noa Noaからのナンバー。もう一人のボーカリストBrian Mitchellが加わり、Paul Gauguin役にMitchell、Vincent Van Gogh役でFranksが対話形式で語り合いつつ、コーラスも行いますが、Mitchellの方はいかにも長年Musicalを手掛けているかのような対照的な(腹式呼吸による音圧感も含めて)歌唱を聴かせます。ここにArt Farmer(!)のフランペット(!)ソロ、Loeb, Mironovのギター、Carla Bley(!)のピアノ、Steve Swallow(!)のベース、Erskineのドラム、パーカッションで演奏されます。 プロデュースはPierson、なんと言ってもGauguineとGoghの対話です!本作中異色なナンバーですがとても印象深いテイクとなりました。 Art Farmer 10曲目Bird of Paradiseは同じくBrazil出身のDjavanのナンバー、Franksの盟友David Sanbornのアルトサックスを迎え、Mironovギター、Goldsteinピアノ、Johnsonベース、Erskineドラム、Alias, Badrenaのパーカッションで演奏されます。 Sanbornはさすがこのスタイルのパイオニア、美しい独自の音色とメロウな歌い方、タイム感、そして脱力感とイマジネーションで風格ある演奏を聴かせます。Snitzerのプレイも良かったですが、こうして比較すると否応なく格の違いを感じさせます。曲自体もまさしくSanbornが活躍出来るテイスト、土壌を持った佳曲です。 David Sanborn ラストを飾る11曲目表題曲Abandoned Garden、Pierson, Goldsteinコンビのプロデュース、Loeb, Mironovのギター、Goldsteinピアノ、Johnsonベース、Erskineドラム、Aliasパーカッションと本作の核となるミュージシャンによる演奏です。 4曲目Hourglassと同一なコンセプトでフェルマータ、ストップタイムを駆使した楽曲、Jobimにトリビュートした歌詞の内容もかなりイメージの世界に埋没した状態のようです。 本作中最も彼の逝去を嘆いたナンバー、Franks音楽性に於けるJobimの重要性を耽美的に語っています。

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2021.06.13 Sun

In the Door / Joey Calderazzo

今回はJoey Calderazzoの1991年初リーダー作「In the Door」を取り上げたいと思います。 Produced by Michael Brecker Recorded and Mixed by James Farber at Carriage House Studios, Stamford, CT Label: Blue Note p)Joey Calderazzo   ts, ss)Branford Marsalis(on 1, 2, 4)   ts)Jerry Bergonzi(on 3, 5, 6)   ts)Michael Brecker(on 8)   b)Jay Anderson   ds)Adam Nussbaum   ds)Peter Erskine(on 2, 4)   perc)Don Alias(on 6, 7) 1)In the Door   2)Mikell’s   3)Spring Is Here   4)The Missed   5)Dome’s Mode   6)Loud – Zee   7)Chubby’s Lament   8)Pest 才能豊かな若きピアニストの処女作に相応しい素晴らしいミュージシャンが集い、申し分のない演奏を展開しました。リーダー本人も伸び伸びと外連味のない王道を行くプレイを聴かせています。 アルバムには有能な新人を紹介するに足る的確な選曲、アレンジ、構成が施され、様々なテイストの楽曲に対しBranford Marsalis, Jerry Bergonzi, Michael Breckerたち個性派ボイスを湛えたテナー奏者を贅沢に配することで、Joeyの持つ幅広い音楽性を巧みに、そして深く表現しています。 彼をシーンに引っ張り出した張本人Michael Breckerが本作のプロデューサーを務めます。自身のリーダー作やThe Brecker Brothers Bandの作品以外で彼のプロデュースによる作品を見かけた事がありません。おそらく唯一のアルバムになりますが、それだけJoeyに対する思い入れがあり、サポートすることで彼を世に送り出したかったのでしょう、以降MichaelとJoeyはMichaelが逝去するまで演奏活動を共にしました。 僕は2007年2月20日Town Hall, New York Cityで行われたMichael Brecker Memorialに参列しました。彼の没後(同年1月13日)およそ1ヶ月後に催されたのですが、それはそれは充実したセレモニーでした。 兄Randy、息子SamuelやSusan夫人のスピーチを交え、Dave Liebman(Michaelに敬意を表しサックスは吹かずに笛を演奏しました), Pat Metheny, Herbie Hancock, John Patitucci, Jack DeJohnette, Paul SimonらMichael所縁のミュージシャンによる素晴らしい演奏、James Taylorの収録ビデオによるメッセージ等彼を愛する人たちの哀悼の意を痛烈に感じました。 JoeyはRandy, James Genus, Jeff “Tain” Wattsらとのカルテット〜Michaelのレギュラーバンド〜で演奏しましたが演目は彼の書いた名曲Midnight Voyage、 Michaelの代表作「Tales from the Hudson」収録ですね、Michaelの名演奏でも名高く、ここでのプレイが全く相応しい追悼になったのを今でも克明に覚えています。 Memorial当日、入場するべく入り口に並んでいるとウインドウ越しに娘Jessica(父親似の背の高い美人さんで、Michaelに写メを見せて貰った事があり、すぐに彼女と分かりました)、小学生のSam、そして黒い喪服に真珠のネックレスを付けた60代の女性がいるのが見えます。JessicaとSamは手を握ったり時折笑顔を浮かべながら仲良さそうに何か話をしていますが、もちろん彼らも黒い喪服を身に付けていました。 Michaelの奥方Susanには一度会ったことがあり、彼自身から紹介済だったのでSusanではないこの女性は誰だろうと考えていながら、ちょうど喪服の女性の視界に僕が入ったのでしょう、何故か僕の事をじっと見つめ、何かに気付いたように黒人のホールスタッフと思しき女性に指示をしています。その後すぐにウインドウを黒人女性が開け、喪服の女性がこちらに歩み寄り僕に何か話しかけ始めました。 「あなたの事をどこかで見たことがあると思ったら、Mikeの家にある写真で一緒に写っていた人ね、彼のお友達でしょ?そんなところで並んでいないでこっちにお入りなさい」と言われ、スタッフ女性を促し、会場の中に入れてくれたのです! いきなりの出来事に呆気に取られ、流れに身を任せて入場しましたが間違いなくこの女性こそBrecker三姉弟、長女のEmily Brecker Greenbergでしょう! Michaelが僕と一緒に写っている写真を自宅に飾っていてくれたのも嬉しかったのですが、その写真を見たことがあり、一緒に写っている人物を覚えていて、大勢が並ぶ列の中でその当人と判断できるお姉様も物凄い認知力です!さすがMichaelのお姉さん、ユダヤ系の方の頭脳明晰さをここでも実感することが出来ました! その後関係者席に案内してくれましたが、周りは最先端のミュージシャンばかりです!目視確認できただけでもWill Lee, Peter Erskine夫妻(奥方日本人です), Mike Mainieri, Brad Mehldau, Mark Egan, Wayne Shorter, Buster Williams, James Carter, Pat Metheny, Shunzo Ono, Gil Goldstein, Mike Stern, Ravi Coltrane, Bill Stewart…そして僕の右隣にはKenwood Denardが座っていました。 当日の式次第は以前何かに書いた覚えがありますが、またいずれかの機会にもご案内したいと思います。 MichaelはJoeyの音楽性をこよなく愛し、Midnight Voyageほか彼のナンバーEl Nino, Pest(Nervous Opus), 彼のアレンジによるAutumn Leaves Funk Versionをライブで頻繁に取り上げていました。Autumn Leavesのアレンジがあまりにもカッコ良いので初めて聴いた時に「あのアレンジは誰が書いたの?Mike?」と尋ねると「僕の書いたアレンジ、と言えたら良いんだけど、Joeyのなんだ」とはにかみながら答えてくれました。 かなり前の話ですがBlue Note Tokyoが移転する前の店舗の時、Michael Brecker Bandを聴きに行きました。演奏前であったか休憩時間中か、ロビーにいるとMichaelがやって来て、「やあやあ」のような感じで挨拶を交わしました。暫くしてJoeyが現れ、僕に近寄りタバコをねだります(初対面でしたが)。その頃は僕も喫煙真っ只中、また殆どの飲食店内では禁煙になっておらず、Blue Note Tokyoも例外ではありませんでした。彼にタバコを差し出し火をつけると何も言わずそのまま背をむけ、プイっと立ち去るではありませんか。Michaelに「Joeyはいつもあんな感じなの?」と尋ねると「そうなんだよ、ごめんなさい、気にしないでね」と彼のことをリカバーします。その日の演奏はMichaelはもちろん、Joeyも実に素晴らしく、心ゆくまでパフォーマンスをエンジョイ出来ました。 後日Michaelと会う機会があり、当夜のライブについての感触を尋ねました。充実感に漲っている旨を柔和な表情で語ってくれ、話は彼のマネージメントや所属の事務所についてに及びました。長年彼の写真を撮り続けているカメラマンDarryl Pittが立ち上げ、彼がトップを務めるオフィス〜Depth of Field(写真用語で被写界深度)が管理しているそうです。音楽家に限らずマネージメントはタレントの良き理解者、長きに渡り堅い信頼関係の絆で結ばれた人物が相応しいです。Darrylには何度か会いましたがスマートで周りへのさり気ない気配りの出来る人物、何よりMichaelの事が大好きなので、全くの適任者です。 オフィスにはMichael以外に所属ミュージシャンはいるのかと尋ねると、Dianne Reevesがいるという返事、「他には?」「いや、彼女一人だ」、ふと思い付き「Joeyは所属していないの?」と尋ねると柔和な表情が一瞬曇り「彼はかつて所属していた」と過去形で言うではありませんか。「立ち入ったことを尋ねるけれど何故彼のマネージメントは外されたの?」「いや、良い質問だよ、Tatsuya、知っての通り彼は素晴らしいピアニスト、ミュージシャンで僕も心から尊敬しているんだ。彼なしでは僕の音楽は存在しないとまで思っている。でも彼は素行に問題があり、我々のオフィスに所属させておくことは出来ないと結論付けたんだ」。素行とは具体的に何を指すのかまではさすがに尋ねませんでしたが、前述のタバコの一件にその片鱗を垣間見られるかも知れません、Joeyの才能を鑑みるとマネージメントを外すに至ったのはDarrylとMichael、さぞかし苦渋の選択だった事でしょう。でも解雇があったにも関わらずその後も音楽的に良い関係をキープできたのは、ひとえにJoeyとのプレイの相性とクオリティの高さでしょう。 CDジャケットにもクレジットされていますが本作録音の頃はDarrylがJoeyのマネージメント管理をしていた蜜月の時期、演奏にもその充実感が表出されています。 レコーディングメンバーについて、90年に活動していたMichael Brecker QuartetがJoeyの他、ベースJay Anderson、ドラムAdam Nussbaumが本作のリズムセクションだった事もあり、こちらが母体となりました(Peter Erskineも2曲参加してます)。人選はプロデューサーの特権です。同年3月19日〜24日Blue Note Tokyoに同じメンバーで来日を果たし、Michaelはテナーの他EWIを、Joeyもアコースティック・ピアノの他にシンセサイザーも演奏しいつもながらの素晴らしいパフォーマンスを繰り広げました。 演奏曲目は2作目のリーダー・アルバム「Don’t Try This at Home」のナンバーを中心に、3作目「Now You See It… (Now You Don’t)」レコーディング直前に該当するので新作から「The Meaning of the Blues」も披露、カルテット編成というソリッドなフォーメーションでメンバー一人ひとりのプレイを堪能する事ができました。 初めて聴くAndersonの堅実なベース・プレイが印象に残り、Michaelに尋ねたところ「彼はそんなに個性的なプレーヤーではないけれど(He is not so indivisual)、何しろサポートに抜群の安定感があるからね」と評していました。彼は現在も多忙を極めるベーシストでWoody Herman, Joe Sample, Lee Konitz, Frank Zappa(!)等、共演者や参加作は膨大な数に上ります。 Jay Anderson それでは内容について触れていく事にしましょう。1曲目In the Doorはアップテンポのモーダル・チューン、Branfordのテナーをフロントに迎えたJoeyのオリジナル。前回取り上げた「Kenny Kirkland」の1曲目Mr. J. C.もBrannfordのワンホーンによる同様なコンセプトの楽曲、リズムセクションのグルーヴの違いが顕著です。両者の場合ドラマーに起因するところが大ですが、個人的には「Kenny Kirkland」でのJeff “Tain” Wattsのジャジーなグルーヴ感に惹かれます。 スイングのリズムはタイムの縦軸と横軸のバランスが重要で、繊維の縦糸、横糸に例えられると思います。さらに加えて1拍の長さも欠かす事のできないファクターです。Nussbaumは縦軸〜オンが強力に聴こえてきますが横軸〜バックビートがやや希薄、1拍の長さも同じくコンパクトです。それに対してWattsは縦軸と横軸が縦横無尽に張り巡らされた、360°全面に強力な磁場が働いているが如きドラミングで、拍の長いたっぷり感も聴かせています。 言ってみればNussbaumの方はイーヴン系、スイングビートよりもファンクや16ビート、ボサノヴァに個性を発揮出来るドラマーですが、本演奏ではon topなAndersonのベースワークが横軸に長け、ビートのたっぷり感も提供しているので、これだけの速さでもスイング感を聴かせることが出来たと睨んでいます。 以上を踏まえながらIn the DoorとMr. J. C.を聴き比べてみると、タイム感、ベースとドラムの相関関係、ビートの位置等、ジャズのリズムの謎解きに近づくことが出来ると思います。ぜひお試しあれ。 ソロの先発Branford、大健闘していますがリズムセクションにせっつかれたのか「こうあらねばならぬ」を感じる場面もあり、いつもより余裕を欠いたプレイに聴こえます。とは言えJoeyはリズミックに、テナーソロの間隙を巧みにCall & Response的にバッキングして場面を活性化しています。 因みにJoeyの兄Gene Calderazzoはジャズドラマー、Berklee音楽院在学中はBranfordとルームメイトだったという事で、兄を通じてJoeyはBranfordとは旧知の間柄でした。Joey自身もBerkleeやManhattan音楽院で学び、個人的にRichie Beirachにもレッスンを受けていた楽理派です。 そして続くピアノソロの素晴らしさといったら!ベース、ドラムとの三位一体によるon topなスピード感とグルーヴ、例えて言うならばOscar PetersonとRay Brownのコンビに同じベクトル方向を持つドラマー、あの頃の時代で思いつくのはTony Williamsでしょうか?(もちろん実際には存在しない組み合わせですが)。25歳の若者のプレイと俄には信じられないクオリティ!物凄いです! Branford Marsalis 2曲目Mikell’sはおそらく91年までNew Yorkに存在していた同名ジャズクラブの事でしょう。Branfordの美しいソプラノをフィーチャーしたチャーミングなナンバー、ここではドラマーがPeter Erskineに代わり、カラーリングの妙、そしてレスポンスの巧みさを聴かせます。Andersonも自在なアプローチを伴ったラインを聴かせ、ソプラノとの一体感を繰り出しています。Joeyのソロもイメージ溢れる、繊細にして大胆なテイストを提供しています。ラストテーマ後に聴かれるBranfordとJoeyのソロのトレードは、気の合った仲間同志の楽しい会話のように、華が咲いています。 Peter Erskine 3曲目Richard Rodgersの名曲Spring Is Hereでは一転してダークなテナーサウンドが登場します。Jerry Bergonziをフィーチャーしたこの演奏、リハーモナイズされたコード進行が彼のテナーサウンドと実にマッチしており、この曲の新たな解釈として魅力を放ちます。アレンジもBergonzi自身によるもので、然もありなんです。Joeyのバッキングも実に多彩に、様々な表情を見せており、彼の持つ「エグい部門」でのBergonziとの相性の良さを感じさせます。 ホゲホゲしたテナートーンを湛えたBergonzi、巧みなストーリー展開を聴かせ、続くJoeyはリリカルにしてコンテンポラリー、極上のタイム感を伴いながらしかし怪しげに、自身も唸り声を上げつつ、同様に優れたストーリー・テラーぶりを堪能させてくれます。 Jerry Bergonzi 4曲目The Missed、こちらもBranfordのソプラノの魅力が発揮されたナンバーです。メロディの可憐さとニュアンス、美学と音色が合体し、心地よさと崇高さが同居した世界に案内してくれます。ここでのドラマーもPeter Erskine、どうやら彼はその巧みなカラーリングの才を買われてこれら2曲でプレイしているようです。 テーマ後Joeyのソロへ。ここでもピアノタッチの粒立ち、美しさが抜きん出ています。続いてソプラノの出番かと思いきやラストテーマへ、Branfordはアウトロで深い美意識を内包したソロを展開しています。 Branford Marsalis 5曲目Dome’s ModeはこちらもBergonziの登場が相応しいモーダル・チューンです。印象的なイントロに誘われてテーマへ、テナーとピアノのユニゾンのメロディは幅と奥行きを感じさせます。ソロの先発はJoey、タイム感とフレージングのセンスの良さに、否応なしに聴き惚れてしまいます!続くBergonziのソロ・アプローチには自己のスタイルの他、Joe Henderson, Steve Grossman, John Coltraneのプレイ〜フレージングを明らかに感じさせ、どこかテナー・オタク的センスを見出せるのですが、それはそれで親近感を覚えます(笑)。ラストテーマ後はJoeyが再登場、曲中ソロの続編とも言うべきプレイを聴かせFade Outの巻です。 Joey Calderazzo 6曲目Loud – ZeeはBergonziのオリジナル、プレーヤーがチョイスしたくなる名曲です。ボサノバ〜ラテンのリズムが心地よく、ここではパーカッションにDon Aliasが加わり、曲想とソロに色彩を施しています。Bergonziは流麗に世界を構築し、クライマックス時にはリズムセクションとのコラボレーションが聴かれます。続くJoeyは暫しBergonziテイストからのリフレッシュ化を行い、スローダウンしてから徐に世界を作ります。ラストテーマ後はBergonziのソロとなり、案の定のエグい盛り上がりを聴かせています。 Don Alias 7曲目Chubby’s LamentはピアノトリオにAliasが加わった編成によるスローナンバー、Joey作曲の才も映える佳曲です。Andersonのベースがファクターとなリ曲が進行し、ベースソロも聴かれます。Nussbaumの軽やかなリムショットも印象的です。 Adam Nussbaum 8曲目ラストを飾るナンバーPestは90年3月のMichael Brecker Quartet来日時にNervous Opusというタイトルで演奏されていました。この曲を演奏する際MichaelがJoeyに「新曲のタイトルは?」と尋ね、まだ決まっていなかったのでしょう「Nervous Opus!」と聴いてMichaelが「えっ?」と驚いていたのが印象的でした(笑)。 Nervous Opusもすごいタイトルでしたが、Pest(疫病のことではなく、手に負えない子供、厄介者の意味)とは自分の事を揶揄したのでしょうか(汗)。 こちらも1曲目同様に難易度が超高いナンバー、いかにもJoeyが作りそうな構築系のコンセプトを感じます。 テナーはプロデューサーMichael自身が担当し、熱くプレイしますがこちらも1曲目のBranfordと同じく「こうあらねばならぬ」を感じます。普段よりもMichael氏頑張り過ぎて力が入っているように聴こえ、BranfordやBergonziよりもずっ凄いテクニックでの圧倒的なプレイですが、何処か心ここに在らず、彼の演奏を徹底的にフォローしている僕にとってはちょっと辛いプレイです。個人的にはプロデューサーに徹し、ソロを取らずとも良かったのではと思います。 Michael Brecker

先日Joeyの2013年作品「Joey Calderazzo Trio Live」を入手しました。初リーダー作から22年を経て幾多のバンド、ギグを重ねた彼、やんちゃ坊主から成熟した大人のプレーヤーへの変貌ぶりを 目の当たりに出来る素晴らしいライブ作品です。やはりミュージシャンはどんどん変化して行くのです!!
 

2021.05

jazz/music 

2021.05.30 Sun

Kenny Kirkland

今回はピアニストKenny Kirkland唯一のリーダー作91年リリース「Kenny Kirkland」を取り上げてみましょう。 Released: October 1, 1991 Studio: BMG Studios A & B, New York City Producer: Delfeayo Marsalis, Kenny Kirkland Executive Album Producer: Ricky Schultz Label: GRP Records p, key)Kenny Kirkland   ts, ss)Branford Marsalis   ds)Jeff “Tain” Watt(on 1~4, 6, 7, 9)   ds)Steve Berrios(on 8, 10)   perc)Don Alias(on 5, 8, 11)   perc)Jerry Gonzales(on 8, 10)   as)Roderick Ward   b)Charnett Moffett(on 1, 4, 7)   b)Andy Gonzalez(on 8, 10)   b)Christian McBride(on 6)   b) Robert Hurst(on 9) 1)Mr. J. C.   2)Midnight Silence   3)El Rey   4)Steepian Faith   5)Celia   6)Chance   7)When Will the Blues Leave   8)Ana Maria   9)Revalations   10)Criss Cross   11)Blasphemy   Kenny Kirklandの幅広く豊かな音楽性、魅力が詰まった素晴らしい作品です。 55年9月New York City, Brooklynで生まれた彼は6歳でピアノを始め、Manhattan School of Musicでクラシック・ピアノと音楽理論を学びました。その後僅か22歳でPoland出身の名バイオリニストMichael Urbaniakの欧州ツアーを経験し、東欧を代表するベーシストMiroslav VitousのECMアルバム79年「First Meeting」80年「Miroslav Vitous Group」にも参加します。この時既にソロ、バッキングで自己のスタイルを発揮しています。 美しくクリアーなピアノタッチ、Herbie Hancockをルーツとしていますが明確なオリジナリティを聴かせるスタイル、一聴彼と即断出来る8分音符のフィギュア、申し分のないタイム感、思わず引き込まれてしまう麻薬的魅力と言える独特の色気、そしてリーダーの音楽性に確実にブレンドし、変幻自在、柔軟にバックアップするサイドマンとしての資質が認められ、その後も数多くの優れたミュージシャンと共演を重ねます。 枚挙にいとまがありませんがざっと思い付く限り、Dizzy Gillespie, Terumasa Hino, Elvin Jones, Kenny Garrett, Sting, Wynton Marsalis, Branford Marsalis, Michael Brecker, Carla Bley, Hiram Bullock, Franco Ambosetti, Dave Liebman, John Scofield, Stone Alliance…いわゆる売れっ子ピアニスト、旬のアーティストとして最先端ミュージシャンのツアーに参加し、彼らの代表作と言える作品で優れた演奏を数多く残しています。個人的にお気に入りの作品を挙げておきましょう。 Stone Alliance / Live in Berlin(83年),   Wynton Marsalis / Black Codes(85年),   Sting / The Dream of the Blue Turtle(85年),  Michael Brecker(87年),   Branford Marsalis / Crazy People Music(90年),    Kenny Garrett / Black Hope(92年) まさに将来を嘱望されていた音楽家ですが、残念なことに98年11月鬱血性心不全の発作を起こし、43歳の若さで帰らぬ人となります。直前まで変わらず元気に演奏活動を行なっており、青天の霹靂、発作の原因は諸説ありますが定かではありません。 Branford Marsalisのリーダー作98年録音「Requiem」は同年8月にKirklandほかベースEric Revis、ドラムJeff “Tain” Watts当時のレギュラー・カルテットで録音されました。すぐさま彼らはレコーディングされた楽曲を携えてツアーに出ましたが、直後の10月にKirklandが急逝、12月に残された3人で彼に捧げたナンバーElysian(理想郷、至上の幸福)をレコーディングしアルバムに追加して発表しました。 彼の演奏をこよなく愛していたリーダーたちは突然のKenny Kirklandロスにさぞかし呆然とした事でしょう。彼のプレイの素晴らしさ、One & Onlyなアプローチから、Kirklandの演奏が無ければ自分の音楽が成り立たないとまで考えたプレーヤーもいた事でしょう。しかしいつまでも悲しみに暮れている訳にはいきません。時間も音楽もどんどん前に進行して行きます。 彼の後釜探しはさぞかし難航したことでしょう。知る限りではMichael Brecker BandやBranford Marsalis QuartetにてJoey Calderazzoが紛失したパズルのピースを埋めるが如く適材適所で活躍し始めました。そしてBranfordのバンドにはその後不動のメンバーとして、Joeyが参加します。 そのJoeyですがKirklandと同じく91年に初リーダー作「In the Door」をリリースしています。作品プロデューサーは彼を「発掘」したMichael Brecker、クリニック演奏を行った先の大学で彼を見つけ、ピックアップしたと言っていました。Joeyをバックアップすべく1曲プレイも行なっていますが、他にもBranford, Jerry Bergonziと重量級テナーサックスをフロントに迎えて、コンテンポラリーな楽曲やアレンジされたスタンダードナンバーを演奏しています。 作品「Kenny Kirkland」ではBranfordがアルバムのメインボイスとして5曲プレイしており(1曲アルト奏者Roderick WardがOrnette Coleman役で参加していますが)、彼のテナー、ソプラノが作品のカラーのひとつを決定付けているように聴こえます。複数のテナー奏者の参加はアルバムにバラエティさを添えますが、サウンドの志向的にはフォーカス感は希薄になります。若くしての(25歳)デビュー作ですので本人の音楽性も然程定まっていなかったでしょう、色合いの多彩さを聴かせようと言うプロデューサーMichaelの采配だったと思います。 因みに本作のプロデューサーはBranfordの弟でMarsalis兄弟三男Delfeayo、兄Wyntonのアルバムもプロデュースするトロンボーン奏者でもあります。 87年4月14日Michaelが初リーダー作「Michael Brecker」をリリース(同年6月25日発売)する直前、場所は今はなき六本木Pit Inn、”Michael Brecker Special Session”と銘打ったコンサートで僕も生Kirklandの演奏に至近距離で触れることができました。ts, EWI)Michael Brecker, g)Mike Stern, p)Kenny Kirkland, el-b)Jeff Andrews, ds)Omar Hakim、素晴らしいメンバーによる来日公演でした! 何と言っても当夜はOmarが炸裂し絶好調、煽られたメンバー全員凄まじい演奏を繰り広げていました。例えばライブ1曲目はアルバム収録のNothing Personal、テナー、ギターソロと盛り上がりに盛り上がり二人の演奏に全てを持って行かれ、ステージには雑草も生えていないような荒涼としたツンドラ大地を感じましたが(汗)、しかしKirkland全く意に介さず、ひたすらマイペースにアプローチし、更なる山場作りを模索しつつストーリー性をしっかりと感じさせながらソロを巧みに構築して行き、煽り役のOmarを寧ろ扇動するプレイを展開、遂には六本木Pit Innのステージに青々とした樹々が生い茂った熱帯雨林のように見えたのを覚えています(爆)。 後日Michaelとその日の演奏について話をしました。本人かなり手応えがあったようでStern, Kirkland, Andrewsらの演奏を絶賛していましたが、Omarのドラミングが音量、音数的にもtoo muchで個人プレイに走り気味と話していました。そして何といっても女性にモテモテ(爆)だったのが気に入らなかったようで、「Omarは女の子にちょっかいを出し過ぎる」と嘆いていたのが印象的でした。単に羨ましかっただけなのかも知れませんね(笑)。 「Kenny Kirkland」は彼が36歳の時にリリースされました。収録全11曲中いずれもが高い音楽性を放つ自身のオリジナル6曲、他にBud Powell, Ornette Coleman, Wayne Shorter, Thelonious Monkたちジャズジャイアンツのナンバーも素材として取り上げ、独自の解釈によるアレンジを十二分に施し、曲毎に編成を変え様々なカラーを持たせ、またシンセサイザーをサウンド付けに巧みに用いアコースティックと融合させ、自身の音楽として表現しています。 本作のレコーディング日程に関するディテールがクレジットされていないのは残念です。幾つかのセッションで成り立っているので複数日を費やした事でしょうが、Kenny Kirklandリーダー作プロジェクトとして他にもアイディアがきっとあった事でしょう。それは恐らく次作に持ち越されたのではないかと睨んでいますが、プレイヤーとしての資質に恵まれているのは当然として、ジャズジャイアンツのオリジナル選曲にどこか「いち」ジャズファンの匂いを感じさせるのです。実現しなかった2作目のリーダーアルバム、演奏内容は言うに及ばず、ジャズファンの心をくすぐる選曲の一枚になったのではないかと勝手に想像しています。 Kenny Kirkland それでは演奏について触れて行く事にしましょう。1曲目アップテンポのナンバーMr. J.C.、ピアノ左手の印象的なパターンから始まるアグレッシブな楽曲、曲のフォームとしては基本的に倍の長さのマイナー・ブルース、前述のMichael BreckerオハコのNothing Personalと構成が被る部分もあります。 ところでJ.C.とは誰の事でしょうか。イニシャルから連想されるのはJohn Coltrane、そう言えば彼のアルバム「Giant Steps」収録のオリジナルCousin Maryのメロディとリズムのフィギュアが良く似ています。 Branfordの深いテナーサウンド、Jeff Wattsのタイトかつ超弩級ヘヴィーなドラミングとCharnett Moffettの極太でon topなbassが織りなすビートが相俟って、これは盛り上がらない訳がありません! ソロの先発はKirkland、端正で音の粒立ちが半端ない8分音符、脱力感とスピード感、テンションが並走するプレイは聴き手をナチュラルにジャズの真善美へと誘い、豊かなリズムはスイングの極意を提示しているかのようです。 比較的クールに対処していたリズム隊ですがソロ半ばからはKirklandの知的でリズミックなラインにインスパイアされ、とうとうレスポンス炸裂、しかしもう少しイケそうなところ手前で、続くソロイストBranfordに華を持たせるべくソロを終えますが、この辺りも伴奏の達人ぶりを物語っていると思います。 Kirklandのタイム感が素晴らしいのもありますが、それにしてもベーシスト、ドラマー共にピアニストの提示するリズムのセンターの捉え方が実に確実で、その結果三者の織りなすスイング感は絶品です! その後Branfordのテナーがパターンに乗って悠然と現れますが、まずこの音色の魅力にしてやられます!極太、ダークでダブルリップ奏法ならではの艶や付帯音の豊富さ、柔らかさとエッジのバランスがまるで化学的処理を施したかのような配合の絶妙さを感じさせ、テナーのトーンだけで既に十分に説得させられます。ピアノソロが構築したリズム、サウンドの世界に、更なるケミカル・リアクションを起こすべく同じベクトル方向を描く強力な因子を加わえたかのように、カルテット演奏が次のグレードに向かい始めているのが分かります。Kirklandのバッキングはテナーソロを俯瞰しつつ、決してtoo muchにならずほど良きスタンスを保ち、巧みな即断の合わせ技としての合流部分と放置箇所の選別、バックアップと自己主張の狭間を全くスムーズに往来します。 WattsのドラミングはサウンドとしてコンテンポラリーなElvin Jonesと評しても良いでしょうし、重厚なリズムとスピード感、繊細なカラーリング、レスポンスの良さは歴代ジャズドラマーの系譜に間違いなくノミネートされる事でしょう。Elvin~Tony Williams~Jack DeJohnette~Steve Gadd~Peter Erskine~Jeff “Tain” Watts!!Branfordとのコンビネーションの素晴らしさはここでも群を抜いています。ラストテーマ後のバンプ部分ではやはりとんでも無いことが行われていました。 Branford Marsalis 2曲目Midnight Silenceは彼のピアノとWatts, Branfordの3人で演奏が行われますが、ベースが鳴っているのでシンセベースをKirklandがオーバーダビングしたのでしょう、カルテット状態です。リリカルなピアノイントロに導かれシンセサイザーとシンバルが加わり、その後ソプラノサックスがソロを取りつつメロディを奏でます。シンセの音がホーンセクションやストリングスを聴かせ、サウンドに厚みを持たせています。その合間に聴かれるいかにも彼らしいピアノのバッキングやソロ、ここではコンパクトな楽曲に仕上げ、引き続きWattsの短いドラムソロをフィーチャーした3曲目El Reyへ。このドラムのフレージングはまさしくElvinスタイル!しかもこの上なくタイトな!それもそのはず、RayはElvinのミドルネーム、彼に捧げたテイクなのです! そして組曲のように4曲目Steepian Faithに繋がります。シンセの織りなすラインがイントロとして演奏され、ソプラノがフィルインを入れつつピアノ共々テーマを演奏しますがアコースティック音とシンセサイザーのブレンド感が見事です!そのままピアノのソロへ、たっぷりしたタイムとレイドバック感がゴージャスさを引き出し、バックグラウンドに挿入されるシンセの音がジャジーなムードを高めます。その後はソプラノのソロへ、誰でもない、Branfordそのもののトーンが曲想に合致しています。SteepとはBranfordのニックネーム、こちらは彼に捧げられたナンバーなのでした。 Jeff “Tain” Watts 5曲目CeliaはBud Powellのナンバー、Don AliasとのDuoで演奏です。多重録音を駆使しAliasはパーカッション、シェイカー、コンガ、ボンゴ等を、Kirklandはピアノとシンセサイザー、ベースを重ねラテンジャズ・バンドの様相を呈していますが、何とタイトでグルーヴィーなリズムでしょう!思わず椅子から腰が浮き上がり、リズムに合わせて踊り出しそうになります! Kirklandはスイングのリズム感も素晴らしいですが、ラテンミュージックに関してはマスターの称号を与えるべきではないでしょうか。シンセサイザーの使い方も巧みで楽しげにそして遊び感覚満載、効果的な音色やサウンド、こちらも一切の作為的な用い方のない、全てに必然性を感じさせるエフェクトです! そしてAliasもラテンパーカッションのマエストロです!彼とは日野皓正さんの作品「Spark」で共演しましたが、気さくな人柄で、物静かな中に内に秘めた熱いスピリットを感じさせる、素晴らしいミュージシャンでした。 本テイクは粒立ちの良いプリプリとした音符によるリズムの洪水を、Powellのプリティなナンバーを素材に、ふたりのラテンプレーヤーが面白おかしく丁寧に音を重ねて作り上げた演奏と言えます。 Don Alias 6曲目Chanceはミステリアスな雰囲気を湛えたワルツナンバー、ベーシストがChristian McBrideに交代します。 ピアノのリズミックなイントロに誘われ、曲が始まります。Wattsはブラシでリズムを刻みますがこちらでもElvinのテイストを感じます。Wattsがスティックに持ち換えたのにリンクするように演奏が熱気を帯び始めます。McBrideのベースワークは巧みで重厚、Wattsとのコンビネーションも申し分ありません。それにしてもKirklandのフレージングの長い事と言ったら!「息を呑む」とはこちらの事を指すのかも知れませんが、3連符、16分音符の洪水、緻密にして大胆、猛烈なテクニックと音楽理論の集大成的アプローチです!ベースやドラムのソロはなく、Kirklandの独壇場で演奏されており凝縮された彼のプレイが聴かれます。 Christian McBride 7曲目When Will the Blues LeaveはOrnette Colemanのブルース・ナンバー、この演奏は作品中異彩を放ちます。アルトのRoderick Wardは音色、フレージング、ソロのアプローチともOrnetteからの影響を強く感じさせますが、本演奏参加Charnettの父親Charles MoffettがOrnetteバンドのドラマーです。因みにChaernettの名前は父親のCharlesとOrnetteを合成させたものです。 ここでのWardはかなり健闘しており、Ornetteのサウンドを再現するのが目的なのであれば十分に成功していると思います。一方のKirklandは比較的オーソドックスなブレースプレイに終始しており、個人的にはもっとフリーフォームにまで突入して欲しかったところではあります。 Ornette Coleman Trioはピアノレス、コード感のない編成なので、オーソドックスなピアノ奏者が加わればこのような演奏になるという、デモンストレーションの様相を呈してはいます。 Charnett Moffett 8曲目Ana MariaはWayne Shoterのオリジナル、かの大名盤「Native Dancer」収録のナンバーです。オリジナル演奏に肖りBranfordのソプラノにShorter役を任命したのかと思いきや、Kirkland自身のピアノがフィーチャーされた極上のラテン・ジャズに変身しています。ベーシストAndy、パーカッションJerryのGonzales兄弟にドラマーSteve Berrios、ボンゴにAliasとメンバーが一新されています。 オリジナルよりも早いテンポが設定され、パーカッション、ボンゴの繰り出すビートが演奏の核となり、気持ちのこもったピアノソロが実に心地良く、どこまでも美しいこの名曲に新たな解釈を施した名演奏が誕生しました。 Native Dancer / Wayne Shorter 9曲目RevalationsはBranfordのソプラノをフィーチャーしたカルテットによる演奏、ベーシストがRobert Hurstに交代します。まずはソプラノの魅惑的音色に惹かれますがピアノソロが先発、ひたすらしっとりと抒情的に歌い上げ、Branfordもコンセプトを引き継ぎ美の世界を構築しますが、1曲目Mr. J. C.のアグレッシヴさから同一人物の演奏とは到底思えません。Hurstのベースが終始好サポートを聴かせています。 Robert Hurst 10曲目Thelonious Monkの名曲Criss Cross、Monkのオリジナル演奏は51年7月録音「Genius of Modern Music vol. 2」に収録されています。 実にユニークな楽曲、Monkならではのナンバー、僕自身彼の楽曲中フェイバリットな1曲です。オリジナルはミディアム・スイングでしたがここではCeliaと同じラテンの饗宴、ゴージャスにプレイされています! Ana Mariaと同一メンバーによる演奏ですがAliasの代わりにBranfordがテナーで参加します。Celiaは多重録音を駆使してるとは言え二人で演奏したテイクでしたが、こちらは参加人数が多いので自ずとバンドのグルーヴはより深く、そしてリズムの奥行きがぐっと増します。 面白いもので、人間が奏でるリズムはその参加者数が多くなればなるほど密度や重厚感が対数的に増加して行きます。こちらは実に見事な総勢5人によるリズムのシンポジウムです!合奏感が半端ありません! 想像するにCeliaではクリック(メトロノーム)を用いてタイムを統一させていますが(全体的に限りなくデジタル的に正確ゆえ)、Criss Crossの方はテンポが結構速くなっていることからクリックを用いていません。こちらの方が人間の繰り出すビート感が合わさり、グルーヴし易くなるのです。 印象的なテーマ後Kirklandのピアノソロ、リズミックに快調に飛ばしつつもその後おもむろにモントゥノのリズムを弾き始め伴奏に回り、その上でシンセサイザーのビブラフォン・ライクな音色でソロを開始するのですが、興味深いトライアルです。オリジナル演奏にMilt Jacksonのビブラフォンソロがあるのでひょっとしたら敬意を表しているのかもしれません。 その後ラストテーマ終了してからBranfordが登場、ピアノの伴奏が抜け、しばらく後ベースも演奏を止め打楽器群を相手にブロウします。おそらく延々と続いたのでしょうが短く収められてFade Out、こちらも面白いアプローチです。 11曲目Blasphemyは再び多重録音を用いたKirklandとAliasのDuo、タイトルの意味は神・神聖な事物に対する冒涜。何やら意味慎重ですがこちらも作品中異色なナンバーです。陽気なはずのラテンのリズムが背徳的な匂いのするサウンドで満ちています。Kirklandはキーボードを駆使し様々な音色で色付けを行い、対してAliasはシンプルにリズムを刻み対応します。どこかWeather Report的なムードを感じさせますが作品のエピローグとして余韻を残し、to be continuedとしています。  

jazz/music 

2021.05.16 Sun

Somewhere / Keith Jarrett

今回はKeith Jarrettの2009年ライブ録音「Somewhere」を取り上げてみましょう。 Recorded: July 11, 2009 at KKL Luzern Concert Hall, Lucerne(Switzerland) Label: ECM Records [ECM 2200] Producer: Manfred Eicher, Keith Jarrett p)Keith Jarrett   b)Gary Peacock   ds)Jack DeJohnette 1)Deep Space/Solar   2)Stars Fell on Alabama   3)Between the Devil and the Deep Blue Sea   4)Somewhere/Everywhere   5)Tonight   6)I Thought About You KeithのレギュラートリオStandards〜Gary Peacock, Jack DeJohnetteによる、21作目に該当する作品です。厳密に言えば同じメンバーでの録音第1作目、Peacock名義の77年2月録音の名作「Tales of Another」が存在するので計22作になりますが、いずれにせよこれだけ数多く作品をリリースしバンドを継続できるのはメンバーの音楽的一体感ゆえに違いありません。そして現時点でこのトリオが残した最新録音に該当するのですが、Peacockが昨年(20年)9月4日、85歳にして逝去したためにもはや同メンバーでの新作を望むことは出来ず、加えてKeithが18年に脳卒中を2回発症して麻痺状態となり、今でも左半身が部分的に麻痺してピアノ演奏に復帰できる可能性が低く、新しいベーシストを迎えて活動を再開することも難しい状況です。ですがおそらく全てのコンサートをアルバム・リリースを前提にプロデューサーManfred Eicherがライブレコーディングを行なっていて、スタジオ録音もかなりの数が残されていると想像出来、今後KeithあるいはEicherのプロデュースのもと、旧録音による新作が日の目を見ると思います。 このトリオはTales of 〜が初顔合わせでしたが、KeithとJackはかのCharles Lloyd Quartetからの付き合い、66年にLloydがベーシストにCecil McBeeを加えNew Yorkでバンドを作りました。このバンドの作品66年ライブ録音「Forest Flower」が大ヒットを遂げたのは皆さんご存知の事と思います。リーダーの演奏も個性的ですがリズムセクション、特にKeithのピアノソロとJackのドラミングの素晴らしさが光ります。 相性が良いのでしょう、二人は71年5月Duoアルバム「Ruta and Daitya」を録音しています。ここでのエピソードがあるのでご紹介しましょう。 同年Miles DavisのグループはLos AngelesにあったジャズクラブShelly’s Manne Holeに出演しました。ちなみにクラブのオーナーは西海岸を代表するドラマー、Shelly Manneです。Manneはスインギーでオーソドックスなスタイルを信条とするプレーヤーだったので、当時のMilesバンドの出演には多少の違和感を覚えますが、話題沸騰のバンド人気には敵いません。 そうです、音楽的内容はエレクトリック真っ只中、アルバム「Miles Davis at Filmore」「Live Evil」の頃です。リズム自体は8ビートでハードロック的ではありますが、新しい音楽を作り上げて行く過程には必ず伴う音のカオス状態の中で、メンバーであったKeithとJackの二人はMilesの求めるサウンドにチャレンジしつつ、同時に自己のアイデンティティーも模索していた事でしょう。「Ruta and Daitya」の牧歌的な音楽はひょっとしたらMilesの音楽に対する反動、そして自分たちが表現したいサウンドのナチュラルな表出であったように聴こえます。Keithの牧歌的なアプローチはJan Garbarekを始めとする、いわゆるヨーロピアン・カルテットにて表現し続けています。 米国のライブハウスは通常1〜2週間のスパンで同一バンドが演奏しますが連夜の出演終了後でしょうか、彼らはHollywoodのスタジオSunset Sound Recordersの友人に誘われ、自由にスタジオを使用することを許され、クラブにあったドラム、パーカッション、エレクトリック・ピアノ、オルガンといった機材を持ち込み演奏し、作品として録音テープを作りました。この出来栄えに自信があったのでしょう、Keithは同年11月、以降親密な付き合いを現在まで40年以上保つECMレーベルへの初めてのレコーディング「Facing You」をOslo, Norwayにて、ソロピアノで行います。この時に彼がレーベルのプロデューサーManfred Eicherにテープを渡し、アルバムとしてリリースすべくミックスダウンを依頼します。レーベル作品発表には特別な拘りのあるEicher、音楽内容での対立からミュージシャンとの確執をも厭わない彼がリリースを快諾したのは、作品の内容から当然の成り行きでした。 Milesバンド後の二人は自己のグループを組織し演奏を続けていましたが、再びEicherにより集合がかかり、Garyと共に83年1月、3作分のレコーディングをNYCにある名門スタジオPower Stationで行い、83年「Standards, Vol.1」84年「Changes」85年「Standards, Vol.2」と毎年立て続けに発表します。3人はオリジナリティな音楽性を持つ一国一城の主としてのミュージシャン、彼らがトラディショナルなピアノトリオというフォームでオーソドックスな、言ってみれば「懐かしさや懐古趣味、手垢にまみれたジャズ・スタンダード」を取り上げて正面から真にクリエイティヴに演奏し、作品を発表するというのはさぞかし意外な事だったでしょう、ジャズシーンはにわかに湧いた事と思います。名手たちならではの王道を行く共同作業、Standards Trioは80年代以降彼らの代表する活動となり、コンスタントにプレイを継続しました。 長きに渡り継続するバンド活動は、ミュージシャンが自発的に組織する場合が多いですが、レーベルのプロデューサーがオーガナイザーとなり、音楽を俯瞰しつつメンバーと共に作り上げて行く作業を20年以上も続けるのは珍しく、Eicherの堅牢な意思を感じます。 これらで聴かれる濃密な演奏は一聴Keithのピアノ演奏に耳を奪われ、Garyの闊達なサポートと寄り添い感、放置感にも納得させられますが、Jackのプレイが比較的大人しく、サポートに回ったように感じられますが寧ろ「叩けるけれど叩かない」凄みに圧倒されます。彼を筆頭とする真にクリエイティブなドラマーは、音数を多く叩くことやトリッキーなフレージングの連発に価値を見出してはいませんし、自分の演奏ばかりが目立つような個人プレーに走ることは決してありません。Keithのプレイに正面からレスポンスする事も勿論ありますが、全くフィルインを入れずにシンバルレガートだけでプレイを支えることが多々あります(そのシンバルレガート自体も誰にも真似の出来ないビート、スイング感、アタック、音色を有していますが)。それが結果的にメッセージやイメージの情報量が他の誰よりも膨大なKeithのプレイを確実に表出させるのです。彼の粘っこく奥行きのある8分音符、裏拍や弱拍のアクセント感、ある種理想のジャズに於ける「ノリ」を極めたプレイ、それらが1拍の長さが圧倒的なJackに全く持って比肩し、Keithの繰り出すインプロビゼーションのラインとJackのリズムキープだけで十分に音楽が成り立ってしまうように聴こえます。 音楽の三要素=リズム、メロディ、ハーモニー、これらが極論Keithの右手から繰り出されるラインと、同じくJackの右手によるシンバルレガートとの融合で完璧に成立しています。ここにおいてジャズの表現とは全ての音に必然が必要で、同時にストーリー性やウタが何より大切なのだと宣言しているかのようです。 ラストテーマの前に行われるピアノとドラムの8小節、4小節交換、ここでのKeithのフレージングも凄まじいですがJackのソロのありえない次元でのクリエイティブさ、スポンテニアスさには常に開いた口が塞がらないのです! しかし蜜月がずっと続くことはありません。彼らは86年10月の来日公演を最後に一時休止した事がありますが、その後比較的間も無く再活動を遂げています。どんな名人達人でもマンネリに陥り、迷宮に入り込み出口を見いだせない状況に困窮することがあります。特に彼らの題材がスタンダード・ナンバーでは尚更のことです。オリジナルナンバーであれば如何様にでも色付け可能ですが、彼らは素材にアレンジを施す事は殆どなく、いわゆるリズムの仕掛けやコード進行の変更もまずありません。例えばエンディングで思いもよらぬバンプが用いられるのは予定調和ではなく、ごく自然発生的に演奏に至るのでしょう。調味料を極力使わず、素材の持つ味わいを最大限に引き出した自然食を提供するシェフのように、ひたすら正統派として正面からスタンダード・ナンバーに取り組む彼らです。 3人はディスカッションを繰り返しリーダーであるKeithの方向性の確認を幾度となく繰り返したように思います。 ひとつの私見としてですが、Keithの演奏するアドリブ・ライン、そして方法論について、いわゆるジャズ的なアプローチ、過去の先達のラインを踏襲したものも聴かれますが、それは結果としてであって、このトリオではごくシンプルに、頭に浮かんだメロディラインをそのまま演奏すると言う、インプロビゼーションの原点とも言える手法を念頭に置いていると思います。これはとても高度な音楽性とセンスが必要となり、楽器を弾きこなす確実なテクニックと強靭な精神も併せ持つ事が不可欠です。JackはKeithの意向を汲み、即興演奏という名の究極の作曲行為を鮮明にすべく、ピアノソロのバックでは必要不可欠な音しか演奏しないと決めているのかも知れません。 58年録音名ドラマーRoy Haynesのリーダー作でPhineas Newborn Jr., Paul Chambersを擁したピアノトリオ作品「We Three」、我々3人にしか出来ない演奏、音楽がここにあるという気概がタイトル、演奏内容から感じられますが、KeithのStandards一連の作品からはより強く芸術家の自己主張を感じるのです。 「行けるところまでとことん行こうじゃないか!」とまで宣言したかどうかは分かりませんが、軌道修正をしつつプレイをし続けることの重要性を高度な次元で捉えている彼ら、でも最も大切にしているのは演奏時に新鮮さを失わないナチュラルさであり、最先端のプレーヤーのみがなし得るルーティン化に対する打開策を模索し続けた結果なのでしょう。 それでは収録曲について触れて行く事にしましょう。1曲Deep Space/Solar、メドレーのようなクレジットですがMilesのオリジナルSolarのイントロとして演奏されたソロピアノのパートに、曲名を付けたと思われます。美しくピアノを響かせ、幻想的でクラシカルな第一楽章と言えるパートの後、Solarのメロディラインを匂わせつつ第二楽章へ、その後左手と対旋律で徐にテーマを弾き始め、ベース、ドラムが加わります。ピアノのラインと交錯するようにベースソロがスタート、ベースが主体ではありますがピアノ、ドラムの合いの手は全く対等のようです。その後ピアノが主導権を握りソロを取り始めますが十分にスペースを取っているので二人が巧みにフィルを入れます。Keithのソロが次第に熱を帯び始め、前人未到の世界に突入し、恐らく2千人規模のコンサートホールの聴衆全員を崇高な美の世界に誘います。それにしてもフレーズの長さが半端ありません!聴いている方も合わせて無呼吸でいると息が詰まりそうになります!酸素ボンベを用意して鑑賞に臨むべきかも知れません(汗)。 例の唸り声の発生回数、声量も増し、入魂ぶりが伺えます。フレーズにユニゾンして唸り声を発する他に、ここでは演奏に対しての「同意」「納得」として発しているように聴こえます。 ちなみに他の演奏では「ため息」「掛け声」「声援」「感嘆」「悲鳴」「哀願」「失笑」「発見」「歓喜」「脅し」「落胆」「賞賛」「追憶」…としても聴こえ、彼のピアノ演奏同様に様々なニュアンスを表現しています(笑)。その後短くベースソロを挟み、エンディングへ。ラストテーマは荘厳にかつ短くメロディを演奏しFineです。 盛大なアプローズを受けピアノが徐にメロディを弾き始めます。2曲目Stars Fell on Alabama、オーディエンスはこの意外な選曲にさぞ驚いた事でしょう、しかし聴衆の歓声に敏感なKeithに対し礼儀正しくここではじっと発声せず固唾を飲み込んで聴き入っています。古き良き米国南部の雰囲気を湛えた美しいナンバー、Georgia on My Mindにも通じるテイストを感じますがこちらはAlabama州のお隣Georgiaの州歌にもなっています。Aメロをソロで弾き、2回目のAからベース、ドラムが参加し始めます。Keithも若かりし頃この曲を耳にしたでしょう、感性の書庫に仕舞い込んでいた楽曲の断片を引っ張り出して、イメージを最大限に膨らませて脱力と崇高な美の世界を以って表現しています。Garyの地を這うが如きラインがKeithのプレイを鮮明に浮かび上がらせ、Jackの全く無駄のない、音使いを厳選したかのようなブラシによるバッキングが演奏を引き締めています。シンコペーションを用いたメロディからベースソロへ、Keithのコンセプトを確実に受け継ぎ巧みに歌い上げ、ラストテーマへと続きます。いや〜聴き惚れてしまうほど素晴らしいです! 3曲目Between the Devil and the Deep Blue Sea、ミュージカル的な明るく華やかで、おしゃれなナンバーを取り上げました。50年代のNew YorkのBroadwayの街並みがイメージ出来そうですが、実はミュージカル・ナンバーではありません。31年にCab Callowayにより初レコーディングされたポピュラー・ソングです。 1コーラスをソロでピアノが演奏し、その後トリオでテーマを演奏します。この演奏もStandardsの真骨頂が見事に表現されています!テーマは2ビート・フィールで演奏され、ソロの1コーラス目は引き続き2ビート、ドラムは若干セカンドライン風に叩いています。その後スイング・フィールになり世界が開けた感じでグルーブして行きます。なんとゴージャスなタイム感、超安定走行を保ちつつ排気量の大きいアメ車で郊外を悠然とドライブするかの如き優雅さ、Keithも8分音符を中心に鼻歌を口ずさむかのように小粋なアドリブを展開、ジャジーなフレージングは用いられていますがテンションはあまり用いられず、ダイアトニックなインサイドの音使いが中心となり、前述の「頭に浮かんだメロディラインをそのまま演奏する」手法のショーケース、これは!物凄い音楽性です! ソロの終盤戦ではスピード感溢れる3連符や16分音符の応酬がJackとなされますが、シンバルレガートを中心としながらKeithのラインに纏わりつくように叩いているプレイ、実に細やかなサポートの連続です!これは神経を集中させなければ聴き取ることが難しいかも知れません。 ソロが終わり聴衆の声援が聴かれますが、然もありなんとばかりの掛け声です。Garyのソロを挟んでJackとの8バースが始まりますが、いずれも玩具箱をひっくり返して次は一体何が飛び出て来るだろう、と実に楽しみなフレーズ&ポリリズム祭り状態です!Keithもインスパイアされ16分音符のエキサイティングなフレージングの嵐です!それにしても猛烈な音符の粒立ち!ピアノの筆頭マエストロです!ドラムソロ中にさりげなくテーマの断片を挿入する小粋さ!2コーラスを終え、その後ラストテーマへ。エンディングも曲想に合った可愛らしさを聴かせます。 4曲目Somewhere/Everywhere、Leonard BernsteinのナンバーSomewhereとそのエンディングが長く伸び、曲の様相を呈したEverywhereとのメドレー。曲のタイトル付けが素敵です。 BernsteinとKeithの透徹な音楽性は実に良くマッチしていると思います。数多くのジャズミュージシャンがBernsteinの楽曲を演奏していますが、演奏家の持つムードと解釈、表現力でKeithの右に出る者はいないでしょう。美しくも優雅、このサウンドにずっと浸っていたい気持ちになります。 いきなりメロディからスタートします。バラードですがJackはスティックで対応し、音量がごく控えめ、スティック先端のチップが小さめのものを使用しているかも知れません。テーマ後Garyのソロから、そのバックで奏でるKeithのメロディックなラインがSomewhereの裏メロディの如く、全く的確に響きます。その後ラストテーマ、そしてバンプが繰り返されこの部分がEverywhereに該当します。Keith十八番の牧歌的なアプローチで厳かに、祭儀的に演奏されます。延々と同じモチーフを辿りつつ、Jack, Garyは巧みに様々な表情を保ちながらプレイし、ディクレッシェンド、クレッシェンドを繰り返しFineとなります。これは感動的なテイクに仕上がりました! 続けて2曲Bernsteinのナンバーが聴けるのは至福の喜びです!5曲目Tonight、Somewhereと同じWest Side Storyからのナンバー、本作白眉の名演奏になります。イントロ無しでKeithのカウントに続き曲がスタート、天から舞い降りてくるメロディを恐山のいたこ状態で身体に受け入れ、ピアノフォルテの完璧な演奏者が脱力、鼻歌でプレイしますが、これはジャズというよりもジャンルを超えた純粋音楽の領域に達しています!! ソロは右手のシングルノートを中心とし、左手のコードはあくまで最小限に、でもラインから聴こえるコード感は実に確実、これに申し分のないタイム感、グルーブ感が合わさり、さらにJackとGaryの完璧なサポートが加わり、ジャズ史上最強のスイングを聴かせています! ソロが終わっても聴衆はあまりの素晴らしさに茫然自失、これは致し方ありません!全員しばし拍手や歓声をあげる事さえも忘れてしまいました! その後ドラムソロが2コーラス行われますが、こちらもKeithのスピリットを踏まえた範疇の中で、タイムモジュレーションをさり気なく交えながら行われラストテーマへ。このモジュレーションをKeithが返礼としてでしょう、ラストテーマで採用していますが、Garyが術中にはまりリズム的に一瞬危うい場面もありました。実は危うい場面は始めのテーマにもあり、メロディが終わりピックアップソロのためのブレーク時、珍しくJackが2拍ほど溢れました。曲の小節数がもう4小節あると勘違いしたように感じますが「おっといけねえ!」とばかりに急停車、でも何事も無かったかのように演奏は継続して行きます。エンディングは比較的トラディショナルなリックを辿り、ハッピーエンドです! 6曲目I Thought About Youはアンコールで演奏されたのでしょう、コンサートの山場を終えた落ち着き、安堵感を感じる演奏です。こちらもイントロを演奏せずに徐にピアノがテーマを弾き始め、ベース、ドラムが加わります。美しいメロディを極上のセンスとピアノタッチ、ベースとドラムの見事なサポートで壮大な絵画を鑑賞するかのようです。テーマを前半演奏した後そのままピアノがソロを後半取ります。JackのシンバルによるKeithのソロと同期したカラーリングの妙、Garyが底辺を支える事で成立するサウンドの数々、3人だけがなし得ることの出来る世界のエピローグとして相応しい演奏に仕上がりました。

jazz/music 

2021.05.03 Mon

Live at Montreux / Ben Sidran

今回はピアニスト、ボーカリストBen Sidranの78年ライブ録音リーダー作「Live at Montreux」を取り上げたいと思います。豪華メンバーを迎えた極上のライブパフォーマンスを聴くことが出来ます。 Recorded: July 23, 1978 at the Montreux Jazz Festival, Switzerland Produced by Ben Sidran Executive Producer: Steve Backer p, vo)Ben Sidran  ts)Michael Brecker   tp)Randy Brecker  g)Steve Khan  vib)Mike Mainieri  b)Tony Levin   ds)Steve Jordan 1)Eat It   2)Song for a Sucker Like You   3)I Remember Clifford   4)Someday My Prince Will Come   5)Midnight Tango/Walking with the Blues   6)Come Together シンガーソングライターやプロデューサーとしても活躍しているSidran、本作で聴かれるようなユニークなスタンスでのジャズやフュージョンへの取り組みを行なっています。 43年8月14日Chicago生まれの彼は学生時代Steve MillerやBoz Scaggsらとバンド活動を行い、大学卒業後に英文学の博士号を取得するべく英国名門Sussex大学に留学します。彼のニックネームDr. Jazzはそこで取得した博士号、そして音楽全般、特にJazzに対する造詣が深いことに由来して付けられました。 渡英の際にはEric Clapton, The Rolling Stones, Peter Frampton, Charlie Wattsらと既にセッションを行なっています。 その後米国に戻り、旧友Steve Millerのバンドにキーボード奏者、作曲者として参加し、多くのヒット作を手がけます。同時にMose Allison, Van Morrison, Rickie Lee Jones, Diana Rossらのアルバムをプロデュースします。 彼の主だった活躍はポップスのフィールドになりますが、米国のブラックミュージックや20世紀におけるユダヤ人のポピュラー音楽に対する貢献度を分析した著書(本人もユダヤ系米国人)、Miles DavisやArt Blakeyらを始めとするジャズのレジェンド達との会話を録音したCDを発表と、ジャズへのこだわりを感じさせつつ、多岐に渡ります。 どう答えたのかまでは覚えていないのですが、何かの本で読みました。Milesに「あなたの書いた名曲Nardisを逆から綴ると僕の名前のSidranになるのですが」のような事を質問したそうです。いや、むしろ彼の答えは決まっていますね、口癖であった「So What?(だからどうした?)」(笑)。 前作に該当する77年作品「The Doctor Is In」を紐解くと、本作に繋がる流れを垣間見ることが出来ます。ここでも本作のSong for a Sucker Like Youが収録されていますがメンバーが異なり、ストリングスも加わったことに起因する異なるグルーヴやテイストから、かなりポップな印象を受けます。 しかし以下のインスト演奏がアルバムのジャズ度や品位を高め、Sidranが単なるポップスのミュージシャンではないことを証明しています。まずHorace Silverのナンバー63年録音の名曲Silver’s Serenade、何とオリジナルでも演奏していたトランペッターBlue Mitchellを起用することで作品に敬意を表し、ドラムTony Williams、ベースRichard Davisという素晴らしいメンバーを迎え重厚でスインギー、躍動感あふれるグルーヴを聴かせ、本来スイングでの演奏をカラフルなラテンリズムを用いて躍動感を持たせ、ゴージャスなストリングスやパーカッションによるデコレーションを施しつつ、しかし曲の持つジャジーな雰囲気を損なうことなく、Sidran風のポップな味付けを加えることに成功しています。彼のバッキングやリズムアレンジも大きく功を奏していて、CTIのプロデューサーCreed Taylorライクなアレンジを想起させなくもありませんが、これはまた異なるテイストです。 次にCharles Mingusの名曲 、Lester Youngに捧げられたGood Bye Pork Pie Hatの演奏、自身のピアノをフィーチャーし、外連味なくジャズテイストを表現しています。ここでは同じドクターであるDr. Johnのピアノ演奏をイメージさせる部分もありますが、似た音楽的立ち位置ゆえなのかも知れません。 加えてCharlie’s BluesではSidran自身のボーカルをフィーチャーしつつ、ここでもT. Williams, R. Davisコンビを迎え、ジャジーで華やかな演奏を展開しています。 更に一作前、76年作品「Free in America」ではかのカリスマ・トランペッターWoody Shawを招き、何とBilly JoelのNew York State of Mindで間奏をプレイさせています!誰もが知るポップスの名曲にまさかのコアなジャズプレイヤーの起用、このセンスに敬服しました! 「Free in America」「The Doctor Is In」で表現した音楽のライブバージョン、そしてジャズメンとの共同作業が本作になります。それまでは米国西海岸のスタジオ系ミュージシャンを起用しての作品作り、ハイクオリティの「ジャズっぽいポップ・アルバム」を制作し続けたアーティストの、一つの纏めとしてのアルバムと言えましょう。 そしてこの流れの総決算が以前Blogで紹介した79年作品「The Cat and the Hat」、本作で共演のMike Mainieriをプロデューサーに迎え素晴らしい選曲、意外性も伴った考えうる最高のメンバー、コンパクトにして最大限に凝縮された演奏、緻密で大胆なアレンジ、さらにゴージャスな流れとしてのベクトル、音楽的方向性とも全く自然な展開を遂げた結果の大名盤。見事に結実しています。 Sidranは当時の所属レーベルAristaのアーティストとしてMontreux Jazz Festivalに出演しました。彼以外の本作メンバーにLarry Coryellを加え、Arista All Starsとして演奏された「Blue Montreux」「Blue Montreux Ⅱ」の2枚は当時のフュージョンシーンを代表する傑作として存在(君臨)し、またこの時の映像や音源がyoutubeを始めとするネットや海賊盤で多く流布しています。 それでは演奏内容に触れて行きたいと思います。1曲目Eat ItはTony Williamsのために書かれたSidranの新曲、司会者の熱のこもった紹介からピアノのイントロが始まります。 この作品はライブレコーディングでありながら、ホールの残響等アンビエントの成分が少なく、スタジオで録音されたが如きドライさを聴かせ、耳に心地良い個々の楽器の音色、セパレーション、バランス感を有しています。 Steve Jordanのドラミング、音符が「丁度良い所」に位置するある種理想的なタイム感、的確なグルーブ、Tony Levinのタイトでユニークなラインを駆使したベースの素晴らしさにインパクトを覚えます。この時21歳(!)のJordanは以降The Rolling StonesやJohn Meyerのトリオで大活躍、Levinの方は本作直後にかの歴史的プログレッシブロック・バンド、King Crimson(!)に参加する事になり、Stick Bassを携えて大活躍、ふたりの優れたリズム隊の飛翔寸前を捉えた形になります。 Steve Khanのカッティングやフィルインが隠し味になり、Sidranのモントゥーノ(若干リズムが軽めですが)や随所に聴かれる倍テンポでのドラム、ベースの巧みさ、Mainieriのソロのスピード感、ライブで演奏されたとは思えないクオリティの連続です。エンディングは急停止したかのようにカットアウトでFineです。 Ben Sidran Tony Levin with his stick bass Steve Jordan 2曲目 Song for a Sucker Like You、Brecker兄弟のホーンアンサンブルが加わります。リズム隊のグルーヴ、Breckersの絶妙なセクションプレイ、オブリガード、そしてオーディエンスのアプローズも加わりオリジナルの演奏とは一線を画します。素材自体は優れた楽曲ですが調理の方法、スパイスの効かせ方で随分と印象が変わるという見本のような演奏です。 Michael & Randy Brecker 3曲目RandyとSidranのデュエットによるBenny Golsonの名曲I Remember Clifford、ごく普通に、特にキメやセクションを設けたわけではなく、Randyがこのような形でストレートにスタンダードナンバーを演奏するのは珍しいです。 彼はClifford Brown, Lee Morgan, Miles Davis, Freddie Hubbard, Woody Shawたちレジェンド・トランペッターの演奏を愛聴し研究していましたが、何かのインタビューで「CDショップで昔聴いていたトランペット奏者のアルバムを見つけると思わず買ってしまう」のような発言をしていました。とりわけトランペッター誰しもが敬愛してやまないBrownieへのトリビュート・ナンバー、思い入れがあって演奏出来たのでしょう、素晴らしいパフォーマンスを聴かせています。トランペットのcadenzaではジャズマンとしての真骨頂を披露しています。 Randy Brecker 4曲目は本作白眉の名演奏Someday My Prince Will Come、本来ワルツで演奏されるこの曲を大胆にも8ビートにアレンジ、これはSidranならではの粋な味付けです! 実はこの演奏には編集が施され、ソロを大胆にカットしてあります。まず先発Michaelのソロ、計4コーラス演奏しましたが後半2コーラスをカットし前半の2コーラス収録、続くSidranは2コーラス演奏の後半1コーラスをカットで1コーラス目のみ、続いてRandyとMainieriが3コーラスづつソロを取りましたがそれらは全てカットされています。テープ編集はあたかも手芸名人が織り成したかのようなパッチワークに仕上がり、つなぎ目の不自然さや拍手と歓声の唐突感は全くありません。 youtubeに編集前の完全な映像がアップされています。https://www.youtube.com/watch?v=R3zx5SwLIe4(クリックすると見られます) 短縮されたテイクの倍以上の長さ13分超を有す演奏時間です。 画質自体はあまり良くありませんが、演奏者の細かな動き、表情を十分見ることが出来、当時28歳、Michaelの勇姿がダントツに光ります。 それにしても収録された2コーラスのプレイはフレージングの流れ、ニュアンス、コード進行への巧みなアプローチ、ストーリー性と、この時点で完璧な演奏に仕上がっているのは間違いありません!この曲のキーは通常B♭メジャーですがここではMichaelの最もフェイバリット・キーであるFメジャー、これもソロの歌い方にファンキーさをもたらすポイントになっています。 3, 4コーラス目のソロも素晴らしいのですが1, 2コーラス目のクオリティとはかなり落差があります。以前にBlogで書いた内容と重複する部分もありますが、こう推測しました。Sidranのバンドはライブ録音を行うので演奏曲を予めリストアップしました。レコードの収録時間は最長でも45分程度、ライブではどうしても演奏時間が長くなります。ユニークな曲が多いバンドなのでなるべく曲数を多く入れたい、すると1曲の演奏時間は限られるので編集を施す事になりますが、当時はライブ録音でもごく普通にテープを切り貼りしていました。「Someday My Prince Will Comeは面白いアレンジなのでぜひ収録しよう。ついては演奏時間は6分程度なのでMichaelのソロは収録出来ても2コーラスかな」のようなやりとりがレコーディングのスタッフやディレクターとあったと思います。 Michaelお得意のギグに臨む際の情報収集=レコーディング前に演奏曲の概要〜コード進行、リズムのフィギュア、グルーヴ、演奏の長さ、共演者等を可能な限り把握しておき、ソロのコンセプトを煮詰め、ある程度のガイドラインを書いておく、ないしはしっかり書き上げておく。いわゆる予習に余念がなく、加えて演奏後に納得がいかなかった場合、徹底的に不十分だった点、出来なかった部分を復習し決して放置をすることはありません。 自分の持ち分2コーラスの中に粋で小洒落た、でも音楽的に高度な内容も織り込み、そしてなんといっても8分音符のレイドバック感をたっぷりと考えたのでしょう。この目論見は大成功!King Curtisを彷彿とさせるテキサステナー・サウンド、Coltrane的コード分解のテイスト、Dexter Gordonばりのリズムのノリ、それらがMichaelの中でメルティングポットとなり、彼独自のスタイルを表出させています。2コーラス目の終わりに少しスペースがあり、その後3コーラス目に入りますが、テープ編集の糊代を用意したようにも感じられます。彼だったらそこまでの配慮ができるプレーヤーです。実は実は、僕が深読みのし過ぎで、本人は全く考えないで演奏したのかも知れません、それはそれで78年真夏のスイス・レマン湖の畔で若きテナーサックス奏者の天才的な閃きが存在した証という事になるでしょう。カットされたRandy, Mainieriの演奏はもちろん悪かろうはずはありませんが、いかにもセッション的なプレイでMichaelの演奏との差を感じさせ、むしろ彼の凄さを際立たせています。 Michael Brecker   5曲目はSidranのオリジナルメドレー、Midnight Tango / Walking with the Blues。Midnight〜の方は74年4作目「Don’t Let Go」に、Walking〜は73年3作目「Puttin’ in Time on Planet Earth」に収録されています。ここでもMichaelのオブリが曲の品位をグッと高め、華やかで熱く都会的なソロが「ジャズっぽいポップス」を確実にジャズサウンドへと昇華させています。 Walking〜でSidranの歌うフレーズの一節をSteve Khanがユニゾンで演奏し、決め事ではなかったのでしょう、彼に受けている場面や、エンディングのソロでMichaelが珍しくOld Devil Moonのメロディを引用していたりと、和気藹々な雰囲気が漂っています。 July 22, 1978 (L to R) members of the band Air, Tony Levin, Steve Backer, Ben Sidran, Warren Bernhadt, Mike Mainieri, Steve Khan, Michael Brecker, Muhal Richard Abrams 6曲目はMainieriのヘッドアレンジが施されたJohn Lennonの名曲Come Together、Sidran自身の曲紹介に続き例のイントロが始まります。Breckersのホーンセクションの後、テナーのイケイケ、ゴリゴリのソロ、実際MichaelはJohn Lennonのバンドに参加し、アルバムも残しています。73年作品「Mind Games」、思い入れもあった事でしょう。 余談になりますが僕は81年4月にシンコーミュージックから「マイケル・ブレッカー完全コピー集」を出版しました。前年12月9日午後、おりしもAurex Jazz Festival ’80で来日中のマイケルにコピー集に掲載する記事のインタビューを行う事になり、雑誌社担当の方、通訳の方、僕とで宿泊先の東京プリンスホテルに集合しました。 挨拶もそこそこに担当者が開口一番「ジョン・レノンがニューヨークの自宅前で暗殺された」と話してくれました。今ではSNS等世界中の情報が瞬く間に個人の手元に届きますが40年以上前の話、どんなにショッキングなニュースでも流布するにはそれなりの時間を要します。音楽出版社ならではの情報網で迅速に収集したのでしょうが、The Beatlesフリークの僕には衝撃的でした。 暗殺されたのが米国東部標準時12月8日午後10:50、 インタビューが日本時間9日午後4:00からだったので事件から数時間後、全くの最新情報です。その時マイケルは知る由もなかったと思いますが、おそらくインタビュー当日の夜には情報を得てはいたのではないでしょうか。 この時彼がジョンのバンド在籍者とは残念ながら知りませんでした。当然インタビューにはこの話は持ち上がりませんでしたし、30分という短い所要時間、しかもコピー集のためのインタビューでしたから。 当時まだタバコを吸っていたマイケルは「ちょっと待って、タバコを買ってくるから」と中座し自販機でマイルドセブンだったかセブンスターを購入、戻ってから火を付ける前に「インタビューの時間はどのくらい?」と尋ねました。「30分です」と僕が答えると、わざとタバコの箱を机に落とし、そんなに短いんだ、とばかりに戯けましたが、お茶目な彼に触れられた最初の仕草です。 もしかインタビュー時にジョンの死が話題に上がっていたら、彼は一体どんなことを話してくれただろう、そして纏わる思い出話は尽きなかったのでは、と思います。

2021.04

jazz/music 

2021.04.19 Mon

Tribute to John Coltrane

今回はDavid Liebman, Wayne Shorterふたりのサックス奏者をフィーチャーしたコンサート=1987年開催されたLive Under the Sky ’87のプログラムをライブレコーディングした作品「Tribute to John Coltrane」を取り上げたいと思います。 Recorded: 26th of July, 1987 at Yomiuri Land East ss)David Liebman   ss)Wayne Shorter   p)Richie Beirach   b)Eddie Gomez   ds)Jack DeJohnette 1)Mr. P.C.   2)After the Rain / Naima   3)India / Impressions John Coltrane没後20年、そして当時日本Jazz夏の風物詩となったLive Under the Sky 10周年に企画されたコンサート、豪華メンバーが集まりColtraneのオリジナルを演奏しました。節目の年に偉大なミュージシャンへのトリビュート・コンサート、しかも夏の屋外フェスティバルともなれば出演者も聴衆も否応なしにテンションが上がると言うもの。プレーヤーはオーディエンスの熱狂的なアプローズを受け歴史に残る名演を残しました。 Coltrane研究家であり、自身の音楽的ルーツを彼に持つDavid Liebmanが核となった形で盟友Richie Beirachをピアニストに迎え、Live Under the Skyに当日出演したWayne Shorter(自己のグループ)、同じくSteve GaddのグループThe Gadd Gangで出演のEddie Gomez、Jack DeJohnette’s Special Editionで出演のJack DeJohnetteをメンバーにバンドが組まれました。 プログラムの売りとしてはLiebmanとShorterのツー・ソプラノサックス、一体どんなコラボレーションやバトルを聴かせてくれるのだろうか、音楽仲間とは前評判で持ちきり、高鳴る胸の鼓動を感じながら僕もよみうりランドに足を運びました。 当日はMiles Davis GroupでKenny Garret、The Gadd GangでRonnie Cubar、Jack DeJohnette’s Special EditionでGreg Osby, Gary Thomas、World Saxophone QuartetでHamiet Bluiett, Julius Hemphill, Oliver Lake, David Murrayと、弩級サックス奏者大集合による真夏の祭典でもありました。 同年9月にHerbie Hancock Quartetのメンバーで来日したMichael Breckerと話をしていると「そのプログラムは僕にも出演依頼があったけど、スケジュールが入っていてNGだったんだ」との事。彼のChronogicを紐解くと自身のバンドで欧州ツアーが入っていました。彼もColtrane派テナー奏者筆頭のひとり、オファーがあって然るべきです。ファンとしてはMichaelがLiebman, Shorterどちらの代わりだったのか興味を惹かれれるところ、もしかしたら彼のバンドでの出演依頼もあったのかも知れません。また本作でのサックス奏者の組み合わせも素晴らしいですが、コンビとしてMichael〜Liebman、Michael〜Shorterの可能性もあった訳で、どう転んでも物凄い組み合わせには違いないのですが、Coltrane Tributeとしてのサウンド、コンセプトに大きな違いが現れそうです。 「もしかこうであったならば…」と考えると物事キリがないのですが、この組み合わせに関しては想像を巡らせない訳には行きません(笑)!! Michael〜Liebmanの組み合わせはユダヤ系サックス奏者組、知的で構築的な、論理が支配するハイパーな、そして情念が見え隠れする場面が表出する物凄い演奏になること間違いなし! このふたりのオフィシャルなツーテナー演奏は残されていませんが、実は80年12月六本木Pit InnでのStepsのライブに日野皓正バンドで来日中であったLiebmanがなんとシットイン!あろう事かMichaelのオリジナルNot Ethiopiaでバトルを繰り広げました!方法論、アプローチや音色の違い、高次元でのやり取り、一音たりとも聴き逃すわけには行きませんでした!案の定佳境に達した場面では「バヒョバヒョ、ボギャー、グワー、ギョエギョエ〜」とフリークトーン祭り(汗)、60年初頭からのColtraneの足跡を辿りながら、65年以降のFreeに突入したスタイルで締め括るというストーリーです。 この演奏はライブレコーディング「Smokin’ in the Pit」の未発表テイクに必ずや残されているはず。近年大活躍の発掘王Zev Feldmanの手により、発掘される事を願ってやみません! もう一つ、Shorter〜Michaelのサックスバトル、これはJaco Pastoriusの作品「Word of Mouth」の1曲目Crisisで既に行われているのですが、こちらは実際にその場で演奏した訳ではなく、ソロイストがお互いの音を聴かずにJacoのベーシックなトラックだけを聴いて演奏し、ミキシング時にプロデューサーであるJacoが任意に各人のフレーズをチョイスし出し入れさせ、コラージュのように重ねた演奏です。結果的にバトルのように聴こえるだけで純然とした共演ではありません。 このふたりに関しては横綱相撲的な大取組になること請け合いです!大変な盛り上がりを見せながらも互いを尊重しつつ、決して個人プレーは行わず相手の出方を見ながら、しかし常にマイペースのShorterを前にしてMichaelは彼流のアプローチの中でもしかしたら手玉に取られるかも知れません? テナーの大御所ふたりによる演奏、ColtraneとStan Getzが60年JATPで渡欧した際にドイツで収録された映像も間違いなく横綱相撲です。Miles Davis Quintetリーダー抜きでColtraneをフィーチャーした編成にGetzが加わりバラード・メドレー、そしてThelonious MonkのナンバーHackensackではバトルを繰り広げています! 穏やかな雰囲気の中で柔和な眼差しを向けながら、互いのプレイを尊重しつつの取り組み(笑)、異国の地での偶発的な演奏であったかも知れませんが、後にジャズシーンを牽引する両巨頭のモニュメント的な共演です。 リズムセクションに関して、Beirach, Gomez, DeJohnetteのトリオは本演奏が初顔合わせになりますが、Gomez, DeJohnetteのふたりは68年Bill Evans Trio「At The Montreux Jazz Festival」での名演が燦然と輝いており、近年クオリティに遜色のないスタジオやプライヴェート録音が続々と発掘され、僅か6ヶ月間の存続期間でしたがさらにトリオの演奏価値が高まりつつあります。 もう1作、以前Blogで取り上げたピアニスト、ボーカリストTom Lellisの89年録音作品「Double Entendre」ではGomez, DeJohnetteふたりの、また違ったアプローチでの素晴らしいコンビネーションを堪能する事が出来ます。 Beirach, DeJohnetteの共演は79年録音「Elm」、全曲BeirachのオリジナルをGeorge Mrazと共に演奏した名盤、Beirachの代表作として彼の魅力を余す事なく表現しています。 Liebmanは本作と同じ87年1月に「Homage to John Coltrane」を録音、同年リリースされています。レコードのSide AがGomezを起用したアコースティック・サイド、Side BがMark Eganのエレクトリックベースをフィーチャーしたエレクトリック・サイド、本作収録のAfter the Rain, IndiaほかColtraneのオリジナルを演奏しています。 このアルバムの存在が契機となり、本コンサートのプログラムが組まれたのでは、と睨んでいます。 それでは演奏内容に触れて行く事にしましょう。1曲目はお馴染みMr. P.C. 、59年録音Coltraneの代表作にして名盤「Giant Steps」に収録されているマイナー・ブルース。Miles Davis Quintet時代からの盟友である名ベーシストPaul Chambersに捧げられたナンバー、皆さんよくご存知の事だと思います。作曲者自身その後もバンドのレパートリーとして頻繁に取り上げました。 Liebmanのカウントに続き曲がスタート、「お〜待ってたよ、期待していたぜ!」とばかりにワクワク感満載のオーディエンスの、数万人規模での響めきに近い歓声が聴こえます。オープニングに相応しくテンポもColtraneの演奏が♩=250、こちらはそれよりも速い♩=280に設定されています。 寸分の隙も無いとはこの演奏のためにある言葉なのでしょう、プレーヤー5人の発する音全てが終始有機的に絡み合い、アイデアを提供しつつ互いにインスパイアされ、相乗効果のショーケースと思しきインタープレイの数々です! テーマに続きLiebmanが先発ソロ、エッジの効いた鋭角的なサウンド、主たるトーナリティの他に全く別のスケールが織り込まれたかの如き異彩を放つアドリブ・ライン、ここではグロートーンやオルタネート・フィンガリングも交え、シャウトし、耳に痛いまでに(汗)届くプレイを聴かせます。この頃の彼の楽器セッティング、マウスピースがDave Guardala Dave Liebman Model、リードはBariプラスティック・リード、本体はCouf(Keilwerthの米国向けモデル)。テナーサックスを封印してソプラノに専念していた時期です。 リズム隊について、まずGomezのベースが絶妙なOn Topに位置し、これまたエッジーなDeJohnetteのシンバルレガートと素晴らしい一体感を聴かせます!そして拍の長さが圧倒的に長いDeJohnetteのドラミングがバンドのリズムの奥行き感を深めています。コンビネーション抜群のふたりに加え、管楽器に対するバッキングの天才Beirachが美しくもダイナミックなピアノタッチを駆使し、実に楽しげにまで自由な発想で、枯渇することのない砂漠のオアシスの如く迸るアイデアを提供し、ソロイスト、メンバーを鼓舞します。別の言い方をすれば茶々入れ名人、お囃しの達人でしょうか(笑)? Liebmanの最後のフレーズを受けつつ続くShorterのソロ、これは一体どう表現したら良いのでしょう?まず音色が相方とは全く異なります。使用楽器、マウスピースがOtto Link Slant 10番、リードはRicoでしょうか。本体はYAMAHAセミカーブドネックSilver Plated。ラバーのマウスピース使用なのでよりウッディではありますが、音の太さと艶、コク感が尋常ではありません!Liebmanのテナーサックス封印とは異なり、この時Shorterはテナーも自分のヴォイスとして普通に用いていました。今回ソプラノに専念したのは自身の発案か、主催者やLiebmanに要望されたのかは分かりませんが、対比という観点からソプラノ2管編成は結果としてふたりの演奏をフォーカス出来たと思います。 フレージングに関して、ジャズ的なアプローチの範疇に入っているようで実は枠外では?とも十分に感じさせ、奏法的には”もつれている”かのような独特なタンギング、かと思えばシングルタンギングの連続、フリーキーでアグレッシヴなライン、フラジオ音、小鳥の囀りの如き発音、いきなり小唄のようなメロディ奏、常人では考えられない展開の連続は真の天才の降臨でしょう! この猛烈な演奏の伴奏担当リズム陣、凄まじいまでの瞬発力の連続、間違いなく3人とも全く何も考えずその場で鳴った音を受け(反射神経と手足が直結しています!)、インスピレーションを頼りにサポートしていますが、その確実性と高い音楽性はあり得ない次元です! 特にBeirachの、とんでもない事象を目の当たりにしても、尚且つ悠然とカウンターメロディを入れられる大胆さには鳥肌が立ちます! Shorterのソロはまるでおもちゃ箱をひっくり返したような、どんな玩具が飛び出して来るか分からない意外性を持った展開ですが、一応彼なりの起承転結と次のソロイストに受け渡すための手筈の用意はされていました。続くBeirachのソロにはそのためスムーズに移行し、Shorterソロの余韻を残しつつ、真っ白なキャンバスに絵を描き始めるべく体制の立て直しを図り、そして徐に演奏開始です。 フロント陣の猛烈な演奏の後にも関わらず、Beirachは更なる強烈な展開をベース、ドラムを巻き込んで、リズム隊3人組んず解れつをとことん聴かせます!GomezもDeJohnetteも仕掛ける、受けて立つのアプローチを繰り返し、真夏のよみうりランド上空には激しい雷鳴が轟きそうな勢いです!いや、既に演奏自体が雷鳴でしたね!(爆) ここまで奇想天外にイキまくっている演奏を聴くと、お囃子の達人は鳴物師であると同時に主たる芸能の達人でもあると再認識しました(笑)!まさしく三位一体の演奏なのですが、あまりにも各々が素晴らしいので出来れば一人ひとりのプレイを個別に聴きたい気持ちです(笑)。 密度の濃い演奏では時間の経過は加速します。ピアノソロ後ラストテーマへ、えっ?もう終わりですか?もっと聴きたいんですけど(涙)。Coltrane Tribute Concertのオープニングは歴史的な名演で開始されました。 聴衆の大歓声の後にLiebmanによるMCが始まります。Coltraneに対する思いを込めた内容をカタコトの日本語を交え(サービス精神旺盛です)、熱く語り、そしてデュオを開始すべくBeirachに促します。 David Liebman 2曲目はAfter the RainとNaimaのメドレー。After the Rainは「Impressions」に収録され、ここではドラマーがElvin JonesからRoy Haynesに交代しています。 Naimaは前出の「Giant Steps」で初演され、こちらも自身の重要なレパートリーとして生涯演奏されました。 本作での演奏は長年デュオ活動を継続しているふたりの絶妙なコンビネーションを聴くことが出来ます。冒頭にはピアノの弦を直接指で弾く効果音的奏法を聴かせ、Liebmanもフリーキーな音色で呼応しデュオの雰囲気を高めています。 ピアノのイントロに続き美しいメロディが始まります。ルパートを基本にゆったりと揺らめくように、アグレッシヴなトリルも交えながらテーマを演奏しています。コンパクトにプレイをまとめ、Beirachのリズミカルで豊かな響きのイントロに導かれてNaimaが始まります。彼等の演奏は85年録音「Double Edge」でも聴くことが出来ます。 こちらの演奏はスタジオ録音ということもありリリカルで落ち着いた雰囲気、本作の演奏は臨場感あふれるライブならではの内容です。本来バラードであったNaimaをボサノバやEven 8thのリズムで演奏するようになったのは、Cedar Waltonのトリオ作品73年1月録音「A Night at Boomers, vol.2」収録の演奏からではないでしょうか。 Waltonは75年12月録音「Eastern Rebellion」でGeorge Colemanをフロントに迎え、カルテットでも演奏しています。 ここでのソプラノサックスの音色には「シュワー」という音の成分(付帯音)が聴こえます。ドラムのシンバルと被る成分が多いのでバンド演奏では消えがちな付帯音ですが、デュオならではの良さ、音色に豊かさが増します。 ふたりの絶妙なコラボレーションにより音量のダイナミクス、互いのフィルインやフレージングの駆け引き、Liebmanのラインに対するBeirachの反応、放置、またピアノのサウンド付け、コードワークに対するLiebmanの対応のバリエーションの豊かさ、ナチュラルさ、全てがあり得ない次元で昇華しています!オーディエンスの掛け声にも感極まった感が聴き取れます。そして続くBeirachのソロの何と素晴らしいこと!崇高な美学に基づいたリハーモナイズの妙、いみじくもLiebmanが名付けたBeirachのニックネーム”The Code”、面目躍如の異次元コードワークの連続です!音楽的にも超高度な世界、しかも美しいピアノタッチで!これは堪りません!ラストテーマも意外性に富んだアプローチを聴くことが出来ます。 Richie Beirach LiebmanのBeirachと自身の紹介、そしてShorter, DeJohnette, Gomezの名を呼びあげステージに戻るように促しています。 Wayne Shorter 3曲目はIndiaとImpressionsのメドレー、これら2曲も前述の「Impressions」に収録されています。Gomezの深い音色によるベースソロから始まリ、重音やハーモニクス奏法等様々なアプローチを用いますが、恐らくColtraneが演奏したバラードをモチーフに、と言う主題を自身で掲げメロディの断片を交えながらソロをプレイし、My One and Only Loveを聴き取ることが出来ます。 その後スラップのような奏法を披露しソロ終了と同時にドラムがリズムを刻み始め、イントロ開始です。スペースの多い曲なのでソプラノふたりが互いを聴きながら、被ることなくフィルインを入れますが、内容的には各々我が道を歩んでいます。 ソロの先発はShorter、素晴らしくインパクトのある音色でMr. P.C.以上にアグレッシヴなフレーズを繰り出しますが、時折聴かれる小唄的メロディに安堵感を覚えます。リズム隊のバッキングのアイデアは尽きるところを知らず、Shorterを徹底的にサポートしますが、Gomezのアプローチには敬服してしまいます! Eddie Gomez リフが入りBeirachのソロへ、案の定無尽蔵に溢れ出るアイデアが聴衆を別世界へと誘います。ここではDeJohnetteが率先してBeirachの後見人とも取れるアプローチを見せており、ソロイスト毎に役割分担を行っているかのようです。まだまだ続けられるにも関わらずBeirach余力を残しLiebmanのソロへと繋げます。初めからこめかみの血管が切れそうなテンションでのプレイ、フリージャズに突入したかのようです!バッキングを止め、暫し音無しの構えを見せていたBeirach、Liebmanのアグレッシヴなフレージングの合間にとんでもないラインを弾き始めたじゃありませんか!まさしく長年連れ添った(笑)このふたりにしかあり得ない阿吽の呼吸です!このバッキングで更に火のついたLiebman、悶絶しそうな勢いですが、プレイに決して乱れを見せず正確なタイム感をキープしています。 その後ラストテーマ、実にゆっくりとリタルダンドしてドラムソロへと繋げています。激しくも音楽的なフレーズを繰り出し、Elvin Jonesスタイルを彷彿させながらテンポをアッチェルさせImpressionsに繋がります。 テーマをLiebmanが吹き、Shorterはオブリガードを演奏します。ソロはShorterから、一触即発でDeJohnetteが反応します。このふたりは60年代後期のMiles Davis Quintetで同じ釜の飯を食べた仲、久しぶりの共演かもしれませんがそこは昔取った杵柄です。 続くBeirachは端正にして凛々しく、正面を見据えてひたすらスイングする事に全身全霊を傾けているかの如きプレイ、実にカッコいいです!そこにLiebmanが怪しげに斬り込んできました。リズム隊は新たなカンフル剤を注射されたかの如く、活性化して行きますが、Beirachがバッキングを止め、Coltrane Quartetでテナーソロが佳境に入った時の、ピアノの椅子に座り続けるだけのMcCoy Tyner状態です! その後再びドラムソロに移行しそうになりますが、DeJohnette本人は再度のソロを望まないであろうし、何より演奏時間が長くなると判断したBeirachが(メンバーには1時間で収めて欲しいと主催者側からオファーがあったのでしょう)パターンを弾き、ラストテーマに持っていきます。激しいエンディングを伴い歴史的コンサートは大団円を迎えます。 Jack DeJohnette

 

jazz/music 

2021.04.06 Tue

Nature’s Revenge / Ryo Kawasaki Group

今回はギタリストRyo Kawasakiの78年録音リーダー作「Nature’s Revenge」を取り上げてみましょう。 Recorded at Tonstudio Zuckerfabrik, Stuttgart, Germany, February/March 1978 Engineer: Gibbs Platen Producer: Joachim-Ernst Berendt Label: MPS g)Ryo Kawasaki   ts,ss)David Liebman   b)Alex Blake   ds)Buddy Williams 1)Nature’s Revenge   2)Body and Soul   3)Choro   4)The Straw That Broke the Lion’s Back   5)Thunderfunk   6)Prelude No. 2   7)Snowstorm ユニークな構成の作品です。ギタリストRyo KawasakiのグループはDavid Liebmanのテナー、ソプラノサックスをフィーチャーし、エレクトリック、アコースティック・ベースAlex Blake、ドラムBuddy Williamsらのメンバーを擁したカルテットで、ほかギターとテナーのデュオ、アコースティック・ギターのソロ演奏を収録しています。 時代を反映したフュージョン・テイストのオリジナル・ナンバーやLiebmanの美しくドラマチックなオリジナルをカルテットで、ジャズバラードの定番にしてテナーサックスの魅力を最大限に引き出せる名曲Body and Soulをデュオでプレイし、これらの曲間にBrazil出身の大作曲家Heitor Villa-Lobosのクラシック・ナンバーを2曲アコースティック・ギターで独奏しています、ジャズチューンの中にクラシックのソロギター、一見節操のない選曲・構成のようですが、アルバム全体を通して鑑賞してみるとこれが殆ど違和感を感じず、むしろ濃い目のバンド演奏(笑)の良いクッション的役割を果たしています。 この当時Kawasakiはクラシックのギター演奏に力を入れ、よく独奏を重ねていたようです。クラシックギターの専門家、名だたる巨匠に比べればテクニカルな部分、音色、表現力の面で聴き劣りは否めませんが、多くのジャズピアニストが自己鍛練のためにクラシックを練習し、ピアノという楽器をコントロールするための確実な基礎を身に付けたのと同様に、彼も更なる高みを目指してアコースティックギターに集中し、クラシックの楽曲にチャレンジすることでジャズプレイに良いフィードバックを得られるよう、トライしていたのでしょう。本作ではこの時点での結実した演奏に触れる事ができます。 Kawasakiは47年2月東京生まれ。外交官を勤めた父親、海外生活を経験した国際派の母親との間に生まれ、ジャズミュージシャンとして日本で多忙を極めたのち73年にNew Yorkに活動拠点を移します。ほどなく米国ジャズシーンで認められGil Evansの名作 74年「Plays the Music of Jimi Hendrix」76年「There Comes a Time」、Elvin Jonesとは77年「The Main Force」「Time Capsule」、ほかJoanne Brackeenとは78年「Aft」「Trinkets and Things」で演奏します。 米国では他国籍者の場合、音楽活動を行うにはグリーンカード(永住権、労働許可証)所有が不可欠ですが取得に際して厳しい制限が課されています。彼の場合まずGil Evansのバンドに正式に加入するにあたり、Gilがスポンサー(保証人)になり尽力し、73年10月頃から書類上のやり取りを行いました。ところがNew YorkのMusician’s Unionがこれに反対し「米国に良いギタリストが存在するのになぜ日本人を採用するのか」とクレームをつけました。Kawasakiの力量や人間性を認めていたGilは「メンバーは自分に必要なサウンドや人物で決めるのであって、国境は関係ない」としてUnionも承諾し74年半ば以前に取得出来たそうです。大岡裁きですね。 本作のレコーディングのきっかけは76年から77年にかけての長期にわたるElvinとのツアーの際、欧州各都市のクラブやジャズ・フェスティヴァルなどに出演し、それらが当地のレーベルやブッキング・エージェントたちの目に留まり、彼らからのオファーが来たそうです。 その中のひとつが独MPSのプロデューサーJoachim-Ernst Berendtのアルバム制作依頼でした。それはかなり具体的なもので、予算と録音日程、その直後に録音メンバーによる2週間以上にわたる独語圏内(ドイツ、オーストリア、スイス)の各都市を回るツアー、「音楽内容やメンバーのチョイスはご随意に」といった依頼で、New Yorkで活動していた自身のライヴ・グループからAlex Blake, Buddy Williams、そしてElvinのバンドで共演を重ねたDavid Liebmanに白羽の矢を立て、メンバーが決まりました。ドイツ人は物事に対してはっきりとした考えを持ち行動する国民性なので、当初から仕事がやり易かった事でしょう。本作の特徴であるアコースティックギターの使用は77年録音の前作に該当する「Ring Toss」で既に行われています(クラシック音楽は未演奏)。因みにBlake, Williamsのリズム隊も既に起用されています。 実は彼の10歳ほど年上の従兄弟がクラシックギターの名手(プロではなかったそうです)で、Kawasakiも幼い頃からこの楽器に魅せられ、いつかは弾けるようになりたかったそうです。Elvinの長期間に渡るツアーの際、プレイしている以外は時間があったので持参したアコースティックギターを練習し、更にはElvinもクラシックギターが大好きだったのでライブでセット毎に数分間ソロ演奏を披露する機会を与えて貰ったそうで、これは得難いチャンスでした!そういえばElvin自身もアルバムでギタープレイを披露しています。67年録音「Heavy Sounds」収録のその名もElvin’s Guitar Blues、アコースティックギターをイントロでご愛嬌程度に、でも気持ち良さそうにつま弾いていますが、ドラムを叩く時のような例の声は聴こえません(笑)。 こういった背景があり、彼はBach, Tarrega, 本作のVilla-Lobos, そしてRodrigo, Ravel, Debussy, Stravinskyらの名曲を人前で演奏したり作品として収録できる程度まで習得しました。アコースティックギターによるクラシック演奏にはごく自然な流れが存在したのです。 それでは収録曲に触れて行くことにしましょう。1曲目Kawasakiのオリジナルにして表題曲Nature’s Revenge、当時(現在もそうですが)世界的な異常気象により地球温暖化、洪水、巨大ハリケーン、海水位の上昇が問題となり、これらは地球を弄んだ人類に対する自然の復讐であり、警鐘を鳴らすべく書かれたナンバーと言うことです。 アップテンポのサンバ、しかしタイトルが持つ重厚感は感じさせない軽快なリズム、メロディで、随所に聴かれるキメやアンサンブルは当時のフュージョン、クロスオーバーを彷彿とさせます。Williamsのテクニカルで軽快なドラミングが曲調に相応しいカラーリングを施します。バスドラムと皮もののバランスがよく取れているドラマーです。 全編に渡りギターのバッキングがオーバーダビングされ、2拍3連のパターンを基本に次第に発展していきます。 テーマのメロディ部とは別に巧みなベースソロ、アコースティック・ギターとソプラノのトレードのセクションを有し、その後スパニッシュモードによるメロディ・パートがあります。この部分の延長線上でソプラノサックスのソロがスタートしますが、しかしLiebman、これは猛烈なイメージの演奏です!ミステリアスな雰囲気で音量を抑えた序章から、次第に様々なモチーフや細かいセンテンス、アウトするラインを巧みに用い、起承転結を持たせながらストーリーをエグく構築して行くプレイは圧倒的です!場を活性化するべくドラムがソプラノソロに呼応しますが、Liebmanがここではいつになくon topでプレイしています。スピード感と言う次元より、むしろ前のめりなグルーヴを感じさせるので、せっつかれたようにも、また何かに追われているかのようにも聴こえます。実はこのLiebmanのソロ自体がNature’s Revengeを表現しているのかも知れませんね。 まさにほど良きところでギターによるメロディがバックリフ状態で演奏され、最後はソプラノもユニゾンでプレイしギターソロへと続きます。ディストーションを施したトーン、ロックフレーバー満載のラインの連続でバンド一丸となってバーニング!その後ラストテーマへ、ここでも再びアコギとソプラノのバトルが聴かれますが、ハードな構成の曲中、幾山も超え、やっとラストテーマに辿り着いた安堵感すら感じさせる余裕のトレード、そしてFineです。 2曲目はギターとテナーのDuoによるBody and Soul、印象的なコードワークから始まるギターソロには旋律を感じさせるラインが用いられ、テーマの前半AAを演奏、そして同様にメロディ・フェイク的なテナー奏、この時点で素晴らしい音色にノックアウトされます!サブトーン主体の付帯音に満ち満ちた、テナーの周囲をシュワーっという音の粒子によるスモークが焚かれたかのようなサウンド、Coleman Hawkinsに始まりStan Getz, Sonny Rollins, John ColtraneたちTenor Titanの名演に並び称されるクオリティの演奏です!テナーはテーマの後半BAをプレイ、再びギターがAA部でソロを取ります。Kawasakiお得意のフレーズの嵐、即断で彼の演奏と分かる勢いです!その合間を縫うように繰返しのAからテナーがオブリを入れ、その返答の如くギターの大変気持ちのこもったピアニシモでのフレージングがあり、サビのBから同様にテナーソロへ。ギターも同時進行でソロを取りますが、実にナイスなコラボレーション、合計2コーラスをありそうで無かったフォームで、そして緻密にして崇高な美学に貫かれたインタープレイを聴かせ、エンディングcadenzaでのスリリングのやり取りも絶妙で、間違いなくBody and Soulの名演奏の一つに挙げられるテイクに仕上がりました! David Liebman 3曲目ChoroはVilla-Lobosの代表曲、アコースティックギターでクラシックを志す者なら必ず演奏するナンバーの1曲です。ChoroはBrazilのポピュラー音楽のスタイルの一つで、19世紀に既にRio de Janeiroで成立しました。ポルトガル語で「泣く」を意味する「chorar」から名付けられたと言われており、Choroを米国ではBrazilのJazzと例えられることがありますが、即興を重視した音楽としてはJazzよりも歴史が古いと言えます。 アコースティックギターを手にしてこの曲を練習する、人前で演奏する、ましてやこのテイクのように自分のリーダー作でプレイするに当たり、常に身の引き締まる思いを抱いた事でしょう。ジャズプレーヤーにとっては襟を正して演奏すべきナンバーです。 Heitor Villa- Lobos 4曲目LiebmanのオリジナルThe Straw That Broke the Lion’s Back、この曲にも作曲者自身のコメントがオリジナル曲集「30 Compositions」に記載されています。「had to do with an incident in my life, where something occured which finally caused me to take action, literally ≫the last straw≪. The melody is straight-forword with common changes and intended to have lyrics. The second section was grafted from another song and puts the melody in the bass. The feel is eighth note and bossa-nova like.」 元はことわざ「It’s the last straw that breaks the camel’s back」ギリギリのところまで重荷を背負ったラクダはその上わら1本でも積ませたら参ってしまう<たとえわずかでも限度を越せば、取り返しのつかない事になる>を捩ったタイトル、曲に歌詞を付ける予定だそうです。 テーマメロディを用いたリリカルなギターイントロから始まり、コードワークに導かれてインテンポ、Liebmanの逞しくも深いトーンを湛えたテナーが朗々とテーマを奏でます。 ギターのバッキング、フィルインが実にカラフルです!Blakeもコントラバスに持ち替え、よく伸びる深い音色でサポートはもとより、曲中のベースによるメロディラインを美しく演奏しています。 リズムはコメントにもあるようにボサノヴァがかった8ビート、コード進行は確かに良くあるものですが、何よりLiebmanのプレイが素晴らしく、リラックスした中に耽美的な表現が自然に散りばめられ、魅惑的な世界へと誘います。 彼独自のニュアンスは比較的too muchになりがちですが(代表的な演奏例としてSteve Swallow / Home)、ここではバランスを保ち聴き手に決して押し付ける事なく、王道を行くスタンスで表現されており、僕にとっては彼のソロの中で格別にフェイバリットな、ウタを感じさせる、何度聴いてもグッと来てしまうソロです!続くギターの演奏もLiebmanに刺激されイメージを膨らませた、曲想に合致したプレイを聴かせます。 その後のラストテーマは素晴らしいコンビネーションによるインタープレイを存分に重ねた成果でしょう、表現力が一段と増した成果を聴かせ、この曲の持つ魅力を十二分に発揮しています。 5曲目ThunderfunkはKawasakiのオリジナル、エレクトリックベースのスラップによるイントロからドラム、ギターのカッティング、オーヴァーダビングによるメロディが加わり、テナーとのキメ、そしてイケイケのチョーキング・ギターによるテーマ、サビで対比的にムードが変わる、いかにも70年代ライクなテナーによるライン等が提示されギターソロへ。Funk魂全開のプレイです! そういえばLiebmanのJames Brown, Van Morrisonバンドの重鎮テナーPee Wee Ellisとのコラボレーションで制作した76年録音のアルバム「Light’n Up, Please!」、こちらでもファンキーな、ホンカーライクなプレイを聴かせています。 Liebmanのここでのソロは7thコード#9thの響きをギタリストのように全面にプッシュしたプレイ、コンパクトにまとめラストテーマに繋がります。 6曲目Prelude No. 2、再びVilla- Lobosのナンバーを外連味なくアコースティックギターのソロで演奏しています。前曲のエグさを一掃するかのような(笑)アカデミックさ、心が洗われるようです。違和感なくすんなりと耳に入って来るのは演奏自体が限りなくピュアだからでしょう。 Ryo Kawasaki(2018年クロアチア) 7曲目Snowstormは大作です。曲冒頭にDon Luis Milanの名曲Pavaneをアコースティックギターソロで奏で(オーヴァーダビングだと思われます)、その後アップテンポでファンクのリズムが刻まれ、ベース、ギターと加わり、ソプラノによるテーマが提示されます。ギターのバッキング、ベース、ドラム、全員かなりのハイテンションでプレイしています!ギターソロが先発を務め、Blakeの縦横無尽なベースワークと実に良く絡み合っています。その後ソプラノによるテーマの後、世界が一新します。これは3拍子+3拍子+3拍子+2拍子という構成による11拍子、リズム隊の作り出す怪しげな世界を背景に、民族音楽のような旋律から成るメロディを経てLiebman存分に咆哮します。次第にサウンドはFade Outに向かい、Snowstorm=吹雪、まるで全てが雪に埋もれてしまい静寂の世界が訪れたかのようです。

2021.03

jazz/music 

2021.03.22 Mon

Pendulum / The David Liebman Quintet

今回はDavid Liebman Quintetによる1978年2月NYC Village Vanguardでのライブレコーディングを収録した作品「Pendulum」を取り上げたいと思います。テナー・ソプラノサックスDavid Liebman、トランペットにRandy Brecker、盟友Richie Beirachをピアノに迎え、ドラムAl Foster、ベースFrank Tusaらの素晴らしいサポートを得て、バンド一丸となった名演奏を聴かせています。 Recorded: February 4th and 5th, 1978 at The Village Vanguard, NYC by David Baker, assisted by Chip Stokes Mixed: September 12, by David Baker with David Liebman, Frank Tusa, and Richie Beirach at Blank Tapes Studio, NYC Mastered by Rudy Van Gelder Art by Eugene Gregan Produced by John Snyder Label: Artist House ts,ss)David Liebman  tp)Randy Brecker  p)Richie Beirach  b)Frank Tusa  ds)Al Foster 1)Pendulum  2)Picadilly Lilly  3)Footprints 70年代後期Liebmanの絶好調ぶりがダイレクトに伝わる優れた作品です。Elvin Jones, Miles Davisとの共演で培われた音楽性をベースに、自身に備わっていたユダヤ的なテイスト(サウンド、ハーモニー、スケール感)と結合した独自なスタイルが開花した時期に該当します。楽器の表現力、テクニックやタイム感も格段に向上し作曲やアレンジにも深みが加わり、確実な方向性を確認することが出来ます。 作品クオリティの充実ぶりには加えて本作レーベル、Artist Houseの貢献もあります。プロデューサーJohn Snyderは数々の名演奏を生み出したNYCの老舗ライブハウスVillage Vanguardでの録音を挙行(Liebman初ライブ録音になります)、レコーディング・エンジニアに彼の演奏を熟知しているDavid Baker、更に録音テープからレコード盤作成時最後の関門とも言える重要なマスタリング(ここが充実せず最悪の場合音質が劣化することさえあります)にBlue Note, Prestige, Impulse, CTI等で数々の名録音を手掛けた鬼才Rudy Van Gelderを起用、このコンビネーションにより素晴らしい音質に仕上がりました。 アルバムジャケットのデザインにはLiebmanの絶大な信頼を得ているEugene Gregan、ダブルジャケット仕様のレコードには全8ページからなる詳細な内容を記載したブックレットを付属させました。こちらには録音使用機材等のディテールやインフォメーションのほか、Liebman自身によるメンバー、スタッフ、演奏曲に対する紹介、解説が掲載され、アルバムリリース79年当時のコンプリート・ディスコグラフィー(Liebmanお気に入りアルバムのクレジット入り!)、更には収録曲PendulumとPicadilly Lillyのリードシートも付録され、米国制作とにわかには信じ難い繊細なレベルでの作品リリースに仕上げています。良い作品を世に出したいという欲求と情熱を痛感しますが、推測するにかなりの経費がかかった割には売れ行きが芳しくなかったのでしょう、Artist Houseは78年から81年にかけて合計14作を発売しましたが、残念ながらその後活動を停止してしまいました。 また08年にはMosaic Labelから8曲の未発表演奏を追加したCD3枚組がリリースされました。There’s No Greater Love, Solar, Night and Day, Blue Bossa, Well You Need’t, Impressions等のスタンダード・ナンバーを中心とした追加テイクはいずれもがライブならではの長時間に及ぶ白熱した演奏です。ジャムセッションで取り上げられるようなこれらのナンバーはLiebman, Brecker, Beirachにとって他で聴くことの出来ない貴重なテイクとも言えますが、合計11曲、収録時間191分以上、全ての曲で演奏は完全燃焼を遂げており(汗)、しかもバラードやリラックスした雰囲気の曲が皆無というのも凄まじい、Liebmanらしいセレクションです!3枚通して聴くことはまず無理でしょう(熱狂的なLiebmanフリークの僕でもギブアップです!)、圧倒的なまでの内容の濃さ、ボリュームを有し、他にこれだけの作品の存在を知りません(爆)。 LiebmanとBreckerはManhattanのロフトで70年代初頭からセッションを繰り返した間柄です。そこには弟Michael Brecker, Steve Grossman, Bob Mintzer, Bob Bergたちも加わり、ユダヤ系の知的で高度な音楽性を湛えたフロント陣が研鑽を遂げた場所でもありました。意外なことにLiebmanとRandy(Brecker)の2フロントによる共演作は殆ど存在せず本作はその意味では貴重な作品です。他には98年3月NYC Town Hallにて行われたコンサートを収録した作品「70s Jazz Pioneers / Live at the Town Hall」で共演を果たしており、他にPat Martino, Joanne Brackeen, Buster Williams, Al Fosterたちと60〜70年代のナンバーをセッション風に演奏しています。 ベーシストFrank Tusaは70年代初頭からLiebmanと活動を共にし、Bob Mosesを含めたOpen Sky Trioでの活動、またBeirachともコンスタントにプレイを展開していました。Liebmanのアルバムには7作参加し、また自身の作品75年7月録音「Father Time」にLiebman, Beirachを招き、ドラマーも当時のLiebmanバンドのレギュラーJeff Williamsが加わり、リーダーが代わっただけのLiebmanグループの様相を呈しています。ここにTusaのオリジナル曲Doin’ It(クリックすると試聴できます)が収録されLiebmanに存分に吹かせていますが、前回Blogで取り上げたLiebmanの作品「Doin’ It Again」表題曲との関係の有無がずっと気になっています。曲想は異なりますがDoin’ It〜Doin’ It Again、たまたまタイトルがオーバーラップしただけの別曲なのか、曲のコンセプトを何らかの形で受け継いだのか…機会があれば是非本人に尋ねてみたいと思っています。 それでは収録曲に触れていきましょう。1曲目BeirachのオリジナルPendulum(クリックすると試聴できます)。18分以上を有する演奏、レコードのSide Aを1曲で占めています。作曲者自身のリズミカルなイントロからスタートしますが、この人のピアノタッチは実に素晴らしいです!濃密さとクリアネスが同居したトーン、さすがSteinway & Sonsのアーティスト!ピアノという楽器を深い領域で良く響かせる、更に自身のオリジナリティを音色に反映させた魅力的なサウンドを奏でていて、まさしく心の琴線に触れるプレイです。ベース、ドラムがごく自然に加わり、ピアノひとりでもリズミックであったのに3人が織りなすグルーヴで、より立体的にリズムが構築されます。Al Fosterのタイトなレガート、Paisteシンバルの使用でスティックのチップ音がドライかつシャープに響きます。Tusaのベースもリズムのスイートスポットにバッチリ嵌っています。テーマはテナーがメロディを奏で、トランペットがハーモニーを担当、メロディが下の音域でハーモニーが上に位置するので不思議なサウンドですが、Randyは音量を抑え目に吹いていてしっかりと主旋律を立てています。 ソロの先発はトランペット、この頃のRandyはThe Brecker Brothers Bandでの活動真っ最中、Bros.の代表曲Some Skunk Funkを筆頭とするワウやオクターバー等のエフェクターを施した演奏で、100%フュージョンのミュージシャンと勝手に認識していましたが、ここでのハードなドライヴ感を伴ったスインガー振りには正直驚かされました!同じトランペッターFreddie Hubbardも大変にタイム感の良いプレーヤーですが、Randyも全く遜色なく、リズムマスターの称号を授与されて然るべきです!フレージングのアプローチ、方法論にもオリジナリティを感じさせつつ、淡々とストーリーを展開して行きます。彼の話し方は比較的「ぶつぶつ、ボソボソ」と独白的でアイロニーを含みますが、この演奏にもどこか感じ取ることができます。 リズム隊はパターンをキープしつつ様々なアプローチを仕掛け、今度は逆にRandyに仕掛けられたりと丁々発止のやり取りを行いながらスイングのリズムに変化して行きます。Fosterのバスドラの軽やかさは実にパーカッシヴ、両手から繰り出されるフィルインの数々も決してtoo muchにならず、ほど良きところをキープしています。かのMiles Davisのバンドを72年から85年まで長きに渡り勤め上げた、真に伴奏に長けたドラマーです!音量のアベレージが小さい彼はダイナミクスの振れ幅が半端なく、ppとffを自在に行き来しています。 Beirachのバッキングのまた物凄いこと!付かず離れずを繰り返しながらもソロに確実に付ける部分と放置プレイのバランスを保ち、そして複雑な和音を内包しながらリズム楽器と化しつつ問題提起的なアプローチ三昧、いわゆるリック的な決まり事とは一切無縁の自然発生的、リアルジャズプレーヤーを実感させます。クラシックを徹底的に学び、幼い頃からピアノの神童として育てられたに違いないでしょう、ノーブルさ、緻密さをベースにプレイをとにかく楽しむ事を念頭に置く演奏姿勢、それらがあり得ない次元で備わっています。Michel Petruccianiはピアノの化身と言われましたがBeirachも全く同じ、いやそれ以上かも知れません! トランペットソロ後は再びリズムパターンに戻りそのままBeirachのソロが始まります。右手のシングルノートを中心にメロディの提示やパルス的なフレージングを積み重ね、次第に世界を作り上げて行きます。その際Fosterのドラミングとのやり取りが素晴らしい!彼も決まり事に一切決別を宣言したかのプレイ、豊かな泉の如く溢れ出るアイデアは他のドラマーにはない全く独自のセンスで。Tusaのベースともあくまでお互いの協議と合意のもと、ジワジワと物語を作り上げ、前人未到の高みにまで辿り着かんとしています!そしてここぞと言う場面をプレーヤーたちは決して逃しません、三つ巴でピークに向けて、しかしこの後に控えるリーダーのプレイの盛り上がりも視野に入れつつ、一段階手前の絶頂、八合目を目指してGo!Fosterのバスドラ連打祭りでもあります! ややクールダウンし再びパターンに戻り、壮絶な音色を伴ったテナーソロがスタートです。トーンも凄ければ吹いているラインも情念のこもった、問題提起どころではない世界の終焉にまで向かわんとするテンションの連続、しかしBeirachはLiebmanのシリアスさとは無縁のように、何処か楽しげにバッキングノートを繰り出しています。このバランス感が50年以上も演奏を共有する事ができる秘訣のような気がします。 もう一山越えの手前でLiebmanラストテーマを吹き始め、Randyがすかさずハーモニーを付け呼応します。総じてこの演奏のピーク、実は作曲者Beirachのソロ中で迎えていたのかも知れません。 2曲目Picadilly Lilly(クリックすると試聴できます)はLiebmanのオリジナル、彼の作品の中でも最もストレートアヘッドな1曲です。スタンダードナンバーInvitationを彷彿とさせるメロディライン、曲のキーもin B♭でF#メジャー、複雑な構成、コード進行からかなりの難曲です。冒頭ルパートでテナーとピアノによるイントロが演奏され、すぐさまインテンポとなりテーマが奏でられます。その後はいわゆる吹きっ放し、Liebmanの独壇場で演奏され、彼のプレイのショウケースとなり絶妙なストーリー展開を行なっています。前出のCD3枚組にはこの曲の別テイクが収録されていて、そこではRandyのトランペットソロも聴くことが出来ますが、こちらのオリジナルテイクの方はLiebmanの演奏にフォーカスしているので、より統一感を感じます。 ♩=160のallegroテンポ、Liebmanの素晴らしいリズム感、レイドバック、対する16分音符の正確さ、スイングフィール、独自のニュアンスが施された歌いっぷりもしっかり堪能できるプレイです。それにしてもこの怪しげな(汗)節回しは他には一切ない彼ならではのスタイル、本人は気持ちよく自身の唄、それこそ口笛、鼻歌感覚でテナーを吹いているように感じますが、ここから感じ取れるエグさは実にone & onlyで、一聴すぐ彼と判断できる個性を発揮していて、彼のアドリブソロの代表的なもののひとつと断言出来ます。 途中4’30″過ぎ辺りからブルーノートとベンドを用いたフレージングが聴かれますが、彼のブルーノート使用よる表現はいわゆる他のジャズメンとは異なり、言ってみればブルージーさを通り越したダークさに到達しています。感極まったオーディエンスのアプローズが絶妙なところで聴かれますが、間違いなく熱狂的なLiebmanファンでしょう、ちなみに僕の声ではありません(爆) ソロの締め括りにはここ一番と言うべき思いっきり割れたフラジオ音を炸裂させ、Fosterは巧みなスネアロールで呼応していますが、この辺りのレスポンスは神がかっています! 3曲目Wayne ShorterのナンバーFootprints(クリックすると試聴できます)、Tusaのベースパターンから始まり、BeirachとFosterで互いに呼応しイントロの雰囲気作りに一役買い、その後発情期の猫を思わせる(汗)Liebmanのソプラノが登場します。テーマはトランペットが主旋律を吹き、ソプラノがハーモニーに回りますが録音の関係か敢えてなのか、ソプラノの存在感の方が大きく、ハーモニーの方がメロディに聴こえます。実は狙っているかも知れませんね。テナー以上にLiebmanのソプラノは個性的で、80年頃から一時期テナーサックスを封印してソプラノに専念したのも頷けます。 ここでの縦横無尽なソロのアプローチは特筆すべきで、一つのチャレンジが結実した好例だと思います。常に進取の精神を忘れない彼の根底にあるのはJohn Coltrane、Liebmanが60年代にColtraneの生演奏を頻繁に聴きに行き、ある夜はアドリブソロを全てトリルのみで行っていたとも語っていますが、Coltrane’s spirit a la Liebmanとして彼の内面で脈々と育まれています。 メロディにスペースのある曲だけにテーマ時はBeirachのフィルインが大活躍、ここぞとばかりに華麗なプレイを聴かせます。さらにLiebmanの猛烈なソロ時、凄まじいまでに呼応する、反して放置するバッキングは、彼に対する演奏上のノウハウを熟知している者ならではのアプローチ、Liebmanも演奏上のパートナーとして必須、そして付かず離れずを含めて(長きに渡る間柄、没交渉の期間もありました)、彼の事が可愛くて仕方なかったと推測しています。ソロのファイナルには「一体これは何なんだ?」という壮絶なバッキングがあり、Liebman自身まだまだ長いストーリーを語れたのでしょうが、リズム隊のアプローチがフレッシュなうちにソロを終えようと言う目論見を感じました。 続くRandyのソロは実に端正に、リズミックに、イマジネイティブに、リズム隊の完璧とも言えるサポートを得て、彼の音楽歴の中でもベストに入るソロを聴かせています。 そしてBeirachの出番です。Liebman, Randyのプレイから深淵なジャズ・スピリットを得て、もはや囚われるものは何もない、思う存分自己解放を行えば良いのだ、と言う次元での猛烈な演奏を繰り広げています。これだけタガが外れた彼も珍しいかも知れません。 そしてFosterのドラムソロは美しい音色で的確にかつテクニカルに行われていますが、バッキング時の方が自身の表現をより行えているように感じます。伴奏に徹した演者ならではと再認識しました。ラストテーマはBeirachによりスムースに導かれ、メンバー全員思う存分好きな事をやりつつ(笑)猫の発情期も再来し(爆)、大団円です。

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2021.03.09 Tue

Doin’ It Again / David Liebman Quintet

今回はDavid Liebman 79年録音リーダー作「Doin’ It Again」を取り上げてみましょう。自身のレギュラーQuintetによる演奏、Terumasa Hinoとの2 管編成にギターの名手John Scofieldを配し、アコースティック、エレクトリック・ベースにRon McClure、ドラムAdam Nussbaum。ユニークなLiebmanとMcClureのオリジナル、そしてスタンダードナンバーであるStardustの名アレンジ、名演奏が光る意欲作です。 Recorded: 1979 at Platinum Studios, Brooklyn, New York Recording and Mixing Engineer: David Baker Producer: David Liebman and Arthur Barron Executive Producer: Theresa Del Pozzo Label: Timeless Records ts, ss)David Liebman   tp, flg, perc)Terumasa Hino   g)John Scofield   acoustic, el-b)Ron McClure   ds)Adam Nussbaum 1)Doin’ It Again   2)Lady   3)Stardust   4)Cliff’s Vibes 多作家Liebman 11枚目のリーダーアルバムに該当する作品です。これまでにもフュージョン、クロスオーバー・テイスト(ブラコンもありました!)の作品とストレートアヘッドなアルバムのいずれも発表して来ましたが、本作はレコードのSide Aに該当する1, 2曲目がフュージョン・タッチ、Side Bの3, 4曲目がアコースティック・ジャズを聴かせています(ベーシストはアコースティック・ベースに持ち替え)。演奏自体はいずれも間違いなく、どこから聴いてもone & onlyなLiebman Musicなのですが、演奏の形態に拘りを感じさせるのは当時の風潮でしょうか。リリース80年、フュージョン全盛期にアコースティックなサウンドを敢えて演奏するのは、それなりに意味があったのでしょうが実はレーベルの意向のようにも感じます。 78年2月録音NYCの名門ジャズクラブVillage Vanguardでのライブを収録した「Pendulum」はRandy Brecker(tp), Richie Beirach(p), Frank Tusa(b), Al Foster(ds)らを擁したLiebmanのリーダー作、外連味なくストレートアヘッドな演奏を展開している名盤ですが、こちらに比べれば本作は確かにテイストとしてフュージョンを感じさせます。 Pendulum / David Liebman Quintet (クリックして下さい) 84年旧西ドイツで出版されたLiebmanオリジナル曲集「30 Compositions」(advance music)には楽譜・スコアの他、全ての楽曲に本人による解説が英語、独語の両方で掲載されており、表題曲にしてLiebmanのオリジナルDoin’ It Againも収録されています。ここで紐解いてみる事にしましょう。 Doin’ It Again:「 celebrates my return home to New York City after a sojourn in California(1978). It also reflects the compositional influence of Chick Corea, with whom I did a three month world tour in 1978. This, and the future compositions show more formal writing through use of interludes, introductions and codas. This is my another compositions where the bass line plays an important part in the melody itself.」 Chick Coreaの作風からの影響が反映されているとありますが、僕にはこの曲にCoreaを感じ取るのは難しいです。そのような耳で聴いてみるとそうも聴こえなくもない…音楽家は各々独自のセンスと感受性を有しているので、捉え方が異なって当然なのですが。 またCoreaと78年に3ヶ月間ワールドツアーを行ったと記載され、実際に東京でもCorea Bandの公演が行われました。アルバム「Leprechaun」「My Spanish Heart」「Mad Hatter」の楽曲を、リズム隊に弦楽四重奏とホーンセクションから成る大所帯による編成で、加えてふたりは毎夜Lush LifeやCrystal SilenceなどをDuoで演奏しました。実に興味深く、録音が残っていたら是非聴いてみたいものです。 そのツアーの中頃、1週間のオフ最中にCoreaは彼に捧げたナンバー”Blues for Liebestraum”を書き上げたそうです。これは大変に名誉なこと、ツアー中にリーダーから書き下ろしのオリジナルを贈られるとは、音楽的信頼関係の成せる技、ふたりの蜜月ぶりを物語っている以外にはありません。Liebmanもさぞかし嬉しかった事と思います。この時点では二人の関係は大変良好だったのでしょう、と言うのもLiebmanの自伝「What It Is」によるとこのツアーの最後にCoreaがLiebmanに激昂し、右手の中指を立てて、”I never want to see you again!”と絶縁の宣言したそうです(汗)。様々な行き違い、食い違いの結果、LiebmanがCoreaを立腹させたのでしょう。 Coreaは自身の音楽史上、実に多くの共演者たちと頻繁にメモリアルな再演を行なっていましたが、Liebmanとは最後まで没交渉でした。しかしLiebmanの方は意に介さず、Coreaに捧げたオリジナルのラテン・ナンバーChick-Chat(クリックして下さい)を79年12月録音アルバム「What It Is」(自伝と同名)で演奏したり、共演者経歴への記載(Coreaとの共演はMiles DavisやElvin Jonesと匹敵する輝かしい経歴だったのでしょう)、また自身のクリニックでもCoreaの名前を度々口にしており、好印象をキープしていました。 What It Is ちなみにLiebmanに捧げられたナンバーBlues for LiebestraumはJoe Hendersonの80年1月録音リーダー作、Coreaがサイドマンで参加している「Mirror, Mirror」で取り上げられています。Liebmanへのスペシャル・ナンバーだったにも関わらずJoe Henが演奏したのは興味津々、Joe Hen, Coreaとも素晴らしいプレイを繰り広げています。 Liebman曰くコード進行やサウンド的に難曲であるBlues for Liebestraum(クリックして下さい)、インスピレーションが湧いたのでしょう、この曲中に用いるshout chorus=ソリ、アンサンブル部分を既に書き上げているので、いずれこの曲をレコーディングしたいと発言しています。ミュージシャンとして様々な側面からの音楽的準備を怠らないクリエイティブな姿勢を、この発言から感じ取ることができました(同じテナー奏者として、自分自身も常にそうありたいと願っています)。Corea亡き後、Liebman自身による演奏は早急に具体化されるに違いありません。 Mirror, Mirror / Joe Henderson それでは収録曲について触れて行くことにしましょう。1曲目Doin’ It Againは冒頭から印象的なベースパターンとギターのハイパーでエグエグの音色、ラインのプレイが支配しています。作曲者自身の解説にもありましたが、確かにベースラインがメロディと同等に重要な役割を果たしていて、またコード楽器がピアノではなく超個性派ギタリストによるプレイで、バンドのサウンドを決定付けています。John Scoのギターはピッキングの強さと正確さ、強力なタイム感から、エッジの効いたいわゆるホーンライクな要素が強く、トランペット、テナーサックスの他にもうひとり管楽器奏者が存在するが如しで、一方容易くコードプレイにもスイッチし、しかもコードプレイから発するサウンドが尋常ではありません!190cm近くある身長ゆえ掌も大きいことでしょう、左手のコードワークが他のギタリストでは真似できない離れたポジションを押さえ、とんでもない指の配置による掌の形がフレットを覆っているとイメージ出来ます! テーマメロディはトランペット、テナーと交互に演奏されその合間にギターが「もう一人の」管楽器奏者的にバッキング、オブリガートが挿入されます。その後2管によるユニゾン〜アンサンブル、背後でのJohn Scoの有り得ない次元でのサウンドクリエイション!このフロント3人めちゃくちゃキャラ濃いです!サビに該当する部分はリズムがタンゴ・フィールに変わり、ギターの変態さ(笑)は相変わらずに、トランペットが朗々とメロディをプレイし、テナーが加わりアンサンブルを経てテナーソロへと続きます。Liebmanの人選によるサウンド構成、目論見はこのテーマ奏だけで既に大成功の様相を呈しています! ダークで枯れた音色でいてパワフル、時折叫びを交えつつ、テクニカルなラインの中に内面から湧き上がる独自の歌い回しをこれでもか、とばかりにふんだんに織り込みながらLiebmanはソロを展開して行きます。前回取り上げた「Devotion」とは全く異なる世界観を表現しているので、音楽家としての懐の深さを再認識させられます! インタールード後、ギターソロに続きます。コンビネーション・ディミニッシュ系のアウトしたラインは現代ではもはや耳馴染みですが、80年当時John Scoはその斬新さから超変態の称号(爆)を欲しいままにしていました(笑)。そして凄まじいまでの音符のスピード感!常々思うのですがタイムに正確で、スピード感を感じさせるプレーヤーは大勢存在するのですが、そこから更に一歩踏み込んだ、例えば椅子から腰が浮き上がり、踊り出したくなるようなグルーブを聴かせるプレーヤーはそうは数が多くありません。言ってみればダンサブル、この音符の筆頭株主がJohn Scoなのです。ここでの猛烈なプレイは彼の代表的な演奏の一つに挙げられると思います。 もっとも近年の彼の演奏はレイドバックし、80年代のバキバキ、イケイケのプレイからリズムのノリは良い意味でルーズに、どちらかと言うとオーソドックスさを感じさせる方向に向かっています。最新作2019年3月録音、全曲Steve Swallowのナンバーを本人とBill Stewartのトリオでプレイした「Swallow Tales」は、本作から40年を経て枯淡の境地に至ったかのようです。 2曲目はRon McClureのオリジナルLady。McClureは41年11月生まれ、Buddy RichのコンボやMaynard Fergusonのビッグバンドを皮切りに、Cecil McBeeの後釜で加入した名門Charles Lloyd Quartet(Keith Jarrett, Jack DeJohnette)で名を馳せました。74年にはBlood, Sweat and Tearsにも参加しています。ほか多くのバンドで活躍し安定したプレイには定評がありますが、SteepleChaseレーベルを中心にリーダーアルバムを20作近くリリースしています。近年の作品はオリジナルが中心になっていますが、89年12月録音の初リーダー作「McJolt」はRichie Beirach, John Abercrombie, 本作共演Nussbaumと名手を揃えたカルテットで、スタンダード・ナンバーの魅力をアピールしています。 Ladyの演奏に話を戻しましょう。一聴爽やかなイントロからスタートしますが、Liebmanが取り上げるだけあって、やはりエグさを湛えたユニークな曲想のナンバー、ソプラノとトランペットのメロディの間隙を縫って繰り出されるギターのフィルインが気持ち良いです。ここでも2管編成に別なホーンが絡んでいるかのようなアンサンブルを聴かせています。テーマ後はソプラノとトランペットの壮絶なバトルが繰り広げられます!ソプラノの音色もメチャメチャ個性を感じさせますが、楽器本体はCouf(独Keilwerthの米国モデル)、マウスピースはDukoff  D7番、リードはSelmer Omegaをトクサで削って合わせていました。 しかしここまで自身のテイストを本気でぶつけ合えるのは、ふたりの音楽的相性の良さが不可欠なのは勿論、音楽的レベルが拮抗していなければ成り立つことは出来ません。Liebmanに全く匹敵する日野さん、ワールドクラスの音楽性を痛感しました!そしてバトルを確実なものにする、リズムセクション、特にNussbaumの素晴らしいサポートぶりにも感銘を受けます。 とことん盛り上がった後はギターソロ、しかし何というスピード感でしょう!そして時折聴かせるリズムのタメに入魂ぶりを見せ、良い味を出していますが、やはりこの頃はタイム感が全体的にかなりon topに位置していると感じました。使用する身体のパーツとして、管楽器奏者は運指の他に息を使うのでその分気持ちを入れやすい楽器です。ギターは運指のみになるので(ギター奏者に言わせると呼吸も大事な要素になるのでしょうが、楽器から音を発生させるという観点で)気持ちの入れ具合が1パート減る分難しくなると思うのですが、John Scoの入魂ぶりには凄まじいものがあります。聴くところによると人柄も大変フランクな方だそうで、芸術的表現の発露がたまたまギターなのであって、彼はどんな楽器を自分のボイスとしようと自己を確実に出せたのでは、と思います。 その後はバンプを用いてドラムソロ、そして締め括りを行うべくフロントふたりによる短いスパンでのバトルがあり、ラストテーマへ、最後まで大変密度の濃い構成のナンバーに仕上がりました。 John Scofield 3曲目は本作のハイライト、Hoagy Carmichael不朽の名曲Stardust(クリックして下さい)。当時Liebmanが取り上げた事がとても新鮮に感じたのは、どこかに時代がジャズを過去のものと決めつけた風潮があったからのように思えます。ここでは彼による斬新なアレンジが施されたフレッシュな、この曲をリニューアルするかのように演奏されており、しかしStardustの魅力は全く損なわれずむしろ曲の妙味を存分に炙り出す事に成功しています。各人のソロ、的確なバッキング、構成がバランス良く折り重なり、この曲の代表的な、そしてエバーグリーンの演奏と相成りました。 テンポはミディアムスローに設定され、ドラムはブラシではなくスティックを用い、フロントによる印象的で色気あるアンサンブルと良く絡み合い、ベースはホーン側のキックに寄り添い、途中からギターが怪しげでいてスパイシーなラインを奏でます。 メロディ先発は日野さん、この手の旋律は彼の十八番です!Liebmanがオブリを付けつつハーモニーにも回り、柔軟にアンサンブルを厚くしています。続いてテナーがメロディ担当、「毒を放つ色気」とでも表現しましょうか、このテイストが堪りません!日野さんがバックで同様に対応し、その後担当が入れ替わりながらメロディとアンサンブルが進行し、バンプを経て日野さんのソロがスタートします。ブリリアントな音色と豊富な付帯音、イマジネーション、スペースを生かしつつ音量のダイナミクス、音域の上下を駆使したブロウは実に説得力に満ちています! バンプのアンサンブルを経てJohn Scoのソロ、この妖しい雰囲気は一体どこから湧き上がるのでしょう?曲想に対する猛烈なイメージとインプロビゼーションの発露とのせめぎ合い、時折聴くことの出来るコードプレイ、オクターブ奏法、テーマメロディを引用する際のレイドバック感、全て高次元で一体化し、「ダンサブル」な音符が合わさった結果リスナーを桃源郷に誘うが如しです! そしてリーダーの登場です!John Scoとはアプローチの異なる変態ぶりを思いっきり聴かせていますが(爆)、音楽的に高度な次元でのプレイは言うまでもなく、フリークトーンを交えた効果音的奏法もここぞと言う場所に入り、ストーリー展開を巧みに行います。日野さんがこれまたハイノートでのトリル、McClureと Nussbaumも相応しい対応を熟知しているが如きプレイで場を盛り上げ、バンプではクインテットが一体化した壮絶な盛り上がりへ!ラストテーマは何事も無かったかのように日野さんがクールにテーマ奏を開始、Liebmanにスイッチしエンディングに向けバンプを何回かリピート、NussbaumもElvin Jonesライクにヘビーなリズムのフィルインを繰り出します。エンディング部も一層クールに音量を下げ、心地よさを伴ったリタルダンドを経てFineです。ライブでの演奏展開は時間の制約がないので、きっとここでの何倍も深い世界に到達していた事でしょう!聴いてみたかったです! Hoagy Carmichael 4曲目ラストを飾るLiebmanのオリジナルCliff’s Vibes、こちらにも自身の解説があります。「was written for a child I met, who though he could’t talk due to an illness, still sent out very strong vibrations. This is one of the most bebop oriented tunes I’ve written. It’s all about chord and lines.」 その子供の名前がCliff君なのでしょうが、話をする事が出来ないにも関わらずLiebmanに強力なバイブレーションを与え、作曲行為にまで導いたのは驚きです。 これまでに書いて来た曲の中で、コード進行とメロディラインから最もビバップ志向ナンバーの1曲とありますが、ビバップというよりも特にメロディラインから個性的なモーダル・チューンとして聴こえます。これまた彼の使う用語〜ビバップの定義、もしくはイメージに隔たりを覚えますが、誰もが同じ感じ方をする必要はなく、むしろ異なっている事が大切なのかも知れません。 それにしてもオリジナル・チューンを作曲者本人の解説と共に鑑賞できるのは、音楽に一層の広がりを感じることが出来、ジャズ〜音楽ファンにはとっては大きな喜びです。 いや〜カッコいいナンバーですね!リズム隊の緻密かつ一体化したグルーブが素晴らしいです。ソロの先発はMcClureのアルコから、この時点でJohn Sco, Nussbaumのふたりは聴き応えのあるバッキングを繰り出しています。McClureはごく自然にwalkingに移行してギターソロ続きます。シングルノート・オンリーでのプレイなので、ホーンライク感が一層際立ちます。そしてトランペットソロへ、リズムに端正に乗りつつ、テクニカルに、決して自身のウタを忘れずメロディアスに熱くブロウします。ラストはLiebman、変幻自在なオリジナリティ溢れるアプローチがこの人の特徴ですが、案の定ここでも存分に発揮の巻です!途中ここぞと言うところでギター、ベースが演奏をストップし、テナーとドラムのデュオとなりますが、とんでもないテンションです!トランペットの合いの手も一役買っています!リズム隊戻りつつ、更なる高みを目指して盛り上がっています!その後ドラムソロ突入、ラストテーマを迎え大団円です! David Liebman Quintet: Terumasa Hino, Adam Nussbaum, David Liebman, John Scofield, Ron McClure

2021.02

jazz/music 

2021.02.23 Tue

Devotion / Bob Moses

今回はBob Mosesの1979年8月録音のリーダー作「Devotion」を取り上げたいと思います。当時の彼のレギュラー・クインテットによる演奏、80年にレコードでリリースされ、96年CD化に際しオリジナルテイクに全く遜色のない未発表テイクを3曲追加収録し、Bob Moses Quintetの全貌を新たにした素晴らしい仕上がりの作品です。 Recorded on August, 1979 at Platinum Sound, Bed-Stuy, Brooklyn, N. Y. Engineer: David Baker Remixed on 1994, Boston, MA Engineers: Max Rose, Ben Wittman and Bob Moses Producers: Bob Moses and Ben Wittman Executive Producer: Flavio Bonandrini Label: Soul Note Cover Painting: Bob Moses cor, perc)Terumasa Hino   ts)David Liebman   p)Steve Kuhn   el-b)Steve Swallow   ds)Bob Moses 1)Autumn Liebs   2)Heaven   3)Radio   4)Snake and Pigmy Pie   5)St. Elmo   6)Portsmouth Figurations   7)Christmas ’78   8)Devotion 「Devotion」レコード時リリース「Family」のジャケット、そしてそこで用いられていたイラストの元となっている写真がこちらです。 左からTerumasa Hino, David Liebman, Steve Swallow, Steve Kuhn(背が高いです!), Bob Moses。ミュージシャンの親密さ、音楽的信頼関係が手に取るように伝わって来る写真、MosesはSwallowにぞっこんですね!さぞかし充実したバンド活動を展開していたことでしょう。トランペット、テナーサックスの2管編成によるクインテットはジャズ黄金のフォーマット、メロディをユニゾンで吹いて良し、ハーモニーに至っては互いにない音色成分を補って余りある豊かなアンサンブルを聴かせます。フロントふたりの他の追従を許さない充実ぶりと、コンビネーション抜群のリズム隊とのインタープレイがこのバンドの売りと言って良いでしょう。 日本が世界に誇るトランペッターTerumasa Hino(実際にはコルネットを吹いています)の独創的でイマジネイティブなスタイル、彼のソロにはストーリー性、メッセージが必ず込められ、ジャズ・トランペッターの宝庫米国内において全く遜色なく、寧ろ誰風でもないオリジナリティを存分に聴かせています。75年から音楽活動拠点を米国に移し、八面六臂の活躍を繰り広げます。当クインテットの他、David Liebman Quintetにも参加し79年米国録音「Doin’ It Again」(ここではStardustの名演奏が光ります)、80年7月14日オランダ録音「If They Only Knew」と立て続けに名盤に加わります。 テナーサックスのDavid LiebmanはElvin JonesやMiles Davisのバンドで培われた音楽経験を活かして、オリジナリティを確立させました。ごく端的に述べるならばElvinからはタイムの重要性(Elvinの伸び縮みするリズム、ゆったりとしていながらスピード感のあるグルーヴ、史上有数のたっぷりとした1拍の長さに柔軟に適応する)、Milesからはサウンドに対するラインの構築、展開(共演中Miles自身に如何に納得できるアドリブ・ラインやストーリーを確実に提供できるか)を仕込まれたように推測しています。John Coltraneを敬愛する彼、スタートラインにはテイストとしてのColtraneが存在しましたが、その後の精進、研究・研鑽、努力の賜物でしょう、全く独自のセンスでのテナー表現法を獲得し、誰にも真似の出来ない芳醇、枯れた味わいと付帯音豊富な音色、構造的で知的なインプロビゼーション、しかし時として一切の理性を排除したかの如き炸裂プレイも聴かせ、表現者としての森羅万象をアピールしています。 彼のユニークなオリジナル・ナンバーの収録や、アルバム・プロデュース力を活かしつつ色々なカラーを配した作品群の量産ぶりには目を見張るものがあり(数多くリーダー作をリリースしています)、やはり多くのミュージシャン作品へのサイドマン参加も強力な自己表現の発露を感じます。Terumasa Hinoの作品には79年「City Connection」80年「Daydream」と互いの返礼のように参加しています。 フュージョンブーム真っ只中の80年、ジャズファンにとって70年代から夏の風物詩になっていたLive Under the Sky ’80が、7月に田園コロシアムで5日間開催されました。この時の出演者中、目玉はやはり当時ブレークし彼の音楽生活の中で何度目かのピークを迎えていたTerumasa Hinoのグループ、メンバーはLiebman(ts,ss), Anthony Jackson(el-b), John Tropea(g), Gerry Brown(ds), Leon(key) & Janice(vo) Pendarvisらに日本人のホーンセクションが加わり、Still Be Bop, Late Summer, Antigua Boyなど新作Daydreamのナンバーを中心に演奏していましたが、その時のLiebmanの凄まじいまでの絶好調ぶりと言ったら!これは超弩級テナー奏者を乗せた黒船来航!浦賀の港から田園調布に直行です(笑)! 特にテナーサックスのあまりにもエグエグな音色とプレイに「なんて汚い音だろう!」と本気で感じました(汗)。雑味成分、付帯音の尋常ではない豊富さによるダークで枯れた複雑なサウンドは、当時の僕の耳では全く理解不能の音色でした。 この時使用していたテナーサックス本体はYAMAHAから借り受けたゴールド・ラッカー、ピカピカに輝いていたこの楽器からどうしてあんな凄まじい音が出るのだろう、ラッカーのハゲまくったビンテージ楽器から出るような音だと、遠くを見つめるように感じました。マウスピースはOtto Link Metal Florida Modelを9番か9★にリフェイスしたもの、リードはLa Voz Medium HardかHardをトクサで調整して使っていました。彼はここ何年もツアーにはソプラノサックスだけを持参し、テナーはマウスピース以外現地調達しています。80年当時から既にこのシステムを用いていた様ですね。自分の楽器ではないにも関わらず、これだけの音色で鳴らし、テクニカル的に見事にコントロール出来るのは奏法を極めている以外の何物でもありません! 彼曰く「ピアニストは世界中どんな場所に行ってどんな状態のピアノを弾いても、最上の音を出さないとならないだろ?サックス奏者も同じで、どんな楽器を吹いてもベストな音を出せるように自分の奏法を洗練させておかなければならないんだ。」相当偏った持論ですが、一理あると思います。youtubeで彼の演奏を観るとその都度様々なテナーを使ってライブを行っています。要は旅先で楽器をレンタルしているのですが、素晴らしい音色でプレイしている時もあれば、明らかにこの楽器は調整不足だろうと思われるクオリティの鳴り方の場合もあります。その時にはテナーを諦め、ソプラノ1本で最後まで通す様です。 Liebmanにたっぷりとソロスペースを与えていた日野さん、彼の演奏はもちろん人柄も愛してやまない気持ちが伝わってきました。以下のエピソードにも表れています。日野さんがステージで彼を紹介する際に「テナーサックスはDavid Baker!」彼流のジョークで、ふたりの演奏を度々録音していた彼らの親しい友人でもあるレコーディング・エンジニア(本作も担当しています)に引っ掛け、わざと名前を間違えていたのですが、いきなりの展開に全く意味の分からない聴衆のシラっとした感じや(汗)、Liebmanのはにかんだようなポーズを良く覚えています(笑)。 別日には今は亡きChick Corea率いるグループやJohn McLaughlin, Larry Coryell, Christian Escoudeのギター3人による演奏、Stanley Clarkeのバンドや出演者全員によるジャムセッション、現在進行形のジャズを学生の身でたっぷりと堪能出来ました。 リーダーBob Mosesのバイオグラフィーを紐解くことにしましょう。1948年1月28日New York City生まれ、64年から1年間Roland Kirkのバンドにビブラフォン奏者として参加します。アルバムとしては「I Talk with the Spirits」、おそらく彼の初レコーディングだと思われます。ジャズ界で最も個性派ミュージシャンのひとりと共演した事による影響は、10代の若者に計り知れないものがあったでしょう。以降の彼の音楽活動の方向性を間違いなく決定付けました。 66年Larry CoryellのバンドThe Free Spirits、67年から69年までGary Burton Quartet、その後もCarla Bley, Dave LiebmanのバンドOpen Sky, Pat Metheny, Michael Gibbs, Hal Galper Quintet, Gil Goldstein,  George Gruntz, Emily Remlerなどの硬派なリーダーのもと、豊かな音楽性を披露しています。彼自身のリーダー作も現在までに20枚近くリリースされ、オリジナルナンバーを中心に比較的大きな編成による演奏で、独自の音楽性を追求しています。 楽理派の彼は「Drum Wisdom」というドラムの教則本も出版しており、現在はFree Download状態で後続のミュージシャンに貢献しています。本作ジャケットのイラストと同様、こちらも本人の筆によるものです。 MosesのドラミングにはRoy Haynesのスタイルが基本にありますが、楽曲のカラーリング、共演者各々への方向性を違えたレスポンスの巧みさ、その瞬発力、オリジナリティを感じさせる自作曲の高度な音楽性、いちドラマーではなくトータルなミュージシャンとしての姿勢を作品を通して感じることが出来ます。またサイドマンとしてプレイした時の、リーダーの音楽への溶け込み方と自己主張のバランス感も絶妙です。 余談ですが本作が録音されたPlatinum Sound StudioはNew York, Brooklynの中心部Bed-Stuyに位置します。多くのジャズミュージシャンのレコーディングに愛用されました。地名はBedford-Stuyvesantの略称なのですが、黒人、ヒスパニック、アジア系が住民の9割近くを占める地域で、Spike Lee監督の89年映画「Do the Right Thing」の舞台になりました。こちらは黒人の人権運動をテーマに人種差別と対立、衝突をLee独特のユーモアのセンスを用いて表現した素晴らしい作品です。 それでは収録曲に触れて行きましょう。1曲目MosesのオリジナルAutumn Liebs、お察しの通りスタンダードナンバーAutumn Leaves〜枯葉のタイトルを捩ったもの、LiebとはLiebmanの愛称です。実際に枯葉のコード進行を用い、キーは全音下がったFマイナーでMoses独自の素晴らしいメロディラインにより、ジャジーでコンテンポラリーな名曲に仕上がりました。いわば替え歌状態、他のミュージシャンにも枯葉のチェンジを使って作曲されたナンバーがあり、思い付くものでテナー奏者Billy Harperの79年作品「Knowledge of Self」収録のナンバーInsight、コード進行を多少変えてありますが、ドラマー古澤良次郎氏の同じく79年録音アルバム「キジムナ」収録のエミ(あなたへ)。 なんとゴージャスなサウンドによるメロディ奏でしょうか!2管による抑揚の素晴らしいコンビネーション(テナーのサブトーンがたまりません!)、Kuhnのバッキングが密濃に絡み合い、Mosesのカラーリングの絶妙さはコンポーザー、リーダーならでは、音の選択にさすがのセンスを感じるSwallowのベース、全てが予めアレンジされたかの様な合わさり具合、難易度の高いパズル制作を完璧に行ったかの如きプレイですが、予定調和ではない間違いなく自然発生的に音が集約された演奏、瑞々しく全ての音がフレッシュでプリプリしているのです! ソロの先発はLiebman、幾重にも異なる色合いのトーンが組み合わさったかのような深い音色からは、伝統的なテナー奏者のテイストも聴き取ることができますが、他には無いコクや雑味成分が加わり一聴Liebmanと判断できる個性を発揮しています。さすが知的作業に長けたユダヤ系プレーヤー、トーンを徹底的にクリエイトしています。ソロのアプローチ、いやー実に素晴らしい!申し分のないストーリーの構築感、音形選択の巧みさ、テンションの用い方のスリリングなこと!加えてタイム感のゴージャスさ!このプレイを受けて立つリズム隊、テーマ時に提示したアプローチを基本に、放置する部分はひたすらクールに伴奏し、テナーソロが1コーラス目第1楽章的な展開「序奏」、2コーラス目第2楽章の如き疾走感あるストーリー「飛翔」を語り、一度落ち着いて3コーラス目第3楽章に入り、まとめ上げるべくMoses, Swallowの猛攻があってソロを終えるに相応しく、何事もなかったようにゆったりと着地〜「大団円」となります。Liebmanの音楽史上有数のクオリティを持つ演奏だと思います。 続く日野さんのソロ、Mosesがグルーブに変化を持たせるべく4拍目にリムショットを入れ始めます。スペーシーに、大胆に抑揚を付けながらソロを展開し、グロートーン、突如として高音域でのトリル、リズム隊とのカンバセーションを試みるべく様々にアプローチし、確実性を持ってレスポンスするMoses、そしてKuhnのバッキングが切れ味鋭く入り込みます。こちらも見事なストーリーテラーぶりを発揮しました。 Kuhnのソロはフロントふたりとは異なったテイストを持たせるべくでしょうか、ラグタイム〜スイング的コーニーな雰囲気で開始されます。端正で明確なピアノタッチは背の高い、腕が長く、掌の大きなピアニストならではのもの、強力です!そして表現したい事項が猛烈に溢れ出ています!ドラムは1コーラス目ブラシに持ち替えましたが、その後の展開を予期し2コーラス目から再びスティックへ。やはり持ち替えて正解でした(笑)、Kuhn3連譜を多用し超絶を聴かせつつ、更に3コーラス目からは左右の手で全く異なるアプローチを展開、それに伴いMoses, Swallowのふたりは”やわくちゃ”状態になりそうでしたが(汗)しっかりと踏み留まり、キメのフレーズを伴ってラストテーマに突入です。 Bob Moses 2曲目はDuke Ellingtonの知られざる名曲Heaven、なんと美しく、気品、雰囲気のある曲でしょう!Heavenの言葉自体に色々な意味がありますが、Ellingtonはどの意味のイメージを表現したのでしょうか。それにしてもMosesの選曲センス、そして演奏の形態に敬服してしまいます! 16小節単位の構成、1コーラス目は2管はユニゾンで、2コーラス目はLiebmanがオブリガードに回り、3コーラス目からコルネットソロへ、その後ろでもテナーのオブリが続きます。Kuhn, Swallowのバッキングもキレキレです!その後は単独でのコルネットソロに続き、コーラス終わりのフレーズに再びテナーが参加、グッと引き締まりますね! ピアノソロはレイドバック感、そして「大きく歌う」イメージが実に提示されています。倍テンポのスイングに変わりリズミックに、ゴージャスに、何よりメロディックにアドリブが展開され、ソロ中に再びホーンのオブリやメロディが効果的に入り、ムードを更に高めます。 ラストテーマに入ってピアノはバッキングに回りますが全くエネルギーを失わず、エキサイティングに継続します。1コーラス演奏されドラマチックにリタルダンドしてFineです。この演奏こそBob Moses Quintetの本領発揮と感じています。 Steve Kuhn 3曲目SwallowのナンバーRadio、こちらも素晴らしいナンバーです!レコード発売時にこの曲が未収録であったのが信じられません!早めのスイング・ナンバー、ポピュラーな32小節構成ですが、同じモチーフを繰り返す部分は存在せず、A-B-C-Dフォーム、しかもメロディラインが8小節単位を跨ぎ、複雑に成り立っています。自然に耳に入ってくるので一聴難解な作りとは感じさせません。 ベース、コルネット、ピアノ、テナーと全員コンパクトに淀みなくソロが続きますが、やはり難しい楽曲なのでしょう、手枷足枷感を感じさせる部分も若干あり、なかなか自在にならないもどかしさも演奏から聴き取ることが出来ます。しかしLiebmanはひとり異彩を放ち、スインギーにして正確な16分音符による超絶テクニカルフレーズの洪水、この人のまた違った側面を垣間見ることが出来ました。テナーソロ中のコルネットのバックリフが必然を感じさせる場面で登場、これはエキサイティングです!伴奏はリズム隊だけの特権ではないぞ、と言いながら吹いているように思えました。 Kuhnの常に場を活性化させるバッキング、Swallowの自然体でいてソロイストを鼓舞するラインの連続、そしてリーダーMosesの抜群のセンスによる伴奏なしにはこの演奏は絶対に成り立ちません!Lebmanのソロ後、実にナチュラルにラストテーマを迎えます。 Steve Swallow 4曲目Snake and Pigmy PieはMosesのオリジナル、この演奏も追加テイクになります。4分の5拍子と8分の7拍子が連続する複雑なリズムは延々と続くユニークなベースライン、印象的なピアノのコンピング、2管のスペーシーにして抑揚に満ちたメロディラインに裏付けされ、曲名通りの怪しげな世界を構築して行きます。Mosesの作曲センスは実に多面的です!長いテーマ後、ドラムだけを相手に2管が互いを良く聴き、一方が主体、従属を繰り返しながらソロを取ります。ライブではさぞかし物凄い展開を聴かせた事でしょう!このリズムの上でドラムソロも行われます。皮ものにエフェクターを施しているので変わった響きを聴くことが出来ます。途中パーカッションが鳴っていますがおそらくフロントふたりで楽しげに演奏しているのでしょう。ラストテーマはさらに色々な事象が繰り広げられていますが、意外にあっさりとFineを迎えました。 5曲目St. ElmoもMosesのナンバーにして追加テイク、美しいバラードです。ミュートを施したコルネット、テナーの実に息のあったユニゾンによるメロディは、リタルダンド、アテンポを繰り返しソロ中には長いフェルマータも用いられ展開して行きます。日野さんはミュートによるバラード奏が昔から大変素晴らしいですが、ここでも本領を発揮しています。フェルマータ後今度はピアノソロ、ウネウネしつつリズムにしっかりと纏わりつくタイム感でラインを提示し、再びフェルマータ、コレクティブ・インプロビゼーション後にラストテーマへ、レギュラーバンドならではの演奏方法によるバラード、作者Mosesのやり方も、コンセプトもあったでしょうが、メンバーで様々にアイデアを出し合った結果の演奏のように感じました。 Terumasa Hino 6曲目Swallow作のPortsmouth Figurationsは本作最速のナンバー、いや〜これはまたまたムチャクチャカッコ良いナンバー、演奏です!ベースとドラムのコンビネーションは全く信じられない相性の良さです!写真にあるSwallowの肩にもたれ掛かるMosesの気持ちが痛いほどに分かる抜群の音楽、リズム的相性の素晴らしさから、さぞかしMosesは何度も「My Soul Bother, Steve !」と叫んでいた事でしょう! タイムの構図としてはMosesのシンバル・レガートが少し前に位置するon top、Swallowが少しだけ後ろに位置します。コルネットが先発ソロ、こちらも超アップテンポにも関わらず素晴らしいタイム感とグルーブ、そしてバーニング!少し間を置きLiebmanのソロがスタートします。3曲目Radioで聴かれた16分音符の延長線上、正確でスインギーな8分音符による圧倒的な音空間、怒涛のソロです !コルネットの合いの手も効果的に入りドラムソロへ続きます。フレージングのテイストとしてはオーソドックスですが、彼ならではのタイムの取り方、リズムフィギュアを聴かせ次第に独自の個性を発揮して行きます。「ヨッ!」と言う合図とともにラストテーマに入り難曲を完璧なまでに仕上げました! David Liebman 7曲目Christmas ’78はMosesのナンバー、メロディアスで美しいコード進行を有し、哀愁を帯びた曲想を持つ名曲です。Bob Moses Quintetのファンであれば、ライブでこの曲の演奏を聴かずに帰りたくないでしょうね、きっと(笑)。ソロの先発は日野さん、なんとイマジネイティブな語り口でしょう!リズム隊もこれだけスペーシーに、ダイナミクスでメリハリを持たせたソロであれば、伴奏が楽しくて仕方ないでしょう!音と音の間に何もしない、敢えて合いの手を入れないで放置する楽しさ、喜びを日野さんはリズムセクションに提供していると思います。続くKuhnのメロディ、唄を大切にしたソロは異なったテイストを放ち、当然のようにリズム隊は違ったアプローチを聴かせます。Liebmanはこれまた本作中いずれとも異なる歌い回しを提示し、彼の中で鳴っているユニークな旋律の一端を初披露したかの如しです。言ってみればユダヤ的なラインでしょうか、例えばクレズマー、明るさも感じさせますが決して晴れない曇り空を抱えていると表現すべきか、育った環境、音楽的経験、自身の内面を全てストレートに表現しているのですが何処か屈曲したものを僕は感じます。でも決して悪い意味でははく、一筋縄では行かない彼の音楽表現の個性の表出と捉えています。この曲もテナーソロから見事にラストテーマに繋がり、Fineです。 8曲目ラストを飾るのは表題曲Devotion、コルネットが一頻り内省的な表現によるアカペラを聴かせます。ラインの基本としてはマイナーのクリシェを感じさせ、付帯音の豊富さが音色に深みを加えています。その後ベースが同様にクリシェのライン演奏を開始、ドラムが加わりますが実にゆったりと、時間をかけてメロディまで到達します。2管によるユニゾンは実に深さとダークさ、そして誰かに対する哀悼の意を感じさせます。バラードから次第にリズムが明確になり、Mosesがリードしダイナミクスを表現しています。Mosesもユダヤ系アメリカ人、この曲は曲想から彼らが背負っている歴史的事象に対するレクイエムではないかと感じました。

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2021.02.11 Thu

Home / Steve Swallow

今回はSteve Swallowの79年録音リーダー作「Home」を取り上げてみましょう。全曲Swallowのオリジナルに作家であり詩人であるRobert Creeleyの詩をSheila Jordanが歌唱、朗読し、David Liebman, Steve Kuhn, Bob Moses, Lyle Maysら当時の先鋭的な共演者が素晴らしい演奏を繰り広げ、通常の歌伴とは手法が異なる、ユニークな作品に仕上がっています。 Recorded: September 1979 at Columbia Recording Studios, New York City Recording Engineer: David Baker Cover Photo: Joel Meyerowitz Design: Barbara Wojirsch Producer: Manfred Eicher Label: ECM (ECM1159) electric bass)Steve Swallow   voice)Sheila Jordan   p)Steve Kuhn   ts,ss)David Liebman   synth)Lyle Mays   ds)Bob Moses 1)Some Echoes   2)She Was Young…*   3)Nowhere One…*   4)Colors   5)Home   6)In the Fall   7)You Didn’t Think…*   8)Ice Cream   9)Echo   10)Midnight *(From “The Finger”) 実にセンス溢れる素晴らしいアルバム・ジャケットです。ECMレーベルは常々欧州的なテイストを基本とし、作品内容のイメージと合致する印象派的ジャケットを提供し続けています。物凄いこだわりです。米国を代表するジャズレーベルBlue Noteも同様にアートを感じさせるアルバム・ジャケットを50~60年代制作していました。いずれもAlfred Lion, Francis Wolf, Reid Milesたち制作スタッフの情熱が痛いほどに伝わります。他の主要ジャズレーベルであるRiverside, Contemporary, Verve, Impulse, Prestige, CTIにもある程度に同様の事が言えますが、ECMレーベル・プロデューサーManfred Eicherの意地にはまた格別のものを感じさせます。ECM新作がリリースされる度に次は一体どの様なジャケットを見せてくれるのだろうかと、現在でもわくわくしている自分がいます。 ただ本作においては独特のダークさ、エグさを基本とした内省的サウンド、明るいか暗いかといえば暗さの方に軍配が上がる、実はジャケットから感じさせる清潔感、クールさ、ある種の幸福感とは真逆の内容に仕上がっているように感じるのです。例えばクラシックを基本とした爽やかな、心地良いサウンドにジャズのテイストを散りばめたオシャレな環境音楽的なサウンド。ジャケットから判断すれば、こちらが作品の売り文句であっても全く違和感は無いでしょう。どこまで作為的に内容と包装の対極感を打ち出しているのかは分かりませんが、本作ほど際立ったギャップを感じさせるアルバムはそうはないと思います。Steven Kingのホラー映画の導入部とその後の展開にも通じると言っても良いでしょう。もっともHomeとは個単位の集合体、様々な価値観を持った家族構成員の日々の生活、営みには色々な側面があります。ジャケ写のパースペクティブはその現れの様な気もします。 本作録音のメンバー、彼らとSwallowの周辺の作品について触れてみましょう。まずボーカリストSheila Jordanとは彼女の62年初リーダー作「Portrait of Sheila」からの付き合い、音楽的なパートナーとして相性の良さを感じます。サイドマンとしてもいくつかの作品で共演しています。 Steve Kuhnとは生涯の共演仲間、盟友としてKuhnのリーダー作ほか実に多くのアルバムで共演しています。最初期66年作品「Three Waves」はPete La Rocaとのトリオ盤、若者たちによる初々しい演奏です。 David Liebman, Steve Kuhn, Bob Mosesとはほとんど同時期79年8月Brooklyn, N.Y.C.録音Mosesのリーダー作「Family」があります。コルネットにTerumasa Hinoを迎えたクインテット編成、実に素晴らしい演奏です!各々のメンバーが対等に語り合い、互いの音楽性を尊重しつつ大いに刺激を受け合い、丁々発止のやり取りを聴かせています。Moses, Swallow自作曲のクオリティの高さほか、Ellingtonのバラードのチョイスも良いですね。ドラマーがリーダーということでまとめ役、ご意見番としてサウンドを的確にプロデュースしており、結果バンドとしての音楽が確立された申し分ないアコースティック・ジャズの名盤です。タイトルやジャケット・デザインからもメンバー同士の結束、繋がりの強さを感じます。日野さんからこのバンドでの思い出話を聞いた事がありますが、ひとつご紹介すると車1台にメンバー5人乗車し米国内をツアーしていたらしく、車内に常に充満する煙(おそらくタバコだと思いますが…)が何しろ物凄く、辟易したという事でした。 この作品の未発表テイクを収録した事により、内容的にさらにヴァージョンアップしたのが96年リリース「Devotion」です。CDという録音媒体の、レコードよりも長い収録時間の恩恵を感じました(笑)。このバンドの全貌を垣間見る事のできる、ドキュメント性を湛えた作品にまで昇華しています。未発表演奏のいずれもが本テイクと全く遜色のないクオリティで、サウンドやリズム、テンポ、色合いが悉く異なる楽曲が配され、作品としてのバランス感が飛躍的に向上しました。さぞかしレコード・リリース時には、選曲に際しての取捨選択に苦労したことと想像できますし、追加テイクが残り物、オマケという概念を見事に打ち破ってくれた1枚です。 ちなみにここでのLiebmanの演奏は絶好調に次ぐ絶好調(テナーだけに専念しています)、信じられない次元での入魂ぶりを発揮しています。 Robert Creeleyとは本作が初コラボレーションになる模様ですが、2001年8月録音作「So There / Steve Swallow with Robert Creeley」で再コラボ、Steve Kuhnとストリングス・カルテットに今回はCreeley自身のトークや詩の朗読を交えた、崇高な美の世界を構築しています。 LiebmanはかつてECMから2枚リーダー作をリリースしており、73年録音「Look Out Farm」74年録音「Drum Ode」、ECMではそれ以来のレコーディングになります。2作とも70年代のジャズシーン+ECMサウンド+Liebmanの独自の音楽性がブレンドした作品で、学生の時に愛聴しました。その後もECMからリーダー作をリリースし続けて然るべきでしたが、Eicher, Liebmanともかなり個性が強い者同士、確執があったために疎遠になったという話を聞いたことがあります。本作の仄暗さはLiebmanのプレイが発するムードがかなりの要因であると思うのですが、スタジオ内でふたりの静かな相克があったようにも感じられ、これがバイアスとなり結果Liebmanの演奏にいつもとは異なる、(言ってみればより辛辣な)エグさが加わったと推測しているのですが。もしくは80年頃からソプラノサックス1本に自分のボイスを絞る事になり、テナーサックスを休止する直前、体力的にテナーを自在に吹くことが辛かった故なのかも知れません。 それでは内容について触れて行きましょう。1曲目Some EchoesはKuhnのピアノプレイによるオスティナートとLyle Maysのシンセサイザー、Swallowのベースの上でLiebmanがソプラノでソロを取ります。大海原を泳ぐイルカの如く水中深く潜ったり、海上に現れては跳ね回ったり、様々な動きを見せ、ひと段落したところでSheilaが登場します。スタンダードナンバーを歌唱するときとは当然ですが異なった表現を聴かせ、感情移入と抑揚が深いビブラートと相俟って強いメッセージを打ち出しています。それにしてもシンセサイザーが余りにも支配的、もう少し音量、音像が小さくても良かった気がします。 2曲目She Was Young…の歌詞はCreeleyの詩集「The Finger」からのセレクションです。ワルツナンバー、いきなりベースによる美しい音色でメロディが提示されますが、実に個性的です。ピアノのバッキング、ドラムのサポート、そしてシンセサイザーがSE風に演奏されますが、ここでは隠し味的な音量で寧ろ耳には心地良いです。その後Sheilaが短いセンテンスによる詩を朗読するが如く歌い、ピアノのソロに続きます。いや、Kuhnのタイムの取り方は実に好みです!彼の初期のプレイではタイムがラッシュする傾向にあり、演奏自体もいささかヒステリックなところが目立ちましたが、演奏経験を積み次第に成熟〜円熟の境地を迎えました。ピアノのタッチも素晴らしいですね!何年か前にマイブームで彼の演奏を徹底的に追ったことがありますが、スタイル確立後は一貫した透徹な美学が冴える、本物のプレイを聴かせています。 Mosesのプレイもジャズドラマーとして表現すべきポイント、個性を確実に発揮しています。グルーヴ、フレージング、タイム、ドラミングの音色にはRoy Haynesからの影響を顕著に感じますが、自身の個性的表現を十分に行っているので、語法としてのHaynesライクと受容することができます。 3曲目Nowhere One…も歌詞はThe Fingerから、冒頭ファルセットの如き高音域からボーカルがスタート、緊張感を伴い歌唱しますが音域が下降するにつれて音楽的な安堵感が訪れます。その後Liebmanのテナーソロ、ミディアム・スイングのリズムに大きく乗り、朗々と吹いており、音色の枯れた味わいと付帯音の豊かさからテナー奏者としてトップクラスのクオリティです。ですがここでのメッセージとしては「こうあらねばならぬ」という思いが強く聴こえ、聴き手に強いるものを感じさせます。前述の「確執」が作用しているかも知れません。続くピアノソロのレイドバック感と1拍がメチャクチャ長いプレイ、ウタを感じさせるストーリー性とは良い対比となっています。リズムセクションの好演、特にMosesのサポートの素晴らしさが光ります。 4曲目ColorsはいきなりLiebmanのソプラノソロが炸裂します。独自のスタイル、誰にも真似の出来ない個性的な音色、発情期の猫の唸り声の如きニュアンス(笑)、フレージングもトーナリティの領域を超えたところでの自在なアプローチ、バッキングのリズム隊もさすがレギュラー活動の成せる技、巧みにして緻密、Liebmanの手の内を読みつつ、音楽を何処にどう持って行けば良いのかを熟知した流れに徹していて、彼自身も逆にインプロビゼーションの展開を容易く読ませない音楽的裏切りを忍ばせています。Sheilaの短い詩の朗読後はKuhnのソロ、こちらもMosesのレスポンスが実にスリリング、Kuhnのプレイと付かず離れずを繰り返し大胆に盛り上がり、コード・クラスターを用いた粘着気質的な展開にまで及びますが、Swallowの地を這うような安定したサポートがあってこそです。 5曲目表題曲HomeはSheilaとKuhnふたりによるルパートから始まります。実に美しい歌唱、そして必要最小限にして全てが有効な音使いによる的確な伴奏、その後はスロー・スイングでLiebmanのテナーソロへ。それにしてもこの吹き方のニュアンスとイメージは一体何でしょう?まるで漆黒の暗闇の中で思いっきり大声で不平不満を述べ、そのパワーで音空間をねじ曲げているかのようなアプローチです(爆)!テナーの音程感にも独特のものを感じます。精神状態が良く無い時に聴くことは決してオススメしません(汗)。一体どんな”Home”なのでしょう?ひょっとしたら事故物件の類いかも知れません(涙) 6曲目In the Fall、今度はピアノとベースによるパターンの上でのMosesのドラムソロから開始します。皮ものを中心としたドラミングはそのフレージングからHaynesの他、Tony Williamsのテイストも感じさせます。収束したところにLiebmanのテナーによるメロディ奏、ソロにそのまま突入しまるで咆哮状態、2000年の歴史〜ユダヤ人の情念を一人で全て背負ったかのようなエグさを感じさせます。Sheilaの歌が入り、暗がりにやっと一筋の光明が差し込んだかの様です。シンセサイザーとテナーのユニゾンのメロディも演奏され、次第にボーカルとも合わさりFineへと向かいます。演奏で聴く者をここまでの気持ちにさせることの出来るパワーに、良くも悪くも圧倒されます。 7曲目は再びThe FingerからYou Didn’t Think…、ボーカルからスタートし、テナーが裏メロディのようなオブリガードを入れつつ、ソロに移行します。ここでの表現にも凄まじいものがあり、一体どんな精神状態でアプローチしているのか、常人には理解し難い次元です。テナー・マエストロとして高度なテクニック、サウンド・メイキング、余人の追従を許さない深い表現を行っていますが、曲想とも離れ気味のテイストを受け入れるのはいささかハードです(彼の中ではインサイドなのでしょうが…)。それともテナーサックスを封印してソプラノに賭けるとの決意のもと、とことん自己表現をやっておこうと言う事 だったのかも知れませんね。ユダヤ系Coltraneスタイル・テナー奏者の両巨頭、Michael Brecker, Steve Grossmanのふたりとは何度も会って色々な話をしましたが、もうひとりの巨頭Liebmanとは未だ会ったことはありません。会う機会があれば尋ねたいことは山ほどありますが、この作品のアプローチについては是非質問してみたいと思っています。 8曲目Ice CreamはMaysのシンセサイザーを携えてSwallowのメロディ奏からスタートします。7thコードの4度進行が印象的ですが、実はSwallowのコンポジションには多く用いられています。軽快なスイングのリズムのもと、Sheilaのボーカルも冴えています。Kuhnがソロを取りますが、ピアノ・トリオのコンビネーションが素晴らしいです!エレクトリック・ベースによる早めのスイングではボトム感が希薄になりがちですが、ここではその分をMosesのバスドラムがしっかりと補い、バランスを取っています。この曲の演奏が本作中最もスイング感に満ちています。 9曲目Echoは再びLiebmanの登場です。ひとしきりOne & Only、彼の世界をリズム隊を巻き込んで提示し、Sheilaのボーカルに繋げます。その後のピアノソロもウネウネ、ウニウニとKuhn節を披露、つくづく濃い芸風の人たちです(汗)。それにしてもプレイヤー互いに気心が知れていると言うのは素晴らしいですね!彼らが演奏を楽しんでいるのがストレートに伝わってきます。 10曲目ラストを飾るのはMidnight、SE風にMaysのシンセサイザー、Kuhnの弾くピアノの高音部が深夜の静寂を予感させます。不安感がよぎるコード・ワークの後Sheilaの朗読が開始されますが、メロディに施された複雑なコードが、夜のしじまから押し寄せる不安感をイメージさせます。短くエピローグ的に演奏されFineとなります。

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2021.02.01 Mon

Portrait of Sheila / Sheila Jordan

今回はボーカリストSheila Jordanの62年録音、初リーダー作「Portrait of Sheila」を取り上げましょう。彼女は現在92歳(!)、音楽活動は特に行ってはいない模様ですが、ビバップ勃興の頃よりCharlieParkerを始めとするジャズジャイアンツと親交を持った、貴重なジャズシーンの生き証人です。そのParkerをして彼女は100万ドルの耳を持つシンガーと紹介されたそうですが、大変に名誉な事です。本作はインストルメンタル・ジャズ名門Blue Note Recordsからのリリース、Label中数少ない女性ボーカリスト作品の1枚です。編成もギタートリオにボーカルと言うシンプルさ、後年エレクトリック・ベースの第一人者となるSteve Swallowがここではアップライト・ベースで参加しています。 Recorded: September 19 and October 12, 1962 at Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, New Jersey Label: Blue Note  Produced by Alfred Lion vo)Sheila Jordan   g)Barry Galbraith     b)Steve Swallow   ds)Denzil Best 1)Falling in Love with Love   2)If You Could See Me Now   3)Am I Blue   4)Dat Dere   5)When the World Was Young   6)Let’s Face the Music and Dance   7)Laugh, Clown, Laugh 8)Who Can I Turn to Now   9)Baltimore Oriole   10)I’m a Fool to Want You   11)Hum Drum Blues   12)Willow Weep for Me Sheila Jordanは1928年11月18日Michigan州Detroit生まれ、15歳の頃から地元のナイトクラブで歌手、ピアニストとして活動していました。彼女はCharlie Parkerのオリジナルに歌詞を付けて歌うコーラスグループのメンバーでしたが、Parkerが当地を訪れた際にメンバー一同で訪ね、彼にその場で歌って欲しいと頼まれた経験をしています。51年にNew Yorkに移り、Lennie TristanoやCharles Mingusにハーモニーと音楽理論を学び、かねてからParkerの音楽に心酔し師と仰いでいた彼女は、熱心にプレイを研究したそうです。さぞかし頻繁にライブに足を運んだ事でしょう、彼が亡くなる55年まで友人としての関係が続き、兄のように慕っていたとも言われています。52年にはParkerバンドのピアニスト、Duke Jordanと結婚、娘Tracyが生まれます。ですが幸せな日々はそうは長く続かず、Dukeの薬物使用量が増えた事により62年破局を迎えました。晩年のParkerの薬物使用もかなりの頻度だったに違いないのですが、兄と亭主では自ずと処遇も変わると言うものです(笑) とあるインタビューでNew Yorkに移り住んだのは何故ですかという質問に対し、彼女は「私がBirdを追いかけたからよ=Chasin’ the Bird」と答えました。ParkerのオリジナルChasin’ the Birdは貴女のために書かれたのではないかと言われていますが、と尋ねられると「私は知らないの。どうしてそんな噂話が一人歩きしたのかしら」とも答えていますが、それは十分に考えられる話です。 彼女はNew York移住後、昼は秘書やタイピストとして働き、夜はGreenwich VillageのジャズクラブThe Page Three Club等でピアニストHerbie Nichols、以降も長きに渡り共演関係を保つSteve Kuhn達と演奏活動を行いました。夜クラブで歌う事が出来ない場合は昼間教会で歌う事を代用としながら、娘を育てるために20年間ほぼOLに専念し、演奏だけに専念できるようになったのは50歳を過ぎてから、80年代以降の話です。実際それ以前から断続的ではありますが音楽活動を続けていて、本作初リーダー以降第2作目「Confirmation」は13年後の75年リリース、そのときTracyも22歳、おそらく社会人として世に出たのでSheilaにも余裕が生じたのでしょう。 初期の彼女の演奏で特筆すべきものの一つとして、独自の音楽理論を展開するピアニスト、アレンジャーGeorge Russellのアルバムへの参加が挙げられます。62年8月録音「The Outer View」収録のYou Are My Sunshine、3管編成を生かしたアレンジの曲中、全くのアカペラで囁くように始まり、バンドが加わり次第にシャウトするが如く朗々と独白する様には、既に豊かな音楽性を感じさせます。ここでもSteve Swallowのコントラバスの活躍が印象的です。 参加メンバーにも簡単に触れてみましょう。ギタリストBarry Galbraithは19年12月生まれ、Stan KentonやClaude Thorhillビッグバンドでのツアーほか、Miles Davis, Michel Legrand, Gil Evans, Coleman Hawkins, Stan Getzらとも演奏、録音し、スタジオミュージシャンとして膨大な数のレコーディングを残しています。New York市立大学、New England音楽院でも教鞭を執った楽理派でもあります。手堅く端正なプレイとコードワーク、出しゃばらず控え目でいて、ツボを押さえた伴奏はリーダーの音楽性を確実にプッシュする事から、引く手数多だったのでしょう。 ベーシストSteve Swallowは40年10月生まれ、幼少期にピアノやトランペットを学び、14歳でベースを始めます。New Yorkに移り住みArt Farmerのバンドに参加、この頃から作曲を積極的に始めます。以降数多くのオリジナリティ溢れる名曲をジャズシーンに送り込み、その名を不動のものにします。60年代からJimmy Giuffre, George Russell, Stan Getz, Gary Burton, Paul Bley, Steve Kuhn, Michael Mantler達と演奏し、70年代から盟友Roy Haynesに励まされつつ5弦エレクトリック・ベースに持ち替え、Carla Bley, John Scofield, Paul Motian, Joe Lovano達と八面六臂の活躍を遂げます。 ドラマーDenzil Bestは17年4月New York生まれ、Ben Webster, Coleman Hawkins, Illinois Jacquet, Lennie Tristano, Erroll Garner, Phineas Newborn, Miles Davisたちジャズジャイアントと共演しました。また彼にも作曲の才能があり、Move, WeeやThelonious Monkの名盤「Brilliant Corners」収録Bemsha Swing, Herbie NicholsとMary Lou Williamsが取り上げた45 Degree Angle、いずれもビバップ〜ハードバップの名曲です。同じドラマーであるElvin JonesやJake Hannaが彼の演奏に称賛の意を表していますが、特にブラシワークが素晴らしく、本作でも全編ブラシを用いて巧みに伴奏しています。 それでは収録曲に触れて行くことにしましょう。1曲目Falling in Love with Love、ベースのwalkingから軽快なテンポでイントロがスタートします。ハスキーな成分が程よく混じる声質のSheila、ドラムを伴って歌い始め、1コーラスギターレスで、2コーラス目キーが半音上がってギターの伴奏も加わり、続いてメロディ・フェイクを用いてもう1 コーラス歌います。彼女は決してテクニシャンではありませんが、歌詞の内容を噛み締めるように、情感を込めつつ明るい透明感ある声質でリズミックに歌唱するプレイには溌剌さを感じます。Parkerの音楽に啓発されての歌唱ですが、超絶技巧にして常に創造性を全面に押し出す彼のプレイとは異なる、外連味なく、自分のテリトリーを大切にしての演奏と感じ取ることが出来ました。 2曲目If You Could See Me NowはピアニストTadd Dameronのペンによる名曲、元は同じボーカリストSarah Vaughanのために書かれたナンバーで、歌詞はCarl Sigmanによります。イントロ無しでボーカルのアカペラから始まり、半音進行のアレンジが施され意外性を感じさせます。バラードなので声量を控えているのでしょう、そのためハスキーさが際立ち、テンポのある前曲よりも気持ちの入り込みを感じ、説得力が増しています。Swallowの巧みなベースワーク、Bestの堅実なブラシ、Galbraithのさりげなさを伴った確実なバッキングで1コーラス丸々を歌い切ります。 3曲目Am I BlueはBillie HolidayRay Charlesの歌唱も存在する映画音楽に使われたナンバーです。ギターとデュエットでしっとりとバースが歌われ、その後本編へ。ベースとデュエットやルパート部も設けられた、メリハリが利いた構成での演奏、深いビブラートも印象的です。 4曲目Dat DereはBobby Timmons作曲、Oscar Brown Jr.作詞によるナンバー、Swallowと全編デュエットで演奏されます。以前当Blogで取り上げたRickie Lee Jonesの作品「Pop Pop」でも取り上げられていますが、そちらも個性的で素晴らしい歌唱、いずれにせよシンガーにとってはチャレンジャブルなナンバーのようです。 この当時ボーカリストがベースとデュオで1曲丸々を歌うという形態はなかったと思います。しかも早口言葉のような歌詞と旋律を持つ難曲をチョイスしてとなると、従来のシンガーとは一線を画する、インストルメンタル奏者の領域に足を踏み入れています。これはParkerからの影響の具現化の一つと言えるでしょう。テーマを歌った後はスキャットを歌唱、その後はごく自然にラストテーマに移行します。当初に比べるとテンポが随分と速くなっていますが、初めからアッチェルランドを想定していたようにも思います。 5曲目When the World Was Young、Galbraithはアコースティック・ギターに持ち替えイントロを奏でボーカルとバースを演奏します。曲の正式なタイトルはAh, the Apple Tree When the World Was Young、59年にEdith Piafが歌ったことで世に広まりました。本作録音62年頃ボーカリストの間で流行っていたのか、Eartha Kitt, Julie London, Frank Sinatra, Marlene Dietrich, Nat King Cole, Morgana Kingたち第一線の歌手達も録音しています。トリオの伴奏、特にGalbraithの爪弾きが良い味を出していて、彼女も思い入れたっぷりに気持ち良さそうに歌唱しています。 6曲目Let’s Face the Music and Danceは本作中最速のテンポ設定、Swallowが「勘弁してよ、こんなに速く弾けないよ!」とブツブツ言いながら演奏開始したのではないでしょうか? (笑)、彼が演奏放棄する直前(爆)、1コーラスで潔く終わり、テンポは若干遅くなりましたが印象に残るテイクに仕上がりました。 7曲目Laugh, Clown, Laughは28年米国の無声映画で使われたナンバー、ギターとボーカルでバースをスペースたっぷりに演奏し、テーマが始まります。彼女の声質に合った曲想を軽快に歌っています。59年にAbbey Lincolnが自身の作品「Abbey Is Blue」で取り上げ、こちらも素晴らしい歌唱を聴かせています 8曲目Who Can I Turn to Now、こちらもバースを朗々とギターふたりで演奏していますが、その後もデュオで最後までプレイしています。ここでのGalbraithのコードワークが実に巧みに行われています。さぞかし気持ち良く歌う事が出来たのではないでしょうか。 9曲目Baltimore OrioleはかのHoagy Carmichael42年作曲のナンバー、ここではギターの伴奏を無くしベースとドラムを相手にブルージーに歌っていて、SwallowのベースワークがSheilaを的確にサポート、そして曲想を支配しています。 10曲目I’m a Fool to Want You、マイナー調のどちらかと言えば「お先真っ暗」的な雰囲気のナンバーですが(笑)、彼女の持ち前の明るさからか、どっぷりと沈み込む事なくジャジーに聴かせています。この曲の新しい解釈と言っても良いでしょう。 11曲目Hum Drum Bluesは前述Dat Dereの作詞でお馴染のOscar Brown Jr.のペンになる曲、こちらもギターレスでSwallowのベースがコード感、サウンドを提供し当時に於ける新感覚のプレイを披露しています。 12曲目、アルバムの最後を飾るWillow Weep for Me、Swallowのベースと二人でテーマが始まります。程なくギターとドラムも参加、通常は3連のリズムで演奏されるのですがバラードで、曲の持つ雰囲気に流されずドライなテイストのプレイを聴かせます。

2021.01

jazz/music 

2021.01.19 Tue

The Jerome Kern Songbook / Gustav Lundgren

今回はSweden出身ギタリストGustav Lundgrenの2018年録音作品「The Jerome Kern Songbook」を取り上げてみましょう。 米欧混合の若手俊英を擁したギタートリオにテナーサックスの逸材Chris Cheekを迎えたカルテット編成、Jerome Kernの名曲を外連味なくストレートに演奏しています。 今どき珍しいくらいと言う表現が相応しいでしょう、無駄な音を一切排除した如きシンプルさ、脱力感と自然体で臨んだプレイは好感度抜群です。 しかし単なる懐古趣味でのスタンダードナンバー演奏に終わらず、現代的なセンス、フレーバーも随所に感じさせます。 昨今のスタンダード・ナンバーに難易度の高い代理や変則的コード、構成の複雑さ、変拍子の多用が見られるのは、ジャズが若手ミュージシャンにとって学問として、 また探究する対象であリ、John Coltraneの昔から行われていましたが、本作の内容は逆に行き着くところまで辿り着いた結果の一つと言えるかもしれません。 アルバム収録時間もLPレコードを模したかのように42分強、この位の程よさもアリですね。 Recorded at Medusa Estudio (Barcelona) on 5th and 6th of September 2018 by Juanjo Alba Mixed by Gustav Lundgren at Farmer Street Studio (Stockholm) Mastered by Alar Suurna at Shortlist Studios (Stockholm)   Produced by Gustav Lundgren   Executive Producer: Jordi Pujol Label: Fresh Sound Records ss,ts)Chris Cheek   g)Gustav Lundgren   ds,vib)Jorge Rossy   b)Tom Warburton 1)Why Do I Love You?   2)The Way You Look Tonight   3)Smoke Gets in Your Eyes   4)All the Things You Are   5)Nobody Else But Me   6)Can’t Help Lovin’ Dat Man   7)I’ve Told Ev’ry Little Star 8)Ol’ Man River 本作ディストリビュートのSpain BarcelonaにあるFresh Sound Recordsは、若手ミュージシャンを対象にしたNew Talent Recordsと言うレーベルを起こし、実に積極的に無名新人のアルバム制作を行なっています。今までに615枚(!)ものリリース、欧米ほか日本人の作品も含まれています。他にも1962年以前の米国メジャー、マイナー・レーベルから発売されたモダンジャズ名盤を高音質、デジパック、時にボックスセットにての再発作業も行い、ある種隠れた名盤発掘作業と言え、レーベルオーナーJordi Pujolのジャズに対する愛情、情熱を痛感します。 さて「Plays the Jerome Kern Songbook」と題されたアルバムは昔から他にも存在しますが、個人的には2枚思い浮びます。 1枚目はOscar Petersonの59年録音、Ray Brown, Ed Thigpen黄金のレギュラートリオでの演奏です。どこを切っても金太郎飴状態のPeterson Trioですが(笑)、Kernの華やかで気品があり、 他にはないイメージの楽曲とオリジナリティ溢れるコード進行がある種の縛りとなり、いつもの彼らとはやや違ったテイストを聴かせています。 もう1枚はElla Fitzgeraldの63年録音作品、Nelson Riddle Orchestraとの共演になります。このアルバムはよく聴きました!ポップで小粋、そして何しろチャーミングな歌いっぷり、 Kernの音楽性を踏まえてビッグバンドをバックにゴージャスに聴かせます。Ellaの歌唱には大編成がよく映えます。 EllaのSongbookには他にも57年録音Duke Ellingtonの作品が素晴らしい出来栄えです。彼女は歌の大変上手いシンガー、何を歌わせても極上の歌唱を披露してくれますが、 尊敬するEllingtonとの共演でまた違った側面を見せてくれました。オーケストラ、トリオとの両編成が聴けるのも嬉しいです。 本作のリーダー、Gustav Lundgrenのプロフィールをご紹介しましょう。 80年Sweden Stockholm生まれ、12歳でギターを弾き始め、地元のナイトクラブで16歳から演奏活動を開始、様々なバンドを経て世界各国で演奏旅行を行い、 Swedenを代表するギタリストにまで成長しました。70枚以上のレコーディングに参加し、自己のリーダー作も25作以上リリースしています。 Kenny Burrell, Joe Pass, Wes Montgomery, Jim Hallを感じさせるスタイルは確固たる音楽性に裏付けされ、聴く者を魅了します。 それでは収録曲について触れて行きましょう。 1曲目Why Do I Love You?はブラシによる短い、しかし印象的なドラムのイントロから始まり、ボサノバのリズムで演奏されます。Cheekのメロディ奏には押し付けがましいところが皆無、 美しくも個性的なトーンを引っ提げてひたすらスイートにプレイしています。演奏時に脱力することの大切さを熟知し、至極自然体、共演者もそんなCheekとの演奏はさぞかしリラックスして 楽しめる事でしょう。 彼のテナー使用楽器はSelmer Super Balanced Action long bell、マウスピースはOtto Link Tone Edge Early Babbitt 7番、very long facing curve、low baffleにリフェイスしてあります。 リードはRicoかRico Royalの3 1/2。「コーッ」と言う木管楽器的な響きや、ハスキーさを伴った雑味等の成分のバランス値が絶妙で、更に「シュワー、ザワー」的な付帯音が 楽器を取り巻くかの如きに鳴っています。彼のセッティングにはこの魅惑的なトーンを出すための必然性を強く感じます。 youtubeを見ると、演奏中自分のソロを終えた際に愛器をいとおしく抱くように携えている彼の立ち姿が印象的です。楽器は自分の相棒、ましてや戦友と言うよりも、 大切なパートナーとして向き合っていると感じました。そしてCheekはサウンドや立ち振る舞いから、周囲の仲間や伴侶に対する気配りのある、優しい人柄を見取る事が出来ます。 テーマ後ギターとテナーで8小節づつのトレードが2コーラス行われます。互いのフレージングを聴き合い、受け止め、発展させ合っており、仲の良い友人同士の楽しげな会話のように 聴こえます。それにしてもCheekのタイムの良さ!リズムのスイートスポットにドンピシャ嵌っています。 Lundgrenは的確なピッキングを聴かせつつ、タイムが多少ラッシュする傾向にありますが、むしろ揺れを楽しんでいるかのような雰囲気です。 ナイスなカンバセーションの後にはJorge Rossyのブラシによる1コーラスの音楽的なソロがありますが、イントロのプレイを踏襲したかのテイスト、その後ラストテーマへ。 トレードの延長の如くテーマをギターにも任せ、その後ろでオブリガードをさりげなく吹いています。エンディングはターンバック、そしてシンコペーションによるキメを経て、 意外性のあるコードでFineです。 アルバム冒頭に位置する曲ではありますが、演奏の雰囲気としては何曲か録り終えた後、箸休め的に気楽にプレイしたテイクのように感じます。演奏時間が本作中一番短いのは それも一因かも知れません。 2曲目The Way You Look Tonightは様々なミュージシャンに取り上げられているナンバー、本作ではどのように料理されているのでしょうか。 ミディアム・スイングでギターがカラフル、ユーモラスにメロディを演奏、サビでテナーが登場しその後のAメロもプレイします。 メロウで大らかさを感じさせる語り口は一聴Cheekと判るほどの個性を確立しています。ソロの先発はそのままCheek、間の取り方、 フレージングの音の選び方、ハネた8分音符のひょうきんさと相俟って大らかさを打ち出しています。 半コーラス演奏し(この曲は64小節を有するので普通のウタ物と同等の32小節)、ギターソロへ、オクターブ奏法を交えたアプローチを用いて こだわりの美しい音色と合わさり、巧みに聴かせます。ラストテーマはAAを省きサビから始まり、テナーのメロディが再び演奏されますが、 より一層リラックスしたテイストを感じさせます。メロディの合間のギターによるフィルインも巧妙に響き、エンディングはバンプをリピートして フェードアウトの巻です。 3曲目Smoke Gets in Your Eyes、タイトルは禁煙運動の推進に一役買った事でしょう(笑)、ここではCheekソプラノサックスに持ち替え、よりスイートにプレイしています。 セミカーブド・ソプラノを使用しており、曲管部分を有するので直管の楽器よりもアルトサックスに近い音色が特徴的です。ギターイントロ後テーマ奏、 テナーよりも更に脱力を感じるのは小さい楽器を鳴らす故でしょう、ほとんど囁くような、独り言の範疇に入りそうな吹き方です。 ソロもどこかハーモニカの音色をイメージさせる時のある、独特な奏法を感じます。 サビからギターソロに変わり、裏コードをはじめとする音の選び方にセンスを感じさせるアプローチと速弾きが印象的です。 ラストテーマはサビから、初めよりも幾分力強さを感じる吹き方で場を活性化させ、Aメロではポルタメントも用い、再びしっとりとプレイ、 エンディングもマイルドに、ギターの巧みなコードワークにバックアップされFineです。 4曲目All the Things You AreはKernの代表曲にして実に巧みなコード進行を有した名曲、多くの転調を有する事から演奏者には自ずと高いハードルが掛けられます。 ここでは加えて通常とは異なる3拍子で演奏されており、それに伴いイントロのメロディ、譜割がアレンジされていて新鮮に聴こえます。テーマ後にも再びイントロが演奏され、 テナーソロが始まります。持てる力の6割程度、鼻歌感覚で巧みにアドリブを繰り広げますが、コード進行の難易度はこの人には無関係のようです!むしろ込み入っている方が より緻密なラインをクリエイト出来るのでしょうね、きっと。素晴らしいソロを2コーラス演奏していますが、もう少し聴きたいところを腹八分目で押さえているのは Songbookと言うアルバム・コンセプトの成せる技、究極曲紹介のアルバムなのです。 自分が20代の頃はよくテナー奏者の興味あるソロを採譜、分析し、覚えるまで練習したものですが、久しぶりにこのソロを譜面にしたいと言う気持ちになりました(笑)。 その後ギターも同様に2コーラスを、多くの若きプレーヤーの規範となり得るクオリティの演奏を展開します。その後ラストテーマを迎え、イントロが再利用され フェードアウトでFineです。 5曲目Nobody Else But MeはTom Warburtonのベースからスタートしますが、木の音がするプレイは気持ちが良いです。 小粋なウタもののテーマをCheek何の衒いもなくプレイ、これも良いですね!ソロはLundgrenから始まります。ギターの魅力を満載したラインはこれまたコード進行に対する アプローチの良き手本となる事でしょう。続くCheekのソロは意外な出だしを提示、例えるならRollinsライクなテイストでしょうか。その後も何処となくおかしみを 匂わせる、他の曲とは異なる色合いでソロを聴かせます。彼はPaul Motian, Charlie Haden, Steve Swallow, Bill Frisell達つわものとの共演ではまた別なテイストを披露しており、 引き出しの多さを感じさせます。ソロの終盤戦で聴かれるWarburtonのペダルポイントも効果的です。 ラストテーマの前半はLundgrenが演奏、後半をCheekが担当し、エンディングはターンバックを経て短3度で転調して行き、巧みにFineです。 6曲目Can’t Help Lovin’ Dat Manはバラード、ギターとテナーのデュオでテーマが演奏されますが低音域をCheekはいつものサブトーンではなく実音でプレイ、これは意外と新鮮です。 古き良き米国南部の雰囲気を湛えた曲想、カントリー&ウエスタンも感じさせる楽曲を朗々と吹いています。8小節づつのソロをギターとテナーがトレード、ほのぼのとした様を一貫して表現したテイクに仕上がりました。 7曲目I’ve Told Ev’ry Little Starは、まず個人的にSonny Rollinsの演奏がイメージされます。58年10月録音の大名盤「Sonny Rollins with the Contemporary Leaders」 もう1枚あります。59年Stockholmでの録音「St Thomas – Sonny Rollins Trio in Stockholm 1959」両演奏とも甲乙つけ難い出来です。 本作の演奏はボサノバのリズムで軽快にプレイされますが、Jorge Rossyのドラミングが良い味を出しています。彼はCheekのリーダー作の殆どに参加するお抱えドラマー、Barcelona出身、Fresh Sound Recordsでも数多くのアルバムに参加、こちらもハウス・ドラマー状態です。そのRossyのドラムソロから曲がスタートします。当然ですがRollinsの演奏とは全く異なる コンセプトで曲が進行しますが、ナチュラルさと穏やかさを保ちつつ、実は音楽的に高度な演奏をさり気なく行っています。Cheek, Lundgren, Warburtonとソロが続き、ラストテーマはサビから演奏され。エンディングはギターとテナーが同時進行でソロを行いFade Outです。 8曲目Ol’ Man Riverは再びCheekがソプラノに持ち替え、Rossyもスティックからマレットに持ち替えビブラフォンを担当し、ベースもアルコで参加しています。メロディを淡々と、美しく演奏するだけのテイクですが、途中ソプラノが最低音のB♭よりも半音低い、あるはずの無いA音をやや危なげに4回吹いていて、身体の何処かに、例えば太腿や譜面台を利用し瞬時に楽器のベルを押し当て、7,8割閉じつつ吹いてピッチを下げると言う、実はアクロバティックな奏法をさりげに披露、危なげな出音は然もありなんです! 恐らくCheekが楽器を振り下ろしつつセンテンス毎にキュー出しをしているのでしょう、メロディの揺らぎがとても心地よくサウンドする、アルバムのエピローグとして相応しいテイクとなりました。

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2021.01.06 Wed

Perspective / Steve Grossman

今回はテナーサックス奏者Steve Grossman79年の作品「Perspective」を取り上げてみましょう。 彼は昨年(2020)8月に69歳で惜しくも亡くなったカリスマ・テナー、25枚以上のリーダー・アルバムをリリースしていますが、その中で最も作品としてのクオリティが高いアルバムと認識しています。 音楽の形態としては当時流行ったフュージョンですが、ジャズ・テイストを基本としたGrossmanミュージックを素晴らしい共演者、秀逸なプロデュースのもと、思う存分に発揮しています。 Recorded: 1979 at Electric Lady Studio, New York City.   Recording engineer: David Wittman   Produced by Raymond Silva, co-producer: Steve Grossman   Label: Atlantic ts,ss)Steve Grossman   g)Howard “Bugzy” Feiten   b)Mark Egan   ds)Steve Jordan   ds,bongos)Lenny White(on Arfonk)   b)Marcus Miller(on Creepin’ & The Crunchies)   p,Fender Rhodes)Onaje Allan Gumbs   perc)Raphael Cruz   congas)Sammy Figueroa   g)Barry Finnerty(on Katonah)   p)Masabumi Kikuchi(on Pastel)   ds)Victor Lewis(on Creepin’ & King Tut)   Creepin’ & The Crunchies arranged by Onaje Allan Gumbs 1)Creepin’   2)Arfonk   3)Pastel   4)The Crunchies   5)Olha Graciera   6)King Tut   7)Katonah 僅か18歳にしてWayne Shorterの後任としてかのMiles Davisバンドに加入し、天才の名を欲しいままにしたSteve Grossman、スケールの大きいプレイ、John Coltraneのフレージングが基になってはいますが独自のインプロビゼーション・アプローチ、タイム感の素晴らしさ、50年代のSonny Rollinsを彷彿とさせる端正な8分音符、そして何より誰も成し遂げることの出来ない、あり得ないほどに素晴らしい楽器の音色と鳴らし方(単に音量の大きさと言う次元ではなく、倍音成分や付帯音の尋常ではない豊富さと言う観点で)を引っ提げてジャズ界に殴り込みをかけ、一大旋風を巻き起こしました。 「Live at the Lighthouse」を筆頭としたElvin Jonesバンドでの一連の作品では彼の本領が発揮され、歴史的な名演奏を繰り広げていますが、他のサイドマンや何より自身のリーダー作の多くでは不完全燃焼を否めません。そんなな中でも 5枚のリーダー作、77年「Born at the Same Time」78年「New Moon」84年「Hold the Line」「Way Out East」85年「Love Is the Thing」はGrossmanのプレイの真髄を捉えていると思います。 Grossmanフリークの僕自身、来日時には追っかけのようについて回ったのですが(笑)、その際に本作の素晴らしさについて尋ねてみました。ところが本人はあまり内容を気に入っていなかったのか、「あの作品はコマーシャルなもので、お金のために仕方なく録音したんだ」と言うとても意外な返答が。内容について突っ込んだ質問をしたかったのですが、見事に出鼻を挫かれた覚えがあります(汗)。 あの名盤、Grossmanを代表する名演奏がお金のために成されたとは、でも実はよくある事かも知れません。確かに米国大手Atlanticレーベル、当時のフュージョンシーンを代表する豪華なメンバーの起用、自身のオリジナルの他に菊地雅章氏とOnaje Allan Gumbsのオリジナル、アレンジが施されたStevie Wonderのナンバーを配した、言ってみればGrossmanの魅力を今までにない別な角度からも引き出そうというプロデュースによる、一大プロジェクトとも取れる作品です。かなりお金をかけていますね。当然彼へのペイも良かったと思いますが、co-producerとして名を連ねているものの、特にレコードのSide Aに該当する1〜4曲はプロデューサー・サイドの思惑で事が進行し、自己主張の強い彼が曲構成や編曲によく従ったと思います。とりわけ4曲目の曲想とアレンジが不本意だったのでは、と僕なりに想像しています。ですが選曲、演奏、編曲、メンバーの熱演がむしろ本作をGrossmanの魅力を凝縮した作品へと昇華させていて、レコードのSide Bに該当する5〜7曲目のオリジナルでの、いつも以上に彼らしい演奏との対比も加わり、他のリーダー作にはない強烈な魅力を放つアルバムに仕上がったのでは、と睨んでいます。 ジャズ・ミュージシャンの作品はセルフ・プロデュースの魅力もありますが、レーベル・プロデューサーがリーダー・ミュージシャンのポテンシャルを見極め、判断し、本人の価値観では思いもよらぬ、むしろ真逆の表現方法、形態を引き出す事が彼ら本来の仕事のひとつだと思います。Steve Grossmanという言わば野獣を見事に飼い慣らし、しかし野生動物としての本能もしっかりと残させつつ、あたかもサーカス興行として成り立たせた〜表現が露骨過ぎるかも知れません(汗)失礼!〜、プロデューサーRaymond Silvaの手腕によるところが大の作品です。 それでは演奏内容について触れて行く事にしましょう。 1曲目Stevie Wonderの名曲Creepin’、実は以前にもGrossman, Gene Perla, Don Aliasの3人から成るユニットStone Allianceの76年第1作「Stone Alliance」で演奏しています。こちらの演奏での彼はいつになくサブトーン気味に演奏していて、通常とは違ったテイストを聴かせています。 本作の方が速めのテンポ設定、上記の演奏がトリオなのもありますがパーカッションやギター、ピアノのバッキングがサウンドをぶ厚くしており、リズムのキメを始めとするアレンジが曲の雰囲気を高めています。 それにしても物凄いテナーサックスの音色です!超ルーズなアンブシュアとエアーの効率の良い使い方は間違いなく理想の奏法、これを基にBen Webster, Sonny Rollins, John Coltrane達のトーンのイメージが彼の中でメルティングポット状態で渾然一体化し、まさにテナーを吹くために生まれて来たかのような身体を媒体とし、ユダヤ人の情念、怨念を彼が一身に受け止めて咆哮しているが如き演奏です!ここではVictor Lewisの重厚なドラミングとMarcus Millerのスラップ・ベースがテナーソロによく合致しています。Elvinバンドでの盟友Dave Liebmanのやはり79年作品「What It Is」にもMarcusが参加、こちらはSteve Gaddがドラムを担当していますが、Rolling StonesのMiss Youの演奏を筆頭に、Liebmanのまた違った魅力を引き出そうとする、プロデューサーMike Mainieriの算段が感じられ、たまたまでしょうが作品のコンセプトに類似性を感じます。 2曲目GrossmanのオリジナルArfonk、3部構成から成るドラマー、パーカッション奏者、ギタリストが大活躍するリズムの饗宴とも言うべき演奏です。まずはPart 1、Lenny Whiteのドラミングの素晴らしいこと!バスドラのタイミングがあまりにも好みです!音符がリズムのちょうど良い所に入る、とはこの事を言うのでしょう。Buzz Feitenのギターワークも音色といい、タイミングといいメチャカッコいいです!Grossmanは深いビブラートに基づいた自身のOne & Only ”Grossmanフレーズ”を駆使し、フラジオ音の割れ具合も相俟ってエグエグに盛り上がっています!続いてのPart 2、テンポがドラムのフレーズをきっかけにリタルダンド、ギターのカッティングがこれまたイカしてます!相変わらずWhiteのバスドラを始めとした、軽快にして重厚なドラミングが素晴らしい!Grossmanフレーズ絶好調!ありえない次元にまで聴き手を誘います!GumbsのRhodesによるバッキングも素敵!Part 3はFeitenのヤバいくらいにイケてるカッティングと、Whiteのハイハットからなるイントロでテンポがアッチェルします。ティンバレスとコンガによるグルーブ感が圧倒的なソロの連続!Raphael Cruz, Sammy Figueroaふたりのパーカッショニストのコンビネーションは完璧です!リーダーは曲の最後に少し演奏しただけですが、十分に存在感をアピールしています。ここでもGumbsのバッキングが良い味を出しています!プロデューサーの権限でこの曲の世界が設けられたと推測できますが、Grossman自身の発案ではこう言ったアイデアはまず生まれないと思います。 この曲はStone Allianceの77年Amsterdamでのライブ盤「Live in Amsterdam」にも収録されています。こちらはトリオ編成によるライブという事で本作よりもずっとラフな演奏ですが、テナーの音色は更に凄まじいです。 3曲目菊地雅章氏のオリジナルPastel、作者自身のリリカルなピアノ・イントロから始まります。Grossman追っかけ時(笑)の別な逸話ですが、確か彼が譜面を書く際に「これはPoo(菊地雅章氏の愛称)から貰ったんだよ!」と嬉しそうに鉛筆を見せてくれました。貰った鉛筆を後生大事に持っているGrossmanも可愛いですが(NYCのタクシーにソプラノ・サックスを置き忘れて出てこなかった伝説の持ち主です!楽器よりも鉛筆の方が大切かも?)、彼に対する敬愛の念を強く感じ、Pooさんの諸作で76年作品「Wishes/Kochi」から81年傑作「Susto」「One Way Traveller 」演奏参加の際の充実感を垣間見ることが出来ました。 美しくもダイナミクスの振れ幅が凄まじく、バンドの一体感がPooさんのピアノを軸として見事に成立し、Grossmanのシャウトぶりもハードさとメロウさが両立した相反する朗々さを聴かせます。フラジオC音吹き伸ばしの強烈なインパクトと言ったら!そしてMark Eganのフレットレスベース、Feitenのさまざまなテクニックを駆使したカラーリング、Jordanの「うん、間違いない」ドラミングの妙、後テーマのエンディング部は始まりと同様にピアノが担当しFineを迎えますが、曲自体、ソロ、伴奏、演奏の全てが極自然に進行するナンバーです。参加者のうち誰一人として不必要な我を出さずに見事な一集合体として成り立っているのです。 豊潤な音楽性、情感を湛えた名演奏となりました。 4曲目The CrunchiesはGumbsのオリジナル、本作中一番の問題曲です。LAのフュージョン・グループ、いやクロスオーバー・バンドの如きテイスト満載の曲想をGrossmanに演奏させたプロデューサー、大英断です!この曲をアルバム冒頭に持ってくるアイデアも間違いなく持ち上がった事でしょう!実現したらさぞかしキャッチーなアルバムに様変わりしたと思います。冒頭曲の第一印象で作品のカラーは決まりますから。 以前当Blogで取り上げたDon Cherryの77年作品「Hear & Now」も同じくAtlantic label、同様にRaymond Silvaがアルバム制作に携わっていますが、思うにリアル・ジャズマンにフュージョンを演奏させようという企画が70年代後期にAtlantic社内で持ち上がっていたのでしょう。Cherryの作品の方にも1曲、名プロデューサーNarada Michael Waldenの、とってもポップなオリジナルが収録されていますが、アルバム7曲目と末席に追いやられました。冒頭曲のおどろおどろしさが間違いなくアルバムを支配した作品、ヒットや売り上げとは縁がなかった事でしょう。大手レーベルに於いてミュージシャンの音楽性か、アルバムの売り上げどちらを取るか、現代は後者に間違いなく重きが置かれますが、70年代は比較的穏やかだったのでしょう、両作ともリーダーの意向を尊重した形でのリリースとなりました。 イントロのキメやトライアングル使用、ギターカッティング、そして縦ノリのグルーブは間違いなく70年代フュージョン、クロスオーバーの定番。ソプラノのテーマ奏も同一メロディをオーバーダビングして重ね、音を厚くしていますが、ポップス・ボーカリストGilbert O’Sullivanの72年大ヒットナンバーAlone Againのボーカル処理と同じ手法です。 もともと常人離れした音の太さを持つソプラノ・トーンの持ち主、「何故メロディをもう一度吹いて重ねる必要があるんだ?」と間違いなくGrossmanスタジオ内でごねた事と思います。宥めすかしてご機嫌を取りつつ演奏させたプロデューサーSilvaは、一体どのようにしてわがまま坊やを説得したのでしょう?(笑) キャッチーなメロディは意外にも彼のソプラノにごく自然にマッチし、サビの展開部も心地よさを聴かせます。ソロにもそのままナチュラルに移行しますが、さすがにここではオーバーダビングは施されず、ひたすらメロウにソロが展開され、リズムセクションも的確にサポートします。GumbsのRhodesソロ、そしてFeitenのまさしくフュージョン・テイストの演奏に続き再びソプラノのソロへ。先程のソロよりも強くGrossman色を感じさせます。その後再びダブリングによるラストテーマへ、エンディングにもソプラノソロが聴かれますが早めにフェードアウトを迎えます。 この演奏を初めて聴いた時の戸惑いは忘れられず、Grossmanのスタイルとは水と油と感じましたが、今となってみれば本テイクの存在は彼の音楽史上にとっても大切だと思います。吹き過ぎず間を生かしたアプローチには新たなる展開の予感がしました。 全曲とは言わず、収録曲の半分程度、いや1/3でもこのコンセプトの楽曲を演奏した作品をリリースし、以降も定期的にこの路線を辿って行ったなら、孤高のテナーサックス奏者の名を返上し、欧州に籠らずとも(90年代以降Italy Bolognaに住んでいました)米国ジャズ・フュージョン・シーンに君臨していたと思うのは、僕が単にGrossmanフリークだからでしょうか? もう一つ感じるのは、Side Aの4曲目に位置するナンバーにメロディのダブリングをする必然性を感じないという点です。この曲が作品中「浮いてる」感が強いのは、作品の真ん中あたりに位置していながら妙に主張が強い、これは曲想の違いに起因する以上に曲が厚化粧だからだと思います。厚化粧は接客や外出のため、対外的に好印象を与えるための装いの一つです。おそらくプロデューサーはDon Cherryの不発ぶりに懲りていて、Grossman作は何とかヒットに結びつけたい、方法としてはキャッチーなナンバーを冒頭に配したい。The Crunchiesのポップ色を既成事実化するためにも、嫌がるGrossmanを説得してメロディ処理を売れ筋仕様にデコレーションしたように思います。 さてレコーディングが終わりました。アルバムリリース前に選曲&曲順会議が開かれましたが、Silva以下制作スタッフはThe Crunchiesを1曲目にしたい、一方Grossmanは冗談じゃない、俺の音楽性とは合っていない。そもそもこの曲を収録するのも嫌だ!とひたすら平行線を辿り、結局は折衷案で比較的目立たないA面ラストに置かれたのではないでしょうか。その際にメロディのダブリングを解除し、シングル・トーンでの演奏に戻せば「浮いてる」感じは緩和されたのでは、とも思いました。 5曲目Olha GracieraはGrossmanのオリジナル、かなり頻繁に自己のアルバムで取り上げています。印象的なベースラインとユニークなコード進行、そして崇高なまでに気高さを感じさせるメロディ、彼の作曲の中でベスト3 に入る名曲です。Gracielaとはおそらく奥方かガールフレンドの名前、彼女に捧げられたナンバーですが、破天荒な殿方に寄り添っていくのはさぞかし大変だったのでは、と要らぬ心配をしてしまいます(汗) テーマ後先発ソロはGumbsのピアノ。以前僕が日野皓正さんのバンドに参加させて貰っている時に、彼の米国でのバンドのメンバーがGumbs、日野さんは彼のプレイの事をとても褒めていた事が印象に残っています。リーダーの元で的確な演奏をする事に美学を感じているタイプのミュージシャンと認識しています。ここでのソロも曲想の中にしっかりはまり、決して埋没せず、自己主張をほど良きバランスで行っており、続くテナーソロに向けて低音域にシンコペーションでドラマチックに降りて行くフレージングが堪りません!そしてGrossmanはしっかりとその意思を受け継ぎ、ブリブリとした低音域からソロを開始しますが、イヤー、これはメチャメチャカッコ良い!鳥肌モノです!本作のハイライトの一つと感じます。受けて立つリズムセクションのアプローチも素晴らしい!Gumbs, Jordan, Eganとのコラボレーションはこの一作だけだったのがあまりに勿体ない!彼らはGrossmanのコンセプトを確実に、120%理解して演奏に臨んでいます!さらにありきたりの表現で申し訳ないのですが、これはOne & Onlyの演奏、真の天才だけが行える諸行なのです!エンディングの盛り上がりも凄過ぎです! 6曲目King TutとはKing Tutankhamenの事、厳かで神秘的なムードは古代エジプトの若くして亡くなった謎多きツタンカーメン王をイメージしているのでしょう。自身のリーダー作で同様に数多く取り上げていますが、ここでの演奏はその決定打かも知れません。 リズム隊によるフリーなイントロの後、Eganのベースから始まりますが、フレットレスの伸びる音が効果的です。テーマはテナーのオーバーダビングによるハーモニーを伴ったメロディ、本人この曲を取り上げる時にはいつも自身でハーモニーをダビングしていました。ソロ最中にもダビングが施されていますがメロディ・ユニゾンのダブリングとは意味合いが異なり、彼の表現に於いて必要な事なのです。ギター、テナー、ピアノとソロが続きますが各々抑揚のある構成で演奏されています。各ソロイストはツタンカーメン王に対する自身のイメージをふんだんに盛り込んでいるかの様で、いずれも深い次元にまで表現を行なっています。同様にギター、ピアノ、そしてパーカッションのバッキングも効果音的に曲想を盛り上げる役割を果たしています。この曲でドラマーにLewisをチョイスしたのはよりジャズ的なメリハリあるアプローチを求めたからなのでしょうが、大正解です!Stone Alliance「Live in Bremen」にも収録されています。 7曲目Katonah、曲名について本人に尋ねたところNew York州にある場所の名前だそうです。ハイウェイを運転している時にKatonahと書かれた標識をよく見かけたような事を言っていました。曲を書いたものの、タイトルが決まらず困っている時にたまたま眼にしたので、のような話です。 新宿にあるライブハウスSomedayでのGrossman単独来日、日本のミュージシャンと一週間に及ぶ伝説のライブを挙行、そのリハーサルに立ち会いましたがこの曲の練習最中に彼が、「スタンダード・ナンバーの何だっけ?譜割りで同じ曲があるよね」と言い出し、メンバーみんなでわいわいと探っていました。暫くしてGrossmanがVincent Youmansのナンバー「I want to be happyだ!」と曲のメロディを吹き始め、一同納得したのを覚えています。確かにこの曲とシンコペーションが同じフィギュアですね。 この曲も度々リーダー作に登場しますが、初演は77年作品「Terra Firma」です。 Jordan以下タイトなリズムセクションによる素晴らしいサポートで本作の演奏が真打になりました。I Want to Be Happyシンコペーションが(笑)曲全体を通して演奏されていることで、こちらはリズムの分厚さを誇示した狂宴(!)となっていますが、Barry Finnertyのギターによるカッティングが実に支配的です。凄まじいまでに気持ちの入ったテナー独演会の後、ラストテーマ、曲がカットアウトで終わったと思いきやテンポが半分に落ち、そのままインテンポでハードロックの世界に突入!Finnertyのギター素晴らしいです!適材適所!そして情念のこもったエグさ炸裂のソプラノソロが開始!Grossman参加のMiles作品に「Jack Johnson」がありますが、むしろ彼は不参加、Bill Evans演奏での「We Want Miles」の方をイメージしてしまいました。

2020.12

jazz/music 

2020.12.25 Fri

Off the Beaten Tracks vol. 1 / Nicolas Folmer Meets Bob Mintzer

今回はトランペット奏者Nicolas Folmerの2010年作品「Off the Beaten Tracks vol.1」を取り上げたいと思います。
Bob Mintzerをゲストに迎え、Folmerのオリジナルを中心に演奏したライブレコーディング。米仏混合サイドマンのプレイも素晴らしく、超絶技巧にしてヒューマン、hot & coolさが堪らない作品です。vol. 1となっていますが未だvol. 2はリリースされていません。3日間に及ぶライブなのでまだまだテイクはあるはずですが。

Recorded:  July 17, 18, 23, 2009, Live at the Duc des Lombards, Paris
tp)Nicolas Folmer   ts)Bob Mintzer   p)Antonio Farao   b)Jerome Regard   ds)Benjamin Henocq   p)Phil Markowitz(on 4,7)   b)Jay Anderson(on 4,7)   ds)John Riley(on 4,7)
1)Off the Beaten Tracks   2)Fun Blues   3)Soothing Spirit   4)Bop Boy   5)Absinthe Minded   6)Let’s Rendez-Vous !   7)Le Chateau de Guillaumes   8)Black Inside

こちらは同一内容のジャケット違いです。

France、いや欧州を代表するトランペッターNicolas Folmerは1976年10月26日Albertville出身、幼い頃から英才教育を受け、Parisのコンセルヴァトワールでトランペットと作曲法を学びました。同じくFranceを代表するジャズピアニストMartial Solalに才能を見出され、その後順風満帆に音楽活動を展開し、Ahmad Jamal, Richard Galliano, Manu Katche, Rosario Giuliani, Andre Ceccarelli, Marcus Miller, Herbie Hancockらと共演し、2004年に初リーダー作「I Comme I Care」をレコーディングします。

I Comme I Care

トランペット奏者としての活躍も目覚しいものがありますが、スタジオミュージシャンとして、またアレンジャーとしても多くのミュージシャンから依頼を受ける、マルチぶりも発揮しています。
リーダーバンドと並行して、Swiss出身の名ドラマーDaniel Humairとの共同プロジェクトや、Franceの若手ミュージシャンを擁した超ハイパー集団Paris Jazz Big Bandの演奏活動も要注目です。Paris Jazz Big Bandは、Nicolas Folmerとサックスの Pierre Bertrandが中心となり1999年1月に結成されたビッグバンドです。オーソドックスなサウンドよりもファンク、ロック、クラブジャズのテイストが強い、強力にグルーヴするラージアンサンブルで、アドリブソロもイケイケです!

2012年作品 Nicolas Folmer Daniel Humair Project / Lights
2004年作品 Paris Jazz Big Band / Paris 24H

欧州ジャズシーン渦中現在進行形にして、トランペットの技術を極めたかの如きプレイは聴く者を圧倒します。しかし決してtoo muchなテクニシャンではなく、常に自己のウタを感じさせるバランスの取れた演奏を展開、若くしてそのテイストを発揮しつつ音楽活動を行なっています。スイス出身の名トランペット奏者Franco Ambrosettiにも通じる演奏、センス、彼も歌心とテクニックを併せ持った素晴らしいプレーヤー、以前当Blogで取り上げたMichael Breckerを迎えた傑作「Wings」のプレイは鮮烈でした。僕が知らないだけでまだまだ多くの凄いトランペット名手が欧州には存在しそうです。

83年録音 Franco Ambosetti / Wings

本作はParisにある当地を代表するJazz Club、Le Duc des Lombardsでのライブレコーディングになります。そもそもMintzerが自己のカルテットで欧州ツアーを行い、訪巴を狙ってFolmerがゲストに彼を招き、その返礼か今度はMintzerカルテットにFolmerを加え、そこでの演奏を2曲追加収録した作品になります。Italy出身の名ピアニストAntonio Farao、France出身のベーシストJerome Regard、ドラマーBenjamin Henocqから成るFolmerのユニットはMintzerカルテットと全く遜色なく、むしろ技術や音楽性の高さを誇示するレベルでの演奏を聴かせ、その水準のハイクオリティぶりを知る事となりました。
聴くところによるとFranceは国が芸術家に経済的支援を行なっているそうです。音楽シーンが盛んでミュージシャンの勢いがあって互いに切磋琢磨し合い、経済的に困るところがなければ演奏の、特にテクニカルな部分はひたすら向上して行くと思います。余計な事を考えずに器械体操的に練習を継続できるからです。ただ音楽、特にJazzはハングリーさがある意味音楽に負荷をかけ、そこを乗り越えることにより表現に深みが加わる場合があります。むしろそこが不可欠な要素かも知れません。支援を受けて演奏活動を行うジャズミュージシャンに本当の表現が出来るのかどうか、僕自身は些か疑問に思っていたのですが、本作の素晴らしい演奏に触れ、目から鱗が落ちた感があります。このような深い音楽世界を構築できるのは、むしろ逆に経済的な安定があってこそなのではないだろうかと。「苦労は買ってでもしろ」とは遠い昔の話、経済支援があり、優れた音楽仲間が周囲に大勢いて良質のオーディエンスに自分たちの音楽を聴いて貰えれば、自ずと音楽性も深まって行くのではないかと考え始めています。

それでは演奏曲に触れていきましょう。1曲目FolmerのオリジナルOff the Beaten Tracks、素晴らしいファンク・ナンバーです!緻密にして独創的、大変凝った構成を持つ楽曲、カッコいいですね!何しろタイトルの意味が「常道を外れて、風変わりな」ですから!トランペットとテナーの2管によるアンサンブル、ハーモニーもグーです!テーマ時ピアノのバッキングがRamsey Lewis風を感じさせるのも面白いです。
作曲者本人も気に入っているようで、ライブで頻繁に取り上げています。しかもその都度アレンジを変えたり、メロディを付け加えたりと曲自体を成長させています。トランペット・ソロにエフェクターを施し、コーラスやハーモナイザーをかけてMichael BreckerのEWIソロ風のサウンドを聴かせる時もあります。
ソロの先発はMintzer、ゲストプレーヤーに花を持たせての切込隊長、期待に違わぬ熱いプレイを展開しますが、珍しく幾分タイムがラッシュ気味です。ソロ中にトランペットとのアンサンブルが入る構成はリスナーにとてもアピールしますが、ソロイストには難題です。はっきり言って落ち着いて演奏することが出来ないでしょう、このためにタイムが揺れ気味なのかも知れません。
リズムセクションのバッキングも実に適切、タイトにしてプッシュ感が心地よいです!途中トランペットによる8分の6拍子のゆったりとしたバンプ・メロディが入りますが、その背後でテナーはオブリガードを入れています。再びファンクのリズムとなり、第2回戦のテナーソロが始まり、気分一心でプレイに臨んでいるようです。
続いてFolmerのソロ、録音時32歳!音符のスピード感、そして拍に対する音符の位置が理想的です!そして実に軽々と、難易度高いインターバルのフレーズを吹きまくっているのは尋常ではありません!しかも一息のフレーズが長い!肺活量6,000cc以上はありそうです!物凄いテクニックを駆使してリズムセクションと一体化し、Folmerワールドを構築しています。Faraoの奇想天外なコンピング、Henocqの狙い澄ましたかの煽り方、Regardの変幻自在なアプローチ、レギュラーバンドならではのインタープレイです!ここでもソロ中に6/8拍子のバンプが入りますが、今度はMintzerがメロディを吹き、Folmerは唇を休ませるべくでしょう、オブリガードを入れずMintzerに一任しています。第2回戦のソロは更なる集中力を伴って一層の高みへ!その後のホーンのアンサンブルとドラムのトレード、いや、これまた凄い!Henocqはテクニシャンです!64分音符フレーズの嵐、ドラムセットはコンパクトな3点セットを駆使して、いとも容易く華麗なドラミング、彼はスタイルとしてTony Williamsからの影響を受けているようです。この時のライブ画像がYouTubeにアップされています。アドレスをクリックしてください。
https://www.youtube.com/watch?v=Lbl4ixNvSjU
その後ラストテーマを迎えますが、これだけの内容の演奏を経たにも関わらず、テンポが殆ど変わっていないことにも驚かされました。

2曲目Folmer作Fun Blues、セカンドライン風のリズムによるブルース・ナンバー、リフやコード進行も一捻り、いや二捻り効いています。先発Folmer、ソロ冒頭からリズムセクション、ターゲット・オン、キメています!ここでのプレイも猛烈です!縦横無尽に様々なアプローチ、多様な音使い、拍の取り方のバリエーション、恐れ入りました!短く纏めましたが才能とイメージ、創造力が炸裂しています!この演奏の後にソロを取るのは誰でもイヤでしょう(汗)、ですがMintzer果敢に挑んでいます。Folmerとは対照的にスペースを生かしつつ、知的なフレージングを重ね、音域のレンジを上げつつストーリーを展開します。
続くFaraoのピアノソロ、自由な発想に基づいて異次元空間にまで届きそうな演奏を聴かせます!タッチの素晴らしさ、グルーヴィーなタイム感は言うに及ばず、この人は1拍の長さがメチャクチャ長いですね!スタイル的にHancockやKeith Jarrettの影響も感じさせますが、独自のテイストを十分に聴かせます。途中ホーンのバックリフもお囃子的にあり、ラストテーマへ。エンディングは意外なコードでFineです。

Folmerは美しいラインのメロディ作りもお手の物です。3曲目ボサノバ・ナンバーSoothing Spirit、Faraoのフィルイン・ソロを生かしつつテーマが繰り返し演奏され、そのFaraoからスロー・スタートでソロが始まります。巧みなラインで雄大なスケールを感じさせながら曲の持つムードをいっそう高めます。ラストテーマ後はミュート・トランペットとテナーの掛け合いがしっとりと行われ、フェルマータです。この曲の構成もFolmerならではのスパイスが効いています。

4曲目はMintzer作のBop Boy、アップテンポのブルース・ナンバーです。リズムセクションがMintzerバンドに代わり、メンバーはp)Phil Markowitz, b)Jay Anderson, ds)John Riley
この曲は彼自身のアルバム2作にも収録されています。98年3月録音「Quality Time」02年2月録音「Bop Boy」

Quality Time
Bop Boy

こちらも超絶系テーマの難曲、でもFolmerには赤子の手を捻るも同然でしょうが(笑)。レギュラーグループのグルーヴを得て先発Mintzerがブロウしますが、絶好調ぶりを発揮しているのはAndersonのon topベースがバンドをしっかり牽引しているからに違いありません!続くピアノソロ、Markowitzもタイム感の良い、スイングするピアニストです。その後ドラマーRileyひとりを相手にテナー、トランペットがバトルを繰り広げます。メチャ盛り上がり、実にここぞ、と言うところでベース、ピアノが加わりラストテーマに突入です!

5曲目Absinthe MindedはFolmer作の抒情的バラード、冒頭トランペット、テナーでFaraoを相手にルパートで交互にメロディが奏でられます。Faraoのバッキング時の寄り添い方が巧みな事に感心してしまいます。その後ベース、ドラムが加わり、次第に2管でハーモニーによるメロディへ。先発ソロはMintzer、この人のバラードのセンスにはいつも感銘を受けますが、ここでも例外なく美の世界へと誘ってくれます。そしてトランペットのソロへ、テナーが間も無く割り入り、この頃よりリズム隊もグルーヴは16ビートに変わって行き、両者メロディとハーモニーで演奏し始めます。次第にピアノソロに入れ替わり、美しいタッチで端正な音符を繰り出すインプロヴィゼーションを聴かせながら、ドラマチックに音楽が展開し、ピアノソロは継続しつつ再び2管のアンサンブルが現れてラストへと向かいます。ユニークな構成にしてナチュラルさが心を打つ、聴いたことがない構成のバラード演奏です。Folmerの作曲、アレンジのセンスに乾杯!

6曲目Let’s Rendes-Vous !は50年代ハードバップの雰囲気を感じさせるマイナーのスイング・チューン。Horace SilverやBobby Timmons, Duke Jordanの作品に収録されていそうです!先発Folmerは自身の世界を目一杯表現し場を活性化させていますが、曲想にはあまり合致していないように思います。この手のナンバーでは曲の持つ枠組の中で如何に相応しいフレージングを作っていくか、様式美を発揮できるかがものを言うように感じます。またせっかくのハードバップ・テイストが光るナンバーなので、あの時代のトランペッターの雰囲気を多少匂わせても良かったのでは、少しだけでもニュアンスを感じさせれば楽曲の表現がさらに深まったのでは、と高望みしてしまうのは欲張り過ぎでしょうか(汗)
続くMintzerのプレイは巧みさはもちろん、曲に合致したフレーバーを聴かせます。この辺りはキャリアの違い、年の功と感じました。
その後のFaraoのソロの物凄いグルーヴ感と言ったら!表現すべきものが頭の中に満ちていて、確実なテクニックのもと、止めどもなく溢れ出るが如しです!ラストテーマを迎えますが、エンディングのラテンのリズムで聴かれるFaraoのバッキングのまたまた素晴らしいこと!Regardの堅実なサポートと相俟って、これは本格的ラテン・ピアノ奏者のグルーヴです!

7曲目再びMintzerリズムセクションでの演奏になるLe Chateau de Guillaumes、敢えてMintzerではなくFolmerのナンバーを取り上げました。ボレロのような、ルンバのようなリズムによるアンニュイなナンバー、「パリのエスプリ」とでも言うのでしょうか。テナーの脱力系メロディからミュート・トランペットでのメロディ、ピアノもリリカルな響きを聴かせます。ソロはミュート・トランペットから囁くが如く、憂いを感じさせながら行われ、いつの間にかピアノソロへ。情感たっぷりにスペースを生かしながらのフレージングは、細部にまでMarkowitz流の配慮、センスに満ちています。ラストテーマはテナー、ピアノ、ミュート・トランペット+テナーと分割されつつムーディに進行します。

8曲目Black Insideも良く練られた構成のナンバー、Folmerの作曲の才にまたまた敬服してしまいます。ゆっくりしたスイングから幾つかのきっかけを踏まえて倍テンポのアップ・スイングへ!ソロフォームとしては倍の長さのマイナーブルース、曲調には様々なテイストを感じますが、60年代のBlue Note labelのサウンドが聴こえてきます。HenocqのシンバルレガートがTony Williamsを感じさせる事も一つの要因、Regardのドラムへの寄り添い方もRon Carterを彷彿とさせ、FaraoのHancock流バッキングがさらに追い討ちをかけています。
先発Folmer、クールに狙い定めてリズムセクションを鋭く啓発し、インタープレイを促しています。応える側も実に適切で、まさしく撃てば響く状態です!続くMintzerは曲調に相応しく、持ち味のユダヤ的ダークな音色を駆使して、アグレッシヴに攻めています。Faraoのプレイは水を得た魚のごとく、幾つもの引き出しを自在に開け閉め、内容物の出し入れを確実に行い、更にはあたかも手品師のように観客の目前で一瞬にして別な収容物に変化させてみたりと、聴衆は呆気に取られるわ、大興奮で大騒ぎ状態!素晴らし過ぎです!
ラストテーマへは何事もなかったように半分のテンポに戻り、大団円です。

jazz/music 

2020.12.15 Tue

Pure Getz / Stan Getz

今回も引き続きStan Getz、彼のリーダー作82年録音「Pure Getz」を取り上げたいと思います。前回取り上げた「Blue Skies」の兄弟格アルバム、そちらが静とすれば本作は動の表現と言えましょう。

Recorded: January 29 and February 5, 1982
Studio: Coast Recorders, San Francisco, California and Soundmixers, New York City
Producer: Carl Jefferson
Label: Concord Jazz

ts)Stan Getz p)Jim McNeely b)Marc Johnson ds)Billy Hart(on3, 5 & 6), Victor Lewis(on1, 2, 4 & 7)

1)On the Up and Up 2)Blood Count 3)Very Early 4)Sippin’ at Bell’s 5)I Wish I Knew 6)Come Rain or Come Shine 7)Tempus Fugit
Recorded at Coast Recorders, San Francisco, California on January 29, 1982 (tracks 3, 5 & 6)and Soundmixers, New York City on February 5, 1982 (tracks 1, 2, 4 & 7)

Stan Getzカルテット・Concordレーベル4部作の1枚、有無を言わさない出来映えにGetzのファン、いや彼の名を知る者ならば本作の素晴らしさを胸を張って言うことが許されます。膨大な数の作品をリリースしているGetz、代表作、名盤の枚数も数え切れないほどですが、その中でも本作が上位に位置するのは間違いありません。そしてこの事は彼が何度目かのピークを迎えたことの証でもあります。

Getzは自己のカルテット演奏において、ピアニストを中核としているように感じます。ドラマー、ベーシストも勿論大切ですが、比重のかかり具合としてピアノ奏者との関係がとりわけ重要であると思います。楽曲のサウンド作りやコード感、バッキング、当然アドリブソロもですが、そこからGetz自身のプレイにどれだけインスパイア、刺激を与えることが出来るかが、ピアニストに課されています。数多くのピアノ奏者がカルテットに去来しましたが、彼らの奏でるサウンドによりGetzのプレイも変化しているように聴こえます。
そしてオリジナルを書くピアノ奏者の場合、積極的にその楽曲を取り上げています。本作でも印象的な冒頭曲がピアニストJim McNeelyのオリジナルに該当し、兄弟作「Blue Skies」にも1曲アップテンポの佳曲が収録されています。
Getzは作曲やアレンジを全くと言って良いほど行わず、演奏材料としてスタンダード・ナンバーをメインとしての音楽活動、言ってみればいちテナーサックス演奏者として生涯を過ごしました。他の多くのテナー奏者がオリジナル曲やアレンジとのカップリングを演奏活動の原点としているのに対し、テナーサックス・プレイのみでジャズシーンをとことん駆け抜けたのは他にStanley Turrentine以外存在を知りません(彼の場合1曲Sugarの大ヒットがありますが)。Sonny Rollins, John Coltrane, Wayne Shorter, Joe Henderson…たちのプレイはオリジナル曲演奏とは切っても切り離せない関係を築き上げています。
Getzのスタンダード・ナンバーへのアプローチの多彩さ、レベルの高さ、表現力の豊かさは他のサックス奏者とは格が違うように思います。楽曲を書かなかったからプレイのレベルが高まり、洗練されていったのか、演奏にひたすら集中すべく敢えて作曲活動を控えていたのか、単に作曲に興味がなかっただけなのかも知れませんが、いずれにせよスタンダード・ナンバーを吹かせれば右に出る者は存在しません。でもいくらスタンダードが星の数ほどあるとは言っても、自身の演奏には時々窓を開けて空気を入れ替える、新風を巻き込む時も必要です。それがピアニストの書いたナンバーに該当するのでしょう。
これらのオリジナルに対する演奏技法、解釈、メロディの吹き方、アドリブにもGetz流の美学が貫徹され、恐らくこれ以上楽曲に相応しいプレイは考えられないと言う次元で、常に演奏されているのが驚きです。作曲者である各々のピアニストはその人数だけ作風、カラー、個性があります。Getz色にオリジナルを染めてはいますが、決して単色ではなくコンポーザーのコンセプトや主張を汲み、グラデーションを施し、深遠な美の世界を表現しています。このことは作曲者自身が最も驚いているのではないでしょうか。「自分の曲がこんなに素晴らしく仕上がるなんて!さすがStan!」の様な発言が多々あったとイメージ出来ます。
それにしてもメロディ奏に対する抜群のセンスを一体どの様に磨きをかけていったのでしょう?40, 50年代初期のプレイからを紐解き始め、段々と時代を経ながらGetzの演奏を聴き比べると、その進歩や変化の度合いを理解することが出来ます。
プレーヤーはある時突然開眼し、急成長を遂げる場合もありますが、粗方は少しづつ、着実に、段階を経て、共演者から学ぶ場合も多々ありつつ成長し続け、経験し、演奏を継続する事によりジャズミュージシャンとして成熟して行きます。Getzの絶え間のない変遷はプレーヤーとして理想的な上昇カーヴを描いていると思います。幾つかのターニングポイントがありますが、特筆すべきはBossa Novaを演奏するようになってからで、一皮剥け、垢抜けたように感じます。

以下にGetzの作品と参加ピアニストについて、主要なアルバムをざっと挙げてみました。ピアニスト作曲のナンバーが重要な作品が幾つかあります。
1949, 50年「Prezervation」Al Haig
52年「Stan Getz Plays」Duke Jordan, Jimmy Rowles
55年「West Coast Jazz」Lou Levy
55年「Stan Getz in Stockholm」Bengt Hallberg
56年「The Steamer」Lou Levy
57年「Award Winner」Lou Levy
60年「Stan Getz at Large」Jan Johansson
63年「Reflections」Gary Burton(vibraphone)
66年「The Stan Getz Quartet in Paris」Gary Burton(vibraphone)
66年「Voices」Herbie Hancock
67年「Sweet Rain」Chick Corea
68年「What the World Needs Now」Chick Corea, Herbie Hancock
69年「The Song Is You」Stanley Cowell
72年「Captain Marvel」 Chick Corea
75年「My Foolish Heart」Richie Beirach
75年「The Peacocks」Jimmy Rowles
75年「The Master」Albert Dailey
77年「Live at Montmartre」Joanne Brackeen
81年「The Dolphin」「Spring Is Here」Lou Levy
81年「Billy Highstreet Samba」Mitchel Forman
82年「Pure Getz」「 Blue Skies」Jim McNeely
83年「Poetry」Albert Dailey
86年「Voyage」Kenny Barron
91年「People Time」Kenny Barron

それでは収録曲について触れて行きましょう。1曲目McNeelyのオリジナルOn the Up and Up、印象的なピアノパターンを伴ったイントロからスタート、テナーのフィルイン後テーマに入ります。リズムはサンバ、これは!素晴らしい!聴く者の心を鷲掴みにするかの名曲です!コード進行、メロディとリズムのシンコペーションの妙、独自なカラーを持つユニークなナンバー、リズムセクションの躍動感も加わりGetzの新たなる表現の呼び水となり得ます。ソロはそのGetzから、出だしのフレージングからしてサムシング・ニューを感じさせます。複雑で多くの転調を伴ったコード進行、場面展開を物ともせず、むしろ逆風に対して立ち向かうチャレンジャーとして、前人未到の高山への登頂をするかの如く果敢に演奏に挑んでいます。そして神は細部に宿るとばかりに繊細に、コードチェンジやリズムのシカケをスラローム状に通り抜けながら大胆にアドリブを行なっています。ピアノトリオとのコンビネーションも申し分ありません!続くピアノソロ、コンポーザーとしてのイメージを存分に込めながら快調に進めます。幾分力が入り過ぎたのか、リズムがラッシュする場面もありますが的確なピアノタッチでスインガー振りを聴かせます。その後のベースソロの流麗さも実に特筆すべきで、達人の領域を見せつけるが如しです。ラストテーマを迎えエンディングとなりますが、ここでは比較的シンプルな構成、壮大な楽曲だけに個人的にはもう一捻りあると、曲の解決感がより成立すると感じています。

2曲目ドラマチックまでに美しいバラードBlood Count(血球算定)はBilly Strayhornの作曲、Duke Ellington楽団の名リードアルト奏者Johnny Hodgesのために書かれた曲で、67年5月に51歳の若さで夭逝したStrayhornが入院中最後に仕上げたナンバーです。McNeelyがレコーディング時にGetzのために用意しましたが、Getz自身はEllington楽団feat. Hodgesの演奏があることは知りませんでした。Getzの伝記にはこう書かれています。「ジム・マクニーリーがそれを僕のところに持ってきたんだ…..レコードに入っているのは、ぼくがその曲を最初に吹いたテイクだよ。ときには第一印象が最良なんだ。」ファーストテイクでOKだったと言う事でしょう、1コーラステーマ演奏しているだけですが、Getz流のニュアンス、アーティキュレーション、多様なビブラートが存分に聴かれる上に、いつになく音量の強弱が大胆に施され、特にバラードでこれほどのフォルテシモ表現はGetz音楽史上ありません。楽曲の持つ哀感や切なさを感情に流されることなく実に大胆に表現しています。Getzは新境地をこのテイクで切り開きました!

3曲目Very EarlyはBill Evansのワルツナンバー、巧みなコード進行とメロディの妙が合わさった佳曲です。GetzとEvansの共演作が2枚ありますがいずれも両者あまり噛み合っていない様に感じます。白人クール・ジャズの両巨頭ですが妙な自意識が互いに働いたのか、Getzに関して例えば60年3月DusseldorfでのJ.A.T.P.コンサート時のColtraneとの共演のような横綱相撲とは相成りませんでした。

64年作品Stan Getz & Bill Evans
74年作品But Beautiful

イントロに引き続きスイートさが堪らないメロディプレイ、とことん脱力感を湛えながらメロディとその間を慈しむかのように、豊富な付帯音を伴って演奏しているのが伝わります。それにしても良い曲ですね!ソロの先発はベース、迷いのないクリアーなメッセージを感じさせる演奏はさすがBill Evans Trio在籍経験者です!Billy Hartのブラシワークも絶妙なカラーリングを聴かせています。ピアノソロは巧みなコードワークが印象的でリリカル、McNeelyは独自でバラエティに富んだサウンドが頭の中で鳴っているのでしょう、自身のオリジナルの曲想と相俟ってそのように感じさせます。Hartのシンバルが好サポートを聴かせつつGetzのソロへ、メロディを大切にしながらスタートする様は風格をも感じさせ、その後のアドリブの展開に期待感を抱かせますが、3人目のソロイストと言う事でしょう、比較的コンパクトにまとめた感がありラストテーマへ。以降はMcNeelyのアレンジと推測できますが、フェルマータから1拍づつコードを奏で、ドラマチックに、曲の終了を惜しむかのように、デリケートにエンディングを迎えます。

4曲目Sippin’ at Bell’sはMiles Davisのオリジナル、変型のブルースです。テーマ・メロディはテナーとベースのユニゾン、ドラムがサポートしますがピアノの伴奏はなされていません。こちらもベースソロからスタート、Victor Lewisが叩くハイハット・シンバルやシンバル・スタンド?のレガートが効果的です。未だピアノのバッキングは登場しませんがその後のテナーソロではベースとの絡み具合、テーマ奏がユニゾンだった事に起因するからでしょう、互いのフレーズを聴き合い反応するcall & responseが堪りません!ここぞと言うところでドラムのフィルインに導かれ、ピアノが加わりますが、良き構成です。総じて豊かなニュアンスを伴った歌うが如きソロを展開しています。続くピアノソロはGetzの提示した世界とは別なサウンドをトライしたのでしょうか、いささか力が入った感を否めません。続くドラムソロは金物のみを用いたシンプルなもの、ラストテーマへの上手いジョイントとなりました。

5曲目スタンダード・ナンバーI Wish I Knewは、Coltraneの作品60年録音「Coltrane’s Sound」収録のBody & Soul風ペダルトーンを用いた、ムーディなイントロから始まります。

Coltrane’s Sound

ここでのGetzのメロディ・プレイも実に脱力し、サウンドに身を委ねているとそのまま蕩けてしまいそうなほどです!続くソロもたっぷりとしたレイドバック感がゴージャス極まりなく、蕩け具合に更なる追い討ちをかけています。続くピアノソロはここでのリーダーの意向を汲み、挑みかかるよりも脱力の方を表現して欲しかったです。一方Johnsonのバッキング、on top振りと躍動感が半端なく、バンドを活性化させています。ベースソロもテクニカルでいて、しっかりと唄を感じさせる地に足がついたプレイです。ラストテーマのGetzはますます力の抜けたメロディ奏を聴かせてFineです。

6曲目Come Rain or Come Shine、テーマはHartのブラシが倍テンポを感じさせるグルーヴでテーマが始まります。その後ダブルタイム・フィールでテナーのソロ開始、曲の持つ切なさををBlood Countを彷彿とさせるダイナミクスを用いてブロウ、トリオも歩調を合わせて伴奏をつとめます。McNeelyのソロは表現としてややtoo muchな傾向がありますが、ここでは他の曲より抑制の効いた演奏を聴かせます。Johnsonのソロは常に肩肘張ることなくリラックスして自分の世界を築き上げています。ラストテーマはオクターヴ上げた音域で朗々と、時折シャウトを交えて華やかにプレイしています。

7曲目Bud PowellのオリジナルTempus Fugit、本作中最速のナンバーとしてバンド一丸となって迫力ある演奏を聴かせます。タイトルはラテン語で意味は「光陰矢の如し」、Powell自身の演奏は49年録音の名盤「Jazz Giant」に収録されています。こちらは鬼気迫る迫力とスピード感に満ちた演奏で、Powellの代表的なプレイの一つだと思います。

Jazz Giant / Bud Powell


本作ではオリジナルよりも幾分早いテンポ設定、Johnson, Lewisのリズムセクションは安定したドライブ感を繰り出しています。
まずは難解なリフから成るイントロ、ピアノとテナーのユニゾンで開始、テーマに入るとピアノはバッキングにまわり、テナーがメロディを演奏しますが難易度マックスのラインを完璧に吹いています。つくづくGetzは楽器が上手いプレイヤーだと再認識させられ、ラインがくっきりと浮き上がったことで曲の持つ魅力にも新たな発見があります。
ソロの先発はMcNeely、淀みないフレージングがとどまる事を知りませんが、タイム感がかなりツッコミ気味で音符に余裕がないのが気になるところです。Getzが採用するピアニストは例外なくタイムとグルーヴ感が素晴らしい筈なのですが、McNeelyに関しては異なるようです。楽曲のカラーリング、Getzのソロのバッキングには良い味を出しているのですが、彼は音楽監督的な立場でも作品に臨み、選曲やアレンジ、曲構成までGetzに助言していたように感じます。だからと言ってピアノプレイがなおざりでも良いと言う訳ではありませんが、全て込みでのStan Getz Quartet参加と言うことで、ソロに関してはある程度許容されていたと解釈すればまだ納得が行きます。
続くGetzのソロ、演奏としては高水準の内容なのですが、本作収録曲のテイクと比べると何処かよそよそしさを感じさせます。何かに拘っているかのようで、いつものスポンテニアスさが希薄に聴こえます。推測するに、少なくとも瑞々しさ湛えたファーストテイクではなく、2度目以降のテイクではないかと。例えばGetz含めたメンバーのソロが良い演奏なのだけれど、残念ながらテーマに許容範囲を超えたレベルでのミスがあり(難曲ですから然もありなん)、やむなくテイクを重ねるに至り、大熱演の直後に行われた演奏なので燃え尽き症候群的に演奏を消化してしまったと。
本テイクはメンバー全員のソロを聴くことが出来ますが、そう考えると他のソロも何処となく慎重さを感じ、破綻をきたさないようリミッターをかけた如しでの頭打ち感もあります。もしかしたらプロデューサー側のイントロ、テーマのアンサンブルのクオリティを重視した結果なのかも知れません。

jazz/music 

2020.12.04 Fri

Blue Skies / Stan Getz

今回は1982年1月録音Stan Getzのリーダー作「Blue Skies」を取り上げてみましょう。当時のレギュラーメンバーによる演奏を収録した、バラードが中心の秀逸な作品、録音から13年後の95年にリリースされました。Getzの素晴らしい音色が堪りません。

Recorded: January 1982 at Coast Recorders, San Francisco, California. Producer: Carl Jefferson and Steve Getz Label: Concord

ts)Stan Getz p)Jim McNeely b)Marc Johnson ds)Billy Hart

1)Spring Is Here 2)Antigny 3)Easy Living 4)There We Go 5)Blue Skies 6)How Long Has This Been Going on?

Stan Getzは40年代から演奏活動を始め、当初から後年に通じる一貫した個性を発揮していました。ハスキーで付帯音が豊富な音色、内省的で陰影に富み、知的センスに溢れる独自なフレージング、抜群のタイム感。50年代は欧州に滞在し見聞を広めた事でプレイに深みが加わり、60年代はBossa Novaムーヴメントの旗頭として表現力に豊かさを身に付け、70年代は確固たる地位を確立しつつ一層の研鑽を重ね、80年代には凄みを覚えるほどの音色の太さと多彩さ、更なる表現の説得力を得て、カルテットの作品を中心に名盤を産出し続けました。Cool Sound, Bossa Novaのイメージが強いGetzのプレイですが、生涯を通じジャズプレーヤーとして常に進化し続け、クリエイティヴに自己の音楽を構築し、変化して行った姿勢には同じテナー奏者としてひたすら敬服してしまいます。ドラッグや過度の飲酒行為による自己破綻から家族や周囲にはかなりの迷惑をかけた事以外は(笑)。
本作の演奏は言うに及ばず、選曲の良さ、何より誰にも真似の出来ないテナー・トーンの魅力に溢れています。

リリース元のConcordレーベルから、カルテット・アルバムが本作を含め計4枚発表されています。81年5月12日San FranciscoにあるジャズクラブKeystone Kornerにてライブ録音された2作「The Dolphin」「Spring Is Here」、そして本作と同じメンバーでの82年1, 2月録音「Pure Getz」、全てレーベルのカラーを反映した「大人のリラクゼーション」を存分に感じさせる仕上がりの、秀作ばかりです。録音の良さも特筆する事が出来ます。

The Dolphin
Spring Is Here
Pure Getz

91年Getzの没前後にKeystone Kornerにて録音されたテープが見つかりました。調べてみるとこれはGetz自身が商品化の価値はないと判断したものでしたが、内容の素晴らしさから翌年(彼の逝去後)「Spring Is Here」としてリリースされました。恐らく「The Dolphin」録音の際の残りテイクと考えられますが、自分の音楽に対して誰よりも厳しいGetzが録音当時ボツと判断したのでしょう、しかし「The Dolphin」と同日の録音であれば悪かろうわけがありません。ちなみに英国の音楽誌Jazz Journalで「Spring Is Here」は92年度の「レコード・オブ・ザ・イヤー」を獲得しました。
また本作「Blue Skies」はどこにも明記されていませんが「Pure Getz」と同日録音の残りテイクである可能性が高いのです。もしくは当時Getz以下レコーディング・メンバーはSan FranciscoにあるHyatt Union Square Hotel内ジャズクラブReflectionsのオープニング・アクトに、1月18日から2週間出演していました。その最終日1月30日に「Pure Getz」が録音されたのですが、ひょっとしたら出演中のいずれかの日にもう1日レコーディングが設けられていたのかも知れません。というのはGetzの伝記「音楽を生きる」にはレコーディング当日ではアルバム完成に至らなかった、と記述されています。Billy Hart以外のメンバー3人が翌日New Yorkに発つ事になっていて、Victor Lewisをドラマーに迎えて同地でギグを遂行することになっていたからです。レーベル・プロデューサーCarl JeffersonはドラマーにLewisを迎えて作品の残りを東海岸で仕上げる方向で対処したので、西海岸録音は曲数的に不足していたと考えられます。あるいはこうも推測できますが、レコード1枚分のボリュームがある「Blue Skies」は当日録音してはみたものの、「Pure Getz」とはコンセプトが異なる曲想のナンバーばかりなので、Getz自身がここでも厳しくボツと判断しお蔵入りさせたのだと。ですが、むしろ本作はバラードを中心とし、アップテンポのオリジナルがポイントとなった、Concord4部作の中で最も選曲と演奏のバランスが取れているように感じます。本作ライナーノートにプロデューサーでGetzの息子でもあるSteveが、同意見を寄稿しています:In my opinion, this album is the finest of the Concord releases. There is a pristine, flowing quality to the music.

それでは収録曲に触れて行きましょう。1曲目Spring Is Here、冒頭から飛び込んでくるGetzの素晴らしいトーン!不純物を一切含まないGetzのエッセンスだけが浸透圧により体内に取り込まれるが如く、また真夏の乾いた肉体に水分が極自然に吸収されるように、あまりにも当たり前にテナーサックスの音色が耳に入って来るのが分かります。何という魅力的で色気のあるサウンドでしょう!彼の音色はデビュー当時からオリジナルでしたが、時を経て音楽経験の積み重ね、鍛錬の賜物により一層Getzらしさが突出して来ました。それはサウンドのイメージがより明確になった事に由来するでしょうし、サックスの奏法自体が洗練され楽器自体の鳴らし方に変化が生じる事も不可欠、マウスピース、リードの選択にも不断の努力が必要です。ただ漫然と構えていても自分の求める音色を得ることが不可能なのは、サックス奏者の自明の理です。
「朗々と唄い上げる」という言い回しが全く相応しいプレイは多種多様なビブラート、ニュアンス、アーティキュレーション付け、音量の大小によるダイナミクス、言ってみれば「シュワーッ」と発音されるべき付帯音の誰よりも豊富な度合い、まるで全く別なふたつの音が同時に鳴っているかのような複雑な発音、彼のトーンを模して付けられたニックネームがタイトルの56年作品「The Steamer」は、言い得て妙です。

The Steamer

かのRoland Kirkは2本、更には3本のサックスを同時に咥えての一人アンサンブルを聴かせました。ホンカー・サックス奏者はサックスの音の他に唸り声をブレンドさせ、効果的な音色を披露していました。Lester Young, Stanley Turrentine然り、Ben Webster, Sonny Rollins, John Coltrane, 70年代のSteve Grossman…如何に楽器から魅力的かつバランスの取れた複雑な音色を発生させるかにサックス、歴代のテナー奏者は鎬を削って来ました。間違いなくここでのGetzの音色はその究極の一つに挙げられます。
伴奏を務めるJim McNeely, Mac Johnson, Billy Hartの無駄のない、的確なサポートがGetzの神の音をさらにバックアップしています。テナーの抑揚にリンクし、ピアニシモからフォルテまで巧みにフォローする様は感動的でもあります。Hartのブラシワークの多彩さ、Johnsonの安定感、そしてMcNeelyのバッキングにおけるコード付けが大変センシティブです。そのMcNeelyのソロに続きますが途中Johnsonの大胆なアプローチ、Hartのブラシをそのまま用いた倍テンポのグルーヴ、ラストテーマはGetzプレイせずに何とMcNeelyのピアノ・テーマ奏、良きところでフェルマータし、cadenza、そしてFineを迎えますがこの捻りが演奏に更なる価値を付加しました。

2曲目はJohnsonのオリジナル・バラードAntigny。ミステリアスな雰囲気を湛えた美しいナンバーはGetzのムードと良く合致しています。北欧や東欧の色合いを曲想に感じるので、Getzのルーツにオーヴァーラップするからかも知れません。前曲のアプローチとは全く異なるテナー・プレイ、自ずとトリオのバッキングも異なります。演奏のファクターとなるのは作曲者Johnsonのベースによるペダル・ポイント、フローティングなサウンドを提供しています。McNeelyのソロに続きますがここでもHartのブラシワークの素晴らしさが光ります。ピアノソロは内容的にはとてもユニークなカラーを見せていますが、幾分リズムのノリが硬く聴こえるのが残念です。ラストテーマを今回はGetzが奏で、淡々とした雰囲気でFineです。バラード演奏が続いてもGetzのプレイですから、飽きることなく寧ろ2曲の対比を楽しむ事が出来ます。

3曲目Easy Living、こちらもバラードなので3曲連続のスロー・ナンバー演奏、ピアノのイントロに導かれてGetzのメロディが始まります。幾分早めのテンポ設定、ムーディな演奏は前2曲とはまた異なったテイストを聴かせます。Getzのアプローチも比べてみればオーソドックスで、曲調もありますがブライトさを感じさせます。メロディフェイク、フィルイン、ビブラートの妙、ブレーク部分での8分音符のゴージャスなバウンス感、そして全ての音に対し責任感を感じさせる入魂ぶり、しかしゆったりとリラックスした余裕を見せるブロウはとどのつまり、曲想に見事にマッチしたGetzの美学をこれでもか、と聴かせているのです。ピアノソロ後、ベースも流麗でメロディアスなソロを取り、ラストテーマへ、Getzのcadenzaにピアノをはじめリズム隊が美しく絡み、Fineです。

4曲目はMcNeelyのオリジナル、アップテンポのスイング・ナンバーThere We Go。実にカッコいい曲です!曲構成も凝っていますが、音楽的なナチュラルさが全体を支配しています。聴きどころ満載状態、しかもこれまで3曲がスロー・ナンバーだったので早いテンポが耳にも大変心地よいです。Getzのソロから開始、素晴らしいタイム感を武器に、スインギーに、スリリングにソロを展開させます。難しいコード進行を難なく、この人には苦手なコード進行は存在しないだろうとまで思わせる巧みなコード分解、解釈を提示しています。続くMcNeelyのソロにあと少しタイムの余裕があれば申し分ありません!華麗なJohnsonのソロの後ラストテーマへ、曲のカラーリング担当Hartのドラミングがここでも冴えています。

5曲目Blue Skies、ピアノのスイング風のイントロに続き、Getzの煙るが如きスモーキーな付帯音メロディ奏開始、ゆったりとしたテンポ設定なのでバラードに準じる演奏と認識できます。多くのボーカリストにも取り上げられているミュージカルナンバー、Thelonious Monkがこのコード進行を基にIn Walked Budを書いています。蕩けてしまいそうに魅力的なテーマ、伴奏が寸分の隙もなく合わさり、うっとりと夢心地に導いてくれる演奏です。表題曲に相応しいゴージャスなプレイはこの曲の代表的なテイクになりました。
一音たりとも聴き逃さないと張っているが如き、メンバー一触即発でGetzのプレイに対応しています。大変良いコンビネーションのカルテット、同メンバーによる「Pure Getz」も素晴らしい出来栄えの作品です。

6曲目How Long Has This Been Going on?もバラード演奏です。本作4曲目がアップテンポのナンバーですが、Coltraneの代表作「Ballads」もバラード演奏だけでなく、1曲ラテンとスイングを織り交ぜた早いテンポのAll or Nothing at Allを収録する事により、バランスをはかっているように感じます。本作も同じ構成の選曲、配置なので、Getz版「Ballads」と相成りました。内容の素晴らしさから両者十分に比較し得ることの出来る、彼の諸作中もっと認知されて良いアルバムだと思います。

John Coltrane / Ballads

ピアノのイントロから始まり、Getzの確信に満ちたメロディが登場、世界が一新します。ピアノトリオは早い時期から倍テンポを匂わせつつ、リーダーが奏でる美の世界創造のサポートを行います。ここでのプレイもまた曲調に相応しいプレイを展開し、他曲とは違ったテイストを聴かせています。
Coltraneのバラード奏は比較的単色としての表現、しかしその色合いの深さは計り知れないものがありますが、曲想によりイメージを変えたり吹き方を変化させることは最小限に留まります。一方Getzは対照的に変幻自在に曲のムードに入り込み、楽曲という枠組みを最大限に活かしつつ、再構築して行くタイプのプレーヤーと言えましょう。

2020.11

jazz/music 

2020.11.27 Fri

Three Quartets / Chick Corea

今回はChick Coreaの81年作品「Three Quartets」を取り上げたいと思います。前回取り上げた「Friends」でのフロントがJoe FarrellからMichael Breckerに変わり、バンドとしてのコンセプトが明確化、精鋭プレーヤー4人の高度な音楽性による一体感が堪りません。

Recorded: January/February 1981 at Mad Hatter Studio Los Angels, California Label: Stretch Records Producer: Chick Corea

p)Chick Corea ts)Michael Brecker b)Eddie Gomez ds)Steve Gadd

1)Quartet No. 1 2)Quartet No. 3 3)Quartet No. 2 – Part I (dedicated to Duke Ellington) 4)Quartet No. 2 – Part II (dedicated to John Coltrane) 5)Folk Song 6)Hairy Canary 7)Slippery When Wet 8)Confirmation

Three Quartetsは全曲Coreaのオリジナルから成り、タイトルの由来はバロック、クラシック、ロマン派、印象派に於けるストリングス・カルテットのような、ここではジャズの器楽編成による3部作を演奏する、四重奏のアルバムを作りたかったことに由来します。
前作Friendsの編成も4人でしたが、その四重奏は言わばトリオ+ワンというシチュエーションでした。今回の4人組は複雑な形状のパズルが合致した如く、間違いなく4者にしか出来ない音楽となっています。
1曲目から4曲目がレコード・リリース時の収録曲、5曲目から8曲目が92年CDリリース時にボーナストラックとして追加された未発表テイクです。アルバムのコンセプトからすると収録には相応しくないナンバーですが、内容的には素晴らしい演奏も含まれています。等Blogでは追加テイクに関して基本的に除外していますが、本作では触れて行きたいと思います。

Steve Gaddの4ビート〜スイングのリズムでのプレイは当時全く画期的なものでした。これを車輪と車軸の関係のように確実にフォローするEddie Gomezのベース・ワークとのコンビネーションはアルバム「The Mad Hatter」でのHumpty Dumpty、そして同一メンバーによるフルアルバム「Friends」、バンドStepsの諸作、そして本作の演奏でセンセーショナルに広まり、以降のジャズシーン、ドラマー、リズムセクションに多大な影響を与えました。結果多くのフォロワーを生み出しましたが、元祖Gaddのグルーヴ、スイング感、アイデア、カラーリングのセンス、集中力、何よりそのフレッシュさから未だ他の追従を許していません。当時「あのドラミングはジャズではない」「メカニカルなドラミング」更には「フュージョンの成れの果て」とまで揶揄されましたが、人から何を言われようと自分の信じる道を貫けば良いのです。他方「Gaddの4ビートはスイングしていない」という批評もありましたが、これはある意味では的を得ています。と言うのは基本イーヴン8分音符でのシンバルレガートをメインに、アクセント的にバウンスするレガートを叩いていますから、3連符がベースになるスイング感とは一線を画しているためです。Ellingtonの名曲「スイングしなけりゃ意味が無い」のスイングと、Gaddの4ビートプレイでのスイング感、またリズム、グルーヴの形態としてのスイング、言葉が幾つかの異なった意味を持つ事を再認識しました。周囲がGaddのドラミングを理解することが出来ず、異端扱いを受け、あたかも排除するかのような対応をされた事から、寧ろGaddの演奏の革新性を十分に感じることも出来ました。

Eddie Gomezのベースワークは足掛け11年にも及ぶ名ピアニストBill Evansとの共演で培われたハーモニー感、タイム感、加えてEvans Trioに幾多のドラマーが去来しましたが、各々の奏者たちが繰り出す個性的で微妙に異なるグルーヴのポイントへの対応法を、共演により獲得しました。Gomezはリーダー活動も行なっていますが、生涯一伴奏者としての徹底した姿勢を示しているように感じ、Gaddとの共演はどんなタイプのドラマーとも変幻自在に音楽を創造していく事の出来る柔軟性の中でも、とりわけ彼にとってフェイバリットなコンビネーションを示していると思います。
98年のGomezリーダー作「Dedication」では盟友フルート奏者Jeremy Steig他、レジェンド・ドラマーJimmy Cobb(!)を迎え、日本国内でもツアーを行いました。Gadd, Cobb二人の全く異なるドラミングに完璧に適応できるカメレオンぶりは技術力というよりも、彼自身の演奏スタイルの表出と呼ぶ事が出来そうです。

Eddie Gomez / Dedication

81年録音当時のMichael Brecker、テナーサックスのテクニカルな面で彼の右に出るものはいませんでした。音楽的な深みや成熟度は後年に任せるとして、Corea, Gadd, Gomezの3人に加えて然るべきテナー奏者はMichael以外に考えられません。テナーサックス・プレイに関して驚異的な進歩、成長を70年代中頃から常に感じさせた彼ですが、リズム、タイム感に関してはいつも課題があった様です。特にスイング(ここでは4ビートの事です)に於ける、より深みのあるノリ、グルーヴ、音符(1拍)の長さを模索し探究し続けていました。フロント楽器奏者によるジャズ表現で、ここが最も難所のひとつであると思いますが、リズム・マスターの一人であるCoreaは間違いなくMichaelにとって憧れのプレーヤー、mentor、レコードを通し彼の完璧なタイム感からすでに多くを学び取っていたでしょうが、実際に共演となると話は違います。彼からのオファーで作品に迎え入れられた事は天にも昇る心地だったでしょう。当然レコーディング時にはプレッシャーもかかります。本作でのプレイは緻密にして大胆、微に入り細に入り申し分のない演奏を聴かせていますが、どこかいつもよりも緊張気味、ピリピリとした刺さる雰囲気を感じます。逆にCorea, Gadd, Gomez3人の包容力がMichaelのナーバスさを巧みにカバーしてサポート、バンドとしての一体感を作り出している点も、この作品の価値を高めている一つだと思います。そしてここでのCoreaとの共演により、タイム感、グルーヴ、コンボ・アンサンブルのノウハウ(本作収録曲は実に複雑にして入り組んだ構成から成り立っています)、構成力などを身につけ、Michaelは更なる高みに向けてステップアップしていく事になります。

それでは収録曲について触れて行きましょう。1曲目Quartet No. 1、いや〜何という凄い曲でしょうか!幾度となく耳にしましたがその都度新鮮さを感じさせ、聴く度に新たな発見がある楽曲、演奏です。組曲風の構成から成る、様々な場面、カラーを持ち、幾つものパートが有機的に絡み合い、各々を触発し合って、纏まりを得ているかの様です。何より特筆すべきはメンバー全員のアンサンブル能力の高さです。スタジオミュージシャンでも大活躍のメンバーなので当然のことですが、超難曲以外の何ものでもない、あまりに高次元で成り立っている楽曲の演奏をキープさせるだけでも至難の技ですが、さらに抑揚、フィルイン、メロディやキメを浮き上がらせるための巧みな色添、全てを同時進行でしかも完璧さを伴って成立させています。
第一楽章とも言うべき3拍子のイーヴン系リズムのパートではピアノに先導され、Gaddがあり得ないほどのセンスを持って、スペースをフィルインで埋めて行きますが、見事としか言いようがありません!Michaelによるテーマが登場、同様にカラーリングが素晴らしく、メロディがバーチカルに浮き立ちます。ソロがスタート、G7のワンコードを基調としていますが、実は「何でもアリ」の世界です。スペースを保ちつつ、次第にビルドアップして行きます。Corea, Gaddの対応が前作「Friends」でのJoe Farrell時と全く異なり、凄まじさを伴っており、そこではCorea vs Gaddのインタープレイ特集でありましたが、ここではMichael流ストーリーテラーによる巧みなソロの起承転結に、三つ巴ならぬ4者四つ巴で至極自然にインスパイアされ、レスポンスを繰り返しています。John Coltraneの音楽の変遷〜誕生、成長、成熟、円熟、崩壊、消滅にオーヴァーラップするが如きアドリブの展開は技のデパート状態でもあります。64分音符(!)、シーツオブサウンド、オーヴァートーンによるライン、巧みなフラジオ音とそのトリル、マルチフォニックス音、これらに追従、そして扇動しまくるリズムセクションです!その後Gaddのスネアロールが印象的なアンサンブル第一楽章Part 2を経て、静寂が訪れますがここからは第二楽章Part 1と言えましょう、ピアノのリリカルなメロディを今度はベースが奏で、そのままベースのソロに引き続きます。超絶にして耽美的、その後Coreaのソロに移り、ブラシに持ち替えていたGaddが触発され次第に音数が多くなり、第二楽章Part 2、場面がどんどん活性化されます。Coreaのメロディを受け継ぎ、テナーとベースのユニゾンによるメロディ、ダ・カーポして第一楽章に戻り、あらゆるキメ事を難なく120%のクオリティで演奏し、Fineを迎えます。

2曲目Quartet No.3、冒頭イントロとしてテナーとベースのメロディ、ピアノが加わりさらにドラムがフィルインを入れ始め、サウンドが厚くなって行きます。一度終始感を得てからおもむろにピアノがリズムをやや揺らしながら、弾き始めます。その後テナーのアウフタクト2拍を聴いて、インテンポのワルツで曲が始まります。その後4拍子に代わり、リズミックで複雑なコード進行に基づいたアンサンブルになります。先発テナーソロ、テーマのフォーム<ワルツ〜4ビート>を遵守したコード進行、リズムフィギュアで華麗なアドリブを聴かせますが、Gomez, Gaddの畳み掛けるようなアプローチにMichael確実に応えています!Coreaのソロに続きますが、トリオ・インタープレイの密度がどんどん濃くなって行く様は手に汗を握ってしまいます!その後Gomezのソロもテナー、ピアノのクオリティに全く比肩し得るクオリティ、テンションを感じ、全く手練れの者、自分のソロの前に様々な事象があった事をしっかりと踏まえながらの演奏です!ラストテーマを迎え、これまた120%超えレベルでの超絶アンサンブルでめでたくFineです。

3曲目Quartet No.2 Part 1(dedicated to Duke Ellington)は優雅にして芳醇、ゴージャスさの表出が半端無い、Ellingtonの音楽をCorea流に見事に料理した美しいナンバーです。ピアノイントロに続き、ピアノとテナーのデュオによるメロディ奏、ここでのMichaelの歌いっぷりの見事さといったら!ダイナミクス、微妙なニュアンス、アーティキュレーションの数々を用いた、切ないまでの感情移入による、歴史に残る名演奏を繰り広げています。ソロの先発はベース、ホーンライクで饒舌なプレイは、クールな中にメロディアスなアプローチをふんだんに織り込んでいます。続くピアノソロはGomezのスピリットを受け継いだかのようにメロディアス、その中にEllington風のアプローチ、ニュアンス、音使いを織り込んだ曲想に合致した演奏を展開、そしてテナーソロはこれまたGomez, Corea二人の演奏を踏まえた、彼らの延長線上にしっかりと位置しようという強い意志を感じさせるプレイです。そのままMichaelのソロでFine、余韻を残しつつ次曲にto be continued!

4曲目Quartet No.2 Part 2(dedicated to John Coltrane)、Gaddのマーチング風のドラムソロから始まります。CoreaのColtraneへのトリビュート・ナンバーはキーをCマイナーに設定しました。Coltrane, Cマイナーと言えば61年11月録音「Live at the Village Vanguard」収録のナンバーSoftly, as in a Morning Sunriseを想い浮かべますが、Corea自身も珍しくソロ中にこの曲のメロディを引用しています。

Coltrane Live at the Village Vanguard

先発のソロはそのCorea、縦横無尽に展開する演奏は自身のスタイルの他、どこかMcCoy Tynerのアプローチもイメージさせますが、Coreaは60年代に精進を重ねた世代、当時一世を風靡し、Coltraneのお抱えピアニストであったMcCoyには少なからず影響を受け、しかもトリビュートであれば尚更の事です。プッシュするドラム、ベースと共にアグレッシブでいてクール、知的なアドリブを展開、でも時として左手のコードワークが物凄すぎて知的を遥かに通り越し、まるで野獣のようですが(汗)。
そのままGomezのウネウネ、ブリブリのソロに突入、そしてMichaelの出番になります。前出二人のソロをここでも確実に受け入れ、Coltrane風のフレージングでソロを開始します。「盛り上がらねばならぬ」重責をものともせずにBrecker節をてんこ盛り、ここまで行きますか?との懸念をよそにGaddが後見人たる姿勢で全くコンセプトに合致したインタープレイを展開、音楽の合奏とはこうでなければいけませんよね(笑)。息を吸う暇もないほどの超弩級の演奏終了後、ピアニシモにまで音量が落ちてドラムソロの開始です。この頃のGaddのオープン・ドラムソロは常に斬新な展開を聴かせていました。果たしてここではどうでしょうか?途中からCoreaがパターンを弾き始め、それにGaddが合流する形でソロを続けますが、本編で自身の露出すべき音楽性はすっかり出し切った、と判断したのか、いつもの標高の6分目程度でソロを終了、もっととことんまで行っても良かったと思うのですが、ラストテーマを無事迎え終了です。

作品の本編はここまで以降はCDリリース時のボーナス・トラックです。区切りの意味でしょうか、前曲との曲間に11秒の長いブランクが設けられています。
5曲目Folk Song、本作録音81年夏のMontreux Jazz Festivalでの模様を収録した作品「Live in Montreux」でCorea他、Joe Henderson, Gary Peacock, Roy Haynesでのカルテットでこの曲他Hairy Canary, Slippery When Wetを再演しています。

Live in Montreux

印象的なピアノの美しいイントロから始まるナンバー、Gaddはテーマ時ブラシで演奏していますがソロに入り、スティックに持ち替え、サンバのリズム=「Friends」のSannba Songのグルーヴを聴かせ、その後スイングのリズムを叩いています。Coreaの軽快なソロの後Michaelのソロですが、タイムのポイントが幾分前に設定され、恐らく緊張感が彼にタイムの余裕を欠落させてしまったのでしょう。その後Gomezのソロを迎えラストテーマへ。曲想の違いもありますが、演奏のクオリティは本編とは幾分落ちると思います。

6曲目Hairy Canary、ライナーノートにCorea自身が書いていますがThree QuartetsのメンバーでU.S.ツアーを行い、その際追加テイク中ではこの曲のみを演奏プログラムに加えたそうです。キーがCのブルースフォームのこの曲、軽い手慣らし的に演奏、録音されたように感じます。

7曲目Slippery When Wet、8小節のモチーフを延々とループさせるユニークな曲想のナンバー、かなりフリーフォームに入らんとするコンセプト、「Live in Montreux」のメンバーでの演奏に相応しい楽曲です。作品「Circle」のメンバーでは若干異なりそうですが。

8曲目Confirmationは本作の別な意味での目玉、この演奏が発掘され我々が耳にできるのは幸せな事です。
全編テナーとドラムのデュエットで演奏されるこのテイク、ライナーには特にクレジットされていないのでMichaelとGaddのデュエットに違いないと思っていましたが、どうもドラミングがいつものGaddに比べるとリズムがルーズ、フレージングが異なり、タイムのキレもよくありません。後日Michael本人に尋ね「あのドラムはChickが叩いているのさ」と確認した時は目から鱗状態でした。Coreaはスタジオ内のGadd独特のチューニングのドラムセットを叩いたので、音色からも判断しにくかったわけです。ピアニストが叩くドラミングにしてはスイングしていますが、Coreaは元々ドラマーだったので然もありなん、そういえばMichaelもドラム演奏には堪能です。
デュエットとは思えないほどに持続した素晴らしいグルーヴ、テンション、そしてConfirmationのコードチェンジはこう解釈すべきだと、この演奏で実に明快に提示してくれたMichael、大変勉強になった演奏です。

jazz/music 

2020.11.02 Mon

Friends / Chick Corea

今回はChick Coreaの1978年録音、リリース作品「Friends」を取り上げたいと思います。フュージョン全盛期、自身もエレクトリックやロックテイストの作品を発表し続けていましたが、本作で原点であるアコースティック・ジャズへ一度戻る形となりました。斬新なスイング感のリズムセクションを伴い、名曲ばかりのオリジナルを取り揃えた新感覚の4ビートジャズを展開し、素晴らしい演奏を繰り広げています。

Recorded: January 1978 Kendun Recorders, Burbank, California, USA. Producer: Chick Corea Label: Polydor

p)Chick Corea ts,ss,fl)Joe Farrell b)Eddie Gomez ds)Steve Gadd

1)The One Step 2)Waltse for Dave 3)Children’s Song #5 4)Samba Song 5)Friends 6)Sicily 7)Children’s Song #15 8)Cappucino

Coreaとは初リーダー作「Tones for Joan’s Bones」からの付き合いになる名リード奏者Joe Farrellをフロントに、ベーシストEddie Gomez、ドラマーSteve Gaddによるカルテット、仲の良い友人関係だったことでしょう。作品タイトルや、ライナー掲載写真から和やかな表情を読み取る事が出来、作品全体から伝わるリラックスした雰囲気が全てを物語っています。しかし時として炸裂せんばかりの驚くべき次元のインタープレイの数々、音楽的な振れ幅のあまりの激しさは個々のメンバーの持つポテンシャルの高さを物語っていますが、そもそもがメンバーの音楽的相性の抜群さゆえ、その裏返しと言えましょう。特にCoreaとGaddのふたりはリズム感もそうですが、お互いのアイデアを共有する完璧に同じベクトルを描いています。Farrellのソロそっちのけで(爆)、互いのアイデアをぶつけ合い、拾い合い、瞬殺のレスポンスで場面を活性化する敏捷なプレイの連続。もちろん彼らは様々な音楽に柔軟に対応出来る幅の広い音楽性を有していて、特にGaddは膨大な数の参加作品に、多種多様な音楽への柔軟な対応力を感じ取る事が出来ますが、リーダーバンドであるThe Gadd GangではR&Bをルーツしたコーニーなサウンドを演奏しており(名バンドStuffが原形ではありますが)、仮にCoreaがこのバンドに加わったプレイはどうにもイメージ出来ません。CoreaのRichard Teeライクなプレイ、それはそれで聴いてみたいですが(笑)。一方Coreaはキャリアのごく初期ではサイドマンを務めましたが、一貫してリーダータイプのミュージシャンで、様々な方向性の作品を数多くリリースしてジャズ界に君臨しています。70年代初頭に率いたバンドCircle〜Dave Holland(b), Barry Altschul(ds), Anthony Braxton(reeds)〜彼の音楽史上最もフリーフォームな領域に足を踏み入れた演奏、Gaddがこのコンセプトで演奏するのはあり得ない事でしょう。グルーヴとカラーリングの妙を信条とするプレーヤーですから。本作で演奏されているスタイルでのふたりの相性は史上稀に見る、DNAまでマッチングする一卵性双生児のごとき同一性を聴かせています。

91年リリース「The Gadd Gang」
71年2月録音Circle Paris Concert

Coreaの77年録音作品「The Mad Hatter」収録Humpty Dumptyが本作の原点と言える演奏です。同一メンバーによるCoreaの傑作ナンバー、以降の彼の主要レパートリーの1曲になりました。発表当時はそのあまりに斬新なアプローチに話題騒然で、我々学生もこぞって楽曲にチャレンジしましたが(演奏したくなる魅力に溢れています!)難曲中の難曲、そして曲の持つ崇高にして気高いムードが中途半端な演奏者を寄せ付けず、未熟なミュージシャンを篩に掛けるに持って来いのナンバーでした(自分は篩下の落下物だったですが笑)。

Mad Hatter / Chick Corea

まさかこのメンバーで1枚作品が出来上がるとは思いもよりませんでした。「Now He Sings, Now He Sobs」はMiroslav Vitous, Roy Haynesとのトリオ、アコースティック作品でしたが、以降Corea一連の作品「Return to Forever」「Light as a Feather」「The Leprechaun」「Hymn of the Seventh Galaxy」「Romantic Warrior」「Musicmagic」「Secret Agent」「My Spanish Heart」…枚挙にいとまがありませんが、スパニッシュ、エレクトリック、ロックのテイストをとことん披露した作品群の後、ここまで徹底してアコースティック・ジャズを演奏したCoreaに、音楽の幅の広さを痛感した覚えがあります。これらイーヴン系のリズムが基本の音楽はスイング・ビートのジャズに比べて表現の間口が広く、オーディエンスにも受け入れが容易です。反してスイングは数あるスタイルの中で、演奏が最も困難にして聴く者にある種の強いる要素を抱えています。しかしここでの演奏は強いる事を遥かに通り越した次元での、誰にでも強力に訴えかけ、しかも容易に理解できる純粋芸術的領域での表現を提示しています。例えば画家Pablo Picassoのキュビズムによる一連の作品、その中でも頂点にあるゲルニカは観る者に圧倒的なインパクトを与えます。Picassoの情念がキャンバス、筆と絵具(ゲルニカの場合はペンキ)を媒体とし、誰も成し得ていない次元での手法をもって表現され、大胆な構図を施した絵の持つ存在感に圧倒されるばかりですが、同時に「よく分からない」感は拭い切れないと思います。キュビズムの手法にはつきものですが、でも言ってみればその「よく分からない圧倒感」が芸術鑑賞の原点だと感じています。そこから更に細部に入り込んで理解を深めて行くかどうかは、個人の好みであるとも思います。

本作の有無を言わさぬ演奏クオリティの素晴らしさ、そしてこの作品でサックス奏者がMichael Breckerに替わったとしたら、それはそれはさぞかし凄い事になりそうだ、とミュージシャン同士でよく話をしたものです。Farrellの持ち味にも格別なものがありますが、他の3人に比べるとどうしてもワンランク落ちてしまいます。一方当時のMichaelはまさに飛ぶ鳥を落とす勢い、八面六臂の活躍ぶりで作品毎に進化を遂げており、このリズムセクションのフロントマンとして参加資格があるのは彼だけではないだろうかと。我々だけではなく全世界で、本人Coreaももちろん感じたのでしょう、Dreams come trueとなり81年1, 2月録音の「Three Quartets」が世に出た際には吃驚仰天しました。

Three Quartets / Chick Corea

こちらの演奏内容の一転してのシリアスさ、まるで取り憑かれたかのような集中力、楽曲の難易度、Michaelの超人的演奏、Coreaはもちろん、Gadd, Gomezたちのプレイの更なる飛翔ぶりも相まって、彼の作品群の中で最もハードコアな仕上がりの一枚になりました。気になるのはFriendsでの大らかさとリラクゼーション、Three Quartetsでのストイックさとダークさの間にどんな心境の変化、インスピレーションの変遷がCoreaの内面にあったのか。詳しく知りたいところではあります。

79年にMike Mainieriが気の合う、音楽的にも優れたスタジオミュージシャン〜Don Grolnick, Michael, Gomez, Gaddたちと、Brecker兄弟が経営するNYC Manhattanのジャズクラブ7th Avenue Southにてセッションを始めたのがきっかけとなり、バンド名Stepsとして活動を開始、翌80年12月六本木Pit Innにて日本での旗揚げライブを1週間行い、その時の模様を収録した「Smokin’ in the Pit」が翌年リリースされました。高度な音楽性、緻密にして高次的理論に基づくインプロヴィゼーションの嵐、素晴らしいインタープレイはGadd, Gomezのリズム隊に負うところが大、彼らの起用は紛れもなくFriendsが元になっていますし、Three Quartetsに於けるプラスMichaelと言う人選も、これまたStepsからの流れに他なりません。時系列でのミュージシャンの入れ替わり、兼任・重なり具合、派生を眺めてみるとまた違った側面が見えてきます。

Steps / Smokin’ in the Pit

それでは収録曲について触れていく事にしましょう。1曲目The One Step、冒頭Fender Rhodesとベースのユニゾンによるテーマが奏でられ、リピート時にはベースはバッキングに回りソプラノサックスがテーマを演奏します。可憐な雰囲気をたたえた楽曲はオープニングに相応しい、良きスターターとなり得ています。Coreaにしてはシンプルなナンバーですが、曲の構成がよく練られています。4分の2拍子を含む打ち伸ばしやシンコペーションが効果的、テーマ中のRhodesのフィルインソロもグーです!Farrellが美しい音色でメロウにテーマ〜ソロを取ります。シャッフル風のリズムを叩くGaddとバッキングでカラフルに演奏するCorea、この時点でFarrellのソロには関係なく既に二人で呼応し合っています(汗)。Coreaのソロに入った途端にベースがリードし、Gaddがスネークイン、倍テンポのスイングに変わります。「ほんの少しだけ」前にリズムのポイントを置いたベース、ドラムのタイム感、そしてGaddの限りなくイーヴンに近いスイング・フィールのシンバル・レガートがカッコいいです!倍テンポになっても打ち伸ばしやシンコペーションが用いられているので、テンポ増しでこれらのキメは一層的を得たものになっています。Gomezのウネウネしたラインに纏わり付くGaddの多彩なドラミング、Coreaのパーフェクトなタイム感と相まって三者見事に連動しています。仕掛けて来るGomezのフレーズ、Coreaのソロにも同時に反応するGaddは、複数人の話を同時に耳にし、理解し得たと言われる聖徳太子状態です(笑)。

2曲目Waltse for DaveはCoreaの友人でもあり、先輩格のピアニストDave Bruebeckに捧げられている、美しくカラフルな場面展開を持つ名曲です。テーマは初めのAの部分をCoreaが、その後Farrellがフルートで美しく演奏しそのままソロに突入、よく聴くとGaddのブラシでのカラーリングが実に様々なアプローチ、小技、フレーズを連発しているのですが全くうるさくありません。フルートソロからスティックに持ち替え対応、2’11″辺りからのサビで4人が主張し合い、2’26″辺りからのGaddのフレーズにCoreaが合わせ始めます。Farrellがソロをとっているにも関わらず!このアルバムはフロントのソロそっちのけでのドラムとピアノのインタープレイが随所に聴かれる、稀有な作品でもあります(笑)。その後のピアノソロはさすが作曲者、変幻自在に曲のイメージの中に深く入り込み、Gadd, Gomezたちは自身でソロを取っているが如き音数のバッキングを繰り出し(笑)、Coreaと三つ巴で盛り上がっています!続くベースソロはエッジーな音色、正確なピッチ、イントネーション、歌い回し、ソロの起承転結全てに申し分ありません!Bill Evans「Live at the Montreux Jazz Festival」での”バチバチ”系ベースの音色のイメージがあり、ハードなセッティングとイメージしていましたが、むしろ弦高を極端に低くして柔らかく弦をつま弾いています。彼とは一度共演をした事がありますがクールな雰囲気で、細身で長いタバコMoreをオシャレに愛煙していた印象があります。

Gaddのドラミングスタイルですが、前述の通り膨大な数のレコーディングに参加しているために、演奏露出の機会は誰よりも多いので耳馴染み、お得意のフレーズが出ると嬉しくなってしまう次元の耳タコ状態ですが、実は誰にも真似の出来ないオリジナリティ溢れるプレイ、いや、それを通り越して相当の変態スタイルだと思っています。人が行うドラミングの手順があるとすると、必ず逆から辿るような、また演奏は定型でいるようで不定型の極みです。加えて通常では思いつかないようなレスポンス、アプローチを常に繰り出す真のアーティストであると認識しています。演奏の入魂ぶりは凄まじく、同じジャズドラマーElvin Jones, Roy Haynes, Tony Williams, Jack DeJohnetteと並び称されると思っています。

3曲目Children’s Song #5はCoreaのライフワークのひとつ、多くのバリエーションがあり、いずれもが小品として自作品に度々登場しますが、83年7月に「Children’s Songs」としてNo.1からNo.20までをソロピアノで、1曲のみcelloとviolinを伴って一枚の作品として録音しました。Bartokの名ピアノ曲集Mikrokosmosがルーツになっています。

Chick Corea / Children’s Songs

ここではドラム抜きの3人でクラシカルに、リリカルに演奏を行い、次曲に向けての丁度良いブレークとなり得ています。

4曲目は本作中白眉の演奏Samba Song、いや〜本当に素晴らしいプレイです!!文字通りサンバのリズムを用いたナンバーですが実に多種多様なアイデアが施され、恰もそれらが一寸の隙間もなく完璧に聳え立つ高層建造物として、4人の建築家が設計・施工、構築しているが如きです!実はシンプルなメロディのひとつがモチーフとして色々な形でイントロから表出し、リズムやバックのパターンを変化させて壮大なストーリーを作り上げていきます。このリズムセクションでなければ間違いなく成り立たなかったでしょう!Farrellのソロに入った1’26″でのCoreaのバッキング!何すっかこれは?ソロを取るプレイヤーにしてみればいきなりハードルをあげられた形です!1’41″のGaddのフレーズに瞬時に喰らいつき発展させるCorea、インタープレイを纏めるGaddのフレーズ、1’50″からのCoreaのフレーズを1’55″で発展させて応えるGadd、こちらは彼のお得意フレーズのひとつです。2’11″からのFarrellのフレーズに応えるCorea、2’36″でのGaddのフレーズをCoreaが受け継ぎ変化させ、2’47″で合流する爽快感!程なくテナーソロが終わりピアノソロに移行しますが、透かさずGaddがドラミングのパターンを変えました。本当に芸が細かいですね!その後猛烈にしてヒューマン(!)なスネアロールが入り、スイングにリズムが変わりますが、Gomezも一切の躊躇がなくぴったりとリズムがハマります。4’00″過ぎからGaddのパーカッシヴな「シャッ」「ドスン」「ピシャピシャピシャ」「ドンブラコドンブラコ」(笑)とフレーズが入りますが切れ味の鋭さ、やりっ放しにせず締めのフレーズも用い、Coreaの4’40からのフレーズに暫し静観し4’49″からのヴァージョンアップしたスネアロール、ここで刷新し、5’06″からそろそろクライマックスに持って行くべく猛烈な2, 4拍バックビート・アクセントの連続!それにしてもCoreaの一糸乱れぬタイム感とテンションの持続、迸るアイデア、5’21″からまるで鍵盤を隈無く打鍵するかのようなフレージング、ここまでの演奏を行うためには、さぞかし自己鍛練の化身として日々過ごしている事でしょう。続いてGomezのソロ、今までにこれだけの事象があったにも関わらず、クールに淡々と物凄いピチカートをプレイしています。リズムは再びサンバに戻り、しばらくベースソロがフィーチャーされますが、Coreaのバッキング・アイデアは尽きる事なく、相変わらずリズミックでハイパーの連続です!Gomezも次第にヒートアップ、タフな方です!とうとう7’26″からCoreaが最終段階に突入すべくリズム・フィギュアを提示、ベースソロにも反映されつつ少し遅れてGaddが追従し、フィナーレとなるべくテーマに突入します。Gadd大暴れで叩きまくり、この最中Farrellはテナーから僅か2秒余りでソプラノに持ち替えました!こんなに密度の高い音楽空間を僕は他に知りません!今度はGaddのオンステージ、パターンの上での縦横無尽のドラムソロ、タムの録音定位が左右に振られているのでソロ中スネア回しが右へ左へ、左へ右へとダイナミックに聴こえます。Gaddのプレイを前述変態呼ばわりしましたが、ここでのプレイはまさしく変態中の変態(爆)!もはや常人の域ではないですよ!そしてラストのモチーフを経て遂に演奏が収束しますが、ゼンマイ仕掛けの猿の人形のシンバルがゆっくりと動きを止めるが如きエンディングです。

5曲目Rhodesの可愛らしいイントロから始まる表題曲Friends、メロディをFarrellがフルートで奏で、リズムセクションが優雅にサポートします。こちらもリズムはサンバですが、前曲のSamba Songとは異なるBrazil系のサンバのリズムになります。美しさ、穏やかさが音楽表現の原点なのだ、と再認識してしまうほどに見事なアンサンブル、各人の曲想にマッチしたソロ、Gaddの繊細でアイデア豊富、かつグルーヴマスターとして他の3人の演奏を確実に映えさせる巧みさ、ベースソロ後ラストテーマへ、そしてエンディング部になりますが、8’08から聴かれるRhodesのメロディは聴き覚えがあると思いきや、「Return to Forever」収録でFlora Purimの唄をフィーチャーした曲、What Game Shall We Play Todayじゃありませんか!引用フレーズをソロに挿入することがまずないCorea、たまたまなのか何か狙いがあっての事なのか、真意の程は分かりません。

Return to Forever

6曲目Sicilyはアップテンポのナンバー、テーマで4拍目にアクセントが必ず入るリズムパターンはスリリングです。フルートとRhodeのユニゾン〜ハーモニー織りなす豊潤なサウンド、曲の展開部では半分のテンポに変わり、メリハリの効いた構成が魅力的です。フルート、ベースのソロが続き再びテーマが奏でられ、その後全く別なセクションを経てCoreaのソロが登場しますが、Gaddとの音楽的呼応を楽しむために設けられたパートなのでしょうか、徹底的にCoreaのフレージングに応えています。ラストテーマのシカケはこれまた凝り凝りのシンコペーション炸裂大会です!

7曲目のChildren’s Song #15、#5と同様にフルート、ピアノ、ベースの3人で演奏されています。こちらも短いながら存在感のある楽曲でチェンジオブペース、次曲への良き箸休めとなりました。

8曲目ラストを飾るのはアップテンポのスイング・ナンバーCappucino、こちらも怒涛のテイクになりますが、恐るべき次元での複雑な曲の構成と、対して全く確実に、難なく演奏するGaddの神がかったプレイが聴き物ですが、Gomezのon topのベース・プレイが実は影の功労者です。そのGomezからソロがスタート、ベース演奏に関して必要である全ての事象に完璧さを聴かせる、本作中ベストのクオリティです!続いてFarrellのソプラノソロ、モーダルなスタイルをJohn Coltraneから継承している彼のお得意分野なのでしょう、ディープな領域にまで入り込み、リズムセクションをインタープレイ三昧の世界に誘い込んでいます(笑)。続くCoreaのソロではFarrellの最後のフレーズを受け継ぎスタート、Gaddの巧みなアプローチを満身に受け、触発されつつ応え続け、Gaddに更なるインスピレーションの発露を要求しているが如し、「もっと煽ってくれ!」とのCoreaのリクエストに嬉々として応答したドラミングを展開しています。ピアノソロもさすがに終盤戦では前述のCircleでの演奏をイメージさせるフリーの次元にまでイッています!ラストテーマに突入すべくキメっぽいフレーズを連呼したCorea、テーマのアウフタクトを弾き、察知したGomezはブレークしますが、珍しくGaddが「オッと!」とばかりにブレークせず一瞬溢れますが、こんな事は些細な出来事、小さなミスより大きなノリです!ラストテーマではCircle状態が再演されますが(笑)、Coreaのエキサイトぶりが伺えます。エンディングも新たなセクションが設けられ、これまた偏差値の高いシカケを経てFineですが、Farrellは対応しきれず(?)忍法霞の術を用いて途中でドロンしたようです(笑)。

2020.10

jazz/music 

2020.10.18 Sun

Rosewood / Woody Shaw

今回はトランペッターWoody Shawの代表的リーダー作「Rosewood」(1978年リリース)を取り上げたいと思います。個性的なトランペットスタイル、音色、誰にも真似の出来ない独自なアドリブライン、ユニークな曲想にしてジャズのルーツに根差したオリジナル、大編成によるアンサンブルをこの作品で見事に披露しています。

Recorded: December 15~19, 1977 at CBS 30th Street Studio, New York City Label: Columbia Producer: Micheal Cuscuna

tp, flg)Woody Shaw ts)Joe Henderson ts, ss)Carter Jefferson fl)Frank Wess, Art Webb ss, as)James Vass tb)Steve Turre, Janice Robinson p, elp)Onaje Allan Gumbs b)Clint Houston ds)Victor Lewis congas)Sammy Figueroa pec)Armen Hallburian harp)Lois Collin

1)Rosewood 2)Everytime I See You 3)The Legend of the Cheops 4)Rahsaan’s Run 5)Sunshowers 6)Theme for Maxine

Woody Shawは44年12月24日North Carolina生まれ、父親はゴスペルのミュージシャンでした。9歳の時にビューグル(ピストンの無い軍隊ラッパ)を始めたそうです。学校でのバンドに参加すべく最初に選んだ楽器は意外な事にトランペットではなく、ヴァイオリンでした。ですがこちらは定員に達していたので叶わず、2番目の選択肢としてサックスか、トロンボーン、こちらにも欠員は無く残った楽器がトランペットだったそうです。さらに意外な話ですが、その時Shawは自分がどうしてこの耳障りな音のする楽器の担当にさせられなければならないのか、と感じたそうです。音楽教師に自分がやりたい楽器を選べないのはフェアではないとも不満を述べましたが教師はShawを説得し始め、ちょっと辛抱してトランペットをやってごらんよ、君に向いている楽器だと勧められ、この楽器を好きになる事を保証するよとまで言われましたが、彼の言っていたことは正しく、すぐにトランペットに恋をしてしまったそうです。教師は単に楽器の欠員パートを埋めるために促しただけなのかも知れませんし、実際のところは分かりませんが、しかしジャズ史に燦然と輝く名トランペッターWoody Shaw誕生のきっかけを作ったのですから、良い指導者と巡り合えたと言えましょう。彼自身こうやって思い出してみれば何か不思議な力が働いて、トランペットと出会う事が出来たと回顧しています。その後は日夜練習に明け暮れ、卒業後クラシックの殿堂Julliard音楽院に進み、トランペットを徹底的に勉強をしようと考えていましたが、Louis Armstrong, Harry Jamesに深く傾倒し、ジャズに興味を持つようになります。そして次第に次世代のトランペッターたちDizzy Gillespie,  Fats Navarro, Clifford Brown, Booker Little, Lee Morgan, Freddie Hubbardらからの影響を受けるようになり、自ずと学校での音楽活動から離れていくことになります。Brownが亡くなった年月〜56年6月と同じ時に、彼はトランペットを選んだ事をある日気付いたとも語っていますが、志し半ばにして悲劇的な交通事故で逝去したBrownの偉業を受け継ぐために自分は演奏している、と言う自負があるのかも知れませんね。Shawは独自のスタイルを生涯貫き通した超個性派プレーヤーですが、過去の先達へのリスペクトには半端ないものが感じられます。その後はローカルミュージシャンとして様々なギグをこなし、63年7月若干18歳の時にEric Dolphyのリーダー作「Iron Man」でレコーディング・デビューを飾ります。栴檀は双葉より芳し、ここでの彼のプレイは荒削りではありますが、のちの個性を十分に感じさせるフレージング、アイデア、間の取り方、楽器の音色を聴かせています。

63年7月録音Eric Dolphy / Iron Man

Dolphyはトランペット奏者と2管編成で演奏する機会が多く、初リーダー作60年4月録音「Outward Bound」でもFreddie Hubbardと、その後はBooker Littleと素晴らしいコンビネーションを聴かせていました。61年7月ライブ録音「Eric Dolphy at the Five Spot」での演奏は、彼ら二人の名演奏を捉えた傑作です。

1961年7月16日録音Eric Dolphy at the Five Spot」

ところがLittleは録音直後の10月、尿毒症により23歳と言う若さで夭逝してしまいます。Dolphyの落胆ぶりが手に取るように伺えますが、彼の後釜としてHubbardが再起用され、64年2月録音、Dolphy没後同年8月にリリースされた傑作「Out to Lunch」での演奏は特筆すべきです。Hubbardも本当に素晴らしいトランペッターですが、個人的にはShawとの相性の方に良さを感じています。あと1, 2年Shawの登場が早ければ、「Out to Lunch」のトランペッターは彼ではなかったかと。そしてDolphyが64年6月、36歳の若さでBerlinにて医療ミスと言う、痛恨の客死に至らなければ以降はDolphy = Shawのフロントラインで音楽活動を継続し、更なる名演奏が生まれたのでは、と勝手に想像しています。

62年2月25日録音Out to Lunch / Eric Dolphy

Shawの演奏は一聴すぐ彼と分かる強力な個性を発揮していますが、多くのサックス奏者の2管編成の相方やピアノプレーヤーのフロントを務めていました。オリジナリティを持てば持つほど逆に音楽的テリトリーは狭くなります。多様性は深まりますが他のミュージシャンとの協調性は薄れて行き極端な話、自己のバンドでしか演奏出来ない事態に陥りますが、Shawの場合は例外です。前述のDolphyをはじめ、Joe Henderson, Jackie McLean, Hank Mobley, Dexter Gordon, Booker Ervin, Gary Bartz, Sonny Fortune, Joe Farrell, サックス以外ではChick Corea, Andrew Hill, Horace Silver, Larry Young, McCoy Tyner, Bobby Hutcherson, Art Blakey…枚挙にいとまがない程に数多くの第一線ミュージシャンと共演しており、いずれに於いても十二分な個性の発露、素晴らしいインプロヴィゼーション、存在感、彼の参加による作品クオリティの向上、リーダーの音楽性とのナチュラルな融合を発揮しています。Shawは幾多のジャズ・トランペットプレイヤーの中でもインプロヴィゼーションのライン、方法論、アイデアが抜きん出ていて、緻密さと大胆さが半端なく、時として難解さを極めオーディエンスが置き去り状態ではないかとまで感じる時があります。例えばBrown, Morgan, Little, Hubbardらの発する、トランペット奏者特有の爽快感をShawの演奏から感じ取るのが困難な場合があり、プレイは常に問題提起を促し、聴く者の演奏理解に際してどこか強いる姿勢を感じさせる奏者です。具体的にはフレージングにおけるコード進行に対する縦の音使いでは明らかにディスコードでも、横の流れで通してみれば聴感上ギリギリのポイントで成立する、ラインの言ってみれば帳尻合わせ的な独自の解決感。加えていわゆるパターンやリック的な音使いを極力避けたと思われるクリエイティブなインプロヴィゼーションの、本人は特に意識してはいないでしょうが、有無を言わせぬ対峙感。ところが彼のスタイルの根底にあるLouis Armstrong, Harry Jamesらのテイストから醸し出されるニュアンス、イントネーションが随所にスパイスとして作用し、ハードボイルドでありながら、えも言われぬ色気を放ち(男の色気〜益荒男ぶりと切なさ)、演奏の難易度を適度に緩和させていると感じていて、ここが多くのミュージシャンに愛された由縁と考えています。優れた奏者、音楽、芸術には複雑な要素が絡み合うのが常です。Shawの演奏には他にはあり得ない次元での複雑な個性が混在しており、その表出に際し一面では真の芸術家たるmentorとして、演奏者からの尊敬を通り越した熱狂的な崇拝ぶりを得ています。他方では一般的なオーディエンスが彼の音楽について行く事が出来ず、ともすると少数の熱狂的信者のためだけのマニアックなものに終始してしまう、musician’s musisianの範疇に留まってしまいがちになります。Miles Davisの音楽表現の難解さも同様ですが、彼の場合天性のものからオーディエンス、ミュージシャン分け隔てなく万人に対してアピールする事が出来ています。そして「俺の音楽が難しいって?おいおい、分からないのはお前らに責任があるんだぜ。分かろうが分かるまいが俺の知ったこっちゃないけど、一度でも分かろうとして聞いた事があるのかい?とことん入り込んでみな、Come on! everybody!」のようなスタンスでプレイしていると思います(笑)。

本作はShawにとって初のメジャーレーベルColumbiaからのリリースになります。これまでにも10作近くをContemporaryやMuseレーベルから発表していました。70年「Blackstone Legacy」74年「The Moontrane」といった傑作をはじめいずれもが高い音楽性を示し、個性的オリジナル、アンサンブルを聴かせ70年代ジャズ界のフラッグシップ的存在として精力的に演奏活動を展開していました。

「Blackstone Legacy」
「The Moontrane」

本作リリース77年頃はColumbia筆頭アーティストにしてジャズ界の牽引力Milesが健康を害し(胃潰瘍とヘルニア)、75年2月の大阪公演を収録した名作「Agharta」「Pangaea」を最後に80年頃まで長期引退していた時期に該当します。

「Agharta」
「Pangaea」

Columbiaレーベルにとってもジャズシーンにとっても、Milesの不在は手痛かった事でしょう。彼に続くアーティスト、できればモダンジャズのリーダー的存在である楽器トランペット、その先鋭プレーヤーを必要としていました。Shawに白羽の矢が立ったのは当然の事です。彼を最大限にバックアップすべく、大編成でのレコーディング(メジャーならでは、お金かけてます!)〜リリースは彼の音楽生活の一つのピークであったと思います。

参加メンバーは当時のWoody Shaw Quintet = p)Onaje Allan Gumbs b)Clint Houston ds)Victor Lewis ts,ss)Carter Jeffersonにゲスト・ソロイストでShawとの相性抜群のJoe Henderson、そして5管編成にコンガ、パーカッション、更にハープを増員したThe Woody Shaw Concert Ensembleが加わったゴージャスな最大14人編成で、重厚なアンサンブルを堪能できます。Shawは自分の曲の他、メンバーのオリジナルも取り上げ、ユニットとしての活動に重きを置いています。

それでは収録曲について触れて行きましょう。1曲目表題曲にしてShawのオリジナルRosewood、彼の両親に捧げられたナンバー、初演はBobby Hutchersonの74年4月録音作品「Cirrus」に収録されています。ShawとJoeHenの2管によるメロディが核となり、アルトサックス、フルート、ピッコロ、トロンボーン、バストロンボーンが対旋律やハーモニー、バックリフを奏で、リズムセクションにパーカションが加わった重厚な演奏はOnaje Allan Gumbsのアレンジによるものです。メロディはどこかミステリアスでいながら、キャッチーなテイストも存在するShawならではの凝った楽曲、しかしこれまでの彼の作風とは明らかな違いを聴かせています。ソロの先発はJoeHen、斬り込み隊長の責務を十分に果たす素晴らしいブロウ、全面的に信頼を寄せていた間柄だと思います。ホーンのアンサンブルを受けつつ、難曲のコード進行を実に的確にアドリブしています。初演ではHutchersnのソロだけがフィーチャーされていたので、続くここでの作曲者のソロは初登場になります。それにしても独創的なラインの連続、音の跳躍と滑舌の尋常ではない確実さ、ソリッドでエッジーな音色、そしてニュアンスの豊富さからは彼自身の唄を確実に聴き取る事が出来ます。

74年4月17, 18日録音Bobby Hutcherson / Cirrus

2曲目Everytime I See YouはOnajeのオリジナル、前曲からコンガとハープが抜けつつ、引き続きゴージャスなアンサンブルが聴かれますが、ここでは使用管楽器に多少の変化をつけています。Victor Lewisの叩く8ビートのリズムは軽やかでいて、どっしり感も感じさせるジャズ屋特有のタイム感です。Stan Getz, Carla Bley, George Cablesはじめ多くのミュージシャンとの共演歴を持つ強者の一人です。Clint Houstonのベースも雄弁で、確実にビートの芯を捉えたプレイが素晴らしいです。Shawのワンホーンをフィーチャーしたナンバー、軽やかにリズムに乗ったプレイは音使いやトーンの魅力が半端なく、そしてソロ途中からサンバのリズムに変わるドラマチックな演出も効果的です。Onajeのソロは美しいピアノの音色と共に、リリカルでいてダイナミックです!ここでもサンバに一瞬変わり、ソロのクライマックスをホーンアンサンブルがバックアップし、ラストテーマにクールに移行します。

3曲目The Legend of the CheopsはLewisの作曲、David Sanborn77年作品「Promise Me the Moon」にも収録され、作曲者も参加しています。こちらは彼のソプラニーノをフィーチャーした演奏、小編成という事もあり本作よりもシンプルな仕上がりですが、Shaw, Sanborn全く表現の異なるふたりの管楽器奏者の演奏を比べてみるのも一興です。

Promise Me the Moon / David Sanborn

Cheopsとはギリシャ語で古代エジプト・クフ王の事、Lewisは作曲のほかアレンジも担当しています。自由な発想に基づいた佳曲、JoeHen同様にShawが全信頼を置くドラマー、コンポーザーです。ハープや木管楽器が大活躍するイントロに始まり、Shawの奏るテーマにJoeHenが絡み、同様にアンサンブルが纏わり付くように曲をカラーリングします。先発はJoeHen、ここでのソロはイってます!続くShawのソロも素晴らしい!ラストテーマ後のヴァンプでのやり取りも含め、70年9月ライブ録音「Joe Henderson Quintet at the Lighthouse」での、ふたりの申し分の無いコンビネーションを彷彿とさせます。

Joe Henderson Quintet at the Lighthouse

4曲目Rahsaan’s RunはShawのオリジナル、バンドのメンバー全員の友人にして天才の名を欲しいままにしたRahsaan Roland Kirk、本作レコーディングの直前12月5日に惜しまれつつ亡くなり、哀悼の意を表したナンバー。曲自体はアップテンポのマイナーブルース、クインテットのメンバーが全員ソロを繰り広げます。先発はShaw、続いてJefferson、Onaje、Houston、そしてLewisとの1コーラスバースがShaw, Jeffersonと行われラストテーマを迎えます。全員の熱気を帯びた演奏が(テンポがかなり早くなりました!)Rahsaanへのレクイエムになったに違いありません。

5曲目SunshowersはHoustonのオリジナル、イントロでのエレクトリックピアノとトランペットのサウンドがMilesのIn a Silent Wayを彷彿とさせます。こちらもこのバンドに相応しい佳曲、表題曲からフルートを除いたアンサンブルが壮大なイメージのナンバーを彩ります。Shawのブリリアントなテーマ奏に続くソロを、もっとクリアーに聴きたいと思っていても、アンサンブルがややラウドに響き音像が霞み気味です。その後JeffersonのソプラノとJoeHenのサックスバトルが!リズムセクションのサポートを得てJeffersonも大健闘していますが、お相手とはタイム感やアイデア、そもそも格が違い過ぎるようです。Onajeのピアノソロ、アンサンブルを経てラストテーマを迎え、イントロにダ・カーポ、アテンポしもうひと盛り上がり、フェードアウトでFineです。

6曲目Theme for Maxineはライナーノート曰く「実に素晴らしい人物で驚くべきマネージャー」と言うバンドマネージャーMaxine Greggに捧げられたShawのナンバー、メンバー全員から親愛の情を込めて演奏されています。本作中最も60年代ジャズの香りがするのはHorace Silverのナンバーの雰囲気を感じさせるからでしょうか。65年10月録音Silverの名盤「The Cape Verdean Blues」でもShaw = JoeHenのフロントラインが大活躍しています。

The Cape Verdean Blues / Horace Silver

先発のJoeHen、本作中最も自由奔放でアグレッシヴなソロ、とことんJoHen節を聴かせ、ラストはトリルと共に消え去って行きます!リズムセクションもソロのコンセプトに徹底的に従っています!これはMaxineさんの人柄を表した内容なのでしょうね、きっと。Shawのソロは助走態勢から次第に熱を帯び、触れ幅の実に広い雄大なスケールの演奏を聴かせます。ピアノソロはリリカルさを基本にアグレッシヴなテイストも交えていますが、フロントふたりが既にMaxineの事を殆ど語ってしまったので、自分は控えめに纏めますとばかりに、コンパクトに終えています。Houstonのやはり短いソロを挟んでラストテーマへ。ピアノのバッキングが冒頭テーマ以上の自己主張を繰り広げているのは、やはりマネージャーの事で言い足りないことがあったのでしょう(笑)。

jazz/music 

2020.10.06 Tue

The Brecker Brothers / Live and Unreleased

今回は2020年リリースされたThe Brecker Brothers(BB)の未発表CD2枚組ライブ「Live and Unreleased」を取り上げたいと思います。80年7月5週間に及ぶ欧州ツアーでの一コマ、HamburgのジャズクラブOnkel Po’s Carnegie Hallでの演奏を収録した作品になります。バンドの弾けぶり、そしてMichael Breckerの絶好調ぶりを完璧に捉えたドキュメント性も注目に値する作品です。BBの第6作目「Straphangin’」レコーディング前の表題曲プレヴュー演奏、代表作「Heavy Metal Be-Bop」収録曲、そして取り上げられる機会の少なかった5作目「Detente」のナンバーもチョイスされたレアな選曲、ライブ向けアレンジも施された充実した演奏がマニアは勿論、オーディエンス全ての心をとことんくすぐります。

Recorded: July 2nd, 1980 at Onkel Po’s Carnegie Hall, Hamburg, Germany

tp, vo)Randy Brecker ts)Michael Brecker g)Barry Finnerty key)Mark Gray b, vo)Neil Jason ds)Richie Morales

Disc One 1)Straphangin’ 2)Tee’d Off 3)Sponge 4)Funky Sea, Funky Dew 5)I Don’t Know Either

Disc Two 1)Inside Out 2)Baffled 3)Some Skunk Funk 4)East River 5)Don’t Get Funny with My Money

青天の霹靂です!The Brecker Brothers未発表ライブアルバムCD2枚組が厳選されたナンバーにして豊富な曲数、ハイクオリティな演奏、素晴らしい録音状態で今年3月に発表されました。ジャケットのデザインも秀逸です。こちらの方も青霹繋がりで話題になりましたが2015年に発表された「UMO Jazz Orchestra with Michael Brecker」、Helsinki, Finlandで地元を代表するUMOビッグバンドにMichaelが客演したライブ作品、彼の事をとことん愛してやまないバンドメンバー、スタッフ、オーディエンスが彼を万全の態勢で受け入れ、「さあMichael、どうぞ思う存分好きなだけブロウして下さい!」とばかりに御膳立てされたシチュエーションでのプレイ、95年に録音され20年を経て2015年に発掘、リリースされた名演奏です。本人も全く把握していない膨大な数のレコーディングを残しているMichael、まだまだひょっこりと、とんでもない名演奏が突然世に出る事を楽しみにしていて、決して損はないと思います。

UMO Jazz Orchestra with Michael Brecker

本作はUnreleasedと銘打っていますが、実はBootlegで以前から世に出ていました。「Brecker Brothers Hamburg 1980」と題されたCDで、BB3作目「Don’t Stop the Music」のライナー写真を転用したジャケ写、録音月日が誤記され、収録曲目もStraphangin’、Tee’d Off、Sponge、Funky Sea, Funky Dewの4曲のみ、録音状態も隠し録り感満載の中音域を中心としたドンシャリで(本作と同じ音源を使用していると思われますが、テープの保存状態の悪さか、ダビングを繰り返したためなのか)、総じての仕上がりがいかにも海賊盤でしたが、そのぶん今回の完パケ・アルバムのクオリティが際立ちます。

Brecker Brothers Hamburg 1980

BBは「Heavy Metal Be-Bop」の後にピアノ、アレンジャーGeorge Dukeをプロデューサーに迎え「Detente」をリリースしました。

80年リリースDetente / The Brecker Brothers

レコードのA面をボーカル入りのブラコン(今もこの名称で通じるのか不安ですが〜汗)、当時のディスコやラジオでかかるのを前提としたサウンド(懐かしい響きの単語ばかりです!)、B面を従来のBBサウンドによるコアな演奏と、セパレートした形に仕上げました。おそらくArista Labelからのオファーによる売れ線狙いとの折衷案を具体化したものですが思惑は外れ、欲張り過ぎは良くありませんね、中途半端な作品としてファンから好意的には迎えられませんでした。米国のレコード会社はヒットを出せないアーティストには常に冷酷です。もともと合計6作品と言う契約であったかも知れませんが、BBはあと1作だけのリリースを残すのみとなりました。となれば、この際自分たちのやりたい音楽を気に入ったメンバー達と演奏しよう、レーベルに何を言われようが好きな事をやって、いざと言うときには尻(ケツ)を捲って逃げりゃ良いさ(笑)、でもそのためにレコーディング前に長いツアーを行ってバンドのサウンドをしっかりまとめておこうと。人選に際しギタリストとベーシストにはHeavy Metal Be-Bopの共演で気心の知れたBarry Finnerty(彼はこのツアーのためにThe Crusadersの”Street Life”ツアーを休んだのだそうです!)とNeil Jasonを起用し、キーボード奏者Mark GrayとドラマーRichie Moralesはいくつかのギグで共演しピンと来たRandyが引っ張ってきた形になります。参加メンバーの音楽性ですが、FinnertyとGrayにはジャズプレーヤーとしての素養〜インタープレイの心得が有るように聴こえますが、JasonとMoralesにはあまり感じられません。その分リズムのグルーヴとタイトさ、ファンクのスピリット、特にMoralesにはラテンの秀逸なセンスを聴き取ることができます。結局レコーディングでは当時新進気鋭、現在では飛ぶ鳥を落とす勢いのマルチ・ベーシストMarcus Millerが起用されましたが、兄弟が収録ナンバーを作曲、アレンジする、練るうちにベースプレイにはジャズ的要素が欠かせない曲ばかりになり(ツアー時に新曲はMichael作Straphangin’ 1曲のみでしたから)、Jasonのロック魂には捨て難いものがあるし、ツアーで苦楽、寝食を共にした朋友ではありますが(笑)、新作「Straphangin’」はジャズ度の方がまさったと言う事で、対応すべく直前にMarcusへのメンバーチェンジが行われたのではないか、と睨んでいます。

Straphangin’ / The Brecker Brothers

本作で聴かれる演奏にはバンドとしてのまとまりは言うに及ばず、アンサンブル能力の高さ、メンバー各々の楽曲に対する的確な解釈力、各人のソロの素晴らしさ、前述の様にあまりバンドのインタープレイ(どうしても比較してしまいますが、Heavy Metal Be-Bopのような)を感じることは出来ませんが、所々に”はっと”する部分を聴くことは出来ます。兄Randyはいつもながらの飄々としたマイペースさと、人を喰ったかのようなシニカルさを感じさせながら、しかしヴォーカルも含めたエンターテイナー然としたプレイを聴かせ、そして何より何より、特筆すべきはMichaelの絶好調ぶりです!数多くの録音を紐解いてもここまでの集中力と、最低音域から自在に操るフラジオ音を用いた3オクターヴ半の幅広い音域を含めた楽器の完璧なコントロール、フリークトーンを用いた炸裂プレイ、理想的なタイム感、余裕さえ感じさせるリラクゼーション、これらからもたらされるインパクトを遥かに通り越したむしろ爽快感の表出!こんなことが出来る演奏者は他には存在しません!例えば87年に発表された初リーダーアルバム「Michael Brecker」で聴かれるような円熟した音楽性、音の深みは未だ希薄で、ここでの彼は言わば超高性能Sax Machine状態です。guitar kidsならぬtenor sax kids、でもそこには決して幼さや自己満足、押し付けがましさやウソ、はったりの匂いは皆無なのですがこれは彼の人間性ゆえ、ひたすら努力と向上心、探究心、情熱の成せる技、John Coltraneを心のmentorに持つ彼。さあ、1980年7月2日Hamburg, Germanyの地に立つMichael Brecker未だ31歳、人類史上ここまでサックス・テクニックを極めたhuman beingは貴方だけです!ここをスタート地点として更なる音楽表現の深さ、自己表現の巧みさ、目指しているリアル・ジャズプレーヤーとしての本質、自己の内面との対話を円滑に進め、スタジオ、ツアーサポート・ミュージシャンからの脱却、またこれから先自分は何をどの様にして、次なる表現力を身につけて行けば良いのかを探り続けて下さい!とは言っても貴方は自身であらゆる事柄を発案、思索し、決定して遂行出来るインテリジェンス溢れる自立した人、この先の音楽活動が楽しみで仕方ありません!(彼のプレイのその後の変遷、充実、成熟ぶりについては、いずれまた述べたいと思います)

87年リリース初リーダー作「Michael Brecker」

それでは収録曲について触れて行きましょう。1曲目Straphangin’はテナー奏者Albert AylerのオリジナルGhostをどこか感じさせるメロディライン(笑)、マーチ風のイントロから始まります。Michael曰く、New Yorkの地下鉄ストライキの際に思い浮かんだ曲だそうです。実際にツアーの3ヶ月前、80年4月1日から11日間にも及ぶ長期の地下鉄ストライキが、66年以来14年ぶりにあったそうで、一説によると900万人に影響を与えたそうですが、そんな大騒ぎをタイトルの由来にし、Strapつり革 Hangin’掴まる、地下鉄乗車を意味しているようです。因みにMichaelと一緒に山手線に乗車した事がありますが193cmの長身のため、日本のつり革は彼にとって用を成していませんでした(汗)。ジャケット写真に用いられている地下鉄City Hall駅(NYに幾つか存在する廃駅の一つで、閉鎖されてから70年以上経つにも関わらず、ロマネスク調の美しさを今でも保つカリスマ的名所、廃駅なのでBBの写真が半透明に処理されているのですね)の駅階段を降りる二人の写真もそこから来ているのでしょう。当時はMichaelもManhattanのChina Townに住んでいたので、スタジオギグの際には地下鉄を利用して移動していたと思います。

イントロのフェルマータ後Michaelのカウントでヘヴィーなファンク・リズムが始動します。シンプルなドラミングに対して他のリズム楽器の仕掛けが実に凝っていて、エキサイティングです!2ヶ月後の9月2日東京・武道館で開催されたAurex Jazz FestivalにBBが参加し、Peter ErskineやAlphonso Johnson達とこの曲を演奏しましたが、曲自体は同じですがソロの構成が異なっていた記憶があり、彼らも試行錯誤を繰り返してレコーディングに臨んだのでしょう。テーマのメロディは通常とは逆にテナーが主旋律を吹き、トランペットがハーモニーに回ります。ドラムとベースが繰り出すグルーヴがカッコいいです!武道館の時にはErskineの叩くファンクが繊細ながらも幾分軽めに感じました。ソロの先発はRandy、in B♭でEマイナーを中心としつつ、分数コードによる緊張感を持たせ、サビでのDm7-G7-Cmaj7と言うトラディショナルなコード進行との対比が、ソロイストに継続性、ストーリー性をもたらします。作品「Straphangin’」ではMichaelが先発を務めましたが、81年に六本木Pit Innで行われたライブでは同様にRandyが1st soloの場合も多々ありました。ソロ本編ではwahを用いたり、発情期の猫の鳴き声のような(?)効果音も交え、Ⅱ-Ⅴ-Ⅰ進行ではドミナント・モーション感を巧みに提示しながら、常にリズムのスイートスポットの見えている、彼ならではのソロを聴かせています。そして2番手Michaelの登場です。十分にスペースを取りながら助走態勢に始まり、走行安定後には猛烈にイメージを膨らませています。アドレナリンの分泌量が増大し、同時に脳内麻薬も出始めています!吹きたい事、チャレンジしたい事、昨晩とはまた違った世界を構築したい欲望とが渾然一体となり、しかし一切の躊躇、淀みはなく、自己主張を行う楽しさが全てに優先し、楽器は元より、マウスピース、リード等のソフトウエアの問題を全てクリアーした状態でSax Machineぶりを猛烈に披露しています!これだけ高速の演奏であれば普通乗用車ではなく、F1レース仕様スポーツカー並の精度の楽器セッティングが不可欠、楽器本体American Selmer MarkⅥ No.86351、マウスピースがBobby Dukoff D8ないし9番、リードはLa Voz Medium。エフェクターを使うために、ピックアップが施されたオリジナルとは別のネックに付け替えています。楽器本体、ネックはレース仕様ですが(笑)、マウスピースとリードはごく一般的な市販品の使用で、彼なりの調整が匠の技を生んでいると思います。しかし1曲目からこの調子で本人は元より、バンドメンバーは一夜持ち堪えられるのでしょうか?(汗)

Aurex Jazz Festival Jazz of the 80’s

Randyの曲紹介の後、2曲目はDetente収録のMichaelオリジナルTee’d Off、キャッチャーでいてしかし複雑な構成の曲調をライブにも関わらず、かなりオリジナルに忠実に再現しています。メロウな部分とBBらしいリズミック&ダンサブルなアンサンブルとのコンビネーションが絶妙です!コンポーザーによる先発ソロ、King Curtisやロックギターのテイストを交えながら華麗に歌い上げています。フラジオ音の当たり具合に時折問題が生じているようですが、これだけのヒット率ならばライブでは御の字でしょう。ですがクライマックスでは見事トラブルを克服し、フラジオ音の連発で巧みにまとめています。このソロの後に演奏するのは辛いのではないかと思いますが(汗)、続くFinnertyはむしろ委細構わず(笑)、フュージョン・ギター第一人者としての貫禄を素晴らしい音色で聴かせます。Randyのソロは無く、アンサンブルだけの参加に留まります。

3曲目もRandyのMCから始まります。曲はメンバー各自のソロを16小節づつ(作曲者Randyは8小節とアナウンスしていましたが…)トレードするのが目的のナンバーSponge、Heavy Metal Be-BopではTerry Bozzioの猛烈なドラミングのプッシュにより、とんでもない次元にまで演奏が盛り上がりました。こちらではまずRandyとMichaelの兄弟対決が行われます。Randyの一貫して知的、端正なアプローチに対し、弟はチャレンジャブルに、兄のソロの内容も視野に置きつつ、次第に熱を帯び始め、実に気持ちの入った入魂のフレージングの数々でバンドは元より、常にクールな兄を自分のペースにしっかりと巻き込んでいます!3’06″からのテナーソロの空白時間はエフェクターのツマミ調整に費やされたようで、その後のwahの掛かり具合が確実なものになりました。4’17″からのフレージング、実は運指が難しく、トレード中エキサイトしている時には更に難易度がアップする筈なのですが、Sax Machineにとってはいとも容易なようです。この頃のMichaelは他のサックス奏者がやらないようなリックを次々と編み出し、果敢に挑んでいたフシが伺えますが、発想が理科系ミュージシャンのなせる技でしょうか。続いてギターとキーボードのトレードが始まります。ここでのシンセサイザーの音色は懐かしいですね、おそらくProphet Ⅴを使用していると思いますが、アナログならではの暖かい、深みのあるサウンドが特徴です。Morales, Jasonふたりの徹底したサポートがあってこそ、ここでの大熱演が成立しました。誤解を恐れずにMoralesとBozzioのドラミングを比較するならば、MoralesはTony Williams的なパルスでの呼応、BozzioはElvin Jones的長いスパンでのレスポンスと言えると思います。

4曲目は本作中白眉の演奏、Michaelの代表的ナンバー Funky Sea, Funky Dew。Heavy Metal Be-Bopでの演奏も素晴らしかったですが、更に凌ぐこの曲を代表する名演奏が誕生しました。曲の持つ雰囲気はメロウさとファンキーさ、スパイス的に哀愁が加味され、C7ワンコードのセクションでは一転してハードロッカーに変身!曲構成のメリハリが堪りません!2’54″からMichaelが吹くフレーズはどこかで聴いたことがあると思っていると、これは「Return of the Brecker Brothers」1曲目のSong for Barryじゃあありませんか!!この曲は当初Guineaと言うタイトルが付けられていましたが、BB竹馬の友トロンボーン奏者Barry Rogersがアルバム制作の頃に急逝し、哀悼の意を込めて彼の得意なフレーズをモチーフに仕上げたそうです。この曲の印税の一部は遺族に送られる事にもなりました。

Return of the Brecker Brothers

Michaelのソロ、手がつけられないほどの絶絶、絶好調ぶりは何かが憑依して彼をコントロールしているに違いありません!続いてのギターソロもMichaelからのイマジネーションが作用し、白熱した演奏を聴かせますが、これまた何者かが憑依していると推測出来ます(笑)。ラストテーマを迎え、おきまりではありますがテナーサックのcadenzaソロになります。フェルマータ時にテナーの音量をグッと落とした時点でこれはかなりの長さのストーリーを展開するだろう、と暗示させます。この曲のキーがin B♭でBマイナーなのでドミナント・コードであるF#7を基本にフレージングを開始します。Heavy Metal Be-Bopでは”アルプス一万尺”のメロディを引用していましたが、今回はどうでしょう?ハイパーフレーズ連続の後にメロディらしいフレーズが聴こえて来ました。これは?えっと?何と! Coltraneのナンバー、Blues to Youじゃあありませんか!「Coltrane Plays the Blues」に収録されているin B♭でキーがC、F#の裏コードという解釈なのですね、流石です!

Coltrane Plays the Blues

その後ブルースフォームを辿りながらアカペラでソロをとり、Finnertyがバッキングを付け始めます。予定調和ではない、スポンテニアスな雰囲気に満ちた演奏、スリリングです!81年BB来日の際にも同曲でこのコーナーが設けられましたが、その時にはヴァージョンアップし、ブルースからリズム・チェンジのコード進行に変わり、リズム隊をバックに延々と吹きまくっていました!その後意外にもエフェクターのオクターヴァーを用いた重音、ハーモニー、自分の音をループさせながらその上でのやりとり、オクターヴァーの時間差を利用したフレージング、後年のEWIを使った独奏の原形がここで既に聴かれる訳です!更にキーBマイナーでの一人ファンクに今度はJasonも乱入し、メンバーMichaelの独演会に隙を見つけて何とか加わろうとしています。その後Michael極少の音量でFineのフレーズを吹きますが、キーボードは花火やイルミネーションと見紛うばかりのド派手なサウンドエフェクトを放ち、最後の最後にMichaelが再びループ音を鳴らすわで大変な騒ぎが収束しました。それにしても欧州ツアーで毎夜毎夜このレベルでのパフォーマンスを繰り出すMichael、プライヴェートでは大人しいナイスガイですが、ステージでは驚異的にタフな人です!

5曲目は再びDetenteからMichaelのナンバーI Don’t Know Either、Disc Oneは彼のオリジナルが中心と言う事になりました。哀愁を感じるメロディにはかなり難解なコード付けが成されています。Michaelが初めにメロディを吹き、その後これまたシンコペーションをこれでもかと活かした、分数コードが散りばめられたエグさまで感じられるサビのアンサンブル、2管編成にも関わらず分厚いサウンドを聴かせているのは、ハーモニー音のチョイスが的確なのでしょう、同時にFinnertyのギターも活躍しています。今度はRandyがメロディを担当、その後の構成は初めと同様です。ソロは引き続きRandyから、アッパーストラクチャー・トライアード系のヴァンプの上でスネークインしつつ始まります。一転して重厚なファンクのリズムへ、ミステリアスなムードに歩調を合わせつつ、自己の世界を構築し盛り上げていきます。リズムセクションとの様々なやり取りはライブ演奏の醍醐味です!Randyかなり長いスパンでソロを吹き、ほど良きところでアンサンブルへ、そしてコンポーザーの登場です。怪しげな雰囲気のサウドにマッチしたアウト感を提示、その後同様にヘヴィーファンクへ、wahを効果的に用いながらのソロは当夜用いたリックやアイデアを再演せず、全く新しいアプローチを披露しています!バンドもこれには「おお!」とばかりに入れ喰い状態で確実にキャッチ!まるで無尽蔵にワンコード・ソロのアイデアを持つかのようです!その後ヴァンプ、ラストテーマに入りますが一瞬出遅れてMichaelのテーマ奏、ひょっとしたらRandyの番だったか?と頭を過ったのかもしれません。エンディングが繰り返されますがカッコいいキメの連続、ギタリスト冥利に尽きるフレージングで、これはオイシイThe Crusadersのツアーをキャンセルした甲斐もあると言うもの(笑)、ニッコニコでギターを弾いているFinnertyの顔が浮かんで来ます。

Disc Two1曲目はHeavy Metal Be-Bopにも収録されていたRandy作の(変態?)ブルース・ナンバーInside Out、テーマ演奏の時点で既にメンバー全員ノリノリです!テーマの繰り返し時、11小節目にMichaelが吹くラインがBlues Brothes(笑)のイメージです!ソロ1番手はGray、初めの2コーラスはテーマのコード進行、その後スリーコードのブルースという、Heavey Metal Be-Bopでのスタイルを踏襲しています。2番手はRandy、オリジナルテイクの影を引き摺りつつ、そこは彼もsomething newを表現すべく果敢にトライしています。続くはMichael、この曲でも開始時からまた別なアプローチのヴィジョンが見えているようです。オリジナルではテーマのコード進行の後、延々とG7のワンコードでソロを展開していましたが、ここでは他のプレイヤーと同じくスリーコードのブルース進行でファンキーに、テキサス・テナー然としたアプローチを聴かせますが、おそらくフロント全員がソロを取るので比較的コンパクトに、とはいえ大胆にプレイを纏めているように感じました。続くFinnertyは自分の持つ表現力のテリトリーの範疇を最大限に広げた熱いソロを繰り広げています。その後ラストテーマを迎えます。

2曲目はDetente収録RandyのナンバーBaffled、前述のAurex Jazz Festival Jazz of the 80’sにも収録されています。ユニークな発想による斬新なメロディ、構成を湛えたファンクナンバー。スラップが効果的なベースパターン、多彩なギターのカッティング、微妙に変わるドラムのグルーヴ、Michaelのスペーシーな中でのフィルインソロ、様々な要素が渾然一体となったRandyの頭の中のような(笑)ナンバーです。テーマ後ドラムソロになり、ギターのミュートカッティングがパーカッション状態です!比較的長いドラムソロになりましたがツークラーベでバンドが復帰、 Randyのソロになります。ここでもいつになく本気のプレイ、バンドの音はかなりラウドだと思われますが、管楽器奏者にはかなり茨の道、多少のリズムラッシュはものともせず、キュー出しのためにオフマイクになりつつもラストテーマを迎えます。

3曲目Some Skunk Funk、BBのライブでこの曲を演奏しない訳にはいきません!オーディエンスの熱狂ぶりが感じられます。比較的穏やかなテンポが設定されました。テーマで時々テナーのメロディが霞んでいるのはおそらくエフェクターの調整のためだと思われます。周りの音量がデカいですからね。先発はもちろんMichael、さあさあ徹底的に、広大な草原をペンペン草も生えてないまでの荒野にすべく、とことん盛り上がって全て持って行ってくださいね!楽しみにしていますよ!との思惑が外れ、意外と小ぶりな内容で済ませました。次にJasonのソロが控えているので、彼フィーチャーと言う事で華を持たせるべく、自分の出番を抑えめにしようと言う目論見だったのかも知れませんが、テナーソロがとことんバーニングした後のベースソロもめちゃイケてると思うのですが?Jasonショウは素晴らしいタイム感、グルーヴで屋外のハードロックコンサート状態!その後カウントと共にラストテーマを迎えますが、本テイクは思い込みがあった分、他の収録曲に比べやや喰い足りなかった感じです。

4曲目Heavy Metal Be-Bop収録のナンバーEast River 、Jason他の作曲になります。この曲を用いた伝説のHeavy Metal Be-Bopプロモーションビデオでの くちパク、バンド横一列状態、Michaelのお茶目なパフォーマンス、youtubeにアップされているので未視聴の方々はゼヒご覧ください。https://www.youtube.com/watch?v=wnfhHamrULc

オリジナルにある程度忠実に演奏されていますが、ライブヴァージョンと言うこともあり、Jasonのボーカルの弾けぶり、ホーンセクションが吹くまた異なったフレーズ、オリジナルには無かったMichaelのソロ、これは実に気持ちの入ったMichael Breckerフレーズ炸裂のプレイです!続いてのFinnertyのソロ、ハードロックバンド以外の何物でもありません!おそらくメンバー全員によるコーラス、Jason, Randyの声は確認できますがMichaelはあまり声の大きな人ではないためか、歌っているのでしょうが残念ながら確認できません。その後意外性のあるメチャメチャイケてるエンディングのライン、これは大変に価値ある発掘だと思います!BBファンを長年やっていて良かったと思う瞬間です!

5曲目Don’t Get Funny with My Money、これまたレアな選曲、Detente収録のRandyのナンバーにして自身の唄をフィーチャーした名曲です!個人的にお気に入りのナンバー、この曲が収録されているのを発見した時は小踊りさえしてしまいました(笑)。晩年のMichael Brecker Quartetのメンバーを務めたベーシストChris Minh Dokyの99年リリース・リーダー作「Minh」に、大胆にもRandy本人を迎えてこの曲を再演しています。

Chris Minh Doky / Minh

前半は原曲と同様に演奏されますが、唄後のキーボードのソロ、そしてリフを挟み 何と!Randy, Michael, Finnertyの8小節トレードが開始されます!まさかこの曲で3人のバトルが聴けようとは!!その中で5’14″から始まるMichaelのGm7のフレージング(テナーサックス奏者には比較的ポピュラーになりますが)、これは何とWayne Shorterの「JuJu」収録MahjongでShorterが吹いているマンマじゃないですか!嬉しくなってしまいます!その後の4小節バースでもMichael君フリークトーンを連発!2小節バース、ソロ同時進行まで行きますか?この演奏からライブ当夜、バンドメンバー全員の充実感、完全燃焼ぶりを痛感することが出来ました!そして一度終わったと見せかけてクールに再び始まります!随所にMichaelが入れるフィルのセンスの素晴らしさ、願わくばこんなライブのオーディエンスになりたいものです!

2020.09

jazz/music 

2020.09.26 Sat

Speak No Evil / Wayne Shorter

今回も前回に引き続き、Wayne Shorterの作品を取り上げたいと思います。「JuJu」の次作に該当する1964年12月録音「Speak No Evil」、トランペッターFreddie Hubbardを加えたクインテット編成でShorterの音楽性がより一層開花しました。

Recorded: December 24, 1964 at Van Gelder Studio, Englewood Cliffs Engineer: Rudy Van Gelder Producer: Alfred Lion Label: Blue Note BLP4194

ts)Wayne Shorter tp)Freddie Hubbard p)Herbie Hancock b)Ron Carter ds)Elvin Jones

1)Witch Hunt 2)Fee-Fi-Fo-Fum 3)Dance Cadaverous 4)Speak No Evil 5)Infant Eyes 6)Wild Flower

人目を引く、シンプルながら芸術的なデザインの宝庫Blue Note Labelの作品でも、キスマークと東洋系女性がジャケットに写っているのは本作だけ、ユニークなのはもちろんですが、これはきっと女性に対するShorterの愛の証なのでしょう。本人からのオファーだと思います。Blue Noteには硬派なイメージがありますが、むしろ柔軟性に富んだ対応からその表現を許したレーベルとプロデューサーに懐の深さを感じます。写真の女性はShorterが61年に結婚した日系人Teruka “Irene” Nakagamiさんで、彼女との間に生まれた娘のMiyakoさんに捧げたナンバーが5曲目Infant Eyesになります。67年3月録音Shorterの11作目のリーダーアルバム「Schizophrenia」にはまさしくMiyakoと言うタイトルの、美しくも、あり得ないほどに独創的なスローワルツ・ナンバーが収録されています。

67年3月10日録音「Schizophrenia」

前作「JuJu」から約4ヶ月後の64年12月24日に本作は録音されました。Blue Note Label第1作目「Night Dreamer」が同年4月録音なので、1年間に3作と言うハイペースでのリーダー・アルバム制作は、迸る才能と同年7月頃に名門Miles Davis Quintet、リーダー自身に5年近く嘱望され続けて、いよいよの加入と言う話題性のなせる技でしょうか。本作参加メンバーはShorterの音楽性を最も理解している一人のElvin Jonesが今回も留任ですが、他のメンバーは一新されました。トランペッターFreddie HubbardはShorterが音楽監督を務めたArt Blakey and the Jazz Messengersで研鑽し合った仲、メキメキ腕前を上げていました。ピアニストHerbie HancockとベーシストRon CarterはShorterが加入したばかりのMilesバンドのメンバー、リーダー仕込みの高い音楽性は既に定評がありました。Shorterの個性的かつ難易度の高いオリジナル、しかも今回は表現の発露に更なるオカルト的なエグさが加わった前人未到のサウンドです!曲の構成やメロディライン、コード進行やリズムの複雑さに加え、一貫してダークで重々しい中にきらりと光る知性、ユーモアのセンスを含んだテイストは演奏者に表現上の問題提起を行なっているかのようで、より柔軟性に富んだプレイヤーが必要となり、メンバーの刷新は必須だったのでしょう、これらを演奏するに相応しいミュージシャンが揃いました。コンセプトとしては黒魔術に違いないのですが、前作は「JuJu」と言うことで西アフリカの呪術がテーマ、今回はWitch Hunt(魔女狩り)、Fee-Fi-Fo-Fum(ジャックと豆の木の巨人が発する気味の悪い雄叫び、呻き声)、Dance Cadaverous(死者の踊り)とSpeak No Evil(See No Evil, Speak No Evil, Hear No Evil=西洋的”見猿聞か猿言わ猿”の一節)、そしてWild Flowerの3曲はFinlandの作曲家Sibeliusの”Valse Triste”にインスパイアされたオリジナルで、愛娘に捧げたInfant Eyes以外は西洋の魔術がテーマになっています。Death Metalのジャンルでは存在するのでしょうが(汗)、ジャズでは初めて取り上げられたコンセプトアルバムに違いありません。これら呪術的オリジナルを、精鋭たちが信じられないほどの感性を持って熱演し、ジャズ史に残る名作に仕上げました。ワンホーン・アルバムは管楽器奏者の個性にフォーカス出来るのが最大の魅力ですが、アンサンブルとしてはモノトーン、本作のトランペット〜テナーサックス2管編成はモダンジャズ・ホーンズの黄金のコンビ、オクターヴ違いの音域と異なった音色のブレンド感がユニゾンはもちろん分厚いサウンドを聴かせ、ハーモニー演奏に至っては黄金を通り越したプラチナの響きに該当します(笑)。しかもHubbardのトランペットは技術的、音色、タイム感、サウンドのコンテンポラリーさが断トツに素晴らしく、Shorterと絶妙な相性を提示し、以降も抜群のコンビネーションをキープし続け、76年6月にNYCで行われたNewport Jazz FestivalでのHerbie Hancockのコンサートを収録した「V.S.O.P.」 での演奏をきっかけに、レギュラー活動を展開しました。

1976年7月29日ライブ録音「V.S.O.P.」tp)Freddie Hubbard ts,ss)Wayne Shorter p)Herbie Hancock b)Ron Carter ds)Tony Williams

V.S.O.P.は同じクインテット編成で、ドラマーがElvinからTony Williamsに替わっただけのメンバー構成、V.S.O.P.で同じくFreddieがMilesに替われば60年代のMiles Davis Quintetになります。音楽的志向が同じミュージシャンが集う傾向にあるのは昔からの常ですが、ElvinとHancockの二人に関してはどうも異なるようです。彼らサイドマン同士での共演作は何枚か存在しますが、お互いのリーダー作には決してどちらかの名前はクレジットされていません。その観点から分析してみると、まず本作テーマのフィルインはほとんどHancockが中心に行ない、Elvinはどちらかといえば追従した形でのフィル、フロントソロ時もHancockが主導権を握りバッキングを行なっています。「JuJu」の演奏ではひたすらElvinがリードしつつ、McCoyがついて行く形で伴奏を行い、同時にバッキングをしたとしてもぶつかる事はあまりありません。ですので結果Elvinのドラミングが曲想に完璧に合致し、全編炸裂した名演奏を聴くことが出来ました。McCoyはColtrane Quartetでのソロ時にバッキングをせず、ステージ上でピアノ椅子に座ったままじっと待つ事のできる辛抱強さ、寄り添う事のできるタイプで、長男ではなく兄貴達と遊びたい弟、兄貴の用事が済むまで待たされても辛抱する末っ子ではないかと(笑)。一方のHancockはMilesの空間のあるソロに対して、いかに充実したフィルインを展開して行くかを求められる状況下で、音楽性が培われたピアニスト、また伴奏を共にしたTonyのドラミングは空間を埋めるタイプではなく、フレージングに対する瞬発力を信条とするプレイヤーです。Hancockの言わば横のラインに対しTonyは縦のラインでのアプローチなのでバッキング時にぶつかり難く、良いコンビネーションを築き上げている間柄です。HancockとElvinの場合は、互いに似た音楽的傾向があると意識していると思います。それ故に相容れないものも同時に存在すると。本作の演奏ではHancockの弾けぶりが凄まじく、Elvinの健闘ぶりも発揮されてはいますが、前作よりは存在感が薄くなっています。ShorterからのオファーでリズムセクションはHancockが中心となってサポートして欲しいと、もしかしたら要望が有ったのかもしれませんが、とにかく彼自身「俺が、俺が」とばかりに真っ先にバッキングを行うため、Elvinの登場部分は限られてしまいました。彼も自分が出なければならない場面では率先してアクティヴになりますが、別の誰かが活躍する時には自己主張を(音楽を壊してまで)絶対にアピールはしません。バンマスShorterは結果これを良しとし、本作の次にリリースされた作品「The All Seeing Eye」(この作品との間に後年発売された2作品が録音されていますが)ではHancockが残留し、Joe Chambersがドラマーの椅子に座り、そして以降の作品にはElvinが戻ることは決してありませんでした。

65年10月15日録音「The All Seeing Eye」

それでは演奏内容に触れて行きましょう。1曲目Witch Hunt、躍動的なアップテンポのホーン・アンサンブルにリズム隊のキメが合わさる、これだけでも十分楽曲として成り立ちそうな秀逸なイントロから、ドラムが先導してテーマ部に入ります。4度のインターヴァルを中心としたユニークなメロディラインの間には毎回スペースがあり、早速この部分をHancockが慎重にして大胆にバッキングを行います。曲自体にダイナミクスが設定され、mpからffまでを縦横無尽に演奏しますが、この事が楽曲に深淵なメッセージ性を導入しています。テーマの繰り返し部分ではElvinもフィルインを入れるべく試行しますが「ここはHerbieに任せておこうか」とばかりに比較的”音無の構え”、テーマのff部分での巧みなカラーリングには存在感を見せており、更にテナーソロに入る直前の強力なフィルには場面転換に対する強い意志を感じさせます。本作でのShorterのテナー音色は一層の深みが織り込まれていて、独自なフレージングと共に聴く者を魅了してやみません。でもここでのソロの”寡黙さ”は敢えてHancockにフィルインを弾かせ、コールアンドレスポンスによるカンヴァセーションを企てようとしているかのよう、3’07″からはElvinがその企てに乗じてプッシュし始めます!思うにElvinは音楽的に高度に丁々発止のやり取りが出来る、Shorterにとって”間違いのない”素晴らしいパートナーですが、究極Coltraneの影がちらつき、自身のプレイにも影響を与えると感じます。例えば「JuJu」収録Yes or NoでのColtraneライクなアプローチのように。Miles Bandに加入したばかり、リーダーから直接求められる事はなかったでしょうが、早急に自己のスタイルを確立する事が一層の使命となり、Coltraneの影響下を一刻も早く脱却したいとの願望からElvinとの共演を控えるようになったのだと、ここでのソロの方法論を鑑みて自分なりの結論に達しました。

続くHubbardのソロはブリリアントな音色と滑舌の良さ、優れたタイム感、超絶技巧にも関わらず必ず”ウタ”を感じさせるアドリブライン、Clifford Brown, Lee Morgan, Donald Byrd, Booker Little, Woody Showの流れを汲むスタイルは、Shorterとの対比において全く引けをとらない素晴らしいものです!個人的にはHancock 65年3月録音リーダー作「Maiden Voyage」表題曲のソロに、Hubbardのジャズスピリットの真髄を感じています。

65年3月17日録音Herbie Hancock / Miden Voyage

続くHancockのソロでは盟友の演奏をバックアップすべく、Ron Carterのラインに更なる躍動感を感じます。ElvinはそんなCarterに演奏のレスポンスを任せているかのように、シンプルなバッキングに徹しています。ベースがこれだけ動いていて、更にドラムがアクティヴになれば演奏の収拾がつき難くなるのを懸念したのかも知れません。でもここでのドラマーがTonyであったなら、パーカッシヴなレスポンスの応酬を聴く事が出来たかも知れません。ラストテーマでのスペース部分では、ElvinとHancockお互いのフィルインの探り合いを感じました。

2曲目Fee-Fi-Fo-Fum、この曲のイントロにもユニークなリズムのアクセントが施され、メッセージ性を感じさせます。作品中最も明るい(?)、ファンキー(?)な雰囲気のナンバーですが、やはり一筋縄では行かないコード進行が施されています。メロディラインにもリズミックに強調する箇所が設けられ、メリハリが堪りません!ソロの先発Hubbardはいきなりハイテンションでキャッチーに吹き始めます。唇を振動させて発音するトランペットはサックス以上にコントロールが大変な楽器ですが、Hubbardの常に的確なプレイは日頃の鍛練の賜物、美しいトーンやハイノートも維持するには奏法を洗練させておくことが必須ですが、こちらも万全の態勢です。アクティヴに、スインギーに、端正なタイムをキープし躍動感溢れるソロを聴かせています。続くShorterはボソボソ感とスペースをたっぷりと取った、伴奏者にとってツッコミどころ満載のストーリーを展開、応えるべくここではHancockとElvin、バッキングを上手く分担しています。ファンキーなテイストを前面に出しつつ、トリッキーなアプローチも聴かせるピアノソロを経てラストテーマに突入します。ジャックと豆の木の巨人が発する呻き声は意外にアカデミックなものでした(笑)

3曲目Dance Cadaverous、ホーンとピアノのコールアンドレスポンスが印象的な、8小節の短いイントロから始まるワルツナンバー。曲名はミステリアスですが曲想はムーディなこの曲、テーマメロディの随所で聴かれるHancockの妖しげなバッキングの方にむしろミステリアスさを感じます。先発ピアノソロは独自のアプローチを示しつつスリリングに展開させ、ベースはハーフのグルーヴを維持しながら、テナーソロに入りしっかりとワルツを刻み始めます。テーマのメロディを基本にしながら、様々なイメージを膨らませてのShorterのプレイは、まるでセカンドリフを奏でているかのように見事にマッチングした世界を構築しています。その後ラストテーマに入りますが、その手前でのElvinの場面転換に際する的確なフィルインに、思わず納得させられます。ここではピアノのバッキングが一層の妖しさを発し、まるでHancockのピアノワークのためにある曲の如しです。エンディングの繰り返しもユニークなもので印象に残ります。

4曲目表題曲Speak No Evil、何と言う物凄い曲でしょう!Shorterコンポジションの中でも群を抜いてインパクトを持つナンバーです!そしてそして、冴え渡るHancockの、もはや曲の一部と化したテーマ時バッキングの嵐!これはもうHerbie Hancckバッキング祭り状態です(笑)!これではElvinの出番は封印されたも同じですが、シンコペーションや曲のキメの部分でのドラムフィルはまさしく彼ならではのセンスが光ります!ソロ先発はShorter、ここでもテーマのモチーフを大切にしたアプローチが素晴らしいです!Elvinはピアノとテナーのやり取りとは異なった手法での、独自のインタープレイに着眼したかのように、2’28″から盛大にフィルインを繰り出し果敢に挑みます! Shorterに纏わり付くようにバッキングし続けるHancock、そして激烈に、しかしクールに自己の内面を具現化し続けるテナーソロは信じられない次元にまで、音数は決して多くは無くともバーニングしています!Shorterに対してピアノとドラムと全く別方向からのアプローチが行われ、しかし彼ら二人は決して合わさることなく平行線を辿りつつ曲が進行します。演奏中に行われるソロイストvsリズム隊のインタープレイの他、ピアノvsドラムの互いの自己主張が同時進行し、音楽が崩壊するギリギリのところまでせめぎ合い、この事象が演奏を更なる次元にまで押し上げているようにも感じます!続くHubbardのソロもイメージを猛烈に膨らましながら、この難曲に対して挑むように、しかし何とも言えない色気を放ちつつ、フレージングを展開して行きます。トランペットのフレーズを受け継ぎHancockのソロが始まります。ここでのピアノソロは本作中最も深い次元にまで表現が到達、ある種神がかっているように思います!素晴らしい!その後はラストテーマへ、Hancockバッキング祭りは宴もたけなわ、あり得ないレベルでの演奏、ハイパーなコードの連続です!

5曲目Infant EyesはShorterの作曲技法の結晶といえると思います。メロディのセンス、コード進行の妙、楽曲全体が持つ雰囲気は愛娘への全身全霊の思いから、これほど深い音楽性と情緒を湛えたジャズミュージシャン作曲のバラードは存在しない、とまで感じている名曲です。Stan Getzが76, 77年頃にこの曲をレパートリーに取り入れ、積極的に演奏していました。77年1月Copenhagenの名門ジャズクラブJazzhus Montmartreのライブ盤に収録、GetzとShorter、同じテナー奏者ながら(だからこそ)これだけ唄い方が異なるのを比較してみるのも楽しいです。そして同年7月Montreux Jazz Festivalの模様を収録したアルバム「Montreux Summit vol.1」、こちらは全編大所帯のジャムセッション演奏の中で、この1曲だけGetzのワンホーンカルテットでのプレイ、彼の存在感を誇示した名演奏に仕上がっています。

Stan Getz Quartet Live at Montmartre vol.2
Montreux Summit vol.1

リリカルなピアノのイントロに続き、離れた所からスネークインするように低音のアウフタクトからメロディが始まります。艶やかな音色でメロディを切々と歌い上げるShorter、バラードでフィルインを入れるのはいつの世でもピアニストが独占企業、Elvinはお得意のブラシで淡々とキープします。Carterのベースラインにも表情が感じられます。ここでのHancockはShorterのソロやサウンドに一定の距離、付かず離れずのスタンスを置きつつ、バッキングを勤めますが、長年に渡る二人のコンビネーションの原点と言えるのではないでしょうか。97年リリースのDuo作品「1+1」は彼らにとっての集大成的作品です。二人のオリジナルを演奏し、Shorterはソプラノサックスに専念しています。

「1+1」Wayne Shorter / Herbie Hancock

6曲目Wild Flowerは本作中2曲目のワルツナンバー、美しいメロディと2管のハーモニーが奏る崇高さ、そしてここでも大活躍するHancockのバッキングがジャジーなムードを高めています。先発のテナーソロは一貫してテーマのメロディを感じさせつつ、不定形の極みとも解釈できる自己のスタイルを発揮し、あり得ない世界を構築しています。ソロ終わりに聴かれる大フィルインで珍しく(?)ElvinとHancockの波長が合致しています。続くHubbardのソロも絶好調、リズムセクションとのやり取りも申し分ありません!Hancockのソロを聴くと彼の頭の中はいったいどの様な構造になっているのか、覗いてみたくなるのが常ですが、このソロも例外ではなく摩訶不思議な世界に突入しています。Elvinとのインタープレイも随所に光るものを感じますが、総じてメンバー全員ここでナイスプレーを繰り広げているのは、楽曲が他より比較的ストレートアヘッドな事に由来しているのかも知れません。ラストテーマのアンサンブルは本作中全曲に共通する、初めのテーマよりも音楽的な深さを聴かせて終了しています。

jazz/music 

2020.09.17 Thu

JuJu / Wayne Shorter

今回はテナーサックス奏者Wayne Shorterのリーダー作64年録音「JuJu」を取り上げたいと思います。考え得る最高のメンバーと共にワンアンドオンリーなスタイルを引っ提げてオリジナルを熱演、彼の代表的なワンホーン・カルテット作品が誕生しました。

Recorded: August 3, 1964 at Van Gelder Studio, Englewood Cliffs, New Jersey Engineer: Rudy Van Gelder Producer: Alfred Lion Label: Blue Note / BLP 4182

ts)Wayne Shorter p)McCoy Tyner b)Reggie Workman ds)Elvin Jones

1)JuJu 2)Deluge 3)House of Jade 4)Mahjong 5)Yes or No 6)Twelve More Bars to Go

一聴してすぐに分かる、誰でもない個性を有したテナーの音色、ニュアンス、発音、タンギング。演奏スタイル自体そのものが存在しないと感じられるほど不定形でいて、しかし確実にShorterのカラーやメッセージが色濃く発揮される独創的インプロヴィゼーション、同様に彼にしか生み出すことの出来ないメロディライン、サウンドやコード感、曲調、リズムフィギュアを有し、それでいて確実にジャズにカテゴライズされる、ユニークさを遥かに通り越し崇高な域にまで到達する自作楽曲の数々。これらを踏まえて楽器を問わず並び称せられるミュージシャンを思い浮かべると、Thelonious Monk, Andrew Hill, Eric Dolphy, Joe Hendersonくらいでしょうか。偶然か必然か、彼らはShorter同様に全員Blue Note Labelのアーティストたちである事に、レーベルの持つ進取の精神を感じずにはいられません。学生時代に本作を初めて耳にして、作品の良し悪しを判断できる耳は持たずとも、その底知れぬ音楽の魅力に引き摺り込まれた覚えがあります。知らぬ間に聴く者を虜にするマジックを持つ作品を、今回は音楽的側面からクールに分析してみようと思います。

本作はShorter5作目のリーダー作に該当します。初リーダー作「Introducing Wayn Shorter」をVee-Jay Labelに59年11月録音、合計3作を同レーベルからリリースしていますが、共演者の人選やスタンダード・ナンバーのチョイス等レーベルの意向が強くあったと思われ、アルバムのコンセプトがハードバップの範疇に位置し、そこから脱出しようと常に試みを聴かせるShorterとのギャップが(それはそれで面白いのですが)アルバム表現を中途半端なものにしています。前作に該当する4ヶ月前にレコーディングされた「Night Dreamer」からBlue Noteレーベルに移籍し、その後たて続けに名作をリリースする事になりますが、「Night Dreamer」と本作は同じリズムセクション〜 McCoy Tyner, Reggie Workman, Elvin Jones〜殆どJohn Coltrane Quartetのメンバーですね。そしてArt Blakey Jazz Messengersでの盟友、トランペッターLee Morganが加わり、クインテットによるややハードバピッシュな演奏、しかしVee-Jay諸作とは格段にShorter色を出した演奏を展開していました。本作はワンホーンという事で思う存分自己の音楽を表現しています。演奏曲も引き続き全曲Shorterのペンによるものですが、個性の発露に一層の拍車がかかりハードバップを完全に払拭し、気高いまでに猥雑なShorterワールドを展開、さらにタイトルのJuJu=西アフリカの呪物、魔除け=が黒魔術的なイメージを与え、作品にミステリアスさを付加させています。ちなみに収録のDelugeも大洪水の意味、theを付ければノアの洪水を意味する事となりますが、実際にはそこまでの大義はなく、雨が降り始め溢れていく様を思い浮かべたそうですが、曲想はかなり深淵なイメージと受け取ることが出来ます。他曲House of Jade, Mahjong, Yes or No, Twelve More Bars to Goも含め、タイトルの意味深長さも作品の価値を高めていると感じます。その後の作品でもShorterオリジナルには一貫してタイトルに彼らしい捻りが効いています。例えばWitch Hunt, Speak No Evil, Fee-Fi-Fo-Fum, Schizophrenia, More Than Human, Endangered Spieces, The Three Marias…絵画や漫画に造詣の深い彼は、楽曲の捉え方に視覚的要素が付加されていて、ユニークなタイトルが浮かぶのかも知れません。

初リーダー作「Introducing Wayne Shorter」
64年4月29日録音「Night Dreamer」

本作のスリリングな演奏の連続にはリズムセクションの貢献度に多大なものがあり、彼らの名伴奏がなければ間違いなく成り立たなかったでしょう。Elvin, McCoy, Workmanの息の合った絶妙なサポートには、Coltraneのバンドで互いに切磋琢磨し合った音楽性が反映されていると感じます。Workmanは61年12月頃までの在団でしたが、ElvinとMcCoyは当時Coltrane Quartetでの演奏真っ只中、本作録音の2ヶ月前に「Crescent」、そして4ヶ月後に「A Love Supreme」のレコーディングに参加しています。以降次第にフリーフォームに傾倒していくColtraneの、ある種崩壊を迎える音楽性(本人が渇望した崩壊ですが!)の調性内に於ける最終楽章に該当する、その中でも最重要2作品の狭間に本作は録音されました。音楽の内容はColtrane, Shorterもちろん全く異なりますが、Coltraneの2作は共にコンセプトアルバムとして明確なイメージが存在し、60年頃から4年以上に渡りツアーやクラブギグ、レコーディングを数多く経験した濃密な共演歴に裏付けされた、バンドサウンドの結晶として位置付けられます。McCoyの緻密なコードワーク、サウンド、そして徹底的にColtraneに寄り添う姿勢を見せるサポーター然とした伴奏、Elvinの芸術的領域にまで達する美しさを内包した、楽曲を彩るカラーリングの実に見事な事!これらを十分に踏まえ本作ではShorterの音楽性にディレクションをフォーカスし、Coltrane Quartetでのノウハウを生かした繊細さを基本にしつつ、大胆さを持って開花させているのです。

64年4, 6月録音「Crescent」
64年12月録音「A Love Supreme」

本作メンバーの人選はShorter自身による発案なのか、プロデューサーAlfred Lionのアイデア、若しくは助言があったのか、いずれにせよ旬のミュージシャンの脂の乗った時期をキャッチしての手配、レコーディングとなりました。Elvin, McCoy, Workmanと来てShorterです。Coltrane Quartetと演奏は異なるに決まっていますが、むしろどれだけ違うのか、どんな風に変わるのか、メンバーはどのようなアプローチを聴かせてくれるのか、プロデューサー、そしてリーダー本人もワクワクしながら楽しみにいていたように感じます。とりわけElvinはShorterの楽曲、音楽性に対する理解力と表現、そして自己主張とのバランス感に今更ながらに鳥肌が立つほどの感動を覚えますが、Coltraneのバンドへのアプローチよりも、より柔軟さを感じるのはレギュラーバンドから離れたある種の気楽さの産物かも知れません。

それでは作品の内容について触れて行きましょう。1曲目表題曲JuJu、イントロからMcCoyのコードワークによるホールトーンのサウンドが、不安感を煽るかのように聴く者に畳み掛けます。Elvinのリムショットの効いたリズム・フィギュアのカッコいい事!Shorterの吹くテーマの登場により場が刷新されます。楽器セッティングはマウスピースOtto Link Metal 10番、リードはRicoの4番、楽器本体はおそらくSelmer Bundy。一聴抜け切らないこもった成分がなんとも言えぬ味わいとして聴こえますが、音の輪郭、ず太さ、ダークさ、コク、付帯音の豊富さもあり得ぬ次元で発音され、このような音色、鳴らし方のテナー奏者は他に存在しません。24小節の構成から成るテーマは2度演奏されます。特徴的なのは4小節目と8小節目にElvinの大きなフィルインが入る点で、繰り返し時も同様です。通常フィルインはコーラスの変わり目、またはメロディとメロディの間〜音符のない部分を補うべく挿入されます。確かにメロディの合間ではありますが、まず通常は挿入されない箇所です。コード進行的にホールトーンの部分なので不安定なサウンド感を強調する、拍車を掛けるべくの効果なのか、その後の落ち着いたサウンド部分には一切入らないのでその分目立つのですが、これがまた実に効果的に響きます。Elvinのアイデアなのか、Shorterの指示によるものか、いずれにしても楽曲のカラーリングを担当するドラマーとしてのセンスを再認識する場面であります(ちなみに後テーマではまた異なった箇所にフィルが入ります)。先発はMcCoy、曲想の隅々まで理解を極めたアプローチによるソロは、この後に展開されるテナーソロにあたっての最高の前哨戦になりました。オクトパス奏法とは言い得て妙、8本の手足を駆使するが如く同時に幾つものカラフルな音、リズムを鳴らすまさにポリリズムの饗宴、ソロを鼓舞する様は全くElvinならでは、彼にしかあり得ないアプローチです!Workmanの進取の精神に富んだアグレッシヴなベースラインとの一体感も申し分ありません!そしてそして、Shorterの登場です!彼に思うのはアドリブソロでコード分解の巧みさ、スリリングなフレーズによるハードバップ的なアプローチを聴かせると言うよりも、あくまで楽曲の持つコンセプトの中で極論、ソロをセカンドリフ的に演奏しているのではないかと。流麗とは言い難いサックスプレイですが彼は十二分に自己のメッセージを放っており、言ってみれば彼流の朴訥としたブロウで、自身のオリジナル曲の持つイメージを膨らます作業として、インプロヴィゼーションを存在させているのではないかと睨んでいるのです。ここでのソロも構成力、フレージングのアイデア、意外性、メロディとの関連性、リズムセクションとの一体感、全て文句なしの内容に仕上がりました!その後のElvinはShorterの意を受け継ぎ、コンパクトながらオクトパスが増殖したかの如き(笑)スリリングなドラムソロを聴かせます。ラストテーマを迎えエンディングは長いスパンでのフェードアウトが行われ、演奏がまだまだ続いていた事を示しています。

2曲目Deluge、Shorterはミディアムテンポでモーダルなスイング・ナンバーの佳曲を数多く書いていますが、この曲も例外ではありません。イントロはミステリアスなムードを提示しつつ、継続して演奏されるMcCoyのトレモロが印象的です。テーマは恐らくテナーの振り下ろしをきっかけにテンポが設定されました。ここでもElvinのカラーリングが光り、シャッフル風のリズムとメロディ間に挿入されるタムを中心としたフィルインがとても効果的です。それにしてもこのセンスは一体何処からやって来るのでしょう?アグレッシヴなドラマーのイメージがありますが、メロディの伴奏に繊細なセンスを駆使することの出来る、大変デリケートな演奏を心情とするドラマーです。テナーソロが先発、間を生かしつつのレイドバック感が曲調に合致しています。リズムセクションはShorterの一挙手一投足を万全に受け入れるべく、全身全霊を傾けているかのよう、前述の通り曲のセカンドリフ状態のアドリブソロをバックアップすべく、研ぎ澄まされた感性を駆使していて、あり得ぬ次元の緊張感ですが、演奏者は実は気楽に演奏を楽しんでいるのだと思います。引き続きのMcCoyのソロ、的確さとスイング感がテナーソロと被る事なくスムースに行われ、ElvinのバッキングはShorterの時とはまた違うアプローチを聴かせつつ、場面転換に向けて大フィルが入ります。ラストテーマのカラーリングには一層の、いや何層もの拍車がかかったプレイを聴かせます。エンディングのフェルマータではここで終わりだろうと判断したElvinが締めのフレーズを叩きますが、実はShorterにはまだその先があり、もう一度Elvinが締めを試みようとした気配も感じました。

3曲目House of Jade、このバラードもそうですが、Shorterのオリジナルはテナーサックス中高音域を用いたものが多いようです。この曲の最初の8小節間は当時の奥方Teruka Ireneさんが作曲、Shorterがサビを作曲し、曲として仕上げました。この8小節に東洋的な匂いがするので、この曲名”翡翠の家”を付けたそうです。何とも言えぬ魅力的な雰囲気を有するナンバーですが、東洋的なテーマに対し、サビ部分はペダルポイントを用いた西洋的アカデミックなサウンドを湛えているので洋の東西の融合、East Meets West的な意味合いもあると思います。Elvinはテーマでブラシを用いていましたがテナーソロに入るとすぐにスティックに持ち替え、そのままさら2コーラス目から倍テンポに変わり、Workmanのベースラインが活躍します。テーマのメロディを随所に感じさせるメロディアスなテナーソロはまさにコンポーザーならではのもの、McCoyの短いソロが終わり再びバラードに戻りますが、Elvinはそのままスティックでテーマを演奏、当然ですがまた違ったカラーリングを聴かせます。

4曲目MahjongはElvinの厳かなドラムソロから始まります。ペンタトニック・スケールが元になったシンプルで東洋的なメロディを持った曲、メロディの無い間の4小節はMahjongをプレイする人が次の手を考える時間を表しているそうで、メロディを有するその後の4小節は次の手を決めている時間なのだそうです。その間に捨て牌が決められれば良いですし、ロン牌にならない事を願いますが(笑)。ピアノのバッキングも東洋的〜中国的なサウンドを醸し出す事に成功しています。先発ソロMcCoy、自分が出過ぎずかつ次のソロへの布石になり得るように、ソロの雰囲気や長さ、構成を上手くまとめてテナーソロに繋げています。ここでも曲のムードに決して外れる事なく、巧みにShorterワールドを構築しているのは見事です。前作「Night Dreamer」でもOriental Folk Songという、中国のトラディショナル・ソングをShorterがアレンジを施し演奏していましたが、彼がTVを見ていてインパクトを受けたナンバーだそうです。奥方が日本人であれば自ずと東洋的な事柄に興味が湧くのでしょう。

5曲目Yes or NoはShorterのオリジナルの中でも名曲の誉高い、アップテンポのスイングナンバー。本人曰くA-A-B-A構成のAの部分がyes part、サビに当たるBの部分がno partに該当するのだそうです。yes partはハーモニー的に明るく響き、希望に満ちたメジャーサウンド、no partは懐疑的、消極的なマイナーの旋律が循環する部分と説明しています。サビの部分のサウンドはそこまでに否定的には感じませんが(笑)。この曲、鑑賞する分には良いのですが実は超難曲、手強さが半端なく演奏する機会があると毎回チャレンジ(しかもあまり達成感のない)と言う事になります(汗)。ここでのShorterはストレートアヘッドさを感じさせるテイストで、いつになくしっかりと、しかも流暢にフレーズを吹いており、その点でも取っ付き易い曲なのでは、とyes partのような希望を持ちますが(笑)、実情はno partそのものです(汗)。ソロ中Coltraneのアプローチを感じさせる部分も認めることが出来る、理論的に解明させる価値のある演奏です。続くMcCoyのソロの素晴らしさにもColtrane Quartetでの演奏より、伸び伸びとした解放感を感じます。テーマ時に左手でルートを鳴らし、右手でsus4のサウンドを華麗に響かせ、ソロ中にも大胆なコード付け、Shorterのソロへの合いの手の巧みさ、伴奏者の鏡のような演奏を聴かせています!そしてElvinのドラミング!彼のドラム演奏のためにこの曲が存在するのでは、と思わせるほどの楽曲へのハマり具合!シンバルレガートひとつとってもリズムに対するシャープネス、拍から溢れんばかりの音符の長さ、微妙に音色(ねいろ)を変えながらうねるように、時として畳み掛けるように、ソロイストのフレーズをより音楽的に発揮させることができるようにプッシュする瞬発力と包容力。ラストテーマでは更なるカラーリングの炸裂が!5’45″や6’09″からの、ほど良きところに信じられない超弩級のフィルインの嵐には笑いが込み上げて来るほどです!このリズム隊の屋台骨としてのWorkmanの貢献度が実は並々ならぬものなのですが。

6曲目Twelve More Bars to Goには意味が二つあるそうで、12軒以上のバーをハシゴして飲み歩くのと、ブルースのフォームが12小節であることをかけていますが、お酒が大好きなShorterならではの洒落なのでしょう。この曲はメロディ自体オーソドックスな12小節のブルースですが、コード進行には捻りの効いた代理コードが用いられ、一筋縄では行かない工夫が成されています。スペースを保ちながら、ユニークな語り口でじわじわと盛り上がるShorterのソロに、トリオは付かず離れずを繰り返しながら、まとわり付くが如くアプローチして行きます。他のプレーヤーのソロはなく、テーマ〜ソロ〜テーマと独壇場の演奏でラストを締め括っています。

jazz/music 

2020.09.04 Fri

A Night at the Village Vanguard / Sonny Rollins

今回はSonny Rollinsのリーダー作1957年11月ライブ録音「A Night at the Village Vanguard」を取り上げたいと思います。多作家にして名演奏、名作の宝庫RollinsのライブラリーでもBest5に入るであろう、トリオ編成による代表作です。

Recorded: November 3, 1957 at Village Vanguard, New York City Label: Blue Note BLP1581 Engineer: Rudy Van Gelder Producer: Alfred Lion

ts)Sonny Rollins b)Wilbur Ware, Donald Bailey(on afternoon set) ds)Elvin Jones, Pete La Roca(on afternoon set)

1)Old Devil Moon 2)Softly as in a Morning Sunrise 3)Striver’s Row 4)Sonnymoon for Two 5)A Night in Tunisia(afternoon set) 6)I Can’t Get Started

意外な事実ですが本演奏はRollinsにとって初リーダーライブ、そして初ライブレコーディングになります。51年録音初リーダー作「Sonny Rollins with the Modern Jazz Quartet」以降数々の名盤をリリースし続けたので、リーダーとしての活動をコンスタントに続けていたイメージがありますが、あに図らんや録音の都度にメンバーを配しし続け、パーマネントなメンバーでは演奏活動は行ってはいませんでした。同じテナーサックス奏者同志比較すると分かり易いですが、Michael Breckerも70年代初頭から膨大なスタジオワークとサイドマンのギグ、75年から兄RandyとのThe Brecker Brothers Bandでの大活躍で自身のリーダー作、レギュラーバンド活動を渇望され87年、38歳の時に遅咲きながら開始しました。Rollinsはこの時27歳、10代から第一線で活躍していたのである意味既にベテランの領域かも知れません。ふたりに共通するのは如何なるシチュエーションでも自身の音楽性を発揮出来る、でも自分が前面に出ることに特に頓着せず、いろいろなミュージシャンとの共演を楽しむ、そしてむしろリーダー活動での束縛を望まなかったと言う点です。でもMichaelの場合はすっかり観念して(笑)、徹底的にリーダー活動を展開しました。Rollinsはどうでしょうか、例えば彼の取り巻き連中はこのような事を言っていたのでは?「Sonny、自分のレギュラーバンドでの活動はいつから始めるんだい?あんなに沢山名盤をこしらえているのにバンドが無いなんてもったいないぜ。ここいらで本腰を据えて自分のバンドを持ったらどうかな?皆んなSonnyのバンドを聴きたがっているよ」のような要望だったように思います。でも実は本人フリーランス状態で気ままに様々なメンバーとの演奏活動、レコーディングを楽しんでいた風を感じます。Miles Davis, Max Roach, Clifford Brown, Thelonious Monk, Dizzy Gillespie, Kenny Dorham, Abbey Lincolnたちツワモノの諸作品で、いずれもジャズ史に残る名演奏を残しており、全てがリーダーを喰ってしまいそうな勢いの表現の発露、しかし各リーダーはRollinsの演奏、人柄をこよなく愛していたので全く好きにやらせていました。自身のリーダー作での演奏も一回こっきりのメンバーとのハプニング、アバンチュール(?)を存分に楽しむ、特に55〜57年は彼の代表作リリースのラッシュ、リーダー活動を行わずとも一枚一枚異なったコンセプトのアルバムを作れるのは迸る才能が成せる技以外の何ものでもありませんが、諸作品には継続的な路線を示し、その上での発展性は感じられません。実はスタンスとしてサイドマン気質的なものが根底にあり、空を舞うペガサスの如く束縛を嫌い、一か所に落ち着かず、解放された状態でこそ自己を100%発揮できるプレーヤーなのではないかと推測しています。伝え聞いた話ですが、Rollinsは周囲に実に気をつかうタイプで、しかも頼まれたことを断る事が出来ない人柄だそうです。そのような人物がメンバーを率いて、強力にリーダーシップを取るのは至難の技、例えばMilesやCharles Mingusのように強権を発揮できるタイプのミュージシャンは生まれもってのリーダータイプですが。59年に自己を見つめ直すための一時的な引退に代表されるような、デリケートさを持ち合わせています。

「Sonny Rollins with the Modern Jazz Quartet」

満を持してのこのリーダーライブ、演奏は大成功をおさめましたが、このメンバーを起用してパーマネントに演奏を継続するには至らず、唯一afternoon setで共演したPete La Rocaとはその後2年間行動を共にすることになります。59年3月Stockholmでのラジオ放送を収録した「St Thomas Sonny Rollins Trio in Stockholm 1959」でLa Rocaとの共演、そして50年代最後のRollinsの名演奏を堪能する事が出来ます。

「St Thomas Sonny Rollins Trio in Stockholm 1959」

もうひとつ、今回Village Vanguardとしても初めての実況録音の会場となりました。という事でお初が3連発ですね(笑)、以降多くのジャズメンにより数多くのライブアルバムがレコーディングされ、NYCジャズライブハウスのメッカという事でミュージシャンことごとく張り切り(笑)、いずれの内容も名盤のクオリティを聴かせますが、店の前を通る7th Avenueの地下鉄レール走行音がバラード演奏時に「効果音」として入ってしまうこともあります(笑)。

75年にアナログ盤2枚組で「More from the Vanguard 」と題して本作の未発表テイクを10曲収録したアルバムがリリースされました。Sonny Rollins Trioは当日afternoon setで5曲、evening setで15曲合計20曲を演奏しましたが、プロデューサーAlfred Lionはこのうちafternoon setの4曲を廃棄し、16曲の中から6曲を選んでアルバムにしました。20年近く倉庫で眠っていたこの未発表テイクの出現は青天の霹靂、大いに驚きましたが録音テープの保存状態が良くなかったのか、ミキシングの関係か音質に難があり、当時レコード盤で聴いていささか閉口した覚えがあります。ところが99年7月にレコーディング・エンジニアRudy Van Gelder自らリマスタリングしたCDが「A Night at the Village Vanguard vol. 1, vol. 2」として発表されました。録音したエンジニア本人による、世界遺産的名人芸の領域(爆)の音質改善作業で未発表のクオリティもかなり向上、Rollinsの軽妙で楽しげなMCテイクも追加、当夜の全貌がクリアーな形でリリースされました。

「More from the Vanguard」
「A Night at the Village Vanguard vol. 2」vol.1はオリジナルジャケットと同じ色合いです。

本作前後にもRollinsはテナートリオでレコーディングを行なっています。遡ること8ヶ月57年3月Los AngelesでRay Brown, Shelly Manneと「Way Out West」、3ヶ月後の58年2月NYCにて名盤「Brilliant Corners」のリズム隊でもあるOscar Pettiford, Max Roachと「Freedom Suite」、いずれも全く違ったコンセプトでの作品です。「Way Out West」は西海岸の名手二人とミディアムテンポのスタンダード・ナンバーやオリジナルを中心に、大らかさを全面に押し出し横綱相撲の如き貫禄のある演奏に徹しています。録音当日は参加ミュージシャン3人が多忙を極めてなかなか時間が取れず、夜中の3時にレコーディングが始まり朝の7時まで行われました。テンガロンハットを被り、ホルスターを腰に付け、カウボーイ姿に扮してテナーサックスを拳銃の代わりに携えたRollinsが、バイソン頭蓋骨のオブジェまで用意された白昼の荒野でポーズを決めるジャケット写真のイメージもあり(笑)、LAの明るい日差しを燦々と浴びた日中のセッションと勝手に考えていましたが、言われてみればSolitudeやThere Is No Greater Love, Way Out Westなどにいつになくレイジーな雰囲気が漂い、真夜中の様相を呈しているようにも聴こえます。「Freedom Suite」の方は1曲目レコードのA面全てを費やしたThe Freedom Suiteに代表されるコンセプト・アルバム、ストーリー性のある構成の佳曲が合わさった組曲に対し、トリオは実にタイトに、スリリングに演奏を展開しています。「Brilliant Corners録音の時は曲が難しくて難儀したし、OscarはMonkと随分やりあってレコーディング・ブースの中で弾いてる振りの嫌がらせまでして、そりゃビーク(首)にもなるけどさ、Maxとふたりのグルーヴは実に気持ち良かったなあ」とか何とか言いながらメンバーを決めたのでしょうね、きっと(笑)。B面のスタンダード・ナンバーの演奏も充実した内容の仕上がりです。

「Way Out West」
「Freedom Suite」

テナートリオにはコード楽器が存在しないのでそこをRollins流のハーモニー感に富んだフレーズ、ラインにより、鳴っていないはずのコードがあたかも流れ聴こえるようにプレイしています。それは必然でもありますが。そして卓越したリズム感によるグルーヴが演奏の精度にスピード感を加味し、全体のクオリティを高める効果を生んでいます。彼を軸としたリズムの構図は他のテナートリオにはない高次元なスイング感、タイム感を表現し、Rollinsはもはやリズムセクションの一員として機能しています。バックビート、裏拍、リズムのスイートスポットに対する音符の比類なきハマり具合、4小節、8小節の垣根を超えたフレージングの開始位置、終了場所。知る限り比較し得るテナートリオは「Elvin Jones Live at the Lighthouse」でのSteve Grossman, Gene Perla, Elvin Jonesのプレイだけでしょう。

「Elvin Jones Live at the Lighthouse」

Sonny Rollinsというテナーサックス奏者は、ジャズ表現に必要な音楽性、テクニック、オリジナリティ、音色、豪快さ、繊細さ、エンターテインメント性等の条件を全て十二分に持ち合わせています。それは他のプレーヤー誰も習得する事ができなかったジャズの歴史上最高位なレベルにまで至ると確信しています。押し付けがましくなく極々自然体でそれが独自のバランス感を伴い、モダンジャズを代表する演者として君臨しています。才能はもちろん持ち合わせていたでしょうし、努力は怠らなかったことでしょう、それらは不可欠ですが、50年代モダンジャズの黄金期を脇目も振らずスプリンターの如く邁進する事が出来たからこそ、Rollinsがあるに違いないと睨んでいます。時代や背景は大切な要素です。

それでは収録曲に触れて行きましょう。1曲目Rollinsの”Here we go”という掛け声に続きカウントが始まります。ラテンとスイングのリズムが交錯する、小節数や曲のフォームがイレギュラーなナンバーOld Devil Moon、メロディラインにも独特な魅力があります。Elvin, Wareとの共演は今回が初めて、何かとお初が多い作品ですが3人のリズムの相性は大変に良く、絶妙なコンビネーションを聴かせています!イントロではElvinがシンバルのカップを叩き、硬質な音を聴かせていますが、随所にこの人ならではのカラーリングを見出す事が出来ます。いつもの彼とは違うドラムやシンバルの音色は個性未確立の年代的若さゆえか、録音の関係か、最も考えられるのはドラムセット自体が異なり、昼の部で演奏していたPete La Rocaの楽器を使用したのかもしれません。基本的なグルーヴは同一ですが、シンバル径が小さめ、スネアのチューニングが高めに聴こえ、セットの音色が違うとフィルインの印象がかなり異なります。Rollinsのテーマ奏、低音域でのサブトーンがザラザラ感を一層色濃くし、太く逞しい音色を彩ります。Wareのウネウネと巧みに動くラインはコード楽器のないこの編成には打って付け、ピアノのバッキング不在と希薄なコード感の穴埋めを担当するが如し、さらにドラムのポリリズムと確実に連動しています。それにしてもここでのRollinsのソロ!何という素晴らしさでしょう!歌いまくり、スイングしまくり、大いなる余裕を持って6割程度のエネルギー放出量で楽々と、しかしあり得ないほどゴージャスに演奏しています!加えてRollinsは一息のフレーズがとても長いのです!しかもただ長いだけではなく、必然性のあるストーリーとして!これには豊かな歌心に加え尋常ではない肺活量が必要になりますが体力、体格的にも恵まれているのでしょう。2’49″辺りから始まるElvinのタム回しに呼応するかのような16分音符の驚異的なフレーズ!3’34″頃から始まるメロディアスでひょうきんなラインに間も無くのソロ終了を察知し、場面を転換すべくバスドラムを連打、バックビートを強調し、ソロに寄り添いつつプッシュするElvinの音楽的なアプローチ!初顔合わせにも関わらずこの驚異的インタープレイ!やっぱりジャズって物凄い音楽だと今更ながらに再認識しました(汗)!その後ドラムとの4バースになります。Elvinの難解なフレーズにWareは初めの1回目、アタマのアクセントをキャッチできず難儀し、明らかにオンを聴いてから演奏開始、しかし食らい付くべくすぐさまElvinのフレージングのポイントを把握し、2回目からは確実にオンから演奏していて、その後はアウフタクトも交えた余裕ある対応さえ聴かせています。Wareの初め驚いてハッとした顔から、次第に笑みが溢れる表情に変化していく様子が目に浮かぶようです(笑)。4バースの最後に演奏されたElvinの得意技である”タメ”をものともせず、Rollins, Wareともラストテーマに突入、エンディングはバンプを繰り返しゆっくりと収束して行きます。歴史的名演奏にはそれなりの理由、根拠があるとも改めて感じました。

2曲目Softly as in a Morning Sunrise、満場の拍手に答えるべくRollinsのメンバー紹介、滑舌の良い口調で同じく次曲でWareをフィーチャーする旨を伝え、ベースのイントロから始まります。フィーチャーと宣言した割にはベースはテーマを演奏せずRollinsが担当します。その代わりWareはメロディラインの後ろで音楽的自己主張を遂げているので、その意味合いでのフィーチャーなのかも知れません。Elvinはブラシを用いて全編叩いており、本作3ヶ月前にレコーディングされたTommy Flanaganの代表作「Overseas」の演奏を彷彿とさせます。この作品ではスティックを一切用いず、全曲ブラシで演奏していてその名手振りを披露しています。シンバル音が入らないためにドラム全体の音量が小さくなるので、その分Elvinの唸り声がはっきりと聴こえる事になりますが(笑)

Tommy Flanagan 「Overseas」

比較的短く先発テナーソロを終え、饒舌でテクニカルなベースソロが始まります。スタイル的にはコーニーなセンスも感じますが、何しろビート感が卓越しています。その後テナーとドラムの4バースが1コーラス行われ、そのままドラムソロも1コーラス後再びテナーとバースがあり、何となくラストテーマを迎えますが、この曲に関してはいかにもセッション風の仕上がりとなっています。

3曲目はRollinsのオリジナルStriver’s Row、Charlie ParkerのConfirmationのコード進行が基になっています。ドラムソロのイントロ後、テーマが始まりますがある程度のモチーフを決めた程度の、ほとんど即興のメロディのようです。ソロに際して原曲の影をなるべく引き摺らないようにと決めてかかったかのようなテイストを感じ、アドリブもスピード違反で切符を切られるかギリギリの(笑)超高速16分音符の連続、洪水ですが強力なスイング感、タイム感、いやー物凄いです!完璧にリズムのスイートスポットが見えている演奏ですね!テナーソロ最後にドラムとの8バースが1コーラス行われてラストテーマへ、しかしFineと見せかけてベースソロが付加され、エンディングを迎えます。

4曲目もRollinsのオリジナル・ブルースSonnymoon for Two、自身の曲紹介からカウントを経て曲がスタートします。シンコペーションを生かしたペンタトニック・スケールから成るテーマは、テンポ設定もありますが、他の曲に比べてレイドバック感が際立っているように聴こえます。テーマのメロディをモチーフに、ジワジワと次第に変化させ、発展させていくアドリブの手法はRollinsならではのもの、実に見事です!リズム隊もRollinsのにじり寄りの如き盛り上がりに手堅く、確実に追従して音楽をビルドアップさせて行きます。頃良きところでテナーとベースの4バースが始まり、ごく自然にドラムとのバースに替わり、テナー、ドラム共にソロのアイデアが次から次へと湧き出て、枯渇する事を知らない太古の昔から湧き続ける豊かな泉のようです!その後ラストテーマへ、テナートリオならではの一体感がここで極まれり、コード楽器は全く不要と感じました。

5曲目A Night in Tunisiaのみマチネーの演奏、Rollinsのアナウンスによる作曲者、演奏曲目紹介の後イントロが奏られます。この曲ではメンバーが替わりドラムのLa Rocaは当時19歳の期待の新人、Max Roachの紹介と言われています。ベーシストDonald BaileyもBaltimore出身の新人、若手二人を起用してのフレッシュな演奏にRollinsも張り切ったプレイを聴かせています。Elvin=Wareのコンビとタイム・キープ的に遜色はありませんが、若手は演奏の深み、音楽の構築感、Rollinsとの一体感にはどうしても及びません。演奏人数が少ない分一人ひとりに掛かる音楽的ウエイトが大きく、経験値の足りなさがより目立ってしまうからです。彼らもテナーの演奏を良く聴いていて健闘ぶりは伝わりますが、絶好調のRollinsにもっと絡んで欲しいぞ、テナーソロを更に煽ってくれ、Rollinsはインタープレイの材料をこれでもか、とあなた方に提供してるのにスルーしている場合じゃないでしょ、優等生なのは良く分かるから、音に人生を掛けてとことんやってくれよ!と叫びそうになります(笑)。La Rocaのドラムソロもフィーチャーされますが、これこそElvinのクオリティには全く及びません(汗)。その後1コーラス再びテナーソロがあり、ラストテーマ、そしてリーダー実に気持ちの入ったcadenzaを聴かせ、エンディングを迎えます。Rollinsの物凄さだけが浮かび上がる、孤軍奮闘のテイクとなりましたが、前述のマチネー・テイク4曲がプロデューサーにより廃棄された理由もある程度想像が付きます。

6曲目アルバムの最後を飾るのはバラードI Can’t Get Started、再びWare=Elvinのコンビに戻り、再度ブラシを用いた緻密なElvinのプレイ、アクティブなWareのベースワークを堪能できます。アウフタクトからいきなり始まるRollinsの朗々としたテーマ、メロディフェイク、フィルイン、ニュアンス付け、ビブラート全てに無駄がなく、引き続き行われるダブル・タイム・フィールでのアドリブ・ソロの更なる入魂ぶりは、スイングの権化が憑依したとしか考えられないレベルでの演奏です!

2020.08

jazz/music 

2020.08.24 Mon

Our Man in Paris / Dexter Gordon

今回はテナー奏者Dexter Gordonの1963年録音リーダー作「Our Man in Paris」を取り上げてみましょう。既渡欧組Bud Powell, Kenny Clarkeに地元出身のPierre Michelotを加えたトリオとのParisレコーディング、Dexterは新天地で伸び伸びと素晴らしいブロウを聴かせています。

Recorded: May 23, 1963 Studio: CBS Studios, Paris Producer: Francis Wolff Label: Blue Note

ts)Dexter Gordon p)Bud Powell b)Pierre Michelot ds)Kenny Clarke

1)Scrapple from the Apple 2)Willow Weep for Me 3)Broadway 4)Stairway to the Stars 5)A Night in Tunisia

本作はDexterにとって初のParis録音になります。前年Copenhagenに移住した直後の62年11月、当地のピアニストAtli Bjorn率いるトリオにDexterが客演した作品「Cry Me a River」が欧州での初録音、ここではいつも以上にマイペースでリラックスしたプレイを聴かせていて、音楽の原点である演奏する楽しさを十二分に感じる事が出来ます。50年代終わり頃から始まった米国でのいわばジャズマン不況で、Dexterを含め仕事が激減したミュージシャンがこぞって欧州に活路を見出すべく出国しました。彼もClarkeを頼って最初はParisに落ち着いたという事です。本国を離れるにあたってはさぞかし葛藤もあった事でしょうが、人種差別がなく、米国ジャズメンを大切にする欧州人の気質もあり当地に馴染み始め、仕事も数多くあったのでしょう、新たな創造意欲を得たような潑剌さを感じます。それから約半年を経た本作でのプレイは更なるリラクゼーションを聴かせています。

CopenhagenのジャズクラブMontmartre Jazzhusにて62年11月28日ライブ録音

本作伴奏のピアノトリオ、当初はKenny Drewがピアノの椅子に座る予定でDexterが新曲を用意していたという事です。しかし実際はPowellがピアノを弾くことになり、彼には新曲は演奏出来ないので、代替の演奏曲はリハーサルを行いながらスタンダード・ナンバーから選ばれ、結果ナイスなセレクションになりました。ところでDexterが用意していた新曲がどのようなものだったのか、いささか興味を惹かれます。1964年6月録音の次作品「One Flight Up」、ピアニストがDrewですのでそこでの収録曲が該当しそうです。そこにはDrewと参加トランペット奏者Donald Byrdのオリジナル、スタンダードナンバーのバラードが収められDexterのオリジナルはありません。その後Drewとの共演はたまたまでしょうが、しばらく遠ざかりました。他のピアニストとの共演に新曲は持ち越されたのか、単に未採用スタンダードナンバーのことを新曲と表現したのか、その辺りは定かではありません。

Powell, ClarkeにParis出身のベーシストであるPierre Michelotを加えた3人はBud Powell Trio、ないしはThe Three Bossesというバンド名でParisを中心にレギュラー活動を行なっていました。彼らは57年から63年頃まで私家盤も含め多くのレコーディングを残し、ゲストに管楽器奏者も迎えた作品もリリースしています。PowellとClarkeは旧知の仲、実際米国でレコーディングも行なっていますし、異国の地で意気投合したのでしょう。ベーシストは他にもOscar PettifordやTommy Potterが渡欧していましたが、フランス人Michelotを起用したのは音楽的にはもちろん、ふたりとの相性が良かったのでしょう、大切な事ですね。トリオ編成では61年12月Parisでの録音「A Portrait of Thelonious」が秀逸な作品、こちらは意外にもCannonball Adderleyのプロデュースになります。実は僕自身高校生の時にこの作品をヘヴィーローテーションで聴いていました。思い出深い一枚です。良く分からないながらも演奏や選曲、構成全体のバランスがとても良く取れていて、耳への心地よさが他のレコードと何か違うな、と子供心に感じていましたが、彼のプロデュースと言うことで点と線が繋がりました。彼のセンスに統一された作品、Cannonballラヴァーの自分にとっての琴線をくすぐるサウンドの工夫が成されていたのです。

61年12月Paris録音「Portrait of Thelonious」Cannonball Adderleyプロデュース

ちなみにDexterとPowellの初共演は46年1月録音「Dexter Rides Again」、本作はそれ以来のセッションという事になります。ここでのDexterのトーンは以降に通じる野太さ、フレージングも豪快さを聴かせますが、最大の特徴である崖っぷちを背後にして、ギリギリの立ち位置、あと一歩下がれば奈落の底〜次拍のアタマが待っている的な(笑)、8分音符のレイドバック感を未だ聴き取ることは出来ません。一方のPowellは既に鬼気迫るアプローチを披露しており、翌47年1月初リーダーセッション「Bud Powell Trio」を録音しその才能を開花させる事になります。

DexterとPowellの初共演「Dexter Rides Again」
Powell初リーダー作「Bud Powell Trio」

Bossesの管楽器との共演作はJohnny Griffin, Barney Wilenがフロントの59, 60年録音「Bud Powell in Paris」、同じく61年12月録音「Bud Powell / Don Byas – A Tribute to Cannonball」Idrees Sulieman, Don Byasを曲ごとにフィーチャーした作品です。ちなみにこちらもCannonballのプロデュース作品になりますが、渡仏中の彼を捉えての企画であったのでしょう。

ディスコグラフィーには本作を「Dexter Gordon with the Three Bosses」と記載していますがまさに言い得て妙、レギュラー活動を行なっているリズムセクションに新たにフロントが加わると、それまでの演奏にはない化学反応が起こり得ます。そこを楽しむのがジャズ鑑賞の醍醐味の一つと言えるのではないでしょうか。

それでは収録曲に触れていきましょう。1曲目Charlie Parkerの名曲Scrapple from the Apple、オープニングに相応しい軽快なテンポ設定、イントロから魅力満載のテナーサウンドが聴こえてきます。前述の「Dexter Rides Again」の演奏とは大違い、格段の進歩を遂げたプレイからは、1ミリたりとも動かないジャズテナー美学に対する、確固たる信念が感じられます。また幾多のテナー奏者、本当に様々で個性的な音色を湛えていますが、Dexterのような音色や鳴りを有するテナー奏者は他には存在しないと再認識させられます。198cmという長身はテナーを吹くための天賦の才、身体全体が鳴っているのです。音楽表現に対する拘りが無いわけがありませんが、同時に些細な事に対する拘りは一切持たないように心掛けているかの大らかさ、そのバランス感、太く、密度濃く、豪快に、大きく、たっぷりと、音符長く、後ノリしつつ素早い音の立ち上がり、朗々と、切々と、ユーモアのセンスを湛えながらブロウしています。テーマ後シングルノートをモチーフにフレージングを発展させ、ユーモアのセンスを感じさせます。優れた医師の父を持つ裕福な家庭環境からでしょう、育ちの良さに由来するどこかノーブルな語り口、端正な8分音符を中心としたソロの展開には聴く者を虜にしてしまう魅力に満ちています。Dexterの好演にはリズムセクションの的確なサポートも貢献しており、モダンジャズ・ドラミングの開祖の一人でもあるClarkeのシャープなドラミングがプッシュしています。彼は60年頃からベルギー人ピアニスト兼アレンジャーFrancy Bolandと双頭リーダー・ビッグバンドでの活動を開始し、Kenny Clarke/Francy Boland Big Bandとして20枚以上の作品をリリースしました。メンバーは渡欧組を中心に欧州の精鋭達を交え、当初はsextetから始まりoctetとメンバーが増えて行き、ビッグバンドにまで拡大しました。イタリア人資産家にして建築家Gigi Campiがバンドを最大限に援助し、全ての作品プロデュースまで手掛けました。ジャズミュージシャンにはこのCampiやPannonica夫人のようなパトロンが必要なのです。

Kenny Clarke-Francy Boland Big Band 67年録音「Sax No End」Eddie “Lockjaw” Davisのテナーをフィーチャーしています。
Stan GetzをフィーチャーしたKenny Clarke-Francy Boland Big Bandの意欲作「Change of Scenes」71年録音

そして同じくモダンジャズ・ピアノ開祖の一人Powell、渡欧時には40年代〜50年初頭ほどの神がかったプレイは聴かれなくなりますが、本作では久しぶりのDexterとの共演という事か、自身のソロでは好調な演奏を展開しています。しかしDexterのソロがツッコミどころ満載の、伴奏者にとっては美味しいフレーズを連続で繰り出しているにも関わらず馬耳東風、主にClarkeと音楽的やり取りが行われています。Powell自身どちらかと言うとソロプレーヤーで、年代的スタイル的にもフロントのソロにちょっかいを出したり(笑)、インタープレイを共有するタイプではないので仕方ありません。テナーの出し切った感のあるロングソロの後のピアノソロ、短目に終えセカンドリフによるドラムとの4バースに繋がります。ラストテーマ後はイントロが再演されアウトロとなります。

2曲目Willow Weep for Me、マイナー調で3連符を生かした印象的なイントロはDexterのアイデアによるものでしょうか、曲本編がメジャーとの対比になっています。漆黒にして身の詰まった音塊が、テナーのベルからヌーっと出るが如くのメロディ奏は、朴訥として殆ど飾り気がないように聴こえますが、素晴らしい音色と落ち着いたタイム感、フレーズ語尾のビブラートが堪らないニュアンスの3拍子揃い踏みだからこその為せる技です。小気味良いClarkeのシンバルレガートとMichelotのベースラインが巧みなコンビネーションを生み出し、その後のDexterの唄心溢れるソロをバックアップします。続くPowellはDexterのスインガー振りに影響を受け、実に端正にフレージングを組み立てた素晴らしいソロを聴かせます。その後のベースソロもさすが弦楽器奏者名手揃いの欧州、御多分に洩れず正確なピッチと深い木の音色で存在感をアピールします。ラストテーマはサビから、エンディングのフェルマータで短くソロがあり、ドラムの3連符に導かれイントロが再登場、フェードアウトでFineとなります。

3曲目BroadwayはClarkeのドラムソロから始まる華やかで優雅な雰囲気を持つ佳曲、New YorkにあるBroadwayは街を南北に走る劇場街を指しますが、Parisではどこの通りが該当するのでしょうか。シャンゼリゼ通りは高級店が連なる銀座のような通りなので、異なりそうです。Count Basie Orchestraでの演奏が有名なこのナンバー、Dexterも再び豪快ぶりを発揮していて実にスインギーです!フレージングの巧みさ、演奏への入り込み方も申し分なく、1曲目のScrapple〜のソロを凌ぐ勢いです!彼の得意技である引用フレーズが登場し(1曲目ではファンファーレを引用していました)、Strager in Paradiseのメロディを一節吹いていますがほど良きところでの吹奏、効果的に用いられました。続いてのPowellはここでも密度の濃いソロを聴かせ、ビバップ・プレイヤーとしての本領を発揮しています。意外とピアノソロが短く終わったな、とばかりに若干出遅れてDexterが離れた所からスネークイン、ドラムと8バース、セカンドリフからテーマに入り、最後のパートではPowellがBasie風のフィルインを弾いているのが微笑ましいです。

4曲目Stairway to the Stars、「星へのきざはし」と邦題が付けられています。トリオによるイントロから始まり、テーマにおけるDexterのサブトーン、グロウトーンはBen Websterを彷彿とさせますが、テイストはより整理されエッセンスを凝縮したように聴こえます。Powellのバッキングがここではテーマのセンテンスに呼応し、メロディの合間に巧みにフィルインを入れていて、旋律との関連性を大切にしているプレイヤーと再認識させられました。このアプローチはテナーソロ中でも基本変わらず行われ、バラードでのイメージの豊かさを持つ演奏者であるとも感じました。優れたジャズマンは同時にバラードの名手でもあるのです。

5曲目作品ラストを飾るのはA Night in Tunisia、ベースを中心としたイントロにDexterも加わります。ここでのメロディ奏の朗々とした、優雅にまで感じるレイドバックは本作白眉のプレイ、ソロも含めこの曲の代表的演奏に仕上がったと言えましょう。ClarkeもDexterのテイストに寄り添うべく健闘しているのがよく伝わります。インタールードでのメロディフェイク、ピックアップソロでのさらに拍車のかかったレイドバック、実にDexterワールドです!!ここまでの徹底さを聴かせるならば、ベースのビートの位置があと少しだけ前に、on topにステイしていれば彼の狙いは的中、一層ビハインド感が映えたに違いないと勝手に想像しています。ここで用いられている引用フレーズはSummer Time、キーが同じEマイナーですから思わず出てしまうのでしょう。アラビア音階のような、フリジアン・スケールの如きスケールも用いられ、他の収録曲よりもずっと自由なアプローチを聴かせ、淡々とバッキングしていたPowellもさすがに対応に苦慮したか、ピアノを弾く手を休めている場面があります。再びインタールードを演奏した後、ピックアップからPowellのソロになります。アイデアの豊富さは絶頂期ほどではありませんが、キラリと光るものを幾つも感じさせる充実したプレイです。セカンドリフからのドラムソロ、Clarkeは職人的巧みなフレージングを存分に聴かせています。ラストテーマは初めよりも拍車のかかったレイドバックを聴かせて、エンディングのcadenzaソロへ、ジャジーなコンディミ系フレーズを交えて大団円の巻です。

jazz/music 

2020.08.12 Wed

Brilliant Corners / Thelonious Monk

今回はピアニストThelonious Monkの1956年録音リーダー作「Brilliant Corners」を取り上げてみましょう。演奏は言うに及ばず、個性的なオリジナルを数多く作曲したMonkですが、その中でも最右翼と言える表題曲他を、ハードバップの精鋭たちと演奏した、彼の代表作に挙げられる作品です。

Recorded: October 9, 15, and December 7, 1956 at Reeves Sound Studios, NYC Engineer: Jack Higgins Label: Riverside Producer: Orrin Keepnews

p, celeste)Thelonious Monk ts)Sonny Rollins as)Ernie Henry(omit 5) tp)Clark Terry(on 5) b)Oscar Pettiford(omit 5), Paul Chambers(on 5) ds, timpani)Max Roach

1)Brilliant Corners 2)Ba-lue Bolivar Ba-lues-are 3)Pannonica 4)I Surrender, Dear 5)Bemsha Swing

まずジャケット写真がとてもユニークです。印象的な合成のアングルによる、でも彼にはどうも似合わない(笑)白いワイシャツを着た、清潔感を漂わせる5人の、そしていつになくにこやかなMonkが写っています。本作はクインテット編成ですので、その人数を表しているのかも知れませんし、また作品の仕上がりの満足感ゆえの笑顔とも言えましょう。Monkは1917年10月10日生まれ、Rocky Mount, North Carolina出身。Monkが5歳の時に一家はManhattan, NYCに移住しました。ピアノやオルガンに親しみ、彼が17歳の時に教会のオルガン奏者として演奏旅行を経験し、10代の終わりからジャズを演奏するようになりました。40年代にはHarlemにあったMinton’s Playhouseのハウスピアニストを務め、Dizzy Gillespie, Charlie Christian, Kenny Clarke, Charlie Parker, Miles Davisたちとビ・バップの勃興に携わったことはご存知の方も多いと思います。41年頃のMinton’s Playhouseでの録音がプライヴェートでかなりの数が残されており、ハウスピアニストだったのでMonkの演奏は頻繁に聴くことが出来ます。その後の個性の萌芽はある程度聴き取れますが、随所にJelly Roll MortonやFats Wallerのスタイルを感じさせます。

41年録音「Trumpet Battle at Minton’s」Monkの最初期の演奏を聴くことが出来ます。

47年に初リーダー作「Genius of Modern Music / Thelonious Monk」、翌48年「Milt Jackson and the Thelonious Monk Quintet」をBlue Note Labelに録音、彼の個性的なオリジナルや演奏を世に知らしめる切っ掛けとなりました。

ところが51年にドラッグを不法所持していた親友Bud Powell(真の天才同士、互いの才能を認め合っていた仲でした)を庇った事により警察に捕まり、MonkはNYCのキャバレーカードを没収され、50年代中頃まで同市内ナイトクラブに出演することが出来なくなり、ナイトクラブ以外の劇場、NYCを離れた場所での演奏を余儀なくされました。同地で誕生したビ・バップの仕掛け人の一人として、そしてビ・バップの更なる進化に演奏者として数年間参加出来なかったことは、さぞかし悔しかったことと思います。ですが真の芸術家は転んでもただでは起きません。この期間を利用して自分自身の内面に立ち向かうことが出来、演奏家としての収入を得られず生活は苦しかったでしょうが、ピアノの練習や作曲に充実した時間を持てたのではないか、と思います(現在のコロナ禍も言ってみれば同じですね)。その成果と進化は52,54年録音「Thelonious Monk Trio」53,54年録音「Thelonious Monk and Sonny Rollins」(以上Prestige Label)、55年「Thelonious Monk Plays Duke Ellington」56年「The Unique Thelonious Monk」(以上Riverside Label)で時系列として確認することが出来ます。

52,54年録音「Thelonious Monk Trio」
53,54年録音「Thelonious Monk and 」
55年録音「Thelonious Monk Plays Duke Ellington」
56年録音「The Unique Thelonious Monk」

そして「Brilliant Corners」の登場です。キャバレーカード没収からの臥薪嘗胆を潜り抜けた芸術的発露の具現化、シーンはハード・バップ期に差し掛かり、リズムやコード、サウンドがビ・バップ期よりもグッと細分、複雑化しましたが本作の内容は時代に合致、いやむしろ遥か前を行く、まさしく前衛的演奏と相成りました。本作は3回の録音に分かれ、初回56年10月9日にErnie Henry, Sonny Rollins, Oscar Pettiford, Max RoachのメンバーでBa-lou Bolivar Ba-lues-areとPannonicaの2曲を、2回目同月15日に同メンバーで表題曲Brilliant Cornersを、3回目同年12月7日I Surrender, Dearをソロピアノで、そしてベース奏者をPaul Chambersに替え、アルトのHenryの替わりにトランペッターClark Terryの参加を得てBemsha Swingを録音しています。メンバー交替には音楽的、人間的な衝突、トラブルがありその事についても曲毎に触れたいと思います。

1曲目、レコーディング2日目に収録されたBrilliant CornersはMonkの音楽的個性の集大成、難曲の多い彼のナンバーの中で圧倒的な難易度を極める、そして大変な名曲です。変則的な小節数からなるA-B-A構成のこの曲、始めの1コーラスはミディアム・テンポで演奏され、その後に倍のテンポで(double-time feelではなく、double-time、小節の実際の長さも半分で)演奏され、この構成を繰り返します。実は演奏当日Monkは4時間の中でこの曲のテイクを25回(!)も重ねました。一部のメンバーの力量もあったかも知れませんが、曲の難しさから結局完全な演奏には至らなかったそうです。プロデューサーOrrin Keepnewsがこれら25の不完全なテイクを編集し、完全(に聴こえる)なテイクを作り上げアルバムの冒頭に収録しました。25回も同じ曲を、しかも通し切れないテイクを重ねれば誰しも頭が混乱するでしょうが、レコーディング中にほとんど精神的に折れてしまったHenryはMonkとの間に緊張感が走り、「俺にはこんな物凄い曲は演奏出来ないよ!」とばかりに項垂れるHenry、彼がソロを取らなくても良い楽なヴァージョンにもMonkはトライしました。Pettifordとはかなり険悪になり、キツイ言葉でMonkとやり合ったそうです。「Monkの野郎、こんな難しい変てこりんな曲を俺に何十回も演奏させやがって!」のような雰囲気なのでしょうか、報復措置と思われますがおそらく揉めた後、録音中にベースの音がコントロール・ルームで聴こえなくなりました。エンジニアがマイクロフォンをチェックしたりとシステム上のトラブルを確認、しかしどこにもおかしな所は見つかりません。それもそのはず、結局彼はベースを演奏しておらず、何と弾いている振りだけをしていたのだそうです(汗)!今で言うエア・ベースですね(笑)。Pettifordはモダンジャズ・ベースの開祖的存在で、Jimmy Blanton, Milton Hintonの流れを汲み、Pettiford後には本作にも参加しているPaul Chambersが控えています。MonkとはMinton’s Playhouseでの共演仲間、前述の「Thelonious Monk Plays Duke Ellington」「The Unique Thelonious Monk」の2作でもトリオで素晴らしい演奏を共有した筈なのですが、人間無理難題を(理不尽に?)吹っ掛けられると誰しもブチ切れるのでしょう。この争いがレコーディング・スケジュールの2日目の出来事、初日は2曲のOKテイクを得ていましたがバンドでもう1曲録音しなければならず、リーダーはメンバーを差し替え後日レコーディングしました。Sonny Rollins, Max Roachふたりの留任は高い音楽性と人間性、加えて忍耐強さゆえに違いありません。

イントロはテーマのメロディをモチーフに、Monk流の不協和音を用いた、行末に不安感を抱かせる(汗)、孤高のサウンドから始まります。テーマメロディとリズムセクションとのアンサンブルの交互の出入り、サックス二人は基本的にユニゾンですがアルトの音域がメインなのでテナーはオクターヴ下にも移行しています。Max Roachの的確なカラーリング、そしてメカニカルで構築的なドラミングは軽快なシンバルレガートとあいまってスインギーに心地よく聴こえます。しかし何と言うラインのメロディでしょう!そして更に倍テンポになった際の未体験のスリル、カッコ良さ!ひょっとしたらMonk自身、面白い曲を書けたけれど、何か捻りが足りない。そうだ、以前から考えていた倍テンポにすれば良いのだ!若しくは倍テンポのアイデアが先にあり、曲を書いてそのようにアレンジしてみよう、曲は複雑であればあるほど倍テンポが生きるに違いないと。いずれにせよ目論見は大成功でした(奏者は別としてですが)!

そして音符の合間をぬうMonkのバッキングが実にユニーク、Rollinsの先発ソロに入れば自由奔放さが際立ち、一聴無関係なコンピングの様ですが、お互いの話を聴いているようで聴いていない、でも何だか気心の知れた旧友の交す会話のようなスタンスです。ここでのRollinsの音色、タイム感、フレージング、端正な8分音符、意外性、ストーリーの組み立ての絶妙さ、全てが素晴らしい!代表作「Saxophone Colossus」録音直後になりますが、この肝っ玉の座り具合!文句無しに感動的なソロです!しかもこの難易度高いこの曲で!続いてMonkのソロ、メロディを交えながら弾くMonkフレーズ嵐の至極自然な事!なんと脱力しているのでしょう、ピアノの鍵盤を撫でるように弾いているのが見えて来ますが、鼻歌感覚でいて曲と完璧に合致しています!続くHenryのソロ、Monkは一切バッキングしていません。前述の衝突話が嘘のように見事なソロを聴かせています!唯一無事に収録出来たテイクから編集したのか、このソロ自体もパッチワークのように継ぎ接ぎだらけなのか、とまれ結果オーライならば全て良しです!Henryも本作録音直前8月に初リーダー作「Presenting Ernie Henry」を録音、ここでの演奏よりもずっとオーソドックスな正統派Charlie Parkerスタイルを聴かせています。Parkerにとことん心酔したからなのか、翌57年12月ヘロインの過剰摂取により31歳の若さで急逝しました。

56年8月録音「Presenting Ernie Henry」

John Coltraneの58年作品「Soultrane」収録のTheme for Ernieは夭逝した彼に捧げられたナンバーで、Philadelphia出身のギタリストFred Lacey(イスラム名Nasir Barakaat)の作曲になります。死の2ヶ月後に録音され、Coltraneのトーンが哀愁を帯びた美しいメロディと一体化し、印象的な追悼演奏になりました。

Roachのドラムソロに続きますが、美しい楽器の音色で歌やストーリーを感じさせる演奏は、同様に本作録音の直前9月に録音したRoachの2枚目のリーダー作「Max Roach + 4」での名演奏を彷彿とさせます。Roachの素晴らしいまとめ方を聴かせたソロに続き、ラストテーマを迎えます。見事なまでにアンサンブルが揃っているので、初めのメロディを後テーマにもパッチワークしたのかと邪推してしまいましたが(汗)、後半アルトのラインが異なっているので、こちらはこちらで別のパーツのようです。不完全なテイクを継ぎ合わせた演奏とは全く思えない、些細な問題点すら感じることの出来ない完璧なテイクですが、スタンダード・ナンバーのようにずっとひとつの流れがある、編集すればその痕跡がそれだけ目立つタイプではなく、各パートのメリハリがはっきりとした曲なので、編集の跡を感じないのかも知れませんが。いわゆる名盤の中にも実は同様の例が多々あるのかも知れないと、今更ながらに感じました。

56年9月録音「Max Roach + 4」

ちなみにMonkは後年Oliver Nelson Orchestraと「Monk’s Blues」でBrilliant CornersをNelsonのアレンジによる”簡易”ヴァージョンで再演しています。

68年「Monk’s Blues」

2曲目Ba-lue Bolivar Ba-lues-areは”Blue Bolivar Blues”のMonkの発音を大袈裟に表現したもので、BolivarとはMonkのパトロンとして彼に経済的援助を施した、Pannonica夫人が住んでいたホテルの名前です。こちらの方もいかにもMonkが書くラインのブルース・ナンバーですが、メロディ合間のフィルインがこちらも堪りません!ソロの先発はHenry、ざらざらとした付帯音が豊富、加えて「コーッ」と言う木管楽器的な鳴りを併せ持つ音色はいかにも名器Connから繰り出される魅力的なトーンで、リズム隊の好サポートを得ながら朴訥で味わいのある演奏とブレンドし、更に途中でMonkがバッキングを止めた事でアルトソロがくっきりと浮かび上がり、50年代短い期間演奏活動したジャズプレイヤーの存在証明となり得る、名演奏が誕生しました。続くMonkのソロには自由奔放、奇想天外、天真爛漫と言った四字熟語が相応しく、唯我独尊?豪放磊落?魑魅魍魎が跋扈する?これらは違いますね(汗)、兎にも角にも一聴しただけでMonkの演奏と確認出来る個性を発揮しています。ピアノソロ最後のフレーズを引き継ぎ、Rollinsのソロが始まります。おニューの楽器Selmer MarkⅥ、5万番台を引っ提げて、ジャズ・テナーの王道を行く素晴らしいトーンとフレージングを駆使し、こちらこそ豪放磊落にソロを展開します。Pettifordのソロは躍動感あるリズムと正確なピッチのピチカートで、ジャズベースのパイオニア然とした超絶さをたっぷりと聴かせてくれます。しかし58年にはBud PowellやKenny Clarkeらの渡欧組と歩調を合わせ、Denmark Copenhagenに新たな演奏場所を求めて移住しましたが、60年9月にポリオに似た症状の病に冒され、同地で客死してしまいます。続いてのRoachのソロはドラミングのルーディメンツに忠実な、音楽に対する真摯な態度を感じさせる演奏です。彼の66年作品「Drums Unlimited」は多くのドラマーにとっての教則演奏になり得る、バイブル的なドラミングを収録した作品です。その後はラストテーマに入りますが、初めよりもかなりテンポが速くなっています。元々キープが難しいテンポで始まったので、スピード感あるプレイの連続により、グッとプッシュされました。

3曲目Pannonicaは前述のパトロン(女性なので正しくはパトローネですね)Pannonica夫人に捧げたナンバー、彼女とはMonk54年の初欧州楽旅の際に知り合ったそうです。Brilliant Corners同様に本作のために書き下ろした美しいオリジナルで、Monkは珍しくcelesteをイントロと自身のソロをはじめ、全編に渡り弾いており、同時に左手でピアノの低音部も演奏しています。Pannonica夫人は欧州貴族、名門Rothschild家の出身、多くのジャズミュージシャンが彼女から経済的支援を受けています。美しい女性であったのでcelesteの気品ある、可愛らしい音色が彼女に相応しいと判断し、Monkが演奏に用いたのでしょう、洒落たセンスです。曲自体も上品なスイートさが随所に感じられサックスのユニゾン、ハーモニー、テナーとcelesteのフィルイン、全てが有機的に結び付いている楽曲、Monkの持つ美的感覚を端的に表しています。ソロの先発はテナー、ドラムがブラシを用いてdouble-time feelが設定されます。ここでのRollinsは絶好調以外の何もでもありません!素晴らし過ぎです!メロディのモチーフとインプロヴィゼーションのバランスが絶妙、仄かに感じさせる哀愁も効果的にスパイスとしてソロに華を添えています。続くMonkのソロはピアノとcelesteを同時に演奏しつつ、交互に弾き分けも行い、カラーの違いを表現しています。6’05″で「ボコッ」と言う、多分手か指がマイクロフォンに当った音が聴こえます。慣れない2種類の鍵盤楽器弾き分けに際しては軽いトラブルもある事でしょう。ラストテーマに入りエンディングは余韻たっぷりにフェルマータします。

4曲目はMonkの十八番であるソロピアノによる古いスタンダードI Surrender, Dear、Harry Barris作曲、Gordon Clifford作詞のコンビによる31年のナンバー、Bing Crosbyが歌い彼の最初のヒット曲になったそうです。ジャズではLouis Armstrongの歌唱が有名です。Monkにとっては初演、65年録音の「Solo Monk」で再演しています。訥々と、淡々と、飾り気なくストレートにメロディを中心に弾くスタイルはいつもの彼の技法、左手の使い方にルーツであるJelly Roll MortonやFats Wallerを感じます。ラストの曲に向かう際の格好のクッションになりました。

ジャケットデザインがクールな「Solo Monk」

5曲目Bemsha Swing、初演は前記の「Thelonious Monk Trio」52年録音、本作唯一の既存レコーディング・ナンバーになります。表題曲収録の約2ヶ月後12月に録音されました。メンバーが異なり、さらにRoachがティンパニを用いた事でそれまでと随分趣を異にします。ここではティンパニの低音が全編に渡り、支配的にサウンドしていて、はっきり言ってラウドさは否めません!ドラムソロでも頻繁にティンパニを用いており、Roach本人とても気持ち良さそうに叩いているのが伝わってきますが。そしてベーシストPaul Chambersのon topさ、Clark Terryのトランペットと、素晴らしいには違いないのですが、他曲との一貫性を欠くように感じます。Terryは巧みなプレーヤーで、Henryのヘタウマ感とは真逆の存在です。木に竹を継ぐとまでは行きませんが、違和感のある演奏であったかも知れないのは、Brilliant Corners事件をリカバーすべくの人選ゆえであったと思います。しかしティンパニが演奏の凡庸さを全て吹き飛ばしているので(物凄い破壊力です!)、別日でメンバー違いの録音テイクにありがちな”付け足し”感を一切払拭しています!それにしても本作レコーディング・スケジュールですが、表題曲の録音を最後に持ってきて、トラブルは後回しになっていれば全曲同一メンバーでレコーディング出来たに違いなく、であればさぞかし統一感のある、何倍も魅力的な作品に仕上がったのではないでしょうか。基本「たられば」は禁物ですが。

jazz/music 

2020.08.02 Sun

Cannonball Adderley Quintet in Chicago

今回はCannonball Adderley 59年録音の作品「Cannonball Adderley Quintet in Chicago」を取り上げてみましょう。Miles Davis Sextetのリーダー抜きによるQuintetでのレコーディング、John Coltraneをもう一人のホーン奏者として存分にソロを取らせ、Milesの音楽とは異なるコンセプトでありながら、レギュラーバンドならではの安定感に裏付けされた緻密で息のあった演奏、フロント各々二人をフィーチャーしたバラードを配した選曲、書き下ろしのオリジナル等、録音前後の名だたる名盤の狭間で二人のサックス奏者のリラックスしたプレイを存分に楽しめる構成に仕上がっています。

Recorded: February 3, 1959 Universal Recorders Studio B, Chicago Producer: Jack Tracy Label: Mercury

as)Cannonball Adderley ts)John Coltrane p)Wynton Kelly b)Paul Chambers ds)Jimmy Cobb

1)Limehouse Blues 2)Stars Fell on Alabama 3)Wabash 4)Grand Central 5)You’re a Weaver of Dreams 6)The Sleeper

Lewis Porter著「John Coltrane His Life and Music」には綿密な調査による、膨大かつ詳細なColtraneのChronologyが収録されています。こちらを紐解き、本作が録音された59年2月前後のColtraneの動向を調べると、1月21日水曜日からレコーディング前日の2月2日月曜日までの12日間連続で、Chicagoにある有名なホテルSutherland LoungeにてMilesバンドのギグで出演しています。メンバーのクレジットはされていませんが、間違いなく本作のメンバーにMilesが加わったSextetでの演奏でしょう。翌日からのレコーディングだけ、別なメンバーとは考え難いですから。

John Coltrane His Life and Music

CannonballがMilesのバンドに加わった最初のアルバムが58年3, 4月録音の「Milestones」、数々の名盤を生み出したMiles Davis Quintet〜Coltrane, Red Garland, Paul Chambers, Philly Joe Jonesに異なるアプローチのヴォイスを有したCannonballを、音楽的表現の幅を広げるべく加えた申し分のない名演奏、言わばMilesにとってのHard Bop最終形、そして本作のちょうど1ヶ月後に録音される、これまた文句なしの歴史的名盤「Kind of Blue」、そしてもう1作73年になってリリースされた58年9月NYC Plaza Hotelでの録音「Jazz at the Plaza Vol.1」、こちらはSextetのごく日常的な断面を捉えたライブ録音(ピアニストはBill Evans)、ピアノの音が引っ込んでいたりMilesのトランペットがオフマイクだったりと、米コロンビア・レコードが主催したジャズ・パーティーの模様を記録したもので、非正規レコーディングゆえ音響的に難がありますが、それを補って余りあるクオリティ、各人の恐ろしいまでに研ぎ澄まされたインプロヴィゼーションの応酬、このSextetは大変なポテンシャルを秘めたグループと再認識させられます。

58年録音「Milestones」
59年録音「Kind of Blue」
58年録音「Jazz at the Plaza Vol.1」

本作はどのような経緯で録音が決まったのかは定かではありませんが、飛ぶ鳥を落とす勢いのMiles Davis Sextetサックス奏者ふたり(ある意味対照的なスタイルです)にスポットライトを当て、楽旅の最後にレコーディングの機会を設け、彼らの音楽を存分に演奏させるというアイデアになります。これがプロデューサーJack Tracy発案とすれば、実にジャズの醍醐味を分かっている「名」プロデューサーと言う事になるのですが、強面でうるさ方のリーダーから解き放たれたメンバーは解放感に浸り、リラックスして演奏に臨むことが出来るからです。「Hey, Guys, お疲れ様!明日の俺のレコーディングもよろしくね!明日はMiles来ないし、我々だけでとことん演奏を楽しもうじゃないか。曲も揃っている事で一安心、でもJohnの書いた速い曲(Grand Central)は難しいけどさ!」のようなCannonballの発言が、ひょっとしたらあったかも知れません(笑)、加えて興味深いのがこの項にColtrane first performs on soprano saxophoneと併記されているのです。Sutherland Loungeでこの期間演奏したのでしょうが、その後彼のsopranoによる演奏がどう変遷していくのか、こちらも調べたい衝動に駆られますが(汗)、本作に直接関係はないのでグッと堪え、また別な機会に譲る事としましょう。

CannonballサイドからのMilesとの共演は58年3月録音の「Somethin’ Else」が彼名義でリリースされています。「Milestones」レコーディング前日の録音になりますが、いつになく緊張気味で彼のトレードマークである大胆さ、豪快さが控え気味のCannonballに対し、マイペースで絶好調のMilesの演奏が光り、まるで彼のリーダー作の如しです。収録のAutumn Leavesの名演奏は以降の彼の重要なレパートリーに位置する事になります。

Coltraneの方は57年9月録音「Blue Train」をリリース、急成長ぶりとそれに伴った高い音楽性を広く知らしめましたが、58年Prestige Label諸作にも素晴らしいレコーディングが多くあります。同年3月録音co-leaderではありますが「Kenny Burrell & John Coltrane」での演奏を忘れる事はできません。

本作録音後はColtraneが更なる飛翔を遂げる事になりますが、こちらはまた後ほど取り上げるとして、演奏に触れて行きましょう。1曲目はイギリスで20年代に書かれたスタンダードナンバーLimehouse Blues、多くのミュージシャン、ボーカリストに取り上げられています。オープニングに相応しいアップテンポで華やかな楽曲、ピアノと、ハイハットを中心としたドラムのふたりによるイントロから始まります。いや、とにかく速いですね!ここまでの速度のテンポ設定は他の演奏には無いと思います。テーマはサックスのユニゾン、そのメロディの合間をぬったピアノのフィルインがメチャメチャかっこ良く、テーマの一部分と化して聴こえます。CobbのシンバルレガートとChambersのon topベースとの絶妙なコンビネーションの素晴らしさ!そしてこれだけのテンポでグルーヴし続けるためには、ベーシストの貢献度が最重要になります。テーマ終わりのブレークからCannonballのソロが始まりますが何というスピード感とカッコよさ、気持ちの入り具合でしょう!ブリリアントな音色と有り得ない程の滑舌の良さ、ニュアンス、非Charlie Parkerスタイルの個性的なアドリブライン、全ての合わさり具合がアンビリバボのレベルに達し、超魅力的です!Cannonballの音符はある程度の速さまではレイドバックしていますが、このテンポになるとかなりon topのプレイになります。同様の例が「Nippon Soul」収録のEasy to Love(以前当Blogでも紹介しました)、本演奏よりもさらに速いテンポにも関わらずスイング感抜群、音符の位置も一層前にセッティングされています。

そしてColtraneのソロに続きます。 Cannonballに比べると対極的にダークさが際立つ音色、含みを持たせた「ホゲホゲ」した成分がこもった感を提示し、しかし音の輪郭は際立つ複雑な楽器の鳴り方を聴かせます。一点感じるのは、この日のColtraneはリードの調子が今ひとつではなかったかと。硬くて鳴らし辛いリードを難儀しながら吹いているように聴こえます。長いツアーでリードのストックが切れかかっていたのかも知れません。タイム感はグッとレイドバックし、個人的にはある種理想的なリズムに対する音符の位置を感じます。そして吹いているラインですがこれはまさしくColtrane Change!些か専門的になりますがコード進行Ⅱ-Ⅴ-Ⅰを短3度と4度進行に細分化し、各々のアルペジオを中心にラインを組み立て行きます。この方法によりコード進行に従来にはない、サウンドの浮遊感を得ることが出来るのです。「Giant Steps」収録のCount DownはMiles作曲のTune Upのコード進行を基に、Ⅱ-Ⅴ-ⅠをColtrane Change化した代表的演奏ですが、3ヶ月後の59年5月4日に同曲をレコーディングする前に、自分の作品ではなく、Cannonballのアルバムでしっかりと実験をしていた訳ですね(笑)。ひょっとすると前日までのSutherland Loungeのステージでも、既にこの奏法にトライしていたかも知れません。ここでのプライヴェート録音が発掘される事を願っているのですが、2012年にRLR Labelからリリースされた「Complete Live at the Sutherland Lounge 1961」の例があるので、かなり期待をしています。

ts,ss)John Coltrane p)McCoy Tyner b)Reggie Workman & Raphael Don Garrett ds)Elvin Jones 音質は決して良くありませんが、61年3月1日Chicago Sutherland Loungeでのクオリティの高い演奏がCD3枚組に収録されています。

それにしても物凄いインパクトのアドリブソロです!Kellyもバッキングの手を休め、いや、対応の範囲を超えた難解なラインの連続に、むしろ止めざるを得なかったのでしょう。こうして聴いているとふたりの演奏するアドリブライン、アプローチ、方法論の明らかな違いがこの演奏のクオリティを一層高めていると気付きます。続くKellyの軽快なソロ時にはCobbも4拍目ごとにリムショットを入れ始め、グルーヴを変化させています。その後フロントたちとドラムとの怒涛の8バースが始まります。ここでの白熱したやり取りは間違いなく昨晩までのMilesバンドの演奏を彷彿とさせている事でしょう!テンションはMaxを通り越し120%に達しています!Cobbのソロは間違いなく彼のone of the bestでしょう!合計2コーラスに及ぶバースの後は同じく2コーラス、サックスふたりによるバトルに続きます。いや〜ジャズを聴いていて本当に良かったな、と心から思える瞬間、だってCannonballとColtraneのバトルですよ?スゲ〜!!Milesが聴いたら「こいつら俺がいないと思って、思う存分好き放題やりやがって!」とむしろ嬉しそうに言うに違いありません(笑)!しゃにむに相手に戦いを挑むバトルではなく、まるで横綱相撲のように相手を立てつつ、かつ自分の言うべき事を端的に述べるスタンスでのバトルです!その後は全く平然とラストテーマを迎え、Kellyのフィルインも始めのテーマ時よりも冴え渡っており、エンディングのキメもバッチリとハマりました!

2曲目CannonballをフィーチャーしたバラードStars Fell on Alabama、古き良き時代の米国をイメージさせる曲調にCannonballのアルトの音色が完璧にマッチングしつつ、更に自由奔放に歌い上げる事によって、曲の持つ別な魅力を引き出す事に成功した、歴史的名演奏です。テンポはバラードとしては少し早目の設定、ピアノとブラシを用いたドラムからスタート、Kellyが弾くイントロのメロディはAlabama州に因んだのでしょう、米国南部のムードを感じさせつつ、4小節目にベースが加わります。アウフタクトでアルトの下の音域D音のサブトーンからメロディが始まりますが、低音域から中高音域をくまなく用い、グリスダウン、グリッサンド、様々な表情を見せる多様なビブラート、音量の大小が音楽表現の実は最大の武器と熟知しているプレイヤーだからこそのダイナミクス、独り交響楽団の様相を呈しています!テーマ終わりでCobbはスティックに持ち替えます。Cannonballのソロに入る際のフレージングは思いっきりレイドバックし、ゴージャス感をこれでもか!と提示しています。ダブルタイム・フィールでアルトソロが始まります。完全無欠の演奏って存在するのだろうか?と考えたことがありますか?禅問答のような話を考えるのは自分は結構好きなのですが、本演奏には文句の付けようが有りません!一切の蛇足、冗長さ、的外れは存在せず、曲想へのマッチング率100%!緻密でダイナミックなフレージング、起承転結、ストーリー性の妙。聴けば聴くほどに引き込まれる麻薬的魅力を有する演奏。Kellyも同様に1コーラスを演奏し、随所にフレージングに合わせ唸り声を発しつつ、いわゆるKelly節をとことん披露し、ラストテーマはサビから開始、グルーヴはバラードに戻り、Cannonballは更なるゴージャス感を出しながらAメロへ、グッと音量を落とし、今度はしっとり感を演出しつつラストのカデンツァへ。エンディング音の極小ppは最後の最後まで美意識を貫き通した結果に違いありません。

3曲目CannonnballのオリジナルWabashは軽快なスイングナンバー、明るくハッピーな雰囲気の中に、少しだけ厄介なコード進行を有するのですが、この部分を的確にクリアーしない限り、曲の持つメッセージを表現しきれません。サックス衆はユニゾンでテーマを仲良くプレイ、微笑ましくさえ聴こえます。ここのバッキングでもKellyが実に効果的なフィルインを弾いていますが、このセンスは実に彼ならではだと思います。おそらくステージを離れ、楽屋やアフターアワーズでは控え目ながらも気の利いたトークを発し、周囲の雰囲気を和ませていたのでは、と思います。イントロ、テーマとブラシを用いていたCobbがソロからスティックに持ち替え、2ビート・フィールで弾いていたChambersがスイングに移行します。ブレーク時でのピックアップソロの聴かせ方を熟知したCannonballが、これまた意表をついたフレージングでソロを開始します。立て板に水状態で実にスムースでスインギーなソロ、そして厄介なコード進行対策も万全でした!続くColtraneのソロはタンギングにCannonballほどの滑舌の良さがないので、若干の辿々しさ、言ってみれば朴訥としたトークと感じます。横板に雨垂れとは言いませんが、むしろ味わいとして捉える事が出来、結果好対照なふたりを感じます。 Cannonballは中低音域を中心に用い、Coltraneが中高音域を中心としてフレージングしているのにも、アプローチの違いが表れています。ピアノソロ、そしてベースソロまで進み、ラストテーマへ、エンディングのカットアウトは潔い終始感を得ています。ここまでがレコードのA面になります。

4曲目ColtraneのオリジナルGrand Central、NYCマンハッタン、ミッドタウンのPark Ave.と42nd St.地点にある世界一大きなターミナル駅Grand Central、米国全土から人が集まりそして離れ、ごった返し、混雑している駅なので目まぐるしく変わるコード進行と複雑な構成を有するこの曲の忙しさに例えられました。1曲目で自身のColtrane Changeによるインプロヴィゼーションを披露しましたが、ここでは曲自体にこのコード進行を用いています。他にもリズム隊のシンコペーションによるリズムのシカケ、サビでのドミナント・ペダル、サックス2管の対旋律等、聴かせどころ満載の佳曲、テナーの方の音域が低いにも関わらず、作曲者Coltraneが主旋律を吹き、Cannonballはハーモニーを担当しています。この作品のためにColtraneが書き下ろしたナンバーですが、これはふたりの信頼関係ゆえでしょう。もしくはこうも考えられるのですが、制作当初は双頭リーダー作品として企画され、例えば作品のタイトルは「Cannonball Adderley & John Coltrane Quintet in Chicago」、実際ふたりにしっかりとスポットライトを当てていますが、Coltrane側の契約問題等がクリアー出来ず、結局Cannonball単独のリーダー作としてリリースされる事になったと。そうすれば各々のフィーチャーリング・バラードが収録され、オリジナルを持ち寄った事、1曲目でのColtrane Changeへのチャレンジ、レコードのSide AがCannonballサイド、Side BがColtraneサイドという構成にも納得が行きます。因みに64年再発時にはジャケットデザインとタイトルを替えてリリースされました。「Cannonball & Coltrane」、こちらの方が内容的には相応しいと思います。

「Cannonball & Coltrane」

先発Cannonballはメロディアスなアプローチで絶好調ぶりを聴かせ、むしろColtraneの方が若干曲の難易度に苦戦、術中にハマってしまったように聴こえます。Kellyのソロに続き、ラストテーマへ。

5曲目ColtraneをフィーチャーしたバラードYou’re a Weaver of Dreams、渋い選曲です。スタンダードナンバーThere Will Never Be Another Youとほぼ同じコード進行を有します。Coltraneの音楽性に良く合致したナンバーと言えるでしょうし、初リーダー作「Coltrane」収録Violet for Your Fursにも通じる曲です。こちらもCannonballフィーチャーと対極を成すと行って良いでしょう。イントロなしでテーマからいきなり始まりますが、極力ビブラートやニュアンス付け、音量の大小を排除し、ストイックなまでにストレートにメロディを吹いており、これ以降も一貫するColtraneのバラード演奏スタイルを象徴しています。晩年のFree Formに突入した際には逆にビブラートを多用することになりますが、Cannonballを始め、それまでのサックス奏者が用いた手法を敢えて避けたのか、それともごく自然にこのストレート直球奏法に至ったのかは分かりませんが、以降のテナー奏者に多大な影響を与えました。テーマ後Cobbはスティックに持ち替え、Stars Fell on Alabama同様にダブルタイムフィールになり、1コーラスをソロします。バラード演奏にそのミュージシャンの本質が顕著に現れますが、彼らの演奏を聴くに付け、つくづくこれほど個性の異なるサックス奏者たちをバンドに迎え、自己の音楽を表現するために巧みに、かつ適材適所で演奏させたMilesの手腕の素晴らしさを、改めて感じました。

6曲目ColtraneのオリジナルThe Sleeper、ベースのwalkingから始まり、2小節に一度4拍目にアクセントが入るコード進行としてはブルース、かなりユニークなイントロ〜曲のパターンです。2コーラス目にアルトが先発の輪唱でテーマを演奏、ソロを取るのはColtraneの方から、出だしからいきなり全開状態です!曲のキーがE♭、テンポも同じBlue Trainの演奏を彷彿とさせますが、リズム隊がBlue Trainのように倍テンポにならないのも一因かも知れません、テナーソロをプッシュしきれずに孤軍奮闘の様相を呈しています。ピアノソロの冒頭ではColtraneのソロを受け継ぎ、Kellyにしては珍しいアプローチを聴かせます。その後はCannonballのソロになりますが、前曲がColtraneフィーチャーでCannonballがお休みだったので、ソロの先発は彼でも良かったのではと感じます。鳴り捲りのアルトサウンド、ここでもフレージング、アイデアは尽きる事なく泉のように湧き出ています。ラストテーマは再びサックスの輪唱、始めのテーマでもそうでしたがこの輪唱時、サックス2管は右チャンネルにまとめて振られています。アルトのソロの時は左チャンネルから聴こえてくるので、急に音像が飛んだように聴こえました。その後イントロと同じフォームが演奏されますが、初めに比べかなりテンポが遅くなっていますが、一曲通してだんだんとゆっくりになったようです。エンディングはテーマの一節が演奏され、Fineです。

2020.07

jazz/music 

2020.07.20 Mon

Cannonball’s Bossa Nova / Cannonball Adderley and the Bossa Rio Sextet of Brazil

今回はCannonball Adderley 1962年12月録音のアルバム「Cannonball’s Bossa Nova」を取り上げてみましょう。ブラジル人ピアニストSergio Mendes率いるThe Bossa Rio Sextet of Brazilが伴奏を務めた、極上のBossa Novaアルバムに仕上がっています。

Recorded: December 7, 10, 11, 1962 at Plaza Sound, New York City Recording Engineer: Ray Fowler Produced by Orrin Keepnews Label: Riverside 9455

as)Cannonball Adderley p)Sergio Mendes g)Durval Ferreira b)Octavio Bailly, Jr. ds)Dom Um Romao tp)Pedro Paulo(#2, 4-5, 7-8) as)Paulo Moura(#2, 4-5, 7-8)

1)Clouds 2)Minha Saudade 3)Corcovado 4)Batida Diferentes 5)Joyce’s Sambas 6)Groovy Sambas 7)O Amor Em Paz (Once I Loved) 8)Sambops

場所はNew YorkのジャズクラブBirdland、1962年のある夜Cannonball Adderleyが6人の若者に囲まれて熱心に話をしています。彼らはBrazil人ミュージシャン、ピアニストSergio Mendesがリーダーを務めるThe Bossa Rio Sextetのメンバーで、とあるコンサートのためにNew Yorkを訪れていたのです。Cannonballの音楽に熱狂的ファンだった彼らは、彼に自分たちの演奏を聴いてもらえるように働きかけ、それをBirdlandで実現させました。彼らの演奏を大変気に入ったCannonballは即座にレコーディングを発案し、本作録音に至ったのです。

そのとあるコンサートとは、62年11月21日にNew York Carnegie Hallで開催されたBossa Nova Concertの事で、言ってみればBrazilian Bossa Novaの米国初進出コンサートです。出演者はBrazilを代表するミュージシャンたちMiltinho(Milton) Banana, Luiz Bonfa, Oscar Castro-Neves, Joao Gilberto, Antonio Carlos Jobim, Carlos Lyra, Sergio Mendes Sextet等20名を超えるBrazil勢にArgentinaからLalo Schifrin、米国既Bossa Nova経験組Stan GetzやGary McFarland、Bob Brookmeyer等錚々たるメンバーを擁しての企画でしたが、実は悲惨な結果に終わったとStan Getzの伝記「音楽を生きる」に記載されています。あまりにも多くの凡庸なグループがステージに上がり、場はしばしば混沌状態に陥りました。想像するにおそらくしっかりとした企画がなく、Brazilのミュージシャンをまとめて招聘すれば何とかなると高を括ったのでしょう。多分プロデューサー、舞台監督も存在しなかったように感じます。しかもコンサートのスポンサーになったオーディオ会社がライブ録音の方を重視してマイクロフォンをセッティングしたため、本末転倒、演奏はホールにいる聴衆の耳には届かずサウンドは最悪だったそうです。コンサートの失敗を強く恥じたBrazil政府(政治問題にまで発展したようです)は僅か2週間後に自らがスポンサーとなり、New York Manhattanの大規模ジャズクラブVillage Gateで入念に準備されたコンサートを開催し、挽回をはかり、代表格Joao Gilberto,やAntonio Carlos Jobimは米国の聴衆に彼らの芸術をしっかりと披露する事が出来たそうです。BrazilにとってBossa Nova Music最大のマーケットとなり得る米国、そこでの第一印象が悪ければとんでもない事になると、かなりの危機感を抱いたのでしょう。やれば出来るのですから初めから徹底した企画でCarnegie Hallの晴れ舞台に臨めばよかったものを、南の国の楽天的な考えが当初は支配していたのかも知れません。

当日の演奏を収録したアルバム「Bossa Nova at Carnegie Hall」The Bossa Rio SextetはJobimのOne Note Sambaを演奏しています。

その後Bossa Novaは大ブームになり、Zoot Sims, Paul Winter, Charlie Byrd等のジャズ・ミュージシャンもBossa Novaアルバムを発表しました。フルート奏者Herbie MannはCarnegie Hall Concert前の同年10月、単身Brazil入りし、いち早く当地のミュージシャンAntonio Carlos Jobimほかとレコーディング、本作のThe Bossa Rio Sextetとも2曲録音しています。

「Do the Bossa Nova with Herbie Mann」
Recorded in Rio de Janeiro with the Greatest Bossa Nova Players

同じくGetzの伝記にはこのようにも書かれています。『「ボサノヴァ」という魔法の名前がついたレコードはどんなものでも飛ぶように売れた。そしてノヴェルティ業者たちは「ボサノヴァTシャツ」とか「踊るボサノヴァ人形」とか、「ボサノヴァ蛍光ポスター」とかいったものを片端から売りまくった。すべてのブームに付きもののわけのわからなさは人々の要求に更に火をつけた。少しばかり憂愁の香りを漂わせる、概ねハッピーな音楽とその伝染性のあるリズムは、キャメロットに住む見栄えの良い夫婦(ケネディ大統領夫妻のこと)に率いられたアメリカは無敵であるという、世間のうきうきした楽観論を反映するものだった。』おそらく自伝筆者の私見だと思いますが、シニカルなGetzの考えをいかにも代弁したかのような話です。因みに前述のBossa Novaを取り上げたジャズ・ミュージシャン作品の中で、個人的に素晴らしいと思えるのは本作と63年録音Stan Getz「Getz / Gilberto」の2作です。

それでは内容について触れていく事にしましょう。1曲目は本作に参加しているギタリスト、Durval FerreiraのナンバーでClouds。曲想から入道雲をイメージしますが、夏のRio de Janeiroの雲はさぞかし雄大なことでしょう。彼もRio出身で他にも3曲本作に提供しています。ピアノのイントロにシンバルが被さり、雰囲気作りが成されます。そしてテーマへ、Cannonballの登場です!それにしても、何という素晴らしい音色でしょうか!音の極太感、艶、柔らかさと滑らかさ、ゴージャスなまでに加味された豊富な付帯音、音量のダイナミクス、無限に有するのではと感じるビブラートの多彩さ、ニュアンス付けの巧みさ。真夏の太陽が燦々と降り注ぐ浜辺を長時間歩き、思わず見つけた椰子の木陰で涼を取る爽やかさ!Cannonballはもともと音量のアベレージ、設定が小さいので、大きく吹いたときの振れ幅が凄まじく、聴感上のインパクトがあり得ない次元にまで聴き手を誘います。実際本作でも、彼がボリュームを上げ、シャウトして吹いた時には音が歪んでいます。レコーディングのフェーダーを小〜中音時でのレベルに合わせているためでしょう、間違いなくピークレベルで針が振り切っています!低音域でフレージングが終始する時に必ずサブトーンを用いるので、音色の変化に思わず「うおっ!」と声が出てしまいます!メロディの合間に挿入されるフィルインの知的さとナチュラルさ、大胆な技法を用いつつも細部に至るまでの綿密な配慮、常にリスナーサイドに立ちつつバランス感を保ち独りよがりにならず、自身も演奏に際しての感情移入が半端なく、何より本人が演奏を楽しみまくっていることが手に取るように伝わるのが堪りません!Brazil出身の彼ら共演者にはジャズミュージシャンとしての心得、インタープレイやレスポンスを求めることは困難ですが、本場のBossa Novaのリズム、サウンドの上でCannonballが大海原を泳ぐイルカ(彼の体型的にはもっと大きい海獣かも知れません〜汗)のように漂う感じを楽しむのが本作の聴き方と、早速解釈できました。Mendesの短いソロに続き、ラストテーマへ、CannonballのBossa Nova Musicへの参入は彼の事を愛してやまないBrazilianたち、これ以上あり得ないほどの素晴らしいメンバーを擁してレコーディングされました。それにしても彼のプレイ、改めて前回当Blogで取り上げた7年前の録音「Introducing Nat Adderley」での演奏とは比較にならない程、格段の進歩を遂げています。

2曲目はBrazil出身のミュージシャン、作曲家Joao DonatoのナンバーMinha Saudade、軽快なテンポでトランペット、アルトサックスのアンサンブルで心地よいイントロが始まります。躍動感溢れるドラミングを聴かせるDom Um RomaoもRio出身、72年から74年までかのWeather Reportにパーカッション奏者として、4作に参加した経歴を持ちます(「I Sing the Body Electric」「Live in Tokyo」「Sweetnighter」「Mysterious Traveller」)。Cannonball Quintet60年代にはWeather Reportのリーダー、Joe Zawinullが在籍していました。その関係でのコネクションかも知れません。

Weather Repot / Sweetnighter
Weather Report / Mysterious Traveller

そしてCannonballのテーマ奏、これまたノックアウトです!ここでは音色に加えメロディのスピード感が素晴らしい!加えて0’27″でのビブラートの色気!サビをBrazil勢が演奏するメリハリも素敵です!Bossa NovaはStan Getzのテナーサウンドが代名詞となっていますが、Cannonballのアルトサウンドも全く双璧を成していると思います。1コーラスMendesがソロを演奏、メロディアスなフレージングに魅力を感じますが、タイムの捉え方は結構on topに聴こえます。続くCannonballの意表を突いた始まり方はキャッチーですね!絶好調さはソロ本編に於いても一貫して継続しています。ラストテーマはサビから開始、そのままBrazil勢が最後までテーマを演奏してFineです

3曲目はお馴染みAntonio Carlos Jobimの名曲Corcovado、全くストレートにテーマを演奏していますがこの音色、そしてニュアンスで吹かれると、ただもうそれだけで大納得、実に美しいです!これだけシンプルな語り口だと、メロディ間のフィルインがまた良く映えるのです。ソロもモチーフを元に、じわじわと次第に発展させていく手法で構築していますが、十分に間合いを取り、フレーズとフレーズの関連性はあるが互いを干渉せずに独立させ、ストーリーの抑揚を万全とし、様々な専門用語を使いながらも難解な、とっつき難い発音を一切排除し、時には大胆不敵に、またある時には囁くように、森羅万象を表現しているが如しです。それにしてもバックのBrazil勢、完璧に淡々と伴奏を行いますがソロとのインタープレイは見事なまでに一切ありません!Bossa Novaのリズム、グルーヴ、ギターのカッティングを中心としたサウンドを相手に、フリーブローイング状態のCannonball、ひょっとしたら彼自身が「Guys, ジャズっぽい事は何もしなくていいんだよ、素の君たちが欲しいんだ。」と彼らに提案していたのかも知れません。ピアノソロ後のテーマ奏とフェイクにも素晴らしいイマジネーションを感じさせます。

4曲目Batida DiferentesはFerreiraのナンバー、威勢の良いサウンドにCannonballが絡みつつイントロが始まり、2管のアンサンブルとCannonballがやり取りを行い、コール・アンド・レスポンス状態でテーマが進行します。ホットな中にも1曲目同様、椰子の木の木陰的な涼しさが垣間見える、こちらも佳曲です。テーマ最後に出てくるブレークでは、意を決したようなフレージングと音量で、続くソロパートに突入です。軽快なフットワークでのインプロヴィゼーション、コード進行に対する的確なアプローチ、饒舌ではありますが全く無駄を排除した、全てが音楽的にサウンドしている完璧なソロです!続くMendesのソロ、スタンダードナンバーのIt Might as Well Be Springのメロディをごく自然に引用しています。同曲は春には演奏しないという掟がありますが(笑)レコーディングは12月、四季問題は無事クリアーしました!(爆)この人のソロには常に自然体のメロディを感じます。ラストテーマでは再びCannonballとのやり取りが聴かれ、Brazil勢で次第にディクレッシェンドしてFineです。

5曲目Joyce’s Sambas、こちらもFerreira作曲。イントロ2管のアンサンブルから既に涼しげ、と言うよりも哀愁を感じさせるナンバー、Cannonballは深いビブラートを用いつつ情感たっぷりにテーマを歌い上げていて、管楽器リフの輪唱が効果的に響きます。アルトソロに入り、明るさと哀愁が同居し、実に抑揚の効いたメロウなテイストを披露します。珍しく(本作中ここ1カ所だけですが)1’41″辺りでCannonballの吹いたラインにMendesが反応し、答えています。本テイク3日間のレコーディングで最終日に収録されましたが、長い時間Cannonballと過ごしたので、彼からジャズのスピリットを少しだけ伝授されたのかも知れませんね。ピアノのソロに続き、ラストテーマを迎えますが、エンディングは他曲には無いカッコよさでキメて、Fineです。

6曲目Groovy Sambas、こちらはMendes作曲のナンバーです。彼にはMas Que Nadaという大ヒットナンバーが控えていますが、この曲も同曲に通じるムードを聴かせる佳曲、ピアノのバッキングも既にMas Que Nadaを感じさせます。Mas Que Nada実はMendes作ではなくRio出身シンガーソングライターJorge Benの曲ですが、Mendes66年に自己のバンドBrazil ’66でレコーディングし大ヒットとなり、こちらの方が有名になりました。Cannonballのメロディ奏がまず素晴らしい!彼自身この曲を気に入り、思い入れを込められたように感じます。続くソロの巧みな事と言ったら!お気に入りの曲ならば当然の事ですが、コード進行が複雑で入り組んだ部分に果敢にチャレンジするのは彼の常、スリリングなラインと大きく歌う部分との対比がこの人の特徴の一つだと思います。本作中最もホットでスインギーなソロとなりました。作曲者自身のソロも同様に本作中ベストなものでしょう。エンディング時フェルマータする筈がRomaoが勘違いして、一人叩き続けてしまったように聴こえます。「いっけねえ!」とばかりの、最後の締めの1発には不本意さからか、気持ちが入らず若干の空虚さを感じます(汗)。

Mas Que Nada 収録「Sergio Mendes & Brasil ’66」

7曲目O Amor Em Paz (Once I Loved) はやはりJobimの名曲、様々なミュージシャンに取り上げられていますがこちらも代表的な名演奏に仕上がりました。まるで晩夏のRioの海岸で過ぎゆく夏の、とある情事に思いを馳せるかのような、レイジーなイントロからテーマに入ります。「おいおい、お前はBrazilに行ってそんな立派な事を経験をして来たことがあるのか?」と突っ込まれること請け合いですが(汗)、単なるイメージの世界ですので、宜しくお願いします(爆)。Cannonballはロングトーンにクレッシェンドを駆使したメロディ奏、そのバックでのホーンアンサンブル、何とゴージャスでしょう!それにしてもこの美の世界は一体何処からやって来たのでしょうか?アドリブソロは比較的モノローグ的、低音域を中心にボソボソ、ブツブツ、いや、ガサガサ、シュウシュウと語られますが(笑)随所に隠し味、大当たりの福引景品が用意されており、独白をひとつも聴き逃す事は出来ません!Everything Happens to Meのメロディがさりげなく引用されますが、実はRioの海岸での情事は彼自身にHappensした出来事なのかも知れませんね(笑)。本作参加のアルト奏者Paulo Moura、トランペット奏者Pedro Pauloのふたりはスタジオ内でCannonballのソロを神が降臨して来た如く、畏敬の念を持って、さぞかしうっとりと、頷きながら聴いていたことでしょう。その情景が手に取るように浮かびます。Mendesのソロ後ラストテーマへ。ホーンが加わった潔いエンディングも良いですね。

8曲目ラストを飾るFerreiraのSambopsは本作中最も快活なナンバー、リズム隊の躍動的なグルーヴはRioのサンバ・カーニヴァル状態、Romaoのフィルイン0’52″も一段と冴え渡ります。ホーンのアンサンブルもオシャレですが、吹いていない時にはおそらく何かしらのパーカッションで参加していると思います。レギュラー活動を長年行っていただけの事があり、ベーシストOctavio Bailly, Jr.とRomaoのコンビネーションも素晴らしいです!Cannonballのソロの実にマーベラスな事!水を得た魚(海獣?)の如き状態、リズミックさが堪らず、腰が椅子から浮かび上がり、リズムを身体全体で取ってしまいます!1’51″でCannonballがソロ終わりを匂わせた一瞬にMendesのフィルが入ります。自分にソロが回って来たと思ったのでしょう。1’59″からのウラウラのフレーズ、2’13″からの低音域から上昇シンコペーション・フレーズ、聴きどころ満載です!短いピアノソロ後ラストテーマ、イントロにダカーポして大団円です。

jazz/music 

2020.07.13 Mon

Introducing Nat Adderley

今回はコルネット奏者Nat Adderleyの1955年録音初リーダー作「Introducing Nat Adderley」を取り上げたいと思います。実兄アルトサックス奏者Julian Cannonball Adderleyとの2管編成は以降のCannonball Adderley Quintetの原形となり、ハードバップを代表する豪華メンバー達と演奏しています。

Recorded in New York City on September 6, 1955 Producer: Bob Shad Label: Wing

cor)Nat Adderley as)Cannonball Adderley p)Horace Silver b)Paul Chambers ds)Roy Haynes

1)Watermelon 2)Little Joanie Walks 3)Two Brothers 4)I Should Care 5)Crazy Baby 6)New Arrivals 7)Sun Dance 8)Fort Lauderdale 9)Friday Nite 10)Blues for Bohemia

Florida州Tampa出身のAdderley兄弟(Cannonball: 1928年9月15日、Nat: 31年11月25日生まれ )、彼らの父親が若い頃プロ並みの腕前のトランペット奏者で、彼は長男に自分のトランペットを与えました。しかしその後長男がアルトサックスを自分の楽器として選んだのでトランペットは次男に譲られ、この時点でAdderley兄弟の楽器フォーメーションが決まりました。若い頃からAdderley兄弟は音楽活動に勤しみ、かのRay Charlesとも共演していたそうです。

有名な話でご存知の方も多いと思いますが、Adderley兄弟が55年New Yorkに旅行で立ち寄った際、Greenwich VillageにあったクラブCafe BohemiaでベーシストOscar Pettifordのバンドが出演していました。兄弟は楽器を携えていたのでシットインすべく準備をし、Pettifordにその許可を求めました。その時ちょうどレギュラーのサックス奏者が遅刻により不在だったのでバンドリーダーは快諾しました。演奏が始まるや否や彼ら、特にCannonballの圧倒的な演奏にその場にいた聴衆は完全にノックアウトされ、兄弟のNew Yorkデビュー演奏は大成功を収めました。とんとん拍子に話が進み、同年二人別々にリーダー作を録音する機会に恵まれたのはCafe Bohemiaでのシットインが功を奏し、次第に彼らの名が知れ渡る事になったからに違いありません。加えてかのCharlie Parkerが同年3月12日、僅か34歳の若さで逝去しジャズシーンは新たなスターの登場を渇望していたのもあり、Adderley兄弟はその時流に乗る事ができた訳です。

Cannonballの方は7月14日レコーディングの作品「Presenting Cannonball Adderley」をSavoy Labelに、そしてNatは本作「Introducing Nat Adderley」をおよそ2ヶ月あとの9月6日にレコーディングします。翌56年New Yorkに居を構えた二人はCannonball Adderley Quintetを立ち上げ、本格的に活動を開始しましたが、間も無くCannonballがMiles Davis Sextetに加入し、その間NatはJ. J. JohnsonやWoody Hermanのバンドで活動、59年に兄が独立したのをきっかけに共演を再開し、その後は順風満帆に演奏活動を継続させました。兄弟仲の良さはミュージシャンのあいだでも有名な話で、音楽性も合致した二人は以降兄の逝去まで演奏を共にし、Cannonballの作品に40枚以上も参加しました。

ところでCafe Bohemiaで不在だったテナー奏者が誰だったのかちょっと気になるところです。当人はAdderley兄弟の出現でバンドのレギュラーの座を奪われたかも知れません、いずれにせよミュージシャン界は競争が激しく下克上は日常茶飯事、自己管理を徹底させ仕事に遅刻せず、時間を守りましょうと言う教訓のオマケが付きました(笑)。

それでは演奏に触れていくことにしましょう。演奏曲は1曲を除き全てAdderley兄弟共作によるものです。1曲目Watermelonは短い演奏ながらオープニングに相応しい軽快なテンポ、よく練られたメロディとハーモニー、リズムセクションとのアンサンブルがハードバップの幕開けを感じさせます。ビバップの発展型としてのハードバップですが、55年当時のシーンではリズムやコードが前段階的に未だ細分化されておらず、56〜57年から急速に進歩を遂げます。この頃のMiles Davisの諸作、例えば同年6月録音「The Musing of Miles」同じく8月録音「Miles Davis Quintet/Sextet」も本作に近いテイスト、サウンドを聴くことが出来ます。

常に兄を立てる弟ゆえでしょうか、ソロの先発はCannonballです。でもここで聴こえるアルトの音色は一瞬別人の演奏と錯覚しそうな違いを感じます。録音によるものか、後年のCannonballよりも音の輪郭がくっきりとしていますが、雑味の成分がかなり少ないのです。マウスピース、楽器、リード等使用機材が異なるのか、でも物の本によると彼は生涯一貫して楽器はKing Super 20 Silver Sonic、マウスピースMeyer Bros 5番、リードもLa Voz Medium辺りを使用し続けていたらしいのです。初リーダー作「Presenting Cannonball Adderley」での音色は後年のそれと殆ど一致しますので、ここでは単なる録音による悪影響と推測できます。タイム、グルーヴ、スイング感は既に完成されており、寛ぎと奥行きを感じさせるストーリーの構成は見事です。Natのソロは兄の前出フレージングを用いつつ、こちらも軽快に飛ばしており、やはり自己のスタイルをしっかりと携えてのIntroducing本人になっています。当時はサイドマンとしても良くレコーディングに参加していたHorace Silverのピアノソロに続きます。つんのめったような独特のタイム感はここでも健在、引用フレーズを交えたユーモアを常に絶やさないプレイが印象的です。

2曲目Little Joanie Walks、Roy Haynesのちょっとしたソロの後、マイナー調のテーマが始まります。間を生かしたメロディラインがひょうきんさを感じさせる佳曲です。当日レコーディングを見学しに来ていたプロデューサーBob Shadの姪、Joanieちゃんの歩く様をイメージしたナンバーという事で、8分音符が少しハネている曲想からさぞかし可愛らしい歩き方をしていたとイメージできます。ここでもCannonballが先発登板、色気のある演奏を聴かせます。ダブルタンギングをアクセントに用いたフレージングはインパクトがあります。上の音域から下降した際に低音域で聴かれる充実したサブトーンに表れているように、アルトサックスの全音域をルーズなアンブシュアでくまなく吹いている事が伺えます。続くNatのソロも兄の表現力に劣らないようにと、懸命にイマジネーションを働かせていることを感じます。続く録音当時20歳(!)Paul Chambersのベースソロ、一聴して分かる音色とフレージング、ビート感。間違いなく50年代の最重要ベーシストの一人です。ラストテーマは意外性のあるエンディングを迎え、冒頭と同じくドラムの「ちょっとしたソロ」でFineです。

3曲目Two Brothers、ピアノのイントロに続く2管による対旋律を聴かせるメロディラインは、米国西海岸50年代のサウンドを感じさせます。文字通り兄弟が別な旋律を演奏しているわけですが、サビの部分では兄にソロを取らせています。こちらもユニークなメロディを有した佳曲です。各1コーラスのソロ先発はSilver、Natと続き、Cannonballのソロは曲想をよく踏まえたスインギーな展開を提示しています。その後Chambers、そしてラストテーマですが、サビはHaynesにソロを取らせています。個人的にここではNatの演奏が聴きたかったところです。

4曲目スタンダードナンバーからバラードI Should Care。早めのテンポ設定によるテーマはNatのコルネットがフィーチャーされ、淡々とメロディを吹きつつ多少のフェイクを交えています。テーマ後すぐにCannonballのソロが始まりますが、ここでのアルトの音色は雑味、付帯音、倍音の豊富さを感じさせるいつもの彼らしい、本領を発揮したもので、ユーモアのセンスも色濃く聴き取る事が出来ます。バラード演奏ではテンポのある曲よりも音量を小さく演奏するのでその分、音の輪郭外側の成分がよく響く傾向にあるからでしょうか。その後Natを再びフィーチャーし、エンディングを迎えますが兄の深い表現に対し、あっさり感を否めない弟のプレイ、まだ初リーダー作バラード演奏では独り立ちの難しさを露呈したように思いました。

5曲目Crazy Babyはマイナー調のメディアムスイング・ナンバー、テーマの際のピアノのバッキングがうまい具合にメロディとメロディ間に挿入されています。最初のソロイストはCannonball、余裕のある流暢さが既に大物の風格を漂わせています。Haynesのレスポンスも巧みに行われ両者のインタープレイも適切です。Natのソロに続きますが、ブルージーさに関しては十分に及第点に至る表現をしていると思います。ピアノソロ、そしてベースソロと続きます。その後ドラムとの4バースがフロント二人と行われ、ラストテーマへ。

6曲目New ArrivalはHaynesのソロから始まるリズムチェンジのコード進行を用いたナンバー。ソロの先発はSilver、Tenor Madness, Old Milestonesのリフを引用しながら演奏します。Natのここでのソロは本作中最もスインギーなもので、ハイノートをはじめ様々な表情を見せます。ひょっとしたら兄のソロよりも前に演奏したので、影響を受けず単に自分のペースをキープ出来たからなのかもしれません。CannonballはNatのソロのテイストを受け継ぎつつ、次第に自分の世界に入っていきますが、彼も一層流麗なアドリブを聴かせています。続くChambersのソロはアルコに声をユニゾンさせたMajor Holley状態、渋いサウンドを聴かせます。その後Haynesの1コーラス・ドラムソロ、そしてフロントとの4バースに続きますが、Haynesならではのリズムワールドを構築しています。ラストテーマでは3曲目と同じくサビをドラムソロに任せていますが、この曲こそドラムの出番が多かったので、ラストテーマのサビはNatが演奏すべきであったと思います。

7曲目Sun Danceは3曲目のコンセプトに似た対位法的なスイングナンバー、テンポは遅くなります。Cannonballが先発、Silverと続きNatのソロへ、雰囲気の似た同傾向の曲が続くのでこの辺りでラテンやボサノヴァ、8ビートのナンバーが聴きたくなりますが、それらのリズム様式が登場するにはまだまだ、時代が全然早すぎでしたね(汗)、その後はドラムとフロントの4バースが1コーラス行われ、ラストテーマへ。本作は演奏時間を短くして収録曲を多くする方向で、さらに参加ミュージシャンのソロをコンパクトに、ほぼ全員を網羅するように制作されています。デビュー作なのでここはプロデューサーの英断で曲毎の聴かせどころを作り、機会均等はせず、加えてリーダーNatのコルネットを色々な形で、よりフィーチャーして欲しかったところではあります。

8曲目Fort LauderdaleはFlorida南東部の海岸に面した都市の名前で、高級リゾート地として知られていますが、Cannonballが高校時代バンドリーダーとしてこの地で演奏していたそうです。Cannonball、Silver、Nat、Chambersとソロが続き、ラストテーマはサビから演奏されます。

9曲目Friday Niteは早めのテンポ設定で小気味良さを聴かせます。1stソロイストはCannonball、4度進行のアプローチが聴かれます。続きSilver、自曲Sister Sadieのテーマ引用がなされますが、フロントではSilverのタイム感が最も早く、続いてNat、そしてCannonballは絶妙なレイドバック感に位置しています。リズムセクションではChambersのon topさとスピード感、そしてタイトさが群を抜き、Haynesとの良いコンビネーションを提示しています。つくづくリズムセクション、フロントのリズム、タイムの取り方は様々であるべきだと認識しました。その後再びChambersのMajor Holleyアプローチ、Haynesのソロと進みます。

Paul Chambersのプレイそのものがタイトルとなった「Bass on Top」57年7月録音

10曲目Blus for Bohemia、お世話になったジャズクラブには敬意を表さないといけません。Cafe Bohemiaに捧げたと思われるこの曲、Bluesと表記されていますが32小節の長さを有するナンバーです。Nat、Silver、Cannonballとソロが続きラストテーマへ。

jazz/music 

2020.07.05 Sun

Nancy Wilson/Cannonball Adderley

今回はボーカリストNancy Wilsonとアルトサックス奏者Cannonball Adderleyの作品「Nancy Wilson/Cannonball Adderley」を取り上げてみたいと思います。CannonballのバンドにWilsonがゲスト参加した形でボーカルとその歌伴、クインテットの演奏と、ゴージャスに楽しめる構成に仕上がっています。

Recorded: June 27, 29 and August 23 – 24, 1961 Producer: Tom “Tippy” Morgan, Andy Wiswell Label: Capitol Records

vo)Nancy Wilson(tracks 1,3,5,7,9,11) as)Cannonball Adderley cor)Nat Adderley p)Joe Zawinull b)Sam Jones ds)Louis Hayes

1)Save Your Love for Me 2)Teaneck 3)Never Will I Mary 4)I Can’t Get Started 5)The Old Country 6)One Man’s Dream 7)Happy Talk 8)Never Say Yes 9)The Masquerade Is Over 10)Unit 7 11)A Sleepin’ Bee

レギュラー活動展開中のCannonball Adderley Quintetに歌姫Nancy Wilsonを迎え入れた形で(ボーカリストとの初共演作です)、1962年リリースの際レコードでは歌伴とインストを交互に配置した曲順に並び、両者が対等でバランスの取れた作品という認識でした。Nancyのチャーミングでスインギーなボーカルと、名門Cannonball Adderley Quintetの演奏を交互に楽しめる、しかも曲順や選曲のバランスが絶妙に取れていて、一挙両得感が半端ありませんでした!このようなレイアウト作品はあまり無かったので、本作といえば演奏よりも(もちろん素晴らしいですが!)歌〜演奏〜歌〜演奏という曲順が印象的でした。ところが93年CDで再発された際には歌伴がメインになった形で前半ボーカル、後半インストとはっきりセパレートされた形に成りました。曲順は今更ながらに大切ですね、この並びでは全く印象の異なる作品に変わってしまい、残念ながら味気なさを覚えました。リリース当時のレコードにも「A program of swinging vocals and instrumental by Nancy Wilson / The Cannonball Adderley Quintet」と同格にクレジットされていましたが、もっとも再発時はCannonball没後から20年近く経過し彼の存在感も薄れつつあり、一方Nancyの方は未だ現役ボーカリストとして活動中だったので、レコード会社としては彼女をメインに持って来ざるを得なかったのでしょう。

本作は58年から63年まで5年間在籍していたRiverside Label契約中真っ只中にCapitol Recordからリリースされました。Riverside以降は同Capitolに移籍したので、先駆けという事になります。精力的に作品をリリースし、Riversideから17作品、Capitolから本作を含めて20作品を発表し、いずれでもあの素晴らしい音色を披露しています。

Nancy Wilson/Cannonball AdderleyとNancy Wilson/George Shearingをカップリングさせたアルバムもリリースされています。Shearing作品の方の正式タイトルは「The Swingin’ Mutual」、こちらは彼のQuintetに同じくWilsonがフィーチャーされた形の60年録音作品で、いわゆる「シェアリング・サウンド」のノーブルな響きがNancyのボーカルをバックアップする歌伴演奏と、インストが同様に交互に配されたアルバムです。という訳でNancy繋がりの別作品のカップリングになりますが、ジャケットはいかにも3者が共演しているかのような表示、レイアウトなので、これでは羊頭狗肉、誇大広告です(笑)。

ちなみにCannonball次作品、62年1月NYC Village Vanguardでのライブ盤「The Cannonball Adderley Sextet in New York」から文字通り管楽器奏者が一人増えたセクステット編成になり、サウンドが一層厚くなります。ひょっとしたら61年8月頃Art Blakey & the Jazz MessengersがやはりCurtis Fullerを加えての3管編成にヴァージョンアップしたのに倣ったのかもしれません、「Artのバンドがフロント一人増やして随分評判良いようだぜ、バンドの音も見栄えも良くなるし、我々もいっちょ増員しようか」という具合に兄弟で話し合い、Yusef Lateefがテナー他フルート、オーボエでの参加、63年には同メンバーで名盤「Nippon Soul」を東京でライブレコーディング、64年頃からCharles Lloydにメンバーチェンジし、以降もコンスタントに3管編成で演奏活動を続けます。

それでは演奏曲に触れて行きましょう。1曲目バラードでSave Your Love for Me、ピアノとベースのユニゾンのラインにコルネットとアルトサックスのアンサンブルが加わり、Nancyのボーカルが始まります。素晴らしい声質ですね!ピッチやタイム感、抑揚の付け方、イントネーション、アーティキュレーション、シャウトした時の声の張り方、トーンの使い分けなど、申し分ありません。女性ジャズボーカリスト御三家であるElla Fitzgerald, Sarah Vaughan, Carmen McRaeたちに比べると、声の成分にややハスキーさ、雑味感が不足気味に聴こえますが、その分ポップスやR&Bのジャンルで通用する持ち味と成り得ます。Nancyは56年にビッグバンドのボーカリストとして活動開始、Cannonballの誘いで59年NYCに進出し同年12月22歳にしてCapitol Recordに「Like in Love」をレコーディング、翌年リリースとなり幸先の良いスタートを飾りました。本作への布石は成されていた訳です。

オブリガードをはじめの8小節Natがミュートで、次の8小節をCannonballが行いますが、アルトの音の物凄い事!pp程度のごく小さい音で吹いているのが分かりますが、倍音成分があまりにも豊富なために強力にマイク乗りが良く、むしろとても大きな音、メチャメチャ鳴っているように感じられます。低音域のサブトーンもテナーサックスと勘違いしてしまうほどの極太さ!伴奏者のソロはなく、Nancyのボーカルのみをフィーチャーした形にしたのは、この後にたっぷりとインストの演奏が控えているためでしょう。

2曲目はNatのオリジナルTeaneck、軽快なテンポによるスインギーなナンバーです。コルネットとアルトのユニゾンによるテーマは音の分厚さを通常よりも感じさせますが、Cannonballのサックスとでは至極当然のアンサンブルです。ソロの先発はCannonball、ブレークから飛ばしています!ソロに入るや8分音符のドライヴ感がたまりません!そしてこの音色の魅力と言ったら!鼓膜からジワッと身体の隅々にまで倍音が浸透し、体液と一体化するが如き快感!(何のこっちゃ?)バッキングのJoe Zawinullも端正なアプローチが印象的ですが、後年のWeather Reportでの演奏やスタイルは想像もつきません。彼は59年にBerklee College of Musicに入学のため故郷Austria Wienから渡米、しかしたった一週間在籍しただけでMaynard Fergusonから仕事のオファーがあり、そのまま米国でミュージシャンの世界に入りました。コルネットを吹くNat、トランペットよりも丸くハスキーな音色は自身の個性を表すのにうってつけの楽器選択です。Zawinullソロの終わりにラストテーマを迎えますが、エンディングのキメも意外性がありレギュラーバンドならではの創意工夫を感じます。名手Sam Jonesのon top感、Louis Hayesの柔軟でタイトなグルーヴから成るリズム隊の好サポートを得てCannonball Quintetの真骨頂と相成りました。

3曲目はFrank LoesserのナンバーでNever Will I Mary、ピアノトリオが活躍するイントロを経てボーカルが登場します。情感豊かに歌詞の内容を噛みしめるように歌うNancy、その後ろでリズミックなホーンのアンサンブルや管楽器各々のオブリガードも聴かれます。ソロはCannonball、短い中にもストーリーとメッセージ性、歌をしっかり表現しています。また彼のタンギングの強力な確実さから、つくづく滑舌の良さを感じてしまいます。アンサンブルとボーカルの一体感が印象的な演奏です。

4曲目はCannonballをフィーチャーしたI Can’t Get Started、夢見心地のアルトサックスが深遠なバラードの世界へと誘います。少し早めのテンポ設定、アレンジされたイントロから始まりますが、実に豊潤な低音域のサブトーン、ビブラートの使い分け、半音進行のⅡーⅤでの巧みで音楽的に高度、それでいてオシャレな音使い、One & Onlyな独壇場サックスプレイは音楽表現の全てを確実に把握して、あらゆる点で過不足なくかつ重厚さを伴って歌い上げています。テーマ奏の後はZawinullのソロが始まります。Austrian man in New York、いまだ自己のスタイルを模索中ではありますが、探究心旺盛な彼は試行錯誤を繰り返し、次第に自己の音楽表現のターゲットを絞って行きました。Cannonballがサビから復帰、前出時よりも饒舌に、ブリリアントにブロウしています。短いcadenza後のエンディングにはこれまた凝った構成のコード進行が設けられています。

5曲目はNatのオリジナルThe Old Country、Nancyの歌う歌詞をCurtis Lewisが書いていますが、こちらは哀愁を帯びた名曲です。スタンダード・ナンバーばかりではなく、メンバーのオリジナルに歌詞を付けたものを収録するのは良いですね!ピアノのイントロからホーンの短いアンサンブルに続き、姫の登場です。さりげないアンサンブルが随所に挿入され曲のムード作りに貢献しています。こう言った曲想だとNancyの歌声はやや明るめに聴こえ、歌唱にもダークさがもう少し欲しいところです。そこをまさに挽回すべく、Cannonballのソロが暗明るい(くらあかるい)テイストで切り込んできます!何と雰囲気に合致しているのでしょう!Zawinullのソロを経てホーンセクション、ボーカルが入ります。アウトロはイントロの再利用が成されています。Keith Jarrettが85年Paris録音の作品「Standards Live」で取り上げており、この曲をどのように演奏すれば良いのかを熟知しているかの如き、こちらも素晴らしい演奏に仕上がっています。

6曲目はZawinullのインスト・ナンバーOne Man’s Dream、マイナー調で50年代の雰囲気をたたえたナンバーですがプラスワンの味付けが良い感じです。先発Cannonballのソロはここでも絶好調!というかサックスの音色が超素晴らしければそれだけで名演奏に成り得てしまうのでは、と思わせます。改めてCannonballのソロのフレージング、方法論を鑑みると、そこには全くCharlie Parker臭がしません。やはりBenny Carterの流れを汲むスタイルと実感しました。

弟Natはおそらく兄Cannonballの事を心底尊敬していたでしょう、兄弟でミュージシャン、バンドを組み、長年共演できる関係を保つためには、弟の兄に対するリスペクトが不可欠です。日本でも日野皓正、元彦兄弟が有名ですが、元彦氏が心から兄を尊敬し、自身もその兄と共演を保てるように一生懸命に練習、研鑽したと仰っていました。「俺ら兄弟が共演出来ているのは音楽的レベルが同じだからなんだ」と言う言葉が印象に残っています。Adderley兄弟は圧倒的な兄の音楽性がバンドの表看板であり、兄の演奏を決して喰わない弟のごく自然体の控え目さ、加えて確実なアンサンブル能力、作曲面での貢献が兄弟の関係を均衡の取れた、円満なものにしています。裏看板Natのソロに続きますが、超個性的ではないものの決して破綻せず常に安定走行、時として兄の影武者になり演奏を上手く纏める能力も持ち合わせています。Natのソロ後Cannonballが主体となったホーンのメロディが挿入されZawinullのソロに移ります。2ndリフがピアノソロ後に入りますがこちらもメチャメチャ素晴らしい!ラストテーマを迎え、エンディングに凝る事の多い当バンドらしく(笑)、聴き応えのあるアンサンブルを演奏しています。

7曲目はRichard Rodgers, Oscar Hammerstein Ⅱ名コンビによるナンバーHappy Talk。おそらくアレンジはZawinullのペンによるものでしょうが、ここでもその才が光ります。イントロはリズムセクションのペダルポイントの上で、ミュートを用いたNatのフィル、タイトル通りの雰囲気でボーカルが入って来ます。随所に施されたアンサンブル、オブリガードが実に魅惑的です!こちらはレコードのB面1曲目に該当し、短い演奏ながらボーカルとアンサンブルの密度の高いやり取りを聴かせていて、裏面のオープニングに相応しい演奏になりました。エンディングではコルネットとリズム隊がキメを共有しアンサンブルを聴かせつつ、Cannonballがソロを取りますが例えばキメにもう1管加わり、ハーモニーが厚くなればゴージャスさが倍増した事でしょう。煌びやかななサウンドを常に念頭に置いているCannonball、この辺の事情も3管編成に増強された理由の一つだと考えています。

8曲目NatのオリジナルNever Say Yes。ベースの印象的なパターンに始まり、Miles Davisの61年作品「Someday My Prince Will Come」をイメージさせるミュート・サウンドでテーマが演奏されます。Hayesのブラシワークも見事ですね。引き続きのNatのソロ、これはもうMilesそのもの、瓜二つ状態、兄がMilesのバンドに在籍していたのもあり影響を受強くけているのでしょうが。本作レコーディング時はまだ「Someday My 〜」はリリースされていませんでしたが、Milesのライブやコンサート、旧作でのプレイから自ずと吸収していたのでしょう。続くCannonnballのソロには男の色気と余裕、ユーモアを感じ、ここでも僕自身はうっとりとさせられてしまいます!ピアノソロ後再びMilesの登場、いや(汗)、Natのテーマ奏で締め括られます。

9曲目The Masquerade Is Overは切なさを表現したバラード、切々と訴えかける歌唱にホーンが加わらず、本作中唯一ピアノトリオだけをバックにした演奏で、彼女のネイキッドの魅力を引き出しました。エンディングは感極まったシャウトを聴くことが出来ます。

10曲目Sam JoneのオリジナルUnit 7、Cannonball Bandのテーマソングとしても知られ、本演奏が初演となります。よく練られた構成とメロディからJonesの代表曲に挙げられますが、他にもBlues for Amos, Seven Mindsといった名曲を書いています。ソロの先発はCannonnball、切り込み隊長は果敢に立ち向かい、スインギーでグルーヴィー、迫力ある素晴らしい演奏を聴かせます。サビの細かいコード進行では案の定手練れの者を演じていますが、Cannonball自身のオリジナルである「Cannonball Adderley Quintet in Chicago」収録Wabashも、半音進行から成るⅡーⅤの連続部分では巧みにアプローチしており、大きく豪快に歌うソロの中にも繊細さを盛り込むことが出来る、バランスの取れたプレイヤーなのです。Nat, Zawinullとソロは続きラストテーマへ。

11曲目はHarold Arlenの名曲A Sleepin’ Bee、魅力的な佳曲です。ピアノのイントロの後、ベースとボーカル二人で演奏が始まりドラム、ホーン、ピアノと加わります。Nancy屈託のない明瞭な発声による歌唱で曲の持つムードを表現します。Cannonballはメロディを交えながらこちらもスインギーなソロを展開します。それにしても楽器を見事に鳴らしていますね!サブトーンと上の音域とが全てイーヴンです。ラストはイントロと同様にベースと二人になり、Jonesがエンディングを締め括ります。

2020.06

jazz/music 

2020.06.28 Sun

Captain Marvel / Stan Getz

今回はStan Getz1972年3月録音のリーダー作「Captain Marvel」を取り上げてみましょう。Billy Strayhorn作のバラード1曲を除き、全曲Chick Coreaのオリジナルを取り上げ、至高のメンバーと素晴らしい演奏を繰り広げています。

Recorded: March 3, 1972. A&R Studios, New York City Label: Columbia Producer: Stan Getz

ts)Stan Getz electric piano)Chick Corea b)Stanley Clarke ds)Tony Williams perc)Airto Moreira

1)La Fiesta 2)Five Hundred Miles High 3)Captain Marvel 4)Times Lie 5)Lush Life 6)Day Waves

ジャケット表面
ジャケット裏面

Getzの伝記「Stan Getz / A Life in Jazz: Donald L. Magginースタン・ゲッツ―音楽を生きる―村上春樹訳」によると、この作品録音の少し前、彼は生活が荒れて体調も優れない日々が続いていたようです。レジェンド・ジャズミュージシャンの伝記はその数だけ世の中に出回っていますが、Getzの場合も御多分に漏れず出版されており、日本ではジャズ通として名高い作家、村上春樹氏が翻訳を手掛け、微に入り細に入り的確な表現で読むことが出来ます。熱心なGetzファンの方ならこの本をご存知の事でしょう、ひょっとしたら座右の書にして彼の音楽的歩みを紐解きながら作品を鑑賞しているかも知れません。実は僕はその一人なのですが、前後作品との関連性と成り立ち、ミュージシャンやレコード会社とそのスタッフとの関わり、Getz自身の思い、家族との葛藤や愛情を辿りながら彼の作品を聴く事は、新たな発見や種明かしにも通じて、Getzの音楽を知る上での実に楽しい行為の一つです。それにしてもよくもこれだけ生々しく赤裸々に、全てを曝け出すように人生を吐露出来るのか、詳細に述べられている記述、Miles Davisの自伝の時もそうでしたが本人の驚異的な記憶力、また綿密な周囲へのリサーチ、事実関係の確認には頭が下がります。

神からの授かり物のようなあの美しいテナーサックスの音色、誰よりも表情豊かな演奏、完璧なタイム感とクリエイティヴなインプロヴィゼーション、聴く者を真善美の世界へと誘う創造性を全面に掲げたStan Getzですが、実は私生活は同一人物の行いとは想像できないほど真逆の世界なのです。ジキル博士とハイド氏、過度の飲酒行為に端を発する酒乱癖から(この頃はより症状が劣悪なドラッグ禍からは脱していましたが…)、家族に暴言を吐く、暴力を振るうGetzに対し、妻がこっそりと服用させていたアンタビュース(抗酒癖剤〜アルコール依存症で飲酒を控える必要がある人に対し、断酒を目的として処方される薬。少量の飲酒で動悸、吐き気、頭痛等の不快感を覚える)が功を奏し、71年末酒量は適度なレベルに落ち着き、69年末の危機的状況から肉体的にも芸術的にも回復を遂げていました。

本作レコーディングの少し前、GetzはNew Yorkの高名なレストランRainbow Grillとの間で好条件の出演契約を結び、72年1月3日から演奏が開始されることになっていたので、当時滞在していたLondonを引き払い自宅のあるNew York Shadow Brookに戻るべく準備をしていました。その時Londonの街角でばったりとChick Coreaに出会ったのですが、彼とは67年3月録音の名盤「Sweet Rain」で見事なコラボレーションを遂げた間柄です。Coreaはこの頃一時的に、言わば仕事にあぶれた状態だったので、Getzの姿が救世主に見えたかも知れません、彼に対し自分が作曲中の幾つかの曲について熱く語り、また一緒に演奏したいと考えている二人のNew Yorkのミュージシャンについてもその素晴らしさ説きました。Coreaの熱心さはGetzの心を動かし、新曲を完成させるようにと困窮しているCoreaに金銭的援助を施し、12月後半にその仲間を連れてShadow Brookに来るように、そこでリハーサルをしようと決めたのでした。ストレスによる飲酒行為から離れた、クリーンな状態のGetzはまさしく彼のテナーサックスのサウンドと同様の、思慮深く知的で他人を思いやる心に満ちた紳士なのです。ちょうど欧州を離れる前にGetzは5年連続でSonny Rollinsを破って<ダウンビート>誌の人気投票で首位に輝いた事を知りました。時代の波はGetzに向かっていたのです。

CoreaがGetzの自宅に連れてきたのはStanley ClarkeとAirto Moreiraの二人で、Coreaを含めるとピアノトリオが出来上がり、そこにGetzを加えたカルテットで自分の曲を演奏するという目論見があったのでしょう。Clarkeは70年にHorace Silverのバンドで演奏しているところをCoreaに見染められ、MoreiraはMiles Davis Bandでの共演仲間でした。GetzはCoreaの新曲を大変気に入りました。「 Sweet Rain」収録とは異なり、今回用意されたナンバーは曲自体の構成もより明確に、メッセージ色が強くなり、またスパニッシュのムードをたたえた斬新なコンセプトから成ります。Clarkeのベースプレイにも感心しましたが、Moreiraのパーカッショニストとしての実力は認めたものの、ドラマーとしての伴奏能力には物足りなさを覚えたので、レコーディングに際して名ドラマーTony Williamsを起用し、Moreiraはバンドのパーカッシヴな領域を広げる役に配して対応することにしました。TonyはGetzの演奏に確実に寄り添う形で、しかも驚異的なセンスとパワーを兼ね備えたドラミングを披露し、MoreiraはTonyを補強しつつよりカラーリングする役割を担当、Clarkeのベースともコンビネーションの良さを聴かせ、結果この采配は大成功となりました。このメンバーでのRainbow Grillでの演奏は大変な評判を呼び、彼ら自身もCoreaのオリジナルという新鮮な素材を文字通りグリルし、じっくりと煮詰めて行くことが出来たので、レコーディングへの良いリハーサルとなりました。

それでは演奏に触れて行きたいと思います。1曲目はCoreaの書いた名曲中の名曲La Fiesta、本作録音のちょうど1ヶ月後の2月2〜3日、レコーディング・スタジオも全く同じNYC A&Rスタジオにて彼の代表作「Return to Forever」が録音されましたが、レコードのSide Bにおいて組曲形式でLa Fiestaを再録音しています。Coreaはやはり全曲エレクトリック・ピアノを弾き、サックス奏者にJoe Farrell、パーカッションを担当していたMoreiraがドラムの椅子に座り、そのMoreiraの奥方Flora Purimがボーカルを担当、Tonyのドラムは参加せず5人編成の演奏で、70年代を代表するアルバムが録音されたのです。以降作品タイトルReturn to Foreverをバンド名とし、メンバーチェンジを繰り返しながらギタリストを加えたり様々な編成にトライしつつ、次第にエレクトリック色が濃くなり、精力的な活動で計11作をリリースして。

Fender Rhodesによるイントロに導かれベース、ドラム、パーカッションが同時に加わりますがこの時点でリズミックなテンションが炸裂しています。Moreiraにパーカッションを演奏させたGetzの目利きにまず感心させられますが、様々な打楽器を駆使して繰り出すリズムの饗宴!Tonyにリズムの要、Getzの演奏への対応をほぼ一任し、Moreiraは細かい8分の6拍子を担当、リズムの祭り(Fiesta)を華やかに演じます!裏メロと思しきラインをCoreaが弾き、被るようにGetzによる主旋律が登場します。1ヶ月後の「Return to Forever」でのJoe Farrellによる演奏はソプラノサックスによるもの、こちらも実によく耳にしたメロディ奏なので違いがはっきりと伝わって来ますが、Getz特有のくぐもったハスキーな音色は奥行きを感じさせ、名曲は如何様にしても異なった魅力を発揮すると再認識しました。幾つかのメロディセクションから成るこの曲の、場面毎のリズムセクションのダイナミクス付け、グルーヴの変化に繊細さと大胆さを感じますし、Clarkeの変幻自在なベースラインの見事さには天賦の才を見せつけられました!スパニッシュ・モードから成るソロセクション、こちらはCoreaの歴代オリジナルに用いられていたパートの発展形と言えます。「Now He Sings, Now He Sobs」収録のSteps – What Was、「Sweet Rain」収録のWindows、両曲で部分的に聴かれていたスパニッシュ・モードを大胆に、全面に押し出し、結果その代表曲となり、そして同年10月に録音された「Lght as a Feather」収録、Coreaの代表曲にして傑作ナンバーSpainへと繋がって行きます。

前半序奏部Getzはムード作りに細かいライン、テクニックを用い場を温めて行きます。とは言え曲自体の持つテンションが高いのでリズム隊のポテンシャルは一触即発状態ですが!Coreaのバッキングは付かず離れずをキープしつつ、全くバッキングを行わない場面も設けながらGetzを泳がせているのですが、いつもとは異なる斬新なアプローチを聴かせる彼の演奏にどうバイト(噛み付く)するかを虎視淡々と狙っています!3’23″頃からソロの佳境に入ったのを察知しまさしく第二楽章に突入、3’29″からのCoreaのバッキング、3’46″からテナーの低音域でのメロディ奏、一転して4’03″からオクターヴ上げてのメロディに対し、Corea果敢にして大胆にバッキングを施し、Tonyも場面作りに賛同するが如くアプローチします!次なる異なったセクションに全くスムースに突入出来るのは、Rainbow Grillでのギグを重ねた結果に他ならないでしょう。Clarke, Tonyの「えっ?ここまでやっちゃうの?」と言う次元の伴奏にはリスナーとして姿勢を正し、背筋を伸ばして正座しながら音楽に対峙しなければなりません(笑)!続くCoreaのソロの凄まじい事と言ったら!Getzのフィーヴァーぶり(死語ですね)を受け継いだのですからこれは致し方ない事ですが(笑)、フリージャズの世界に突入せんばかりの勢いは、思わず70年頃に彼の率いていたバンドCircleでの演奏を思い出しました。

Anthony Braxton, Corea, Dave Holland, Barry AltschulによるCircleのパリでのライブ盤

リズムセクションはCoreaと一丸となってグルーヴを共有し盛り上がっています。時間的制約のないRainbow Grillのライブではさらに物凄い事になっていたのでしょうが。ラストテーマでもリズム隊はメロディラインや曲の構成を更にデコレーションを施すべく、聴いていて笑いが出る程に巧みにアンサンブルして行きます!エンディングはゼンマイ仕掛けの猿の人形、両手で派手に叩くシンバルが次第にゆっくりに成るが如く、リタルダンドしてFineです。

本作録音の頃Getzは20年間在籍していたVerve Recordを離れ、より良い条件のColumbia Recordに移籍するべく交渉を行っていましたが、スムーズにはまとまらず、その結果アルバムの発売は3年近く遅れることになり、発売権も米国内市場ではColumbiaが、以外の海外市場ではVerveが発売権利を持つややこしい事態となりました。本作が録音順で「Return to Forever」よりも先にリリースされていれば、La FiestaはGetzヴァージョンの方がポピュラー、定番になっていたに違いありません。個人的には演奏内容はこちらの方に軍配が上がると信じているだけに、些か残念な話です。

2曲目のFive Hundred Miles High、エレクトリック・ピアノが弾くテーマ・メロディのルパートがイントロとなり、リズムを提示し曲が始まります。Even 8thのリズムで哀愁を感じさせるメロディ、Coreaにしては比較的シンプルなオリジナルですがよく練られた構成のナンバーです。Getzのメロディ奏は的を得ていて、ソロも実に巧みです!50年代〜60年代のスタイルとは全く異なる、変化を遂げているのを実感しました。ソロの3コーラス目から倍のグルーヴ、サンバにチェンジしますが4コーラス目3’04″から、Tonyの煽り方の凄まじい事!かつて僕が在籍していたドラマー日野元彦(トコ)さんのバンド、音楽としてはフュージョンを演奏していましたが、ここでのTonyの演奏をトコさんずいぶんと研究した節が窺われます。ソロイストに寄り添い、フォローしつつ、様子を伺い隙なく一瞬を捉えて違う次元に演奏をワープさせるが如きドラミング、二人は同じコンセプトをたたえたドラマーでした。随所に聴かれるMoreiraのパーカッションは様々な色合いを感じさせ、爽快感を覚えます。Coreaのソロでもサンバのリズムが聴かれますが、テナーソロ時とはまた異なった音が鳴り響いています。Clarkeのベースソロは超絶で饒舌はありますが、必然性と意外性を旗頭に自身の歌を聴かせています。ラストテーマに入る前のTonyのバスドラ、カッコイイですね!ラストテーマで所々に演奏中表出したサンバが出るあたりもニクイです!それにしてもTonyとClarkeの相性の良さを痛感しますが、Tonyのラスト作になった95年12月録音「Wildernesss」、彼自身の作曲になるストリングス・オーケストラの演奏もフィーチャーした意欲作ですが参加メンバーがオールスターズ、Michael Brecker, Pat Metheny, Herbie Hancock, そしてStanley Clarke!二人のコラボは長年に渡り継続していたようです。

3曲目は表題曲Captain Marvel、リズミックなテーマとサンバのリズム、ラテンのmontunoのパターンが組み合わされたユニークなナンバー、こういった曲を収録するのであれば尚更の事、パーカッションが必要になって来ますね。リズム隊のコンビネーションが心地よく聴こえますが、曲のコード進行や構成のハードルがかなり高く設定されているようで、アドリブを発展させるのはなかなか難しいようです。比較的あっさりと演奏され、コンパクトにまとめられた感があります。03年にリリースされたCDにはこの曲の別テイクが収録されていますが幾分テンポが早めに設定され、Getz, Coreaも全く違ったアプローチを聴かせています。

4曲目Times Lieはワルツで始まり、3拍を4拍子に捉えたサンバにリズム・モジュレーションする構成のナンバー。パーカッションの味付けが巧みです。Coreaの演奏が軸となり、印象的かつ難易度が高そうなシンコペーションのメロディがアクセントで入り、再度演奏後にテナーソロ開始、場を活性化させるべくリズミックなアプローチにトライしており、ここでもCoreaのバッキングの付かず離れず感が印象的です。次第に収束に向かい、冒頭のワルツに戻るという、ストーリー仕立ての演奏です。最後はゆったりとしたラテンのリズムになり、なし崩し的にFineです。

5曲目はBilly Strayhornの名曲Lush Life、Getzはバラードの名手でもありますし、時期限定で取り上げる曲のチョイスが素敵です。バースはルパートで始まり、エレピとアルコが伴奏を努めます。テーマからインテンポでTonyがブラシを携え参加しますが既に倍テンポの様相を呈しており、いきなりスティックが登場して一瞬スイングのリズムになりますが、すぐさまリタルダンド、演奏終了です。ちなみにTonyのバラード演奏でブラシを一切使わず初めからスティックを用いて行われているのが、76年録音作品「I’m Old Fashioned : Sadao Watanabe with the Great Jazz Trio」に収録されている、同じくStrayhorn作Chelsea Bridge です。外連味のないストレートな演奏に仕上がっていますが、印象的なナンバーです。

6曲目はラストを飾るDay Waves、こちらもEven 8thのリズム、テーマでダイナミクスが強調されています。Getzが吹くラインで倍テンポが決まりますが、構成がやや平坦なきらいがあり、他の曲でも倍テンポチェンジは行われているので、何が何でも倍テンにせずにじっと元のリズムでステイして、アプローチするのも良かったと思うのですが。ピアノ、ベースとソロが行われ、ラストテーマもGetzダイナミクスを思いっきり強調してFineです。

jazz/music 

2020.06.17 Wed

Milagro / Alan Pasqua

今回はピアニストAlan Pasquaの1993年初リーダー作「Milagro」を取り上げてみましょう。Jack DeJohnette, Dave Hollandらの素晴らしいリズムセクションにMichael Breckerがゲスト参加、名曲揃いのオリジナルで盛り上がり、時にユニークな楽器構成のホーン・アンサンブルも加えて美しく荘厳な世界を作り上げています。

Recorded on October 10 and 11, 1993, at Sound on Sound, New York City.

Produced by Ralph Simon. Associate Producer: Joe Barbaria. Executive Producer: Sibyl R. Golden.

p)Alan Pasqua b)Dave Holland ds)Jack DeJohnette ts)Michael Brecker french horn)John Clark tp, flg)Willie Olenick alt-fl)Roger Rosenberg tb, btb)Jack Schatz bcl)Dave Tofani

1)Acoma 2)Rio Grande 3)A Sleeping Child 4)The Law of Diminishing Returns 5)Twilight 6)All of You 7)Milagro 8)L’Inverno 9)Heartland 10)I’ll Take You Home Again, Kathleen(For My Kathleen)

Alan Pasquaは1952年6月28日New Jersey生まれ。Indiana UniversityとNew England Conservatory of Musicで学び、レジェンド・ピアニストであるJaki Byardにも師事したそうです。彼のプレイの根底にあるものはJazzであり、Tony Williams, Peter Erskine(現在も共演は継続中、Peterとは学生時代の仲間だそうです), Allan Holdsworthたち錚々たるジャズマンとの共演は当然の流れによるものですが、Bob Dylan, Carlos Santana, Cher, Michael Buble, Joe Walsh, Pat Benatar, Rick Springfield, John Fogerty, Ray Charles, Aretha Franklin, Elton Johnら世界的大御所ポップ、ロック・ミュージシャンのバンドで全世界ツアーを重ねています。またJohn Williams, Quincy Jones, Dave Grusin, Jerry Goldsmith, Henry Manciniら名アレンジャーともコラボレーションを重ね、Disneyの映画音楽、CBS Evening Newsのテーマ音楽を手掛けるなど、Show Businessの世界でも八面六臂の活躍ぶりです。音楽的な幅の広さが為せる技以外の何物でもありませんが、彼にとってみればジャンルやフィールドは関係なく、良い演奏、表現をする事だけが全てなのだと思います。ミュージシャンとして全世界を駆け巡っている以上様々な体験をしているはずですが、その中でも近年の特筆すべき経歴として、2017年Bob Dylanのノーベル文学賞受賞に際しての講演(受賞講演が受賞にあたって唯一の条件で、授賞式2016年12月10日から6カ月以内に行わなければならない)は録音されたもので行われましたが、その際にPasquaがソロピアノ演奏を行ったそうです。Pasquaには大御所たちにアピールする音楽的な何かがあり、彼と一緒に演奏したい、メンバーに留めて置きたいと感じさせる魅力に溢れているのでしょう。41歳にしての初リーダー作録音は大御所ミュージシャンから引く手数多ゆえ、なかなか自己表現にまで手が回らなかったからでしょうか。

この作品ではJack DeJohnette, Dave Hollandとのトリオ演奏を中核として、他にフレンチホルン、トランペット&フリューゲルホルン、アルトフルート、バスクラリネットから成る、比較的弱音の管楽器を用いてのアンサンブルが4曲収録されていますが、ここでイメージさせられるのがHerbie Hancockの68年録音リーダー作「Speak Like a Child」です。この作品では同様にアルト・フルート、フリューゲルホルン、バストロンボーンの3管編成が、斬新にして深淵、柔らかさとふくよかさが半端ないアンサンブルを聴かせており、Hancockのピアノプレイをとことんバックアップし、サウンドを立体的に浮かび上がらせています。ピアノトリオ演奏を他の楽器を用いて映えさせる手立てとして、例えばトランペット、サックス、トロンボーンによるトラッドなアンサンブルではエッジが立ち過ぎてピアノの演奏を打ち消す、埋もれさせてしまうでしょうし、ストリングス・セクションではバラード等のゆっくりとした曲にはむしろうってつけですが、テンポのある演奏には切れ味がどうしても鈍くなる傾向にあります。Hancockのシャープでスピード感のある演奏には管楽器の音の立ち上がりを持ってして丁度良く、そこで楽器編成に工夫を重ね、凝らした結果が「Speak Like ~」での管楽器構成になったのだと推測しています。とあるピアニストが「 Speak Like ~」はピアノトリオを自己表現の媒体とするプレーヤーにとって、ある種理想の形態だと発言していましたが、まさしく言い得て妙だと思います。

それでは収録曲に触れて行きましょう、2曲を除き全てPasquaのオリジナルになります。1曲目Acoma、ピアノトリオでの演奏です。美しい音色で奏でられる印象派的イントロ、そこにベースやドラムが次第に加わります。テンポを設定しつつ曲が始まりますがピアノタッチの素晴らしさに惹きつけられてしまいます!演奏をアピールするためには楽器の音色(ねいろ)は最重要項目だと改めて実感しました。端正な8分音符とグルーヴ感、ベース、ドラムスとのコンビネーション、インタープレイ、三者の一体感、Dominant 7thコードでのフレージングの巧みさ、百戦錬磨のツワモノを印象付けます。ソロは次第に終息に向け着陸態勢を取り、無事にランディング、続くベーシストの出番のために場を刷新した感があります。Hollandのソロのこれまた素晴らしいこと!安定感とスポンテーニアスな歌い回し、楽器が上手いのは至極当然なのですが、テクニックとは自分の歌を歌うための単なる手段に過ぎない事を、これまた改めて感じました。DeJohnetteの巧みなサポート、カラーリング、抜群のセンスで繰り出されるフィルイン、フレーズの数々は自然体という言葉が全く相応しく、ジャズ史上誰よりも1拍が長い演奏にトリオ全員が呼応し、両者「がっぷり四つ」ならぬ三者「がっぷり六つ」状態となりました(爆)。

2曲目Rio Grande、イーヴン8thのリズム、タイトル通りの雄大なイメージ(スペイン語で大きな川の意味)を感じさせます。本作中最も演奏者数の多い曲で、ソロイストにMichael Breckerを迎え、4管からなるアンサンブルが参加しています。長い音符の多いテーマをダイナミクスを交え、朗々と吹くMichael、DeJohnetteのタム系でのアクセント付けの絶妙さ。ソロの先発はピアノ、ボトム感が半端ないスペーシーさを保ちつつ、現れるホーン・アンサンブルの美しさ、ゴージャスさ、ピアノサウンドとの見事な一体感、Pasquaの狙いはBingoです!と同時にドラムが的確にフィルを入れ、場が活性化されて行きます。テナーソロに受け継がれ、やはりスペーシーに音楽が進行しつつ、間も無く再びアンサンブルが加わりますが、このサウンドに呼応してMichaelのプレイが変化し始めます。ラインが細かくなりインサイドからアウトサイドに、音域も広がり、自身は周りで鳴っている音を柔軟に全て受け入れ、いずれにも可能な限り呼応すべく門戸を全開にしようと試みているようにも、感じられます。そしてそして、これらの事象に果敢に立ち向かうかのように、音空間を創り上げるDeJohnetteのドラムプレイ!音楽を真摯にクリエイトしていますが、余裕とさり気に遊び心を保ち、達人たちを巻き込んでの音の饗宴は華々しく挙行され、悠久の流れをたたえる大きな川は今日も水源San Juan山地に発し、Mexico湾に注いでいます。

3曲目ピアノトリオによるA Sleeping Child、タイトルからもイメージされますが可愛らしさを湛えたワルツナンバーで、透徹な美学に貫かれた佳曲です。テーマ〜ソロをPasquaは音を愛おしむように一音一音、気持ちを込めて弾いているのが伝わってきますが、自分の子供へ捧げたナンバーなのかも知れません。Chick Coreaのテイストを感じさせる瞬間も幾つか確認できます。Hollandのソロは曲のイメージに相応しいクリアネスを保ちつつ、ディープな音色を携えて歌い上げています。DeJohnetteが叩く全ての音符に意味があり、サウンドし、ソロイストに対する呼応は高度な音楽性を伴ってのインタープレイとなりました。

4曲目Michaelを迎えてカルテットで演奏されるThe Law of Diminishing Returns、これは!!タイトルもですが物凄い曲!そして壮絶な演奏です!タイトルは経済学用語で「収穫逓減」を意味するらしいですが、意味はよく分かりません(汗)。テーマの構成は複数のフラグメントが組み合わされつつ複雑に入り組み、しかし事も無げに同時進行し、完璧なバランス感がキープされつつ実にスリリングに演奏されます。要となるのはDeJohnetteのドラム、各フラグメントの接着剤となるべく巧みなフィルインの連続、間違いなくこの人の存在なくしては楽曲は成り立たなかったでしょう!ソロの先発はPasqua、曲が凄けりゃ演奏は更に物凄いとばかりに集中力と繊細さと大胆さを武器に、百戦錬磨のツワモノたちDeJohnetteとHollandをパートナーに究極の共同作業を行います!う〜ん、素晴らしいです!でも、え?終わりですか?もっと聴きたい!と言う腹八分目のところでMichaelのソロになります。彼のゲスト参加での傾向の一つとして、リーダーのソロが自分の前に行なわれた場合、リーダーの演奏を立ててそこでの盛り上がり以上にはならないように、抑制を効かせる場合があります。2曲目Rio Grandeでは若干その傾向がありましたが、こちらではどうでしょう、Pasquaの幾分抑えめのソロ終了時にメッセージで「Go ahead, Mike!」とオペレーションの指示があったようです(笑)。ピアノソロのイメージを受け継ぎ、Michael助走を始めます。リズムセクションにサポートされつつHop, Step, Jumpと飛翔を遂げますが、DeJohnetteの一触即発体制でのレスポンスが堪りません!決して定形での対処ではなく、極めて不定形での自然発生的な呼応の数々、そしてPasquaのバッキングも緻密さを前面に出しつつ、ドラムの呼応に被ることを決してせず、異なる切り口からMichaelのソロをプッシュし続けます!と言うことで共演者の大いなる支援を得て(笑)、Michaelフリーキーにイってます!!その後のソロコーラスを用いてのドラムソロ、いや〜ヤバイくらいにカッコ良いです!ここでのDeJohnette, Hollandとの共演の手応えが同メンバーにPat Metheny, McCoy Tyner, Joey Calderazzo, Don Aliasを加えたMichael1996年リリースの傑作「Tales From the Hudson」へと繋がって行きます。エンディングでのDeJohnette、まだ曲が続くと勘違いしたのでしょうか、珍しく中途半端な終わり方をしています(汗)

5曲目Twilightは再びアンサンブルが活躍、ここでは3管編成を加えた演奏になります。アルトフルートを吹くRoger Rosenbergは本来バリトンサックス奏者ですが、マルチリード・プレイヤー、スタジオ・ミュージシャンとしても活躍しています。Michael Breckerとは高校時代のご学友、Michaelの初レコーディング(!)にあたる「Ramblerney ’66」の裏ジャケットに17歳のMichaelとRosenbergそしてRichie Coleも写真に収まっています。

Roger Rosenberg, Barry Lewis, Richie Cole, Mike Brecker, Lou Markowitz, Walter Kross

ホーンの響きと楽曲のムードが見事にマッチした佳曲、Hollandのベースがフィーチャーされます。ここでのPasquaのバッキングは危ないですね(笑)!ハーモニーのセンス、フレージング、コードが入るポイントが普通ではありません。この人のバッキングはあまりソロイストに付けることをせず、自分のペースでバッキングを行いますが、不思議と邪魔をせずサウンドし、付かず離れずを徹底させていると思います。続くピアノソロも同一のテイストを継続させ、ほど良きところでアンサンブルが加わります。ピアニスト冥利に尽きる演奏となりました。

6曲目スタンダードナンバーでCole Porter作の名曲All of You、比較的早めのテンポが設定されています。コードのリハーモナイズ感、フィルイン、アドリブラインの独特さ、DeJohnette, Hollandの目も覚めるような伴奏により、この曲のまた別な名演が誕生しました。Hollandのソロも素晴らしいです!それにしてもDeJohnetteは曲想によって演奏アプローチ、叩き方をどうしてこうも見事に変えることが出来るのでしょうか?これ以上は考えられないという程の的確さにいつもシビれてしまいます!

7曲目表題曲Milagro、ベースのイントロから曲が始まり、南欧を思わせるピアノとベースのユニゾン・メロディ、サウンドに4管から成る重厚なアンサンブルが加わり、クラシックの交響曲のごとき神聖で厳かな世界が訪れます!この時点で音楽に感動、そして感動です!何と美しい楽曲でしょう!そしてDeJohnetteのカラーリングがあまりにハマり過ぎています!Pasquaはロック・ポップスの大御所たちとのギグに長年惚けていた訳では決してありませんでした(笑)!自己の表現すべき音楽をずっと模索し、表出する機会を虎視眈々と狙っていたに違いありません。ピアノソロが前面的にフィーチャーされますが、欧州的サウンドとDeJohnetteのドラミングからKeith Jarrett Trioの演奏を感じさせる瞬間がありました。Milagroとはスペイン語で奇跡、Pasquaは音楽で奇跡を起こしたのです!

8曲目再びMichaelを迎えL’Inverno、ピアノイントロ後で聴こえる高音域のテナーサックスの音色が一瞬何の楽器だろう?と考えてしまいました。美しいバラードですがこの曲も一筋縄ではいかないナンバーです。ベースソロが先発、豊かな木の音がベーシストとしての本領をいつもわきまえている事を感じさせます。続くMichaelのソロには神秘的なまでに美しい世界を構築していますが、ピアノのバッキングに身を委ね、イマジネーションをフル回転させ、Pasquaのサウンドに同化しつつ、しかし自己のテイストも表現しようとするアーティスティックさも感じました。もちろんDeJohnette, Hollandの包容力あるサポートがあってのことですが。

9曲目Heartlandは3管編成によるアンサンブルを活かしたナンバーですが、シンプルなメロディに付けられた相反するが如きハイパーなコードと、ホーンのアンサンブルのハーモニーがヤバ過ぎです!ところが最後にトニック・コードにストンと落ち着く辺りの絶妙さは、ちょっとこれ、ありえへんレベルとちゃいまっか?… なぜか関西弁になってしまうほどのインパクトです!(爆)。イントロやインタールードでフルートを吹くRosenbergのフィルインが聴かれ、アンサンブルでのバストロンボーンが重厚さをアピールします。まずピアノソロがフィーチャーされますがリアル「Speak Like a Child」状態、ホーンアンサンブルが実に心地よいのですが、ベース、ドラムのインタープレイも凄まじいまでの主張を聴かせます。Pasquaのソロはリリカルで知的、かつ気持ち良く演奏している様が伺えます。続くベースソロも攻めまくっていますが、曲の持つムードとコード進行、ピアノソロ時のトリオのコンビネーション、アンサンブルの重厚さなどがHollandのスインガー魂を刺激した結果なのでしょう。

10曲目I’ll Take You Home Again, Kathleen(For My Kathleen)は作品のエピローグとして、愛する奥方でしょうか?捧げられた演奏になります。古い米国のポピュラーソング、Elvis Presleyの歌唱で知られているようです。