1)Quartet No. 1 2)Quartet No. 3 3)Quartet No. 2 – Part I (dedicated to Duke Ellington) 4)Quartet No. 2 – Part II (dedicated to John Coltrane) 5)Folk Song 6)Hairy Canary 7)Slippery When Wet 8)Confirmation
Three Quartetsは全曲Coreaのオリジナルから成り、タイトルの由来はバロック、クラシック、ロマン派、印象派に於けるストリングス・カルテットのような、ここではジャズの器楽編成による3部作を演奏する、四重奏のアルバムを作りたかったことに由来します。 前作Friendsの編成も4人でしたが、その四重奏は言わばトリオ+ワンというシチュエーションでした。今回の4人組は複雑な形状のパズルが合致した如く、間違いなく4者にしか出来ない音楽となっています。 1曲目から4曲目がレコード・リリース時の収録曲、5曲目から8曲目が92年CDリリース時にボーナストラックとして追加された未発表テイクです。アルバムのコンセプトからすると収録には相応しくないナンバーですが、内容的には素晴らしい演奏も含まれています。等Blogでは追加テイクに関して基本的に除外していますが、本作では触れて行きたいと思います。
Steve Gaddの4ビート〜スイングのリズムでのプレイは当時全く画期的なものでした。これを車輪と車軸の関係のように確実にフォローするEddie Gomezのベース・ワークとのコンビネーションはアルバム「The Mad Hatter」でのHumpty Dumpty、そして同一メンバーによるフルアルバム「Friends」、バンドStepsの諸作、そして本作の演奏でセンセーショナルに広まり、以降のジャズシーン、ドラマー、リズムセクションに多大な影響を与えました。結果多くのフォロワーを生み出しましたが、元祖Gaddのグルーヴ、スイング感、アイデア、カラーリングのセンス、集中力、何よりそのフレッシュさから未だ他の追従を許していません。当時「あのドラミングはジャズではない」「メカニカルなドラミング」更には「フュージョンの成れの果て」とまで揶揄されましたが、人から何を言われようと自分の信じる道を貫けば良いのです。他方「Gaddの4ビートはスイングしていない」という批評もありましたが、これはある意味では的を得ています。と言うのは基本イーヴン8分音符でのシンバルレガートをメインに、アクセント的にバウンスするレガートを叩いていますから、3連符がベースになるスイング感とは一線を画しているためです。Ellingtonの名曲「スイングしなけりゃ意味が無い」のスイングと、Gaddの4ビートプレイでのスイング感、またリズム、グルーヴの形態としてのスイング、言葉が幾つかの異なった意味を持つ事を再認識しました。周囲がGaddのドラミングを理解することが出来ず、異端扱いを受け、あたかも排除するかのような対応をされた事から、寧ろGaddの演奏の革新性を十分に感じることも出来ました。
Eddie Gomezのベースワークは足掛け11年にも及ぶ名ピアニストBill Evansとの共演で培われたハーモニー感、タイム感、加えてEvans Trioに幾多のドラマーが去来しましたが、各々の奏者たちが繰り出す個性的で微妙に異なるグルーヴのポイントへの対応法を、共演により獲得しました。Gomezはリーダー活動も行なっていますが、生涯一伴奏者としての徹底した姿勢を示しているように感じ、Gaddとの共演はどんなタイプのドラマーとも変幻自在に音楽を創造していく事の出来る柔軟性の中でも、とりわけ彼にとってフェイバリットなコンビネーションを示していると思います。 98年のGomezリーダー作「Dedication」では盟友フルート奏者Jeremy Steig他、レジェンド・ドラマーJimmy Cobb(!)を迎え、日本国内でもツアーを行いました。Gadd, Cobb二人の全く異なるドラミングに完璧に適応できるカメレオンぶりは技術力というよりも、彼自身の演奏スタイルの表出と呼ぶ事が出来そうです。
3曲目Quartet No.2 Part 1(dedicated to Duke Ellington)は優雅にして芳醇、ゴージャスさの表出が半端無い、Ellingtonの音楽をCorea流に見事に料理した美しいナンバーです。ピアノイントロに続き、ピアノとテナーのデュオによるメロディ奏、ここでのMichaelの歌いっぷりの見事さといったら!ダイナミクス、微妙なニュアンス、アーティキュレーションの数々を用いた、切ないまでの感情移入による、歴史に残る名演奏を繰り広げています。ソロの先発はベース、ホーンライクで饒舌なプレイは、クールな中にメロディアスなアプローチをふんだんに織り込んでいます。続くピアノソロはGomezのスピリットを受け継いだかのようにメロディアス、その中にEllington風のアプローチ、ニュアンス、音使いを織り込んだ曲想に合致した演奏を展開、そしてテナーソロはこれまたGomez, Corea二人の演奏を踏まえた、彼らの延長線上にしっかりと位置しようという強い意志を感じさせるプレイです。そのままMichaelのソロでFine、余韻を残しつつ次曲にto be continued!
4曲目Quartet No.2 Part 2(dedicated to John Coltrane)、Gaddのマーチング風のドラムソロから始まります。CoreaのColtraneへのトリビュート・ナンバーはキーをCマイナーに設定しました。Coltrane, Cマイナーと言えば61年11月録音「Live at the Village Vanguard」収録のナンバーSoftly, as in a Morning Sunriseを想い浮かべますが、Corea自身も珍しくソロ中にこの曲のメロディを引用しています。
作品の本編はここまで以降はCDリリース時のボーナス・トラックです。区切りの意味でしょうか、前曲との曲間に11秒の長いブランクが設けられています。 5曲目Folk Song、本作録音81年夏のMontreux Jazz Festivalでの模様を収録した作品「Live in Montreux」でCorea他、Joe Henderson, Gary Peacock, Roy Haynesでのカルテットでこの曲他Hairy Canary, Slippery When Wetを再演しています。
1)The One Step 2)Waltse for Dave 3)Children’s Song #5 4)Samba Song 5)Friends 6)Sicily 7)Children’s Song #15 8)Cappucino
Coreaとは初リーダー作「Tones for Joan’s Bones」からの付き合いになる名リード奏者Joe Farrellをフロントに、ベーシストEddie Gomez、ドラマーSteve Gaddによるカルテット、仲の良い友人関係だったことでしょう。作品タイトルや、ライナー掲載写真から和やかな表情を読み取る事が出来、作品全体から伝わるリラックスした雰囲気が全てを物語っています。しかし時として炸裂せんばかりの驚くべき次元のインタープレイの数々、音楽的な振れ幅のあまりの激しさは個々のメンバーの持つポテンシャルの高さを物語っていますが、そもそもがメンバーの音楽的相性の抜群さゆえ、その裏返しと言えましょう。特にCoreaとGaddのふたりはリズム感もそうですが、お互いのアイデアを共有する完璧に同じベクトルを描いています。Farrellのソロそっちのけで(爆)、互いのアイデアをぶつけ合い、拾い合い、瞬殺のレスポンスで場面を活性化する敏捷なプレイの連続。もちろん彼らは様々な音楽に柔軟に対応出来る幅の広い音楽性を有していて、特にGaddは膨大な数の参加作品に、多種多様な音楽への柔軟な対応力を感じ取る事が出来ますが、リーダーバンドであるThe Gadd GangではR&Bをルーツしたコーニーなサウンドを演奏しており(名バンドStuffが原形ではありますが)、仮にCoreaがこのバンドに加わったプレイはどうにもイメージ出来ません。CoreaのRichard Teeライクなプレイ、それはそれで聴いてみたいですが(笑)。一方Coreaはキャリアのごく初期ではサイドマンを務めましたが、一貫してリーダータイプのミュージシャンで、様々な方向性の作品を数多くリリースしてジャズ界に君臨しています。70年代初頭に率いたバンドCircle〜Dave Holland(b), Barry Altschul(ds), Anthony Braxton(reeds)〜彼の音楽史上最もフリーフォームな領域に足を踏み入れた演奏、Gaddがこのコンセプトで演奏するのはあり得ない事でしょう。グルーヴとカラーリングの妙を信条とするプレーヤーですから。本作で演奏されているスタイルでのふたりの相性は史上稀に見る、DNAまでマッチングする一卵性双生児のごとき同一性を聴かせています。
まさかこのメンバーで1枚作品が出来上がるとは思いもよりませんでした。「Now He Sings, Now He Sobs」はMiroslav Vitous, Roy Haynesとのトリオ、アコースティック作品でしたが、以降Corea一連の作品「Return to Forever」「Light as a Feather」「The Leprechaun」「Hymn of the Seventh Galaxy」「Romantic Warrior」「Musicmagic」「Secret Agent」「My Spanish Heart」…枚挙にいとまがありませんが、スパニッシュ、エレクトリック、ロックのテイストをとことん披露した作品群の後、ここまで徹底してアコースティック・ジャズを演奏したCoreaに、音楽の幅の広さを痛感した覚えがあります。これらイーヴン系のリズムが基本の音楽はスイング・ビートのジャズに比べて表現の間口が広く、オーディエンスにも受け入れが容易です。反してスイングは数あるスタイルの中で、演奏が最も困難にして聴く者にある種の強いる要素を抱えています。しかしここでの演奏は強いる事を遥かに通り越した次元での、誰にでも強力に訴えかけ、しかも容易に理解できる純粋芸術的領域での表現を提示しています。例えば画家Pablo Picassoのキュビズムによる一連の作品、その中でも頂点にあるゲルニカは観る者に圧倒的なインパクトを与えます。Picassoの情念がキャンバス、筆と絵具(ゲルニカの場合はペンキ)を媒体とし、誰も成し得ていない次元での手法をもって表現され、大胆な構図を施した絵の持つ存在感に圧倒されるばかりですが、同時に「よく分からない」感は拭い切れないと思います。キュビズムの手法にはつきものですが、でも言ってみればその「よく分からない圧倒感」が芸術鑑賞の原点だと感じています。そこから更に細部に入り込んで理解を深めて行くかどうかは、個人の好みであるとも思います。
本作の有無を言わさぬ演奏クオリティの素晴らしさ、そしてこの作品でサックス奏者がMichael Breckerに替わったとしたら、それはそれはさぞかし凄い事になりそうだ、とミュージシャン同士でよく話をしたものです。Farrellの持ち味にも格別なものがありますが、他の3人に比べるとどうしてもワンランク落ちてしまいます。一方当時のMichaelはまさに飛ぶ鳥を落とす勢い、八面六臂の活躍ぶりで作品毎に進化を遂げており、このリズムセクションのフロントマンとして参加資格があるのは彼だけではないだろうかと。我々だけではなく全世界で、本人Coreaももちろん感じたのでしょう、Dreams come trueとなり81年1, 2月録音の「Three Quartets」が世に出た際には吃驚仰天しました。
79年にMike Mainieriが気の合う、音楽的にも優れたスタジオミュージシャン〜Don Grolnick, Michael, Gomez, Gaddたちと、Brecker兄弟が経営するNYC Manhattanのジャズクラブ7th Avenue Southにてセッションを始めたのがきっかけとなり、バンド名Stepsとして活動を開始、翌80年12月六本木Pit Innにて日本での旗揚げライブを1週間行い、その時の模様を収録した「Smokin’ in the Pit」が翌年リリースされました。高度な音楽性、緻密にして高次的理論に基づくインプロヴィゼーションの嵐、素晴らしいインタープレイはGadd, Gomezのリズム隊に負うところが大、彼らの起用は紛れもなくFriendsが元になっていますし、Three Quartetsに於けるプラスMichaelと言う人選も、これまたStepsからの流れに他なりません。時系列でのミュージシャンの入れ替わり、兼任・重なり具合、派生を眺めてみるとまた違った側面が見えてきます。
それでは収録曲について触れていく事にしましょう。1曲目The One Step、冒頭Fender Rhodesとベースのユニゾンによるテーマが奏でられ、リピート時にはベースはバッキングに回りソプラノサックスがテーマを演奏します。可憐な雰囲気をたたえた楽曲はオープニングに相応しい、良きスターターとなり得ています。Coreaにしてはシンプルなナンバーですが、曲の構成がよく練られています。4分の2拍子を含む打ち伸ばしやシンコペーションが効果的、テーマ中のRhodesのフィルインソロもグーです!Farrellが美しい音色でメロウにテーマ〜ソロを取ります。シャッフル風のリズムを叩くGaddとバッキングでカラフルに演奏するCorea、この時点でFarrellのソロには関係なく既に二人で呼応し合っています(汗)。Coreaのソロに入った途端にベースがリードし、Gaddがスネークイン、倍テンポのスイングに変わります。「ほんの少しだけ」前にリズムのポイントを置いたベース、ドラムのタイム感、そしてGaddの限りなくイーヴンに近いスイング・フィールのシンバル・レガートがカッコいいです!倍テンポになっても打ち伸ばしやシンコペーションが用いられているので、テンポ増しでこれらのキメは一層的を得たものになっています。Gomezのウネウネしたラインに纏わり付くGaddの多彩なドラミング、Coreaのパーフェクトなタイム感と相まって三者見事に連動しています。仕掛けて来るGomezのフレーズ、Coreaのソロにも同時に反応するGaddは、複数人の話を同時に耳にし、理解し得たと言われる聖徳太子状態です(笑)。
2曲目Waltse for DaveはCoreaの友人でもあり、先輩格のピアニストDave Bruebeckに捧げられている、美しくカラフルな場面展開を持つ名曲です。テーマは初めのAの部分をCoreaが、その後Farrellがフルートで美しく演奏しそのままソロに突入、よく聴くとGaddのブラシでのカラーリングが実に様々なアプローチ、小技、フレーズを連発しているのですが全くうるさくありません。フルートソロからスティックに持ち替え対応、2’11″辺りからのサビで4人が主張し合い、2’26″辺りからのGaddのフレーズにCoreaが合わせ始めます。Farrellがソロをとっているにも関わらず!このアルバムはフロントのソロそっちのけでのドラムとピアノのインタープレイが随所に聴かれる、稀有な作品でもあります(笑)。その後のピアノソロはさすが作曲者、変幻自在に曲のイメージの中に深く入り込み、Gadd, Gomezたちは自身でソロを取っているが如き音数のバッキングを繰り出し(笑)、Coreaと三つ巴で盛り上がっています!続くベースソロはエッジーな音色、正確なピッチ、イントネーション、歌い回し、ソロの起承転結全てに申し分ありません!Bill Evans「Live at the Montreux Jazz Festival」での”バチバチ”系ベースの音色のイメージがあり、ハードなセッティングとイメージしていましたが、むしろ弦高を極端に低くして柔らかく弦をつま弾いています。彼とは一度共演をした事がありますがクールな雰囲気で、細身で長いタバコMoreをオシャレに愛煙していた印象があります。
Gaddのドラミングスタイルですが、前述の通り膨大な数のレコーディングに参加しているために、演奏露出の機会は誰よりも多いので耳馴染み、お得意のフレーズが出ると嬉しくなってしまう次元の耳タコ状態ですが、実は誰にも真似の出来ないオリジナリティ溢れるプレイ、いや、それを通り越して相当の変態スタイルだと思っています。人が行うドラミングの手順があるとすると、必ず逆から辿るような、また演奏は定型でいるようで不定型の極みです。加えて通常では思いつかないようなレスポンス、アプローチを常に繰り出す真のアーティストであると認識しています。演奏の入魂ぶりは凄まじく、同じジャズドラマーElvin Jones, Roy Haynes, Tony Williams, Jack DeJohnetteと並び称されると思っています。
3曲目Children’s Song #5はCoreaのライフワークのひとつ、多くのバリエーションがあり、いずれもが小品として自作品に度々登場しますが、83年7月に「Children’s Songs」としてNo.1からNo.20までをソロピアノで、1曲のみcelloとviolinを伴って一枚の作品として録音しました。Bartokの名ピアノ曲集Mikrokosmosがルーツになっています。
5曲目Rhodesの可愛らしいイントロから始まる表題曲Friends、メロディをFarrellがフルートで奏で、リズムセクションが優雅にサポートします。こちらもリズムはサンバですが、前曲のSamba Songとは異なるBrazil系のサンバのリズムになります。美しさ、穏やかさが音楽表現の原点なのだ、と再認識してしまうほどに見事なアンサンブル、各人の曲想にマッチしたソロ、Gaddの繊細でアイデア豊富、かつグルーヴマスターとして他の3人の演奏を確実に映えさせる巧みさ、ベースソロ後ラストテーマへ、そしてエンディング部になりますが、8’08から聴かれるRhodesのメロディは聴き覚えがあると思いきや、「Return to Forever」収録でFlora Purimの唄をフィーチャーした曲、What Game Shall We Play Todayじゃありませんか!引用フレーズをソロに挿入することがまずないCorea、たまたまなのか何か狙いがあっての事なのか、真意の程は分かりません。